2011/10/22 - 2011/11/06
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kojikojiさん
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11年前にパリに来たときには全く興味が無くオルセー美術館でも数点の作品を「ああ、これがギュスターヴ・モローか。」程度の印象しかありませんでした。それから月日が経つうちにフランス絵画にも目が向くようになりました。また、ヨーロッパを旅する中でキリスト教やギリシャ神話の題材をより深く調べたり知ることにより、今までより興味の幅が広がったのかもしれません。そんな中で漠然とパリに行く機会があったら「ギュスターヴ・モロー美術館」には絶対に行きたいと思うようになりました。また写真集などでは分からないディテールを詳しく見てみたいと思うようになりました。今回の旅で行った美術館の中では1番行きたくて、実際に行ってみて良かった美術館でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 徒歩
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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コンコルド広場から地下鉄12号線でサン・ジョルジョ駅まで移動し、近くで遅い昼食をとってから「ギュスターヴ・モロー美術館」に向かいます。閑静な住宅街の坂の途中にその美術館はありました。
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フランス国旗が無ければ通り過ぎてしまいそうな周辺の建物と同じような外観です。小さなプレートを見落とさなければここが美術館だと分かるでしょう。
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1852年にモローはこのラ・ロッシュフーコー街にある邸宅に移り住み、自宅兼アトリエとしました。そして亡くなる前からこの邸宅を自身の作品の展示場にすることを考えて展示室も作りました。モローの死後に邸宅はコレクションと共に国に遺贈され、1903年に美術館として開館します。初代の館長はモローの教え子だったジョルジュ・ルオーでした。
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玄関から急な階段を登って左手に「キャビネ・ド・レセプション」と呼ばれる書斎があります。2003年の開館100周年を記念して公開された部屋です。20代のイタリア留学で描いたボッティチェルリやダ・ヴィンチやルーヴル美術館で描いた模写や、父から譲り受けたアンティークの品々が生前のままに置かれています。
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棚の上に置かれた古代の大理石のトルソやギリシャの黒絵式の瓶(へい)を見ると、モローの美的な指向がどこにあるのかが分かるような気がしました。壁にはダ・ヴィンチの天使像やポンペイの壁画の模写も掛っています。
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穏やかな秋の午後の日差しの中で1人佇んでいると、奥の部屋からモローが戻ってきそうな気になってきます。
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美術館としては非常に小さいモロー家の邸宅ですから、他に見学者がいなかったのは幸いでした。こんな階段で誰かとすれ違いたくありません。
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我々以外に見学者はいないので、まるでモローに招かれたような気分で部屋を見学して回れました。住宅部分には係員の人が1人しかいないので、逆に少々不用心な感じがしました。
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モローの寝室だった部屋の壁には隙間なく絵が飾られてています。これは19世紀の流行だったそうで、我が家の居間も古地図を同じように飾っています。
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壁には「アンドロメダ」や「ヘシオドスとミューズ」などの絵が掛っています。もっと近くで見たいのですが、部屋の入り口に仕切りがあり、その手前から覗くしか仕方ありません。
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この部屋を見た時に澁澤龍彦を思い出しました。J.K.ユイスマンスの「さかしま」を翻訳しているにしては自身の日記「滞欧日記」にはモローについてあまり記述がありません。
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日記には「モロー美術館。二階と三階。大作がずらり。入場料ロハ。もっと暗い家を想像していたが、意外に明るくて広い。おじさんにお金をやって、開くと絵がでてくるところを見せてもらう。日本の国立美術館のレッテルの貼られたカンヴァスがある。日本のモロー展は、こちらでも評判だったようである。スライドは日本で作ったものらしい。」とたった5行の記述しかありません。
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巨大なガラスドームの中には人工的に造られた木の枝の上に色鮮やかな小鳥の剥製がたくさんとまっています。この鮮やかな羽の色がモローの絵画の中にちりばめられていると感じ、ユイスマンの言うところの「美と廃頽の人工楽園」がここではないかと思いました。
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鏡の下にはシノワズリな花鳥画が置かれ、その左右には浮世絵を張り込んだ団扇が掛っています。日本趣味がモローにどこまで影響したかは分かりませんが、この美術館に飾られた作品からは感じられませんでした。
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「アンドロメダ」
見事な額に納められたのはペガサスに乗り、メデューサの首の盾を持ち、ポセイドンの海獣を退治してアンドロメダを助けるペルセウスの姿が描かれています。 -
1895年4月にモローは必要なワークショップを敷地内に建設することに決めました。彼はアルバート・ラフォン、若い建築家、彼の古い友人建築家エドゥアール・ルイ・デインビルの協力者を担当しています。
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右下の作品は33センチ×20センチと小さいですが、「ヘシオドスとミューズ」が克明に描かれ、その完成度は大きな作品に引けを取りません。さらに小さい作品は「レダと白鳥」です。
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父親のコレクションだったベルナール・パリシーのグロテスクな装飾陶器のコレクションが並んでいました。ポルトガルに行ったときカルダス・ライーニャのボルダロ社の陶器に魅了されて以来ずっと気になる作家です。
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澁澤龍彦の「ビザンティンの薄明あるいはギュスターブ・モローの偏執」によると「モローは夜間、ガスライトの光で絵を描いたといわれているが、かりにそれが伝説だったとしても、いかにも当時のデカダン派の芸術家の趣味にふさわしい伝説だというべきだろう。アンドレ・ブルトンは青年時代、提灯をもって、夜間、こっそりモローの美術館に忍びこむことをしばしば空想したと語っているが、これもまた、薄明のなかでこそ真価を発揮する、モロー芸術のビザンティン的性格を明かしたものと考えられる。」
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「たしかに、モローの好む海の底のような、洞窟の内部のような、多彩な光を内に秘めた暗鬱な絵画的空間は、金銀細工やモザイクを秘めたバジリカ会堂の内部のように、ほのかな明りによって却って、妖しい蛍光を発するばかりに輝くのではあるまいかと想像される。」
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3階に上がると天井の高いアトリエが広がり、下階の居住空間に対して開放的でとても明るい部屋です。そして壁を埋め尽くすモローの絵画はモロー好きなら言葉を失うであろう空間がそこにあります。
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そしてモロー自身がデザインしたと言われる美しい螺旋階段があります。1895年4月にモローは邸宅の改修工事をすることに決めました。そして若い建築家アルバート・ラフォンと古くからの友人で建築家のエドゥアール・ルイ・デインビルの協力を得ます。
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「求婚者たち」はホメロスの叙事詩「オデュッセイア」の一場面です。トロイア戦争後に数々の冒険の末に母国へ帰還した英雄オデュッセウスですが、留守中に彼の妻ペネロペへ求婚した幾多の者が宮殿の広間で傍若無人に酒宴を開催する姿を目の当たりにして弓で求婚者らを射殺したという話です。オデュッセウスは奥の扉の前で弓射る姿として小さく描かれています。
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目を惹きつけるのは画面の中央で空中に輝きながら浮かぶ女神アテネでしょう。オデュッセウスの方を向くでも無く、すべての登場人物がばらばらの方向を向いて物語が進んでいくような奇妙な感じがします。
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ペネロペーはオデュッセウスの弓を持ち、「この弓を扱える者と私は結婚する」と告げます。求婚者は次々と試すが失敗し、オデュッセウスはその弓で矢を12本の斧の穴に通します。弓を射るオデュッセウスの暗く小さな姿と対称的な求婚者の若く美しい姿が印象的です。
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オデュッセウスは首謀者アンティノオスの喉を矢で射抜き、息子や家来と共に他の求婚者たちをすべて討ち果たします。次いでオデュッセウスを裏切った侍女たちを絞首刑に処しメランティオスを殺す物語のクライマックスです。
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殺戮の続く悲惨な場面でもギリシャ神話だと何故か淡々としていて、さらに幻想的なモローの絵画に見惚れてしまいます。
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一つの画面の中で幾つもの物語が同時に展開しているようです。実際にホメロスのオデュッセイア叙事詩の第21歌から第23歌の場面が1枚の絵画の中に表されています。
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「アルゴ号の帰還」
船大工アルゴスが建造したことから彼の名が命名されています。イオルコスの英雄イアソンがコルキスの黄金の羊の毛皮(ゴールデン・フリース)を求める冒険のために建造されました。アルゴ船の乗組員には勇士50人が集められ、ヘラクレスや双子のカストールとポリュデウケス、リュンケウスや吟遊詩人のオルフェウスなどギリシア神話で活躍する英雄たちが乗込みました。 -
マストには黄金の羊の毛皮を意味する羊の頭蓋骨が吊るされています。右手を上げてマストに寄りかかるのがイアソンで、その前に座り船の行き先に視線を定めるのがヘラクレスでしょう。船首には白い牛の頭部が見えます。牛の頭部でありながら吸い込まれるようなその眼は人間のようです。その左右にはギリシャ神話やローマ神話に登場する半馬半魚の怪物ヒッポカムポスが見えます。
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航海の最初こそ50人もの乗員がいますが、先々の苦難で死んでしまうものや船を降りるものが数多く出てきます。旅の結果を知っていると華やかな船出とは思えなくなります。
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「アルゴ号の帰還」と言うと特殊撮影の先駆者レイ・ハリーハウゼンの「アルゴ探検隊の大冒険」を思い出します。映画ですと船尾に女神ヘラの像が置かれイアソンたちに神託を与えます。白い雄牛はゼウスの化身かもしれません。
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「戦いの間、歌をうたうティルテ」
スパルタ国王の娘イフィーズはラケダイモンの戦士ティルテとの婚礼のために国王リクルゴスに2人の馴初めを歌います。 -
リクルゴスが神殿から出てきて神託を伝え、イフィーズはメセナの勝利者に嫁がねばならないと告げます。それを聞いたティルテはラケダイモンの戦士たちを鼓舞しメセナ征伐に立ち上がると言う話の一場面です。
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躍動的な戦闘シーンは馬が生きているかのようです。イタリア絵画を思わせるような色使いですが、モローが動物園に通ってクロッキーを続けた賜物でしょうか。朝5時半に起きて7時までに動物園に行き、ポケットに昼食と葡萄酒入りの小瓶を持参してぶっ続けに動物たちを描いたそうです。
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「約束の地でサンダルを脱ぐモーゼ」
これは旧約聖書の出エジプト記から題材をとっています。神は言われた「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」 -
年老いたモーゼは老体を杖で支えながらもその眼光は鋭いです。ここまで民を導いてきた自負を感じます。
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ミケランジェロの彫刻やレンブラントの絵画にみられるようにモーセはしばしば角のある姿で描かれますがこれには2つの説があります。1つはヴルガタ訳の描写をもとにしたためで、元来ヘブライ語には母音を表す文字が存在せず、ヘブライ語で「角」を意味する語は「輝く」という意味にも解釈可能であり、現在の聖書の翻訳では一般に「輝く」としています。もう1つの説はヴルガータとは関係なくモーセの顔が光り輝くのを角のような形で表現したというものです。
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「世界を照らしに行くためにアポロンのもとを去るミューズたち」
随分長い題名の絵ですが9人の女神ミューズたちをモローはシンボルである竪琴と共に表現しています。太陽神アポロンはローマ神話の詩と音楽の神として知られており、ミューズはインスピレーションと芸術の女神達として名を上げられています。描かれているのはアポロンとミューズが詩の発祥の地であると言い伝えられているパルナッソス山の川辺にて休憩している光景のようです。 -
音楽の神で調和の主でもあるアポロンはパルナソス山に君臨して、娘たちが遠ざかって行くのを寂しく物憂げな眼差しで眺めています。娘たちも後ろ髪を引かれるのかアポロンを振り返ります。
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アポロンの後輪や玉座に座る姿はギリシャよりもっと東のヒンドゥー教の国を彷彿とさせるような下描きの線です。
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絵としては完成していないようですが、モローの中ではすでに出来上がっていたのでしょうか。迷いのない下描きの線がそう思わせます。
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「テスピウスの娘たち」
古代ギリシア神話に登場する伝説的英雄ヘラクレスの逸話のひとつで、キタイロン山のライオン狩りに向かったヘラクレスを歓迎するテスピオス王が、自分の50人の娘と1晩の内に交わらせ、それぞれに子をもうけたとされる話を主題とした作品です。 -
この作品ではヘラクレスが画面のほぼ中央に配されていますが、その様子は周囲に集う裸体のテスピオスの娘たちとの微妙な距離から、まるで苦悩している姿に見えます。
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ヘラクレスの座する台横の標柱には男性的な力の象徴である太陽と雄牛、女性の神秘性の象徴である月とスフィンクスが装飾されていています。
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「オルフェウスの冥府下り」
オルペウスの妻エウリュディケーが毒蛇にかまれて死んだとき、オルフェウスは妻を取り戻すために冥府に入ります。彼の弾く竪琴の哀切な音色の前に、ステュクスの渡し守カロンも、冥界の番犬ケルベロスもおとなしくなり、冥界の人々は魅了され、みな涙を流して聴き入ります。ついにオルフェウスは冥界の王ハデスとその妃ペルセポネの王座の前に立ち、竪琴を奏でてエウリュディケーの返還を求めます。オルフェウスの悲しい琴の音に涙を流すペルセポネに説得され、ハデスは、「冥界から抜け出すまでの間、決して後ろを振り返ってはならない。」という条件を付け、エウリュディケーをオルフェウスの後ろに従わせて送ります。目の前に光が見え、冥界からあと少しで抜け出すというところで、不安に駆られたオルふぇウスは後ろを振り向き妻の姿を見ましたが、それが最後の別れとなります。 -
「ヘシオドスとミューズたち」
ヘシオドスは自身の神統記の中で述べているところでは、少年時代にギリシャ南部のヘリコーン山の麓で羊飼いをしていた時にムーサイ(女神たち)から詩の霊感を授けられたということです。 -
ムーサは神々の王ゼウスと記憶の女神ムネモシュネの間に生まれた9柱の女神たちで、クリオが歴史、エウテルペが抒情詩、メルポメネが悲劇、タリアが喜劇、テルプシコレが舞踏、エラトが恋愛詩、ポリュムニアが賛歌、ウラニアが天文学、カリオペが叙事詩の守護者であったと伝えられています。
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9柱の女神たちはロードス島のグランドマスターの館のモザイクやブリュッセルのアール・ヌーヴォーの邸宅など、たくさんの建築や絵画や彫刻の題材になっています。
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ヘリオドスは羊飼いの姿をしているので、まさに9柱の女神から詩の霊感を授けられている場面なのでしょう。
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「エウロペの誘惑」
フェニキアの都市テュロスの王アゲノルの娘エウロペが侍女らと海辺で戯れる姿を見て、ゼウスが白く優美な雄牛に姿を変えてエウロペに近づき、エウロペが雄牛の背中に乗るとそのまま海を渡りクレタ島へと連れ去る話が題材です。サロンでは酷評を受けて長い間モローの自宅にて保管されていたそうです。 -
白い牡牛は海を渡ってエウロペをクレタ島へと連れ去ると、そこでゼウスは本来の姿を現し、エウロペとの間にミノスとラダマンテュスとサルペドンをもうけます。その後クレタ王アステリオスが3人の息子たちの義理の父になります。
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ゼウスはエウロペにクレタ島を護る自動人形のタロスと必ず獲物をとらえる猟犬となくなる事のない投げ槍の3つを贈り、再び白い雄牛へと姿を変えて星空へと上がり牡牛座になります。またエウロペが海を渡った西方の地域は、彼女の名前から「ヨーロッパ」と呼ばれるようになります。
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ゼウスは白鳥になったり牡牛に姿を変えたり女性を口説き落とすために様々な手を使います。そうしないと登場人物が増えないので、ギリシャ神話の登場人物が広がらなくなり、愛憎劇も減ってしまいます。
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エウロペの子供の1人がクレタ島のミノス王になり、クノッソス宮殿のミノタウロスの話へ繋がります。ミノタウロスは成長するにしたがい乱暴になり、手におえなくなります。ミノス王はダイダロスに命じて迷宮(ラビリンス)を建造し、そこに彼を閉じ込めます。そしてミノタウロスの食料としてアテナイから9年毎に7人の少年、7人の少女を送らせテセウスの物語に繋がります。
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アテネ発着の4泊5日のクルーズで立ち寄ったクレタ島のクノッソス宮殿のことが思い出されました。ヨーロッパを旅していて美術館を見学する度に地中海世界を旅していないとイメージが広がらないのと、興味を持つ度合いが違うと感じます。
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「アルベレスの戦いの後で逃げ出すダリウス」
紀元前332年のガウガメラの戦いはアケメネス朝の命運を決します。これはアレクサンドロスが東方遠征で勝利を得た最大の戦闘で、アケメネス朝のダリウス3世(ダレイオス3世)は再起を期してミディア方面へ逃走し、アレクサンドロスはダリウスを深追いすることなくバビロンへ向かうことになります。 -
「イアソンとメディア」
叔父から王位を継ぐためにアイエテス王の宝物である金羊毛皮を守護する怪物を退治するイオルコスの王子イアソンを描いた神話画です。画面中央で右手を掲げ己の勝利を確信するイアソンの堂々たる姿が配され、そのすぐ後ろにはイアソンに恋心を抱いたアイエテス王の娘メディア王女が寄り添っています。 -
「レダ」
ゼウスが白鳥に変身してスパルタ王テュンダレオスの妻であるレダを誘惑したというエピソードです。これはローマ時代の遺跡のモザイクにもなっているほど古くからの題材です。個人的にはキプロス島のパフォスの「レダと白鳥」を1番に思い出します。 -
ギリシア神話ではレダはカストールとポリュデウケス(ポルックス)のディオスクロイの双生児、後にミュケナイ王アガメムノンの妃となったクリュタイムネーストラとトロイア戦争の発端の1つとなった絶世の美女ヘレネの母です。
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白鳥だと思うと女性に首を預けて愛らしく見えますが、これがゼウスの化身で目的を考えたら生々しいですね。ルネサンス期における有名な「レダと白鳥」はコレッジョが描いたものですが、ダ・ヴィンチやミケランジェロも同じ題材の絵を描いたようですが現存はしていません。ルネサンス期までは性愛を題材に絵を描くことはタブーであったそうです。
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「キマイラたち」副題を「悪魔的デカメロン」
モローは自注において、「女と言うのはその本質において、未知と神秘に夢中で、背徳的悪魔的な誘惑の姿を纏ってあらわれる悪に心を奪われる無意識的な存在なのです。」 -
更に「子供の夢、官能の夢、異常な夢、メランコリックな夢、精神と魂とを果てしない虚空に闇の神秘の中に運び去る夢、それらすべてに七つの大罪が影を落としているに違いない。」
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「いまだに汚れない姿のままの萌芽から、奈落に咲く奇怪な妖花に生い育つまで、ことごとくが悪の権威のもと、この罪深い淫奔と悪徳の気圏のうちにある。」
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ほとんど下描きの線のままに終わっていますが、モローの頭の中ではすべて完成されていたのではないでしょうか。数十人の登場人物やヤギやヒツジや牛を見ているとそんな気がします。
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キマイラは中世のキリスト教の寓意では、主に淫欲や悪魔といった意味付けを持って描かれ、様々な生物の要素を併せ持つ事から女性を表すとされているそうです。ライオンの部分を恋愛における相手への強い衝動、山羊の部分を速やかな恋の成就、蛇の部分を失望や悔恨をそれぞれ表すとされたり、その奇妙な姿から理解できない夢の象徴とされるそうです。
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遠景にはゴシック風の尖塔が連なる大都市が広がります。寸分の狂いも無いような俯瞰図です。ロード・オブ・ザ・リングがCG技術が無ければ表現出来なかったであろう世界観をモローは1枚の絵で描けたのではないでしょうか。そんなことを思いながらしばらく絵の前を離れられませんでした。
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自分がリタイアしたら子供の頃のように油絵を描きたいと思っているのですが、その時が来たらこの実在しない都市を描いてみたいと思っています。描いている時間はこの年の中を1人彷徨えそうな気がします。
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「神秘の花」
聖母マリアを象徴的な主題とした作品です。マリアが座る白百合の花の茎を地面へと視線を下げるとキリスト教の殉教者たちが描かれていて、まるで積み上げられた肥料か何かのようで、ちょっと恐ろしいアリア像です。 -
ギュスターヴ・モローの晩年期を代表する宗教的作品「神秘の花」は画家が若き日に滞在したイタリアで過去の偉大なる巨匠たちの模写に基づいた作品です。玉座に座る聖母マリアを主題とし、画面の中央には聖母マリアの象徴であり純潔を意味する白百合の花が咲いています。
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聖母マリアの象徴と純潔を意味する白百合に座り、十字架を掲げ中央に据えられ、頭上には聖霊を表わす白い鳩が描き込まれています。イコノグラフの解釈としては死してなお巨大な白百合として神と共に在るというキリスト教(カトリック)の勝利といえます。
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この部分だけ見ると聖母マリアは東洋的と言うかインド的と言うか、大よそキリスト教の聖母には見えません。ヒンズー教か何かの女神のようです。
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「東方の三博士」
夜空に輝く星を頼りに救世主へ礼拝に向かう三博士の姿です。白い馬と白い装束の従者が三博士の衣装をより強調して見せます。 -
3人のうち2人の視線は星を追いかけ、1人は前方を注視しています。
モローの絵の場合は全員が青年の姿で描かれているので、どれがバルタザールでカスパールかメルキオールかは分かりません。 -
「メッサリーナ」
最初は若い男性が大理石像を運ぼうとしているのかと思いました。題名を見るとローマ皇帝クラウディウスの妻で悪女として名高いメッサリーナということが分かりました。 -
螺旋階段の途中からの眺めがまたいいです。登るごとに天井に近い絵画を観察することができて、下からだと光を反射して写せない絵も上手く写真に写せました。モローの空間世界を鳥瞰するにはここから眺めるのが良いと思います。
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3階に引き続きこれでもかというほどの迫力でたくさんの絵画が並びます。
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この美術館を訪問した時は偶然でしょうが我々以外には日本人の見学者が5名ほどいただけで、とても静かな空間で鑑賞することが出来ました。その方たちもしばらくするといなくなり、貸切りの状態で見学が出来ました。
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歩いていると床板のミシッと軋む音がアトリエ中に響きそうなほどの静けさでした。午後の自然光の中でモローの絵画を鑑賞できるのはとても贅沢な時間でした。木製の可動式スライドパネルには水彩画、淡水画、パステル画が収められ、モロー作品のほとんどの主題の作品を見ることが出来ます。
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生涯独身だったモローは身の回りの世話から金銭の管理まで全て母親に任せていました。モローにとって母は最愛の人で、留学中のイタリアから母に出した手紙には何度も愛の言葉を書き綴っています。母の肖像は40点近くも描き、音楽が好きで教養が高く優しく厳格な聖女のような女性であったと言います。モローは耳の不自由な母を気遣い、筆談で気持ちを伝え常に優しく寄り添っていたと言います。
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さらにもう1人モローが愛した女性がいました。寝室の奥にその女性のために捧げられた秘密の部屋があり、女性の名はアレクサンドリーヌ・デュエルといいます。10歳年下の女性で30年近く親しい関係を続けました。天使のような羽をつけて腕を組むモローとアレクサンドリーヌの絵をまるで恋する少年のような気分で描いています。母に似た善良で心優しい修道女のような女性だったそうです。
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晩年のモローはアレクサンドリーヌに会ってこう書いています。「私の最後の時にはあなたと2人きりになって手を握っていて欲しい。」しかし母親の死から6年後にアレクサンドリーヌもまた帰らぬ人となりました。愛する人たちを次々に失ったモロー。孤独の中でひたすら絵を描き続けました。
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「プロメテウス」
幾つかの習作と並ぶように完成された絵も飾られていました。 -
「プロメテウス」
ギリシャ神話の登場人物で、泥土から人間を創造することのできるティタン族のプロメテウスが火神ウルカヌスの鍛冶場から火を盗み出し人間へ与えたことでゼウスの怒りに触れて、カウカソス山頂に鎖で繋がれて肝臓を鷲に啄ばまれる罰を受ける姿です。 -
プロメテウスは神族なので死ぬことは無く、毎日毎日永遠に鷲に啄まれることになります。また真横を向けて遥か彼方へ向ける視線の先には何があるのでしょうか。ゼウスを見据えているようにも思えます。
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肝臓を啄ばむ鷲の姿は非常にリアルで、動物園でスケッチを重ねた技術の高さを感じます。
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プロメテウスは神族でありながら非常に人間的なものを感じます。小学校の時に学芸会で「プロメテウスの火」という劇をやったことを思い出しました。誰が何の役をやったのか、自分が何の役だったのかも覚えていませんが、ギリシャ神話の話とも知らずにいましたが、ストーリーだけは非常に強く覚えています。
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「ユリディスの墓の上のオルフェウス」
モローと長年恋人関係にあって、前年に亡くなったアレクサンドリーヌ・デュルへの追悼的作品として制作されたそうです。ギリシア神話に登場する吟遊詩人オルフェウスが、毒蛇に咬まれて死んだ妻ユリディスを冥界から救い出す話です。 -
「冥界を抜けるまで後ろを振り返らないこと。」を条件にされるが地上に辿り着く寸前に振り返ってしまった為に、ユリディスを失ってしまうというという悲しい結果になります。まるで古事記に出てくる伊邪那美を追いかけて黄泉の国に行った伊邪那岐が黄泉平坂で振り返ってしまう話と一緒です。
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「妖精とグリフィン」
岩山の洞窟の中に2頭のグリフィンが妖精を守っています。非常に暗い中にグリフィンが座っているので、よく見ないと見落としそうです。 -
アンドレ・ブルトンもモローの絵に魅せられた1人で、特にこの絵がお気に入りだったようで、夜な夜な美術館に忍び込んで眺めていたそうです。「モロー美術館で、女性の様々な顔やポーズを通して、私は美と愛の天啓を得た…、私はいつも夜ここに侵入して闇の中に潜むグリフィンの妖精に明かりを照らし、驚かせることを夢みていた。」とあります。
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ブルトンにとってのファム・ファタールだったと言う事でしょう。確かに魅力的な少し寂しげな眼差しです。モローの作品の中では特に完成されている感じがします。
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カルパッチョの「聖ゲオルギウスとドラゴン」を模写した作品です。1857年9月、モローは私費でローマ留学を開始し、1859年まで続くこの2回目のイタリア旅行ではローマ、フィレンツェ、ミラノ、ピサ、シエナ、ナポリ、ヴェネツィアを訪れています。このときモローはティツィアーノ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、システィーナ礼拝堂のミケランジェロの壁画を模写しています。
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「うつぼに投げ込まれる奴隷たち」
キケロの話ではナポリ西部にポッリオが建てたヴィッラ・パウシリポンでは魚の養殖を行っていて、ウツボの生簀に奴隷や気に入らない政敵を投げ入れていたと伝えています。 -
また別の話では1人の奴隷がガラス製の高価な杯を壊してしまいましたが、ポッリオは激怒し、この奴隷を生きたままウツボの養殖場に投げ込むように命令します。それを見ていた皇帝アウグストゥスはまず奴隷の失態を赦し、ポッリオの目の前で邸中のガラス製品を壊すよう命じたそうです。
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「トロイアの城壁に立つヘレネ」
ギリシャ神話の「パリスの審判」の結果、トロイアに奪い去られたヘレネを
取り返そうとして起こされたのがトロイア戦争です。表向きはスパルタ王テュンダレオスと王妃レダの娘であるが、実父はゼウス(白鳥に変身した)であり、実母はネメシスともされます。 -
メネラオスの妻となったヘレネは、イリオスの王子パリスの訪問を受けます。パリスは美の審判の際にアプロディーテからヘレネを妻にするようそそのかされていました。ヘレネはパリスに魅了され、娘ヘルミオネを捨てて、イリオスまでついていってしまいます。メネラオスとその兄アガメムノンらは、ヘレネを取り返すべく、イリオスに攻め寄せました。トロイア戦争に参戦した犠牲者の横たわる城壁に赤い花を持って立つヘレネは観音像のようにも見えます。
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「騎手」
25歳の頃の作品ですので、俗に言うモローらしさは感じません。影響を受けたと言われるドラクロワを感じさせるような強い動的な作品です。モローは国立美術学校時代にドラクロワを訪ねてこのまま学校に残ったほうが良いか尋ねますが、ドラクロワは、「君は美術学校で何を教わりたいのだ。教師連中は何も知らないよ。」と答えたそうです。 -
「入れ墨のサロメ」
目を閉じたサロメの妖艶な雰囲気をさらに助長しているのが、線で描かれたアラベスクのようなヒンドゥのような模様です。脇腹の眼は大きく開かれています。モローは晩年好んで作品に使用していますが非常に印象に残る手法です。 インドやペルシャの女性が腕などに施すヘナタトゥーを連想させます。 -
「レダ」
モローは何枚ものレダを描いていますが、こちらは先ほどの作品より10年も前の作品です。レダの姿はより中性的に描かれています。 -
個人的にはこちらの作品の方に惹かれます。
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「一角獣たち」
図版で見ていた印象で思っていたよりも小さい作品でしたが、強烈な印象を放つ作品でした。描き込まれた人物に対して曖昧な輪郭の風景があいまって、より幻想的な雰囲気を醸し出しているように思えます。未完成の背景が良いというのも変ですが。 -
クリュニー美術館にある「一角獣を連れた貴婦人」の6枚のタピスリーはモローが一角獣を主題して描き始めるきっかけになった作品だそうです。
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一角獣に見られる女性と動物というモティーフは、ラ・フォンテーヌの「寓話」の連作の中でモローが取り組んでいたものでもあるそうです。髪形と帽子を完璧にセットしながら全裸と言う姿の婦人ですが、一角獣に触れられるのは純潔の女性に限られるのですから余計に不思議です。
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この世の者とは思えない淡いぼんやりとした輪郭の一角獣です。俗世界の人間が触れようとしたらフワッと消えてしまいそうです。心の中を見透かされそうな透明な青い瞳も印象的です。
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画中のもう1人の印象的な女性は赤いドレスを着て一角獣を従えています。
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下描きの状態ですが髪飾りと胸元の宝飾品まで緻密に描かれています。一角獣へ向ける女性の眼差しの感情を押し殺したような視線は何を意味するのでしょうか。
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アトリエに最後まで置いていたモローの愛着が強い1枚だそうです。ただ未完成だったからではないような魅力ある作品でした。
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「出現」
J.K.ユイスマンスの著作で澁澤龍彦の訳によるの「さかしま」からの引用すると「聖者の斬り落とされた首は、敷石の床に置いた皿から浮き上がり、蒼白な顔、血の気の失せた開いた口、真っ赤な頸のまま、涙をしたたらせて、サロメをじっと見ている。」 -
「一種のモザイコ模様がこの顔を取り囲み、後光のように光輝いて、柱廊の下に幾条もの光線を放射している。おそろしい浮揚した首のまわりの後光は、いわば踊り子の上にじっと視線をそそしだ、巨大なガラス上の目玉である。」
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「おびえた者の身ぶりで、サロメは恐怖の幻影を押しやり、爪先だったまま、その場に動けなくなっている。彼女の人見は大きく見ひかれ、彼女の片手は痙攣的に喉を掻きむっている。」これは実際にはルーブルに収蔵されている「出現」についての描写です。
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「彼女はほとんど裸体に近い。踊りのほとぼりに、ヴェールは乱れ、錦繍の衣ははだけてしまった。すでに金銀細工の装飾と宝石しか身につけていない。胸当てが胸甲のように胴体をぴったり包み、見事な留金のような華麗な一個の宝石が、二つの乳房の間の溝に光を投げている。腰のあたりの下半身には帯が捲きつき、腿の上部をかくしている。また腿には巨大な瓔珞がまといつき、柘榴石やエメラルドを川のように引きずっている。最後に、胸当てと帯のあいだに見える素肌の腹は、臍のくぼみを刻んで大きく張り出している。臍の孔は、乳色と薔薇色の縞瑪瑙を掘り刻んだ小さな印章のようだ。」
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洗礼者ヨハネの首からはまだ血が滴り落ちていますが、その表情や視線には怒りも憎しみも感じられません。
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「人類の生」
聖書中の主題や神話の逸話から9つの場面を選定した祭壇画の大作です。こんな作品があるのはこの美術館に来るまで知りませんでした。9つに分割される場面は左から右へと朝、昼、晩と時間的経過を表していて、上段には旧約聖書に記された人類の誕生を示す「アダムとイヴ」の物語、中段にはギリシア神話に登場する吟遊詩人「オルフェウス」の物語、下段には人類の堕落を意味する「カイン」の逸話が描かれています。そして最上段の半円形のにはイエスの姿が見られます。 -
上段中央のアダムとイヴの恍惚を表すシーンです。1枚1枚は非常に小さい絵ですが緻密に描かれています。またタッチが違うので同じ作家の作品とは思えない感じがしました。
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2段目中央の吟遊詩人オルフェウスの歌で、青い空に赤い衣が印象的です。
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青い空に満月が上がり、スフィンクスの像の前にオルフェウスは立ちます。そして竪琴を奏でながら詩を語ります。
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天使の青い翼とオルフェウスの着衣の青さが印象に残る作品です。またその筆のタッチが更に強調していると思います。剥製になっていた小鳥たちの羽の色はこんなところに生かされているのかもしれません。
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竪琴を失い悲しみにくれるオルフェウスです。彼の悲劇は最愛の妻エウリュディケを失い、冥界にまで行きながら連れ帰れなかったこと。更にディオニソスの怒りに触れて、マイナス達に八つ裂きにされてしまいます。川に投げ捨てられた頭と竪琴はレスボス島まで流れ着くと言う物語が続きます。
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「一角獣」
先の一角獣たちの全裸で横たわる帽子の女性を思い出させます。興奮した一角獣をなだめる女性の落ち着きを感じさせます。 -
マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」を読んでいると、いたるところでモローの絵を比喩に使って登場人物を描き出していることを思い出しました。
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「ゼウスとセメレ」
ゼウスは密かに人間の姿に変身してセメレと交わり、子供を身籠らせます。それを知ったゼウスの妻ヘラは嫉妬心を燃やします。ヘラはセメレの乳母であった老婆に化けて相手の本当の身分を明かすようそそのかします。セメレはこの忠告を聞き、ゼウスに「願いを一つ聞いてほしい」と持ちかけます。ゼウスが「ステュクス川に誓う。」と約束するとセメレはゼウスに真の姿を見せるように言います。 -
雷火をまとった神の姿を現せば生身の人間では耐えきれずに焼け死んでしまいますのでゼウスは約束したことを後悔します。しかしステュクス川にかけた誓いは神と言えど背けないのでやむなく変身を解きます。セメレ灼熱の閃光に焼かれて絶命してしまいます。
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ゼウスが本来の姿を現した後と言う事はセメレは死んだ後と言う事になります。ゼウスの感情の無い表情と、とらえ所の無い視線が不気味です。
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「ディアネイラの略奪」
古代ローマの偉大なる詩人オウィディウスの詩集「変身物語」に記されるヘラクレスの妻である美しき河神ディアネイラが、河の渡し守をしていたケンタウロスのネッソスに連れ去られようとしている場面です。 -
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「キリストと二人の盗人」ゴルゴダの丘で十字架に架けられるキリストと同時に処刑された盗人の姿です。1人は眼を見開きキリストを仰ぎ、1人は顔を背け下を向きます。下を向く男の顔は人間から悪魔に変わっていくようにも見えました。イエスと共に十字架に磔にされた2人の男の名は、デュスマスとゲスタスと呼ばれる罪人です。
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この時代の磔刑では十字架につけられて即死することは無く、刑を受ける者は両手首と両足首を釘でうちつけられ、体を支えられなくなることで呼吸困難に陥って死に至ったそうです。イエスと共に十字架につけられた2人は安息日に死体が十字架にかかっていることを嫌ったユダヤ人たちの依頼で、安息日を迎える前に足を骨折させて窒息死させられます。イエスの死を確認するため、ロンギヌスが槍で脇腹を突き刺した痕も見る事が出来ます。
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「アレクサンダー大王の勝利」
紀元前326年にインド北部のポロス王率いる軍がアレクサンダー大王軍に敗北するという史実を題材にしています。勝利したアレクサンダーは巨大な玉座に座ります。背後の山には白亜の宮殿がそびえ、これだけの空間を1枚の絵に閉じ込めてしまうと見ている者は絵の中に吸い込まれるような錯覚に捕らわれます。 -
ギリシャのテッサロニキでアレクサンダーはこの近くで生まれ育ったのかと感慨に耽ったことがあります。その後トルコでイスケンダルケバブを食べながら、イスケンダルってアレクサンダーの事だけど美味しいなと思いました。シリア国境近くのハタイに着く前に通った小さな街、イスケンダルも大王に由来する地名だったと聞きました。
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敗北したポロス王も輿の上に姿が見えます。線描きの象の軍団は既にアレクサンダーに打ち破られた軍団の幻影でしょうか。象のリアルな動きを単純な1本線で現したモローのデッザン力に驚きます。これも動物園でのデッサンの賜物でしょう。
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「ユピテルとセメレ」
この作品はモローが亡くなる3年前に、わずか4ヶ月で仕上げたと言われる作品です。この美術館で一番感動した作品と言っても過言ではなく、明るく輝くゼウス(ユピテル)と絶命したセメレの周りは非常に暗くその中でたくさんの物が蠢いているような感じがします。全体には暗いのですがその部分部分には鮮やかな色が使われています。すべての色を混ぜ合わせると黒になるそのギリギリのところだと思いました。 -
主題のユピテルとセメレは主神ゼウス(ユピテル)と結ばれ、その子を身篭ったテバイ王の娘セメレに嫉妬する女神ヘラ(ユノ)に「お前の愛する男が本当に神であるか確かめてみよ」と唆されたセメレが、ゼウスに1度だけ本当の姿を見せて欲しいと懇願し、ユピテルが仕方なく神の姿に戻った途端、セメレの身体が神の威光(稲妻とされる)に焼き尽くされたとされる話です。
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ゼウス(ユピテル)とセメレの他にもサテュロスやファウヌス、ドリュアスやハマドリュアス、天使、妖精、聖鳥(鷲)など神話や宗教を問わず様々な要素がモローの独自的解釈に基づきながら取り入れられています。
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セメレが雷(いかずち)で絶命しても全く感情の無いゼウスの姿はおおよそギリシャ神話の神には見えません。他の絵では線描きになっている所も着彩され、この絵が完成されているだろうことを想像させます。
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ゼウスは何を見つめているのでしょうか。
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絶命しながらもゼウスを見つめるセレメの姿が痛々しいです。泣きながら飛び去る天使の翼を持ち、サトゥロスのような足をした者はインド風の腰布を巻いています。
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円柱の装飾も全く余白が無い息の詰まりそうなデザインです。それはギリシャ風でもローマ風でも仏教やヒンディーでも無いモローのオリジナルを感じます。
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悲しみにくれる天使の姿が画面の左右にあります。右手の青い衣は男性のようです。この部分だけでも1枚の絵画として成立しています。青い衣装はインドの腰巻のようです。
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左手の天使は女性のようです。そもそもこれらがキリスト教で言うところの天使かどうかも分かりません。
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神話画とも宗教画とも言えないような作品です。緻密で繊細な線描に複雑で計算しつくされた色彩、無秩序なようで調和を感じさせる不思議な絵です。
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フォーンに似たサテュロスの姿のようです。上半身が人間で下半身が山羊というのが最も多いサテュロスの姿でヤギの角が生えていますが、翼が映えている意味は分かりません。画面上部のゼウストセレメの場面とは全く違う次元にいるかのような視線です。
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ドリュアスのような精霊の姿も見えます。唯一感情が現われた表情のある顔です。
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細かいディティールを見ているとボマルツォのオルシーニのパルコ・デ・モストリを思い出しました。あの怪物の庭園を彷徨いながら木々の間や土の中から現れる怪物やニンフの姿に驚かされた時のような気分です。
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モローの絵の中を彷徨い歩いていた気分だったのかも入れません。イタリア各地を旅行したモローはフィレンツェとローマの間、ヴィテルボ近くのボマルツォには立ち寄らなかったのでしょうか?
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庭園の入り口にも一対のスフィンクスが置かれてありました。この美術館の中で一番印象に残った最高の作品だと思いました。
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モローが描いた油彩の自画像は、若い頃のこの1点のみだそうです。今回訪れた美術館の中で一番良かった美術館でした。偶然ですがほとんど観覧者がいない時間に見学できたのは本当に幸運なことでした。
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最後にモローのサインを。
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念願のモロー美術館の見学もできたので大満足ですが、この日4件目の「ルーブル美術館」を見学しないと予定変更する残り時間はありません。
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この旅行記へのコメント (3)
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- Latinaさん 2011/12/07 11:06:36
- モロー美術館とても好きです。
- 写真、しっかり撮ってこられましたね。
10年ぐらい前に行った時の記憶がまざまざと甦り、とても幸せな気持ちに
なりました。
場所が不便なせいか私が行った時も
やはり他に客はいませんでしたので、
ゆっくり若い頃の習作まで見ました。
ヨーロッパは小さくてステキな美術館がたくさんありますね。
拝見して、思わずコメントさせていただきました。
有難うございました。
-
- 大目付さん 2011/12/07 10:14:47
- kojikojiさん お早うございます。
- モロー美術館は是非行きたい美術館です。これまでパリへは2回行きましたが、未だ実現されていません。ここには是非行きたいです。
「G・モロー」は学生時代傾倒した作家の一人です。特にインパクトのあるこの絵に強い興味を持ちました。モロー美術館へ行ったら、丸1日ここで過ごしてしまいそうです。
オルセー美術館にも何点かの作品がありました。
〜大目付〜
- kojikojiさん からの返信 2011/12/07 13:49:47
- RE: kojikojiさん お早うございます。
- 大目付さん
旅行記を見ていただきありがとうございました。
モロー美術館は私にとっても長年行きたかった所でしたので、階段を上ってアトリエに入った時は感激しました。今回は予定を組み間違えて一日に4つの美術館に行かなければならなくなりモロー美術館も2時間ほどしか時間が割けませんでした。次にパリに行ったとしてももう一度行くと思います。そしてその時は半日ぐらいいてスライドパネルの作品もじっくり見たいです。
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