2013/09/24 - 2013/10/02
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旅人のくまさんさん
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ナポリから陸路で移動し、午前中がポンペイ見学、午後にはアマルフィ海岸の見学です。今回の旅行での一番の楽しみのコースです。ポンペイが2千年ほど前に火山噴火で埋もれた古代ローマ帝国時代の町、アマルフィーは、世界一美しいと称される海岸です。(ウィキペディア、JTBワールドガイド・ローマ他)
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ナポリで2泊予定のホテル、『ホリデー・イン・ナポリ』の建物光景です。イタリアの総人口は約6千万人で世界23位、世界10位の日本の約半分の人口です。ナポリの人口は約99万人です。因みにイタリア第大都市は首都のローマで272万人、二番目がミラノの130万人です。今回旅行するフィレンツェが36万人、ベネチアが27万人と、世界的に有名な街にしては、意外と少ない都市人口です。
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この日の朝の空模様です。雲の欠片一つない快晴でした。ナポリに向けての出発時刻までには、少し余裕がありましたので、ホテル近くの散策に出掛けることにしました。昨日、ポジリポの丘でナポリ湾の夜景を紹介した時に、ナポリ出身のテノール歌手の『エンリコ・カルーソー(1873~1921年)』を紹介しましたが、その続きです。40台の歌い盛りの時にアメリカで発病し、ナポリに戻ってから亡くなりました。
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実は、『エンリコ・カルーソー』のことは小学時代に音楽の先生からエピソードを聞き、半世紀経っても忘れられない記憶として残っています。記憶違いもあるかも知れませんが、アメリカに渡って活躍中のエピソードだった記憶です。テノール歌手のカルーソーは、バス歌手がある事情で歌えなかった時、帽子を目深に被って、その代役を務め、歌い終えた後で、観衆がカルーソーに気が付いたとされます。
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そのエピソードを、いろいろとネット検索してみましたが、余り公にされなかったエピソードなのか、その真偽は確かめられずにいます。ところで、カルーソ(1873~1921年)と同年生まれの歴史的なロシアのバス歌手の『フョードル・イワノヴィッチ・シャリャピン(1873~1948年)』がいます。カルーソのエピソードの代わりに、その2人の別のエピソードを紹介しておきます。
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歴史的テノール歌手のカルーソーとバス歌手のシャリアピンの共通のエピソードは食べ物のことです。カルーソーが『スパゲッティ・カルーソ』、シャリアピンが『シャリアピン・ステーキ』に名前を残しました。1936年に来日した際、彼は歯が痛くて硬いステーキが食べられないということを当時宿泊していた帝国ホテルの料理長に伝えたそうです。そこで、料理長は肉を柔らかくするために叩いて厚さを薄くし、玉ねぎのみじん切りに肉を漬けてやわらかいステーキを提供ました。これが現在も名が残るシャリアピン・ステーキです。残念ながら、日本以外の地域ではほとんど知られていない、日本特有のステーキ料理です。このエピソードも、ステーキを食べたことがない小学生の頃に聞きました。
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次は『スパゲッティ・カルーソ』の紹介です。懐かしの洋食屋メニューで、『スパゲッティ・カルソー』とも言われます。それは、牛肉の細切り肉とデミ風のトマトソースのスパゲッティです。この料理は、『アメリカン・イタリアン(アメリカ生まれのイタリア料理)』の古典的な一つです。アメリカ時代に、カルーソーが懐かしんだ故郷のイタリアの味だったようです。写真で見ますと、ミートソース風でした。
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逆光で撮影した写真ですから、空が白っぽく見えていましたが、肉眼では青空が続いていました。泊まったホテル近くの街角光景です。
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泊まったホテルの1階ロビーの光景です。一旦ホテルに戻って出発準備を済ませてきました。2連泊なので、今日は身軽なスタイルで出掛けられました。
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泊まったホテルを出発し、すぐに見えてきたヴェスヴィオ火山の光景です。ポンペイが近くですから、言ってみれば至極当然の光景でした。日本でもお馴染みのイタリア大衆歌謡の『フニクリ・フニクラ』は、ヴェスヴィオ火山に1880年に敷設された登山電車(ケーブルカー)のコマーシャルソングが始まりです。電車の愛称が、『フニコラーレ』でした。
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イチオシ
ヴェスヴィオ火山がさらに大きく見えてきました。ポンペイに到着したようです。『フニクリ・フニクラ』は、登山鉄道会社から依頼され、作曲家のルイージ・デンツァが作曲し、ジャーナリストのジュゼッペ・トゥルコ(1846~1907年)が作詞したもので、世界最初のコマーシャルソングとも言われます。日本では、1961年4~5月に番組開始して間もない『みんなのうた』で紹介されました。
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駐車場で観光バスを降りて、後は歩いてのポンペイ遺跡の見学です。この辺りは、遺跡の入口に向かう途中の光景です。ヴェスヴィオ火山の最新の噴火は1944年で、溶岩が11日間に亘り流れ続け、26人が死亡、1万2000人が避難しています。この火山は、3万3000年に亘り活動し、紀元79年のポンペイを襲った火砕流の後も、432年に噴火、1631年には4000人の死者を出す噴火が発生しています。
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紀元62年2月5日に、『ポンペイ地震』と呼ばれる大地震があり、付近の町に大損害を与えました。それ以後、微地震が続きました。『ポンペイ地震』は、紀元62年2月5日に、イタリア・カンパニア州のポンペイを中心に発生した地震です。この地震は、17年後の紀元79年に発生したヴェスヴィオ山の噴火の前兆であった可能性が指摘されています。
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青々とした木立は、自然林ではなく、植林された木立に見えました。その木々の間からポンペイ遺跡らしい石造の建物などが見えていました。62年の地震は、ポンペイの住民にかえって油断や驕りを与えてしまったことが、17年後の噴火の際に露呈しました。この地震で逃げた人々が、揺れが治まった後に家へ戻ると、火事場泥棒に財産が盗まれ、財産がほとんどなくなっていたというケースが多発したためです。
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現地案内の人との時間調整を兼ねて入場した、カメオなどの製作販売店の紹介です。カメオは、瑪瑙(めのう)、大理石、貝殻などに浮き彫りを施した装飾品・工芸品のことです。古代から装飾品として愛され、古くは古代ローマ時代のものも発掘されています。(ウィキペディア)、製作工程も見学することが出来ました。
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イチオシ
二つ並んだ、貝を使った大型のカメオの光景です。日本では主にマンボウガイ、トウカムリ、ホシダカラ等の厚い貝殻に浮き彫りを施したシェルカメオを指し、瑪瑙などの石に浮き彫りを施した物はストーンカメオ、アクリル樹脂をカメオ風に成形した物はアクリルカメオ、金属をカメオ風に成形した物はメタルカメオと、素材ごとに呼び分けています。(同上)
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貝を使った大型のカメオのズームアップ光景です。『正確には表面に浮き彫りを施したものをカメオ、沈め彫りを施したものをインタリオと呼ぶようです。しかし、カメオとインタリオをまとめて「カメオ」と呼ぶ場合が多いようです』(同上)、このカメオは新作かも知れませんが、年代を経たクラシックな作品は、一段と高い値段となるとお聞きしました。
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イチオシ
同じく、貝を使った大型のカメオのズームアップ光景です。内部に電球の明かりが使われているのでしょうか、レリーフの模様が幻想的に浮かび上がっていました。古代ギリシャで発達した技法では、カメオもしくはインタリオを施した宝石を指輪にはめ、印章代わりに使用していたと考えられています。(同上)
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卓上に並べられた、半製品と素材の貝の光景です。貝は、半割りにしたり、さらに細かな素材として使われていました。その断面は、機械でカットされているようでした。日本の筒も卓上にありましたが、小さな素材をその端面に固定して彫刻するための補助具のように見えました。
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材質は分かりませんでしたが、黒色と薄茶色に色分けされたチェス・セットの光景です。卓上に碁盤目模様が記してありました。チェスは、白・黒それぞれ6種類16個の駒を使って、敵のキングを追いつめるゲームです。将棋で、現在100期目のタイトルを目指している羽生さんが、初めて教えてもらったチェスルールで、いきなり世界トップクラスの腕前になった記事を目にしたことがあります。
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チェスのセットを展示していたコーナーの光景です。後日、『チェスと羽生善治さん』でネット検索しましたら、『羽生さんがポーランドにてチェスの大会に出ていた。数年前の2013年12月29日、グランドマスターというチェスの最高位タイトルホルダーに勝利した』との書き込みがありました。グランドマスターは、世界チャンピオンクラスの称号のようです。
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こちらは、壁に展示された完成品の数々です。風景画、人物画などでした。推測ですが、同じ作品が展示されていることから、版画の1種のリトグラフのようでした。19世紀頃、ヨーロッパで偶然から原理が発見され、以降、フランスの『ロートレック(1864~1901年)』等の画家が斬新で芸術性の高いポスターをこの方法で描きました。
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中段に飾られた、繊細な造りのミニチュアの建物は、9頭の龍がレリーフになっていました。かつての中国では、龍は皇帝のシンボルとされ、北京の紫禁城九龍壁が有名です。最上段は、高級な塗り物の箱、最下段の像には十字軍の印がありました。チェスの駒かも知れません。紫禁城寧寿宮にある九龍壁は、1772年(乾隆37年)に制作されました。その時のエピソードをお聞きしながら見学しました。
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ワゴンの上に置かれた展示品の数々です。推測ですが、オルゴールが多いように見受けました。ワゴンには、値引き交渉用でしょうか、電卓が置かれていました。卓上の展示品には、貴重品入れもあったかも知れません。
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中央のガラステーブルの上に置かれているのは、人物面などの銅製品、その中央に置かれた人物像も同製品でした。背後のガラス戸棚の中も銅製品のようでした。青銅よりも黄銅らしい色彩の銅製品です。黄銅は銅と亜鉛の合金で、適度な粘りがあり、適度な硬度があり、加工がし易いため、古くから人々の生活で用いられてきました。
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黄銅製品が並んだ棚のズームアップ光景です。下段の棚には、右からミケランジェロのピエタ像、同じくミケランジェロのダビデ像、最後の晩餐像(原作・ダヴィンチ絵画)、同じくダヴィンチの人物像(原作・ウィトルウィウス的人体図)のようでした。上の棚には、レダの白鳥像などがありました。
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シャンデリアの飾りもあった、高級装飾品店らしい室内光景の紹介です。旅行のついでにお土産にできるような、安価な品は少ないように見受けました。専ら目の保養といったところでした。
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三段の棚に展示された品々です。下段がカメオを使った装飾品と置時計、中段もカメオを使った装飾品でした。電気のコードが付いているのは、内部からの照明用のようです。上段には、銅製食器と、地球儀が置かれていました。
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中央が、金彩が施された、一見豪華な飾りが付いたように見える磁器壺、その左右がネックレスなどの装身具の展示です。磁器壺にも値札が付いているようでしたが、余り立派な品には見えませんでした。
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ひときわ明るい照明のガラス戸棚の中に展示されていたのは、ネックレスなどの装飾品でした。サンゴや真珠、瑪瑙などが素材のようでした。瑪瑙(めのう)は、縞状の玉髄の一種で、オパール(蛋白石)、石英、玉髄が、火成岩あるいは堆積岩の空洞中に層状に沈殿してできた、鉱物の変種とされます。
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カメオを見学したお店の一口光景です。『CAMMEI』がカメオのイタリア語表記のようです。ネット情報では、1885年に創業のお店のようでした。ショーウィンドウを熱心に覗き込む観光客グループの姿がありました。
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