2023/10/26 - 2023/10/26
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しにあの旅人さん
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吾妻川。大きな石がごろごろした川でした。
上流に八ッ場ダムができたので、これでも少しは流れが緩やかになったらしい。
群馬県渋川市から、吾妻川に沿って、ヤマトタケルを祀る九つの神社が数珠つなぎで並んでいます。
いかにもヤマトタケルが東征の帰り、激流を右に左に渡りながら、この道をとぼとぼと歩いた足跡のように見えます。
古事記の足柄峠越え、日本書紀の碓氷峠越えより、悲壮感が深い。
のぼりつめると鳥居峠です。
ここで「吾嬬はや」と言ったという伝説にぴったり。
なんか、できすぎという感じもします。
神社で祭神を入れ替えるのはよくあること。
ヤマトタケルが祭神になったのが最近のことなら、だれか頭のいい人が音頭をとって、地域おこしでやったとミエミエです。
ところがこれらの神社がヤマトタケルをお祀りしたのは結構古いのです。「かもしれない」というレベルなら14世紀、確実なところでは17世紀です。
行ってきました。
投稿日:2024/09/01
旅行時期は2023年10月と22年4月
基本参考資料は、
ヤマトタケル空白の旅路 鳥居峠1
https://4travel.jp/travelogue/11917128
に並べました。
引用では僭越ながら敬称を略させていただきます。
今回特にお世話になったのは、
「群馬県吾妻郡誌」群馬県吾妻教育会/1929年(昭和4年)/国会図書館デジタルコレクション(引用では「吾妻郡誌」とします。)
「上野名跡志」(こうずけめいせきし)冨田永世/1853年(嘉永6年)/活字版1885年(明治18年)/国会図書館デジタルコレクション
「上野名跡考」富岡正忠(正美、1774-1859)/国会図書館デジタルコレクション
「上野国神名帳」国立公文書館デジタルアーカイブ
-
吾妻郡
▲▼▲
吾妻郡という地名は、927年成立の延喜民部式に出てくる古い地名だそうです。ただしこれが、ヤマトタケルが妻を偲んで「吾妻はや」と言ったのが元だというのは、後世のことです。
しかし17世紀にはすでにそういう伝説があったらしい。
江戸時代の地元上野、高崎藩士で国学者、富岡正忠によれば、吾妻の吾は「縣(あがた)」で、妻は「つまる」か「端」
★今ここは縣の端(つま)か、また縣約(あがたつまる)の義ならんか、此地北方のつまりにて、山間の郡縣なれば也。★(上野名跡考16コマ)
延喜式の担当者曰く、
縣端「あがつま」ということは「どんづまり」ってことだね。「どんづまり郡」はひどい。ジモティ怒る。かわいそうだから吾妻にしておこう。
じゃ、ないかと。
ことのおこりは延喜式がガラにもなく「吾妻郡」などというロマンティックな地名にしたので、後世みなさんが勝手に想像をたくましくしたのであります。
「つま」というのは着物の「褄」と同じ語源で、「はじっこ」ということ。それに「妻」などという色っぽい字を当てたのが、楽しい誤解の始まりでした。
一書に曰く、
鳥居峠が、この世のどん詰まりかと思ったら、吾妻という名前が、そもそもどん詰まりって意味だって。
しかし、ツマが端っこって意味って、なんですか。妻は、人間として端っこって意味なんですかね。
でも昔は、夫もツマと読みました。
妻と夫とでひと組、ひとつ。その半端だからツマなんですかね。
英語では、ベターハーフとか言いますもんね。
By妻
なお富岡によればよくある地名「下妻、上妻」もおなじ用例で、下のはじっこ、上のはじっこ。
妻が2人いて、上の妻を住まわせたところ、下の妻云々という、よからぬ想像をしていました。
「あなたも、ほしいの?」By妻
滅相もない。そんな恐ろしいこと。 -
目印は渋川駅。
鳥居峠まで道なり約70kmです。
今回も「吾妻郡誌」や「上野国神名帳」などというおもちゃを手にしたので、使いたくてしょうがない。
吾妻郡の神社がヤマトタケルを祀るのは、鳥居峠=碓氷峠伝説が広がったからに違いない。それがいつごろか。
神社を調べて、いつヤマトタケルが祀られたかが分かれば、見当つくということになります。 -
国道353をチンタラやってきました。
右手の丘の中腹に神社らしきもの。
群馬県吾妻郡中之条町市城(いちしろ)861 -
苦手な階段の先。
-
吾妻川を見下ろす丘の中腹です。暴れ川で有名な吾妻川の氾濫を避けてこんな高い位置に建てられたのでしょう。
-
小さなお社です。新しい感じ。
祭神は日本武尊。
吾妻郡誌の明治10年(1878年)の記録で、
★市城村 白鳥神社 (祭神)日本武尊★(500コマ)
というのがこの神社だと思います。ところが昭和3年(1928年)のリストにはありません。
一度廃絶したのが、昭和3年以降再建されたのでしょうか。
明治の初めには、祭神は日本武尊だった。
いつからかは分かりません。あんがい古いのかもしれません。
白鳥神社(小泉) -
市城の白鳥神社から、吾妻川を渡って車で5分、直線距離1.5kmくらいにもう一つ白鳥神社がありました。
群馬県吾妻郡東吾妻町小泉344 -
小さいですが、拝殿、本殿を備えた本格的な神社です。
祭神は日本武尊。 -
大正11年(1922年)火災で焼失しましたが、翌年再建された社殿だそうです。
吾妻郡誌だと境内敷地350坪だそうで、いまも大体そんな感じ。
氏子は大字小泉村で73戸。大正11年の火災後、73戸で1年で再建したわけで、村にとっては大変な負担だったと思います。いかにこの神社が住民に深く信心されていたか想像できます。
信仰ではなく、あえて「信心」と書きたい。
吾妻郡誌によると、創建年代、由緒は不明ながらも、
★上野国神名帳に従四位小磯明神と載せたるは是にて小泉と云える村名も小磯の転訛なるべき由村人の口碑なり。★
とありました。(512コマ)
ただしこの項の筆者はこの説に懐疑的で、むしろ奥田村の白鳥神社が小磯明神ではないかと書いております。
上野国神名帳には
★従四位上 小磯明神★
となっています。(国立公文書館デジタルアーカイブP11)
上野国神名帳は9世紀後半年成立したものですが、現存するのは鎌倉時代後期、永仁6年(1298年)の写本です(吾妻郡誌498コマ)。
ウィキペディアによれば中世加筆追記された可能性があり、古代の神名帳そのものではないそうです。
したがって「従四位上 小磯明神」というのは下限1298年ということになります。
吾妻郡誌の明治10年(1898年)のリストには、
★小泉村 白鳥神社 (祭神)倭武尊★(500コマ)
とありました。
1298年以降1898年までのどこかで、祭神が倭武尊に入れ替わったことになります。600年、幅が広すぎる。しかし希望的観測では14世紀初めあたりもあり得ることになります。
鳥居峠=碓氷峠説の出だしは「かもしれない」レベルならこのころです。
白鳥神社(奥田)
▲▼▲▼▲▼▲ -
群馬県吾妻郡東吾妻町奥田967
上の白鳥神社(小泉)で出てきた奥田の白鳥神社です。 -
村の鎮守様という感じ。
-
失礼して中を撮らせていただきました。
きれいに整理されて、大事にされているのがよく分かります。
主祭神は倭建命です。 -
階段横にあった説明板です。
説明板の出典は「吾妻郡誌」です。(509コマ)
創建は不明。
社伝にある「往古」の年代は吾妻郡誌にも書いてありませんでした。
元は「白鳥大明神」で、貞享3年(1686年)社名を白頭神社にかえる。
つまり17世紀半ばには存在していたのは確実です。
吾妻郡誌に「明治10年複白鳥神社と改称せり」とあるので、名称を1686年以前に戻しただけ
白鳥はタケルの象徴ですから、日本武尊神社と言ってもいいので、祭神は下限1686年で日本武尊だった。
これは早い。鳥居峠=碓氷峠説は18世紀くらいからだろうと思っていたので、100年早まることになります。
鳥居峠=碓氷峠説は、思ったより根が深いのかもしれません。
一書に曰く、
白鳥神社。
ヤマトタケルの魂は、死後、白い鳥になって飛び立ってしまいます。
それで白鳥神社は、ヤマトタケルの神社ということなのです。
いよーっシャンシャンシャン、シャンシャンシャンのお酉さまの鷲神社も祭神はヤマトタケルです。
でも鷲って字だと白くない鳥みたいに思えますが。
白頭鷲?
昔は日本にもいたのかなあ。
By妻 -
二人で写真を撮りまくっていたら、下の村からお婆さんが上がってきました。ご本人が「90才です」と言っていたので、お婆さんでいいと思います。
写真の黒い帽子がお婆さん。
By妻と意気投合して話し込んでいました。
村の鎮守様を訪ね歩いて、うれしいのは地元の方と話せることです。
ただし私はやや人見知りするので、こういうときは常にBy妻の担当です。
目的がはっきりした会話なら、相手が初対面でも火星人でも問題ありません。でも世間話が苦手。
一書に曰く、
地元の人からしたら、何の変哲もない、村の鎮守様を、他国の者が上ったり下りたり、写真撮ったり、、、
な~にやってるのよ。
と思うのは、全く当たり前。よくぞ駐在さんが来なかったもんです。
この神社が建って居るところは、既に山の中腹です。
神社に周囲は、開墾されてひろびろとして、 小高くなっておりますから、かなり遠くからも見通せたと思います。
近隣の家々からも、私たちの様子は見えたのではないかな。
彼女一人の意思なのか、どこからかの電話指令で、様子見においでになったのか。
きちんとお化粧なさって、身仕舞いも整えた老婦人でした。
一方、こっちは、例によって、朝三時出発の、長時間のドライブのあとでのヨレヨレ状態。
気後れしながらのインタビューでした。
彼女の言葉はハキハキ、颯爽たるスタイルだし。
こっちは、気後れしっぱなし。
「戻ってきた」という言葉があって、お若いときは都会暮らしだったようでした。
かえって、「ここの神社が、そんなに珍しいの?」
なんてインタビューされちゃいました。
日々、この神社のお手入れをしていらっしゃるとかで、いい運動になるのでしょうね。お若いお若い。
白鳥神社は、美と若さに霊験あらたかですよ!
By妻 -
これがお婆さんが上がってきた奥田の村落、家並みの向こうが谷で、底を流れるのが吾妻川です。
のどかな刈田のひろがる田舎でした。
大宮磐鼓神社
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「おおみやいわづつみ」と読みます。 -
このお宮さんは「コロナちゃんと一緒 22年4月北関東・上 草津」
で行っています。重複しますので、こちらを見てください。
https://4travel.jp/travelogue/11748440
「吾妻郡誌」によると、
★祭神 素戔嗚尊、日本武尊、弟橘姫、保食命(うけもちのみこと)(主神)★
となっています。(500コマ)
ほかに11柱が祀られていますが、配神または後年の合祀です。
明治10年(1978年)のリストでもこの4柱は主神ですから、古くから日本武尊は主神でした。
日本武尊がいつから祀られていたかは不明。
創建も不明。でも天正18年(1590年)以降武将の寄進状などが残っているそうで、16世紀末以前に成立していたのは確実。
最初から日本武尊が祭神だった可能性があります。
このあたりは古くから吾妻郡の中心地で、日本書紀を読みこなしたインテリがいてもおかしくない。
鳥居峠=碓氷峠説の下限を1590年にできる可能性もあります。
矢倉鳥頭(とっとう)神社
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鳥頭神社は近くに同じ社名の神社がありますので、矢倉鳥頭神社といわれています。
一書に曰く、
とりあたま神社ですって!
きゃっすてき。
あの漫画家の、西原×子先生に教えなくては。
と思ったら、「とっとう」と読むそうです。
青森の善知鳥(うとう)神社と関係あるのでしょうか。
By妻 -
群馬県吾妻郡東吾妻町矢倉899
この神社は、実は今回の目玉になるはずでした。というのは、 -
こういうのがあるのです。
「神世杉」 -
境内の説明板。一部書き起こします。
★そもそも神世杉(一名親子杉とも言う)は その昔日本武尊東征のみぎりお手植えされたと言い伝えられ 以来幾千歳うつ蒼たる神域を近隣に誇りしが 寛保二年(1742年)草津への旅人一夜をこの大杉の虚にて暖を焚き その失火により神代杉は半枯の状態になりしとか その後天明三年(1783年)の浅間山噴火による熱泥流は 再びこの神代杉を厄火に包みたり
ときに隆徳寺住職円心和尚は その消失の危機を憂慮し神代杉を後世に残さんと余燼のくすぶる中 己れが危険を侵し十米の高所より切倒してその祈念を果たし 今の世に往事の面影を残存したると言う★
日本武尊東征のおりお手植えの杉でして、その後2回にわたり火災に遭い、現在の姿になった。
後年枯死した大杉の内部に杉を植え、それが育って現在の親子杉になったそうです。 -
本当だ。杉の中に杉が立っている。
-
樹齢250年の杉です。まさに親子杉。
こういうのがあると聞いて、勇んでやって来ました。
伝説にはなにか根拠があるのではないか。
ところがですね。
吾妻郡誌をよく読んだら、大穴牟遅神(おおなむちの・かみ)、宇迦之御魂神(うかの・みたまの・かみ)を主神、倭建命、建御名方神を配神としております。「相殿2社は明治十年七月合祭」と書いていますから、ヤマトタケルはもともとの神様ではありませんでした。 -
境内の神社由緒でも「祭神 大穴牟遅神」
ヤマトタケルはおまけですから、「鳥居峠=碓氷峠説」には関係ないみたい。
吾妻郡誌の(矢倉)鳥頭神社にも神代杉はでてきますが、
★尚神代杉と称するもの殊に顕る。★
だけ。日本武尊はでてきません。
神代杉という珍しい親子杉が境内にもともとあって、後年日本武尊に結びつけられたということですね。吾妻郡誌のあとですから、20世紀の前半ということです。
上野国名称誌の矢倉村の項に、
★伝説雑記ニ矢倉鳥頭大明神鰐口滋野朝臣海野長門守幸光天正六戊寅今月今日トアリト云★
とあります。これが由緒にある、海野長門守が奉納したという鰐口の件でしょう。
「伝説雑記」とは「上毛伝説雑記」のことらしい。国会図書館デジタルアーカイブにありますが、国会図書館内のPCでしか利用できないそうです。ということはおそらく手書き写本のマイクロフィルムでしょうね。まず読めないので、ここはパス。
天正6年(1578年)には存在していることが、第三者の文書で確認できる神社です。
ここにヤマトタケルが出てこないのは残念。
吾嬬神社
▲▼▲▼ -
ビックリしました。
山の中でいきなり竜宮城みたいな朱塗りの神社に出会ったのです。
群馬県吾妻郡中之条町山田572 -
♪
-
♪♪
-
中之条駅から5キロちょっと。ここから先は山で、草津温泉まで33キロ、人家はないみたいです。榛名の麓か浅間の麓か。
吾妻郡誌だと、祭神は倭建尊、弟橘姫命、上嬬媛命、その他いっぱい。明治以降近郷の神社をたくさん合祀したようです。
創建は不明。慶長17年(1612年)再建の記録があるそうです。現在の社伝は宝暦年間(1751-1764)の造営で、明治42年(1909年)以降屋根、彩色などの事業を行った。(以上境内石碑より)
100年ちょっとなら、このくらい鮮やかな色彩が残るものなのか。
ヤマトタケルが祭神となった年代は分かりませんが、昔は「上妻神社」と言ったそうです。おそらく「あがつま」と読むのでしょう。寛政12年(1800年)に吾嬬神社と改めたそうです。(境内石碑)
創建当時からヤマトタケルが祭神とすると、鳥居峠=碓氷峠説の下限が1612年となり、伝説の古さを補強することになります。
妻妾同居?
▲▼▲▼▲
祭神の「上嬬媛命」初めてお目にかかります。
中之条町:吾嬬神社というHPによると
https://www.guntabi.com/nakanojyou/gojyu.html
★御祭神は日本武尊、上妻媛命。上妻媛命は豊城入彦命(上毛野君、上野国造の祖神、赤城神社祭神)の曾孫とされ、絶世の美女だった事から日本武尊に見初められ子を宿すまでになりました。尊が都に戻る際、姫に対して「あなたは吾(私)の妻(嬬)だ」と何度も叫びながらこの地を離れた事から当地が吾妻と呼ばれるようになったと伝えられています(嬬は側室や妾という意味もあります)。★
お妾さんだって。
この神社にはタケルの正妻、弟橘姫が祀られていますので、このあたり、何なのでしょう。
妻妾同居ということになります。
一書に曰く、
なんですか。BY夫の注意書きは。
女心の分からない男の書きそうなことですわ。
ふんっ!
★嬬には側室や妾という意味もあります★
って。
我が妾よ。わが側室よ。といわれて、だーれが喜ぶか。
よそではいざ知らず、ここでは、正妻。
ヤマトにはヤマトの正妻。相模には相模の正妻。
この時代の正妻は、全国区ではなかっただけ。
By妻
なお弟橘姫は、古事記によれば、タケルの歴とした6人の正妻の一人です。
★また走水の海に入水した弟橘比売命と結婚してお生みになった御子は、若建彦、一人。★
(現代語訳古事記/中村啓信訳/角川ソフィア文庫P366)
景行天皇記・倭建命東征の最後、戸籍謄本みたいな系図に載っています。
のちに仲哀天皇となる帯中津日子命(たらしなかつひこの・みこと)を産んだ妻の次に名が出てきます。格付けからいうと第2夫人。
逆によく正妻といわれる尾張の美夜受比売(みやずひめ)は、謄本にはありません。
一書に曰く、
正妻って?
最近、電車に乗る機会がありまして、しかも長旅でしたので、二人並んで座っておりますと、あれこれ雑念が湧くのでしょうか。(by夫がですよ。)
by夫が、ヤマトタケルの正妻について話し出しまして。
弟橘姫が正妻だったと。
えっ?そんなら弟橘姫は、○ビ・○カルノかい?!
と、叫んでしまいましたが、そうみたいですね。
古事記に書いてございました。
でも、わたくしの考えは、少し違っておりまして、弟橘姫は、巫女なのですよ。
彼女は、東京湾、相模灘一帯を納める巫女なのです。しかも最高巫女ではなく、彼女の霊力を分け持つ弟姫なのです。
各土地土地には、祀られる神が居て、巫女姫がいる。
その土地を通る間、その土地の神の加護を、弟姫が付き従うことで与える。
熱田神宮の宮津姫は、兄姫だった。だから同行できなかったのです。
それで、加護がなかったから、ヤマトタケルは遭難してしまうのですよ。
ということで、上毛野においては、というか、吾妻郡あたりでは、上嬬媛命が正妻だったのです。
By妻 -
ここからは吾妻渓谷の奥に分け入ります。
鳥頭神社、吾妻山神社、三原神社。
吾妻郡誌によると、ヤマトタケルをお祀りすることは確実ですが、創建由緒は分かりません。立て替えの記録も明治40年くらいまでしか遡れません。吾妻郡誌の明治10年のリストには載っています。
鳥頭神社
▲▼▲▼ -
杉の太さからすると300年くらいかな。
-
群馬県吾妻郡東吾妻町三島3552
三原神社
▲▼▲▼ -
万座ハイウエイまたの名は浅間白根火山ルートまたの名は志賀さわやか街道、の路肩に車を止めて入りました。神社の裏手に出ます。
道路の名前はどれが本当か分からないので全部書いておきます。
嬬恋村三原から嬬恋プリンスホテルに上がっていく道です。 -
群馬県吾妻郡嬬恋村三原1108
麓の集落に下りていく道があったので、こちらが表参道でしょう。
小さいけれどよく手入れされたお社でした。
吾妻山神社
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群馬県吾妻郡嬬恋村田代34
-
田代は嬬恋村一番奥の集落です。ここから鳥居峠への登りです。
前回の鳥居峠で出てきた「上信日記」では、
★(鳥居峠を越えて)上野国吾妻郡田代ニイタル。家二三十アリ。吾妻権現ノ社アリ★
だそうです。かつての田代村です。「吾妻権現」というのが吾妻山神社なのかもしれません。 -
0空白の旅路 上野国神名帳写真
「上野国神名帳」です。
奥付に「群書類従巻第二十三」とありました。塙保己一の群書類従の版本です。
塙保己一の同郷人、新一万円札の肖像画のお方の尽力で、群書類従は現代まで引き継がれました。
白鳥神社奥田以外に、祭神がタケルに入れ替わった明確な年代は不明でした。
可能性としては14世紀初め、15世紀もあります。
かなり古くから鳥居峠=碓氷峠伝説はこの地方にあり、18世紀末ごろにはひろく信じられるようになり、それが「上野名跡志」で紹介され、それぞれの神社の縁起に採用されたのではないか。
日本書紀ヤマトタケル東征のわずか11文字「則自甲斐北轉?武藏上野/甲斐から北方の武蔵・上野をめぐって」にロマンを感じ、それをわが郷土になんとしてでも結びつけようとした人々の熱意を感じます。
ヤマトタケル村おこしプロジェクト
▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼
今回のおもちゃのひとつ「上野国神名帳」を眺めていたら、面白いことに気づきました。
15の郡ごとに神社がリストアップされています。数字は神社の数です。
甘楽郡33座
多古郡25
録埜(野、みとの)郡17/現高崎近くの小さな郡
碓氷郡25
片岡郡14/現高崎近くの小さな郡
群馬郡146
群馬郡西郡169
吾妻郡12←いまここ
利根郡22
勢田郡23
那波群18
佐位郡12/現伊勢崎あたりの小さな郡
新田郡25
山田郡23
邑楽(おはらき)郡15/現館林あたりの小さな郡
私たちの吾妻郡は神社の数12,佐位郡とビリを争っています。ところが佐位郡は現在の高崎あたりの小さな郡なのです。録埜、片岡、邑楽も小さい。でも群馬郡なんかと同様当時の上野国の中心でした。人口は多かったので、小さい割に神社はいっぱい。
吾妻郡は面積だと利根郡と並ぶ大きな郡です。でもビリ。面積比ならダントツのビリです。
大半が浅間、榛名、草津白根、山なのです。山といっても火山、人なんて住めません。
神社というのは当時の文明のよりどころです。それがこんなに少ない。
富岡正忠がいうところの、
★今ここは縣の端(つま)か、また縣約(あがたつまる)の義ならんか、此地北方のつまりにて、山間の郡縣なれば也。★
手っ取り早くいうと、山間の僻地だと言っている。
ヤマトタケルを祀る神社は、そういう僻地を愛して、ヤマトタケルを誘致して、なんとか地域を盛り上げようとした、14世紀以降の吾妻人たちの努力の結晶だと思うのです。
吾妻人、よくやった。
今でもよくやっている。それは次回に。
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この旅行記へのコメント (5)
-
- 前日光さん 2024/11/08 23:09:14
- 黒い帽子のお婆さん!
- もちろん神社から見える集落の皆さんの意向を汲んで、
敢然と怪しの人物の様子を探りに来た!と私は思いました。
ところがby妻さんと話が合ってしまい、ツッコミを入れることも忘れて
話し込んでしまったというストーリーがよく分かるシチュエーションです(^_-)-☆
こんばんは!(^^)!
10月28日に三回目の文学講座の講義が終わり、ボーっと過ごしておりました。
写真探しも資料作りもなかなか大変でした。
いたって小心者なので、開き直ることができずに気苦労ばかりでした。
でも最後の頃は独断と偏見で、妄想交じりのヨタ話をしている自分がいました。
30人弱の参加者でしたが、それでも他人様に思い込みの話をするのは
大変なものですね。
ヤマトタケルのことをもう少し詳しく知っていたら、この方面の話もできるのですが。
多分講座の狙いとしては、平安時代の「大河」の背景なんかを話してもらいたかったのかも。
でも藤原氏を母に持たなかったがために皇位継承から外された惟喬皇子や業平のこと、藤原氏よりは橘諸兄と懇意だったために越中に左遷されたのではないかと思われる家持、祖父が薬子の変の中心人物だったために、高貴な血筋でありながら皇位継承とは縁のなかった業平のこと等々、面白おかしく話してみました。
また話が旅行記から逸れてしまいました(^_^;)
樹齢250年の親子杉が気になりました。
また妻の意味は「はじっこ」なんですか?
上妻と下妻( *´艸`)、確かに気になる!
富岡昌忠という人
★今ここは縣の端(つま)か、また縣約(あがたつまる)の義ならんか、此地北方のつまりにて、山間の郡縣なれば也。★
オヘソが曲がっているのですね?
おもしろき御仁と思われますヽ(^。^)ノ
前日光
- しにあの旅人さん からの返信 2024/11/09 08:12:15
- Re: 黒い帽子のお婆さん!
- 今日明日法事で出かけます。帰ってきたらじっくりと。
法事などという言葉が似合うようなトシになりました。あーーーやだやだ。
- しにあの旅人さん からの返信 2024/11/12 09:50:09
- Re: 黒い帽子のお婆さん!
- 旅をしていて、ジモティさんとの出会いがあると、ブログにふくらみが出ます。
今回のお婆さんが典型です。By妻と意気投合して、話し込んでいました。
こういうとき私はその輪に入れなくて、残念なのです。
人見知りしちゃうんですよ。
3日間の講座、聞きたかったなあ。
なんらかの形でブログになりませんか。
家持を登場させたのですね。これは背景旅行がばっちり、さぞ面白かったと思います。
講座とその背景とかいうテーマで、ブログお願いします。
吾妻郡、関東平野を挟んで、反対側ですね。
八ッ場ダムの上流と下流で、雰囲気がらっと変わります。下流は、田舎です。
上流は観光地で、ダム湖は芦ノ湖ぽい。嬬恋、草津、浅間ですからね。これから開けますよ、あのあたり。
まだ外国人観光客が入っていなくて、静かでした。いつまでもつかなあ。
親子杉も、お隣2カ国語の案内がたつのも時間の問題かもしれません。
富岡正忠さんなど、江戸後期のジモティ地誌学者には、個性的な博学が多いようです。
一時期古文書解読の通信教育を受けていたのですが、根気がつづかず、まったくものになりませんでした。あのときがんばっていればよかったと、後悔先に立たず。
-
- pedaruさん 2024/09/04 06:51:38
- 吾妻
- しにあの旅人さん おはようございます。
4トラベルの旅行記の表紙には数々の絶景、名場面、など心揺さぶられるものが ありますが、当旅行記の表紙の写真も、この一見するとよくある風景のようですが、なぜか私は非常に惹かれるものがありました。
重なるような山の各々の麓に20戸には満たないかと思われる民家が、寄り添うように建っていて平和にそして仲良く暮らしているように感じられました。
雑木林のなかに濃い緑の常緑樹がまじり、低山の色彩が豊かです。道は上の集落から途中折れたり、蛇行したりしながら下の家々に続いております。その先には吾妻川が豊かな水量を保って流れています。
これが日本の風景なのだなぁ、などと感じ入っております。
ところで吾妻と言う地名はポピュラーなようで、私の母の故郷の村も吾妻村と称しておりました。子供のころ聞いた話は、同じような物語でした。
村は今は栃木県佐野市の一部に属しております。昔は水害に毎年見舞われるような寒村でした。
ご夫婦そろって同じ趣味でご一緒に旅をされて羨ましいです。これからも楽しみにしております。
pedaru
- しにあの旅人さん からの返信 2024/09/04 09:54:06
- Re: 吾妻
- 吾妻川の向こうは榛名山です。このあたりずっとこういう感じの鄙びた田舎です。
たぶん上野国吾妻郡の古代のころとそんなに変わらない。浅間、榛名、草津白根にはさまれた渓谷ですから、変わりようのない地形です。
たしかに、日本の原風景ですね。
この上流に八ッ場ダムができました。景色が一変します。ダム湖の両岸に立派な道路ができて、ドライブインなどが林立。
鄙びた田舎がだいなし、といえばそうですが、地元の人にとっては、やっと人並みの暮らしが出来るようになったと、安心しているのではないでしょうか。古代いらい初めてじゃないかな。
地名では、吾妻を「あづま」と読むと日本各地に数多くあるみたいです。
「あがつま」だとこの吾妻川周辺に固まるみたい。
いずれにしても恋しい奥さんと別れて遠くに行く男の物語が、背景にありそうです。
ほんらい「つま」ははじっこ、どんつまりといういう意味ですが、そういうことはこの際言いっこなしなし。素直に伝説を信じていいと思います。
富岡正忠さんという人は、たしかに優れた学者かもしれませんが、やや性格が偏屈みたいです。
夫婦そろっての旅が必須です、妻もカメラをもっていて、二人でバシャバシャ撮りまくります。二人で撮っていれば、撮り忘れも少ない。
それいがいに記録係、看護士も兼ねます。
最近足腰が目立って衰えております。妻の方がはるかにしっかりしている。万一私が転んでも、なんとか助けてくれるであろうと、あてにしております。
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旅行記グループ ヤマトタケル空白の旅路 鳥居峠
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