パリ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
10月最後の日曜日はサマータイムが終わりの日でもありました。土曜日の深夜(日曜日の午前2時)と日曜日の深夜を勘違いしていて、この日は午前8時と思いながら実際は午前7時にホテルを出ていました。日曜の朝だから人が少ないのだと単純に思い込んでいましたが少なくて当たり前です。本当は朝からヴェルサイユ宮殿に行くつもりでしたが、予定がだいぶずれてきているのでシテ島の「ノートルダム大聖堂」と「サント・シャペル」を見てから行くことにしました。朝1時間早かった分妻はシテ島の近くのカフェでコーヒーを飲むと言い出しましたので、1人で大聖堂の見学に行きました。ここへ来るのは3回目ですが、厳かな雰囲気を味わえるので好きな場所ではあります。時間をかけてゆっくり見学しましたが、人が少ない分内陣の彫刻や側廊の彫刻やステンドグラスなどをじっくり見る事が出来ました。妻と合流した後にもう一度見学しましたが、今回も塔の上には登る機会はありませんでした。両親がヨーロッパを旅した写真の中に塔の上に立つ父の写真があり、一度は登ってみたいと思っていたのですが。日曜日のシテ島はたくさん並ぶ花屋もあまり開かれておらず、小鳥を扱う店にもあまり人は出ていませんでした。姪と合流した「サント・シャペル」の見学は初めてでしたが、そのステンドグラスの圧倒的な光の渦には圧倒されました。ここは朝一番の人の少ないときに来ることが出来て良かったと思いました。

晩秋のパリ旅行(6)シテ島のノートルダム大聖堂のジャンヌ・ダルク像と再会し、サント・シャペルのステンドグラスの光の洪水に驚嘆する。

8いいね!

2011/10/22 - 2011/11/06

8199位(同エリア16384件中)

旅行記グループ 2011 パリの旅

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kojikoji

kojikojiさん

10月最後の日曜日はサマータイムが終わりの日でもありました。土曜日の深夜(日曜日の午前2時)と日曜日の深夜を勘違いしていて、この日は午前8時と思いながら実際は午前7時にホテルを出ていました。日曜の朝だから人が少ないのだと単純に思い込んでいましたが少なくて当たり前です。本当は朝からヴェルサイユ宮殿に行くつもりでしたが、予定がだいぶずれてきているのでシテ島の「ノートルダム大聖堂」と「サント・シャペル」を見てから行くことにしました。朝1時間早かった分妻はシテ島の近くのカフェでコーヒーを飲むと言い出しましたので、1人で大聖堂の見学に行きました。ここへ来るのは3回目ですが、厳かな雰囲気を味わえるので好きな場所ではあります。時間をかけてゆっくり見学しましたが、人が少ない分内陣の彫刻や側廊の彫刻やステンドグラスなどをじっくり見る事が出来ました。妻と合流した後にもう一度見学しましたが、今回も塔の上には登る機会はありませんでした。両親がヨーロッパを旅した写真の中に塔の上に立つ父の写真があり、一度は登ってみたいと思っていたのですが。日曜日のシテ島はたくさん並ぶ花屋もあまり開かれておらず、小鳥を扱う店にもあまり人は出ていませんでした。姪と合流した「サント・シャペル」の見学は初めてでしたが、そのステンドグラスの圧倒的な光の渦には圧倒されました。ここは朝一番の人の少ないときに来ることが出来て良かったと思いました。

旅行の満足度
5.0
観光
4.5
ホテル
4.5
グルメ
5.0
ショッピング
4.5
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
鉄道 高速・路線バス 観光バス 徒歩
航空会社
中国国際航空
旅行の手配内容
個別手配

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  • いつものようにホテル近くのダンフェール・ロシュロー駅から地下鉄でシテ島へ向かいます。

    いつものようにホテル近くのダンフェール・ロシュロー駅から地下鉄でシテ島へ向かいます。

  • パリの地下鉄は出口から地上に出る前に出口を確認しておかないととんでもない所に出てしまい、日本のように地上で簡単に横断歩道を渡れなかったりするので、ホームの地図で確認しておかないと時間をロスしてしまいます。

    パリの地下鉄は出口から地上に出る前に出口を確認しておかないととんでもない所に出てしまい、日本のように地上で簡単に横断歩道を渡れなかったりするので、ホームの地図で確認しておかないと時間をロスしてしまいます。

  • にっこり笑って午前8時過ぎの電車に乗っているつもりですが、昨晩のうちにサマータイムが終わっているので実際はまだ7時過ぎでした。地下鉄がガラガラなのはそのせいです。10月30日、10月最後の日曜日の朝です。

    にっこり笑って午前8時過ぎの電車に乗っているつもりですが、昨晩のうちにサマータイムが終わっているので実際はまだ7時過ぎでした。地下鉄がガラガラなのはそのせいです。10月30日、10月最後の日曜日の朝です。

  • 突然後ろの車両から係員がやってきて何か言っています。「えっ、マジかよ。」みたいなことを言って若者が降りていきます。なんと電車は工事のためにオデオン駅で停まってしまいました。オデオン駅とセバストポル駅の間が運休で、代替えのバスがその区間を繋いでいるようでした。まさに大貫妙子の「地下鉄のザジ」を口ずさまなければならなくなりました。

    突然後ろの車両から係員がやってきて何か言っています。「えっ、マジかよ。」みたいなことを言って若者が降りていきます。なんと電車は工事のためにオデオン駅で停まってしまいました。オデオン駅とセバストポル駅の間が運休で、代替えのバスがその区間を繋いでいるようでした。まさに大貫妙子の「地下鉄のザジ」を口ずさまなければならなくなりました。

  • オデオン駅からシテ島まではいくらも無いので、接続バスには乗らずに歩いてサン・ミッシェル橋へ向かうことにしました。

    オデオン駅からシテ島まではいくらも無いので、接続バスには乗らずに歩いてサン・ミッシェル橋へ向かうことにしました。

  • 「サン・ミッシェル広場」はナポレオン3世の第2帝政時代の1855年に造られ、現在はカルチェ・ラタンの玄関口といった場所です。ナポレオン3世時代に建設された噴水を飾るのはガブリエル・ダビウ作のサタンを倒す大天使聖ミカエルの姿です。

    「サン・ミッシェル広場」はナポレオン3世の第2帝政時代の1855年に造られ、現在はカルチェ・ラタンの玄関口といった場所です。ナポレオン3世時代に建設された噴水を飾るのはガブリエル・ダビウ作のサタンを倒す大天使聖ミカエルの姿です。

  • 聖書の中の有名な物語として大天使ミカエルが反逆したサタン(ルシフェル)と戦って地の底へ突き落した話があります。元々は大天使であったサタンは傲慢の心が芽生え、他の天使たちと共に神に謀反し、神は大天使ミカエルを呼んでサタンに対抗させました。一説にはサタンとミカエルは双子の兄弟であったとされています。2人は激しく戦いミカエルが勝利をおさめ、敗北したサタンは堕天使となり地の底へ封印されてしまいました。サタンの姿は17世紀のイタリアの画家グイド・レーニの絵画に似ているように見えました。

    聖書の中の有名な物語として大天使ミカエルが反逆したサタン(ルシフェル)と戦って地の底へ突き落した話があります。元々は大天使であったサタンは傲慢の心が芽生え、他の天使たちと共に神に謀反し、神は大天使ミカエルを呼んでサタンに対抗させました。一説にはサタンとミカエルは双子の兄弟であったとされています。2人は激しく戦いミカエルが勝利をおさめ、敗北したサタンは堕天使となり地の底へ封印されてしまいました。サタンの姿は17世紀のイタリアの画家グイド・レーニの絵画に似ているように見えました。

  • この像と噴水を設計したのは「シャトレ劇場」や「パリ市立劇場」を設計したガブリエル・ダビウで、両脇にいるドラゴンの像の彫刻はアンリ・アルフレッド・ジャックマールによるものです。 上半身はドラゴンというよりはグリフィンに近いような姿に見えました。

    この像と噴水を設計したのは「シャトレ劇場」や「パリ市立劇場」を設計したガブリエル・ダビウで、両脇にいるドラゴンの像の彫刻はアンリ・アルフレッド・ジャックマールによるものです。 上半身はドラゴンというよりはグリフィンに近いような姿に見えました。

  • カルチェ・ラタン夜遅くまで賑わうこの辺りですが、日曜日に早朝はとても静かです。

    カルチェ・ラタン夜遅くまで賑わうこの辺りですが、日曜日に早朝はとても静かです。

  • 広場から振り向くとセーヌ河畔からシテ島とノートルダム大聖堂が望めました。1時間時間が早いことに気が付いた妻は広場の脇にあるサン・ミッシェルというカフェで少し休憩すると言い出します。

    広場から振り向くとセーヌ河畔からシテ島とノートルダム大聖堂が望めました。1時間時間が早いことに気が付いた妻は広場の脇にあるサン・ミッシェルというカフェで少し休憩すると言い出します。

  • 妻をカフェに置いてノートルダムまで散歩を始めると、途中に綺麗な地図を見つけました。大聖堂がシルエットになってガラスに映っています。神田駿河台あたりが日本のカルチェ・ラタンと呼ばれますが、ここはまさにカルチェ・ラタンです。名前の由来は「ラテン語地区」という意味で、ヨーロッパ各地から集まった学生たちが当時の学問や教会における国際共通語であったラテン語で会話したことに由来します。

    妻をカフェに置いてノートルダムまで散歩を始めると、途中に綺麗な地図を見つけました。大聖堂がシルエットになってガラスに映っています。神田駿河台あたりが日本のカルチェ・ラタンと呼ばれますが、ここはまさにカルチェ・ラタンです。名前の由来は「ラテン語地区」という意味で、ヨーロッパ各地から集まった学生たちが当時の学問や教会における国際共通語であったラテン語で会話したことに由来します。

  • 川沿いの深緑色の小さな箱の形は有名なブキニストです。本という単語はフランス語でリーヴルですがブッキャンともいいます。本を売っている人をブキニストと呼んでいたところからセーヌ川沿いに並ぶ露天古本屋の名称につながったそうです。まだ時間が早いのか日曜日なので休みなのか。

    川沿いの深緑色の小さな箱の形は有名なブキニストです。本という単語はフランス語でリーヴルですがブッキャンともいいます。本を売っている人をブキニストと呼んでいたところからセーヌ川沿いに並ぶ露天古本屋の名称につながったそうです。まだ時間が早いのか日曜日なので休みなのか。

  • ほとんどひと気のない「ノートルダム大聖堂」に到着しました。ノートルダムとはフランス語で「我らが貴婦人」という意味で、すなわち聖母マリアを指します。

    ほとんどひと気のない「ノートルダム大聖堂」に到着しました。ノートルダムとはフランス語で「我らが貴婦人」という意味で、すなわち聖母マリアを指します。

  • この敷地はローマ時代にはユピテル神域でしたが、ローマ帝国の崩壊後にキリスト教徒はこの地にバシリカを建設します。1163年に司教のモーリス・ド・シュリーによって現在にみられる大聖堂の建設が着工されて1225年に完成します。ファサードを構成する2つの塔は1250年に至るまで工事が続けられ、最終的な竣工は1345年になります。

    この敷地はローマ時代にはユピテル神域でしたが、ローマ帝国の崩壊後にキリスト教徒はこの地にバシリカを建設します。1163年に司教のモーリス・ド・シュリーによって現在にみられる大聖堂の建設が着工されて1225年に完成します。ファサードを構成する2つの塔は1250年に至るまで工事が続けられ、最終的な竣工は1345年になります。

  • ファサードを装飾する彫刻や屋根の塔、その他多くの部分は19世紀のゴシック・リヴァイヴァル期にウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュクによって大幅に改装されたものですが、このポルタイユにはロマネスク的な痕跡があって、半円形アーチをポインテッド・アーチに無理に改造したような跡が交差した辺りに見受けられます。木製の扉には繊細で美しい鉄の細工がされています。伝説では金具職人見習いヴィスコルネはこの扉に鉄の細工をするように命じられました。しかし由緒あるノートルダム大聖堂の扉にどのような細工を施したら良いのか分かりません。悩んだヴィスコルネに悪魔はある契約をもちかけ、それは悪魔が扉に美しい鉄の細工をするかわりに自らの魂を売ることでした。自信のなかったヴィスコルネは悪魔と契約をかわし、悪魔は一夜で扉に細工をほどこし、ヴィスコルネは発作を起こし翌朝ベッドで亡くなっていたそうです。

    ファサードを装飾する彫刻や屋根の塔、その他多くの部分は19世紀のゴシック・リヴァイヴァル期にウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュクによって大幅に改装されたものですが、このポルタイユにはロマネスク的な痕跡があって、半円形アーチをポインテッド・アーチに無理に改造したような跡が交差した辺りに見受けられます。木製の扉には繊細で美しい鉄の細工がされています。伝説では金具職人見習いヴィスコルネはこの扉に鉄の細工をするように命じられました。しかし由緒あるノートルダム大聖堂の扉にどのような細工を施したら良いのか分かりません。悩んだヴィスコルネに悪魔はある契約をもちかけ、それは悪魔が扉に美しい鉄の細工をするかわりに自らの魂を売ることでした。自信のなかったヴィスコルネは悪魔と契約をかわし、悪魔は一夜で扉に細工をほどこし、ヴィスコルネは発作を起こし翌朝ベッドで亡くなっていたそうです。

  • ポルタイユは正面という意味で、正面にある3つの扉は左から「聖処女の扉」「最後の審判の扉」「聖アンナの扉」です。聖処女は聖母マリアのことで聖アンナは聖母マリアの母のことです。一番大きくて美しいのは中央の最後の審判の扉です。

    ポルタイユは正面という意味で、正面にある3つの扉は左から「聖処女の扉」「最後の審判の扉」「聖アンナの扉」です。聖処女は聖母マリアのことで聖アンナは聖母マリアの母のことです。一番大きくて美しいのは中央の最後の審判の扉です。

  • アーチの奥が最後の審判の場面のレリーフですが、周囲の彫刻も少し見ておくことにします。

    アーチの奥が最後の審判の場面のレリーフですが、周囲の彫刻も少し見ておくことにします。

  • 2枚の扉の間の柱にはキリスト像が悪魔を踏みつける姿で現されています。左手に聖書を持ち、右手の人差し指と中指を伸ばしていますが、これは人差し指が Ι(ギリシャ文字のイオタ)、中指が C(同シグマ(Σ))、親指と薬指とで Χ(同キー(カイ))、小指が Cを表しており、イエス(ΙC) キリスト(ΧC)を意味します。よく見ると人差し指と中指が欠損しているようです。

    2枚の扉の間の柱にはキリスト像が悪魔を踏みつける姿で現されています。左手に聖書を持ち、右手の人差し指と中指を伸ばしていますが、これは人差し指が Ι(ギリシャ文字のイオタ)、中指が C(同シグマ(Σ))、親指と薬指とで Χ(同キー(カイ))、小指が Cを表しており、イエス(ΙC) キリスト(ΧC)を意味します。よく見ると人差し指と中指が欠損しているようです。

  • イエスの左右には十二使徒の彫刻が取り囲んでいます。イエスの近い右側は「天国の鍵」を手に持っているので聖ペテロだと分かります。「盃」を持つのは聖ヨハネで、「X型の十字架」を持った聖アンドレ、「こん棒」を持った聖小ヤコブ、「聖書と羊飼いの杖」を持った聖シモン、アトリビュートが破損していますが、消去法で考えると「ナイフ」を持っていた聖バルトロマイです。

    イエスの左右には十二使徒の彫刻が取り囲んでいます。イエスの近い右側は「天国の鍵」を手に持っているので聖ペテロだと分かります。「盃」を持つのは聖ヨハネで、「X型の十字架」を持った聖アンドレ、「こん棒」を持った聖小ヤコブ、「聖書と羊飼いの杖」を持った聖シモン、アトリビュートが破損していますが、消去法で考えると「ナイフ」を持っていた聖バルトロマイです。

  • 右側に移ってイエスに近い左側から「聖書と剣」を持った聖パウロ、「巡礼のホタテ貝」を持った聖大ヤコブ、「定規」を持った聖トマス、「長い十字架」を持った聖ピリポ、「石と定規」を持った聖ユダ(ダダイ)、「聖書」を持った聖マタイは新約聖書の福音書家です。

    右側に移ってイエスに近い左側から「聖書と剣」を持った聖パウロ、「巡礼のホタテ貝」を持った聖大ヤコブ、「定規」を持った聖トマス、「長い十字架」を持った聖ピリポ、「石と定規」を持った聖ユダ(ダダイ)、「聖書」を持った聖マタイは新約聖書の福音書家です。

  • 中央に「聖痕」を示すキリストの姿がありますが、右脇腹にはロンギヌスの槍の痕も見る事が出来ます。イエスの右にはロンギムスの槍と3本の釘を持った大天使ミカエルと十字架を持った大天使ガブリエルの姿があります。

    中央に「聖痕」を示すキリストの姿がありますが、右脇腹にはロンギヌスの槍の痕も見る事が出来ます。イエスの右にはロンギムスの槍と3本の釘を持った大天使ミカエルと十字架を持った大天使ガブリエルの姿があります。

  • 向かって右側は悪魔に天秤秤に掛けられ地獄へ連れ去られる10人の死者たち。左手は天秤ばかりを持ち魂の重さを確かめる大天使ミカエルと天国へ迎えられる死者たちですが、個人的には地獄へ向かう彫刻が気になります。

    向かって右側は悪魔に天秤秤に掛けられ地獄へ連れ去られる10人の死者たち。左手は天秤ばかりを持ち魂の重さを確かめる大天使ミカエルと天国へ迎えられる死者たちですが、個人的には地獄へ向かう彫刻が気になります。

  • ついつい扉の右側の地獄の方ばかりが気になってしまいます。ポインテッド・アーチの下部にあった彫刻は地獄のいろいろな場面が表されています。

    ついつい扉の右側の地獄の方ばかりが気になってしまいます。ポインテッド・アーチの下部にあった彫刻は地獄のいろいろな場面が表されています。

  • 鉄鉤をもった悪魔が人を逆さまにして2つに裂くと内臓がはみ出し、ヒキガエルが体にまとわりついています。1番上の悪魔は本を手にして、罪状を示して口で弓矢を死者に向け、そのわきでは悪魔が死者を槍で貫いています。

    鉄鉤をもった悪魔が人を逆さまにして2つに裂くと内臓がはみ出し、ヒキガエルが体にまとわりついています。1番上の悪魔は本を手にして、罪状を示して口で弓矢を死者に向け、そのわきでは悪魔が死者を槍で貫いています。

  • 王冠を被った王でもミトラ(司教の帽子)を被った聖職者でも死は平等に与えられ、悪いことをすれば地獄に落ちると暗示しています。

    王冠を被った王でもミトラ(司教の帽子)を被った聖職者でも死は平等に与えられ、悪いことをすれば地獄に落ちると暗示しています。

  • 生前に王冠を被っていても悪事を働いて死者になると三又の矛で責め苦に合い、悪魔に背負われて地獄へ連れ去られます。

    生前に王冠を被っていても悪事を働いて死者になると三又の矛で責め苦に合い、悪魔に背負われて地獄へ連れ去られます。

  • 審判にあい地獄へ落されるとまずは釜茹での刑にあうようです。これは世界共通の責め苦のようですので、本当に地獄はあるのだろうかと真剣に考えてしまいます。

    審判にあい地獄へ落されるとまずは釜茹での刑にあうようです。これは世界共通の責め苦のようですので、本当に地獄はあるのだろうかと真剣に考えてしまいます。

  • 戴冠した聖母マリアと幼子イエスの姿を見るとホッとします。幼子でも自我が強いようで右手で自分の存在を誇示しています。

    戴冠した聖母マリアと幼子イエスの姿を見るとホッとします。幼子でも自我が強いようで右手で自分の存在を誇示しています。

  • ポインテッド・アーチの彫刻をよく見ていくと角の生えたモーゼの姿なども確認できますが、キリがないのでこれくらいにしておきます。最後にパリで殉教したサン・ドニだけ写真に収めておきます。彼は斬首された後に自分の首を持って歩いたのでこの姿で表されます。

    ポインテッド・アーチの彫刻をよく見ていくと角の生えたモーゼの姿なども確認できますが、キリがないのでこれくらいにしておきます。最後にパリで殉教したサン・ドニだけ写真に収めておきます。彼は斬首された後に自分の首を持って歩いたのでこの姿で表されます。

  • 堂内に入るとちょうど日曜礼拝の真っ最中でした。ミサの様子を観光客も見学することが出来ましたし、側廊は自由に歩くこともできました。

    堂内に入るとちょうど日曜礼拝の真っ最中でした。ミサの様子を観光客も見学することが出来ましたし、側廊は自由に歩くこともできました。

  • 大聖堂の建物に比べて礼拝に来られている方の人数は少なかったです。美しいリブアーチの天井の連続を眺めているといつの時代にいるのかが分からなくなりそうです。リブアーチで支えられた身廊の天井はそれぞれ天井の荷重を左右に分散させ、建物の表にあるフライングバットレスで受け止めます。

    大聖堂の建物に比べて礼拝に来られている方の人数は少なかったです。美しいリブアーチの天井の連続を眺めているといつの時代にいるのかが分からなくなりそうです。リブアーチで支えられた身廊の天井はそれぞれ天井の荷重を左右に分散させ、建物の表にあるフライングバットレスで受け止めます。

  • 内陣の一番奥にあるピエタは象徴的に照明が当てられ、ちょうど東側から太陽が上がってきたのでステンドグラスもきれいに浮かび上がりました。

    内陣の一番奥にあるピエタは象徴的に照明が当てられ、ちょうど東側から太陽が上がってきたのでステンドグラスもきれいに浮かび上がりました。

  • 「ピエタ」は十字架から降ろされた息子キリストの亡骸を腕に抱く嘆く母マリアをモチーフとした聖母子を表現するものです。ルイ13世の為にルイ14世がニコラス・クストーに造らせたもので、マリアに向かって左側にルイ14世、右側にルイ13世の膝まづく姿も見えます。

    「ピエタ」は十字架から降ろされた息子キリストの亡骸を腕に抱く嘆く母マリアをモチーフとした聖母子を表現するものです。ルイ13世の為にルイ14世がニコラス・クストーに造らせたもので、マリアに向かって左側にルイ14世、右側にルイ13世の膝まづく姿も見えます。

  • 入り口から一番奥の主祭壇まで望遠で撮ってみます。下の台はフランソワ・ジラルドンの黄金のレリーフが嵌め込まれています。ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂のミケランジェロのピエタも望遠レンズで写真を撮らないとならない距離に置かれていたことを思い出しました。

    入り口から一番奥の主祭壇まで望遠で撮ってみます。下の台はフランソワ・ジラルドンの黄金のレリーフが嵌め込まれています。ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂のミケランジェロのピエタも望遠レンズで写真を撮らないとならない距離に置かれていたことを思い出しました。

  • 誰かがお祈りしているのかと思ったら騎士と尼僧の木像でした。いったい何年ここで祈り続けているのでしょう。

    誰かがお祈りしているのかと思ったら騎士と尼僧の木像でした。いったい何年ここで祈り続けているのでしょう。

  • 暗がりの中でよく見ると右手に砂時計を持った死神が男性を連れ去る瞬間でした。実際はもっと暗いので不気味に見えます。デジカメの威力は凄いですね。ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂のベルニーニの彫刻が素晴らしい「教皇アレクサンデル7世の墓碑」の砂時計を持った死神の彫刻を思い出しました。

    暗がりの中でよく見ると右手に砂時計を持った死神が男性を連れ去る瞬間でした。実際はもっと暗いので不気味に見えます。デジカメの威力は凄いですね。ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂のベルニーニの彫刻が素晴らしい「教皇アレクサンデル7世の墓碑」の砂時計を持った死神の彫刻を思い出しました。

  • 聖書では神のことばを「剣」としてたとえています。イザヤ書の「しもべの歌」の1つに「主は私の口を鋭い剣のようにし」とあります。ヘブル書には「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、魂と霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」と。黙示録では「この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。」とあります。

    聖書では神のことばを「剣」としてたとえています。イザヤ書の「しもべの歌」の1つに「主は私の口を鋭い剣のようにし」とあります。ヘブル書には「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、魂と霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」と。黙示録では「この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。」とあります。

  • 3本のチェーンで吊るされた円形のシャンデリアはランピエまたはランピエと呼ばれていたものです。聖母マリアの礼拝堂は最上段にマリアの戴冠の場面が描かれ、その下の16面にはマリアの生涯が描かれていました。

    3本のチェーンで吊るされた円形のシャンデリアはランピエまたはランピエと呼ばれていたものです。聖母マリアの礼拝堂は最上段にマリアの戴冠の場面が描かれ、その下の16面にはマリアの生涯が描かれていました。

  • 主祭壇のピエタ像を裏側から見てみます。正面側は信者でないと近づくことが出来ないので観光客は裏側から眺めることになります。

    主祭壇のピエタ像を裏側から見てみます。正面側は信者でないと近づくことが出来ないので観光客は裏側から眺めることになります。

  • 聖歌隊席の裏側の内陣仕切りにはキリストの生涯の木彫のパネルが嵌め込まれています。これもこの大聖堂では必見の物だと思います。このパネルは14世紀初頭に彫刻され、、北側は1300年から1318年の間にピエール・ド・シェルによって制作されました。南側はジャン・レイビーによって制作され、最終的には1351年に完成しました。 現在は南側とこの北側だけが残っており、残りは18世紀初頭に破壊されました。

    聖歌隊席の裏側の内陣仕切りにはキリストの生涯の木彫のパネルが嵌め込まれています。これもこの大聖堂では必見の物だと思います。このパネルは14世紀初頭に彫刻され、、北側は1300年から1318年の間にピエール・ド・シェルによって制作されました。南側はジャン・レイビーによって制作され、最終的には1351年に完成しました。 現在は南側とこの北側だけが残っており、残りは18世紀初頭に破壊されました。

  • 左の場面はマリアが身ごもって6か月になるエリザベトのことを受胎告知の際に告げられて訪ねたところです。エリサベトと胎内の子(洗礼者ヨハネ)は聖霊に満たされ、エリサベトはマリアを祝福します。マリアはマニフィカトを歌って主を賛美し、エリサベトのもとに3か月ほど滞在します。その右の場面は「羊飼いへの告知」でベツレヘムのあるユダヤの山を表現しています。天使はヘブライ語の「ハレルヤ」と書かれた門を開き、山の頂上の羊飼いと下の羊飼いが天使の声を聞いた場面です。

    左の場面はマリアが身ごもって6か月になるエリザベトのことを受胎告知の際に告げられて訪ねたところです。エリサベトと胎内の子(洗礼者ヨハネ)は聖霊に満たされ、エリサベトはマリアを祝福します。マリアはマニフィカトを歌って主を賛美し、エリサベトのもとに3か月ほど滞在します。その右の場面は「羊飼いへの告知」でベツレヘムのあるユダヤの山を表現しています。天使はヘブライ語の「ハレルヤ」と書かれた門を開き、山の頂上の羊飼いと下の羊飼いが天使の声を聞いた場面です。

  • その右の場面は「キリスト降誕」で、聖母マリアはベッドに横たわった姿で表され、片肘で頭を支えています。 彼女の視線はどこかに固定されているようで、養父ヨゼフも子供にも同じことが言えます。 彫刻家は彼らが聖書について瞑想していることを見せたかったようです。 イエスの揺りかごはベッドの脇に置かれ、牛とロバに見守られています。

    その右の場面は「キリスト降誕」で、聖母マリアはベッドに横たわった姿で表され、片肘で頭を支えています。 彼女の視線はどこかに固定されているようで、養父ヨゼフも子供にも同じことが言えます。 彫刻家は彼らが聖書について瞑想していることを見せたかったようです。 イエスの揺りかごはベッドの脇に置かれ、牛とロバに見守られています。

  • マリアの姿は日本人にとっては行儀のよい姿では無いので、聖書について瞑想しているよりも不機嫌そうな表情に見えてしまいます。

    マリアの姿は日本人にとっては行儀のよい姿では無いので、聖書について瞑想しているよりも不機嫌そうな表情に見えてしまいます。

  • 「東方三博士の礼拝」さまざまな解釈を受けた後マギの崇拝はひざまずく男によって表され、もう1人は救いの星を示し、3人目は沈黙の熟考に入りました。イエスの前にひざまずく老人はラテン名でカスパール、乳香壺を持って星を指さす壮年の男性がバルタザールで、没薬壺を持つ若い男性がメルヒオールです。

    「東方三博士の礼拝」さまざまな解釈を受けた後マギの崇拝はひざまずく男によって表され、もう1人は救いの星を示し、3人目は沈黙の熟考に入りました。イエスの前にひざまずく老人はラテン名でカスパール、乳香壺を持って星を指さす壮年の男性がバルタザールで、没薬壺を持つ若い男性がメルヒオールです。

  • 「ヘデロ王の幼児虐殺」では左側のヘロデ王はあたかもそれに参加していたかのように直接虐殺を奨励しているようです。彼の耳元では悪魔に何かをささやかれています。 かなりリアルな残酷的な場面です。

    「ヘデロ王の幼児虐殺」では左側のヘロデ王はあたかもそれに参加していたかのように直接虐殺を奨励しているようです。彼の耳元では悪魔に何かをささやかれています。 かなりリアルな残酷的な場面です。

  • 「エジプトへの逃避」の場面は養父ヨセフはロバと一緒に歩きながら母子の方を振り返っています。画面の右側の小部屋には2つの小像が転がっています。これは伝説によるとエジプトの偶像がイエスの進む道に落ちたためです。またベツレヘムを出てから3日目にマリアが疲れて椰子の木の下に立ち止まり、果物を食べたくなりました。ヨセフは木が高いので果物が取れないというとイエスは木にお辞儀をするように命じました。この彫刻に表された背後の木は椰子の木に見えませんが、これは彫刻家が椰子の木を見たことが無かったからだと言われています。

    「エジプトへの逃避」の場面は養父ヨセフはロバと一緒に歩きながら母子の方を振り返っています。画面の右側の小部屋には2つの小像が転がっています。これは伝説によるとエジプトの偶像がイエスの進む道に落ちたためです。またベツレヘムを出てから3日目にマリアが疲れて椰子の木の下に立ち止まり、果物を食べたくなりました。ヨセフは木が高いので果物が取れないというとイエスは木にお辞儀をするように命じました。この彫刻に表された背後の木は椰子の木に見えませんが、これは彫刻家が椰子の木を見たことが無かったからだと言われています。

  • 「神殿で紹介される幼子イエス」ではシメオンは祭壇の上で幼子イエスを歓迎することへの敬意のしるしとして彼の手を覆っています。左側に立つマリアはこれらすべてを心に留めています。預言者アンナは戒律で定められているように、犠牲として提供される2羽の鳩が入った籠を携えています。

    「神殿で紹介される幼子イエス」ではシメオンは祭壇の上で幼子イエスを歓迎することへの敬意のしるしとして彼の手を覆っています。左側に立つマリアはこれらすべてを心に留めています。預言者アンナは戒律で定められているように、犠牲として提供される2羽の鳩が入った籠を携えています。

  • 「イエスの洗礼」はヨルダン川において洗礼者ヨハネから洗礼を受けた出来事で、そのあと天がひらけてイエスこそ自分の子であるという神の声が聞こえます。ヨルダン川の川の水の表現はアテネのダフニ修道院の世界遺産のモザイクを思い出しました。

    「イエスの洗礼」はヨルダン川において洗礼者ヨハネから洗礼を受けた出来事で、そのあと天がひらけてイエスこそ自分の子であるという神の声が聞こえます。ヨルダン川の川の水の表現はアテネのダフニ修道院の世界遺産のモザイクを思い出しました。

  • 「人間をとる漁師」の場面は洗礼者のヨハネが捕らえられたと聞き、イエスはガリラヤへ戻りました。そしてカファルナウムに住み「悔い改めよ。天の国は近づいた」と宣べ伝え始められました。ガリラヤ湖の漁師に「人間をとる漁師にしよう」と声を掛け、ペテロとアンデレ兄弟とヤコブとヨハネ兄弟を弟子にしました。

    「人間をとる漁師」の場面は洗礼者のヨハネが捕らえられたと聞き、イエスはガリラヤへ戻りました。そしてカファルナウムに住み「悔い改めよ。天の国は近づいた」と宣べ伝え始められました。ガリラヤ湖の漁師に「人間をとる漁師にしよう」と声を掛け、ペテロとアンデレ兄弟とヤコブとヨハネ兄弟を弟子にしました。

  • 「エルサレムへの入城」彫刻家は聖マタイの福音ではなく聖マルコによる福音に従っていたことを示しています。イエスは前夜ゲッセマニの園で祈ったりなどしたあと、この日は聖地エルサレムを囲む城壁にいくつかある門に達していました。弟子たちが近くで調達した小ロバに乗って、弟子たちを含む大勢が服を脱いで地面に敷き、あるいは植物の枝を敷いた地面を踏んで城内へ入城します。

    「エルサレムへの入城」彫刻家は聖マタイの福音ではなく聖マルコによる福音に従っていたことを示しています。イエスは前夜ゲッセマニの園で祈ったりなどしたあと、この日は聖地エルサレムを囲む城壁にいくつかある門に達していました。弟子たちが近くで調達した小ロバに乗って、弟子たちを含む大勢が服を脱いで地面に敷き、あるいは植物の枝を敷いた地面を踏んで城内へ入城します。

  • 「弟子たちの裏切り」イエスは「あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている。」と話しだします。弟子たちはイエスの言葉を聞いて狼狽し混乱しました。ユダが去った後にペテロがイエスに言います。「主よ、どこへおいでになるのですか。」イエスは答えられた「あなたはわたしの行くところに、今はついて来ることはできない。しかし、あとになってからついて来ることになろう。」

    「弟子たちの裏切り」イエスは「あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている。」と話しだします。弟子たちはイエスの言葉を聞いて狼狽し混乱しました。ユダが去った後にペテロがイエスに言います。「主よ、どこへおいでになるのですか。」イエスは答えられた「あなたはわたしの行くところに、今はついて来ることはできない。しかし、あとになってからついて来ることになろう。」

  • ペテロはイエスに言います「主よ、なぜ、今あなたについて行くことができないのですか。あなたのためには、命も捨てます。」イエスは答えられた「わたしのために命を捨てると言うのか。よくよくあなたに言っておく。鶏が鳴く前に、あなたはわたしを3度知らないと言うであろう。」

    ペテロはイエスに言います「主よ、なぜ、今あなたについて行くことができないのですか。あなたのためには、命も捨てます。」イエスは答えられた「わたしのために命を捨てると言うのか。よくよくあなたに言っておく。鶏が鳴く前に、あなたはわたしを3度知らないと言うであろう。」

  • 「最後の審判」は有名な場面です。聖杯が見える大きなテーブルにはパンの塊も置かれています。背後にはキリストと十二使徒の姿が見えます。テーブルの右隅にいて他者とは異なり光輪が無いのはユダでしょうか。

    「最後の審判」は有名な場面です。聖杯が見える大きなテーブルにはパンの塊も置かれています。背後にはキリストと十二使徒の姿が見えます。テーブルの右隅にいて他者とは異なり光輪が無いのはユダでしょうか。

  • ヨハネはイエスにもたれ掛り眠っています。黄金の聖杯と重なる姿を見ていると映画「ダ・ヴィンチ・コード」を思い出さずにはいられません。

    ヨハネはイエスにもたれ掛り眠っています。黄金の聖杯と重なる姿を見ていると映画「ダ・ヴィンチ・コード」を思い出さずにはいられません。

  • 「イエスの復活」は「十字架にかけられて3日後、私は復活するだろう。」という予言を残して処刑されたイエスの言葉に祭司長は不安になり、キリストの墓に数名の番兵を付けます。そして3日後に1人の天使が現れ、墓石を押し上げてその上に座るという事が起こりました。番兵はすっかり怖気づき、祭司長の元へ走りました。<br />一方、キリストの仲間である女性たちが墓へ行ってみると石は動かされ、墓の中はもぬけの殻になっていました。そしてその後に復活したイエスは3人のマリアの前に姿を現します。3人のマリアは聖母マリアとマグダラのマリアとヤコブの母マリアのことです。

    「イエスの復活」は「十字架にかけられて3日後、私は復活するだろう。」という予言を残して処刑されたイエスの言葉に祭司長は不安になり、キリストの墓に数名の番兵を付けます。そして3日後に1人の天使が現れ、墓石を押し上げてその上に座るという事が起こりました。番兵はすっかり怖気づき、祭司長の元へ走りました。
    一方、キリストの仲間である女性たちが墓へ行ってみると石は動かされ、墓の中はもぬけの殻になっていました。そしてその後に復活したイエスは3人のマリアの前に姿を現します。3人のマリアは聖母マリアとマグダラのマリアとヤコブの母マリアのことです。

  • 「復活したイエスと出会った弟子たち」イエスは彼らの中に立つと彼らは恐れ驚いて霊を見ているのだと思います。そこでイエスが「なぜ怖気好き惑っているのか。どうして心に疑いを起すのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしなのだ。さわって見なさい。霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはあるのだ」キリストの手の甲には十字架に磔になった跡が見えます。

    「復活したイエスと出会った弟子たち」イエスは彼らの中に立つと彼らは恐れ驚いて霊を見ているのだと思います。そこでイエスが「なぜ怖気好き惑っているのか。どうして心に疑いを起すのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしなのだ。さわって見なさい。霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはあるのだ」キリストの手の甲には十字架に磔になった跡が見えます。

  • 「イエスの傷に触れる」十二使徒の1人のトマスはイエスが復活して弟子の前に来られたとき彼らと一緒にいませんでした。そこで他の弟子たちが「わたしたちは主を見た」と言うとトマスは言います。「あの方の手に釘の跡を見て、この指を釘跡に入れ、この手をそのわき腹に入れてみなければ私は決して信じない。」8日の後に弟子たちはまた家の中にいて、その時はトマスも一緒にいました。 扉にはみな鍵がかけてあったのにイエスが来て真ん中に立ち「あなたがたに平和があるように。」と言います。

    「イエスの傷に触れる」十二使徒の1人のトマスはイエスが復活して弟子の前に来られたとき彼らと一緒にいませんでした。そこで他の弟子たちが「わたしたちは主を見た」と言うとトマスは言います。「あの方の手に釘の跡を見て、この指を釘跡に入れ、この手をそのわき腹に入れてみなければ私は決して信じない。」8日の後に弟子たちはまた家の中にいて、その時はトマスも一緒にいました。 扉にはみな鍵がかけてあったのにイエスが来て真ん中に立ち「あなたがたに平和があるように。」と言います。

  • それからトマスに「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。 また、あなたの手を伸ばして私のわき腹に入れなさい。信じない者ではなく信じる者になりな さい。」トマスは答えて「わたしの主、わたしの神よ。」と言うとイエスはトマスに「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は幸いである。」<br />

    それからトマスに「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。 また、あなたの手を伸ばして私のわき腹に入れなさい。信じない者ではなく信じる者になりな さい。」トマスは答えて「わたしの主、わたしの神よ。」と言うとイエスはトマスに「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は幸いである。」

  • 身廊には美しい秋の草花が備えられていました。その奥には再会したいと思っていた像が薄暗い中に立っていました。

    身廊には美しい秋の草花が備えられていました。その奥には再会したいと思っていた像が薄暗い中に立っていました。

  • どこのガイドブックにも何も書かれていませんが、このジャンヌ・ダルク像が個人的には一番好きです。ジャンヌダルクの像は翼廊の南側、ポータルの右側に置かれています。

    どこのガイドブックにも何も書かれていませんが、このジャンヌ・ダルク像が個人的には一番好きです。ジャンヌダルクの像は翼廊の南側、ポータルの右側に置かれています。

  • 最初に出会ったのは2000年の20世紀最後の年末でした。そして11年後の2011年の秋に再会出来ました。

    最初に出会ったのは2000年の20世紀最後の年末でした。そして11年後の2011年の秋に再会出来ました。

  • 南側のバラ窓を見上げてみます。高さは21メートルもあるそうで、これは新しいバットレスのシステムが身廊の壁をより薄く、そしてより強くしたことで可能になったそうです。左右2つの翼廊の窓は西側のファサードのバラ窓よりも大きく、ガラスの割合も多くなっています。北側のバラ窓は約1250年に制作され、南のバラ窓は1260年に制作されました。

    南側のバラ窓を見上げてみます。高さは21メートルもあるそうで、これは新しいバットレスのシステムが身廊の壁をより薄く、そしてより強くしたことで可能になったそうです。左右2つの翼廊の窓は西側のファサードのバラ窓よりも大きく、ガラスの割合も多くなっています。北側のバラ窓は約1250年に制作され、南のバラ窓は1260年に制作されました。

  • 南側のバラ窓はその大きさと芸術性で特に注目に値します。直径は12.9メートルで、周囲に天窓があるので合計で19メートルにもなります。聖王ルイとして知られるフランス国王ルイ9世により納められました。バラ窓には4つの円に配置された94のメダリオンがあり、キリストの生涯と関わった人々の場面が描かれています。内側の円には十二使徒を示す12個のメダリオンがあります。

    南側のバラ窓はその大きさと芸術性で特に注目に値します。直径は12.9メートルで、周囲に天窓があるので合計で19メートルにもなります。聖王ルイとして知られるフランス国王ルイ9世により納められました。バラ窓には4つの円に配置された94のメダリオンがあり、キリストの生涯と関わった人々の場面が描かれています。内側の円には十二使徒を示す12個のメダリオンがあります。

  •  次の2つの円は有名な殉教者と聖女を描き、2番目の円には20人の天使とパリにとって重要な聖人が描かれています。特に重要なのは聖ディオニジオとドラゴンのいる聖母マーガレット、そして聖エウスタキウスが描かれています。 3番目と4番目の円には旧約聖書の主題の描写もいくつかあり、3番目の円には12世紀後半に造られたマタイの新約聖書の福音書からの場面が描かれたいくつかのメダリオンがあります。これらはバラ窓の中で最も古いガラスといわれます。

    次の2つの円は有名な殉教者と聖女を描き、2番目の円には20人の天使とパリにとって重要な聖人が描かれています。特に重要なのは聖ディオニジオとドラゴンのいる聖母マーガレット、そして聖エウスタキウスが描かれています。 3番目と4番目の円には旧約聖書の主題の描写もいくつかあり、3番目の円には12世紀後半に造られたマタイの新約聖書の福音書からの場面が描かれたいくつかのメダリオンがあります。これらはバラ窓の中で最も古いガラスといわれます。

  • 南側のバラ窓には難しい歴史があり、1543年には石積みの壁の崩落によって損傷し、1725年から1727年まで修復されませんでした。1830年のフランス革命で深刻な被害を受け、暴徒が大聖堂の隣の大司教の住居を焼いたため、多くのステンドガラスが破壊されました。窓は1861年になって完全に再建されました。

    南側のバラ窓には難しい歴史があり、1543年には石積みの壁の崩落によって損傷し、1725年から1727年まで修復されませんでした。1830年のフランス革命で深刻な被害を受け、暴徒が大聖堂の隣の大司教の住居を焼いたため、多くのステンドガラスが破壊されました。窓は1861年になって完全に再建されました。

  • 北側のバラ窓は13世紀のステンドグラスです。こちらは中央に聖母子のメダリオンが嵌め込まれています。よく見ると南側の12分割と違って、こちらの窓は16分割になっています。

    北側のバラ窓は13世紀のステンドグラスです。こちらは中央に聖母子のメダリオンが嵌め込まれています。よく見ると南側の12分割と違って、こちらの窓は16分割になっています。

  • 預言者の姿が描かれた16個のメダリオンは元のバラ窓のオリジナルの一部ではないようで、19世紀のウジェーヌ・ヴィオレルデュクの指導の下の修復中にアルフレッド・ジェレンテによってシャルトル大聖堂のバラ窓に基づいて描かれたものだそうです。

    預言者の姿が描かれた16個のメダリオンは元のバラ窓のオリジナルの一部ではないようで、19世紀のウジェーヌ・ヴィオレルデュクの指導の下の修復中にアルフレッド・ジェレンテによってシャルトル大聖堂のバラ窓に基づいて描かれたものだそうです。

  • 大聖堂の前には「シャルルマーニュの騎馬像」が置かれてありました。フランス語ではシャルルマーニュですが、俗にいうカール大帝のことで、768年に王位につき西欧のキリスト教徒を統合した皇帝です。シャルルマーニュ王の脇には騎士ローランドとオリビエが馬の手綱を持ちますが、ローランはシャルルマーニュの甥として武勇に優れ信頼も厚かったそうです。知的なオリヴィエに対しローランは勇敢であると対比されます。アンジューやブルターニュを始め、ノルマンディーやアキテーヌなどで戦闘を重ねて多大な功績をあげたと言われます。

    大聖堂の前には「シャルルマーニュの騎馬像」が置かれてありました。フランス語ではシャルルマーニュですが、俗にいうカール大帝のことで、768年に王位につき西欧のキリスト教徒を統合した皇帝です。シャルルマーニュ王の脇には騎士ローランドとオリビエが馬の手綱を持ちますが、ローランはシャルルマーニュの甥として武勇に優れ信頼も厚かったそうです。知的なオリヴィエに対しローランは勇敢であると対比されます。アンジューやブルターニュを始め、ノルマンディーやアキテーヌなどで戦闘を重ねて多大な功績をあげたと言われます。

  • ローランは中世ヨーロッパで人気のある伝説上の人物で、数世紀を経て中世の吟遊詩人で人気の演目になります。史実かどうかは不明であるがローランはシャルルマーニュの甥ということになっており、叙事詩では良きキリスト教徒としてイスラム軍と戦って戦死しています。ローランの物語は11世紀の「ローランの歌」によって語り継がれ、この物語ではオリファンという角笛をもち、聖遺物によって祝福されたデュランダルという破壊できない聖剣を装備しています。ダンテの「神曲」によればローランの魂はその他の殉教者達とともに天国にいるとされています。

    ローランは中世ヨーロッパで人気のある伝説上の人物で、数世紀を経て中世の吟遊詩人で人気の演目になります。史実かどうかは不明であるがローランはシャルルマーニュの甥ということになっており、叙事詩では良きキリスト教徒としてイスラム軍と戦って戦死しています。ローランの物語は11世紀の「ローランの歌」によって語り継がれ、この物語ではオリファンという角笛をもち、聖遺物によって祝福されたデュランダルという破壊できない聖剣を装備しています。ダンテの「神曲」によればローランの魂はその他の殉教者達とともに天国にいるとされています。

  • 2019年4月16日の火災事故でしばらくはこの姿を見られないと思います。この時の旅から10年近く経ちますが、内部を細かく見学しておいてよかったと思います。

    2019年4月16日の火災事故でしばらくはこの姿を見られないと思います。この時の旅から10年近く経ちますが、内部を細かく見学しておいてよかったと思います。

  • そろそろ妻と待ち合わせの時間になったので迎えに向かいます。

    そろそろ妻と待ち合わせの時間になったので迎えに向かいます。

  • 「パレ・ド・ジュスティス」はパリ大審裁判所や検察局及び弁護士会など複数の主要司法機関が置かれているシテ島の3分の1を占める建物です。 中庭の門の前で妻と合流します。

    「パレ・ド・ジュスティス」はパリ大審裁判所や検察局及び弁護士会など複数の主要司法機関が置かれているシテ島の3分の1を占める建物です。 中庭の門の前で妻と合流します。

  • この門を入った右側には「コンシェルジェリー」があります。元々はシテ宮として建設されますが、シャルル5世らによって放棄されて居城がヴァンセンヌ城に移された後の1370年に牢獄として使われ始めます。フランス革命の後恐怖政治の時代は多くの王族や貴族などの旧体制派が収容され、当時はその牢獄に入るとかならず死刑になるというので「死の牢獄」「ギロチン控えの間」と呼ばれたそうです。

    この門を入った右側には「コンシェルジェリー」があります。元々はシテ宮として建設されますが、シャルル5世らによって放棄されて居城がヴァンセンヌ城に移された後の1370年に牢獄として使われ始めます。フランス革命の後恐怖政治の時代は多くの王族や貴族などの旧体制派が収容され、当時はその牢獄に入るとかならず死刑になるというので「死の牢獄」「ギロチン控えの間」と呼ばれたそうです。

  • マリー・アントワネットが投獄されたのは1793年で、処刑される前に2か月半過ごした独房も現在再現されているそうです。午後に行くヴェルサイユ宮殿の門もこんな感じだろうかと思うと人生山あり谷ありですね。1週間前に行ったグレヴァン蝋人形館に牢獄の情景が再現されていたのを思い出しました。

    マリー・アントワネットが投獄されたのは1793年で、処刑される前に2か月半過ごした独房も現在再現されているそうです。午後に行くヴェルサイユ宮殿の門もこんな感じだろうかと思うと人生山あり谷ありですね。1週間前に行ったグレヴァン蝋人形館に牢獄の情景が再現されていたのを思い出しました。

  • 当時の牢獄は有料だったために払った額に応じて設備が変わったそうです。払える額で囚人は3つに分けら、最も貧しい囚人は藁が敷かれた雑居房で「パイユー」と呼ばれ、非常に非衛生的だったそうです。<br />「ピストリエ」はある程度お金を払える中流層の囚人には簡単なベッドがあり、雑居房で4人から5人程で生活していました。「プリゾニエ・ドゥ・マーク」はさらにお金を払える富裕層や著名人の囚人は仕事をしたり普通に生活できたそうです。

    当時の牢獄は有料だったために払った額に応じて設備が変わったそうです。払える額で囚人は3つに分けら、最も貧しい囚人は藁が敷かれた雑居房で「パイユー」と呼ばれ、非常に非衛生的だったそうです。
    「ピストリエ」はある程度お金を払える中流層の囚人には簡単なベッドがあり、雑居房で4人から5人程で生活していました。「プリゾニエ・ドゥ・マーク」はさらにお金を払える富裕層や著名人の囚人は仕事をしたり普通に生活できたそうです。

  • 隣に建つ「サント・シャペル」の尖塔がそびえています。今日も良い天気になりそうな感じがします。

    隣に建つ「サント・シャペル」の尖塔がそびえています。今日も良い天気になりそうな感じがします。

  • 「サント・シャペル」が開くまで時間があるのでシテ島内を散歩してみます。シテ島にも地下鉄の駅があり、地下への入り口にはギマールのデザインしたサインと街灯があります。

    「サント・シャペル」が開くまで時間があるのでシテ島内を散歩してみます。シテ島にも地下鉄の駅があり、地下への入り口にはギマールのデザインしたサインと街灯があります。

  • 日曜日の早朝だというのにパリ市消防局は訓練に出掛けるようです。この人たちも8年後のノートルダム大聖堂の消火に携わったのでしょうか。

    日曜日の早朝だというのにパリ市消防局は訓練に出掛けるようです。この人たちも8年後のノートルダム大聖堂の消火に携わったのでしょうか。

  • メトロのシテ島駅を降りると目の前にあるルイ・レピンヌ広場にはベルエポック風の緑色のパビヨンが並びます。ここでは観葉植物や花が並べれられ、日曜には小鳥屋も並びます。

    メトロのシテ島駅を降りると目の前にあるルイ・レピンヌ広場にはベルエポック風の緑色のパビヨンが並びます。ここでは観葉植物や花が並べれられ、日曜には小鳥屋も並びます。

  • この日は日曜日なので花市場は休みでしたが、小鳥を売る市場が開かれていました。市場と言うよりは小鳥を持ち寄って自慢しているような感じもします。

    この日は日曜日なので花市場は休みでしたが、小鳥を売る市場が開かれていました。市場と言うよりは小鳥を持ち寄って自慢しているような感じもします。

  • ピントがゲージの枠にあってしまいましたが、黄色いくちばしのキバシキンセイチョウが肌寄せ合っています。

    ピントがゲージの枠にあってしまいましたが、黄色いくちばしのキバシキンセイチョウが肌寄せ合っています。

  • カナリアはエサの与え方で綺麗な発色をすると義父に教えてもらったことを思い出しました。カナリアは名前の通りカナリア諸島が原産です。マルタ島原産の犬がマルチーズで、クロアチアのダルマシア地方の犬がダルメシアンというみたいなものです。

    カナリアはエサの与え方で綺麗な発色をすると義父に教えてもらったことを思い出しました。カナリアは名前の通りカナリア諸島が原産です。マルタ島原産の犬がマルチーズで、クロアチアのダルマシア地方の犬がダルメシアンというみたいなものです。

  • とても綺麗な小鳥なので写真を撮らせてもらいました。1羽75ユーロとなかなかいいお値段です。左のKittlizは南洋青紅鳥で、1羽75ユーロもします。右はBichenovカノコスズメです。顔全体は白くて周りに黒い縁取りがあり、フクロウに似ていることから外国ではフクロウスズメとも呼ばれます。

    とても綺麗な小鳥なので写真を撮らせてもらいました。1羽75ユーロとなかなかいいお値段です。左のKittlizは南洋青紅鳥で、1羽75ユーロもします。右はBichenovカノコスズメです。顔全体は白くて周りに黒い縁取りがあり、フクロウに似ていることから外国ではフクロウスズメとも呼ばれます。

  • 新聞を読んでいたおじさんに写真を撮っていいか尋ねましたが、「フラッシュで脅かさなければいいよ。」と言ってくれました。

    新聞を読んでいたおじさんに写真を撮っていいか尋ねましたが、「フラッシュで脅かさなければいいよ。」と言ってくれました。

  • 唯一オシャレに飾られた店でした。

    唯一オシャレに飾られた店でした。

  • 何軒かの花屋さんも開いているようでしたが、お客はほとんど見かけませんでした。切り花では無く鉢植えがメインのようでした。

    何軒かの花屋さんも開いているようでしたが、お客はほとんど見かけませんでした。切り花では無く鉢植えがメインのようでした。

  • 小鳥を飼うのに必要な小道具類も売られています。小鳥のエサを狙うハトが多くいましたが、カゴの中でエサに不自由なく暮らすか自由に空を飛びまわるのかどちらが幸せなのでしょうか。

    小鳥を飼うのに必要な小道具類も売られています。小鳥のエサを狙うハトが多くいましたが、カゴの中でエサに不自由なく暮らすか自由に空を飛びまわるのかどちらが幸せなのでしょうか。

  • ノートルダム大聖堂をバックに記念写真を撮りました。塔に登れる時間までだいぶあるので誰も並んでいませんが、妻が387段の螺旋階段を登るわけがありません。この広場の中央にはゼロ地点のプレートがありますが見てくるの忘れました。

    ノートルダム大聖堂をバックに記念写真を撮りました。塔に登れる時間までだいぶあるので誰も並んでいませんが、妻が387段の螺旋階段を登るわけがありません。この広場の中央にはゼロ地点のプレートがありますが見てくるの忘れました。

  • キリスト像の後輪は鳩の巣になっています。凱旋門を見学したときも思ったのですが黒く変色していた彫刻やレリーフが11年前と比べて見事に綺麗になっていました。洗浄だけでここまで綺麗になるものだろうかと思いました。

    キリスト像の後輪は鳩の巣になっています。凱旋門を見学したときも思ったのですが黒く変色していた彫刻やレリーフが11年前と比べて見事に綺麗になっていました。洗浄だけでここまで綺麗になるものだろうかと思いました。

  • 映画「アメリ」ではノートルダム大聖堂の上から落ちてきたケベック人観光客にぶつかりアメリの母親は亡くなってしまいます。この辺りが一番危険なので写真を撮ったらすぐに移動しなければなりません。妻を案内してもう一度大聖堂の中を歩きました。

    映画「アメリ」ではノートルダム大聖堂の上から落ちてきたケベック人観光客にぶつかりアメリの母親は亡くなってしまいます。この辺りが一番危険なので写真を撮ったらすぐに移動しなければなりません。妻を案内してもう一度大聖堂の中を歩きました。

  • まだ日曜日の礼拝は続いていました。

    まだ日曜日の礼拝は続いていました。

  • 先に見てきたところをもう一度回って、小さい声で妻に簡単に説明して足早に見学を終わらせます。

    先に見てきたところをもう一度回って、小さい声で妻に簡単に説明して足早に見学を終わらせます。

  • サン・エニョン教会から移された14世紀の聖母子像は別名「ノートルダム・ド・パリ」、ノートルダムはフランス語で「我らが貴婦人」という意味で、すなわち聖母マリアを指します。この像も2019年の火災に遭いますが、後日瓦礫の下から無傷で発見され、パリ市民は奇跡だと驚いたそうです。

    サン・エニョン教会から移された14世紀の聖母子像は別名「ノートルダム・ド・パリ」、ノートルダムはフランス語で「我らが貴婦人」という意味で、すなわち聖母マリアを指します。この像も2019年の火災に遭いますが、後日瓦礫の下から無傷で発見され、パリ市民は奇跡だと驚いたそうです。

  • 午前9時を回ったので「サント・シャペル」に向かうことにします。

    午前9時を回ったので「サント・シャペル」に向かうことにします。

  • 次にパリに来れるのは10年後だろうかと思いながらノートルダム大聖堂を後にします。

    次にパリに来れるのは10年後だろうかと思いながらノートルダム大聖堂を後にします。

  • その前に広場で時計を1時間戻すことにします。この日10月30日日曜日でサマータイムが終わり、日本との時差も7時間から8時間になりました。昔イタリアのブリンディジからギリシャのコルフ島へフェリーで渡った時、コルフ島に3日間滞在しながら時差が1時間あることを忘れていました。ただ、1時間に1本のバスが来なかったり、レイトチェックアウトの時間前にホテルに戻ったら急ぐように言われたりおかしなことばかりでした。

    その前に広場で時計を1時間戻すことにします。この日10月30日日曜日でサマータイムが終わり、日本との時差も7時間から8時間になりました。昔イタリアのブリンディジからギリシャのコルフ島へフェリーで渡った時、コルフ島に3日間滞在しながら時差が1時間あることを忘れていました。ただ、1時間に1本のバスが来なかったり、レイトチェックアウトの時間前にホテルに戻ったら急ぐように言われたりおかしなことばかりでした。

  • そしてコルフ島の空港に着いてターミナルビルに入ってカウンターの上に並んだモニターの時間を見て驚きました。ずらっと並んだモニターの時間は自分が思っていた1時間先を指していました。小さな空港なので無事にチェックイン出来ましたが、強烈な印象を残す出来事でした。まるでMナナイト・シャマラン監督の「シックスセンス」を初めて観た時のようでした。

    そしてコルフ島の空港に着いてターミナルビルに入ってカウンターの上に並んだモニターの時間を見て驚きました。ずらっと並んだモニターの時間は自分が思っていた1時間先を指していました。小さな空港なので無事にチェックイン出来ましたが、強烈な印象を残す出来事でした。まるでMナナイト・シャマラン監督の「シックスセンス」を初めて観た時のようでした。

  • サン・ミッシェル橋を渡るときに広場の噴水が遠くに見えました。

    サン・ミッシェル橋を渡るときに広場の噴水が遠くに見えました。

  • その先にはポン・ヌフが見えました。パリに現存する最古の橋と言われますが十分に現役の橋だと思います。思わず映画「ポン・ヌフの恋人」に出てくる「まどろめ、パリ。」というセリフが思い出されました。

    その先にはポン・ヌフが見えました。パリに現存する最古の橋と言われますが十分に現役の橋だと思います。思わず映画「ポン・ヌフの恋人」に出てくる「まどろめ、パリ。」というセリフが思い出されました。

  • 「サント・シャペル」には既に数十人の観光客が並んでいました。少し並んで9時30分に入場しましたが、ここは初めての見学なので楽しみにしていました。

    「サント・シャペル」には既に数十人の観光客が並んでいました。少し並んで9時30分に入場しましたが、ここは初めての見学なので楽しみにしていました。

  • 「サント・シャペル」の礼拝堂は下層と上層に分かれており、最初は下層礼拝堂を見学します。ここは庶民や使用人が礼拝する下部礼拝堂のファサードですが、聖母子像が迎えてくれます。

    「サント・シャペル」の礼拝堂は下層と上層に分かれており、最初は下層礼拝堂を見学します。ここは庶民や使用人が礼拝する下部礼拝堂のファサードですが、聖母子像が迎えてくれます。

  • 天井を支えるリブ・ヴォールドが美しく印象に残る礼拝堂です。フランスの教会は内装がシンプルな場合が多いのですが、この礼拝堂の美しさには言葉を失います。

    天井を支えるリブ・ヴォールドが美しく印象に残る礼拝堂です。フランスの教会は内装がシンプルな場合が多いのですが、この礼拝堂の美しさには言葉を失います。

  • 上層礼拝堂は王や貴族など専用で、それ以外の人は下層礼拝堂で礼拝をしました。身分によって地味な下層礼拝堂ときらびやかな上層礼拝堂に分かれていたそうです。

    上層礼拝堂は王や貴族など専用で、それ以外の人は下層礼拝堂で礼拝をしました。身分によって地味な下層礼拝堂ときらびやかな上層礼拝堂に分かれていたそうです。

  • ただこの彩色も19世紀に入ってからのものだそうで、それまでは冷たい石が剥き出しの内装だったのでしょう。

    ただこの彩色も19世紀に入ってからのものだそうで、それまでは冷たい石が剥き出しの内装だったのでしょう。

  • 下層礼拝堂の奥にはサント・シャペルの建設を命じたルイ9世の像があります。内戦で乱れていたフランスをまとめ上げ、長期に平和を保ったため聖王ルイと呼ばれました。

    下層礼拝堂の奥にはサント・シャペルの建設を命じたルイ9世の像があります。内戦で乱れていたフランスをまとめ上げ、長期に平和を保ったため聖王ルイと呼ばれました。

  • この教会は上部礼拝堂のステンドグラスが有名ですが、個人的には下部礼拝堂の彩色されたちょっと東方ぽいデザインに心惹かれます。春に旅したブダペストのマーチャーシュ教会の内装の彩色に似ていたからかもしれません。

    この教会は上部礼拝堂のステンドグラスが有名ですが、個人的には下部礼拝堂の彩色されたちょっと東方ぽいデザインに心惹かれます。春に旅したブダペストのマーチャーシュ教会の内装の彩色に似ていたからかもしれません。

  • 青い空には満天の星かと思いましたが、フランス王家のフルール・ド・リスという紋章でした。一般に百合の花と言われますがアヤメ(アイリス)の花を様式化した意匠を指し、特に紋章の場合は政治的や王権的、芸術的や表象的や象徴的な意味をも持ちます。

    青い空には満天の星かと思いましたが、フランス王家のフルール・ド・リスという紋章でした。一般に百合の花と言われますがアヤメ(アイリス)の花を様式化した意匠を指し、特に紋章の場合は政治的や王権的、芸術的や表象的や象徴的な意味をも持ちます。

  • 青地にフルール・ド・リスを散りばめた図柄は、国王自身の紋章と第1王子(王太子)の紋章のみに使われることと定められています。紋章は礼拝堂の柱にも描かれています。柱は2種類あり、赤い柱には聖王ルイの母親ブランシュ・ド・カスティーユの紋章である黄色い城が描かれています。紋章に着いて少し知識があると礼拝堂の内装も少し違って見えます。

    青地にフルール・ド・リスを散りばめた図柄は、国王自身の紋章と第1王子(王太子)の紋章のみに使われることと定められています。紋章は礼拝堂の柱にも描かれています。柱は2種類あり、赤い柱には聖王ルイの母親ブランシュ・ド・カスティーユの紋章である黄色い城が描かれています。紋章に着いて少し知識があると礼拝堂の内装も少し違って見えます。

  • ルイ9世は聖遺物の収集に熱心でキリスト受難の際の茨の冠やマンディリオン(自印聖像と呼ばれるキリストの顔が奇蹟的に転写された布)、聖十字架の破片など、ラテン帝国(コンスタンティノポリス)からもたらされたキリストの聖遺物を納めるために1243年から1248年にかけて王宮の礼拝堂「サント・シャペル」  をシテ島に建設しました。

    ルイ9世は聖遺物の収集に熱心でキリスト受難の際の茨の冠やマンディリオン(自印聖像と呼ばれるキリストの顔が奇蹟的に転写された布)、聖十字架の破片など、ラテン帝国(コンスタンティノポリス)からもたらされたキリストの聖遺物を納めるために1243年から1248年にかけて王宮の礼拝堂「サント・シャペル」 をシテ島に建設しました。

  • 細い螺旋階段を上がって上部礼拝堂の広い空間に出ると、入った途端に溜息が出ます。側廊も無いので幅が無い分リブヴォールの天井の高さを感じます。息が切れて階段が上がった後では天国に来たのかと見まごうほどの光の洪水を浴びます。ちょうど祭壇のある東側から太陽が上がってきたのも感じられました。光線が斜めに当たるこの時間帯が一番美しいのではないだろうかと思います。

    細い螺旋階段を上がって上部礼拝堂の広い空間に出ると、入った途端に溜息が出ます。側廊も無いので幅が無い分リブヴォールの天井の高さを感じます。息が切れて階段が上がった後では天国に来たのかと見まごうほどの光の洪水を浴びます。ちょうど祭壇のある東側から太陽が上がってきたのも感じられました。光線が斜めに当たるこの時間帯が一番美しいのではないだろうかと思います。

  • ここは両サイドにベンチが置かれているので思い思いにステンドグラスの聖書の物語を読み解くことがでみます。正面の聖遺物が収めれていた大聖遺物箱の本物はフランス革命時に略奪されて溶かされてしまいました。直接太陽光線の当たっていない方は青く見え、当たる方は赤く見えます。ステンドグラスは左から右へ、それぞれの列は下から上に向かってストーリーが進んでいきます。

    ここは両サイドにベンチが置かれているので思い思いにステンドグラスの聖書の物語を読み解くことがでみます。正面の聖遺物が収めれていた大聖遺物箱の本物はフランス革命時に略奪されて溶かされてしまいました。直接太陽光線の当たっていない方は青く見え、当たる方は赤く見えます。ステンドグラスは左から右へ、それぞれの列は下から上に向かってストーリーが進んでいきます。

  • ステンドグラスには1113の物語の場面が描かれているのですべてを読み解くことは不可能です。バラ窓は西側にあるので夕方になると夕日に映えて美しいそうです。86枚のステンドグラスに聖ヨハネの黙示録の物語が描かれています。

    ステンドグラスには1113の物語の場面が描かれているのですべてを読み解くことは不可能です。バラ窓は西側にあるので夕方になると夕日に映えて美しいそうです。86枚のステンドグラスに聖ヨハネの黙示録の物語が描かれています。

  • このステンドグラスはフランボワイヤン(火焔式)と呼ばれる様式で、世界の終末を象徴する西側に設けられたそうです。現在の物は15世紀に造られたものですが、13世紀に造られた時も同じ題材だったそうで、最後の審判まで国民を導き守るという王の使命を聖王類に思い起こさせるためだったそうです。

    このステンドグラスはフランボワイヤン(火焔式)と呼ばれる様式で、世界の終末を象徴する西側に設けられたそうです。現在の物は15世紀に造られたものですが、13世紀に造られた時も同じ題材だったそうで、最後の審判まで国民を導き守るという王の使命を聖王類に思い起こさせるためだったそうです。

  • 現在の黙示録のバラ窓のステンドグラスは1485年にシャルル8世が献上したものです。絵を描いた作者の名前はこの当時残されることがありませんでしたが、「アン・ノ・ド・ブルターニュのいとも小さき時祷書」の画家とだけ分かっているそうです。

    現在の黙示録のバラ窓のステンドグラスは1485年にシャルル8世が献上したものです。絵を描いた作者の名前はこの当時残されることがありませんでしたが、「アン・ノ・ド・ブルターニュのいとも小さき時祷書」の画家とだけ分かっているそうです。

  • 中央の聖母マリアは「私の右の手の中に見えた7つの星と7つの金の燭台について、その秘められた意味を言えば、7つの星は7つの教会の御使いたち、7つの燭台は7つの教会である。」という黙示録の言葉の通りで、7つの燭台はエフェスなど小アジア(トルコなど)の教会を現します。下の段には4人の福音記者であるルカを現す有翼の牛や聖マルコのライオンも見えました。

    中央の聖母マリアは「私の右の手の中に見えた7つの星と7つの金の燭台について、その秘められた意味を言えば、7つの星は7つの教会の御使いたち、7つの燭台は7つの教会である。」という黙示録の言葉の通りで、7つの燭台はエフェスなど小アジア(トルコなど)の教会を現します。下の段には4人の福音記者であるルカを現す有翼の牛や聖マルコのライオンも見えました。

  • 礼拝堂の中の12本の柱にはそれぞれ十二使徒の像が参拝者を見守るかのように置かれてあります。姿はノートルダム大聖堂の最後の審判の門にあった姿によく似ているように思えました。掲げたメダリオンの中にはスタウロテカと思われるギリシア十字を造形して各末端はフルール・ド・リスの形なのでフランス王室に対するイエスの加護を象(かたど)っているようです。

    礼拝堂の中の12本の柱にはそれぞれ十二使徒の像が参拝者を見守るかのように置かれてあります。姿はノートルダム大聖堂の最後の審判の門にあった姿によく似ているように思えました。掲げたメダリオンの中にはスタウロテカと思われるギリシア十字を造形して各末端はフルール・ド・リスの形なのでフランス王室に対するイエスの加護を象(かたど)っているようです。

  • 「こん棒」を持った姿は聖小ヤコブだと分かります。ゼベダイの子ヤコブと区別して小ヤコブと呼ばれますがわりと謎の人物です。どういう人物か不明ですが、イエスが十字架刑に処されたとき、遠くから見守っていた婦人たちの中に「小ヤコブとヨセの母マリア」がいたと記録されています。名前が出てくるということはヨセも弟子たちの中で名を知られていたということでしょうから、家族でイエスに従っていたと思われます。

    「こん棒」を持った姿は聖小ヤコブだと分かります。ゼベダイの子ヤコブと区別して小ヤコブと呼ばれますがわりと謎の人物です。どういう人物か不明ですが、イエスが十字架刑に処されたとき、遠くから見守っていた婦人たちの中に「小ヤコブとヨセの母マリア」がいたと記録されています。名前が出てくるということはヨセも弟子たちの中で名を知られていたということでしょうから、家族でイエスに従っていたと思われます。

  • 「羊飼いの杖」を持ったのは聖シモンです。写真では明るく見えますが肉眼では逆光になるので木彫はあまりよく見えません。新約聖書中ではほとんど言及されることは無く、人物の詳細については不明な点が多い人物です。 もっとも流布している伝承ではエジプトに伝道したのち十二使徒の1人であるユダ・タダイとともにペルシアに行き、そこで殉教したと伝えられます。

    「羊飼いの杖」を持ったのは聖シモンです。写真では明るく見えますが肉眼では逆光になるので木彫はあまりよく見えません。新約聖書中ではほとんど言及されることは無く、人物の詳細については不明な点が多い人物です。 もっとも流布している伝承ではエジプトに伝道したのち十二使徒の1人であるユダ・タダイとともにペルシアに行き、そこで殉教したと伝えられます。

  • 「長い十字架」を持った聖ピリポはベトサイダの出身で、イエスに直接招かれて弟子になり、知り合いのバルトロマイにイエスを紹介し彼も弟子になります。またギリシャ人がイエスに会いにきたときにはピリポに仲介を頼んでいます。これはピリポがギリシャ人の名前だったからと言われます。

    「長い十字架」を持った聖ピリポはベトサイダの出身で、イエスに直接招かれて弟子になり、知り合いのバルトロマイにイエスを紹介し彼も弟子になります。またギリシャ人がイエスに会いにきたときにはピリポに仲介を頼んでいます。これはピリポがギリシャ人の名前だったからと言われます。

  • 「剣」を持った聖パウロは初期キリスト教の使徒であり、新約聖書の著者の1人でもあります。はじめはイエスの信徒を迫害していたが、回心してキリスト教徒となりキリスト教発展の基礎を作ります。ユダヤ名でサウロとも呼ばれ、「サウロの改心」という題材の絵画が多数描かれています。古代ローマの属州キリキアの州都タルソス(現在のトルコ中南部メルスィン県のタルスス)生まれのユダヤ人です。彼の足跡をたどってトルコの地中海沿岸を旅したことがあります。

    「剣」を持った聖パウロは初期キリスト教の使徒であり、新約聖書の著者の1人でもあります。はじめはイエスの信徒を迫害していたが、回心してキリスト教徒となりキリスト教発展の基礎を作ります。ユダヤ名でサウロとも呼ばれ、「サウロの改心」という題材の絵画が多数描かれています。古代ローマの属州キリキアの州都タルソス(現在のトルコ中南部メルスィン県のタルスス)生まれのユダヤ人です。彼の足跡をたどってトルコの地中海沿岸を旅したことがあります。

  • ステンドグラスのほとんどが開くことが出来ない嵌め殺しの窓ですが、開閉できる小さいステンドグラスの窓がありました。壁に埋め込まれたような不思議な造りになっています。

    ステンドグラスのほとんどが開くことが出来ない嵌め殺しの窓ですが、開閉できる小さいステンドグラスの窓がありました。壁に埋め込まれたような不思議な造りになっています。

  • 縁取りには聖王ルイの父であるルイ8世のフランス王家の紋章であるフルール・ド・リスを散りばめられ、内側には母のブランシュ・ド・カスティーユの紋章である黄色い城が描かれています。

    縁取りには聖王ルイの父であるルイ8世のフランス王家の紋章であるフルール・ド・リスを散りばめられ、内側には母のブランシュ・ド・カスティーユの紋章である黄色い城が描かれています。

  • 礼拝堂へ上がってきた階段の近くの北側の壁から時計回りに15のスパンに分かれて聖書に関わる物語がステンドグラスで表されています。最初の1スパンは「創世記」の物語でアダムやイブの姿も見えます。2スパンは「出エジプト記」でヘブライ人が約束の地へ向かう物語で、紅海が割れる場面も見えます。スパン3の「民族記」ではイスラエルの王たちの戴冠の場面が20も描かれています。

    礼拝堂へ上がってきた階段の近くの北側の壁から時計回りに15のスパンに分かれて聖書に関わる物語がステンドグラスで表されています。最初の1スパンは「創世記」の物語でアダムやイブの姿も見えます。2スパンは「出エジプト記」でヘブライ人が約束の地へ向かう物語で、紅海が割れる場面も見えます。スパン3の「民族記」ではイスラエルの王たちの戴冠の場面が20も描かれています。

  • スパン4では「ヨシュア記」が描かれ、偶像崇拝への反対やモーゼの後継者にヨシュアが選ばれた場面が描かれます。幅の狭いスパン5では「士師記」のサムソンとデリラの物語です。半円形の東面に移ってスパン6では「イザヤ書/エッサイの書」でエッサイの息子のダビデ王から聖母マリアまでのキリストの系譜を予言的に示すエッサイの書が描かれます。スパン7では預言者聖ヨハネと幼子イエスがテーマになっています。

    スパン4では「ヨシュア記」が描かれ、偶像崇拝への反対やモーゼの後継者にヨシュアが選ばれた場面が描かれます。幅の狭いスパン5では「士師記」のサムソンとデリラの物語です。半円形の東面に移ってスパン6では「イザヤ書/エッサイの書」でエッサイの息子のダビデ王から聖母マリアまでのキリストの系譜を予言的に示すエッサイの書が描かれます。スパン7では預言者聖ヨハネと幼子イエスがテーマになっています。

  • 聖遺物を納めた祭壇の後ろのスパン8のステン後グラスはサント・シャペルで一番重要なもので、最後の晩餐から精霊降臨までのキリストの受難が描かれています。南側の壁に移ったスパン9では「洗礼者聖ヨハネ/ダニエル書」偶像崇拝を禁じた内容になっています。スパン10の「エゼキエル書」ではエルサレムの破壊と神とダビデ王の契約が描かれています。

    聖遺物を納めた祭壇の後ろのスパン8のステン後グラスはサント・シャペルで一番重要なもので、最後の晩餐から精霊降臨までのキリストの受難が描かれています。南側の壁に移ったスパン9では「洗礼者聖ヨハネ/ダニエル書」偶像崇拝を禁じた内容になっています。スパン10の「エゼキエル書」ではエルサレムの破壊と神とダビデ王の契約が描かれています。

  • スパン11は「エレミア書/トビト書」でエレミアの湧現した偶像礼拝に起因したエルサレムの没落を描きます。トビト書はニネベに暮らすナフタリ族のトビトは善行を描きます。危険を顧みず殺されたユダヤ人の死体を埋葬し、穢れを嫌って庭で寝ているトビトにすずめの糞が目におちて失明したことにより死を願います。

    スパン11は「エレミア書/トビト書」でエレミアの湧現した偶像礼拝に起因したエルサレムの没落を描きます。トビト書はニネベに暮らすナフタリ族のトビトは善行を描きます。危険を顧みず殺されたユダヤ人の死体を埋葬し、穢れを嫌って庭で寝ているトビトにすずめの糞が目におちて失明したことにより死を願います。

  • 同じころ悪魔アスモダイのせいで夫たちが次々に初夜に死んでしまうことで悩む女性サラも死を願っていました。神はこれを聞いて天使ラファエルを差し向け、息子トビアの尽力でトビトの目はみえるようになり、トビアはサラについていた悪魔を追い出してサラと結婚します。この物語を聖王ルイは特に好んだそうです。

    同じころ悪魔アスモダイのせいで夫たちが次々に初夜に死んでしまうことで悩む女性サラも死を願っていました。神はこれを聞いて天使ラファエルを差し向け、息子トビアの尽力でトビトの目はみえるようになり、トビアはサラについていた悪魔を追い出してサラと結婚します。この物語を聖王ルイは特に好んだそうです。

  • スパン12は「ユディット記/ヨブ記」で有名なユダヤ人の未亡人ユディットがホロフェルネスによって攻略されたベトリアの町を救う物語が描かれます。スパン13は「エステル書」でエステルの物語は聖王ルイの母親のブランシュ・ド・カスティーユ像の座る壁龕の上に描かれています。ステンドグラスに描かれたカスティーユの城は聖王ルイの母親に敬意を示したものです。

    スパン12は「ユディット記/ヨブ記」で有名なユダヤ人の未亡人ユディットがホロフェルネスによって攻略されたベトリアの町を救う物語が描かれます。スパン13は「エステル書」でエステルの物語は聖王ルイの母親のブランシュ・ド・カスティーユ像の座る壁龕の上に描かれています。ステンドグラスに描かれたカスティーユの城は聖王ルイの母親に敬意を示したものです。

  • スパン14ではイスラエル王国の歴史を物語っている4書を集約したもので、サウル王やダビデ王やサロモン王についての場面が描かれています。最後のスパン15では「キリストの受難/聖遺物の物語」で、イスラエルの王たちとその正当な後継者とみなされる聖王ルイについて描かれます。東ローマ皇帝コンスタンティヌス1世の母親である聖ヘレナがエルサレムで聖遺物を発見した経緯が詳しく描かれています。

    スパン14ではイスラエル王国の歴史を物語っている4書を集約したもので、サウル王やダビデ王やサロモン王についての場面が描かれています。最後のスパン15では「キリストの受難/聖遺物の物語」で、イスラエルの王たちとその正当な後継者とみなされる聖王ルイについて描かれます。東ローマ皇帝コンスタンティヌス1世の母親である聖ヘレナがエルサレムで聖遺物を発見した経緯が詳しく描かれています。

  • 聖遺物はビザンチウム(現在のイスタンブール)に移送され、聖王が買い取り、サント・シャペルに安置されました。聖王ルイは敬虔なキリスト教徒で、ほぼ独力で2回の十字軍遠征を行い、聖遺物を高額で買い取っています。

    聖遺物はビザンチウム(現在のイスタンブール)に移送され、聖王が買い取り、サント・シャペルに安置されました。聖王ルイは敬虔なキリスト教徒で、ほぼ独力で2回の十字軍遠征を行い、聖遺物を高額で買い取っています。

  • 聖遺物には非常に強い思い入れがあったようで、サン・ドニ修道院に保管してある聖遺物の「キリストの釘」が盗まれた時には「これを失くすよりフランスの最も栄えた都市が地に飲み込まれるほうがましだ。」と述べたそうです。

    聖遺物には非常に強い思い入れがあったようで、サン・ドニ修道院に保管してある聖遺物の「キリストの釘」が盗まれた時には「これを失くすよりフランスの最も栄えた都市が地に飲み込まれるほうがましだ。」と述べたそうです。

  • ラテン皇帝ボードゥアン2世が西欧に救援依頼に来た時に彼の所有するキリストの被った「イバラの冠」を国家予算の半分という大金で購入しています。この時代聖遺物を購入するのは珍しいことで、たいていは略奪や盗掘といった方法で手に入れていたのではないでしょうか?当然当時も偽物は多く出回ったと思われ、ロンギヌスの槍先も何か所かで見た覚えがあります。

    ラテン皇帝ボードゥアン2世が西欧に救援依頼に来た時に彼の所有するキリストの被った「イバラの冠」を国家予算の半分という大金で購入しています。この時代聖遺物を購入するのは珍しいことで、たいていは略奪や盗掘といった方法で手に入れていたのではないでしょうか?当然当時も偽物は多く出回ったと思われ、ロンギヌスの槍先も何か所かで見た覚えがあります。

  • 上部礼拝堂の光の洪水を体感した後はもう一度下部礼拝堂に降りました。少し興奮を抑えないと表に出られないような気分になりました。

    上部礼拝堂の光の洪水を体感した後はもう一度下部礼拝堂に降りました。少し興奮を抑えないと表に出られないような気分になりました。

  • 下部礼拝堂も最後にもう少し見学しますが、午前10時を過ぎると見学者の数はかなり増えていました。サント・シャペルを見学するのは朝一番に入るのが絶対に良いと思いました。

    下部礼拝堂も最後にもう少し見学しますが、午前10時を過ぎると見学者の数はかなり増えていました。サント・シャペルを見学するのは朝一番に入るのが絶対に良いと思いました。

  • 上奏礼拝堂の細かいステンドグラスを見た後では下部礼拝堂のレリーフを読み取る気力はなくなりました。パリの旅の後はロワール渓谷の城を巡る3日間の旅が続き、紋章を読み解いたりアナグラムを読み取ることが続きました。

    上奏礼拝堂の細かいステンドグラスを見た後では下部礼拝堂のレリーフを読み取る気力はなくなりました。パリの旅の後はロワール渓谷の城を巡る3日間の旅が続き、紋章を読み解いたりアナグラムを読み取ることが続きました。

  • ノートルダム大聖堂の外壁を見ると分かるように、外部にフライングバットレスと呼ばれる飛び梁が設けられていますが、このサント・シャペル礼拝堂の外部にはそれに該当するものがありませんでした。内部に収められた飛梁で建物を支えているのでしょうが、強度的に問題が無いのか疑問に思えました。

    ノートルダム大聖堂の外壁を見ると分かるように、外部にフライングバットレスと呼ばれる飛び梁が設けられていますが、このサント・シャペル礼拝堂の外部にはそれに該当するものがありませんでした。内部に収められた飛梁で建物を支えているのでしょうが、強度的に問題が無いのか疑問に思えました。

  • リブ・ヴォールドのキーストーンのこの形状はボスと呼ばれるタイプで、シダの葉の模様になっています。赤い帯状の中のフルール・ド・リスと1つ置きのLのアナグラムはルイの頭文字だと想像できます。

    リブ・ヴォールドのキーストーンのこの形状はボスと呼ばれるタイプで、シダの葉の模様になっています。赤い帯状の中のフルール・ド・リスと1つ置きのLのアナグラムはルイの頭文字だと想像できます。

  • 聖王ルイに礼拝堂の見学のお礼を伝えます。王の彫刻は礼拝堂の豪華さに比べシンプルなことが印象に残りました。

    聖王ルイに礼拝堂の見学のお礼を伝えます。王の彫刻は礼拝堂の豪華さに比べシンプルなことが印象に残りました。

  • 最初に入場した入り口の聖母子像に見送られます。

    最初に入場した入り口の聖母子像に見送られます。

  • サント・シャペルの剣が鵜が終わった後は日曜日で仕事が休みの姪と合流しました。今回の旅は夫婦の旅でもありますが、パリに1人住む姪が心配で仕方がないおばちゃんのためにフランスを選びました。

    サント・シャペルの剣が鵜が終わった後は日曜日で仕事が休みの姪と合流しました。今回の旅は夫婦の旅でもありますが、パリに1人住む姪が心配で仕方がないおばちゃんのためにフランスを選びました。

  • おばちゃんはこれに味をしめて、数年後のベルギーとオランダの旅でもブリュッセルに姪を呼んでいました。まぁ1人異国の地で頑張っているのでたまには美味しいものをごちそうしたい気持ちにもなります。

    おばちゃんはこれに味をしめて、数年後のベルギーとオランダの旅でもブリュッセルに姪を呼んでいました。まぁ1人異国の地で頑張っているのでたまには美味しいものをごちそうしたい気持ちにもなります。

  • カフェで2人が一休みしている間に「シャトレ広場」まで散歩してみます。

    カフェで2人が一休みしている間に「シャトレ広場」まで散歩してみます。

  • クール・ドヌールの門の黄金の飾りが美しいと思いましたが、この後ヴェルサイユ宮殿に入るまでの長い列で散々見続けることになりました。

    クール・ドヌールの門の黄金の飾りが美しいと思いましたが、この後ヴェルサイユ宮殿に入るまでの長い列で散々見続けることになりました。

  • 今回の旅でもいろいろなところに行きましたが、思い出に残ろサント・シャペルのステンドグラスでした。

    今回の旅でもいろいろなところに行きましたが、思い出に残ろサント・シャペルのステンドグラスでした。

  • シテ島から「シャンジュ橋」を渡って「シャトレ広場」まで出てみます。ナポレオンの「エジプト遠征記念碑」が見たかったのですが、下の噴水にはスフィンクスをかたどった像があったりエジプトらしさを現しています。

    シテ島から「シャンジュ橋」を渡って「シャトレ広場」まで出てみます。ナポレオンの「エジプト遠征記念碑」が見たかったのですが、下の噴水にはスフィンクスをかたどった像があったりエジプトらしさを現しています。

  • ナポレオンがエジプトへと遠征したのは大陸の制覇を進めるフランスにとって、海の向こう側にあって手を出すことができずにいる目の上のこぶであったイギリスを牽制するためでした。後にエジプトを旅行した時にギザのピラミッドの前でガイドさんにピラミッドの戦いの時の「兵士諸君、4000年の歴史が見下ろしている。」という言葉を聞いた時のこの広場のことを思い出しました。

    ナポレオンがエジプトへと遠征したのは大陸の制覇を進めるフランスにとって、海の向こう側にあって手を出すことができずにいる目の上のこぶであったイギリスを牽制するためでした。後にエジプトを旅行した時にギザのピラミッドの前でガイドさんにピラミッドの戦いの時の「兵士諸君、4000年の歴史が見下ろしている。」という言葉を聞いた時のこの広場のことを思い出しました。

  • ナポレオンはエジプト遠征にあたって167名の科学者や建築技術者からなる学術調査団を同行させ、彼らにエジプトの地勢や物産の調査のほか、古代遺跡の調査にあたらせます。その調査団の最も有名な業績はロゼッタ・ストーンの発見で、上エジプトに赴いた一団はルクソールのカルナック神殿や王家の谷を世界で初めて学術的に記録ています。

    イチオシ

    ナポレオンはエジプト遠征にあたって167名の科学者や建築技術者からなる学術調査団を同行させ、彼らにエジプトの地勢や物産の調査のほか、古代遺跡の調査にあたらせます。その調査団の最も有名な業績はロゼッタ・ストーンの発見で、上エジプトに赴いた一団はルクソールのカルナック神殿や王家の谷を世界で初めて学術的に記録ています。

  • ベルリンへ旅した時に戦勝記念塔を見た時もこの塔を思い出しました。

    ベルリンへ旅した時に戦勝記念塔を見た時もこの塔を思い出しました。

  • 数日書き溜めた絵葉書を投函することが出来ました。

    数日書き溜めた絵葉書を投函することが出来ました。

  • 「サン・ジャック塔」は元々16世紀に造られた教会の鐘楼部分だったのだそうです。塔の頂上にはサン・ジャック(聖ヤコブ)の像が建っています。この塔はパスカルが大気圧の実験をしたことでも有名ですが、今はキマイラの住処といったところでしょうか。アップにするとちょっと不気味です。そろそろ戻らないと妻に怒られそうです。 <br />

    「サン・ジャック塔」は元々16世紀に造られた教会の鐘楼部分だったのだそうです。塔の頂上にはサン・ジャック(聖ヤコブ)の像が建っています。この塔はパスカルが大気圧の実験をしたことでも有名ですが、今はキマイラの住処といったところでしょうか。アップにするとちょっと不気味です。そろそろ戻らないと妻に怒られそうです。

  • アルコル橋越しに色づいた街路樹の向こうに「パリ市庁舎」の上部が見えました。妻と初めて来た年末年始の旅では市庁舎前に広場がスケートリンクになっていて、しばらく眺めていたことを思い出します。

    アルコル橋越しに色づいた街路樹の向こうに「パリ市庁舎」の上部が見えました。妻と初めて来た年末年始の旅では市庁舎前に広場がスケートリンクになっていて、しばらく眺めていたことを思い出します。

  • RERのサン・ミッシェル・ノートルダム駅から電車に乗って、ヴェルサイユ宮殿に向かいます。この日は10月最後の日曜日でサマータイムも終わりましたが、ヴェルサイユ宮殿の噴水もこの日が最後で、春が来るまでお休みになります。ヴェルサイユ宮殿も初めてなので3人共楽しみにしていました。

    RERのサン・ミッシェル・ノートルダム駅から電車に乗って、ヴェルサイユ宮殿に向かいます。この日は10月最後の日曜日でサマータイムも終わりましたが、ヴェルサイユ宮殿の噴水もこの日が最後で、春が来るまでお休みになります。ヴェルサイユ宮殿も初めてなので3人共楽しみにしていました。

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2011 パリの旅

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