2011/10/22 - 2011/11/06
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kojikojiさん
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パリ滞在中の約10日間で廻ったパサージュは全部で19か所になりました。パリのパサージュに興味を持ったのは1996年発売の「月刊太陽12月号」のパリ物語という特集を読んでからでした。この特集は後に同じ平凡社のコロナブックス「パリのパサージュ 過ぎ去った夢の痕跡」という本になっています。とても詳しい本でパリで見掛けた洋書のパサージュ巡りの本と比較にならないほどです。2000年の年末年始のミレニアムのパリ旅行でも妻と2人で数か所は廻りましたが、今回は滞在期間も長いので全部訪ねるつもりでした。パサージュの多くはセーヌ右岸に広がっているので、他の観光の合間に見て廻ったので4日ほどかかりました。中には観光向きではない所も多数ありましたが、長年の思いが達せられた思いでした。パサージュについて旅の途中で立ち寄ったナントのパサージュ・ポムレの3階建ての美しさには驚かされました。またこの旅の後に行ったロンドンやブリュッセルやヨーロッパ各地のパサージュにも興味を持ち、数々の都市を訪ねるきっかけにもなりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 徒歩
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今回の旅の最初のパサージュはサン・マルタン運河クルーズが終わって東駅まで戻って、サンドニに住んでいる姪のアパートを訪ねた後から始まりました。「パサージュ・ブラディ」はサン・ドニ門の近くにあるとってもエスニックな地域にあり、イスタンブールの下町のような雰囲気を懐かしく思い出しました。
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この日の遅いお昼はロトンドに面したインド料理店「プージャ」にしました。ぎりぎりランチタイムに間に合った感じで、食事の後にパサージュを散策してからもう一度通るとお店は閉まっていました。
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店内は薄暗いのでパサージュの明るいガラス屋根の下で食事することにしました。久しぶりにメイトの食事でしたが、パリ滞在中は何度食事に行ったことか。
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シンプルな切妻型のガラス屋根の乗ったパサージュです。エントランスのゲートが無ければただのアーケード通りのような感じがします。日本の地方都市にある市場通りのアーケードの雰囲気も感じます。
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久しぶりの再会を祝って白ワインで乾杯しました。姪はまだパリに移住して数か月だったので、義理の兄夫婦も心配していました。妻も次の旅の行き先にフランスを選びたそうな雰囲気は感じたので、当初考えていたベルギーとオランダの旅は次の機会にしました。
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姪も何を考えてのことなのか、サン・ドニ通りというあまり風紀上もよろしくない場所のアパートメントの1部屋を間借りしているので少々心配なところもあり、兄夫婦に代わって様子を見に来たわけです。
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ランチメニュが数種類あって9ユーロからで本格的インド料理が食べられます。3種類のカレーにチーズナンが付くのが嬉しいですね。
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これがチーズナンですが店のオーナーが自慢するだけあってとっても美味しかったです。チーズナンは熱々のうちに食べるのがお勧めです。
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タンドリーチキン付のちょっと高いコースもあります。そのコールはステンレスのプレートではなくて陶器のお皿でサービスされます。
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このバターチキンカレーも絶品でした。自宅の近所にもインド系の方やネパール系の方がカレーのお店を開いていますが、世界中で頑張っているのだと思います。
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ビリヤニも美味しかったです。後で知りましたが、このお店は地球に歩き方にも載っていました。姪のアパートに近いので、店のおじさんに「この子、この近くに住んでいるので食べに着たらよろしくね。」とお願いして店を出ました。
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お店のご主人にシャッターを押してもらいました。
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食事の後はパサージュ巡りをスタートしないで、姪のアパートを見に行きました。パリによくある古い建物の6階で、もちろん螺旋階段だけでエレベーターもありません。通りの突き当りにサン・ドニ門が見えます。
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アパートを見た後は「パサージュ・ブラディ」に戻りました。フォーブル・サン・ドニ通りとフォーブル・サン・マルタン通りをつないでいます。現在営業しているお店はインド・パキスタンの料理店に絨毯屋に香辛料屋などが軒を連ねています。
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ガラス張りの天井からは明るい日差しが降り注ぐので怪しい雰囲気は感じられません。観光客は少ないエリアではありますし、サン・ドニ門をわざわざ観光で来る人もいないと思いますが、パリのエスニックな一面を楽しむには良い所です。
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ストラスブール大通りまで抜けると新しいアーケードに変わっています。このパサージュは1828年に名前の通りにブラディによって造られますが、華やかさは長続きせずにすぐに古着屋や読書クラブが増えたそうです。1970年代に入って現在のような店に変わり「リトル・インディア」と呼ばれているそうです。
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ストラスブール通りに出てしまうと魔法が解けたようにエスニックさは消えてしまいます。
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ただその先にはアーケードにはなっていませんが、エスニック料理屋が並んでいます。ここも通りの名前的には「パッサージュ・ブラディ」のようです。
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この辺りのストリートアートもハヌマーンみたいなサルがいたりして雰囲気が違います。
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分電盤の落書きも面白いです。
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「パサージュ・ブラディ」の後もパサージュ巡りを続ける途中に「レピュブリック広場」を通りました。ここもパサージュ巡りでもしなければ観光客があまりくるエリアではなさそうです。
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第3共和政期の1883年にこの広場にフランス共和国の擬人化した象徴であるマリアンヌ像(自由の女神像)が置かれ、台座には自由と平等と博愛を擬人化した女神像が取り囲みます。 パリで行われるデモ行進や集会はここからスタートすることが多いそうで、旅行中にもここでけが人が出るような集会があったようです。
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「パサージュ・ヴァンドーム」は「レピュブリック広場」から歩いて数分のところにありますが、周囲の喧騒とうって変わって静かな通りです。
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このパサージュは1670年に解体されたチャールズ5世の修道院の敷地内にあるフィールデュソヴール修道院の敷地の一部に1827年になって建設されました。通りの中央の階段は、周囲の地面と比較して元々の敷地の高さを残しています。
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店の半分は営業していないか日中は閉まっている店でした。お金を掛けた造りの割には開発当初から人気が無くて現在に至っているようです。左右対称の内装などは基本的に開業当時のままのようです。ここにはタンブル大通りとタンブル市場からの通行客を当て込んだ一流店が並んだそうですが、テナントはすぐに格落ちしてうらぶれたそうです。
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賑わっていないパサージュには必ず怪しい寿司屋とかエスニック料理店が入っていることが後々分かってきます。サイゴンで入った事のあるフォー24に似たようなチェーン店でした。
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そして日本人の経営ではない寿司屋まであります。赤ちょうちんはディスプレイであって書いてある料理がある訳ではありません。ヨーロッパにある少し怪しい寿司屋や和食の店は韓国系の方が経営しているのがほとんどです。あれだけに本を嫌いながら不思議だなと思いつつも利用してしまうことがあります。
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パサージュは優雅な建築から開業後はすぐに人気を博しましたが、そのあとは不明確な理由で急速に衰退し、開業後わずか数年で見捨てられたそうです。1987年にパリ市の歴史的建造物に指定されているので、美しく生まれ変わることを願います。
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「サン・ドニ門」の完成からわずか2年後の1674年に同じ通りの200メートルほど東に「サン・マルタン門」が出来ました。高さは17メートルの石造の門で ルイ14世のオランダ・ドイツ・スペインの3国同盟に対する戦勝記念として建てられました。ルイ16世の時代の「ヴァレンヌ事件」が起こります。フランス革命によりクーデターを起こそうとする民衆から逃れ、マリー・アントワネット王妃が子供達と国外脱出を試みるのですが、その逃亡を手助けする王妃マリーアントワネットの愛人であるハンス・アクセル・フォン・フェルゼン伯爵が、国王一家を乗せた馬車に同乗して自ら手綱を引き、通り抜けたのがパリの北側にあるこの「サン・マルタン門」でした。
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「パサージュ・ヴァンドーム」からは一度サン・ドニ門まで戻りました。門の横には「ルネサンス劇場」があります。この劇場は1838年に創業以来、喜劇や大衆演劇を上演し、サラ・ベルナールのジスモンタが上演されたところです。アルフォンス・ミュシャが初めてサラのポスターを手掛けたことで有名です。この年の春にプラハでミュシャ美術館を見たばかりだったので感慨深く思えました。
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「ルネッサンス劇場」自体は1838年にアンテノア・ジョリーがビクトル・ユーゴーとアレクサンドル・デュマの提案によって創設しました。1872年に建築家シャルル・ドラ・ランドの計画により、パリ・コミューンでの戦闘中に焼失したレストラン・デ・フィウの跡地に新しいイタリア式の劇場が建てられました。
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窓の中央には劇場を想像させるギリシャ喜劇の仮面が置かれ、アーキレトーブを支える女性像はカリアティードです。アテネのアクロポリスの丘にあるエレクテイオンの6体のカリアティード像が有名です。男性の場合はテラモーン又はアトラスが天の蒼穹を肩で支えます。
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「パサージュ・デュ・プラド」は「パサージュ・ブラディ」近くのフォーブル・サン・ドニ通りとサン・ドニ大通りを繋いでいます。ということでこのパサージュもエスニックの雰囲気が満載な通りになっています。
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プラドと言う名前はマドリードのプラド美術館から取ったものらしいのですが、その経緯は分かっていないそうです。
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ガラスアーケードの化粧梁が美しい連続のデザインになっていますが、昔は瀟洒な照明器具が付けられていた後には無粋な蛍光ランプが明るさを確保するためだけに付けられています。
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L型に折れた通りの折れ点には美しい円形のロトンドが残されています。
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アール・デコの雰囲気も感じられます。突き当りには「オテル・デュ・プラド」という安ホテルが営業しています。いったいどんなお客を相手にしているのか…。多分ここで扱っている商品に関わった商人宿なのでしょう。
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100%観光客には関係のないショップばかりが営業しています。不法移民が多いのであまり写真は撮らない方が良いような雰囲気は多少ありました。
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奇妙なデザインはアール・デコ様式のようなのはこのパサージュがリニュアルされたのがパリでアール・デコ博が開催された1925年だったからだそうです。
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インド・パキスタン系の食料品屋やアフリカ系の床屋やDVD屋に食堂が軒を並べ、この一帯で仕事をして生活している人のためのアーケードのようです。
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パサージュ巡りでもしていなければ絶対通らない所です。往時を偲べるのはガラス張りの天井だけです。夜になったら明かりが灯って多少はきれいに見えるかもしれませんが、危険な雰囲気も増すので夜景を撮ろうとは思いませんでした。
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サン・ドニ大通り側に抜けてきました。
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「サン・ドニ門」まで戻ってきました。元々はパリの城壁があった所に残った門で、パリに残る門では一番古いものです。ルイ14世のライン河での戦勝を祝って1672年に造られました。パリには4つの門がありますが、エトワール凱旋門とカルーゼルの凱旋門、サン・ドニ門とサン・マルタン門なので、今回の旅ではその全てを見ることになります。
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最初の門は角々に4つの塔を持つ立派なものだったようですが、戦争や老朽化のたびに壊されて、現在のものは5代目でナポレオンが再建したものだそうです。サン・ドニは「聖ドニ」と言う意味で、3世紀のパリの初代司教で殉教者です。「ノートルダム大聖堂」の最後の審判の門に自分の首を持った姿の彫刻が残されています。関所であるこれらの門を出入するときには通行手形のようなものが必要だったそうで、それをエ・チケット(一枚のチケット)と呼び、礼儀作法などの意味のある「エチケット」の語源になったそうです。
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1672年に建築家フランソワ・ブロデルと彫刻家ミシェル・アンギエによって建てられたこの時代の芸術の代表作でもあります。
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「パサージュ・デュ・ポンソー」は同じくサン・ドニ大通りに面しています。良く見て歩かないと通り過ぎてしまいそうな普通の路地のような入り口です。
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入ってすぐの天井は往時を彷彿させるようでもありますが、入っているテナントは洋服の仲卸しみたいな店ばかりで、今までに見てきたパサージュ以上に観光客には縁の無いところです。そしてお約束の寿司屋がありました。
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ポンソーとはフランス語でひなげしの花という意味らしいですが、ここを歩いていてアグネス・チャンの曲が流れていたら泣いてしまいそうです。
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長期間ヨーロッパを旅していて、たまたま入った中華料理店でテレサ・テンの曲が流れたりするとそんな気分になることがあります。
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梱包用の段ボールなんて落ちていてもお構いなしです。観光地ではありませんから。
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セバストポール大通り側のエントランスです。「パサージュ・デュ・ケール」がまだにぎわっていた1826年に、柳の下のどじょうを狙って開業されましたが、一度も日の目を見ることも無く180年以上の年月を耐え忍んだパサージュです。
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セバストポール大通り側のファサードは多少往時を思い出させる雰囲気が残っています。コロナブックスのコピーの通り、ないないづくしのパサージュです。「不人気ゆえによく残る」というパサージュの法則と本にも書かれてあります。
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パリ市内の離れた所にパサージュがポツンとあるのだと途中で心がくじけそうになりますが、サン・ドニ大通りを軸に数か所が比較的近距離にあるので何とか続けられます。セバストポール大通りに出ると「パサージュ・デュ・ケール」の入り口が近くにあります。
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この当時はまだエジプトには行っていませんでしたが、ちょっとオリエンタルな雰囲気を感じる床のモザイクタイルです。パサージュの名前のケールはカイロのフランス語読みです。
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ここも現在は「パサージュ・デュ・ポンソー」と営業形態は似たような洋服の仲卸の店が軒を連ねています。
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ここは狭い通りに梱包材やらいろいろな物が置かれています。暗黙のうちに何十センチまでは置いていいようなルールがあるように思えました。搬出入用の台車の幅が1つの基準なのだと思います。
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パサージュ・デュ・ケールが造られたのは18世紀末の1798年で、ナポレオンによるオリエント征服の真っ只中でした。ナポレオンは軍隊だけでなくモンジュやドゥノンなどのオリエント学者や画家などを引き連れ、オリエントの文化を手に入れようとしていました。
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ナポレオンの部隊がエジプトに攻め入って勝利を収めたというニュースがパリに伝えられると、パリでは空前のエジプトブームが起こりました。そのためファッションや建築もエジプト風が流行し、パサージュ・デュ・ケールもそんなエジプト熱の中で開発業者によって作られたパサージュでした。
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1798年に建築家プレトレルによって作られたパサージュ・デュ・ケールは修道院の跡地にできたパサージュです。19世紀には流行のモード店やカフェ、書店やおもちゃ屋などが入っていましたが、7月王政以降に人通りが絶えてしまうと、ジャーナリズムの人気も相まってテナントは活版印刷屋や製本屋や名刺印刷屋などに変わります。
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その後パサージュは徐々に放置されて寂れていきます。当時のガイドブックでも評価はとても低く、「パリ一の長さ」だけが注目されていました。その長さは今でも健在で、パサージュの入り口も複数あり、一度入ると迷宮に入り込んだような気分になります。
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こんな微妙な角度で交差しているのですから仕方ないかもしれません。
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パサージュの近くにはサンティエという繊維街があり、移民によるアパレル卸売業者がたくさん集まる場所であることも関係しているようです。
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新しく開発されたこの辺りはナポレオンが戦勝した土地の名前がついているそうです。そういえば隣の通りはアレクサンドリアでした。
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ハトホル女神像のあるパサージュの入り口の前にシャンポリオンというカフェがありました。ちなみに店の名前のシャンポリオンはロゼッタストーンを解読しヒエログリフを解明したことで有名なフランスの研究者ジャン・フランソワ・シャンポリオンのことです。
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3階の外壁に飾られたのはエジプトの重要な女神であるハトホルを模したレリーフです。牡牛辞め牛の東部を持つ女神の姿もあるので、このレリーフの女性も牝牛の耳を持っています。窓の楕円形のデザインは王の名前を囲むカルトゥーシュではなかろうかと思いました。4階との間にもエジプトをモチーフにしたレリーフが描かれています。
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エジプトの「王家の谷」から一山超えた「ハトシェプスト女王葬祭殿」の礼拝所のレリーフを見たときに、遠く離れたこのパサージュの像を思い出しました。
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エントランスの軒にもレリーフが残っていました。ここまで傷んでいるとエジプトのオリジナルより状態が悪いかもしれません。
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描かれているのは有翼太陽円盤と2匹の聖蛇ウラエウスです。こちらも「ハトシェプスト女王葬祭殿」のレリーフです。
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しばらくサン・ドニ通りを南下すると「パサージュ・デュ・グラン・セール」があります。ここはパリのパサージュと言ってガイドブックに載せられる観光客が行っても楽しめる所だと思います。
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建設時期は1825年とされていますが定かではないようです。ここも御多分には漏れず経営的に成功したとは言い難いようで、1862年には公的機関の手に渡り、その後120年以上放置され1991年にやっとリニューアル・オープンしたそうです。
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グラン・セール(大鹿)という名はここに元々あった大鹿館という名のホテルの名前に因んでつけられ、改装にはそのホテルの枠組みが再利用されました。
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怪しいアンティーク店の奥にはアラビア語バージョンの仁丹の看板までありました。ようやくここにきて楽しいパサージュ巡りになってきました。妻と姪も一緒なのでここに来るまでは肩身が狭い思いでした。
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新しくリノベートされていますが気持ち良いパサージュです。ここまでに見てきたうらぶれたパサージュもいつの日かこんな風に甦ると良いのですが、周囲の環境までも変わらないと難しいのではないかとも思います。ただ、この後老朽化が進むパサージュがどうなるか分からないので、このタイミングで全部周ることが出来てよかったと思います。
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今回の旅では買い物には重点を置いていなかったのでウインドウショッピングばかりでした。前回来たときは買い物に時間がかかって思ったほど行動できなかった苦い思い出があります。特にアンティーク店は時間がかかってしまいます。
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花屋の店先には妻の好きなアマリリスの花がありました。そう言えばルイ・マル監督の「地下鉄のザジ」でザジがこのパサージュを駆け巡るシーンがありました。
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物思いにふけっていると妻と姪に置いていかれそうです。妻1人なら少し先で待っていますが、姪が一緒だと本当にどこかに行ってしまいそうです。
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ここは大阪の道頓堀か通天閣のある新世界かと思わせるような変わった看板の店もありました。
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同じようなサン・ドニ通りに面しているのに復活するパサージュと出来ないパサージュのこの違いは何でしょう。
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オシャレな花屋さんやカフェが並び、ここにはフォー屋や寿司屋の提灯もありません。
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ガラス張りの花屋さんのウインドウは本当に綺麗でした。
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通りを歩いている人も観光客ではなくて地元の人のようでした。そして今まで見る事の無かった子供の姿もあります。
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時間があればゆっくりと見て回りたいようなお店ばかりです。
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グラジオラスに白いユリにバラと王道の花が並んでいます。
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この後はこんなパサージュが続くと思うとちょっとホッとしました。
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このパサージュでさえ120年ほど放置されていましたが、1985年に買い手が付いて1991年に開業当時の面影を残した姿に生まれ変わったそうです。
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随分奥行きのある花屋さんです。店の中に牡鹿のハンティング・トロフィーが飾ってありました。
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グラン・セールとは大鹿と言う意味ですからなるほどなと思いました。
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サン・ドニ通りを挟んで少しずれた位置に「パサージュ・ブール・ラベ」があります。建築家はオーギュスト・ルソンにより1828年のパサージュの第2次ブームのさなかに開業しています。
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こちらもオシャレにリノベートされているようです。ここまでずっと切妻型のガラス屋根でしたが、ここは半円形の優雅なカーブが美しいです。
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明るい雰囲気のアンティーク店もありました。
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観光客は少ないですがパリっぽさを感じるアーケードです。
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パサージュの2階っていったいどうなっているのでしょうね。あまり見る機会が無いので気になっていましたが、NHKの街歩きの番組でパサージュ・ジュフロフを紹介していていろいろなことが分かりました。ガラス屋根は明り取りと雨除けと防寒という実用性があることは目で見て分かりますが、地下に暖房設備を設けているパサージュもあります。19世紀としては快適な商業施設だったのだと思います。
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看板のトンボの翅の翅脈(しみゃく)というすじがパサージュのガラス屋根の枠と重なって見えました。
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サン・ドニ通りの入り口から入って、パレスト通りに出るとファサードのデザインがかなり違いました。建築家アンリ・ブロンデルの手によるもので、彫刻はエメ・ミレによる工業と商業を擬人化したカリアティード(女性柱)が見事です。
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パレスト通りのファサードを写真に撮っていると地元の女性に話しかけられました。素敵なマダムでしたがこの入口上部のレリーフについて説明してくれました。このレリーフはフリーメイソンに関係しているという内容でしたが、最初は「ビーハイブ」の意味が分からなかったのですが良く紋章を見ると蜂が飛び回る中央には養蜂箱がありました。養蜂箱はフリーメイソンの重要なシンボルの一つで工業を表わしているそうです。
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パリの引っ越し屋さんはこのようなリフトを使うのが当たり前のようです。日本の常識ではちょっと危険な感じもしますが、パリの住宅のエレベータ事情と階段の狭さを考えると理に適っている気もします。
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少し歩き疲れたので「ル・パン・コンティディアン」で一休みしました。ムール貝の「レオン・ブリュッセル」もそうですが、ベルギーからもたくさんの店が進出しています。
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ビオが流行りのパリでは人気がある店のようです。
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妻が見ているのはガイドブックを拡大コピーしたものです。A5サイズ程度の本は持ち歩きやすいですが、いちいち老眼鏡を使わないと読むことが出来ませんが、これならば老眼鏡は必要ないし、不要になった文は捨てられるし、書き込みもマーキングも気になりません。
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パリの町歩きを10日間しましたが、一番役に立ったのは全ての通り名が網羅された20区ごとの地図でした。これがあればどこにいるかすぐに分かりました。もちろんスマホで現在位置を確認する方法が一番なのは分かっていますが、旅している気分がそがれるような気がします。
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店の前の壁に貼ってあったミッキーマウスも良く見ると…。数千枚はあろう小さい写真の集合体でした。
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モントルグイユ通りにあるパリで一番古い「パティスリー・ストレー」にはパリの歴史的な建物などに置かれるスタンドがありました。この看板は見落とししないためには便利ですが、フランス語表記なので読めませんが。この点はスマホの翻訳ソフトが活躍します。
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「パティスリー・ストレー」はポーランド王スタニスワフ1世の娘マリーが、フランス王ルイ15世に嫁いで来た際に一緒にやってきた菓子職人が後に独立して、1730年にモントルグイユ通りにパティスリーを創業したことに始まります。
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シェフのニコラ・ストレー氏によりオープンされたパリ最古のパティスリーは、フランス菓子のひとつとして有名なババオラムもこの店からパリの人々へ広められました。
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スモークサーモンやトリュフを使ったブリオッシュ、フォアグラのエクレアなど
見た目がケーキのような惣菜も魅力的です。こんな店が近所にあったら破産しそうです。 -
店先にはエリザベス女王が来店した際の写真が絵葉書になって売っていました。
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「エスカルゴ・モントルグイユ」そのまんまの店名ですね。看板に金のカタツムリが可愛かったので写真に撮りましたが、店の中にもたくさんいました。
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この日は7つのパッサージュを散歩して廻りました。パリに残る19の内の7つです。残りは12のパサージュは数日かけることになりました。その続きは次の旅行記で紹介します。
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「サン・トゥスタッシュ教会」はレ・アールのショッピング街に堂々と構えるゴシック様式の構造とルネサンス様式の装飾を持つ教会で、ノートルダム大聖堂を手本に16世紀の1532年から建築が始められて17世紀に完成しています。
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フランスの彫刻家アンリ・ド・ミラーの作品「聴く」は男の頭が横たわって手に寄りかかっている砂岩の彫刻で、広場の中ほどに置かれてあります。周りをフェンスで囲われているのが残念ですが、登りたくなりそうな雰囲気は持っています。
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この教会には古い時代の名画から現代アートまで幅広い作品が収蔵され、ルーベンスの「エマオの晩餐」が礼拝室の1つに飾られています。また貴重なものでお宝ともいえるキース・へリングが世を去る直前に残した、ブロンズとホワイトゴールドの緑青の三連祭壇画「キリストの生涯」も礼拝堂の1つに飾られています。
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このような形でフライングバットレス(飛梁)をデザインした教会建築は初めて見ましたが、その美しさに驚きました。
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レ・アールを離れてルーブル宮の方まで足を延ばしました。F・ソレール(文化通信省)の建物の外観のデザインが綺麗でした。パリの空と雲を表現しているそうです。
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ルーブル・デ・ザンチゲールは仲がすべてアンティークショップになっています。2000年の年末にも立ち寄った思い出の場所ではありますが、どれも高くて手が出なかったのですが。
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美術館の見学は後日に予定していますので、無料のエリアだけ見学することにしました。パサージュ・リシュリューから中に入ってみます。
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リシュリュー翼の1階と半地階にまたがる2つの中庭が覗けました。この中庭に展示されているのは18世紀から19世紀のフランス彫刻です。
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マルリーの中庭はルイ14世の離宮である「マルリー城」の庭園に設置されていた彫刻を中心に展示されています。マルリー城の庭園を手がけたのは「ヴェルサイユ宮殿の庭園」や「チュイルリーの庭園」で有名なアンドレ・ル・ノートルです。
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ナポレオンの広場に入ると巨大なガラスのピラミッドが現れました。小さな3つのピラミッドに囲まれた中央の大きなピラミッドは、ルーヴル美術館のメイン・エントランスとして使用されています。初めてパリに来た1988年はこの中庭は掘り返されて工事中でした。
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1874年までにルーヴル宮殿は現在の構成のほぼ正方形の宮殿本体と、中庭の東に面する最古の建築物シュリー翼とナポレオン広場の北に面するこのリシュリュー翼と広場の南に面するセーヌ川沿いのドゥノン翼があります。
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こちらは地下1階からドゥノン翼を見上げたところです。さすがに夕方なので見学書の姿も減っています。
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10日後にもう一度見学に来る予定なので無料のパンフレットなどを貰っておきました。
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前回の2000年から今回の2011年の間にダン・ブラウン原作のロン・ハワード監督の映画「ダ・ヴィンチ・コード」が公開されていたので現場を確認するためにここへやってきました。
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映画のエンディングで、ラングドン教授がローズ・ラインに導かれてルーヴル美術館にたどり着き、ルーヴル・ピラミッドの前に跪くシーンが印象的です。ルーヴル・ピラミッドの地下には、ソニエールによって運び込まれたマリアの棺が安置されていました。
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この上下の三角が合わさって聖杯の形となるわけです。「聖杯伝説」は西ヨーロッパでは人気が高く、古来から様々な物語に用いられてきました。ワーグナーの「パルジファル」やそれに触発されて書かれたジュリアン・グラックの「アルゴールの城にて」と「漁夫王」、エリオットの「荒地」だどがあります。映画の「インディ・ジョーンズ」や「ダ・ヴィンチ・コード」もその1つです。
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横では家族連れが自撮りしていますが、姪っ子ちゃんとおばちゃんも記念写真です。
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我が家も記念写真を撮っておきましょう。
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地下のショッピングエリアには「ラリック」のショップが昔からあります。23年前はロジエという藤色のパチネ彩色でぶどうと鳥をデザインしたものを母へのお土産に購入しました。妻と来た11年前はブーゲンビリアの花器と買ってきたので今回も記念に1つ購入しました。
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地下のショッピングエリアを歩いているうちに日が落ちて空が青く染まってきました。この日3つ目の門は「カルーゼル凱旋門」です。チェルイリー宮殿だった公園内のカルーゼル広場に位置し、1806年から1808年にかけて前年のナポレオンの勝利を祝するために建設されています。
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振り返るルーブル宮殿の中庭の美しさも言葉になりませんでした。
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街灯にも明りが灯り、ライトアップした「カルーゼル凱旋門」と「エッフェル塔」もきれいに望めました。
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ドゥノン翼の宮殿もきれいにライトアップしています。手前の「ルイ14世騎馬像」はバロックの巨匠ジャン・ロレンツォ・ベルニーニに王自らが依頼しましたが、出来栄えが気に入らず破壊を命じたといわれます。しかしこの原作にフランソワ?ジラルドン が帽子を被せ、足元に炎をあしらったことで残されました。
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姪と3人で散歩を続け、カルーゼル橋をぶらぶら歩きました。そのまま緩い坂道をリュー・デュ・バック駅まで歩きました。
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その道すがらにあったギャラリーに飾られている作品に惹かれました。モザイクタイルや陶器や廃材みたいなものを組み合わせて不思議な世界感を醸し出しています。
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小さい作品は欲しいと思わせるものがあります。陶芸家の方だこの作品のためにパーツを造っているのであろうことは想像できました。
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キャプションなどが置いてなかったのでどれの作品なのか調べようもないのが残念です。ギャラリーの名前も写真に残っていませんでした。
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そのまま緩い坂道をリュー・デュ・バック駅まで歩いて、地下鉄に乗ってモンパルナス駅まで戻りました。
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パリでは毎日何度も地下鉄に乗りました。東京と同じくらい路線が蜘蛛の巣状に張り巡らされていますが、すぐに慣れてしまいました。
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姪の希望もあって「シェ・レオン」のモンパルナス店に来ました。この店に来るのは初めてでしたが、フリッツのおいしさに嵌まりました。ラードで揚げたポテトは初めてだったかもしれません。この店ではおかわりが必須です。
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大きなココットでやってきたのはムール貝です。3人で2つ注文しました。この数年後にブリュッセルの本店にも行きましたし、フリッツに至ってはブリュッセル中の美味しい有名店巡りまでしました。
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ムール貝のエスカルゴ風だったり、どれも美味しい料理でした。ムール貝の種類はリヨン風だったりフランス各地の味が選べますが、これはブリュッセルには無いので、正直ブリュッセルよりパリの味の方が好みでした。
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食事の後はほろ酔い気分で姪を地下鉄駅に見送りに行きます。モンパルナスのガイテ通り辺りにはクレープやガレットのお店が数多く営業しています。
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これはモンパルナス駅からTGVでクレープの本場のブルターニュ地方への電車が発着するからだそうです。
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雰囲気の良いテアトル・リヴ・ゴーシュのファサードは画家のピエール・クレイエットの作品です。姪をガイテ駅に送ってホテルまでブラブラ夜風に吹かれて帰ります。
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2011年当時はタンタンの映画が封切りされたばかりだったので人気が最高潮だったようです。「ロータス・ブルー」のこの人形がかわいかったのですが、値段は全くかわいくありませんでした。
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パリのパサージュ巡りは1日で7か所巡れましたが、残り12か所を巡るのに3日掛かりました。パサージュ巡りは【後編】に続きます。
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この旅行記へのコメント (2)
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- ちーやさん 2012/01/09 10:46:44
- はじめまして!
- これはすごい記事ですね。
パリは3回行きましたが、パサージュへは一度も行っていません。
この旅行記を参考に、次回はぜひパサージュ巡りをしたいと思います。
素敵な記事をありがとうございました。
- kojikojiさん からの返信 2012/01/09 17:51:56
- RE: はじめまして!
- はじめまして。
参考になって良かったです。苦労して何日も歩いた甲斐がありました。
今回の旅行記でも一番最後になってしまったのですが、この休みで頑張って
完了した矢先にお便りをいただきありがとうございます。
パサージュについては調べれば調べるほど深みにはまりそうなのですが、
コロナブックのパサージュの本はとてもよく出来ていると思うので興味が
あられたら本屋さんで覗いてみてください。
今回行った先ではナントの3階建ての素晴らしいパサージュもありました
のでお時間がありましたら覗いてみてください。
ありがとうございました。
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