2011/10/22 - 2011/11/06
5006位(同エリア17017件中)
kojikojiさん
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- 旅行記1755冊
- クチコミ1205件
- Q&A回答73件
- 3,457,972アクセス
- フォロワー169人
今回の旅行ではパリには都合10日ほど滞在しました。最初にパリを訪れたのは1988年で、まだルーブル美術館の中庭は工事中でガラスのピラミッドが建設の途中でした。その後は何度かトランジットで立ち寄り、最後は11年前のミレニアムの年でした。21世紀の幕開けの瞬間はコンコルド広場でカウントダウンを聞いていたことを懐かしく思い出します。妻にとっては仕事で来ていたこともあり、お互いに思い出深い都市ではあります。そして2人とも以外にちゃんとパリの街の観光をしていないこともあり、今回の旅の計画を進めました。それにまだ見ぬモン・サン・ミッシェルとロアール渓谷にヴェルサイユを追加してようやくスケジュールが出来上がりました。よくあるツアーのパンフレットにある「パリとロワール渓谷と門・サン・ミッシェル8日間」みたいなコースですが、2週間以上の旅程になりましたがじっくりパリとその周辺の晩秋の景色を楽しめました。到着の翌日はまだまだ元気だったので、モンパルナスのホテルからサンジェルマン・デ・プレまで歩き、ドゥ・マゴで朝御飯を食べて、日曜日のクリニャンクールの蚤の市を楽しみ、初めて行ったモンパルナスに古き良きパリを感じました。そこに映画「アメリ」に出てくる八百屋を見に行ったり、レ・ドゥー・ムーランでクリーム・ブリュレを食べたりと盛りだくさんな旅の始まりでした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 徒歩
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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パリの朝は明るく清々しい日差しを想像していましたが、10月下旬のサマータイムが終わる直前では午前8時でも真っ暗でした。観光に出掛けるにはあまりに暗いパリ最初の日曜日、ホテルの前のお屋敷は美しいアールヌーヴォースタイルの建物でした。
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宿泊したのはモンパルナスの外れの「ダンフェール・ロシュロー広場」に近い「ヴィラ・モンパルナス」という一応4星のプチホテルです。朝食は別料金でしたのでどうせ食べるなら歴史あるカフェででもと思い、夜明けのモンパルナス墓地を北に向かって歩きます。
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モンパルナスの墓地と墓地の間の道を歩いていると「ラスパイユ大通り」にぶつかり、そのまま坂を下るように進むと交差点に明かりが見えてきました。1897年にオープンした老舗カフェ「ル・ドーム・モンパルナス」でした。
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モンパルナス大通りを挟んでラ・ロトンドも見えます。1920年代にはジャン・コクトーや藤田嗣治、モディリアーニやピカソなどのエコール・ド・パリの画家たちが集う文豪カフェでした。春の旅ではウィーンの老舗カフェ巡りをしたので、滞在中に立ち寄りたいと思います。隣のラ・ロトンドも店主や常連客は有名人ばかりで、100年前はどんな華やかだったのだろうと思います。
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ラ・ロトンドは1903年にモンパルナス大通り105番地に開店しています。同じモンパルナス大通りの99番地に1923年創業のル・セレクト、102番地に1927年創業のラ・クーポール、108番地に1898年創業のル・ドームと老舗ブラッスリーが立ち並ぶエリアです。このカフェもそうそうたる有名人が集った店として有名です。
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ラ・ロトンドの横に立つ蝦蟇仙人のような像はオーギュストロダンのバルザック像でした。薄暗い中では少々オドロオドロしい雰囲気です。ロダンは文芸家協会から小説家バルザックの記念像の制作を依頼され、彼の出身地トゥールの仕立て屋で体躯まで確認して1898年のサロンにガウンをまとった石膏像を発表します。これが雪だるまや溶岩や異教神などと言われ、「フランスが誇る偉大な作家を侮辱した」と協会から作品の引き取りを拒否されます。ロダンは石膏像を引き取り、終生外に出さなかったそうですが、彼の死後の1939年になってここに設置されています。
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今回の旅ではパリの小さな美術館もいくつか巡る予定で、その中にはロダン美術館も含まれているので楽しみにしています。
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パリには最初の1週間と最後の3日滞在するのでホテルの部屋に花でも飾りたいと思っていたのですが、最初の部屋が思っていたより狭かったので断念しました。最後の部屋は広かったのですが帰国前ということもありこちらも断念。
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ラスパイユ大通りをさらに進むとだんだん明るくなってきました。午前8時半になると明るくなるとわかりました。道路沿いの塀に絵が描かれていました。
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メゾン・ヴェロという1930年創業のデリカテッセンのオーナー婦人のキャサリン・ヴェロのイラストのようです。ちょっと不気味な感じもしますが嫌いではありません。
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初めて見たのにどこかで見たことがあるような気がします。それが何なのかが思い出せないまどろっこしさがずっと残っています。この辺りでラスパイユ大通りとお別れしてレンヌ通りを下っていけばドゥ・マゴに着くのですが、もう少しラスパイユ大通りを進んでみることにします。。ゆっくりした下り坂にセーヌ川に向かっていることも何となく感じます。
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通りの中央分離帯の辺りが明るくて人もいるので覗いてみると市場が開店準備中でした。日曜日なのでラスパイユのビオマルシェだったのだと気づきました。パリではビオ(オーガニック)が大人気のようです。
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時間が早いのでまだ準備中のところが多かったです。それでも地元の人が結構買い物に来ていました。早起きは三文の得なので良いものは早く買うに越したことはありません。
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こういう市場に来るとキッチン付の部屋を借りたほうが良かったかなと思ってしまいます。実際忙しくてたいした料理は出来ないのですが。
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昔ドブロヴニクでキッチン付きのアパートを借りた時も大した料理は作りませんでした。1人旅ではお茶を入れるくらいになってしまいます。
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ただの木箱や段ボール箱を乱雑なように並べただけで美しく見えるのは何故でしょう。消費者のニーズなのでしょうが、日本の生産者も規格品とか個別パッケージとか廃止したらどうでしょうか。ラップに包まれて蛍光灯を当てられた野菜が美味しそうに見えるわけがありません。
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プシコー広場の前には巨大な玉虫色のパプリカが置かれてありました。交差点の対角にあるホテル・ルテシアは有名な高級ホテルです。
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ラスパイユ大通りから脇に入ったシェーズ通りには壁に埋め込まれた顔がいくつもありました。タイの北部を旅するとこんな顔を見る事が良くあります。
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ようやくサンジェルマン大通りに出ましたが、日曜日の早朝は車もほとんど走っていません。そしてやっと東の空に太陽が上がって来るのが見えました。
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ぶらぶら散歩しても1時間もかからないでサンジェルマン・デ・プレ教会に到着しました。ここまで来て2000年の年末に妻とこの辺りを歩いたことを思い出しました。オデオン辺りの店でてんこ盛りの氷に乗った牡蠣やシーフードを食べたのも思い出しました。2人の記憶の手掛かりはどこで何を食べたのかが重要なポイントです。
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ラスパイユ大通りの有名なカフェも見て来たばかりですが、サンジェルマン・デ・プレにも有名なカフェが2軒あり、その1つがカフェ・ド・フロールです。1887年の創業で店名の由来はこの通りにローマ神話の花と春の女神「フローラ」の小さな像があったからだそうです。ギヨーム・アポリネールの活動拠点でもあり、ジャン・コクトーやエリック・サティが集ったと思うと感慨深いものがあります。2000年に来ているのでここは今回はパスします。
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この日の朝食はレ・ドゥ・マゴでいただくことにしました。まだお客さんもまばらです。この店も1885年の創業で、店名の「マゴ (magot)」は中国のややグロテスクでずんぐりした陶製人形(坐像)を表わします。演劇「中国のドゥ・マゴ」に着想を得て制作された2体の中国人形は現在も店内に置かれ、店のシンボルになっています。
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綺麗な白百合の花とシャンデリアと朝日が印象に残っています。
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店の中央の柱の上には店名の由来にもなっている木製の2体の人形が鎮座しています。これのレプリカが渋谷の文化村のカフェの入り口にも置かれていますね。
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朝食セットは20ユーロでしたが、量が多いのでモーニングセット1つとコーヒーを注文しました。ホテルの何でもない朝食を2人で食べて30ユーロ払うならここでの食事した方が絶対に思い出になると思いました。
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ちなみにバターはエシュレですし、ロゴ付きのジャムもきっと有名なところの物でしょう。もちろんバゲットもクロワッサンもレザンもショコラも美味しいです。20ユーロは妥当な値段かもしれません。
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壁や天井は綺麗にリノベートされていますが、床のモザイクと椅子やテーブルの脚に歴史を感じます。ガートルード・スタインが「失われた世代」と呼んだヘミングウェイやギヨーム・アポリネールや藤田嗣治らの作家や画家がこの空間にいたと思うと立ち寄って朝ご飯を食べるだけでも価値を感じます。
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さあ、お腹もいっぱいになったところで散歩を一度終えて、サンジェルマン・デ・プレ駅から地下鉄に乗ることにします。
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パリの滞在は10日あるので切符はまとめてカルネ(回数券)を購入しました。券売機の画面のフランス語の表示のまま手早く買えたのがちょっと嬉しかったりします。
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4号線1本で終点のポルト・ド・クリニャンクール駅に到着しました。20世紀最後の日曜日に妻と一緒に来たことを思い出します。小雨交じりの日でとても寒かったのを覚えています。
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その当時と駅の構内は何も変わっていないように感じます。
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この自動改札は新しいものに変わっていると思います。
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駅を出たところから高架を目指していけばだんだんと賑わってきます。今回は寒くもなく暑くもないとても良い季節です。この辺りはアフリカ系の人たちが店を開いていますが、みなさん気さくで礼儀正しく気持ち良くショッピングができます。
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クリニャンクールには大きく4つのマーケットがあります。そのうちで一番風情のある「マルシェ・ヴェルネゾン」から見て回ります。
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こんな三角地帯にまるでちいさな村のように店が並んでいます。時間が早かったからなのか、景気のせいなのか半分くらいの店がシャッターを閉じたままになっていたのが残念です。
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売っているものも建物も古いのですが、蔦に覆われてこのまま廃墟になってしまいそうです。
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そんな味のある古い建物に朝日が当たって不思議な雰囲気です。
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公衆電話にも花が飾られていますが、電話をするには邪魔です。フランスの人は菊の花が大好きなようですが、日本でこんな風に菊の花を飾ったらこの公衆電話で誰かが殺されたと思いますよね。
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お店も売っているものも古いですが、お店の主人もいい具合にアンティークになっています。
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フランスでは昔の植民地だったせいなのかアフリカの工芸品を扱う店が多いです。あとはインドネシアからインドシナ半島辺りの昔の関わりのあった国の物が多いように思います。この旅の途中で立ち寄ったナントのアンティーク店では、サイゴンで80ドルで買ったベトナムの山岳少数民族の銀の首飾りが1280ユーロで売っていて驚きました。
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どこも朝一番は商売をする気持ちになっていないのか、隣近所の店主同士で情報効果やらコーヒーを飲んだりお客をそっちのけです。まあこちらもひやかしなのでちょうど良いのですが。
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次は「マルシェ・マラシ」に入ります。ここと次に行った「マルシェ・オーフィンヌ」はビルに入っているほとんどすべての店がアンティーク店です。一部飲食店などもありますが。
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中央には吹き抜けがあったり、トップライトになっていたりなかなか雰囲気も良いです。
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積み上げられた中東の絨毯を見るとキリムやジジムを買い求めて旅したトルコの旅を思い出します。その旅で知り合ったカッパドキアのギョレメのカーペット屋さんの主人のもとへ再訪できていなくて心苦しく思っています。
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4つのマーケットの中では半分近くの店がシャッターを降ろしていたこのマーケットが一番閑散としていました。訳の分からないオブジェが置かれていますが、重たいから盗まれないのか価値がないから盗まれないのか…。
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こうなると何を売っている店なのか分かりません。あまりお客がいないのも頷ける気がします。
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こちらは「マルシェ・ドーフィンヌ」のパッサージュ風の通りです。ここはかなり高級な店構えのアンティーク店が並んでいます。
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個人的にはこのマーケットが一番歩いていて楽しかったです。
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レトロな雑誌やポスターなどが郷愁を誘うのでしょうか、フランス人の若い女性が買っているのを見掛けました。
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イチオシ
この通りのボスでしょうか。赤いカーペットにに映えるフレンチ・ブルドックです。
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1階の店をひやかして2階に上がってみます。2階を歩いていて以前ここに来て古い地図を買ったのを思い出しました。17世紀の古地図を集めているのですが、この辺りには19世紀の物しかなかったと記憶しています。
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ここが一番活気があるようです。ほとんどすべての店が開店していました。
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もう一度1階に降りて一通りの店を回ってみます。ヴェネツィアでよく見かけるムーア人の置物が気になりましたが、午後の予定もあるので買い物には至りませんでした。
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大好きだったアンティーク店巡りですが、最近は老眼が進んだせいか集中力が無くなったのか、個々の品物をあまり見なくなってきました。
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特に大きな家具などは運送のことなど考えると時間がかかるのでただ眺めるだけです。昔は家具の梱包やら他の陶器などを一緒に入れるとか交渉するのが楽しかったのですが歳を取ったと感じます。
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大きなマルシェの周りには小さなアンティーク店が連なっています。なかなか良い雰囲気の通りです。
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妻に「ここだよ。」と言われて以前ここでピザを食べたのを思い出しました。小雨降る寒い日だったので店を出る前にシチリアのリキュールのアヴェルナを一杯引掛けたのでした。あれからもう11年経ったのだなと思うと感慨深いものがあります。
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最後は「マルシェ・ビロン」を覗いてみます。ここは長い一本道の両側に店が並んでいます。
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ここも赤いカーペットが敷かれ、青い空と美しいデザインの街燈の明かりが印象に残ります。
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最初はぬいぐるみが売られているのかと思いました。ところがモソモソと動き出したのでびっくりしましたが、犬だとわかるのに数秒かかりました。
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この店も楽しそうでしたがウインドウ越しに眺めるだけにしました。
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「前に来たときはあそこのラリックの店から出てこなかった。」とか妻に言われましたが全く思い出せませんでした。大抵の旅行でのことは記憶に残っているのですが…。結局ここでも何も買わずにクリニャンクールの蚤の市の散策は終わりました。
地下鉄で12号線経由でアベスに行こうとするも12号線が部分工事中で2号線でアンヴェールからモンパルナスへ向かいました。 -
アンヴェール駅を出るとそこはサクレクール寺院の参道のような雰囲気です。道筋では段ボール箱をテーブルにしてオーバーアクションで客を誘い込むいかさま賭博の人々がいます。いまだにこんな古典的な詐欺が行われているのかと懐かしく眺めていました。
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今ではイタリアやスペインでも見掛けないなんて考えていると広場に出て素晴らしい景色が広がります。
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初めて来た「サクレ・クール寺院」です。最後にパリに来た頃でも印象派の絵画は好きでも、描いた画家について深い知識はありませんでした。この11年で多少勉強していく中でモンマルトルの丘を見たくなりました。
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「サクレ・クール寺院」はフランスやフランス語圏に多く存在する教会で、「聖なる心臓」を意味し、イエス・キリストに捧げて守護として祀っていることを意味します。
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第3共和政の憲法が発布された1875年にフランスの新しい政体の門出を祝う意味合いを込め、政府による直接的な支援を受けて聖堂の建設がはじまります。当時は普仏戦争とそれに続くパリ・コミューンによって命を失ったフランス市民を讃える公共建造物としても考えられますが、実際に着工したのは1877年で40年の歳月をかけて1914年に完成しています。
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ここは家族連れがたくさん来ていますが、クリニャンクールは閑散としていたのでモンパルナスの賑わいには驚きです。妻もモンパルナスは来たことがないと言っていました。この階段の左手に地下鉄の切符で乗れるフニキュレールがあるのですが、吸い寄せられるように階段を登ってしまいました。
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この日はパリ到着1日目で東京より寒いと思って重ね着していましたが暑いくらいでした。このような天気はこの後も続き、持ってきたダウンなどはモン・サン・ミッシェルでも必要ありませんでした。南向きの斜面は暖かいのでみんな日向ぼっこをしている世界中から来た観光客ばかりです。大聖堂の上空を飛行機がどこかへ飛んでいきます。パリにいる間いつも飛行機が上を飛んでいる印象があります。
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振り返るとパリの街並みがシルエットになって見えます。少し右手にホテルの近くにあるモンパルナスタワーが見えました。エッフェル塔と凱旋門は木の陰になってこの辺りからは見えません。
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さらに階段を登るともの凄い数の人が大道芸を見ていました。この辺りでアンケートと称して近寄ってくる女の子たちに遭遇しましたがアンケート用紙はボロボロで相手にするとポケットや荷物から貴重品を抜かれるので注意が必要です。
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パリは古典的な詐欺やスリが多い街だと改めて感じました。日本語で「掏摸に注意してください。」と貼り紙があったけれど、「掏摸スリ)」なんて漢字を読める人がどれくらいいるのだろうかと思いました。
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ようやく「サクレ・クール寺院」の足元に到着しました。設計したのはノートルダム大聖堂の修復にも参加したパリ出身の建築家ポール・アバディです。アバディはロマネスク様式とビザンティン様式という2つの建築様式を融合した異彩の建築を設計をしました。
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ファサードには2体の騎馬像が鎮座しています。左手のルイ9世の騎馬像は剣を地に向けています。ゴシック様式の建物を数多く残し、シテ島にあるサント・シャペルも彼が造らせたものです。ルーブル美術館にはエル・グレコの描いた肖像画が残され、聖王ルイは英語読みするとセント・ルイスで、アメリカのミズーリ州の都市の名前の由来にもなっています。
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ルイ9世は内政に力を入れ長期の平和を保ったため治世の間のフランス王国は繁栄します。国内外を問わずに争いを収めるよう努力したため「ヨーロッパの調停者」と呼ばれ、高潔で敬虔な人格から理想のキリスト教王と評価されています。ただ宗教的情熱から2回の十字軍を行いましたが、莫大な費用を費やした上に自身も捕虜となるなど散々な負け戦を喫して失敗に終わります。
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そして中央にはキリスト像がパリの街に祝福を与えているように立っています。左手を神像の前に置いているのは聖なる心臓(サクレ・クール)を意味しているのでしょう。右手の人差し指と中指を伸ばしていますが、これは人差し指が Ι(ギリシャ文字のイオタ)、中指が C(同シグマ(Σ))、親指と薬指とで Χ(同キー(カイ))、小指が Cを表しており、イエス(ΙC) キリスト(ΧC)を意味します。
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イチオシ
右手には剣を掲げたジャンヌ・ダルクの像が並んでいます。百年戦争で台頭したフランスの国民的ヒロインでカトリック教会の聖女でもあります。
堂内に入って参拝しましたが、この当時内部は撮影禁止でした。2014年以降は撮影が出来るように法律が変わったそうです。 -
さて「モンパルナスの丘」を散策しようと思いますが、もの凄い数の観光客です。巡回するプチトランも通れないほどです。それでも「あぁ、ここがモンマルトルの丘か。」と感慨深いものがあります。パリへ来る前にロートレック展を東京で見てきたせいもあると思います。
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視線を少し上にすると雰囲気のある建物ばかりなのに驚かされます。こんな町並みでは絵に描きたくなると思います。また、澁澤龍彦が「ヨーロッパの乳房」の中の「パリの食物誌」でモンマルトルの坂の上のホテルに滞在したと書いていたのを思い出しました。
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夜になると奥さんが友人に絵葉書を書いているのを覗き、「お元気ですか。私たちは、モンマルトルの丘の中腹の小さなホテルにいます。ムーラン・ルージュのすぐ近くです。窓からエッフェル塔が霞んで見えます。この辺りでは朝夕は市が立ち…。」と同じ文面に茶々を入れるくだりを思い出します。
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混雑しているテアトル広場を離れると途端に人が少なくなり、秋の穏やかな午後の日差しを感じることができます。通りかかったモンマルトル博物館は時間があまりないので中には入りませんでした。ルノワールのアトリエがあり、シュザンヌ・ヴァラドンや息子のモーリス・ユトリロも住んでいた場所です。
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博物館の裏側は斜面になっていて、そこはパリで唯一残ったブドウ畑があります。残念ですがブドウの収穫祭りは10月の第2土曜日なので終わった後でした。
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収穫祭の終わったブドウ畑は紅葉も美しかったです。パリはちょうど秋を迎え一番いい季節でした。暑くも寒くもなく夜のうちに雨が降るのでしっとりとした雰囲気もありました。
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ここクロ・モンマルトルで収穫されたブドウは18区の区役所の蔵で醸造され、そのワインは貴重なのでほとんど手に入らないそうです。
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そしてその先には有名なシャンソニエ「オ・ラパン・アジル」元々は「暗殺者の酒場」と呼ばれていたが、ユーモア作家のアンドレ・ジルがウサギの絵を看板に描いてからジルのウサギ(ラパン・ア・ジル)になり、すばしっこいという意味のアジルに引掛けて「ラパン・アジル」(すばしっこいウサギ)になったそうです。
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アトリエ洗濯船でのピカソたちの近代芸術運動を嫌ったギョーム・アポリネールはこの店のロバのロロの尻尾に絵筆を結んで、出来上がった絵を「かくてアドリア海に陽は沈みぬ」という題名をつけて展覧会に出品したそうです。
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ここまで来て妻が「私、昔ここへタクシーで連れて来られたことがある。」といいだしました。1983年にエルメスと西武百貨店が合弁会社エルメスジャポンを設立し、86年に日仏文化サミットがあった頃の話です。ギャラリー・ラファイエットのドーム空間に鯉のぼりを吊りに来たことがあるという話は聞いていました。
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仕事終わりに晩ご飯を食べた後にシャンソン好きの上司に連れて来られたそうです。妻はシャンソンにはほとんど興味が無いので、雰囲気だけ楽しんだそうです。シャンソン好きだった父はここに来たかったのではなかっただろうかと思いました。
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1900年頃から古い家が取り壊され、新しい住宅が建てられるようになり、「オ・ラパン・アジル」も1913年に取り壊されることになりますが、主のフレデ爺さんの友人でキャバレー「ル・シャ・ノワール」の人気歌手だったアリスティード・ブリュアンがこれを買い取って窮地を救います。1922年にブリュアンはフレデ爺さんの息子「パウロ」ことポールに店を売却し、新たな時代が切り開かれることになります。
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パリの中でもブドウ畑が残っていたり古い家屋がそのまま残っていたり不思議な空間でした。ここだけ時間が100年くらい止まっているように感じました。
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母親シュザンヌ・ヴァラドンとモンマルトルに住んでいたユトリロも描いたこの家は、今はカフェレストランの「ラ・メゾン・ローズ」になっています。こんな町の中を歩いているとユトリロやルノワールの絵の中を歩いているような気分になります。
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路地の先にはサクレ・クールのドームが突然現れたりすると、ああ、モンマルトルに来てるんだな感じます。
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またテアトル広場まで戻ってきました。「ル・コンシュラ」はモネやロートレックやセザンヌ、ルノワールやピカソやユトリロなどが通ったブラッスリーです。
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この界隈は世界有数の観光地ですね。写真には写っていませんが似顔絵描きの人や絵を売る人そして観光客でごった返しています。
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写真を撮っている人がいなかったら見逃したと思います。坂を下ってくるとたぶん見逃てしまいそうなジャン・マーレの「壁抜け男」の彫刻です。マルセル・エイメの「壁抜け男」がモデルになっていますが、中学生のころに角川文庫で読んだ作品なので懐かしく思います。
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役所勤めの独身中年男デュチユールは「甲状腺の括約内膜のらせん状硬化」によって壁をするりと通り抜けられる能力が使えると医師に診断を下されます。そして銀行や宝石店など強盗に入り、自ら逮捕されますが脱獄出来てしまいます。壁抜け男ですから。ある女性の虜になったデュチユールはその能力を使って女性と密会しますが、頭痛を感じて医師の処方した薬を飲んで、塀を通り抜けようとしたときに抜け出せなくなってしまいます。まさにその場面が目の前にありました。
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オルセー美術館所蔵のオーギュスト・ルノワールの「ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレット」はあまりにも有名ですが、ギャレット風車のダンスホールと名づけられたその作品の舞台はダンスホールはなくなってしまいましたが、「ラデの風車」だけが当時の面影を残しています。
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映画「アメリ」でアメリの働くカフェ「カフェ・デ・ドゥ・ムーラン(Cafe des 2 Moulins)」は2つの風車カフェという意味ですが、かつてのモンマルトルの丘は田園風景が広がり、高台にあることを利用して小麦をひく風車小屋がたくさんあったそうです。ユトリロは「モンマルトルの三つの風車」を描き、ゴッホも「モンマルトルの風車」を描いています。
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「アトリエ洗濯船」があった広場は木々が日差しを遮り一息つけます。ちょっとカメラのモードを変えて古い写真風にしてみました。「洗濯船」の名付け親は詩人のマックス・ジャコブ で、この建物は入口のあるラヴィニャン通りと裏口のあるガロー通りにかなりの段差があり、セーヌ川に浮かぶ洗濯船を思い浮かべたそうです。
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20世紀初頭にパブロ・ピカソやジョルジュ・ブラック、フアン・グリスやモディリアーニ、モーリス・ドニをはじめとするモンマルトルの芸術家や文学者、俳優や画商らが活動の拠点した場所かと思うと感慨深いものを感じます。
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そして少し坂を下った先には「オ・マルシェ・ド・ラ・ビュット」があります。何てことないどこの町にもあるようなフルーツと雑貨を売るような店ですが「アメリ」の舞台にもなり有名になった店です。
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今では一番売れるのが絵葉書ではないでしょうか。アメリの絵ハガキもこの店の絵ハガキもここでしか売っていません。1枚1ユーロはちょっと高いけれど買い求めておきます。
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コリニュンやアメリたち映画の登場人物はいないけれど、同じようなドラマが今もパリの町の中では展開されているのでしょう。
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アメリの人気はいまだにありますが、この辺りはモンマルトルの丘の上に比べれば比較的人が少ないので街歩きを楽しめます。
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ただ、アベス駅近くになるとまた人も店も増えて来ます。趣のあるお店がたくさんあるので思わず足が止まってしまいます。
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地下鉄のアベス駅の入口は古いエクトール・ギマールの設計したキャノピーが残っています。
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このタイプのキャノピー付の入り口はここアベス駅と凱旋門の更に西のブローニュの森の入口にあるポルト・ドーフィヌ駅だけが残っています。ダリが「神々しい入口」と絶賛したそうです。
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写真でしか見たことのなかったギマールの作品を見る事が出来て感激しましたが、地下鉄を利用する人には全く関係のない物のようで足を止める人もいません。
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この週末はこの辺りではいろいろなイベントが催されていました。広場では子供劇が催され、通りではビオ(オーガニック)マーケットが開かれていました。
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広場の前にはアールヌーヴォーの頃に建てられた「サン・ジャン・ド・モンマルトル教会」があります。パリで最初の鉄筋コンクリート造の教会建築として、外観だけではなく建築素材も特筆すべき教会です。
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ファサードのレリーフやタイルの装飾がとても美しい建物です。設計はアナトール・ド・ボドで、独自の方法論を持った革新的建築家としても知られます。教会ファサードを飾るのはアレクサンドル・ビゴのセラミックです。
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煉瓦を積んだだけの建築のようにしか見えませんが、実際は鉄筋コンクリート造りの建物でもあります。内部構造についての展示もあって興味深かったです。
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内部は鉄骨がそのまま現わされていて無骨な感じがしますが、その分柱が細くなるので空間の広さは感じさせます。また側廊に開口が設けられるのでステンドグラスも効果的に使えます。
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日本人にとってはほとんど無名の教会ですが、とても興味深かく立ち寄ってよかったです。
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広場の周りの通りではビオ・マルシェが開かれています。フランス各地から集まったワインやお酢やお菓子に数々の食材を試食しながら買い物ができます。残念ながらこの先2週間以上の旅のことを考えると重たい瓶詰めの物などは買えません。
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人が並んでいるパン屋があったので見てみると2010年のバゲット・コンクールで優勝した店でした。「ル・グルニエ・ア・パン」に並んでバゲットを買ってみます。料金はレジの前にある料金箱にコインを入れる面白い清算方法です。
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ドライフルーツやナッツのたくさん乗ったパウンドケーキも美味しそうです。
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ビオ・マカロンはかなり巨大でした。こちらではキロいくらで売られていますので1個いくらか分かりません。1個食べたら口の中の水分を全部持っていかれそうです。
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絵になる街角をバケットを持って歩きます。歩くほどに荷物が多くなり坂道がきつくなってきます。夜になってバケットを見たらつまみ食いされていました。
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ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレットまで戻ってきました。敷地内はレストランになっているのでこの時間は近くまでいけません。
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この道路標識の意味って???このレストランは子供連れで入ってはいけないという意味でしょうか?
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「スタジオ28」は当時の映画館主J・ルローのためにジャン・コクトーが内装と照明を手掛けた映画館です。この映画館の存在は1996年に出た「月間太陽」のパリ物語で知りました。今はジャン・コクトーゆかりの映画館としてより、アメリが、「暗くなってから周りの人の顔を見るのが好き」と言ったシーンで使われた場所として有名です。
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街角のグラフィックもモンパルナスらしいおしゃれな物がありました。シャンソン歌手のアリスティド・ブリュアンの姿も見えます。
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「カフェ・デ・ドゥ・ムーラン」は満席で人が並んでいるくらいなのでこの時間に入るのは諦めて先に進むことにしました。
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坂を少し下るとキャバレー「ムーラン・ルージュ」のショップがありました。が、日曜日なのでお休みです。扉の押手が風車の形なのがお洒落です。
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坂を下りきると右手にムーラン・ルージュが現れます。昼間ではちょっとピンとこないですね。ちょっと間が抜けた気がします。
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父が共同通信社の勤続30年の休暇で母とヨーロッパ周遊の旅に出たことがありました。ヨーロッパの旅行などは初めてだったのですが、長年フランス語を勉強していたりシャンソン好きだったりでパリには思い入れがあったのだと思います。その時の写真のフィルムをスキャンしていたら、バスの車窓からムーラン・ルージュの風車を撮ったものがありました。
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本当は自由な旅でキャバレーのショーを観たり、ラパン・アジルのようなシャンソニエでシャンソンを聴いたりしたかったのではないかと思います。退職後にすぐに病気にはなってしまったのですが、無理すれば連れて行ってあげればよかったと後悔することがあります。この時もそんなことを思い出しました。
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中途半端な時間になってしまったので休憩も兼ねてプチ・トランに乗ってみました。出発まで本屋で買ったThis isシリーズの絵本を眺めていました。このシリーズはパリ以外にもロンドンやミュンヘンなどヨーロッパの都市を紹介しているものは町並みが現在と変わらないので楽しめます。
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さて出発です。1人6ユーロで45分の観光ですが、サクレ・クール寺院の前で15分停車するので実質走っているのは30分くらいです。かなり普通の町中を走るのと、景色の良いところは大抵石畳なので車内から写真を撮ることは不可能に近いです。
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サクレ・クール寺院で15分停車して眺めの良いところで写真を撮るくらいの時間があります。切符のチェックはしませんが、車掌さんは新たに乗った人を的確に見つけては切符を売っています。
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イチオシ
木立から午後の日差しを浴びてエッフェル塔が綺麗に浮かび上がっています。
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今回がパリ3回目ですが、前の2回とも混んでいてエッフェル塔に登る事が出来ませんでした。今回は事前にネットで予約してあるので登るのが楽しみです。
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11年前に凱旋門の上から眺めたモンマルトルの丘にようやく来れました。
サクレ・クール寺院の夜景も見たかったのですが、今回の旅では夜にここまで来ることはありませんでした。 -
サクレ・クール寺院ともこれでお別れです。近くで見上げるのもよいですが、凱旋門やエッフェル塔の上からモンマルトルの丘と一緒に眺めた方が良い気がします。
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トラムに戻ると夕方5時でした。大道芸のおじさんはメイクもそのままにバスに乗って帰路につくようです。隣のおばさんはアリスティド・ブリュアンと同じようなコスチュームです。
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こんな風景がパリらしさを感じさせます。
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プチ・トランは「ムーラン・ルージュ」の前まで戻ってきました。途中モンマルトルの階段の下を通ったので写真に撮りたかったのですが、手振れがひどくて撮れませんでした。
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「カフェ・デ・ドゥ・ムーラン」に行くとちょうど席が空いたところですぐに入れました。晩御飯前なのですがちょっと休憩することにしました。
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映画ではあまり奥の席の印象はありませんが、巨大なアメリの顔が迎えてくれます。これは映画が出来てからの物ですが。
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店内は相変わらず満席なので、「アメリ」の映画の人気の高さを感じます。
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「アメリ」の監督ジャン・ピエール・ジュネの作品では「デリカテッセン」や「ロスト・チルドレン」の世界観が好きです。そんなことを考えながらカフェのインテリアも楽しみました。
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クレムブリュレ6ユーロは観光地値段でしょうね。コーヒー2つとブリュレ1つを注文しましたが、セルヴーズのお姉さんは親切にスプーンを2つ持ってきてくれました。
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アメリのささやかな一人遊びのようにクレムブリュレの硬いカラメルを割っていただきます。明日は同じようにサン・マルタン運河クルーズで石切りが出来るでしょうか。
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一応トイレの扉も写真撮っておきます。トイレの中にはアメリグッズも飾ってありました。
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トイレに近いカウンターに吊るされたグラスがカチカチ揺れることはありませんでした。
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セルヴーズのお姉さんが「写真撮りましょうか?」と言ってくれたので記念に1枚撮ってもらい、良い記念になりました。凄い混雑していて忙しいのに気配りの良く出来た女性でした。
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どこで夕食をと考えた末にモンマルトルのイタリアンレストランに入りました。オルヴィエートの白ワインを1本とサン・ペレグリーノを注文して、サラダをつまみます。
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妻に「パスタはやめなさい。」と言ったのに…。煮込み料理の国にアルデンテはありえません。案の定あまりおいしくなかったようです。同じ失敗を世界中で繰り返すのは何故なのだろうかと思います。
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こちらは絶対間違いのない4フロマッジョのピザです。念のため「トマトソースは抜いてください。」とお願いします。
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食事が終ってもう一度ルピック通りの坂道を下ります。アメリのカフェはまだまだ賑わっていました。夜になった方が雰囲気があるかもしれません。
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ムーラン・ルージュのショップにも明かりが灯りました。ムーラン・バービーが怪しいお色気を振りまいています。
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クリシー通りまで戻ってくると「ムーラン・ルージュ」のネオンにも明りが灯っていました。
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ライトアップした「ムーラン・ルージュ」はやっぱりパリの顔ですね。
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パリの街歩きを堪能した1日でした。パリのキャバレーは初めて来たときにクレージー・ホースでショーを観たので今回はパスしました。
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そろそろ地下鉄に乗って帰ることにしましょう。アベス駅からホテルに向かいます。大貫妙子の「地下鉄のザジ」を口ずさみながらダンフェール・ロシュロー駅まで帰り、長い1日が終わりました。
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