2011/10/22 - 2011/11/06
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kojikojiさん
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パリ滞在中の約10日間で廻ったパサージュは全部で19か所になりました。パリのパサージュに興味を持ったのは1996年発売の「月刊太陽12月号」のパリ物語という特集を読んでからでした。この特集は後に同じ平凡社のコロナブックス「パリのパサージュ 過ぎ去った夢の痕跡」という本になっています。とても詳しい本でパリで見掛けた洋書のパサージュ巡りの本と比較にならないほどです。2000年の年末年始のミレニアムのパリ旅行でも妻と2人で数か所は廻りましたが、今回は滞在期間も長いので全部訪ねるつもりでした。パサージュの多くはセーヌ右岸に広がっているので、他の観光の合間に見て廻ったので4日ほどかかりました。中には観光向きではない所も多数ありましたが、長年の思いが達せられた思いでした。パサージュについて旅の途中で立ち寄ったナントのパサージュ・ポムレの3階建ての美しさには驚かされました。またこの旅の後に行ったロンドンやブリュッセルやヨーロッパ各地のパサージュにも興味を持ち、数々の都市を訪ねるきっかけにもなりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 徒歩
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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パリに到着して4日目に姪と合流して凱旋門からシャンゼリゼを歩いている最中に立ち寄った「アルカード・デ・シャン・ゼリゼ」です。名前の通りアーケードなので厳密に呼ぶとパサージュとは呼べないのかもしれません。
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元々は「狂乱の年月」と呼ばれた1920年代にモンマルトルの百貨店「デュファイエル」の経営者だったジョルジュ・デュファイエルが1905年に建てた豪邸でした。その後に真珠王と呼ばれたレオナール・ローゼンタールが手に入れますが、細長い1階が悩みの種だったそうです。
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そこで思いついたのがパサージュで、当時の流行のアール・デコ様式の豪華な商業施設に造り替えることにします。当時の1流建築家のシャルル・ルフェーブルが設計を行い、彫刻はマルタン、鋳鉄装飾はルネ・ゴベール、天井のガラスはジャコポッジ、ガラスの噴水はルネ・ラリックでした。
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凝りに凝った豪華な内装ですが、中に入っているテナントは開業時の一流テナントからは変わってしまい、観光客目当てのお土産や洋服屋ばかりなのでちょっと興ざめです。
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最初のパサージュ巡りで8か所を散策した後はロワール渓谷へ4日ほど出掛けていたので、続きを廻るのに1週間ほど経ってしまいました。この日はマドレーヌ寺院からオペラ・ガルニエに掛けて歩いたので、その周辺の「ギャラリー・ド・ラ・マドレーヌ」から始まります。
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入口左右のカリアティード(女性柱)は申し訳なさそうな大きさで、本来の屋根を支えるという役目も無くなっています。J.グラグマンの彫刻です。右手のレストランはルーカス・カールトンというミシュランの星付きの高級レストランです。
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レストランの窓には「マドレーヌ寺院」が大きく映り込むほどの距離です。
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アーチ上部のキーストーンにはアーカンサスの意匠の左右に陶器製の天使像が据え付けられています。設計はテオドール・シャンパンティエです。
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最近ファサードは修復されているようで、金色のレタリングが真新しいです。
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一度パサージュを通り抜けてポワシー・ダングラ通りに出てみます。こちらの入り口はシンプルなデザインですが、手入れは行き届いているようです。
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ポワシー・ダングラ通り側の入口周りは瀟洒なテナントが入り、手入れも施されている印象を受けます。
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かなりお金のかかった内装ですので往時はマドレーヌ広場と共に賑わったと思います。
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ただ、マドレーヌ広場側に進むと途中にレストランの裏口があったりして、ずいぶん勿体ない使い方をされています。
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「パサージュ・ピュトー」はパサージュ巡りでもしなければ絶対に行かないような場所にありました。サン・ラザール駅に近いアルカード通りとパスキエ通りを結んでいます。
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鉄道駅がこの近くに出来ることを目論んだビュトーが先行投資して建設したパサージュでしたが、目論見が外れて駅は離れたウーロップ広場になったために一度も日の目を見る事が無かったそうです。
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ここは数十年は手入れされていないような趣です。観光で行くには何もない所ですが、パリの裏道と考えればそれなりの風情はあります。ただ、入口のアーチの下の半円形枠も補強用のものでした。
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ワインバーがありましたがこの時間は営業していませんでした。
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途中からは漆喰が剥がれ落ちて、かなり傷んだ痛々しい雰囲気です。
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本来は通路であるべき通りはいろいろな物が置かれています。
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レストランがテラス席を常設してからこんなことになったのでしょう。天井のガラスも痛んでいるようでしたので、パラソルを開かないと雨漏りするのかもしれません。
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パスキエ通りまで抜けてきました。コロナブックスにも「あること自体が不思議」と書いてありますが、一度は通り抜けてもよいかもしれません。
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「パサージュ・デュ・アーブル」は再開発されてしまうとどうなるかがよく分かる事例だと思いました。パサージュの開業は1846年で、建築はヴィクトール・バルトミューです。このパサージュも鉄道の開業を目論んで造られたそうです。
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鉄道の開通時は始発駅がウーロップ広場の角にありましたが、その後移設されル・アーブル駅と名付けられました。このパサージュの名前の由来でもあります。その後衰退がはじまるのはパサージュの常で、最終的にはポルノショップや下着を売る店が入店していたそうです。
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そこで1980年代の末に再開発が始まるときは惜しむ声も上がらなかったそうです。ところが出来上がったパサージュはアメリカのショッピングセンターのような無個性なもので、ブーイングが上がったそうです。
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ただ現在は往時を知る人も無く、ブーイングの頃を覚えている人も無く、ただありきたりのショッピングセンターになり、何の魅力もありませんでした。単純に再開発すれば良いのではないのだなと感じさせるパサージュでした。
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「オペラ・ガルニエ」を見学して、「ギャラリー・ラファイエット」に立ち寄った後に「パサージュ・ヴェルドー」まで歩きました。パリの地図に現存するパサージュを落とし込むと大きく3本のラインになります。その真ん中のラインの一番北側にヴェルドーが位置しています。フォーブル・モンマルトル通りの入り口から南に向かって歩きます。
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1864年に開通された「パサージュ・ヴェルドー」は「パサージュ・ジュフロワ」の姉妹のパサージュとして開発されました。が、ジュフロワの大混雑に比べてヴェルドーは人気のない静まり返った状態のパサージュだったようです。
ヴェルドーとジェフロワは同じ開発者によって造られたので、構造もすごく良く似ていて、鉄骨の骨組みで全体を造りガラス屋根もマンサード形を採用しています。 -
このパサージュは時間が停まったような印象を受けました。最後にリノベートされたのはいつの事でしょうか?良い意味で味わいのある通りです。もう少し南に位置していたらジュフロフみたいになれたのかもしれませんし、北側にまだパサージュが続いていたら違っていたのかもしれません。
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テナントは日々の売り上げにあまり左右されないアンティークショップやアートギャラリーなどが多いように見受けられました。
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歩いているお客も目的があってこのパサージュにやって来ているマニアックな人のようです。夜になったら壁に吊られたガス灯が灯って綺麗なのかもしれません。
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古本屋など気になる店も多いのですが、こういった店は一歩足を踏み入れると時間がかかるので先を急ぎます。
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ジュール・ヴェルヌの美しい装丁の本がありました。ロワール川を下ってナントまで行ってきた後だったのでとても気になりましたが、フランス語では読めないので諦めます。ジュール・ヴェルヌはナントのフェイド島で生まれ育ちましたが、現在この島には「レ・マシーン・ド・リル」の本拠地になっています。
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ジュール・ヴェルヌの本は人気があるのかサン・ジェルマンの本屋の店先でも見掛けました。思い返すと最初に読んだジュール・ヴェルヌの作品は「十五少年漂流記」で、ドキドキしながら読んだ記憶があります。そして「八十日間世界一周」も楽しく読みました。
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澁澤龍彦の「滞欧日記」を読んでいるとパリの古本屋で何十冊とまとめて本を買って、郵送している記述が多いのですが羨ましい限りです。その大量の本をどうやって日本へ送ったのかが一切書かれていないのが気になりましたが。
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ガラス張りのアーケードの美しさと2階の白いカーテンの連なる美しさが印象に残る通りです。
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可愛らしい絵本の店もありました。姪にお土産にと思いましたが、生後7か月では早いので諦めました。
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ヴェルドーを通り抜けるとグランド・バトゥリエール通りの先に「パサージュ・ジュフロフ」の入り口が見えます。
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個人的には時間があればいくらでもいられるような一番気持ちの良い空間を持ったパサージュでした。
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通りを渡った「パサージュ・ジュフロワ」はガイドブックには掲載された観光客でも楽しめる通りで、格段に人の出入りも多いです。
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「パサージュ・ジュフロワ」は1847年に開通した比較的新しいパサージュで、長い時を経ながらもブールヴァールが栄えていた創業当時の雰囲気を残すパサージュの1つといえます。かつてのこの土地にはトルコ大使館があったそうですが、建物は壊されて巨大なホテルとなり、パサージュ・ジュフロワはそのホテルの入口を貫通する形で造られました。
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北側から入った半分は「パサージュ・ヴェルドー」に似た雰囲気の古書店などの落ち着いた店が並びます。パサージュは直線的な設計ができずクランク上に折れ曲がる形をしていたため、他にはない2度折れ曲がった不思議な通路となります。
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ここでパリのアール・ヌーヴォー建築の本とパサージュの写真集を見つけましたが、荷物になることを考えて諦めました。ロワール渓谷を廻って古城ごとに資料を買っていたり、美術館のパンフレットなどで帰りの荷物はすでに大変なことになりそうです。
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良い美術書もとても安い値段で売られているのですが、重いのとフランス語版なので読むことが出来ないので手が出ません。
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突き当りがありから左にクランクするように道が続きます。
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この角に「グレヴァン博物館」という蝋人形館の出口があります。現在の入口は南側のオスマン大通り側にあるのでとても長い建物だと分かります。博物館は何度か増床しているので、昔はここが入口だったのかもしれません。
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そして南側からの突き当りには「ホテル・ショパン」があります。NHKの街歩き番組ではここの年老いたオーナーが出てきて近隣の店を紹介したり地下を案内してくれる人がいたりしますが、通りすがりの観光客がそんなことに出くわすことはありません。
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機会があれば泊まってみたいしっとりとした趣のあるホテルです。ちなみに泊るのであれば409号室がお勧めで、部屋の窓からこのパサージュが望めるそうです。
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南側の通りは子供用品やや雑貨の店などが軒を連ねて賑やかな雰囲気に変わります。この通りの地下にはボイラー室があり、昔は冬場には床から温風を流していたそうです。その名残が今でも床のタイルの間にグリルとして残っていました。
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北側を振り返ってみます。正面の時計の上がホテル・ショパンの409号室でしょうか。ホテル・ショパンは1846年開業の古き良きパリの雰囲気が存分に味わえるプチホテルで、作曲家ショパンが近くに住んでいたことが名前の由来だそうです。
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通りの中間にテレビでも紹介されていた有名なステッキ屋さんがあります。さすがにまだステッキが必要な年齢でもないので店先だけ覗いてみます。大きなヘラジカの角が目印です。
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通りの中に位置する杖の専門店ギャルリー・ファイエは古くはブルジョワ階級の象徴とされていた頃のステッキ専門店です。
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この木馬も昔からありますね。11年前も写真を撮った記憶があります。ウインドウを覗いている子も木馬に乗った子もみんなお洒落です。
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ここもグレヴァン博物館の案内になっています。上の看板は指で方向を刺し、カーテンから不気味な男がニヤリと笑っています。
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今は無いレストランの入り口のモザイクだけが残っています。アルフレッド・デルヴォーの「パリの歓楽 挿絵入り実践ガイド」にはこのパサージュの賑わいには他には無い3軒の定価を売りにする大衆レストランがあったと書いています。その3軒の店は「ディネ・デ・パリ」と「ディネ・デ・ジュフロウ」、そしてこの「ディネ・デュ・ロッシュ」です。
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だんだん日が暮れてきて良い感じの雰囲気が出てきました。
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創業1989年の南仏生まれの老舗クッキー屋さんチェーンの「La Cure Gourmande」もこのパサージュに入っていました。あまりお土産物屋っぽいテナントには入ってほしくないなと思いました。それくらいパサージュの雰囲気は微妙だと思います。
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モンマルトル通りに抜けました。何度来ても楽しい1番パリらしいパサージュだと思います。この右側の並びには「グレヴァン蝋人形館」があります。
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本当はこのままグレヴァンに入る予定でしたが長蛇の列でした。ベストの係員の右手に100人位並んでいたのでこの日は諦めて後日にしました。
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そのままモンマルトル通の南側の「パサージュデ・パノラマ」に入ります。南に下るほど人通りが増えて行くような気がします。もしパリでどこかパサージュを見るとしたら間違いなくこの南北に3つ連なったパサージュをお勧めします。
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だんだんルーブル宮へと近づいているにもかかわらず「パサージュ・パノラマ」はだいぶ寂れかかった雰囲気があります。まずテナントで入っていた一流店が撤退してそれに伴って客層が変わって、そのうちエスニックな店に変わっていくような流れが何となく感じられます。
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元々建設が始まったのは1799年と最も古く、繁栄を謳歌したパサージュだったそうです。フランス革命の混乱に乗じて一山当てようとしたアメリカ人のウィリアム・セイヤーはフランス政府から補償金を受け取りますがフランスの国有地としか交換できないアッシャニャ国債だったため亡命貴族の邸宅を手に入れます。そしてロバート・フルトンと2人でこのパサージュの計画を進めます。
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パサージュの人気はその後のヴァリエテ座の開業などので続きましが、第1次世界大戦の勃発とともに繁栄は終わりを迎えます。サロン・ド・テ「L’arbre a Cannelle(ラルブル・ア・カネル)」も19世紀から今も変わらず続いているお店の1つですが、つぶれたのかと思いました。数日前のハロウィンの名残の飾りが残っていましたが。この日やたまたまの休業日でした。
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元々は美しいタイル貼りだった通りの床も中途半端な工事を重ねるうちに継接ぎの一昔前の日本の舗装道路みたいです。
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昔はウォーターマンの万年筆を扱うお店でもあったのでしょうか?そんな名残の床モザイクが残っていました。
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この辺りはまだ良いテナントが残っていますが歩いている人は少ないです。どうやら「パサージュ・ジュフロワ」を中心に栄えているようなので、離れれば離れるほどお客は少なくなってきます。
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幾つか歯抜けになったお店もありました。
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このお店も素晴らしい内装がそのまま残っています。壊されないで居抜きでテナントが入ることを切に願います。現在こんな内装を造ろうと思っても造ることは出来ないと思います。たとえ表面的に似ていたとしても。
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このパサージュは通常みられる1本道の通り抜けだけでなく脇に2本並行した通りがあります。南側は競売場のドルオー開館が近いので、古切手や古コイン、古い絵葉書を扱うお店がたくさんありました。
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このパサージュにもエスニック化の波はやってきているようです。通りの中に数店あるのは良いと思いますが、だんだんそこで働く人用に食料品店から電気店にビデオ店に旅行社なんて広がっていくと違った世界になってしまいます。すでにいくつかのパサージュで見てきた事なのでこれ以上は増えなくても良いと思いました。
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と言ってもシャッターアーケードになってしまうよりは良いのかもしれませんが。パノラマが衰退した一つの原因には南側が証券取引所などの買い物客が歩かないであろうエリアがあることではなでしょうか。「ギャラリー・ヴィヴィエンヌ」に向かう道すがらそんなことを感じました。
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道路標識に可愛らしい悪戯がしてありました。そもそもこの歩行者用の標識も歩行禁止なのか、子供と手を繋いではいけないのか意味不明ではあります。
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こちらにも同じ顔写真のステッカーが貼ってあります。まるでアメリの映画を実践している人がいるのかのようです。ちなみに犬の糞を拾わない場合は最大で457ユーロの罰金だそうです。
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「ギャラリー・ヴィヴィエンヌ」は北側の9月4日通りからパサージュに入ります。パリの盛り場のがパレ・ロワイヤルからグラン・ブールヴァールに移る過程で、ヴィヴィエンヌ通りは賑わいを見せますが、馬車の行き来も多くて買い物には不向きでした。そこで通りに家を持っていたマルショーという人物がプチ・シャン通りからヴィヴィエンヌ通りにパサージュを造れば賑わうと考えます。
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辺り一帯を地上げして建築家のフランソワ・ジャン・に設計を依頼し、1825年に開業します。敷地には高低差もあり折れ曲がっていましたが、ロトンドを設けるなどして散策に楽しい空間を完成させました。
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「ギャラリー・ヴィヴィエンヌ」のロゴが床にモザイクとして残されています。
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そしてそのモザイクを手掛けたG.ファッチーナの名前もモザイクで残されています。紀元前のモザイクが現在にも残っているのですから、このモザイクも末永く残ってもらいたいものです。
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これだけの通りの床をすべてモザイクで覆い尽くしているのですから相当な労力とお金がかかっているのが分かります。
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2011年当時でもパリの子供服のお店の充実とセンスの良さには驚きました。そして生まれたばかりの姪が大きくなるにつれて、日本でこのような子供服の無さに嘆くことになりました。
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パサージュに品格が残っていると入っているテナントも良いお店が入って相乗効果が生まれるようです。
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ただ歩いているだけでも楽しい通りです。
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11月に入って間もないですが、パリにはクリスマスの足音が聞こえて来そうです。いつかパリのクリスマスマーケットのシーズンに来たいと思っているのですが、まだ願いは叶っていません。
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昔ながらの古本屋の看板が残っています。そうこのパサージュには古本屋がたくさん入居しています。
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雑貨屋さんの店内のインテリアは改装しても、ファサードは手を付けずに残っているのが良いですね。
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46番の店は両方ともジュソーム書店で、1862年からここで営業されているそうです。
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このパサージュはパリに残ったパサージュでも有数の美しさだと思います。特にこんな夕暮れ時は時間が百年くらい遡った気分を味わえます。
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イスタンブールのグランドバザールの中の一角にこんな通りがあったのを思い出しました。その店はエジプトガラスの香水瓶を売っている店で、今晩からバカンスに行くんだと言ってまとめて買ったらすごく安くしてくれた記憶があります。
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50年から60年前のポスターか何かのレプリカのポストカードが流行っているようで、ついつい買ってしまいそうですが結構いい値段がついています。
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多分観光客には古書を売るより絵葉書の方が売りやすいのだと思います。
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古い写真のカードは更に良い値段がついていますが、パリにいるとこんなカードを出したくなるから不思議です。パッと目に着いたのは黒いヴィーナスと呼ばれたジョセフィン・ベーカーの絵葉書です。
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ジョセフィン・ベーカーは1925年パリのシャンゼリゼ劇場に出ていた「レビュー・ネグロ」に加わることになります。このダンスで彼女は初めてチャールストンを目の当たりにしたパリの観客をたちまち虜にしてしまいます。舞踏ジャーナリストのアンドレ・ルヴァンソンは、「ジョセフィンは不恰好な黒人のダンサーだと思ったらとんでもない間違いで、彼女こそ詩人ボードレールが夢に見た褐色の女神」と熱狂して賛辞を送り、アーネスト・ヘミングウェイは「これまで見たことのある最もセンセイショナルな女性」と称えています。
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頭の中をウッディ・アレン監督の「ミッドナイト・イン・パリス」でいっぱいになってきました。1920年代のパリに迷い込みたい気持ちになってきます。そんなことを感じさせるジュソーム書店の店先でした。
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新古典主義内装は美しい半円のアーチに切妻型のガラス屋根が乗っています。
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エトワール凱旋門の内側を見ているようなアーチ天井も美しいです。パサージュの多くに時計が設けられているのは何か理由があるのでしょうか。
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雨風を避けたパサージュのガラス天井の下でパラソルは果して必要なのでしょうか?日差しもパラソルを差すほどでは無いと思いますが。テラス席も邪魔なようで何となく環境に馴染んでいます。19世紀にタイムスリップできそうな「ア・プリオリ・テ」というレストランです。
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フランスはアフリカの国々を植民地にしていた記憶が残っているのか、アフリカ系のオブジェなどに人気があるようです。クリニャンクールの蚤の市にもたくさんのお店がありました。インドシナ半島も植民地だったのでベトナムの工芸品を扱う店も多いですが、驚くような値段が付いています。
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パリで見たときは欲しくなかったけれど、やっぱり1つくらいエッフェル塔の模型を買ってきても良かったかなと思います。
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多分百年前も今と同じような眺めだったのではないでしょうか。
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小さいサイズのロトンダもこのパサージュに合った大きさと思えます。
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直線の長いパサージュを歩いていると、このような変化があると気分転換になっていいです。このパサージュのレリーフは月桂樹の冠を持った女神のようです。
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それぞれのテナントは店員さんも少ないので、店先に通勤用の自転車を置いている店が多いです。
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このロトンダの中央にはメルクリウスの像があったそうですが、時代の流れの中で失われています。
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観光客でごった返したパリも良いですが、落ち着いたこんなパリも良いです。
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日が暮れかかって雰囲気も良くなってきました。
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長いパサージュには高低差もあり、数か所の階段がありました。パリの町は比較的フラットな街ですが、やはりセーヌ川に向かって緩やかな傾斜があるようです。
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お小遣いがあったらギャラリー巡りも楽しそうです。
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パリに住んでいて時間に捕らわれずにいられたらのんびりカフェでこの夕暮れを楽しめるのですが。バーが併設されたワイン専門店のルグラン・フィーユ・エ・フィス( LEGRAND Fille et Fils)も素敵な店でした。
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時間の無い観光客には先を急ぐしかありません。19か所のパリのパサージュをすべて巡るのはとても大変なことだと実感してきました。
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「ギャラリー・ヴィヴィエンヌ」を南側のプティ・シャン通りに抜けて、西隣の「ギャルリ・コンヴェール」に向かいます。北側とはわって美しいエントランスです。ファサード上部に装飾されたカリアティード(女性柱)は屋根を支えることも止めてくつろいで座っています。この彫刻はパサージュの主であるマルショーの娘のエルマンス・マルショーによって1884年に制作されたものです。
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「ギャルリ・コンベール」の入り口には警備員さんがいました。ここは国立図書館の入口でもあるので身分証明書の提示が必要だとコロナブックスには書いてありましたが特に何も言われずに入れました。
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ここも綺麗に整い過ぎてパサージュ巡りの楽しさはあまり感じられません。建築はJ・ビヨーの設計で1826年に建設されています。ギャルリ・コルベールの名称は、かつてこの地にルイ14世の財務長官だったコルベールが所有していた建物があったことに由来します。
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ギャラリーにはよく分からないオブジェが飾られています。ちょっとミシュランのビバンダムかと思いながら、我々夫婦がガラスに映っているのかと思ってしまいました。
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ル・グラン・コルベール(Le Grand Colbert)という素敵なレストランがありました。
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今回の旅ではそもそも物価の高いパリで、ずっと姪を含めた3人で食事していたのであまり高級店には入れませんでした。
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こんな所で商売になるのか分かりませんがテナントも入っています。かと思えば大学の講義室のような部屋があったり。
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大きく空に開く円形のロトンダが印象に残るパサージュです。このロトンダはパサージュが出来た時から絶賛されているそうです。
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ヴィーナス像は開業当時から置かれていたそうですが、オリジナルではないそうです。
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我々以外は女子大生の団体さんが見学しているくらいで、観光客の姿など見掛けませんでした。色大理石の連続するコリント式のオーダーの美しさは見事です。このパサージュは通り抜けが出来ずに、同じルートで南側に出ることになります。
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「パサージュ・ショワズール」はパレ・ロワイヤルの北側の日本料理屋やラーメン屋のある通りをヴァンドーム広場へ向かったところにあります。
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2011年当時には改修計画が立ち上がっているようで、入口の脇に掲示されていました。
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パサージュにしては珍しく、キャノピーの付いた入口です。
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ガラス天井が暗いのは日差し除けの黒いシートが掛けられているからです。なければちょうど夕方の空が美しい時間帯なのに残念です。この辺りが改修しなければならない理由があるのでしょうか。
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3階建ての建物の2階以上がどうなっているのかも気になるところです。
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かなり庶民的なテナントが多く、今まで見てきた高級なパサージュとは客層も違うようです。
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安売りの靴が大量に並べられた店など、観光客が喜びそうな店はありません。
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再開発に向けてなのか、閉店した店も多いようです。一部は改修工事も終わっているようにも思えます。このパサージュが開通したのは王政復古化の1827年で、ルイ14世の外務大臣だったリオンヌ侯爵の邸宅など4軒の建物をマレ銀行が地上げしました。
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パサージュに隣接してオペラ・コミック王立劇場が建設されることになり、こちらも同じ銀行が出資しますが、劇場の経営は思わしくなく、劇場は持ち主が何度か変わり、1878年には大火を出してしまいます。
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帰国する前に念願の「グレヴァン蝋人形館」の見学も出来ました。夕方から2時間以上見ていたので、表に出ると辺りは暗くなっていました。夜の「パサージュ・ジュフロワ」は趣きがあってよかったです。。
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ステッキ屋さんのトルソを見ていたらオートマタの機械仕掛けで動き出しそうでした。映画「ヒューゴの不思議な発明」を思い出したからかもしれません。ジョルジュ・メリエス へのオマージュとして心温まる映画でした。
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歩く人もウインドウショッピングを楽しんでいます。
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ホテル・ショパンともお別れです。409号室は今日は空いているようです。
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写真を撮っている間は妻は自由にウインドウショッピング出来るのクレームは出ないのが良いです。
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「グレヴァン蝋人形館」の不気味人形ともお別れです。
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滞在中の3週間でだいぶクリスマスらしさは増えてきました。残念ながらシャンゼリゼの点灯式や「ギャラリー・ラファイエット」と「プランタン」のクリスマス・ディスプレイには間に合いませんでした。
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「グレヴァン蝋人形館」もすでに閉館したようです。中の蝋人形の数を考えたらこの中に夜間に入りたいとは思いません。
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旅の最後に訪れたのは「ギャラリー・ヴェロ・ドタ」です。ここは2000年の旅でも最後に、しかも同じように夜遅くに訪ねた場所です。時間帯が似ていたので2人懐かしく思い出しました。
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入口前には古いシトロエンが停まっていました。それもフランスっぽい淡いブルーでとってもオシャレです。まだこんな古い車が現役で走っているのだと思いましたが、実は妻と同じ歳だという事を後に知りました。
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パサージュの店は一番奥の飲食店以外は全部閉まっていますが、何とも言えないエレガントな雰囲気を持った通りです。このパサージュが出来た1826年当時はパレ・ロワイヤルが全盛だったので、パレ・ロワイヤルに負けない豪華さのパサージュを造ったそうです。
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パリに残るパサージュでは一番凝った高級感のある内装です。そしてそれは出来た頃からほとんど変わっていないようです。ファサードは透明ガラスを多用し、店舗間の壁は鏡で覆い、床は白黒の市松模様にタイルを張り、天井はガラス屋根だけではなく、アレゴリックな天井画も配しています。
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入っているテナントもオシャレなギャラリーなどが多いようです。
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午後8時で店は閉まり、全く人通りのないパサージュです。場所はルーブル宮のすぐ北側でパレ・ロワイヤルの東側なのに夜が早い地域です。
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2階へ上がる螺旋階段を見ていたら春の中欧の旅で行ったブダペストの廃墟となったパサージュ「パーリジ・ウドヴァル」を思い出しました。
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ハンガリー語で「パリの散歩道」と名付けられたそのパリのパサージュを全部制覇しました。
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ギャラリーにあった犬か狐のオブジェです。ハビエル・マリスカルに似ているようなデザインですが、白地に墨で描かれた所などは西安近くの村でつくられている泥人形を思い出しました。それなら同じような大きさで300円くらいで買えるのにと思いました。
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1度やってみたかったパリのパサージュ巡り全制覇を終えることが出来ました。
幾つかのパサージュは見なくても良かったかなっという気持ちも残りますが、無駄のように思えた通りを通ってこそ感じたこともあったので無駄ではなかったと思います。全部のパサージュ巡りに付き合ってくれた妻には感謝です。 -
ブロワ通り側の入口近くにある「香港酒店」という中華レストランは安くて美味しかったです。11年前もこの店に来たような記憶がありますが、かなり曖昧な思い出です。
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3週間近い旅でかなり体力的にも疲れたので、中華料理が体に沁みます。こんな時は絶対に酸辣湯がいいです。
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スタンダードな料理をいくつか注文してシェアします。
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日本にもある街の中華屋さんのような親しみのある味で美味しかったです。
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最後にデザートをいただいてパサージュ巡りが終わりました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- violaさん 2012/01/11 06:52:24
- パサージュの素敵な写真ありがとうございます。
- パサージュ廻りの旅行記拝見しました。素敵なパサージュの写真ありがとうございました。数年前、パリのパサージュに興味を持ち、あちこち歩いて回ったことを思い出しました。ホテル・ショパンにも宿泊しました。小さなホテルですが、趣がありました。また素敵な旅行記期待しています。
- kojikojiさん からの返信 2012/01/11 10:46:37
- RE: パサージュの素敵な写真ありがとうございます。
- 旅行記を見ていただいてありがとうございます。
昨年のフランスの旅行記をアップしていてパサージュ巡りが最後になってしまったのは以外に地味な写真が多いので、旅行記にしても誰も見てくれないのではと思っていました。ところが4トラのみなさんからお便りを多くいただきちょっと驚いています。個人的にはパリのパサージュは時間が止まったような雰囲気で大好きなのですが。同じ思いの方がたくさんいらして嬉しいです。
ショパンにも泊られたのですね。羨ましいです。お茶でも飲めればあのフロントの辺りに座ってパサージュを行きかう人を眺めてみたいと思いました。
今年の旅行はまだ未定ですがみなさんに見ていただけるような旅行記を出せていければと思います。
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