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今回の旅で「プティ・パレ美術館」には結果3日連続で通うことになりました。1日目は休館日を間違えて月曜日に行ってしまい、翌日は諸聖人の祝日で休み、水曜日の朝一番で並んでようやく中に入ることが出来ました。20人ほどの方が並んでいましたが、我々以外はホール右手の有料の展覧会へ行かれ、常設展に朝から来るのは我々だけでした。お蔭で贅沢な空間を2人で満喫できました。アール・ヌーヴォーのガラス器から印象派の絵画、そして螺旋階段を降りた地下の最初の部屋でジャン・カリエスという彫刻家で陶芸家の作品に出会いました。今まで全く知らない陶芸家でしたが、最初に見てなぜか日本的なものを感じました。しばらく何でだろうと考えていると、釉薬が日本の陶器の物に似ているのだと分かりました。蕎麦釉や伊羅保を思わせる仕上がりです。部屋には日本語の説明書があったので読んでみるとパリ万博で薩摩焼の陶器を見て影響を受けたとありました。あながち自分の眼も節穴ではなかったのだと思いました。またロダンの陶器製のバルザック像もこのカリエスの協力があったと知りました。この出会いがこの美術館の一番の思い出です。そしてマルモッタン美術館で見た「印象 夜明け」に対峙するモネの「ラヴァクールの日没」も見る事が出来て大満足でした。

晩秋のパリ旅行(16)プティ・パレ美術館でアール・ヌーヴォーと印象派の絵画に酔い、陶芸家ジャン・カリエスのジャポニスムを知る。

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2011/10/22 - 2011/11/06

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旅行記グループ 2011 パリの旅

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kojikoji

kojikojiさん

今回の旅で「プティ・パレ美術館」には結果3日連続で通うことになりました。1日目は休館日を間違えて月曜日に行ってしまい、翌日は諸聖人の祝日で休み、水曜日の朝一番で並んでようやく中に入ることが出来ました。20人ほどの方が並んでいましたが、我々以外はホール右手の有料の展覧会へ行かれ、常設展に朝から来るのは我々だけでした。お蔭で贅沢な空間を2人で満喫できました。アール・ヌーヴォーのガラス器から印象派の絵画、そして螺旋階段を降りた地下の最初の部屋でジャン・カリエスという彫刻家で陶芸家の作品に出会いました。今まで全く知らない陶芸家でしたが、最初に見てなぜか日本的なものを感じました。しばらく何でだろうと考えていると、釉薬が日本の陶器の物に似ているのだと分かりました。蕎麦釉や伊羅保を思わせる仕上がりです。部屋には日本語の説明書があったので読んでみるとパリ万博で薩摩焼の陶器を見て影響を受けたとありました。あながち自分の眼も節穴ではなかったのだと思いました。またロダンの陶器製のバルザック像もこのカリエスの協力があったと知りました。この出会いがこの美術館の一番の思い出です。そしてマルモッタン美術館で見た「印象 夜明け」に対峙するモネの「ラヴァクールの日没」も見る事が出来て大満足でした。

旅行の満足度
5.0
観光
4.5
ホテル
4.5
グルメ
4.5
ショッピング
4.5
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
鉄道 高速・路線バス 観光バス 徒歩
航空会社
中国国際航空
旅行の手配内容
個別手配

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  • 10月末にサマータイムが終わって、朝に表を歩いても明るいので地下鉄のゲテ駅まで歩いて、13号線でシャンゼリゼ・クレマンソーまで1本で移動しました。駅のホームでおばさんたちが井戸端会議中ですが、後ろで聞き耳を立てている2人は映画「タンタン」に出てくるインターポールの敏腕刑事のデュポンとデュボンの双子の刑事です。

    10月末にサマータイムが終わって、朝に表を歩いても明るいので地下鉄のゲテ駅まで歩いて、13号線でシャンゼリゼ・クレマンソーまで1本で移動しました。駅のホームでおばさんたちが井戸端会議中ですが、後ろで聞き耳を立てている2人は映画「タンタン」に出てくるインターポールの敏腕刑事のデュポンとデュボンの双子の刑事です。

  • 地上にあがると「グラン・パレ」の角に出ますが、今日の目的は「プティ・パレ美術館」です。1900年のパリ万博万国博覧会のために「グラン・パレ」や「アレクサンドル3世橋」と同時期に建てられており、向かい合う形で建っている「グラン・パレ」の設計総監督であるシャルル・ジローによる設計です。サミットにある彫像はジョルジュ・レシポンによる「時間を越えた不死」という作品 で、4頭立ての戦車クアドリガに乗った女神が月桂冠を掲げています。

    地上にあがると「グラン・パレ」の角に出ますが、今日の目的は「プティ・パレ美術館」です。1900年のパリ万博万国博覧会のために「グラン・パレ」や「アレクサンドル3世橋」と同時期に建てられており、向かい合う形で建っている「グラン・パレ」の設計総監督であるシャルル・ジローによる設計です。サミットにある彫像はジョルジュ・レシポンによる「時間を越えた不死」という作品 で、4頭立ての戦車クアドリガに乗った女神が月桂冠を掲げています。

  • 開館時間を待っているときにこのファサードをどこかで見たなと思っていましたが、ホーチミン市の「オペラ・ドゥ・サイゴン」はこの建物を模して作ったそうです。

    開館時間を待っているときにこのファサードをどこかで見たなと思っていましたが、ホーチミン市の「オペラ・ドゥ・サイゴン」はこの建物を模して作ったそうです。

  • 10時10分前でもほとんど誰も並んでいませんでした。10時ぴったりに係員のおじさんが3人でやって来て開館の準備を始めます。巨大な黄金色の扉を開けるのには2人がかりです。扉には設計者のシャルル・ジロー文字が見えます。

    10時10分前でもほとんど誰も並んでいませんでした。10時ぴったりに係員のおじさんが3人でやって来て開館の準備を始めます。巨大な黄金色の扉を開けるのには2人がかりです。扉には設計者のシャルル・ジロー文字が見えます。

  • 「プティ・パレ美術館」の常設展示は無料なのでそのまま入ろうとするとキャシャーでチケットを貰って来るように言われました。入場人数などの把握の意味もあるのでしょう。この日の1番と2番の入場です。「プティ・パレ美術館」に来るのも初めてでしたが、リニュアルして明るく綺麗になったと聞きます。

    「プティ・パレ美術館」の常設展示は無料なのでそのまま入ろうとするとキャシャーでチケットを貰って来るように言われました。入場人数などの把握の意味もあるのでしょう。この日の1番と2番の入場です。「プティ・パレ美術館」に来るのも初めてでしたが、リニュアルして明るく綺麗になったと聞きます。

  • エントランスの左手に広がる巨大な空間にガラスケースに収まったガラスや陶器が並んでいます。ちょっとアンバランスな感じがしないでもないです。ケースに入っていなかったら空間の間が持たないでしょう。

    エントランスの左手に広がる巨大な空間にガラスケースに収まったガラスや陶器が並んでいます。ちょっとアンバランスな感じがしないでもないです。ケースに入っていなかったら空間の間が持たないでしょう。

  • それ以前にケースに入っていないと天井からの照明が無いので作品が映えて見えないですね。アール・ヌーヴォーの美しいフラワーベースが並んでいます。これはエミール・ガレの作品でユリとデイジーの花瓶です。

    それ以前にケースに入っていないと天井からの照明が無いので作品が映えて見えないですね。アール・ヌーヴォーの美しいフラワーベースが並んでいます。これはエミール・ガレの作品でユリとデイジーの花瓶です。

  • その中から自分の好みに合った物を選んで写真に収めておきました。これはまるで蒔絵を施した塗り物のようです。以前ヴェネツィアのムラーノ島で煎茶器を注文した時に同じようにしてもらったのを思い出しました。カリメーラ(キャラメル)とニックネームで呼ばれるカルロ・トージと言う作家さんでした。

    その中から自分の好みに合った物を選んで写真に収めておきました。これはまるで蒔絵を施した塗り物のようです。以前ヴェネツィアのムラーノ島で煎茶器を注文した時に同じようにしてもらったのを思い出しました。カリメーラ(キャラメル)とニックネームで呼ばれるカルロ・トージと言う作家さんでした。

  • これも蒔絵のようですね。形は茶筅筒を大きくしただけと言っても過言ではないでしょう。ジャポニスムと言っても意匠を取り込むだけでなく、全てを吸収されているのだなと改めて感じます。

    これも蒔絵のようですね。形は茶筅筒を大きくしただけと言っても過言ではないでしょう。ジャポニスムと言っても意匠を取り込むだけでなく、全てを吸収されているのだなと改めて感じます。

  • ロワール渓谷を旅していた時に現地ツアーの運転手さんがぶどう畑の脇に車を止めてくれました。遠くにかすむシャトーを眺めながら摘み残しのぶどうを食べました。その時の紅葉したぶどうの葉っぱのしっとり濡れた感じを思い出しました。ロワール渓谷の晩秋は日本の秋に良く似ていました。日本人が何であの辺りが好きなのか分かった気がしました。

    ロワール渓谷を旅していた時に現地ツアーの運転手さんがぶどう畑の脇に車を止めてくれました。遠くにかすむシャトーを眺めながら摘み残しのぶどうを食べました。その時の紅葉したぶどうの葉っぱのしっとり濡れた感じを思い出しました。ロワール渓谷の晩秋は日本の秋に良く似ていました。日本人が何であの辺りが好きなのか分かった気がしました。

  • ガレやドームやティファニーなど素晴らしい作品ばかりでなかなか先に進めません。<br />この鶴首の花入れも床の間に置いたら映えそうですね。銀化したローマンガラスか古い紫交趾のようでもあります。

    ガレやドームやティファニーなど素晴らしい作品ばかりでなかなか先に進めません。
    この鶴首の花入れも床の間に置いたら映えそうですね。銀化したローマンガラスか古い紫交趾のようでもあります。

  • これはちょっと可愛らしすぎる感じもします。

    これはちょっと可愛らしすぎる感じもします。

  • これが一番素晴らしく思えました。まさに日本趣味の極地の様な作品です。さすがにドームですね。いつかナンシーにも行ってみたいですね。

    これが一番素晴らしく思えました。まさに日本趣味の極地の様な作品です。さすがにドームですね。いつかナンシーにも行ってみたいですね。

  • 蛍はまるで生きているようで、すみれの花も今咲いたようです。どうやって造ったのでしょうか。

    蛍はまるで生きているようで、すみれの花も今咲いたようです。どうやって造ったのでしょうか。

  • 今でも同じような物は造れるのでしょうが、<br />昔の物の方が良く思えるのは何故でしょうか?日本の陶器にも同じことが言えるのですが、似て非なる物になって来ているように思います。

    今でも同じような物は造れるのでしょうが、
    昔の物の方が良く思えるのは何故でしょうか?日本の陶器にも同じことが言えるのですが、似て非なる物になって来ているように思います。

  • 彫刻家カミーユ・アラフィリップの作品で、直訳すると「女性と猿」このホールで一番気に入った作品です。たくさんのガラス器や陶器に囲まれたこの館の女主人の様な貫禄さえ感じます。カミーユはジュール・ラヴィロットが設計したワグラム通りのセラミックホテルの意匠も手掛けたアール・ヌーヴォー期の作家です。

    彫刻家カミーユ・アラフィリップの作品で、直訳すると「女性と猿」このホールで一番気に入った作品です。たくさんのガラス器や陶器に囲まれたこの館の女主人の様な貫禄さえ感じます。カミーユはジュール・ラヴィロットが設計したワグラム通りのセラミックホテルの意匠も手掛けたアール・ヌーヴォー期の作家です。

  • 顔と手の部分だけがブロンズで出来ていて、ドレスはハンガリーのジョルナイ工房のエオシン釉のような虹色の光沢を持った陶器で出来ています。いまにも目を開けて歩きだしそうです。

    顔と手の部分だけがブロンズで出来ていて、ドレスはハンガリーのジョルナイ工房のエオシン釉のような虹色の光沢を持った陶器で出来ています。いまにも目を開けて歩きだしそうです。

  • 胴体の中には鉄製と木製の軸組があり、それにいくつかのパーツを固定しています。

    胴体の中には鉄製と木製の軸組があり、それにいくつかのパーツを固定しています。

  • 祈りをささげるような眼差しはペットのサルに向けられているのでしょうか。

    祈りをささげるような眼差しはペットのサルに向けられているのでしょうか。

  • 束ねられた髪や帽子のデザインまでアール・ヌーヴォーの様式美を備え、全くの隙を感じさせません。

    束ねられた髪や帽子のデザインまでアール・ヌーヴォーの様式美を備え、全くの隙を感じさせません。

  • 祈りを捧げている視線にすっかり見入ってしまいました。この美術館で心動かされた作品の1つで、ファム・ファタールなんて言葉を思い出しました。モデルになった方の人生を知りたくなります。

    祈りを捧げている視線にすっかり見入ってしまいました。この美術館で心動かされた作品の1つで、ファム・ファタールなんて言葉を思い出しました。モデルになった方の人生を知りたくなります。

  • 18世紀装飾美術の展示室はクラシックな木製の内装というように、展示室ごとに異なる雰囲気に設えてあります。面縁やモールディングで装飾された木製の壁は陶器や家具やタペストリーを引き立て、まるでコレクターの邸宅に招かれたかのような気分にさせてくれます。これらはアメリカ人実業家エドワード・タックと妻のジュリア・ステルの18世紀のアートコレクションで、美術館に寄贈されたものです。

    18世紀装飾美術の展示室はクラシックな木製の内装というように、展示室ごとに異なる雰囲気に設えてあります。面縁やモールディングで装飾された木製の壁は陶器や家具やタペストリーを引き立て、まるでコレクターの邸宅に招かれたかのような気分にさせてくれます。これらはアメリカ人実業家エドワード・タックと妻のジュリア・ステルの18世紀のアートコレクションで、美術館に寄贈されたものです。

  • ロココスタイルのソファはゴブラン織りの張地で覆われ、壁に掛けられたタペストリーとデザインも合っているようです。

    ロココスタイルのソファはゴブラン織りの張地で覆われ、壁に掛けられたタペストリーとデザインも合っているようです。

  • 19世紀絵画の部屋に入るとまず目に入ったのは右手に掛る巨大な絵画です。道化師と小人を中心に右手に楽団と左手に子供たちが描かれた作品です。

    19世紀絵画の部屋に入るとまず目に入ったのは右手に掛る巨大な絵画です。道化師と小人を中心に右手に楽団と左手に子供たちが描かれた作品です。

  • この作品を見た瞬間に惹きつけられました。フェルナン・ペレーズという画家でパリで生まれています。祖父はスペインのコルドバからパリに移ってきた画家で、父親のレイモン・ペレーズは画家でイラストレーターでした。

    この作品を見た瞬間に惹きつけられました。フェルナン・ペレーズという画家でパリで生まれています。祖父はスペインのコルドバからパリに移ってきた画家で、父親のレイモン・ペレーズは画家でイラストレーターでした。

  • 1880年代に入って自然主義の画家ジュール・バスティアン・ルパージュに影響を受けて貧しい人々の姿を描くようになった。代表作には「物乞いの子供」やこの「軽業師」などがあります。1896年のサロンに出展しますが審査員にも観覧者にも作品が不評であったことに失望して、作品の制作は続けましたが展覧会に出展することは無くなります。100年ほどたって再発見され、2009年から2010年に「プティ・パレ美術館」で回顧展が開かれたそうです。

    1880年代に入って自然主義の画家ジュール・バスティアン・ルパージュに影響を受けて貧しい人々の姿を描くようになった。代表作には「物乞いの子供」やこの「軽業師」などがあります。1896年のサロンに出展しますが審査員にも観覧者にも作品が不評であったことに失望して、作品の制作は続けましたが展覧会に出展することは無くなります。100年ほどたって再発見され、2009年から2010年に「プティ・パレ美術館」で回顧展が開かれたそうです。

  • 「物乞いの子供」はムリーリョから受け継がれたスペイン絵画の美学を感じました。この作品の絵もいわれぬ倦怠感というか場末のサーカスのやる気のない出し物の一場面に惹かれます。そして小男の道化師がテリー・ギリアム監督の「バンデットQ」に重なり、モンティー・パイソンへと想像が広がります。

    「物乞いの子供」はムリーリョから受け継がれたスペイン絵画の美学を感じました。この作品の絵もいわれぬ倦怠感というか場末のサーカスのやる気のない出し物の一場面に惹かれます。そして小男の道化師がテリー・ギリアム監督の「バンデットQ」に重なり、モンティー・パイソンへと想像が広がります。

  • 女性の格好をして30秒の札を掲げる男の子と隣の子は兄弟でしょうか。喧嘩をした後なのかふて腐れています。一番左の弟はまだ何もわからず嫌々で泣いています。

    女性の格好をして30秒の札を掲げる男の子と隣の子は兄弟でしょうか。喧嘩をした後なのかふて腐れています。一番左の弟はまだ何もわからず嫌々で泣いています。

  • 子供の頃の日曜日に弟たちと嫌々よそ行きの格好をさせられて出掛けたのを思い出しました。

    子供の頃の日曜日に弟たちと嫌々よそ行きの格好をさせられて出掛けたのを思い出しました。

  • 「マドモアゼル・ド・ランシー」のアリス・ド・ランシーは自身の肖像画を描かせるために有名な画家カロリュス・デュランを選びました。生地やクッションがたくさんに並ぶカウチに横たわっている彼女を描いています。モデルはビーズレースの優雅な白いシルクのサテンシルクガウンを身に着けている。フランソワ・ブーシェの妻の肖像画のように、彼女は扇子を持って絵の前に立つ者を見つめます。

    「マドモアゼル・ド・ランシー」のアリス・ド・ランシーは自身の肖像画を描かせるために有名な画家カロリュス・デュランを選びました。生地やクッションがたくさんに並ぶカウチに横たわっている彼女を描いています。モデルはビーズレースの優雅な白いシルクのサテンシルクガウンを身に着けている。フランソワ・ブーシェの妻の肖像画のように、彼女は扇子を持って絵の前に立つ者を見つめます。

  • ギュスターヴ・ドレの「涙の谷間」です。ゴルゴダの丘へ十字架を背負うキリストの姿が輝いています。ドレと言えば新旧聖書の挿絵版画をまず思い出しますが、油絵も印象的な素晴らしい絵でした。巨大なキャンバスに描かれた涙の谷のテーマは、聖マタイによると福音にキリストの言葉として記されています。「私と一緒に来て、負担の重みで苦しんでいる者よ、私はあなたに休息を与えます。」

    ギュスターヴ・ドレの「涙の谷間」です。ゴルゴダの丘へ十字架を背負うキリストの姿が輝いています。ドレと言えば新旧聖書の挿絵版画をまず思い出しますが、油絵も印象的な素晴らしい絵でした。巨大なキャンバスに描かれた涙の谷のテーマは、聖マタイによると福音にキリストの言葉として記されています。「私と一緒に来て、負担の重みで苦しんでいる者よ、私はあなたに休息を与えます。」

  • エメージュ・ダル―作の「共和国の勝利」はナション広場に置かれた像のオリジナルです。これも印象的な彫刻でしたが、この美術館は非常に贅沢な空間に展示品も少ないので一つ一つの作品をじっくり鑑賞できます。フランス革命100周年の10年前にパリ市は栄光の記念碑のためのコンペを開始しています。熱心な共和党員であるダルーは人類を新しい黄金時代に導く原動力を彼の記念碑に与えることを選びました。獅子の牽く戦車の上にはフランス共和国を象徴するマリアンヌが、フリジア帽を被って立っています。

    エメージュ・ダル―作の「共和国の勝利」はナション広場に置かれた像のオリジナルです。これも印象的な彫刻でしたが、この美術館は非常に贅沢な空間に展示品も少ないので一つ一つの作品をじっくり鑑賞できます。フランス革命100周年の10年前にパリ市は栄光の記念碑のためのコンペを開始しています。熱心な共和党員であるダルーは人類を新しい黄金時代に導く原動力を彼の記念碑に与えることを選びました。獅子の牽く戦車の上にはフランス共和国を象徴するマリアンヌが、フリジア帽を被って立っています。

  • レオン・ボナのこの「磔刑図」のキリストの肉体のリアリティも印象に残りました。セビリアで見たスルバランの磔刑図を思い出しましたが、ボナの肖像画にはベラスケスの写実主義の影響もあるそうです。エコール・デ・ボザールの教授となり、教え子にはカイユボットやブラックやデュフィやロートレックがいます。

    レオン・ボナのこの「磔刑図」のキリストの肉体のリアリティも印象に残りました。セビリアで見たスルバランの磔刑図を思い出しましたが、ボナの肖像画にはベラスケスの写実主義の影響もあるそうです。エコール・デ・ボザールの教授となり、教え子にはカイユボットやブラックやデュフィやロートレックがいます。

  • ウィリアム・ブーグローの「聖母子像」です。ブーグローも今回印象に残った画家の一人です。印象派の作家と同時代の人ですが国立美術学校から官費留学、そして美術学校の教授と絵に描いたようなエリートコースを歩んだ人だそうです。新古典的な画風で題材も神話や聖書の世界を官能的な美しさで現しています。

    ウィリアム・ブーグローの「聖母子像」です。ブーグローも今回印象に残った画家の一人です。印象派の作家と同時代の人ですが国立美術学校から官費留学、そして美術学校の教授と絵に描いたようなエリートコースを歩んだ人だそうです。新古典的な画風で題材も神話や聖書の世界を官能的な美しさで現しています。

  • 写生中の景色が目の前に広がっていくような気がします。こうやって何時間でも屋外で絵が描けてそれで生計が立てば素晴らしいですね。子供の頃に油絵を習いに行っていた頃を思い出しました。絵の具やテレピン油の臭い…。またいつか油絵を描くことがあるだろうかと思ってしまいます。

    写生中の景色が目の前に広がっていくような気がします。こうやって何時間でも屋外で絵が描けてそれで生計が立てば素晴らしいですね。子供の頃に油絵を習いに行っていた頃を思い出しました。絵の具やテレピン油の臭い…。またいつか油絵を描くことがあるだろうかと思ってしまいます。

  • ジャック・マールのサイとピエール・リュイヤールの<ウマ Cheval à la herse>(1878) は何れも1878 のパリ万博のために制作され、メイン会場のトロカデロ宮殿 (1935解体) に置かれていた。

    ジャック・マールのサイとピエール・リュイヤールの<ウマ Cheval à la herse>(1878) は何れも1878 のパリ万博のために制作され、メイン会場のトロカデロ宮殿 (1935解体) に置かれていた。

  • この作品もジュール・アーネスト・ルノーが描いていて、サイの像と一緒にシャイヨー宮に置かれていたことが分かります。

    この作品もジュール・アーネスト・ルノーが描いていて、サイの像と一緒にシャイヨー宮に置かれていたことが分かります。

  • 躍動感のある像は彫刻家エマニュエル・フレミエの作品で「罠にかけられた若い象」です。

    躍動感のある像は彫刻家エマニュエル・フレミエの作品で「罠にかけられた若い象」です。

  • 対になったもう1枚には同じくオルセー美術館の前に据えられたサイのブロンズ像です。昔は博覧会会場だったシャイヨー宮に置かれていたのですね。

    対になったもう1枚には同じくオルセー美術館の前に据えられたサイのブロンズ像です。昔は博覧会会場だったシャイヨー宮に置かれていたのですね。

  • オルセー美術館の入り口に置かれたブロンズ像はフランスの彫刻家アルフレッド・ジャックマールの作品で、パリの1878年の世界博覧会のために作成されました。

    オルセー美術館の入り口に置かれたブロンズ像はフランスの彫刻家アルフレッド・ジャックマールの作品で、パリの1878年の世界博覧会のために作成されました。

  • この作品も印象的でした。何故1枚のキャンバスにこれだけたくさんの人の肖像を描いたのでしょうか。右の方に描かれた後ろ向きの男性やその下の光輪を持った男性はその当時にすでに亡くなっていたのでしょう。

    この作品も印象的でした。何故1枚のキャンバスにこれだけたくさんの人の肖像を描いたのでしょうか。右の方に描かれた後ろ向きの男性やその下の光輪を持った男性はその当時にすでに亡くなっていたのでしょう。

  • ロダンの彫刻も無造作に置かれているように見えます。

    ロダンの彫刻も無造作に置かれているように見えます。

  • 同じ一番奥の印象派の部屋にはモネの「ラヴァクールの日没」がありました。マルモッタン美術館で「印象 日の出」を見た後にどうしても見たいと思っていた絵です。

    同じ一番奥の印象派の部屋にはモネの「ラヴァクールの日没」がありました。マルモッタン美術館で「印象 日の出」を見た後にどうしても見たいと思っていた絵です。

  • 日の出と日没の違いをいろいろ考えましたが分かりません。日本語で言えば夕方の「誰そ彼」(たそかれ)か夜明けの「彼は誰」(かわたれ)の違いを説明するようなものですね。

    日の出と日没の違いをいろいろ考えましたが分かりません。日本語で言えば夕方の「誰そ彼」(たそかれ)か夜明けの「彼は誰」(かわたれ)の違いを説明するようなものですね。

  • ラバクールはパリ地方の村で1878年9月にモネが定住したヴェテイユ村の向かいのセーヌ河の左岸に位置しています。1879年の冬は特に厳しかったそうです。<br />パリとその周辺は雪で交通は麻痺して輸送機関は完全に停止しました。激しい寒さにもかかわらず、モネは1880年の最初の数ヶ月間に約20点の絵画を描き、正月のゆっくりとした雪解けを観察したそうです。

    ラバクールはパリ地方の村で1878年9月にモネが定住したヴェテイユ村の向かいのセーヌ河の左岸に位置しています。1879年の冬は特に厳しかったそうです。
    パリとその周辺は雪で交通は麻痺して輸送機関は完全に停止しました。激しい寒さにもかかわらず、モネは1880年の最初の数ヶ月間に約20点の絵画を描き、正月のゆっくりとした雪解けを観察したそうです。

  • ルノアールの「ボニエール婦人の肖像」です。ルノアールの絵は個人的にはあまり好きでは無かったのですが、今回のパリの旅行でようやく良さが分かったような気がします。いくつか見た作品の中でも特にこの絵が印象に残りました。

    ルノアールの「ボニエール婦人の肖像」です。ルノアールの絵は個人的にはあまり好きでは無かったのですが、今回のパリの旅行でようやく良さが分かったような気がします。いくつか見た作品の中でも特にこの絵が印象に残りました。

  • ロバート・ド・ボニエールの小説家で評論家の妻アンリエットがルノワールのためにポーズをとった35歳の肖像画です。ルノワールは印象派の画家の中で唯一肖像画家としての才能から生計を立てていました。1870年代の終わりに印象派の展覧会の商業的な失敗が彼をサロンに戻すことになります。彼の顧客は妻と子供の肖像画を求める常連客で、主に銀行家の小さなグループで構成されています。ルノワールの画家としての価格はレオン・ボンナットやポール・ボードリー、カロラス・デュランなどのブルジョワジーの肖像画家よりもはるかに低かったそうです。

    ロバート・ド・ボニエールの小説家で評論家の妻アンリエットがルノワールのためにポーズをとった35歳の肖像画です。ルノワールは印象派の画家の中で唯一肖像画家としての才能から生計を立てていました。1870年代の終わりに印象派の展覧会の商業的な失敗が彼をサロンに戻すことになります。彼の顧客は妻と子供の肖像画を求める常連客で、主に銀行家の小さなグループで構成されています。ルノワールの画家としての価格はレオン・ボンナットやポール・ボードリー、カロラス・デュランなどのブルジョワジーの肖像画家よりもはるかに低かったそうです。

  • 1階の見学を足早に終えて美しいアール・ヌーヴォースタイルの螺旋階段を下って地下の見学に移ります。

    1階の見学を足早に終えて美しいアール・ヌーヴォースタイルの螺旋階段を下って地下の見学に移ります。

  • この優雅な階段ホールの美しさは驚異的でした。鋳鉄が飴細工のように組み上げられているように思えました。

    この優雅な階段ホールの美しさは驚異的でした。鋳鉄が飴細工のように組み上げられているように思えました。

  • 階段ホールにはジャン・バティスト・カルポーの「ウゴリーノ」が置かれてありました。昨日ロダン美術館で見た物と同じテーマで、ダンテの神曲の地獄編から題材を取っています。ウゴリーノとは伯爵で、子供や孫のいる貴族でしたが、ピーサの大司教ルッジェーリに謀られて、子供らと共に塔に幽閉されて餓死させられます。ルイーズ・クレマン・カルポーは父親のカルポーによる150点近くの彫刻やドローイングを美術館に寄贈しています。

    階段ホールにはジャン・バティスト・カルポーの「ウゴリーノ」が置かれてありました。昨日ロダン美術館で見た物と同じテーマで、ダンテの神曲の地獄編から題材を取っています。ウゴリーノとは伯爵で、子供や孫のいる貴族でしたが、ピーサの大司教ルッジェーリに謀られて、子供らと共に塔に幽閉されて餓死させられます。ルイーズ・クレマン・カルポーは父親のカルポーによる150点近くの彫刻やドローイングを美術館に寄贈しています。

  • 「ウゴリーノ」から続く下の階の最初の部屋は衝撃的でした。ここはジャン・カリエスと言う彫刻家で陶芸家の部屋でした。グロテスクなマスクや奇妙な両生類のような怪物が並んでいます。

    「ウゴリーノ」から続く下の階の最初の部屋は衝撃的でした。ここはジャン・カリエスと言う彫刻家で陶芸家の部屋でした。グロテスクなマスクや奇妙な両生類のような怪物が並んでいます。

  • カリエスは1874年にオーギュサン・アレクサンドル・デュモンの下でエコール・デ・ボザールで学ぶためにパリに移り住みました。彼は1875年のパリサロンで初出品し、1879年と1881年のパリサロンに出品した胸像でかなりの評価を得ました。しかし1878年の万国博覧会で日本の薩摩焼の陶器を見た後に彼の作風は多色の釉薬を用いた仮面の制作に専念し始めました。

    カリエスは1874年にオーギュサン・アレクサンドル・デュモンの下でエコール・デ・ボザールで学ぶためにパリに移り住みました。彼は1875年のパリサロンで初出品し、1879年と1881年のパリサロンに出品した胸像でかなりの評価を得ました。しかし1878年の万国博覧会で日本の薩摩焼の陶器を見た後に彼の作風は多色の釉薬を用いた仮面の制作に専念し始めました。

  • そしてその作品を見ていて非常に日本的な物を感じました。しばらく考えながら作品を見ていて分かりました。京都で陶器を造っている叔父が若い頃に使っていた蕎麦釉に似ていたからでした。

    そしてその作品を見ていて非常に日本的な物を感じました。しばらく考えながら作品を見ていて分かりました。京都で陶器を造っている叔父が若い頃に使っていた蕎麦釉に似ていたからでした。

  • ウサギの耳の生えたカエルのような怪物やガマガエルのような奇妙でグロテスクな彫刻に心惹かれます。

    ウサギの耳の生えたカエルのような怪物やガマガエルのような奇妙でグロテスクな彫刻に心惹かれます。

  • 何とも心の琴線に触れるような作品がたくさん並んでいます。何で今まで知らなかったのだろうと思いました。後でミュージアムショップにも立ち寄ってみましたが、絵葉書が1枚と簡単な本が1冊あるだけでした。

    何とも心の琴線に触れるような作品がたくさん並んでいます。何で今まで知らなかったのだろうと思いました。後でミュージアムショップにも立ち寄ってみましたが、絵葉書が1枚と簡単な本が1冊あるだけでした。

  • 「本はこれだけしかありません。」と言われ、その後も書店で探してみましたが見つかりませんでした。ほとんど美術書も発行されていない作家のようですが、その数少ない本は中古でありながらとんでもない値段が付いています。

    「本はこれだけしかありません。」と言われ、その後も書店で探してみましたが見つかりませんでした。ほとんど美術書も発行されていない作家のようですが、その数少ない本は中古でありながらとんでもない値段が付いています。

  • 展示室にあった説明書によると、1855年にリヨンの貧しい家に生まれましたが、両親を結核で失い、修道女に預けられたそうです。13歳の時に礼拝像の彫刻家ピエール・ヴェルマールに預けられ、後にアリ国立美術学校に入学しています。

    展示室にあった説明書によると、1855年にリヨンの貧しい家に生まれましたが、両親を結核で失い、修道女に預けられたそうです。13歳の時に礼拝像の彫刻家ピエール・ヴェルマールに預けられ、後にアリ国立美術学校に入学しています。

  • 1881年にサロンに出品した「絶望者たち」が賞賛され、展覧会も好評だったようです。その後も「幼児たちの顔」や「歴史上の人物像」など休み無く胸像を制作したそうです。

    1881年にサロンに出品した「絶望者たち」が賞賛され、展覧会も好評だったようです。その後も「幼児たちの顔」や「歴史上の人物像」など休み無く胸像を制作したそうです。

  • 彼は表面の加工に細心の注意を払い、ブロンズの場合は鋳造工ピエール・ビンガンと協力して不思議な玉虫色に輝く風合いと艶を出す手法を実験したそうです。

    彼は表面の加工に細心の注意を払い、ブロンズの場合は鋳造工ピエール・ビンガンと協力して不思議な玉虫色に輝く風合いと艶を出す手法を実験したそうです。

  • 日本的な釉薬の美しさにも惹かれますが、その精緻な彫刻の技術の高さにも感銘を受けます。

    日本的な釉薬の美しさにも惹かれますが、その精緻な彫刻の技術の高さにも感銘を受けます。

  • 1890年にはウジェーヌ・グラッセによるデザインの「記念碑的扉」の注文を受けます。ウィナレッタ・シンガーのアトリエのための扉の枠でしたが、カリエスは怪物やグノームや蝙蝠といった薄気味悪い生物で埋め尽くしたそうです。600から700の不揃いのピースの組み合わせで幅8メートル、高さ6メートルになるはずでした。

    1890年にはウジェーヌ・グラッセによるデザインの「記念碑的扉」の注文を受けます。ウィナレッタ・シンガーのアトリエのための扉の枠でしたが、カリエスは怪物やグノームや蝙蝠といった薄気味悪い生物で埋め尽くしたそうです。600から700の不揃いのピースの組み合わせで幅8メートル、高さ6メートルになるはずでした。

  • 同業のロダンやダルーにも支援されたそうで、100ピースほどの作品を1892年のサロンに出品して大成功を博しましたが、独学の陶工であったため、大きな作品を造るうえで技術的な困難にもぶつかり、完成することなく39歳の若さで結核で亡くなったそうです。<br />

    同業のロダンやダルーにも支援されたそうで、100ピースほどの作品を1892年のサロンに出品して大成功を博しましたが、独学の陶工であったため、大きな作品を造るうえで技術的な困難にもぶつかり、完成することなく39歳の若さで結核で亡くなったそうです。

  • ミュージアムショップで手に入れた本の表紙になった作品です。フランス語の本なのでまだ読みこなせてはいません。ネットで調べても驚くほど情報の少ない作家です。

    ミュージアムショップで手に入れた本の表紙になった作品です。フランス語の本なのでまだ読みこなせてはいません。ネットで調べても驚くほど情報の少ない作家です。

  • 全く誰かの作風に似ていることも無く、この怪物のような造形は彼の中に生まれ住んでいる者なのでしょうか。そんな心の中の闇を感じました。ロダン美術館にバルザックの頭部の陶器があったのですが、後で調べてみるとカリエスの協力のもとに造られたと分かりました。

    全く誰かの作風に似ていることも無く、この怪物のような造形は彼の中に生まれ住んでいる者なのでしょうか。そんな心の中の闇を感じました。ロダン美術館にバルザックの頭部の陶器があったのですが、後で調べてみるとカリエスの協力のもとに造られたと分かりました。

  • エヴァンゲリオンの「使徒」のサキエルはここから想像されたのかと思ってしまいました。

    エヴァンゲリオンの「使徒」のサキエルはここから想像されたのかと思ってしまいました。

  • これはグノーム(土の精)でしょうか。ヒキガエルを持っているのでそうだと思います。

    これはグノーム(土の精)でしょうか。ヒキガエルを持っているのでそうだと思います。

  • 不思議な魅力を持つ作品に引き込まれます。これは伊羅保に似た肌合いの作品ですが、白い釉薬がポイントになってきれいです。

    不思議な魅力を持つ作品に引き込まれます。これは伊羅保に似た肌合いの作品ですが、白い釉薬がポイントになってきれいです。

  • 帽子を被り前掛けをして左手には作品を持ち、右腰にはマスクの付いた腰袋を提げている自身の像です。時間を掛けてこれからも調べていきたい作家に出会えました。それだけでもここに来た甲斐がありました。改めてフランスの芸術の奥深さを知った出来事でした。この作品は鋳造され、ペール・ラシェーズ墓地の自身の墓標になっています。

    帽子を被り前掛けをして左手には作品を持ち、右腰にはマスクの付いた腰袋を提げている自身の像です。時間を掛けてこれからも調べていきたい作家に出会えました。それだけでもここに来た甲斐がありました。改めてフランスの芸術の奥深さを知った出来事でした。この作品は鋳造され、ペール・ラシェーズ墓地の自身の墓標になっています。

  • 「ウィナレッタ・シンガーの肖像」このような肖像彫刻の依頼もあったのでしょうか。カリエスの作品にばかり目が留まってしまい、ギマールのアール・ヌーヴォー様式の家具などを見るのを忘れたほどでした。

    「ウィナレッタ・シンガーの肖像」このような肖像彫刻の依頼もあったのでしょうか。カリエスの作品にばかり目が留まってしまい、ギマールのアール・ヌーヴォー様式の家具などを見るのを忘れたほどでした。

  • ハロウィンは終わっていますが、幼稚園の子供たちが仮装をして美術館見学に来ていました。衣装も揃っているのでお遊戯会の衣装かもしれません。

    ハロウィンは終わっていますが、幼稚園の子供たちが仮装をして美術館見学に来ていました。衣装も揃っているのでお遊戯会の衣装かもしれません。

  • 地下階の半分は古代から中世の収蔵品が展示されていました。意外にギリシャ陶器の素晴らしいものが多くある印象を受けましたが、たぶん個人のコレクターがパリ市に寄付したものだろうと思いました。

    地下階の半分は古代から中世の収蔵品が展示されていました。意外にギリシャ陶器の素晴らしいものが多くある印象を受けましたが、たぶん個人のコレクターがパリ市に寄付したものだろうと思いました。

  • このリュトン(酒杯)は裏表が面白いので写真に撮っておきました。ワニをモチーフにしたものなんて初めて見ました。尻尾が持ち手なんてちょっとふざけた感じもします。

    このリュトン(酒杯)は裏表が面白いので写真に撮っておきました。ワニをモチーフにしたものなんて初めて見ました。尻尾が持ち手なんてちょっとふざけた感じもします。

  • 「ロバの頭の形をしたリュトン」も面白い形です。古代の人々はリュトンを通った酒やワインなどは神聖な力が宿ると信じられていました。リュトンのモチーフとされる動物は現在とは若干異なる各地の星座に出てくる物であったり、古代都市の守護神の動物などで、自分の産まれ月や都市の守護神の動物などであったそうです。<br /><br />

    「ロバの頭の形をしたリュトン」も面白い形です。古代の人々はリュトンを通った酒やワインなどは神聖な力が宿ると信じられていました。リュトンのモチーフとされる動物は現在とは若干異なる各地の星座に出てくる物であったり、古代都市の守護神の動物などで、自分の産まれ月や都市の守護神の動物などであったそうです。

  • 何だか子供たちは楽しそうなので、仲間に入れてもらいたくなってきました。

    何だか子供たちは楽しそうなので、仲間に入れてもらいたくなってきました。

  • 中世の木像なども良いものがありましたが奥行きの無いガラスケースに入っているので写り込みを考えると写真が撮りにくいです。ビザンチン様式の聖人像です。

    中世の木像なども良いものがありましたが奥行きの無いガラスケースに入っているので写り込みを考えると写真が撮りにくいです。ビザンチン様式の聖人像です。

  • 地下に至っては我々と子供たち以外に見学者は誰もいません。

    地下に至っては我々と子供たち以外に見学者は誰もいません。

  • 手に持った聖書の上に怪物が乗っているなんて、元々はどんな彫刻でどこに納められていたのでしょうか。

    手に持った聖書の上に怪物が乗っているなんて、元々はどんな彫刻でどこに納められていたのでしょうか。

  • 古いイコンもよい物がたくさんありました。洗礼者ヨハネの衣装は赤い駱駝の毛皮で翼も生えています。足元にはサロメの命に従って切り落とされた自身の首が盆の上に置かれています。

    古いイコンもよい物がたくさんありました。洗礼者ヨハネの衣装は赤い駱駝の毛皮で翼も生えています。足元にはサロメの命に従って切り落とされた自身の首が盆の上に置かれています。

  • 聖ゲオルルギウスの竜退治もよくあるモチーフですね。家に帰ったら久しぶりにアンドレイ・タルコフスキーの映画「アンドレイ・ルブリョフ」を観ようと思いました。

    聖ゲオルルギウスの竜退治もよくあるモチーフですね。家に帰ったら久しぶりにアンドレイ・タルコフスキーの映画「アンドレイ・ルブリョフ」を観ようと思いました。

  • 月桂樹の王冠を見た瞬間にダンテ像だとすぐに分かりました。どこかで似たダンテ像を見たのかもしれません。フィレンツェだったかラヴェンナの霊廟だったか…。後ろにある鳥かごみたいな物の後ろにウゴリーノ像がありますので、美術館も関連性を考えているのだろうかと思いました。

    月桂樹の王冠を見た瞬間にダンテ像だとすぐに分かりました。どこかで似たダンテ像を見たのかもしれません。フィレンツェだったかラヴェンナの霊廟だったか…。後ろにある鳥かごみたいな物の後ろにウゴリーノ像がありますので、美術館も関連性を考えているのだろうかと思いました。

  • 彫刻家のジャン・ポール・オーベは1879年のサロンで再び大成功を収め、有名なフィレンツェの詩人と足元にあるこの政治家の頭像で大成功を収めました。ダンテ・アリギエリは伝統的なマントと月桂樹の王冠でここに表現されています。パリ市はコレージュ・ド・フランスの前にあるマルセルヌ・ベルテロット広場に1882年以来置かれている銅像(H.モルツ鋳造)を造るためにこの石膏作品をオーベから購入しました。

    彫刻家のジャン・ポール・オーベは1879年のサロンで再び大成功を収め、有名なフィレンツェの詩人と足元にあるこの政治家の頭像で大成功を収めました。ダンテ・アリギエリは伝統的なマントと月桂樹の王冠でここに表現されています。パリ市はコレージュ・ド・フランスの前にあるマルセルヌ・ベルテロット広場に1882年以来置かれている銅像(H.モルツ鋳造)を造るためにこの石膏作品をオーベから購入しました。

  • レオン・ジョセフ・トーマス・アレッサンドリは象牙を使った工芸作品を造る作家です。1867年の万国博覧会ではルネッサンス様式の「ドームロタ家具」をモールディングと彫刻された象牙のパネルを製作しました。<br />アレッサンドリは装飾デザイナーのユージン・プリグノと2人の彫刻家キャリア・ベルリューズとベルナールと共に製作にあたり、プリグノは家具の一般的なデザインを与え、ベルリューズは家具のベースを飾る4つの浅いレリーフ(建築、彫刻、商業、労働)のモデルを描き、ベルナールはドームの上に立ち上がる勝利の女神の姿を彫刻しました。この作品は1867年の万国博覧会で大成功を収め、金賞を受賞しています。

    レオン・ジョセフ・トーマス・アレッサンドリは象牙を使った工芸作品を造る作家です。1867年の万国博覧会ではルネッサンス様式の「ドームロタ家具」をモールディングと彫刻された象牙のパネルを製作しました。
    アレッサンドリは装飾デザイナーのユージン・プリグノと2人の彫刻家キャリア・ベルリューズとベルナールと共に製作にあたり、プリグノは家具の一般的なデザインを与え、ベルリューズは家具のベースを飾る4つの浅いレリーフ(建築、彫刻、商業、労働)のモデルを描き、ベルナールはドームの上に立ち上がる勝利の女神の姿を彫刻しました。この作品は1867年の万国博覧会で大成功を収め、金賞を受賞しています。

  • ミュージアムショップも充実していてとても良い美術館でした。何より無料な上にガラガラなのがいいので2人とも大満足です。

    ミュージアムショップも充実していてとても良い美術館でした。何より無料な上にガラガラなのがいいので2人とも大満足です。

  • この日は予定外の祝日によって数日に渡ってずれ込んだ美術館見学が続くので、中庭の見学は省略してしまいました。今から思えばちょっと失敗したかと思います。

    この日は予定外の祝日によって数日に渡ってずれ込んだ美術館見学が続くので、中庭の見学は省略してしまいました。今から思えばちょっと失敗したかと思います。

  • 床に埋め込まれた照明は上手くモザイクの中に収められています。この建物のの両翼には天井からの照明がありません。この照明で天井を照らすのでしょうか。床のモザイクはジャン・ドメニコ・ファッキーナ工房によって制作されました。

    床に埋め込まれた照明は上手くモザイクの中に収められています。この建物のの両翼には天井からの照明がありません。この照明で天井を照らすのでしょうか。床のモザイクはジャン・ドメニコ・ファッキーナ工房によって制作されました。

  • 4隅には美しい天井画は1903年から1910年の間にアルベール・ベナールがエントランスホールのために描いた作品で、神秘性や思考や物質など4つの象徴に触発されたテーマが当てられています。見えにくいですが、中央部にはパリ市の紋章の帆船の姿も見えます。

    4隅には美しい天井画は1903年から1910年の間にアルベール・ベナールがエントランスホールのために描いた作品で、神秘性や思考や物質など4つの象徴に触発されたテーマが当てられています。見えにくいですが、中央部にはパリ市の紋章の帆船の姿も見えます。

  • 彫刻家アントニン・メルシエ作の「敗者の栄光」です。ナポレオン3世が敗れた普仏戦争で犠牲となった兵士を称える彫像です。有翼の女神が折れた剣を右手に持つ兵士を抱きかかえ、天に昇らんとするその足元にはオリーブの小枝とフクロウが置かれてあります。女神はギリシャ神話のペーメかレノメーを寓意し、フクロウは戦争の女神アテナ神の知恵をオリーブの小枝は平和を象徴しています。

    彫刻家アントニン・メルシエ作の「敗者の栄光」です。ナポレオン3世が敗れた普仏戦争で犠牲となった兵士を称える彫像です。有翼の女神が折れた剣を右手に持つ兵士を抱きかかえ、天に昇らんとするその足元にはオリーブの小枝とフクロウが置かれてあります。女神はギリシャ神話のペーメかレノメーを寓意し、フクロウは戦争の女神アテナ神の知恵をオリーブの小枝は平和を象徴しています。

  • 正面に建つグラン・パレを見ながら階段を降りて「オランジェリー美術館」へ向かいます。休館日と祭日の休業で予定が変更になり、この日は4か所の美術館を回らなければなりません。

    正面に建つグラン・パレを見ながら階段を降りて「オランジェリー美術館」へ向かいます。休館日と祭日の休業で予定が変更になり、この日は4か所の美術館を回らなければなりません。

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2011 パリの旅

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