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世界遺産のモンサンミッシェル見学の続きです。

2010秋、独・仏・瑞3カ国旅行記(29/39):11月14日(3):モンサンミッシェル

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2010/11/09 - 2010/11/16

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旅人のくまさん

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世界遺産のモンサンミッシェル見学の続きです。

交通手段
観光バス
  • 石畳の坂道を登りながらモンサンミッシェルの観光スポットのテラスに向かいました。その途中の眺めです。建物の高い位置に、空中回廊が見えました。

    石畳の坂道を登りながらモンサンミッシェルの観光スポットのテラスに向かいました。その途中の眺めです。建物の高い位置に、空中回廊が見えました。

  • 石畳の登り坂には、石段の部分もありました。モンサンミッシェルの起源は司教が太天使ミカエルの啓示を受けた8世紀初頭ですが、現在の建物としての基礎は、ノルマンディー公のリシャール1世が966年にベネディクト会の修道院を建てたのが始まりです。

    石畳の登り坂には、石段の部分もありました。モンサンミッシェルの起源は司教が太天使ミカエルの啓示を受けた8世紀初頭ですが、現在の建物としての基礎は、ノルマンディー公のリシャール1世が966年にベネディクト会の修道院を建てたのが始まりです。

  • 石造りの外壁のアップです。1789年のフランス革命時に修道院は廃止され、1863年までは国の監獄として使用されました。荒廃の時代もあり、修道院として復元されたのは、1865年のことです。

    石造りの外壁のアップです。1789年のフランス革命時に修道院は廃止され、1863年までは国の監獄として使用されました。荒廃の時代もあり、修道院として復元されたのは、1865年のことです。

  • 真下から見上げた、ネオ・ゴチック様式の建物光景です。ベースとなったゴチック建築は、歴史的区分としては1150年頃から1500年頃までの時代の建築物を指すとされます。フランスでの盛期ゴシックの最高傑作は、ノートルダム寺院などとされます。

    真下から見上げた、ネオ・ゴチック様式の建物光景です。ベースとなったゴチック建築は、歴史的区分としては1150年頃から1500年頃までの時代の建築物を指すとされます。フランスでの盛期ゴシックの最高傑作は、ノートルダム寺院などとされます。

  • ネオ・ゴチック様式、またはゴチック・リヴァイヴァル様式と呼ばれる建築の外部装飾のアップです。イギリスを発祥とし、18世紀後半にはフランス、ドイツに、更にイタリア、ロシア、アメリカに広がったとされます。<br /><br />

    ネオ・ゴチック様式、またはゴチック・リヴァイヴァル様式と呼ばれる建築の外部装飾のアップです。イギリスを発祥とし、18世紀後半にはフランス、ドイツに、更にイタリア、ロシア、アメリカに広がったとされます。

  • 空中回廊が目の高さになるくらいの場所まで登ってきました。そのアップ光景です。この部分は、木材が多く使用されているようです。壁面いっぱいの装飾です。

    空中回廊が目の高さになるくらいの場所まで登ってきました。そのアップ光景です。この部分は、木材が多く使用されているようです。壁面いっぱいの装飾です。

  • モンサンミッシェルで一番高い尖塔が視界に入ってきました。屋上テラスまではあと少しです。1897年に完成したこの尖塔は、ネオ・ゴチック様式です。

    モンサンミッシェルで一番高い尖塔が視界に入ってきました。屋上テラスまではあと少しです。1897年に完成したこの尖塔は、ネオ・ゴチック様式です。

  • アップした尖塔の最上部の光景です。金のミカエル像のほか、その下にも金色の飾りがありました。刺のように突き出した飾りは、ゴチック様式の特徴の一つのようです。

    アップした尖塔の最上部の光景です。金のミカエル像のほか、その下にも金色の飾りがありました。刺のように突き出した飾りは、ゴチック様式の特徴の一つのようです。

  • ブロンズ製の尖塔の上に飾られた、金のミカエル像のアップです。剣と秤を持つミカエル像は、彫刻家エマニュエル・フレミエによって製作されました。尖塔は、ネオゴチック様式とされます。

    ブロンズ製の尖塔の上に飾られた、金のミカエル像のアップです。剣と秤を持つミカエル像は、彫刻家エマニュエル・フレミエによって製作されました。尖塔は、ネオゴチック様式とされます。

  • 空中回廊が、目の位置より少し下になる位置からの撮影です。モンサンミッシェルは、中世以来、カトリックの聖地として多くの巡礼者を集めてきました。

    空中回廊が、目の位置より少し下になる位置からの撮影です。モンサンミッシェルは、中世以来、カトリックの聖地として多くの巡礼者を集めてきました。

  • 西の回廊付近の建物光景です。回廊からの周りの光景は、その後で紹介します。ネオ・ゴチック様式の尖塔光景です。

    西の回廊付近の建物光景です。回廊からの周りの光景は、その後で紹介します。ネオ・ゴチック様式の尖塔光景です。

  • アーチ形の石造りの出入口ですが、出入口は四角で、2つに分かれていた建物です。通常、この部分には贅を凝らした彫刻がありますが、彫刻類は見当たりませんでした。

    アーチ形の石造りの出入口ですが、出入口は四角で、2つに分かれていた建物です。通常、この部分には贅を凝らした彫刻がありますが、彫刻類は見当たりませんでした。

  • 修道院の外観光景です。17世紀頃には、『聖モール』と呼ばれる新ベネディクト派の修道僧たちが住み始めました。この時期、古文書を修復や医学に取り組み、修道院は一大研究センターの役割を果たしていたようです。

    修道院の外観光景です。17世紀頃には、『聖モール』と呼ばれる新ベネディクト派の修道僧たちが住み始めました。この時期、古文書を修復や医学に取り組み、修道院は一大研究センターの役割を果たしていたようです。

  • 修道院の建物のコーナーの光景です。建築に使われた石は、どの地方から運ばれたかは分かりませんが、様々な種類の石材が使われているようでした。

    修道院の建物のコーナーの光景です。建築に使われた石は、どの地方から運ばれたかは分かりませんが、様々な種類の石材が使われているようでした。

  • 修道院の建物の側面光景です。牧歌的な風景とはいきませんでしたが、上空に鳥が舞い、建物の上には灌木が見えました。

    修道院の建物の側面光景です。牧歌的な風景とはいきませんでしたが、上空に鳥が舞い、建物の上には灌木が見えました。

  • 建物内部の光景も少し紹介しておきます。修道院の内部の光景です。1523年に建てられたゴシック様式の内陣です。<br />

    建物内部の光景も少し紹介しておきます。修道院の内部の光景です。1523年に建てられたゴシック様式の内陣です。

  • 同じく、修道院の内部の光景です。フランス革命後の監獄時代、既にこの建物も存在していましたから、その時の使われ方を想像するのも興味深いことです。

    同じく、修道院の内部の光景です。フランス革命後の監獄時代、既にこの建物も存在していましたから、その時の使われ方を想像するのも興味深いことです。

  • 祭壇でしょうか、基壇の上に設えられたテーブルのような形をしていました。基壇には花が供えられていました。

    祭壇でしょうか、基壇の上に設えられたテーブルのような形をしていました。基壇には花が供えられていました。

  • ここからは、テラスから眺めたモンサンミッシェルの周りの光景です。手前に見えるのがテラスの石塀です。テラスは、『西のテラス』と呼ばれる位置にあります。引き潮の時間帯でしょうか、あるいは、ここまで陸上化が進んでいるのでしょうか。

    ここからは、テラスから眺めたモンサンミッシェルの周りの光景です。手前に見えるのがテラスの石塀です。テラスは、『西のテラス』と呼ばれる位置にあります。引き潮の時間帯でしょうか、あるいは、ここまで陸上化が進んでいるのでしょうか。

  • 西のテラスからのサン・マロ湾の光景です。陸地化が進んでいることが良く分かります。かつての潮の満ち引きの速さは、巡礼者に恐れられ、馬の疾駆の速さに例えられたそうです。

    西のテラスからのサン・マロ湾の光景です。陸地化が進んでいることが良く分かります。かつての潮の満ち引きの速さは、巡礼者に恐れられ、馬の疾駆の速さに例えられたそうです。

  • 陸地方面の眺めです。モンサンミッシェルは、サン・マロ湾の1キロほど沖に位置する島です。中央付近に見えるのは、サン・マロ湾に注ぐ川のようです。

    陸地方面の眺めです。モンサンミッシェルは、サン・マロ湾の1キロほど沖に位置する島です。中央付近に見えるのは、サン・マロ湾に注ぐ川のようです。

  • 同じく川の光景です。手前は大きく蛇行していますが、その先は、運河のように直線的な堤防です。モンサンミッシェルは、ノルマンディー地方とブルターニュ地方の境界に位置します。

    同じく川の光景です。手前は大きく蛇行していますが、その先は、運河のように直線的な堤防です。モンサンミッシェルは、ノルマンディー地方とブルターニュ地方の境界に位置します。

  • 川のアップです。この川を境にノルマンディー地方とブルターニュ地方が分かれるようです。モンサンミッシェルは、ノルマンディー地方に入るようです。

    川のアップです。この川を境にノルマンディー地方とブルターニュ地方が分かれるようです。モンサンミッシェルは、ノルマンディー地方に入るようです。

  • この道路が造られたことにより、モンサンミッシェルの周りの海が陸地化を始めたようです。道路が撤去され、橋が架かった後でも、見学には駐車場は必要なようです。

    この道路が造られたことにより、モンサンミッシェルの周りの海が陸地化を始めたようです。道路が撤去され、橋が架かった後でも、見学には駐車場は必要なようです。

  • 陸地の光景です。この時期、羊の姿は見えませんでしたが、この地方の羊の肉は、塩を含んだ牧草を食べ、特産品とされます。帰りに立寄った休憩所で、ノルマンディーのカマンベールチーズを購入しました。

    陸地の光景です。この時期、羊の姿は見えませんでしたが、この地方の羊の肉は、塩を含んだ牧草を食べ、特産品とされます。帰りに立寄った休憩所で、ノルマンディーのカマンベールチーズを購入しました。

  • 道路が出来たことにより、陸地化が進み、島の面影が失われつつあります。1789年のフランス革命後の監獄時代には、『海のバスティーユ」として人々に恐れられ、1863年のナポレオン三世の勅命により閉鎖されるまで、1万2千人もの人々が収監させられました。

    道路が出来たことにより、陸地化が進み、島の面影が失われつつあります。1789年のフランス革命後の監獄時代には、『海のバスティーユ」として人々に恐れられ、1863年のナポレオン三世の勅命により閉鎖されるまで、1万2千人もの人々が収監させられました。

  • 小さな島は、トンブレーヌ岩のようです。その昔、モンサンミッシェルの付属聖堂があったとされますが、現在はないようです。

    小さな島は、トンブレーヌ岩のようです。その昔、モンサンミッシェルの付属聖堂があったとされますが、現在はないようです。

  • トンブレーヌ岩のアップです。元は修道士たちの避難場所であったようです。現在は歩いて渡れるようです。ただし、安全確保のためツアーガイドが必要なようです。

    トンブレーヌ岩のアップです。元は修道士たちの避難場所であったようです。現在は歩いて渡れるようです。ただし、安全確保のためツアーガイドが必要なようです。

  • 細長く伸びた、岬のような光景です。陸地化が始まる前には、中間の砂地を含めて青い海の色だったのでしょう。

    細長く伸びた、岬のような光景です。陸地化が始まる前には、中間の砂地を含めて青い海の色だったのでしょう。

  • 冬木立越しに眺めた湾の光景です。モンサンミッシェルが世界遺産に指定されたのは1979年のこと、現在では、フランスを代表する観光地の一つとして、毎年300万人がこの場所を訪れているようです。

    冬木立越しに眺めた湾の光景です。モンサンミッシェルが世界遺産に指定されたのは1979年のこと、現在では、フランスを代表する観光地の一つとして、毎年300万人がこの場所を訪れているようです。

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