2013/09/24 - 2013/10/02
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旅人のくまさんさん
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アマルフィ海岸は、カンバニア州ソレント半島南岸にある海岸です。『世界一美しい海岸』ともいわれ、1997年に世界文化遺産に登録されました。また、基礎自治体(コムーネ)のアマルフィは、急峻なアマルフィ海岸に面して築かれ、中世にはアマルフィ公国(アマルフィ共和国)として、自立した海洋国家でした。
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ティレニア海のサレルノ湾に浮かぶ双子のような小島の光景です。ソレント半島の先端に近いソレントの手前(東側)で半島を横断し、その後で見えてきた小島だったようです。半島を横断した後は、ソレント半島の南側を東に向かいアマルフィ海岸を目指します。
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前方に見えてきたのが、アマルフィ海岸があるソレント半島の付け根付近の光景になるようです。近くに見えているのは、急峻な崖を削って設けられたサレルノ湾に沿って続く街道です。サレルノ湾の北西は、ソレント半島によって画されています。ソレント半島北岸がナポリ湾に面し、南岸がサレルノ湾に面しています。
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サレルノ湾に面した街道から眺めたソレント半島の山側の光景です。植物も育つのが難しそうな急峻な崖山の光景です。この急峻な崖山が、サレルノ湾に面したソレント半島の絶景を作っている要素の一つになっているようでした。半島の背骨になっているのが、アペニン山脈に続くラッターリ山脈です。アペニン山脈は、イタリア半島を縦貫する山脈です。
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イチオシ
イタリア半島を縦貫するアペニン山脈について、もう少し説明します。長さは約1200キロ、北・中央・南に三区分されます。最高峰は中央アペニン山脈にあるコルノ・グランデの標高2912mです。アフリカプレートが、ユーラシアプレートに衝突した影響で、白亜紀末期からアルプス山脈が隆起して形成されました。地質時代の区分の白亜紀は、約1億4500万年前から6600万年前の時代です。
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振り返って眺めた、ソレント半島の先端方向の光景です。シルエットの光景になりましたが、崖を削ったことが分かる海岸線の道路の光景でした。白亜紀末期の6600年前頃に、当時繁栄していた恐竜をはじめとする多くの生物が大量絶滅する出来事がありました。その原因として有力視されているのが天体衝突です。ユカタン半島に落下したとする説が主流のようです。
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ユカタン半島は、メキシコ、グアテマラ、ベリーズにまたがり、メキシコ湾とカリブ海との間に突き出ている半島です。地表に対し45度~60度の角度で衝突し、エアロゾルを生み出す硫黄を大量に放出したようです。イギリスのインペリアル・カレッジ・ロンドン(I.C.L.と略記)では、この角度で北東方向から衝突したとすれば、実際に確認されているクレーターの構造をうまく説明できるとされます。
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天体の衝突による恐竜などの死滅とする説は、随分前から見聞きしていましたが、その時生じた数百メートルの津波が原因と思い込んでいました。I.C.L.のシミュレーションでは、数十億トンが放出されたとみられる硫黄からエアロゾルが生み出されて気候の寒冷化へとつながり、結果として当時地球に生息していた生命のおよそ75%が絶滅したとみられています。白亜紀末期の話は、ここまでです。
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アマルフィ海岸の絶景が見えてきました。自然の光景だけでなく、険しい海岸線に人々が造り上げた建物の光景と相まった、自然と人とが作り出した光景でした。この絶景を眺めながら、かつて存在した『アマルフィ公国』の歴史について紹介します。『アマルフィ共和国』とも呼ばれます。
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『アマルフィ公国』は、南イタリアのアマルフィを中心に9世紀から12世紀にかけて存在した海洋都市国家です。ピサ、ジェノバ、ヴェネツィアなど、北部の都市国家が台頭するまでは、イタリアの商業の中心地として地中海貿易を支配していました。地中海貿易の先駆的存在であり、初めて海商法を整備した国でもありました』(ウィキペディア)
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『アマルフィの海商法は、国家としてのアマルフィが衰退した後も1570年頃まで使われ続けました。ところで、アマルフィの町は339年に設置された交易所を起源としています。元々は、東ローマ帝国系のナポリ王国に支配されていた地域でした。838年にランゴバルド人に占領されますが、翌年にランゴバルド人を追放すると、知事を選出して自治共和国としての形を整え始めます』(同上)、『ナポリ王国』は、13世紀から19世紀にかけて、ナポリを中心に南イタリアを支配した国家です。また、ランゴバルド人は、6世紀後半にイタリア半島の大部分を支配する王国(ランゴバルド王国)を築いたゲルマン系部族です。
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『958年には元首を選出して公国となり、間もなく最盛期を迎えました。しかし、11世紀に入ると、政権は次第に不安定になっていき、サレルノ公国からの介入を許すようになりました。その後、1073年、ノルマン人のロベルト・イル・グイスカルドによって征服されますと、アマルフィ公の地位も彼の息子に奪われ、独立を失いました。1096年に反乱が起きますが、1101年に鎮圧されました』(同上)、サレルノの起原は、古代ギリシア人の植民地でしたが、紀元前2世紀にローマ植民地となりました。9世紀にはランゴバルド人によりサレルノ公国が成立しました。
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イチオシ
『アマルフィー公国では、1130年に再度反乱が起きますが、逆に1131年、ルッジェーロ2世によってシチリア王国に併合されることになります。1135年および1137年にはピサの攻撃を受け、以後は都市としてのアマルフィも急速に衰退していくことになりました』(同上)、これで、『アマルフィー公国』の紹介はお終いです。引き続いて、関連する国々を紹介します。
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『シチリア王国」の紹介です。靴で蹴っ飛ばされたような三角形の大きな島で、現在の州都はパレルモです。『11世紀半ば、フランスのノルマンディー地方から兄弟と共にイタリアにやってきたノルマン人の騎士ロベルト・イル・グイスカルドは、東ローマ帝国領だった南イタリアを占領しました』(同上)、『ロベルト・イル・グイスカルド(1015~1085年)』は、傭兵からなり成り上りました。
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『1071年、弟のルッジェーロ1世(1031~1101年)は、シチリア全島を占領しました。この功によりルッジェーロ1世は、兄のロベルトからシチリア伯位を与えられました。兄の死後、プッリャ・カラブリア伯(在位:1057~1059年)、後にプッリャ・カラブリア公(在位:1059~1085年)となりました』同上)
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シチリア王国の紹介が続きます。『1130年、ルッジェーロ1世の息子であるルッジェーロ2世は、対立教皇地位であるアナクレトゥス2世から王位を得て、オートヴィル朝(俗に言うノルマン朝)シチリア王国が成立しました。1189年、シチリア王グリエルモ2世が後継者なく死去しました』(同上)
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『シチリア王グリエルモ2世の死後、ローマ皇帝ハインリヒ6世妃である伯母コスタンツァと、伯父の庶子であるレッチェ伯タンクレーディが王位を争いましたが、外国の支配を嫌う諸侯の支持を得て、タンクレーディが王位につきました。しかし1194年のタンクレーディの死後、幼少の息子グリエルモ3世が王位につきますが、侵攻してきたハインリヒ6世にパレルモを制圧され、オートヴィル朝は終焉を迎えました』(同上)
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オートヴィル朝の終焉の後は、ホーエンシュタウフェン朝に変わりました。『ハインリヒ6世の妻コスタンツァが、オートヴィル家のルッジェーロ2世の娘であったため、シチリア王位はホーエンシュタウフェン家のローマ皇帝ハインリヒ6世の手に渡りましたが、1197年にハインリヒ6世は死去しました。幼少のフェデリーコが王となり、コスタンツァ・ダルタヴィッラ(1154~1198年)は摂政となりましたが、彼女もまた翌年世を去りました。1220年、フェデリーコはローマ皇帝フリードリヒ2世(シチリア王としては1世)になりましたが、シチリア生まれのフェデリーコはローマ王というよりシチリア王であり、ノルマン朝の後継者でした』(同上)
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『フェデリーコ(1194~1250年)は、イタリア半島の支配に乗り出したため、ローマ教皇と激しく対立し、何度も破門を受け、対立王を立てられました。フェデリーコの死後、シチリア王国は息子たちが後を継ぎましたが、フランス王ルイ9世の弟で、アンジュー=シチリア家の祖となるアンジュー伯シャルルが教皇の要請を受けて征服しました』(同上)
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『アンジュー伯シャルルの治世は不評で、争いが起きシチリア王国はシチリア島の領土と半島側のナポリ王国とに分裂しました。1302年、分裂状態の2国にカルタベッロッタの和平が成立し、シチリア島側はトリナクリア王国を称するようになりました。その後、ハプスブルク家がスペインを治め、シチリアはスペインの支配下に置かれました』(同上)、端折りましたが、これで紹介は終わりです。
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青い海に白い船体がよく映えます。海側からのアマルフィ海岸見学のツアーの船のようでした。カメラでズームアップしての紹介です。多分、港で上陸し、アマルフィの町並み見学もされるのでしょう、
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一定の間隔を置いて、停泊した小型の船の光景です。おそらくアマルフィをはじめ、イタリアの海岸線を見学している人たちのようです。EU圏ですと、国境はないに等しいですから、ほかの国にも自由に出入りができるようです。ローマ帝国時代、『パクスロマーナ(ローマによる平和)』と呼ばれ、カエサル(シーザー)の後を継いだ初代皇帝のアウグストゥスに始まります。
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名前:『ブーゲンビリア』
分類:オシロイバナ科ブーゲンビリア属
分布:中央アメリカ及び南アメリカの熱帯雨林が原産。
その他:花弁に見えるピンクの部分は葉(包葉)で、花は白く小さな部分です。 -
アマルフィ海岸を見下ろす丘の上にあったお店が見えてきました。海岸線の細い街道の小高い場所にありましたので、日本風に『峠の茶屋』と呼んでおくことにしました。素晴らしいアマルフィ海岸を眺めながら小休止しました。
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アマルフィ海岸を見下ろす丘の上にあったお店の光景です。左手に見えているのは、聖母マリア像の説明看板です。『アヴェ・マリア』の文字がありました。アヴェ・マリア(ラテン語: Ave Maria)は、『こんにちは、マリア』または『おめでとう、マリア』を意味します。転じて、この一文に始まるカトリック教会の聖母マリアへの祈祷を指します。
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アマルフィ海岸を見下ろす丘の上の白いマリア像です。『アヴェ・マリア』は、日本のカトリック教会の文語訳では『天使祝詞』と呼ばれていました。この天使祝詞は日本のカトリック教会で長らく唱えられましたが、1993年に口語和訳の『聖母マリアへの祈り』が作られ、更にラテン語の原文に忠実な口語和訳の『アヴェ・マリアの祈り』が作られ、2011年6月14日の定例司教総会で承認されました。
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イチオシ
沢山の花が捧げられたマリア像のズームアップ光景です。先ほど紹介した、口語和訳の『アヴェ・マリアの祈り』の紹介です。
アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、
主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、
ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、
わたしたち罪びとのために、
今も、死を迎える時も、お祈りください。
アーメン。 -
『峠の茶屋』で販売されていた食品の紹介です。
名前:『クルミ(胡桃)』
分類:クルミ科クルミ属の落葉高木
分布:原産地はヨーロッパ南西部からアジア西部。
その他:食用として利用は古く、日本では縄文時代から種実の出土例があります。 -
名前:『イチジク(無花果)』
分類:クワ科イチジク属の落葉高木
分布:原産地はアラビア南部
その他:日本ではこの色で販売されることはなく、別種の果物かも知れません。韓国旅行では、干しイチジクをお土産にしましたが、干し上げた小さな実でした。 -
名前:『プチトマト(ミニトマト)』
分類:ナス科ナス属
分布:アンデス山脈高原地帯(ペルー、エクアドル)原産。
その他:食用として人気の野菜です。 -
名前:『サボテン(仙人掌)』:カクタス・フルーツ
分類:サボテン科
分布:サボテン類の原産地は、アフリカ大陸からインド洋に分布。
その他:ドラゴン・フルーツも紐サボテン属の果実です。何度か食べたことがありますが、ほのかな甘みを持った野菜のイメージでした。
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