2011/10/22 - 2011/11/06
9366位(同エリア17021件中)
kojikojiさん
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- 旅行記1759冊
- クチコミ1205件
- Q&A回答73件
- 3,459,094アクセス
- フォロワー169人
「コンコルド広場」からの景色を楽しんだ後は「マドレーヌ寺院」に向かいました。実は「マドレーヌ寺院」も中を見るのは今回が初めてでした。前に来たときは周辺で買い物をしてお茶を飲んだだけでした。その後周辺にある幾つかのパッサージュを見てから「百楽軒大極楼」という中華料理店でランチをいただきました。3週間弱の旅では何度か中華料理か和食を食べたくなります。パリの町は日本人も多いし、日本食のレストランも多いので困ることはありませんが、日本食の店の多くは韓国人の経営でした。韓国の人は日本を嫌う人が多いですが、日本を前面に出して商売する人が多いです。日本を見下して日本料理は韓国料理の一部くらいに思っているのだと思いますが、これはヨーロッパの多くの国で感じることでした。美味しい中華を食べた後は「オペラ・ガルニエ」に行きましたが、オペラ座の内部を見るのも今回が初めてでした。いかに何となく短い時間だけしかパリを見ていなかったのかを感じました。印象に残ったのはオペラ座の内部の装飾の素晴らしさでしょうか。重厚なエントランスから豪華絢爛なホワイエのシャンデリアに階段ホールまで、過剰な装飾で埋め尽くされて息がつまりそうです。そして観客席に入ると中心にシャガールの軽やかな天井画にも感動しました。これは今回の旅行でどうしても見たかったものの一つです。そしてギャラリー・ラファイエットの天井のドームも妻にとっては昔ここで仕事をした懐かしい場所でもありました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 徒歩
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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「コンコルド広場」から「マドレーヌ寺院」に向かってロワイヤル通りを歩いていると見慣れたロゴのお店がありました。銀座のお店には何度か行ったことがありますが、ここはマキシムの本店です。お昼前のお腹が空いた時間ですが、飛び込みで入るには勇気のいる店構えです。この旅の痕の2015年に銀座のお店は閉店してしまったのが残念です。
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その先のフォーブル・サン・トノーレ通りの左側を見ると馬具屋さんの看板が見えました。一見日本人がイメージするナポレオンの像のようですが。
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この騎馬像はブランドの150周年を記念して花火を使ったイベントを行った際に使用した像の1つを本店のシンボルとして屋上に設置したものです。この像はパリの本店以外ではニューヨークのマディソン店と銀座店の3店舗にしかありません。その当時はスカーフでは無く花火を持っていたそうです。
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ジャポン社が出来る前は西武百貨店と関係が深く、1986年に視察旅行でパリに来た際もパリ本店の工房を見せてもらえる機会もあったのですが、まだ若かったので出来たばかりのオルセー美術館やドラクロワ美術家やルーブル美術館へ行ってしまいました。
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いつ見ても華やかなウインドウディスプレイです。個人的にはこの時代の頃のウインドウの方が好きです。
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本店の壁に貼られたフォーブル・サントノーレのプレートは市内のどこにでもあるものと同じでした。
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ブルボン朝末期にルイ15世により聖女マドレーヌに捧げる教会として建設が始まりますが、フランス革命の勃発により基礎工事半ばの状態で中断します。 その後ナポレオン1世がフランス軍の名誉を讃える栄光の神殿とすることを決定し、建築家ピエール・ヴィーニョンが古代神殿風のデザインで設計します。
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1806年に工事を再開しますがナポレオンの失脚後にルイ18世によってカトリック教会に用途が戻され、1842年に完成しました。そのため外観はコリント式の高さ30メートルの柱が52本並べるなど古代ギリシアや古代ローマの神殿を模したネオ・クラシック様式(新古典主義建築)で、キリスト教の教会としてはかなり異例なデザインと言えます。
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教会の周りのフェンスまで近づくとその建物の巨大さに驚かされます。そしてコリント式の列柱の美しさに目が留まります。
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破風に書かれたラテン語のD.O.M.SVB.INVOC.S. M. MAGDALENAEはDomino Optimo Maximo sub Invocatione Sanctae Mariae Magdalenaeの略で「全能の主の召喚する聖マリア・マグダレン」といった意味でしょうか。聖女マドレーヌは「マグダラのマリア」の意味で、彼女を守護聖人として献堂されたカトリック教会です。
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ペディメントの彫刻は1833年にフィリップ・ジョセフ・アンリ・ルメールによって制作された「最後の審判」が見えます。
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教会は1845年10月9日にパリのアフレ大司教によって奉献されました。
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ブロンズの扉はアンリ・デ・トリケッティによる「十戒」をテーマにしたレリーフが施されています。扉の1枚は約3トンもの重量があるそうです。どの場面かは彫刻からは読み取り切れないものもありますが、よく見ると題名が書き込まれています。
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「わたしのほかに神があってはならない。」
「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。」
「主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。」
「あなたの父母を敬え。」
「殺してはならない。」
「姦淫してはならない。」
「盗んではならない。」
「隣人に関して偽証してはならない。」
「隣人の妻を欲してはならない。」
「隣人の財産を欲してはならない。」
という10の戒めです。 -
秋の柔らかな日差しがレリーフを浮き立たせています。
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青銅の門を潜って左側から内部の参拝をします。
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フランシス・リュード作の「キリストの洗礼」の像が迎えてくれます。
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堂内は3連のクーポラが珍しい造りです。通常の教会堂の建築様式とは違うので興味津々です。残念ながらここから先はカメラ×マークがあったので写真はここまでです。
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主祭壇はカルロ・マロチェッティらによる「聖マグダラのマリアの歓喜」像で飾られています。主祭壇の後ろにはシャルル・マロチェッティ作の「天に召されたサン・マドレーヌ」(聖マグダラのマリアの歓喜)が描かれています。
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寺院を出るとロワイヤル通りの先に「コンコルド広場」の噴水とオベリクスと「ブルボン宮」、セーヌ川左岸の「アンヴァリッド」の黄金のドーム教会まで見えました。
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お昼は「マドレーヌ寺院」地下にある教会食堂でと思っていましたが、10月31日と翌1日は休みの案内が貼られていました。教会を一歩表に出ると高級エリアですので一筋裏側の中華料理店に入りました。「百楽軒大極楼」という凄い名前でしたが、英語表記では「ニューシャングリラ」となっていました。なら「新香格裏拉」でもよいと思いながら、旅も中盤で疲れも出てきたので中華はありがたいです。まずは青島ビールで喉を潤して13ユーロのセットメニューを注文します。
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北京風の酸辛湯と中華風サラダが出てきました。ヨーロッパの旅先で疲れた体にはこの酸辣湯スープが一番ですが、北京では無くて貴州省が本場です。料理の味よりもお姉風のしぐさと話し方をするギャルソンのおじさんが面白かったです。
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ここで美味しかったのが白身魚の甘酢餡かけでした。クリスピーに揚がった魚のフリットに程よい餡が体をほっこりさせてくれます。もう1品は酢豚と似たような味付けになってしまいましたが、体が求めているので仕方ありません。
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デザートにフルーツサラダとリンゴのフリットが出ました。ギャルソンのおじさんはとてもカラフルなマニュキアをしていて、もしかと思ったら話し方もお姉系で面白かったです。離れたカウンターにいた彼にお勘定のゼスチャーをすると、ちょっとお尻を引いて右手でOKマークを作ってお返しされました。彼と心が通じた瞬間でしたが、妻は爆笑です。ちょっとチップをはずんでおきます。
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「オペラ・ガルニエ」に行く前に「プランタン」と「ギャラリー・ラファイエット」にも立ち寄ってみました。まだ10月末ですがクリスマスのウインドウは工事中でした。11月23日がシャンゼリゼのイルミネーションの点灯の日ですからそれに合わせるのでしょう。それにしては随分日にちがかかりますね。
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プランタンの創業は1865年にジュール・ジャルゾーによって「百貨店」というその当時革新的であった商業形態で生み出されました。プランタンは「春」という意味なのでモザイクタイルもそんな季節をイメージしています。
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2000年の年末に妻と来た時に見たクリスマスのウインドウの美しさは忘れられません。今回の旅の数年後からヨーロッパのクリスマスマーケット巡りに毎年のように来ていますが、まだフランスのマーケット巡りが実現していません。
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続いてギャラリー・ラファイエットにも立ち寄りました。こちらもクリスマスのイルミネーションの準備が進められているようでした。
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オスマン大通りはものすごい人出でした。びっくりしたのはユニクロの袋を持った人アラブ系のお金持ちの女性たちがたくさんいたことです。
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1905年にオスマン大通りに土地を手に入れたテオフィル・バーダーは建築家ジョルジュ・シェダンとその弟子であるフェルディナンド・シャヌーに、ガラスとスチールのドームとアールヌーボー様式の階段の設計を依頼します。
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屋上にも行ってみたかったのですが、時間が押してきたのでギャレリアの空間だけ見てきました。何度来ても見事な天井ドームで、現在見てもすごい迫力を感じるのですから、完成した1905年当時に見た人はどんな驚きだったのでしょう。
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妻は二十数年前に「フランスにおける日本年」のイベントの一つで、このギャレリアに鯉のぼりをたくさん泳がせたことがありましたので思い出深い場所です。
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特に買い物をするでもないのでこの空間をしばらく楽しんで先を急ぐことにします。いつかクリスマス時期のパリを再訪したいと思いました。
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オスマン大通りから「オペラ・ガルニエ」の裏側を見て、ユニクロから正面に回り込んで初めての内部見学します。
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オペラ通りから見て正面左側が見学の入り口で、チケットを買ってから中に入ります。2011年当時は事前予約しなくても普通に見学することが出来ました。
パリの王立ないし国立のオペラ劇団が公演する劇場も転々と変わり、このガルニエ宮は13代目です。それまでの劇場はルーヴル宮の中や隣だったり、ナポレオン1世が爆弾に見舞われたのは8代目のテアトル・デ・ザールへの途中でした。ナポレオン3世が爆弾を投げられたのは11代目のサル・ル・ペルティエの正面でした。これを機に新オペラ座建設計画が政令で具体化しナポレオン3世の第2帝政を称える記念碑的建造物の設計が公募されます。 -
171の応募の中に1等賞はなくて佳作が6件で、その中からシャルル・ガルニエの案が採択されます。入り口に置かれた彫像の中心にあるのがオペラ座を設計したシャルル・ガルニエの像です。その下には金色に輝く「パリ市」の紋章とオペラ座の図面があります。
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円形ロビー「ロドン・デ・サボネ」で時間調整され、常連客のロトンダから見学が始まります。
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「ピュティアの泉」で記念写真を撮りましたが、泉と言っても水は入っていませんでした。ピュティアはギリシャのデルフィの宣託の巫女の名前です。マルチェロ作「ピュティア」のブロンズ像が迎えてくれます。
彫刻家のアデール・ダフリーは公爵夫人カスティリオーネ・コロンナで、別名マルチェロとして知られます。 1863年にパリサロンのデビューしますが、第2帝政の時代にパリで最も人気のある女性彫刻家でした。 -
そして「ピュティアの泉」の左右の階段から上に登ると、息をのむような空間が広がり始めます。ガイドツアーよりもここは個人で見学した方が良いように思えました。
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外観および内装はネオ・バロック様式の典型と言われ、たくさんの彫刻が飾られた豪華絢爛の最たるものです。また建材には当時の最新の素材とされていた鉄骨を使用しています。これによって従来は不可能とされていた柱の無い巨大な空間を確保することに成功しています。2167の座席が5階に配分されており、観客収容規模でも当時最大の劇場でした。
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大理石で造られた大階段は30メートルもの高さがある吹き抜けになっています。階段には踊り場があり、そこから左右に階段が続いています。白大理石をベースに使っていますが手摺や欄干には赤や緑の色大理石が使われています。
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この彫刻は設計者のガルニエのアイデアを元に、フランスの彫刻家「カリエ・ベルーズ」が手掛けました。 階段の柱脚はアルベール・エルネスト・キャリエ・ベルーズによる女性の姿をかたどった燭台によって装飾されています。
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階段の上の天井はイジドール・ピルスの手によって「アポロの勝利」「その魅力を展開する音楽の魔法」「オリンポスの神々に見られる無慈悲と戦うミネルバ」「新しい歌劇場の計画を受け取るパリの街」が描かれています。
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これら絵画は劇場のオープン2か月前に初めて取り付けらますが、この劇場の空間においては暗すぎたことが明らかになります。 2人の弟子の助けを借りて61歳で病になったピルスは天井にあるキャンバスに手を加えなければならなくなります。彼の弟子たちは竣工前に作品を完成させて足場は撤去されました。
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燭台とシャンデリアとバルコニーの連続…。ここで夜ごとどんなドラマが繰り広げられたのでしょうか。
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建設当時のシャルル・ガルニエは35歳の無名の建築家だったそうです。23歳で奨学金留学生になりローマで建築を学んでします。ローマからコンスタンチノープル(インスタンブール)やギリシャ各地へも足を延ばしています。アテネからの3島クルーズにも含まれているエギーナ島のアファイア神殿に影響を受けたそうです。
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エギーナ島にはサロニコス湾の3島巡りのクルーズで1回行き、港の食堂でレツィーナという松脂臭い白ワインを飲みながら炭火焼きのタコを食べたことがあります。2回目は早朝にアテネに着いてホテルにチェックん出来なかったので、ピレウス港からフェリーで島に渡り、魚釣りと海水浴と昼寝と炭焼きとワインだけで神殿の見学には行きませんでした。その差が自分とガルニエの違いだろうかなんて考えてみます。
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2階に上がった観客席フロアの入り口も重厚な構えです。典型的なバロック様式のゲートの上には「円形劇場、特別席、オーケストラ」と書かれています。
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午前中に参拝してきたアンヴァリッドのナポレオン1世の霊廟に使われている大理石も見事でしたが、「オペラ・ガルニエ」の大理石はその質の高さと種類の多さに驚かされました。もちろん施された彫刻の見事さも言葉になりません。
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この当時は祭日でも見学者の数は少なく、貸切りとまでは言えませんがゆっくり見学が出来ました。写真を撮っていても他の見学者の邪魔にはなりませんし、自分の撮りたいところに誰かがいるという事も無かったです。
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パリに10日間もいたのですから1度くらいオペラ化バレエを見に来てもよかったかなと思います。音楽芸術に造詣の無い夫婦ではそんなこともあまり考えませんでした。
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クラシックなエレベーターと階段ホールの床の大理石の象嵌が見事でした。色大理石を組み込んだこんな細工は現在の技術でも莫大な金額がかかる細工です。
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大階段からオペラ大通り側のエントランスホールにも出てみます。通常観劇する場合はこちらから劇場の中に入るのだと思います。
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右側のクリストフ・ヴィリバルト・グルックはウィーン滞在中に作った歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」の中でも間奏曲「精霊たちの踊り」によってとりわけ有名で、オペラの改革者として歴史に名を残す人物です。ウィーンで音楽教師として仕えていた皇女マリー・アントワネットに従いパリに移ったそうです。左側のジャン・バティスト・リュリはフランス盛期バロック音楽の作曲家で、ルイ14世の宮廷楽長および寵臣としてフランス貴族社会で権勢をほしいままにしました。
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2階ボックス席のアヴァン・ホワイエもこのような豪華さです。フォワイエは観劇の前後に観客が集まって休憩するエリアです。金のモザイクで天井が覆われた重厚な空間です。
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これまで古代ギリシャやローマの建築に傾倒していて、地中海沿岸の国ばかりを巡っていましたが、今回の旅は妻が姪に会いに行くのに合わせてフランスの王道のコースを組みましたが、パリとロワール渓谷の古城をじっくり見るにつれ、フランスの建築のすばらしさにも驚かされました。
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アヴァン・ホワイエの両サイドが月のサロンと太陽のサロンになっていました。こちらは月のサロンで、天井には数多くの星が輝き、夜の使者なのか蝙蝠とフクロウが飛んでいます。
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何故か反対側にある太陽のサロンの写真が残っていませんでした。ただ個人的には和島塗のお椀の蓋裏みたいな月のサロンの方が好みでした。
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左右の通路の突き当りには巨大な壺が置かれています。こちらはウェッジウッドのように見えましたがフランスなのでリモージュ磁器だと思います。時計が置かれているのは幕間の時間を確かめるためでしょう。
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対になる反対側の壺は更に豪華です。よく見るとデザインはほぼ一緒ですが、こちらの蓋の摘みのモチーフは竪琴でした。これはこのホワイエの天井にもたくさん使われてるのでこの建物のために誂えたのだと分かります。
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豪華な「オペラ・ガルニエ」の内装の中でもここが一番豪華なグラン・ホワイエです。息が詰まりそうな豪華さは「ヴェルサイユ宮殿」の鏡の回廊より遙かに凌ぐ印象を受けました。
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グラン・ホワイエは高さが18メートルで長さが154メートル、幅が13メートルでパリ社交界の応接間として機能するようデザインされました。 2004年に修復されたばかりのパウル・ジャック・エメ・ボウドリーによって描かれた天井画が見事です。天井画の題材には音楽の歴史の様々な場面が取り上げられています。
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休憩室は外のロッジアに向かって開かれていて、それぞれの端は月のサロンと太陽のサロンになっています。 現在でもオペラ座主催の晩餐会が開かれ際は大統領などが出席するそうです。
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天井ばかりに目が向いてしまいますが、ブロンズ製なのか円柱の金物の装飾も見事です。
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古代ギリシャのコリント様式の円柱の柱頭のアーカンサス模様をアレンジしたように見えます
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広大で絢爛豪華なグラン・フォワイエはこのホールだけでも宮殿の舞踏の間のようで、ガルニエ宮と呼ばれるのも納得がいきます。
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天井画はポール・ボードリが手掛けて音楽史をテーマに竪琴がメインモチーフになっています。
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中央の長方形は「音楽」を表し、西の端の楕円には「喜劇」が描かれているそうです。
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このホールの見学もガイドツアーが1組だけだったので、1人でじっくり見学することが出来ました。妻はすでにどこかへ行ってしまったようです。
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巨大な空間に吊り下げられたシャンデリアももちろん巨大でした。現在は電気で燈されていますが、出来た当時は毎日天井から降ろして新しい蝋燭を立てて燈したのだと思います。
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劇場のホワイエなので壁のデザインは竪琴がモチーフになっていました。竪琴はギリシャ神話のオリンポスの12神の1人であるアポロンのアトリビュートです。
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そう考えると円柱のアーカンサスデザインが繋がってきます。元々はアポロンからの寵愛を受け続けた妖精でしたが、それをアーカンサスは拒み続け、ある日アポロンの顔に傷をつけてしまいアポロンによりアーカンサスの花に変えられてしまいます。
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シャンデリアの明りに鈍く金色に輝く内装に魅了されます。
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幾重にも重なるカーテンも金糸や銀糸をふんだんに使った豪華なものです。
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アンピール様式のパスモンテリも素晴らしい出来栄えです。抑えた色や形のものが多く、また木の実や植物など古典的なモチーフが多いのが特徴ですが、どれも繊細な細工が施されています。
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パスモンテリは単純に飾紐と訳されますが、カーテンの房飾りやソファーなどのエッジに使われる織り物のテープ、シャンデリアを吊るす組紐のような室内装飾に使われる糸や布の工芸小物は全てこの名で呼ばれます。パスモンテリが宮廷などで使われるようになったのはイタリア・ルネッサンスの優雅な室内装飾の流行がフランスにやってきた16世紀以降のことです。
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東端の八角形のサロンの天井画はジュール・エリー・ドローネ作の中央の楕円形パネルとアポロンがライアと呼ばれる竪琴を天使から受け取った場面が描かれています。
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入場時に「本日はリハーサルのため観客席には入れません。」と表示がありましたが、リハーサルの休憩時間だけ舞台と客席の見学が出来るようになりました。どこかへ行っていた妻がそれを知って戻ってきてくれました。
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観客席の壁面の装飾もホワイエと同じような豪華さです。
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金色の装飾とボックス席のベルベットの赤い色のコントラストが美しいです。見る事が出来ないと諦めていた劇場の中に入る事が出来て感激です。
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観客席は伝統的なイタリアの馬蹄型で、客席は1979の座席があるそうです。見学できる時間は15分くらいなので、その間に見逃さないようにしなければなりません。
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巨大なシャンデリアが吊られた天井部分は、元々ジュール・ウジェーヌ・ルヌヴーによる天井画があったそうです。「昼と夜のミューズと時間」は1872年から1964年までオペラ座の天井に描かれていました。 アンドレ・マルローの依頼によって1964年に新しい天井画がマルク・シャガールによって描かれました。この天井画は「愛の花束」という題名で、14人の音楽家のオペラの場面が描かれています。
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シャガールの天井画が描かれる前の1896年に、シャンデリアが天井から客席へと落下して観客に死者が出たことがありました。 この事故はよりガストン・ルルーが1910年のゴシック小説の「オペラ座の怪人」の有名な場面の1つの着想となったそうです。1909年から1910年にかけて日刊紙「ル・ゴロワ」に連載されていました。
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ルルーは執筆にあたり、実際のオペラ座(ガルニエ宮)の構造や地下の広大な奈落、建築経過などを詳しく取材しており、オペラ座が建設された当時の実際の幽霊話やシャンデリアの事件を加味しています。
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中央の巨大なシャンデリアは7トンの重さがあるそうです。確かにこのシャンデリアの真下には座りたくない気持ちになります。ブロンズとクリスタルのシャンデリアはガルニエ本人によって設計され、ジュール・コルボが模型を用意し、ラカリエールとデラトゥール&シエによって製作されます。
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シャガールの描いた円形の天井画は5つの色分けされたエリアに分かれています。大きな円に10のオペラ、中心の小さな円に4つのオペラが描かれています。
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肉眼で見ているときはどの絵がどのオペラに該当するのかはほとんど分かりませんでしたが、後で写真を拡大してみるとタイトルが書かれていました。
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緑のエリアはエクトル・ベルリオーズが作曲した交響曲「ロミオとジュリエット」です。リヒャルト・ワーグナーはこの作品に多大な感銘を受け、「親愛にして偉大なロメオとジュリエットの作曲家にトリスタンとイゾルデの作曲家が感謝をもって捧げる」と記して、自らの作品「トリスタンとイゾルデ」をベルリオーズに献呈しています。
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やはりロミオとジュリエットがこれでしたね。シャガールは同時代の画家や芸術運動にはシニカルな態度を示し、シュルレアリスムに共感を持てずに自分のことを「シュルレアリストと呼ばないで欲しい。」と語っています。アポリネールは彼の作風を「シュルナチュラリスム(超自然主義)」と呼んだそうです。 この天井画にはそんなアポリネールの言葉が似あいそうです。
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「トリスタンとイゾルデ」は凱旋門の脇に密かに逢引きしています。ワーグナーはフランツ・リストに宛てた手紙に「自分はこれまでに一度も愛の幸福を味わったことがないので、あらゆる夢の中でも最も美しいこの主題のために一つの記念碑を打ち立て、そこで愛の耽溺のきわみを表現したいと思ったのです。こうしてトリスタンとイゾルデの構想を得ました。」と書いたそうです。これはワーグナーとヴェーゼンドンクの妻マティルデとの恋愛関係についてだと考えると、シャガールの絵はワーグナー自身に見えてきます。
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「オペラ・ガルニエ」に花束をささげる天使の描かれた白いエリアはジャン・フィリップ・ラモーがモチーフになっていますが、作品名は不明です。右側の青い街路樹の下にはシャガール自身のサインがありました。
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黄色いエリアはアドルフ・アダン作曲の「ジゼル」で、振付はジャン・コラーリとジュール・ペローによるものだそうです。結婚を目前にして亡くなった娘達が妖精ウィリとなり、夜中に森に迷い込んできた男性を死ぬまで踊らせるというハインリヒ・ハイネによって紹介されたオーストリア地方の伝説に着想を得て作られた作品です。「火の鳥」の体がチェロになった音楽の天使とその横には魔法の木と真っ赤な炎に包まれた火の鳥も見えます。
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ピョートル・チャイコフスキーによって作曲されたバレエ音楽「白鳥の湖」はあまりにも有名ですね。通常白鳥のオデットと黒鳥のオディールは同じバレリーナが演じます。見た目ではオデットとオディールでは衣装(オデット=白、オディール=黒)が違うが、2人の性格は正反対であり、全く性格の違う2つの役を1人で踊り分けるのはバレリーナにとって大変なことだそうです。湖のほとりにいるのは悪魔ロットバルトによって姿を白鳥に変えられてしまったオデット姫です。
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「火の鳥」イーゴリ・ストラヴィンスキーが作曲したロシアの民話に基づく1バレエ音楽です。フォーキンによる「火の鳥」の台本はロシアの2つの民話の組み合わせで、1つは「イワン王子と火の鳥と灰色狼」で、ツァーリの庭に生える黄金のリンゴの木の実を食べに来る火の鳥をイワン王子が捕まえようとする冒険譚です。もう1つは「ひとりでに鳴るグースリ」で、不死身のカスチェイにさらわれた王女のもとを王子が訪れ、王女がカスチェイをだまして魂が卵の中にあることを聞き出す話です。
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赤のエリアにはマ青いドレーヌ寺院やエッフェル塔のエッフェル塔が浮かび上がります。ここはフランスの作曲家モーリス・ラヴェルとロシアの美術家レオン・バクストらによって制作されたバレエ「ダフニスとクロエ」です。 題名の通り2世紀から3世紀の古代ギリシアのロンゴスによる物語「ダフニスとクロエ」が原型です。羊が放牧されているニンフの神殿の下に、海賊に襲撃された群衆が描かれています。バレットを片手にしたシャガールの自画像も上の方に見えます。
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「ペレアスとメリザンド」はクロード・ドビュッシーが完成させた唯一のオペラです。詩人モーリス・メーテルリンクの同名の戯曲「ペレアスとメリザンド」がほぼそのままの形で用いられ、王太子ゴローの弟ペレアスと王太子妃メリザンドによる禁断の恋の物語が描かれます。もたれかかって髪をとかしているメリザンドと窓から顔をのぞかせるペレアス。そして2人を見下ろすのは王冠をかぶった老王アルケルです。
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ムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」では顔が鳥になった天使が空を飛び、 その隣には、緑で描かれたモスクワの街も見えます。プーシキン物語の中の「ボリス・ゴドゥノフ」が題材とされますが、イワン雷帝の死からロマノフ王朝のセイルt迄のロシアの歴史を知らないと難しい内容です。学生の頃にムソルグスキーの「展覧会の絵」を冨田勲のシンセサイザーの演奏で聞いた時の強烈な印象はいまだに忘れられません。
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1875年に竣工した黄金の装飾と1963年に変えられたシャガールの天井画が不思議なほどにマッチしているのに驚きました。ただ1962年に依頼が公表されるとメディアからは批判が殺到したそうです。オペラ座の調和が乱れるというのがその趣旨だったそうですが、批判の辛辣さはシャガールが隠れて制作を行なわなければならなかったほどだったそうです。
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シャンデリアの吊元のある中央部はグリュックの「オルフェとユリディス」、ヴェートーベンの「フィデリオ」、ヴェルディの「ラ・トラヴィアータ」、ビゼーの「カルメン」4作品を描いています。ピゼーの「カルメン」では雄牛の奏でるギターに合わせて、カルメンが踊っているのが分かります。
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偶然にリハーサルの休憩時間にあたったので中を見学できましたが、この劇場を見るのと見ないのでは大きな違いでした。舞台の幕の上部には太陽王ルイ14世の紋章と王立音楽アカデミーの創設年の「1669」の文字が書かれていました。
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息が詰まりそうな空間から一度オペラ座広場側のテラスに出てみます。グラン・ホワイエからテラスには簡単に出ることが出ました。
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天井にはギリシャ喜劇や悲劇のマスクをモチーフにしたモザイクで埋め尽くされています。古代ギリシャ劇は豊穣の神ディオニソスをたたえるためにおこなわれた歌と踊りから始まります。戯曲の形式は悲劇であり、劇にはマスクが必要不可欠でした。
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野外劇場では最上列は遠くから観ることになり、人物が男か女か善人か悪人かを細部にわたり伝えることは無理で、登場人物が楽しんでいるか悲しんでいるかを、すぐに観客にわからせるためにさまざまな仮面が使われます。じょうご形の口の仮面はメガフォンのように声をひびかせることもできたそうです。
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見学したこの日は夜になるとバレエの公演があるようです。その前の静けさを感じることが出来ました。
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11年前は小雨降る年末のパリを歩きながら見上げた「オペラ・ガルニエ」のテラスから大通りを眺める事が出来て大満足でした。
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晩秋のパリ旅行(8)広大なヴェルサイユ宮殿の庭園の噴水を巡り、牛や羊の遊ぶマリーアントワネットのプチ・トリア...
2011/10/22~
ヴェルサイユ
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晩秋のパリ旅行(9)アンヴァリッド廃兵院とドーム教会でナポレオンの墓参に行き、アレクサンドル3世橋からコンコ...
2011/10/22~
パリ
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晩秋のパリ旅行(10)コンコルド広場からマドレーヌ寺院を参拝して百楽軒大極楼で中華を食べて、ネオ・バロック様...
2011/10/22~
パリ
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晩秋のパリ旅行(11)ロダン美術館でロダンとローズとカミーユ・クローデルを想い、ゴッホのタンギー爺さんの浮世...
2011/10/22~
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晩秋のパリ旅行(12)雨の中をパレ・ロワイヤルからヴァンドーム広場まで行くも、諸聖人の祭日で宝飾品店が休みで...
2011/10/22~
パリ
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晩秋のパリ旅行(13)パサージュ・ジュブロアの中にあるグレヴァン蝋人形館で、パリが繁栄した華やかなベル・エポ...
2011/10/22~
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晩秋のパリ旅行(14)「パリのパサージュ 過ぎ去った夢の痕跡」を読んで、パリ市内19か所のパサージュ全てを巡...
2011/10/22~
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晩秋のパリ旅行(15)「パリのパサージュ 過ぎ去った夢の痕跡」を読んで、パリ市内19か所のパサージュ全てを巡...
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晩秋のパリ旅行(16)プティ・パレ美術館でアール・ヌーヴォーと印象派の絵画に酔い、陶芸家ジャン・カリエスのジ...
2011/10/22~
パリ
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晩秋のパリ旅行(17)オランジェリー美術館でモネの睡蓮に酔い、ギョーム・コレクションにモンマルトルの狂乱の黄...
2011/10/22~
パリ
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晩秋のパリ旅行(18)念願の個人美術館「ギュスターヴ・モロー美術館」で沈美なギリシャ神話の世界に陶酔し、ファ...
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晩秋のパリ旅行(19)3回目のルーブル美術館は5時間という限られた時間でナポレオン3世のアパートメントまでた...
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晩秋のパリ旅行(20)旅の最終日はダンフェール・ロシュローからリュクサンブール公園を歩き、サン・シュルピス教...
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晩秋のパリ旅行(21)ウッディ・アレンの「ナイト・イン・パリ」かジム・ジャームッシュの「ナイト・オン・ザ・プ...
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