2011/10/22 - 2011/11/06
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kojikojiさん
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「プティ・パレ美術館」の後はクリスマス・イルミネーションの取付工事の始まったシャンゼリゼを歩いてコンコルド広場に向かいます。広場は先日見て回ったのでそのまま「チェルリー公園」に入って「オランジェリー美術館」の前で一休みしました。この辺りはロマ(昔はジプシーと差別用語で呼ばれていた人たち)の人達が多いので注意が必要です。写真を撮っていたらアンケートと言いながらジャケットの右ポケット辺りをポンポンたたいてきます。上からポケットの中身を探っている訳です。他には目の前で指輪を拾った振りをして「落としましたよ。」と目の前に差し出すおばさんが現れたり。アンケート用紙はボロボロだし、指輪はガス管のソケットみたいだし、あまりに古典的な手法が未だに若い子に踏襲されているのが哀れです。初めてヨーロッパに行った二十数年前を思い出しました。さて「オランジェリー美術館」へはミュージアムパスで入場できるので荷物はクロークに預けます。カウンターには注意事項のペーパーが置いてあり、1階のモネの睡蓮は撮影と携帯電話の使用が禁止で、地下のギョームコレクションはフラッシュを使わなければ撮影は可能でした。お昼前に入場しましたが思っていたほど混雑もなく、落ち着いて見学出来ました。モネの睡蓮の大作も素晴らしかったですが、地下のギョームコレクションも素晴らしかったです。この作品はここにあったのだと改めて本物に出会えて至福の時間でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 徒歩
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
シャンゼリゼをコンコルド広場に向かって歩いていると何人ものツタンカーメン達に会いました。テリトリーがあるのか等間隔にベンチに座っています。立っていれば仕事中と分かりますが、座っている場合は休憩中なのか分かりません。
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振り返るとエトワール凱旋門が見えます。マロニエの葉も色づいて冬がやってくることを予感させます。そしてクリスマスのシーズンも。
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コンコルド広場のオベリスクまでツタンカーメンは続いています。
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この旅で何度もやってきたコンコルド広場です。
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今日もエッフェル塔が綺麗に見えます。この2週間でパリもだいぶ涼しくなってきたようで、街路樹のマロニエも落葉も進んでいます。ただ観光するには程よい気候なので助かりました。
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コンコルド広場にもツタンカーメンがいました。何日か前もいましたから自分の縄張りみたいなものがあるのでしょう。ただ顔が分からないので同じ人かどうかは分かりません。
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「マドレーヌ寺院」を左手に見ながら「チェルリー公園」に向かいます。この日は広場にアンケートと称して近寄ってくるロマの女の子がたくさんいました。2週間前に「サクレ・クール寺院」で見掛けた連中でしょうか。ちょっと写真を撮って油断していると右腰辺りをポンポンとたたいて「アンケート!」と声を掛けられます。たたきながらポケットの中身を確認しているのでしょう。更に今度は目の前で指輪を拾う振りをして見せる人まで。
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二十数年前にも出会った手法を未だに使っていると考えると、その手法はもっと大昔からあったのかもしれませんね。カラヴァッジオの手相を見るロマの女の子が相手の指輪を狙っている絵がルーブル美術館にありますが…。絵の中から抜け出たような気もします。
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「チェルイリー公園」のこんな所にル・ノートルの胸像があったのは知りませんでした。今回予定に組み入れられなかった「フォンテーヌブロー宮殿」と「ヴォー・ル・ヴィコント城」はいずれ行きたいと思いました。ロワール渓谷で古城と庭園を沢山見るのとヴェルサイユ宮殿に行くからと変更したスケジュールですが、今から思えば残念でした。
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「チェルイリー公園」の高台に上がるとコンコルド広場の景色もちょっと違って見えます。パリ市の紋章の帆船を模した街灯は本当に美しいと思います。
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広場に面しておかれた女神像はフランスの8都市を擬人化したものです。
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この景色を眺めていると何度目かだけどパリに来て良かったなと思いました。
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何人かの指輪拾いのおばさんの相手をして「オランジェリー美術館」に到着しました。もっと混んでいるかと思いましたが、興ざめする程の人しかいませんでした。
クロークに荷物を預けて身軽になって見学に移ります。クロークやキャッシャーには禁止事項の案内の紙が置かれていました。もちろんフロアにもピクトが貼られていました。 -
この当時は1階のモネの睡蓮は撮影と携帯電話の使用が禁止になっていました。地下のギョーム・コレクションはフラッシュ禁止の撮影は可能で、企画展の撮影は勿論禁止です。
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エントランスはトップライトの明かりがふんだんに入っていますが、モネの展示してある楕円形のホールは光の量などの調節をしているようでした。「マルモッタン美術館」で数点の作品を見てから「オランジェリー美術館」に来て良かったと思いました。逆だったらマルモッタンの印象が薄れたと思います。
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睡蓮を観た後は地下へ降りてギョーム・コレクションの見学に移ります。ファサードの部分を見ると分かりますが、もともとはチュイルリー宮殿のオレンジ温室(オランジュリー)でしたが、1927年にモネの睡蓮の連作を収めるために美術館として整備されました。
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地下に降りた右手の長い廊下にはルノワールの作品ばかりが並んでします。トップライトからの自然光で柔らかいルノワールの色調が感じられる素晴らしい展示です。
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ルノワールの回廊は「バルコニー席の花束」から始まります。パリに来る前は正直ルノワールの作品はあまり好きではありませんでしたが、2週間も旅している中で自分の中に変化があったようです。
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「横たわる裸婦(ガブリエル)」
ルノワール家の家政婦だったガブリエルがモデルとなった裸婦像で、幅160センチと比較的大きなサイズの作品です。横たわるヴィーナスやオダリスクを連想させる構図ですが、ルノワールの興味は豊満な肉体と色彩であろうことは想像できます。 -
「バラをさしたブロンドの女」
以前は好きでは無かった色使いに惹かれます。モデルのアンドレ・マドレーヌ・ウシュリング(愛称デデ)は後に女優になり、ルノワールの次男で映画監督のジャン・ルノワールと結婚しているそうです。この作品が描かれた当時のデデは16歳か17歳だったそうです。 -
「ピアノを弾く少女たち」
フランス政府から依頼を受けてルノワールが制作した作品のうちの1点です。絵の中に登場するアップライトピアノは18世紀末に開発され、19世紀には工場で量産可能になったことで中流階級の家庭にも普及します。女性達のあいだでピアノのレッスンが流行したそうです。 -
「ランドスケープ」
1901年に描かれたポール・ゴーギャンのこの絵はおそらくヒバオアのマルケサン島の風景を描いています。ゴーギャンが1901年9月にマルケサス諸島に向けてタヒチを去った直後に描かれたもので1903年に亡くなっています。これらの風景の中でゴーギャンはまだ手つかずの自然界の美しさを称えています。 -
「新しき水先案内人、ポール・ギョームの肖像」
アメディオ・モディリアーニは1914年に詩人マックス・ジェイコブの紹介でポール・ギョームに出会いました。アートディーラーとしてスタートしたばかりで23歳のポール・ギヨームは自信のあるエレガントな若者として描かれています。 -
彼の姿は赤い背景で際立って、暗いスーツと帽子は彼の顔と白いシャツと対照的です。顔の平面的で明確な特徴が目を惹き、煙草を持った左手はほとんど描かれていません。
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「Novo Pilota」新しき水先案内人という言葉は展示された作品や画家の人生を知るとなるほどなと思えました。
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ポール・ギヨームの邸宅の模型が展示してありましたが、この模型の出来がまた素晴らしくまるで部屋をそのまま写真に収めたようです。そして美術館に展示された絵がどのように飾られていたのかが手に取るように分かります。
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この美術館の地下に展示してある作品が彼のコレクションであったことが理解できました。それをそっくり寄付してしまうお金持って…、一生かかっても理解できないでしょう。
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何年かの後にスリランカのコロンボのジェフリー・バワの自宅に泊ったことがありますが、その時に感じた安らぎがこの模型からも得られました。実際の邸宅はさぞかし居心地が良かったのだろうかと思います。
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「人形を持つ子供(子供の肖像)」
学生時代の教科書に出ている程度の知識しか無かったアンリ・ルソーですが、ここに展示してある絵は明るくて好きになりました。ルソーと言えばナイーブ・アートのような筆致と「蛇使いの女 」や「飢えたライオン」のような作品の印象が強かったのですが、改めて勉強したいと思った作家です。 -
「結婚式」
ルソーは素朴派を代表する画家です。パリの税官吏として働きながら日曜画家として絵画制作をはじめました。平面的な彩色と単純化した形体の独自の様式で、パリの風景や人々や猛獣のいる幻想的な風景を描きました。この作品は木立の中で花嫁を中心に人々が集う記念写真のような作品です。後列右から2人目がルソー本人と言われ、花嫁の宙に浮かぶような表現や前列に座る黒い犬が、不思議な雰囲気を画面に与えています。クロアチアで見るナイーブアートを思い出させます。 -
「赤いキュロットのオダリスク」
アンリ・マティスはフォーヴィスム(野獣派)を主導した画家として有名です。パリに出てルオーやドラン、ヴラマンクらと出会い、強烈な色彩と激しい筆致の作風を確立しました。1917年から南仏ニースに滞在し、モロッコ旅行の体験をもとに、オダリスクを主題とする装飾性豊かな作品を描きました。オダリスクはオスマン帝国においてスルタンなど君主のハレムで奉仕する女奴隷のことで、トルコ語では「部屋」を意味するオダリクと呼ばれます。18世紀から19世紀にかけてヨーロッパでオリエンタリズムが流行するにつれ、絵画の題材として好まれました。 -
「グレーのパンツをはく女奴隷」
オダリスクはオスマン帝国においてスルタンなど君主のハレムで奉仕する女奴隷のことで、トルコ語では「部屋」を意味するオダリクと呼ばれます。18世紀から19世紀にかけてヨーロッパでオリエンタリズムが流行するにつれ、絵画の題材として好まれました。 -
「青いオダリスクまたは白い奴隷」
パリでマチスの作品を見ていて、妻が「ジャズ」シリーズをはじめマティスが好きだったことを初めて知りました。後に行ったアムステルダム市立美術館やサンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館の新館にお連れしたら大層喜んでもらえました。 -
「櫛を持つ女性」
個人的にピカソのはほとんど興味が無かったのですが、バルセロナのピカソ美術館で青の時代の作品からばら色の時代の作品に惹かれました。この作品もその頃の1906年に描かれています。紙にガッシュで描かれていますが、見入ってしまう作品です。 -
「白い帽子の女 」上の作品と同じような筆致を感じますが1921年の新古典主義の時代に描かれています。モデルはこの当時の妻のオルガと言われています。息子のパウロが生まれたのもこの年です。筆致も似ていますがこの作品は油彩でした。
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「タオルを使う裸婦」
ピカソの新古典主義時代の裸婦を描いた作品です。ジャン・コクトーは「大きな正方形の手が石の布を持つ牛の目を持つジュノン」と表現しています。座った女性は不釣り合いに大きな手でドレープの一部を握り、右肩を覆っています。頭を下げて目を閉じています。古代の影響に加えてルネッサンス絵画の影響も見られ、ローマのバルベリーニ宮殿のラファエルのフォルナリーナの肖像画はピカソにインスピレーションを与えたかもしれません。 -
「水浴の女」
この絵画でピカソは記念碑的な女性のヌードを描いています。巨大で彫刻的なプロポーションはこの女性の姿と誇張されたドレープの存在は、古代ギリシャ彫刻の女神のようです。これらのピカソの作品はポール・ギョームと妻のドメニカ・ウォルターによってコレクションされています。 -
アンドレ・ドランはアンリ・マティスらとともにフォーヴィスム(野獣派)の運動において指導的役割を果たした画家です。風景、人物、静物などさまざまな画題の作品を描いています。作風もポール・シニャック風の点描に近い技法を用いた風景画からキュビスム風の静物画まで幅広い作家です。
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「アルルカンとピエロ」
アルルカンはイタリアの即興喜劇のアルレッキーノのフランス版と言ったところでしょうか。道化役者の代名詞ですね。英語読みするとハーレクインです。そしてピエロはずるがしこいアルルカンに上手い事操られているような気がします。フォーヴィズの作家にしてはシックな色使いで大好きな作品です。彼らの哀愁に満ちた表情と絵の中から楽器のさびしい音色が聞こえてきそうな気がします。 -
「画家の姪」
当時十数歳だったアンドレ・ドランの最愛の姪のジュヌビエーブ・ジェリーを描いています。思慮深い姿勢で手首を握って座っています。彼女の視線は見る者から目をそらして何かに没頭しているように見えます。この姿勢はドランが大いに賞賛したカミーユ・コローによって描かれた女性の姿を思い起こさせます。また緑の背景は画家のジャック・ルイ・ダビデの描く背景に似ています。 -
「画家の姪」
1919年のドランは義理の妹のスザンヌ・ジェリーとその娘のジュヌビエーブ・ジェリーをパリのボナパルト通りの自宅に迎えました。この作品はドランの最も美しい肖像画の1つで、ここでドレインはジュヌビエーブを等身大で描いています。 -
こうやって部分にすると非常に落ち着いた肖像画に見えるのですが、全体像を見ると不思議なポーズを取っていることが分かります。フランスを旅した年に生まれた姪が大きくなるにつれて可愛さが増し、ドランの気持ちが少しは分かった気がします。
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「ギターを持ったハーレクイン」
もう1枚のアルルカンの作品です。舞台の描き割の様な薄っぺらな背景が余計哀愁をそそります。ドランとパブロ・ピカソと共に絵を描いていたスペインの画家サルバドールは、ポール・ギヨームの依頼を受けたハーレクインとピエロによる別の絵画の2人の人物と同様に、この絵のためにモデルになりました。 -
「ベルノ商店」
今回の旅でモンマルトルの町を訪ねていなければユトリロに興味は持たなかったかもしれません。モーリス・ユトリロはモデルで画家のスザンヌ・ヴァラドンの息子でした。彼はモンマルトルやパリの北部で母親と祖母と一緒に住んでいます。初期のアルコール依存症への転用を見つけるために絵を描くことを奨励され、モンマルトルの母親のアトリエを共有しました。 -
画面右端に見えるのは1912年に完成したサクレ・クール寺院の鐘楼で、左に「メゾン・ベルノ」が見えるこのアングルは、絵葉書に基づいているそうです。ユトリロは当時パリから遠く離れたアン県に住んでいた時期にこの作品を描いています。そしてこのお尻の大きな女性を見るとシャンゼリゼの老舗のステック&フリット店の給仕のお姉さんを思い出します。もう完全にパリの魔力に憑つかれてしまったようです。
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「旗を掲げた集会所」
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「ノートルダム大聖堂」
ユトリロは25歳になるとより複雑なモチーフを探求し始めます。彼の作品には再び印象派の特にモネによるルーアン大聖堂の連作の影響が現れ始めます。1895年にモネのルーアン大聖堂の連作はパリのポール・デュラン・リュエル画廊に展示されているので、ユトリロはそれを見た可能性が高いといわれます。 -
「ベルリオーズの家」
モンマルトルのランドマークの1つであったベルリオーズの家は、モン・スニ通りとサン・ヴァンサン通りの角にありました。作曲家エクトル・ベルリオーズと彼の妻は、ユトリロが本作を描くよりもずっと以前の1833年から1837年の間この家に住んでいました。1911年にキュビスムの画家ジョルジュ・ブラックが家の中にアトリエを作った頃、ユトリロは本作を描き始めて数年後に完成させます。この時期は「白の時代」と呼ばれ、ユトリロは白にさらに厚みを持たせるためにモルタルのような二次元構造を作り上げるために漆喰を加え、ブラシではなくパレットナイフを使ってキャンバスに塗りつけたそうです。 -
「モン・スニ通り」
ユトリロはしばしばパリ郊外に住んでいたにもかかわらず、母親シュザンヌ・ヴァラドンがパリのコルトー通りにアトリエを持っており、後に息子が使うようになりました。また自分の寝室の窓からモン・スニ通りを見ることができ、この場所の眺めをいくつも描いています。通りはモンマルトルの丘に向かう坂に建っているのでパリを見渡せました。 -
「若い英国女性」
シャイム・スーティンの作品は全て誇張された歪みが魅力ですね。スーティンは風景や人物や静物などさまざまな題材を描きましたが、どの作品も激しくゆがめられた形態で、荒々しく大胆なタッチに幾重にも塗りこまれた不思議な色遣いが特徴です。静物画では動物の死骸を好んで描いています。有名画家となったスーティンは、やがて自分が描いた作品の幾つかをコレクターや美術館から取り戻すようになり、その晩のうちに絵を引き裂いてしまったという逸話も残っています。 -
「マドモアゼル・シャネルの肖像」
1907年にサロン・ド・アンデパンダンに初出展した頃にブラックを介してモンマルトルにあったバトー・ラヴォワール(洗濯船)という安アトリエで、パブロ・ピカソや詩人で美術評論家のギヨーム・アポリネールと知り合います。アポリネールと出会った時に彼は27歳でローランサンは22歳でした。2人は恋に落ちますが1911年にアポリネールがモナ・リザ盗難事件の容疑者として警察に拘留された頃にはローランサンの恋愛感情も冷めてしまったようです。その後もアポリネールはローランサンを忘れられず、その想いを歌った詩が彼の代表作「ミラボー橋」です。 -
31歳でドイツ人男爵オットー・フォン・ベッチェンと結婚したことによりドイツ国籍となり、同年に第1次世界大戦が始まると、マドリッドからバルセロナへの亡命生活を余儀なくされます。大戦後にパリに戻ったローランサンは、パステルカラーの簡潔で華やかな夢見るような少女像という独特の画風を作り上げ、フランス史上狂乱の時代と称された1920年代に時代を体現した売れっ子画家となります。パリの上流婦人の間ではローランサンに肖像画を注文することが流行となったといいます。ちなみにココ・シャネルはこの絵が気に入らなくて支払い (受け取り) を拒否し、ローランサンは描き直しに応じなかったという曰くの作品です。
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「犬と女性たち」
妻はローランサンが気に入ったようで、一度見学した後に写真を撮っておいてほしいとお願いされました。絵は買ってあげられないけれど、それくらいはお安い御用です。 -
「ポール・ギョーム夫人の肖像」
フランス南東部生まれのジュリエット・ラカゼは1910年代後半にパリに移住しました。素晴らしい美しさと個性の中で彼女は芸術的な前衛と肩をこするモンパルナスのキャバレーで働いていました。ここはポール・ギヨームと知り合い、1920年に彼女と結婚すると彼女はドメニカの愛称で呼ばれるようになります。 -
特に作家と描かれた人との人間関係を知った上で肖像画を見ると今まで見えなかったものが見えてくるような気がします。オランジェリー美術館の地下に展示された絵画のバックボーンを知るだけで、「パリの狂乱の20年代」を知る事が出来た気がします。
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時代はアール・ヌーヴォーからアール・デコに移行したようで、髪型やドレスからその時代の流れを感じることもできます。
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ギョームさんのブロンズ像がお見送りしてくれました。モネの睡蓮にも圧倒されましたが、地下の展示室でパリの1つの時代をじっくり勉強できました。
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午前中に美術館を2つも廻ってしまうと頭の中が飽和状態になってしまいました。チェルイリー公園のベンチに座って少しクールダウンします。
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朝1番で「プティ・パレ美術館」を訪ね、「オランジェリー美術館」の後は「ギュスターブ・モロー美術館」へ行って、最後は「ルーブル美術館」へも行かなければなりません。3週間もパリと周辺にいながらこの体たらくです。
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「ルーブル美術館」は目の前ですが、水曜日は午後10時まで開館しているので先に「ギュスターブ・モロー美術館」へ向かいます。
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オベリスクとシャンゼリゼ越しに凱旋門が綺麗に見えます。台座の東面にはラテン語で由来が記されてあります。
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この赤い自転車は夕方遅くまでこのまま留め置かれていました。
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通りの反対側にも同じように自転車が停められています。多分毎日ここへ停める人は同じで、暗黙のルールがあるのでしょうね。
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コンコルド駅の壁面のタイルには1枚1枚アルファベットが焼き付けられています。横に読んでいくと…、人間の自由と平等、人民主権、言論の自由、三権分立など17条からなるフランス革命の基本原則であるフランスの人権宣言が読み取れるそうです。
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人権宣言を読んでいるのではなく、午前中に2か所の美術館を回ったのでお疲れのようです。
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パリの地下鉄駅は駅ごとの特色があって楽しかったです。目的の駅以外にも降りてみたいと思わせるホームがいくつもありました。しかし、今までで一番美しかったのはモスクワの地下鉄駅で、20以上の駅のホームの写真を撮りに行ったことがあります。
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12号線のトリニテ・デスティネ・ドルヴ駅で降りて、近くにあったお寿司屋さんで昼食にしました。さすがにお腹が減っているのと、そろそろ日本食の醤油の味が恋しくなりました。
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お店は近くの会社の人がランチに来ているようでほぼ満席でした。こういった店のほとんどは韓国人の方が経営しています。韓国の人は日本人が嫌いなのに何で日本食の店を経営するのかが理解できません。
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刺身と寿司は基本的にサーモンで、マグロや他のネタはありません。ガリも日本の物と変わらないし、サーモンは北欧からの輸入だと思いますが、結構おいしいです。
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ちゃんとアサヒスーパードライも置いていました。悔しいけど五臓六腑に染み渡る美味しさでした。
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ランチのセットメニューにはつくねの焼き鳥と白ご飯もついています。日本人だと白ご飯が嬉しいですが、パリのフランス人は焼き鳥のタレをご飯にかけて食べていました。
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奥は普通のキッコーマンの醤油ですが、手苗は焼き鳥のタレです。こちらも美味しかったです。ここでお昼を食べてかなり元気が回復しました。若い頃は1か月以上日本食を食べなくても大丈夫でしたが、歳を重ねるに連れて体が欲してきます。
元気になったところで午後の美術館巡りです。
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この旅行記へのコメント (2)
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- サウスピーチさん 2011/12/24 04:15:16
- ヴォー・ル・ヴィコント城
- kojikojiさん、
すみません・・・。 続けての書き込みになってしまいました。
ツタンカーメンがベンチに座っている写真、笑いのつぼにハマってしまいました!
奇妙だけどカワイイような・・・。 爆笑―!
kojikojiさんとは逆に、私達の昨年のフランス旅行では、ロワール周辺を諦め、フォンテーヌブロー城と
ヴォー・ル・ヴィコント城に行きました。 ヴォー・ル・ヴィコント城は私の大のお気に入りになりました!
サイズ的にも見て回るのに大きすぎず、ご存知かと思いますが何よりも歴史的背景が面白い。
そして蝋人形を使ったヴィジュアル面からもわかりやすい展示方法。 それに庭園がまた素晴らしいの一言!
(ここと同じル・ノートルの胸像もありました。)
特にお勧めなのは(と言ってもここは全てよかったのですが)、塔の上からの眺めや、もし夏の時期に行かれるのであれば、
週末の夜に行われるキャンドルライト・ショーですね(私達の時はありませんでしたが、花火が上がる日もあるようです)。
2000個ものキャンドルが庭園を埋め尽くし、そのゆらゆらと揺れる様が庭園全体が生きているかのように見えて
圧巻でした。 いつもkojikojiさんの素晴らしい写真にうっとりし、色々と学ばせていただいている私としては、
kojikojiさんの写すこのお城の風景や夜のキャンドルライト・ショーの写真、是非拝見したいです。
私もコンデジでたくさん写してはきましたが、何しろバシャバシャ撮りまくるしか能がなかったもので(恥+苦笑)、
できればもっと写真のことを勉強してリベンジしたい場所ですね。
マリー・ローランサン、私も好きになりました・・・。
それでは、また。
サウスピーチ :)
- kojikojiさん からの返信 2011/12/24 13:10:06
- RE: ヴォー・ル・ヴィコント城
サウスビーチさん
ツタンカーメンは本当に面白かったですよ。幾つか置きに座っているのを見ると彼らなりにテリトリーがあるのでしょうが面白さが分かち合えて良かったです。
フォンテーヌブローとヴォー・ル・ヴィコント城に行かれたのですね。
羨ましいです。我々も行こうと思っていたのですが、一日で両方見に行けるツアーを予約しようと直前によく見たら10月中旬で終わっていました。自分たちで1日に2か所を回るのは忙しいかなと思い泣く泣く予定から抜いた経緯がありました。結果10日パリにいたのですがいろいろ行きたいところが残っているのでまたいかなければならないと思っています。
良いクリスマスをお迎えください。
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