たっくん&ゆうすけさんにとって旅行とは
祖父は長子ではなかったため,一旗揚げるために支那(満洲・モンゴル・チベット・東トルキスタンを含まない概念)へ。家督を相続できない,気概ある若者の多くが大陸に渡った時代であった。
父は支那・広東・太平沙南関二馬路(戸籍の記載通り)の「広東博愛会医院(台湾総督府によって設立された医療支援団体「博愛会」が,台湾総督府の管轄外の中華民国・華南で経営した医院の一つ)」にて出生,上海の共同租界(旧英国租界)育ち。35歳で国立大学医学部教授に就任。従三位に叙せられる。祖母の口癖はこうであった。「校長なんて呼ばれるような人間になったらアカン,学長か総長やないとな」。
子どもの頃は,ほぼドイツ語しか知らない母(女子高等医学専門学校卒)に連れられて,ソビエト連邦,スウェーデン,ノルウェー,デンマーク,英国,オランダ,ベルギー,フランス(コートダジュール,ボルドー,カルカソンヌ,ロワール地方,モンサンミッシェルなど),スイス,オーストリア,イタリア,アメリカ(NY,グランドキャニオン,ラスベガスなど),カナダ(ナイアガラ,バンフ国立公園など),メヒコ(タスコ,アカプルコなど),香港・マカオなどに旅行した。初めての海外は,IL-62(イリューシン62型機)で行ったモスクワ。モスクワ大学・日本語学科の学生がガイドに付いた。
ひとりで海外に出かけるようになったのは,日本でガンダーラ美術展を見て惹かれ,パキスタンに行ったのが最初。その後,湾岸戦争直前・フセイン政権下のイラク,トルコ(イスタンブール,イズミール,コンヤ,カッパドキアなど),東トルキスタン(新疆ウイグル)を訪ねる。イスラム圏以外では,フィンランド,ドイツ,ポルトガル,スペイン,ギリシャへ。ゆうすけは,レスリング遠征でチェコとハンガリーに行っている。
人生最高の絶景,それはパミール高原・中パ公路,標高約3600mの「喀拉庫勒湖(カラクリ湖)」だろう。
自分を客観的にみた第一印象
未婚,非嫡出子あり。現在は,大学講師,土地賃貸業。灘中,灘高,東京大学法学部卒。
大好きな場所
●パキスタン(モヘンジョダロ遺跡,ラホール,ペシャワール,ハイバル峠,タキシラ遺跡,ラワルピンディなど。1984年訪問,PKの成田-北京-ラワルピンディ-カラチ線を利用)
●イラク(バグダッド,バビロン遺跡,クテシフォン遺跡,サーマッラー,ハトラ遺跡,モスル,アッシリア諸都市など。1989-1990年訪問,IAの成田-バンコク-バグダッド線を利用)
●ベルリン(バビロン遺跡のイシュタル門を擁するペルガモン博物館へ。1990年訪問,AF,SN(サベナ・ベルギー航空),PA(パンアメリカン航空),IB,NH利用)←海外出張。初めてのCクラス(普通運賃)旅行。デュッセルドルフ-西ベルリンーフランクフルトはPA利用。
●トルコのイズミール(世界で最もヘレニズム的な都市+エフェソス,ペルガモン遺跡。1991年訪問,AY利用)
●東トルキスタン(カシュガル,カラコルム・ハイウェイ,パミール高原のムスタグアタ峰・ゴングール峰とカラクリ湖(海抜3,600m)など。1991年訪問,CA,WH(中国西北航空),XO(中国新疆航空)利用。
●モロッコのマラケシュ(2013年訪問,CX,BA,U2(easy jet)利用)
●南の島(ハワイ,サイパン,テニアン,ロタ,バヌアツ,バリ島,ムンジャンガン島,プロウスリブ,ペナン,ランカウイ,プーケット,コサムイなど)
●京都
大好きな理由
イスラム世界を知らないことは,世界の4分の1を知らないということ。欧州人は,自らは失ってしまった古代ギリシャ文化を,アラビア語に翻訳された文献を通して学び知りました。欧州人にこのことを言うと,ものすごく嫌な顔をされます。見下しているイスラム世界に学んだと言われることなど,よほどプライドが許さないのでしょう。
唐の長安とともに世界二大都市であったバグダッドの「知恵の館」は,壮大な図書館であり,ギリシャ語からアラビア語への一大翻訳センターでもありました。
インドはまもなく,ヒンズー教徒の優位を保ちつつ,世界で最も多いイスラム教徒を擁する国となります。
行ってみたい場所
ウズベキスタンのサマルカンド。30年ぶりのニューヨーク,アルバ島・キュラソー島。