2011/10/22 - 2011/11/06
8720位(同エリア17021件中)
kojikojiさん
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- 旅行記1760冊
- クチコミ1205件
- Q&A回答73件
- 3,460,266アクセス
- フォロワー169人
3週間の旅の最後の日はホテル近くの通りで買い物を済ませ、ダンフェール・ロシュローから「リュクサンブール公園」まで散歩に行きました。最後に姪と合流して、どちらかと言うと妻の買い物の付き合いみたいな感じでしたが、最終日までは私の行きたいところばかりに付き合ってもらったので申し訳なく思っていました。散歩程度に思っていたリュクサンブール公園は本当に晩秋という言葉が当てはまる美しい景色でした。秋草と草花を組み合わせた自然な植栽は本当にフランスの人は上手です。日本人では使わない黄色い菊の花の植え込みも新鮮な驚きでした。中国や日本的だと思っていた菊の花もフランスで見ればちゃんとヨーロッパの景色に馴染んでいます。リュクサンブール公園を抜けて「サン・シュルピス教会」に入ると映画「ダ・ヴィンチ・コード」の世界が広がり、トム・ハンクスやオドレイ・トトゥの顔が浮かんできました。サンジェルマン・デ・プレをぶらぶら散歩して「寿月堂」というお茶屋さんにも立ち寄りました。隈研吾設計の茶室があるのですが、銀座の「東哉」の茶器なども扱っているので見たいと思っていました。姪との最後の食事は予定していた店が休みだったので、偶然通りがかった「KIGAWA」というフレンチレストランに入りました。偶然ではありましたが、とてもおいしい店で最後の思い出になりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 徒歩
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
パリに2週間ほど滞在し、トゥールに3泊してロワール渓谷とナントを巡り、モンサンミッシェルへ足を延ばした旅もこの日が最終日です。ルートだけで考えれば7泊8日のツアーと変わらないところですが、行きたいところを積み上げて行ったら3週間になってしまいました。
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宿泊していたモンパルナスのヴィラ・モンパルナスをチェックアウトする前にダゲール通りでお土産を買う事にしました。と言っても何度か通った「La cave des papilles」でオーガニックのワインを数本買い求めたのと、「Monoprix(モノプリ)」で大量のチーズと大量のクスミティーとキッチン雑貨を買ったくらいですが。
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安っぽい経木みたいな木箱なのに箱ごと欲しくなってしまうのは何故でしょう。日本では絶対にないパッケージですね。日本だとプラスチックの箱になってしまいます。
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魚屋さんは美味しそうなアカザエビがてんこ盛りです。アカザエビはフランス料理ではラングスティーヌ、イタリア料理ではスカンピと呼ばれていますね。若い頃1か月ほど小田原に滞在したのですが、その時に地元の居酒屋で食べたアカザエビのおいしさは忘れる事が出来ません。
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2週間ほどいたのですから、モンマルトルのホテルはキッチン付だったらどんない良かったと思いました。そういえば澁澤龍彦の「ヨーロッパの乳房」のパリ食物誌を読んでいると、奥さんと2人でモンパルナス墓地近くの安ホテルの部屋でエビやカニを茹でて食べたと書いてありました。
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ノルマンディーの牡蠣やウニ、サンジャックなど、おいしそうな物がたくさん売っています。個人が家庭の料理で使う素材とも思えないので、レストランが仕入れに来るのでしょうか。この辺りの市場の食材は質の高い物ばかりでした。
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夜汚かった街が朝になると綺麗になっていたのはこれのお蔭でした。
歩道の脇から大量の水が流れてたばこの吸い殻やゴミを排水溝に流していきます。パリの左岸も右岸もセーヌ川に向かって緩やかな傾斜になってるので、水の流れる方向はある程度決まっています。ある程度ゴミが溜まったところを清掃人の方がゴミを回収しています。 -
一度ホテルに戻って荷造りをしてチェックアウトし済ませ、フロントに荷物を預かってもらいました。
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宿泊した部屋は6階で、かなり広さがありました。部屋には冷蔵庫もありましたが、部屋には当たり外れがあり、最初の1週間ほどの部屋は狭くて冷蔵庫もありませんでした。
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バスルームもこの部屋は広くて快適でした。この当時パリ市内で4星で9,000円で泊まれるのはありがたいことでした。旅行前に調べていてもパリのホテルの高さには驚きました。
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10,000円以下でバスタブ付きは奇跡かもしれません。モンパルナス駅にも近く、観光するにも便利な場所でした。
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ホテル近くの「ダンフェール・ロシュロー広場」には「カタコンベ」がありますが、妻の大反対によって今回は行きませんでした。このライオン像の作者はフレデリック・オーギュスト・バルトルディで、フランスがアメリカ合衆国へ送ったニューヨークの「自由の女神」の作者です。ライオン像は普仏戦争への抵抗を表現した「ベルフォートのライオン」のコピーです。
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途中にあったなんでもない花屋さんですが、パリの街を歩いていて感じるのは花が安いことです。日本だと気軽に買えないのが残念です。
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日本で売られている花ももう少し安くならないものでしょうか。そうすれば購買意欲も刺激されて、売り上げは増えて生活も豊かになると思うのですが。
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ダンフェールはRER線の駅でもあり、ポート・ロワイヤル駅はこんな感じでした。キャノピーがついてとても美しいアール・ヌーヴォーのデザインです。
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地下鉄の駅はエクトール・ギマールの設計で有名ですが、この駅は誰の設計なのか気になります。ちょっとウィーンの地下鉄に似ているような気がしました。
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駅の名前は隣のポルト・ロワイヤル修道院にちなんで名付けられたそうです。駅舎の内側も全面がガラス張りになってとてもきれいです。
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パリ5区と6区の境界の角のカミーユ=ジュリアン広場にある、彫刻家デニス・ピュエシュによるフランシス・ガルニエの胸像を組み込んだ記念碑がありました。ガルニエはメコン川の探険を構想し、その大部分を成し遂げたという功績のある海軍士官で、像の中にはガルニエの遺灰が納められています。
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ミシェル・ネイはエルチンゲン公爵でモスクワ1世を兼ね、フランス革命戦争とナポレオン戦争で戦ったフランス軍の司令官であり、ナポレオン1世によって編成された帝国の18元帥の1人でした。彼はル・ルーオー(赤い顔)として知られ、ナポレオンによってル・ブレイブ・デ・ブレーブス勇敢な勇者)の愛称で呼ばれています。
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グラン・エクスプロラトゥール庭園 (偉大な探検家の公園)はフェンスがあって犬は入れないようになっていました。公園の噴水の脇では映画の撮影をしていましたが、ちょっとクラシックな服装でもパリの街では違和感がありません。
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ブロンズ製の泉は4人の彫刻家の作品が組み合わさっています。ルイ・ヴィユモは周りのガーランド・フェストーン(花飾り)を彫り、ピエール・ルグレンは天球の十二宮の帯と、内側の球体と外の輪の部分を制作しています。 動物を得意とする彫刻家エマニュエル・フレミエは8頭の馬と海亀と水を噴き出す魚をデザインし、 ジャン・バティスト・カルポーはもっとも重要な4人の女性の裸像を彫刻しました。
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オプセルヴァトワールの噴水から一直線にリュクサンブール宮まで望めます。佐伯祐三はこの近くのモンパルナス通りの新築のアトリエに居を構え、アトリエ近くのパリ天文台(オプセルヴァトワール)に続く道を何枚も描いています。この噴水を描いた絵もあったような気がしますが記憶があやふやです。
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天文台からリュクサンブール宮殿に向けて南北に一直線になっていますが、このラインがパリ子午線に近いので師午前のラインを感じる事が出来ます。長らくイギリス・グリニッジを通るグリニッジ子午線やベルギー・アントワープを通るアントワープ子午線などとともに経度の基準となる本初子午線の座を争ってきました。
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19世紀初頭に天文学者フランソワ・アラゴにより、パリ経度はより高い精度で再計算されました。その結果はパリ子午線上に設置された飾り額やメダルで見ることができます。1994年にアラゴ協会とパリ市はオランダの芸術家ヤン・ディベッツに、アラゴを記念するものの製作を依頼しました。ディベッツはパリ子午線に沿ってパリ市の北から南まで9.2キロに渡って、135個の銅製メダルを地表に設置するというアイディアを提案しました。
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ミシュレ・センターとも呼ばれる芸術考古学研究所はソルボンヌ大学の美術史部門があるオプセルヴァトワール通りに建ち、1925年に建築家ポール・ビゴットによって設計されました。
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パリ大学考古学芸術研究所のファサードと煉瓦の組み合わせが美しいです。時代的にはアール・ヌーヴォーの最後の時代ですが、フランスらしさではなくオランダの「アムステルダムスクール(アムステルダム派)」やイギリスの「モダン・スタイル」に近いような気がします。
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考古学を想像させるようなグリフィンのレリーフや古代んローマのモールディングが素焼きのタイルで現されていました。
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国立行政学院のファサードには「自由と平等の友愛」と書かれてあります。行政学院はグランゼコールのひとつであり、フランス随一のエリート官僚養成学校でもあり、公務員や経営者幹部などが短期間の生涯学習粋で登録しているそうです。
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「リュクサンブール公園」はすっかり秋の気配です。この公園はジョギングコースになっているようで、この日は土曜日でもあるので休日のランナーがたくさん走っています。もちろん散歩している人も多いです。
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この庭園は1612年にマリー・ド・メディシスがジャック・ボワソーに命じて「リュクサンブール宮殿」に付随するものとして造園されました。元老院の議場等は庭園の北端の「リュクサンブール宮殿」に入っています。
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フェンスの看板を見て思い出しました。「リュクサンブール公園」にはギニョールと呼ばれるマリオネット劇場があったのでした。パリの伝統的な人形劇で、1933年にリュクサンブール公園内に創設され、その後も子供たちが楽しめるように伝統を守り続けていいるそうです。この春にプラハの劇場でドン・ジョバンニを観たのを思い出します。
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先を歩いていた妻がARAGOのメダルを見つけてくれました。「ダ・ヴィンチ・コード」に出てくるアラゴのメダルです。パリの子午線の測量に尽くしたアラゴの名と南北の方位を示すNとSの文字を刻んであります。直径12センチの大きさはつい通り過ぎてしまいそうになります。インターネット上135か所が紹介されていますが、この当時でも4割近くは無くなっているそうです。
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このプレートは天文台から宮殿へ延びる直線からは少し西にずれている位置に埋められていました。
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リュクサンブール宮が見えてきました。秋草の植え込みがフランスを感じさせます。ロワールの古城巡りを思い出しましたが、まだ2週間も経たないのに遠い昔のようでした。
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サロモン・ド・ブロス設計のピネー・リュクサンブール公フランソワ(ルクセンブルク・リニー家出身)の邸宅を、イタリアからフランス王室に嫁いできたマリー・ド・メディシス(ルイ13世の母)の居城として改築し、ニコラ・プッサンとフィリップ・ド・シャンパーニュが手掛けた内装は、彼女が幼い頃過ごしたフィレンツェのメディチ家の居城ピッティ宮殿をモチーフとしているそうです。そう聞くと内装のイメージを想像できそうな気がします。
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ドレフュス事件のアルフレッド・ドレフュスが無罪であることを確信し、政治家の立場で上院で奮闘したシュレル・ケストネルの顕彰碑はリュクサンブール宮殿 (上院) の真ん前に上院に向けて置かれています。オベリスクの左に「正義 Justice」と右に「真実 Vérité」 の女神像を配したジュール・ダルーの作品です。
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8角形の池はラック・オクタゴナルと呼ばれ、その池越しの宮殿はとても美しく見えます。小さいヴェルサイユ宮殿に見えてしまうのは本家があまりに大きいからでしょう。
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マリー・ド・メディシスがフランスを追放された後は、彼女の孫であるモンパンシエ公爵夫人などが居住しました。フランス革命によって当時の主であったプロヴァンス伯(後のルイ18世)が亡命したために国家に摂取され、監獄として使用されたほか、末期の総裁政府の官邸となり、権力者たちがここを活躍の場としました。その後ナポレオン・ボナパルトが権力を掌握した歴史的な舞台にもなります。
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池の周りには幾つもの彫刻が飾られています。天使のかかげるフラワーベースにはスプレーマムの花が満開です。
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ブロンズ像もカモメの止まり木になるとちょっと間抜けて見えます。円柱上の彫像は「ゴリアテに勝利するダビデ」で、写真にはありませんが向かい合う円柱の上には「風呂上がりのヴィーナス」が置かれ、どちらも16世紀頃の古い作品です。
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晩秋の色づいた木々の先にエッフェル塔が見えました。どこからでも絵になる塔です。毎日のように見ていたエッフェル塔もこれが見納めです。
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今回驚いたのが東洋的な菊の花もこの通りフランスらしさを感じる花になります。懸崖菊なんて日本か中国のものだと思っていたのですが、スプレーマムでも同じようなことが出来るのだと感心しました。
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庭園に置かれた「フランスの女王とルクセンブルク庭園の輝かしい女性のシリーズ」の聖ジュヌヴィエーヴはパリの守護聖人です。451年のフン族のパリ侵略の際に祈りを捧げてパリを救ったと言われます。現在パンテオンが建つ丘で祈りをささげていたと言われています。彼女の死後に遺体はサン・ピエール・エ・サン・ポール教会の地下に埋葬されました。その教会のあった場所に今はパンテオンが建っています。ミシェル・ルイ・ヴィクトール・メルシエの作品です。
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ブロンズ像の向こうにパンテオンが望めます。本当は買い物よりこっちに行きたかったのですが最終日は妻の行きたいところ行くことに決めています。
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若いギリシャの俳優が額にマスクを付け、手に台本の紙を持って自分の役を繰り返し練習している様子を表しています元々はオデオン座 に在った作品で、アーサー・ブルジョアの作品です。踊るファウナと1対でこのプロムナードを飾っています。
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リュクサンブール宮殿を購入して改築したマリー・ド・メディシス (アンリ4世の王妃) が造らせたイタリア風の泉までやってきました。若いい母さんが小さい男の子を2人連れて散歩に来ていました。こんな公園が徒歩圏内になるなんて羨ましいですね。
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中央上部に彼女の使った紋章が置かれ、その下にギリシャ神話の巨人ポリュペーモス、そのまた下にガラテアを抱くアーキスの彫像を置かれています 。
相愛のガラテイアとアーキスに嫉妬したポリュペーモスが不意打ちをくらわす様を表現しています。ポリュペーモスはブロンズで表され、ガラテイアとアーキスは真っ白な大理石で造られています。 -
ガラテイアに横恋慕するポリュペーモスというと思い出されるのはぐスターヴ・モローの絵とラファエロの「ガラテイアの勝利」でしょうか。オウィディウスによるとアーキスは大変な美男子で、16歳のときガラテイアから愛されて恋人になります。しかしガラテイアは凶暴なキュクロープスのポリュペーモスからもしつこく言い寄られていました。あるときアーキスはガラテイアと2人でいるところをポリュペーモスに見つかり、ガラテイアは恐れて海に逃げてしまいます。アーキスは1人でポリュペーモスから逃げようとしましたが、ポリュペーモスは山から岩を持ち上げてアーキスに投げつけると、アーキスは押しつぶされ死んでしまいます。メディシスの泉はサロモン・ド・ブロッスのデザインで17世紀に造られたイタリア・グロット様式の美しい池です。
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宮殿の周りの菊の植え込みがとっても綺麗でした。子供の頃に京都に住む祖母と叔母と枚方の菊人形展に行ったことを懐かしく思い出しました。
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日本人が見ると市松に植えられたようにしか見えません。同じ菊を見ても日本人とフランス人だと全くイメージが違うのだろうなと思いました。
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リュクサンブール宮はフランス国会の上院に当たる元老院の議会で使っているので普段は中に入れません。クーポールの天井画はダンテの神曲をモチーフにしたドラクロワの作品だそうです。
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地元の家族連れがたくさん遊びに来ている長閑な公園でした。お姉ちゃんと弟はお揃いのシャツを着ています。
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ここまでかなり散歩した気分ですが、時計の針はまだ10時35分でした。
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「ドラクロワの泉」は時間の神クロノスがドラクロワの胸像に栄光と勝利の花輪と勝利と不滅を意味する棕櫚を差し出す栄光の女神クリオを持ち上げています。それを芸術の神アポロンが拍手で見守っています。足の下に置かれた竪琴と矢筒はアポロンを象徴しています。
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画家ドラクロワの栄光が時間とともに増大し、永久不滅であることを表現していると思われます。ドラクロワはロマン派の代表画家と呼ばれていますが、ルーベンスを高く評価して師と仰ぐ彼はそう評価されるのを嫌っていたそうです。ジュール・ダルーの彫刻の繊細さに驚かされます。
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この宮殿にも美しいオランジェリーがありました。宮殿のオレンジ栽培温室は改造されて19世紀末に「リュクサンブール美術館」に変えられています。
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パリ市民に人気のリュクサンブール公園は、パリに住んだ作家たちにも愛され、19世紀には詩人のテオフィル・ゴーティエがこの公園を奇抜な服装で散歩していたそうです。20世紀のシュルレアリスト作家のアンドレ・ブルトンはここで恋人と出会い、作品の舞台にし「日はまた昇る」でパリのアメリカ人を描いたアーネスト・ヘミングウェイはこの公園の近くに住んで空腹の中でここを散歩していたそうです。
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宮殿の北側のヴォージラール通りに出ると「リュクサンブール美術館」の入り口があり、「パリのセザンヌ展」が開かれているのが分かりました。
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リュクサンブール美術館を越えて子午線を追いかけて「サン・シュルピス教会」に行きました。最後の観光地は映画「ダ・ヴィンチ・コード」のポイントです。
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「サン・シュルピスの噴水」は1843年から1848年にかけて建築家ルイ・ヴィスコンティと起業家アントワヌ・ヴィヴェネルによって建てられ、もともとジョヴァンニ・ニッコロ・セルヴァンドーニの都市計画沿って広場の中心に設置されました。 広場の一端にはこの計画のために移動しなければならなかった平和の噴水がありました。
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十字架をいただいた尾根によって完成された巨大な正方形のエッジキュアが立ち、全体は約12メートルの高さに達します。下の段には足の間にパリの紋章を掲げる4頭のライオンで飾られています。
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ルイ14世の当時の有名な説教者であるカトリック司教の4つの彫像は北側にジャック・ベニニュ・ボスエの手によるモー司教のジャン・ジャック・フォウケールの像があります。東側にはフランソワ・ド・サリニャック・ド・ラ・モテ・フェネロン作のカンブレー大司教のフランソワ・ランノの像です。西側はスピリット・フレチエ作のラヴォールとニームの司教のルイ・デプレスの像です。南側はジャン・バティスト・マッシヨン作のクレルモン・フェラン司教のジャック・オーギュスト・ファギネの像です。
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「サン・シュルピス教会」は高さ34メートルとノートルダム大聖堂よりわずかに小さく、パリ第2の大きさをもつ教会堂だそうです。確かにエッフェル塔の上から見ても巨大な建物でした。
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1646年にルイ13世の王妃であるアンヌ・ドートリッシュの命により建築が開始され、ルーブル美術館やヴェルサイユ宮殿を設計したルイ・ル・ヴォーを中心として設計が行われますが、工事は何度も中断されたようです。1745年に完成しますが1762年には火災を起こし、1770年には落雷により正面が破損するなど完成は困難を極め、最終的にはエトワール凱旋門の設計に関わったシャルグランの手によって修復されます。
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1870年の普仏戦争で被害を受けた北塔の修復工事は1999年からが行われ、2011年に修復が完了したばかりでした。ファサード全体も洗浄されたのか修復場所が分からないほどきれいになっていました。
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この広場も家族連れがたくさん散歩していました。余談ですがこの双子の女の子たちはすごい美人でした。ラファエロかダ・ヴィンチの円赤から抜け出て来たのかと見まごうほどでした。
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1729年にセルバンドーニによって再建されたレディチャペルのバロック様式の内部は、1762年に近くのフォワール・サンジェルマンの火災によって礼拝堂はひどく損傷しましたが、1774年にシャルル・ド・ウェイリーによってバロック様式で設計されました。ド・ウェイリーが考案した隠された窓からの自然光に照らされたドームには、1734年にさかのぼるフランソワ・ルモインのフレスコ画が描かれています。
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黄色ベースのシンプルなステンドグラスが印象的でした。下の彫刻はピエタです。
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1801年のコンコルドットの後に始まった修復でウジェーヌ・ドラクロワは聖なる天使の礼拝堂(右側廊の最初のチャペル)の壁を飾る壁画を描きました。「ヤコブと天使の戦い」と「神殿を追われるヘリオドロス」、天井には「大天使ミカエルの竜退治」が描かれています。
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「ヤコブと天使の戦い」は旧約聖書の創世記32章の場面で、兄エサウの怒りから叔父の許へ逃れていたイサクとリベカの次男ヤコブが、兄と和解するために妻ラケルと羊を連れ旅立った途中、ペヌエルの地の急流を渡ることを天使に禁じられ一晩中格闘をおこなうことになり、最後にはヤコブが勝利したことから天使にイスラエルと名乗ることを許されたとされる逸話の場面です。
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ミサが終わったところで写真を撮らせてもらいます。建物に対して斜めに子午線が通っています。反対側に小さくオベリスクがあります。20世紀初めまでフランスでは国立天文台を通る子午線を経度の基準となる0度としていましたが、1884年の国際投票により英国のグリニッジ天文台を0度とすることが決定し、パリ子午線は単に東経約2度20分を示すだけとなりました。
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「輝くローズ・ラインはここから90度上に向きを変え、オベリスクの表面をたどって約33フィートの高みまでのぼり、ピラミッド形の突端でようやく終わっていた。ローズ・ライン。組織はキー・ストーンをそこにかくしたという」とダ・ヴィンチ・コードに書かれていたものが目の前にあります。ただ歴史上この子午線がローズ・ラインと呼ばれたことは無いそうです。
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日時計は太陽の位置で時刻を測定する装置で、共通するデザインとして太陽がスタイル (style) の 影を平面に落とし、そこには時を記した線が表示されています。 スタイルとは時針グノモンの時を告げるエッジ (端) のことですが、ここでは反対側のステンドグラスに開けられた穴から差し込む光で夏至と冬至の日を、そして復活祭でもある春分と秋分の日を定めたと思われます。
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台座にはグノモンについての記述が書かれてありますが、一部が削り取られてありました。「ダ・ヴィンチ・コード」や後に続く「天子と悪魔」と「インフェルノ」など行ったことのある場所が数多く出てくるのでとても興味深く映画を楽しめました。
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今回最後の見学が終わりました。まだまだ行きたいところはたくさん残っているので近い将来にもう一度来なければならないと思いました。南仏へ行きたがっている妻の願いも叶えなければならないし、フランスのクリスマスマーケット巡りにも興味があります。
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パリで2番目の教会と言われますが、「ノートルダム大聖堂」の方がはるかに大きく感じるのは何故でしょうか。
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「サン・シュルビス教会」前の広場には数軒のキリスト教グッズの店がありました。もうすぐクリスマスなのでプレセビオがたくさん並んでいました。我が家にもイタリアやスイスの山の中からやってきた物やナポリで交渉してやっと買えた天使などがありますがこの店を覗いてみました。
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昔マルタのヴァレッタのフェアトレードの店で見つけたペルーの陶器製の「最後の晩餐」を何年も探しているからです。残念ながらこの店にもありませんでしたが、同じペルーの陶器製のキリストの誕生のものが買えました。牛や馬ではなくてリャマが救世主の誕生を祝います。包んでもらっているときに「ペルーからパリに来て、今晩この人形は東京に行くんですよ。」と店の女の子に伝えると「うちの店もワールドワイドになったものね。」と笑っていました。
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エルヴェシャプリエで買い物をしてから、妻の行きたがっていたサンジェルマン・デ・プレの「寿月堂」に行きました。ここは築地の丸山海苔店さんがパリに出されている日本茶のお店です。
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内装のデザインは隈研吾さんで、2000本ほどの竹が天井から吊られています。地下には石の茶室もあります。
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どこかで見たことがあると思ったら銀座の「東哉」の器でした。そういえば妻が築地の丸山さんがお茶の店を出すときに手伝わせていただいて、汲み出しを探していたので紹介したことがありました。その後丸山さんも「東哉」に紹介させていただいたと聞いていました。
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お店の中も見させていただいて、事情を話すと驚かれていらっしゃいました。お茶を出していただいたので少し休憩させていただきました。店頭で使われている急須や建水も「東哉」の南蛮手のものです。
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帰ったら叔母に見せてあげようと写真も数枚撮らせていただきました。「東哉」は母方の親戚なので銀座店の叔母が喜ぶと思いました。
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突然伺ってお茶までご馳走になりありがとうございました。
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最後にサンジェルマン・デ・プレの町をぶらぶら歩くことにしました。最終日も姪と合流して最後にお昼ご飯を食べる予定にしています。
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今回の旅でもサンジェルマン・デ・プレを何度も歩きましたが、いつも早朝だったので日中に歩くと不思議な感じがしました。
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パサージュや古本屋でも何度も見掛けたジュール・ベルヌの本も買いたいと思っていた。これが最後のチャンスだなと思いましたが、やっぱり買えませんでした。
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本屋さんの隣は「ジュラール・ミュロ」でした。ホールのまんま日本に持って帰っちゃおうかと一瞬思いましたが、この後の予定を考えると買えません。1976年創業のパティスリーですが、この数年後に創業者のジェラール・ミュロ氏が引退しているのが残念です。
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さすがに持って帰るのはちょっと無理なので諦めましたが、さすがに有名店なのでたくさんの人がウインドウを覗いています。
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再びリュクサンブール宮殿に戻ってきました。宮殿の一部にある「カルバリーの娘たちの修道院」のファサードはマリー・ド・メディシスの彫像がかざられ、MとMのモノグラムも飾られていました。
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公園内の美しい花を楽しみながら「リュクサンブール庭園」の中を抜けて南側に抜けることにしました。
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姪ともしばらくお別れです。何度か日本に戻ってくると我が家で数日滞在してくれましたが、ヨーロッパで再会するのは数年後のブリュッセルでした。
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最後の食事はモンパルナスのホテルの近くで有名な肉屋を使っているステーキ店でタルタルステーキを食べよう、と意気込んで行きましたが土曜日のお昼は休みでした。さてどうしようと空港へ行くバスの時間を気にしながら店を探していると可愛らしいお店がありました。
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「kigawa」とあったので日本人のお店かなと扉を開けると紀川さんというご夫婦のお店でした。ランチの時間の最後くらいの少し遅い時間でしたが快く入れていただけました。
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ランチの賑わいも落ち着いていて、お客さんは2組くらいがデザートを食べているようでした。料理が日本語でオーダー出来るのはうれしいですね。3人でみんな違うものを注文して、お行儀は悪いけれどちょっとづつシェアしました。
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この後ホテルに戻ってから空港に行かなければならないので、ワインはカラフェでお願いしました。前菜とメインの2皿のコースにしました。
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ポークのゼリー寄せにはジュレが乗って、疲れた体には程よい塩味でした。
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ほうれん草のサラダもばるさみこn尾ドレッシングが1枚1枚にしっかりかかっているので安心していただけます。
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サーモンのタルタルもさっぱりして美味しかったです。
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2時前になるとお客は我々だけになりました。最初にステーキ店を探している時は満席でしたので、この界隈では人気店のようです。
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ローストポークのマスタードソースは最高に美味しかったです。たぶん生まれて食べたポークの中で一番美味しかったと思います。
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6ユーロプラスでビーフも選べました。マッシュポテトがソースを吸ってさらに美味しくなります。
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肉厚のサーモンも美味しかったです。付け合わせのナスのラタトゥーユも形が無いほどに煮込まれています。
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最後のお客さんが美味しそうなデザートを食べていたのと、これだけの料理を出す店ならデザートが不味い訳がないので追加で注文しました。つまりランチの3皿のコースに変えてもらいました。
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いかにもフランス風のクリームのたっぷり入ったデザートです。
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メレンゲをくり貫いてカスタードに刺してあるのが面白いです。これくらいの量ならメレンゲも美味しいです。
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客席を取り仕切っている奥様と少しお話をして写真を撮ってもらいました。
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メニューにはありませんが、プティフールもちゃんと出されました。これも3種類とも美味しかったです。あまり時間も無くなってきたので、日本式にコーヒーも一緒に出してもらいました。
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大満足の最後のランチでした。結果ホテルに戻ってモンパルナスのエールフランスバス乗り場に行きましたが、予定よりずいぶん遅れたバスになってしまいました。
3週間近くの長丁場でしたが、最初から最後まで大満足のフランス旅行でした。
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旅行記グループ 2011 パリの旅
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