常連さんのクチコミ(25ページ)全3,467件
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投稿日 2020年05月26日
総合評価:4.5
大阪の中心部を流れる大川沿いの天満橋から北浜にかけて八軒家浜が再整備されました。この付近は古くは「渡辺の津」と呼ばれこの整備を記念して「渡辺津記念碑」が建てられました。
この地が古くから熊野古道の起点とされた場所で多く人々で賑わったことでしょう。すなわち京都から船で淀川を下り大川へ分岐、そしてここ「渡辺の津」にある「八軒家船着場」で下船しそして熊野街道から熊野へと旅立ったのです。記念碑の近くにはそれを記した常夜燈もあります。確認してください。
整備された歩道にはウォーキングやジョギングを楽しんでいる人がいて憩いの場所になっています。またここからは土佐堀川に架かる天神橋や造幣局を望め水都大阪らしい風景を見ることができます。心地よい気持ちになれます。- 旅行時期
- 2020年05月
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 4.5
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投稿日 2020年05月26日
総合評価:3.5
この「平安宮大蔵省跡」は中立売通りにある正親小学校の北東角に立っていいます。この付近は平安宮の北部に位置し金銭や物品の出収納などを管理していたことろであったようです。この石標の東側には豊臣秀吉の城郭と知られる「聚楽第跡」がありますが、と言うことはこの地は大蔵省・・・から聚楽第・・・から現在の学校へと姿が変わり流れていると言うことです。
- 旅行時期
- 2020年05月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2020年05月26日
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投稿日 2020年05月26日
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投稿日 2020年05月24日
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投稿日 2020年05月24日
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投稿日 2020年05月24日
総合評価:3.5
聚楽第は豊臣秀吉が1587年に政庁兼邸宅として造った華麗な邸宅で、東西600m南北700mの広大な敷地は二条城より一回り大きく周囲は堀で囲まれていたといいます。1591年に秀吉が関白職を秀次に譲ったあと聚楽第は秀次の邸宅となりましたが、その後たった4年間で秀次は秀吉によって高野山に追放させられ切腹、 聚楽第は破却しました。
また聚楽第は京にある豊臣秀吉の城郭として有名ですが、最後の城郭として「京都新城」が京都御所内で発見されたのは興味深いものです。
この「聚楽第跡」は中立売通りにある正親小学校の北東角に立っていて駒札で説明もしています。是非確認してください。- 旅行時期
- 2020年05月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2020年05月23日
総合評価:4.0
今日は堀川沿いを北上し散策しています。堀川通りの西側に「一条戻橋・晴明神社前」というバス停がありその先に「晴明神社」があり行ってきました。阿倍晴明公を祀る神社として有名で厄除けや病気平癒、家内安全にご利益があると言われています。また詳細は他の人の口コミを見てください。
今回紹介したいのは入口である一の鳥居をくぐり左にある「旧一条戻橋」で、先代の橋で使われていた欄干の親柱を境内に移し再現して造られました。昔の風情をそのまま残しています。見逃さない様にお願いします。- 旅行時期
- 2020年05月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2020年05月21日
総合評価:3.5
忠臣蔵ゆかりの瑞光院は現在山科区にありますがもとはここ上京区瑞光院前町にありました。地名が物語っています。
瑞光院はここにあった浅野長政の別荘を山崎家盛が寺院にしたものです。その後赤穂城主である浅野長矩の切腹後にその供養塔を造りさらには1702年の浪士討入の後も大石良雄をはじめとする四十六士の遺髪を埋葬した塔を造り供養してきました。
現在は写真のように遺髪塔跡となっていますが、移転した瑞光院は現在山科区にありますので是非訪問してください。- 旅行時期
- 2020年05月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2020年05月18日
総合評価:3.5
烏丸通御池を上がったところに「京都国際マンガミュージアム」がありますが、その一本西裏の両替町通りに「此附近 徳川時代金座遣址」と「此附近 徳川時代銀座遣址」の石標が建っています。
名称通り徳川家が作った貨幣鋳造所がありここで金貨が作られていました。また同じ慶長年間に造られたとされる銀貨の鋳造所がありました。しかし銀座はその7年前に伏見で造られたのが始まりで、その場所はここからずーっと南へ行った同じ両替町通り(伏見)にあります。
現在は石標のみ建っていますが、金座・銀座そして伏見の銀座発祥の地を合わせて見学してください。地下鉄と近鉄を乗り換えて行けます。
ちなみに口コミの名称ですが江戸時代を徳川時代(正式名称)に変えた方が良いと思います。- 旅行時期
- 2020年05月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2020年05月18日
総合評価:4.0
今日は堀川沿いを北上し散策しています。この「一条戻橋」は丸太町通りを北へ堀川に架かる一条通りの橋です。
架橋は古く794年の平安京造営の頃から建設されていたようで、左京から右京への橋を渡ることは意味があり伝説があるようです。葬列通行の際生き返ったり、女性が鬼に変わったり、怖ーい逸話が残されています。しかし橋の袂には春は桜、現在の堀川は散策路に、また清流での水遊びの場として憩いの場にもなっています。
堀川通りに「一条戻橋・晴明神社前」というバス停があります。晴明神社には以前の一条戻橋を見ることができこれも見どころです。合わせて見学してください。- 旅行時期
- 2020年05月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2020年05月15日
総合評価:4.0
「不要不急の外出をやめよう」と言われる中マスクをし三密を避け伏見稲荷大社へ行ってきました。人影は少なく80%以上減少しているように思います。
参道を歩き鳥居の先に見えるのがこの楼門ですが1589年に豊臣秀吉が造営したとされています。母大政所殿の病悩平癒を祈願しその病が成就したことによるとも言われています。
もちろん参拝の目的はコロナで苦しんでおられる方が一日でも早く治るようにそして収束するようにと願ってきました。この口コミは外出を薦めるものではありませんのでご了承ください。
電車にも乗らず人との接触は2m以上さけての訪問です。三密を避けた行動をしましょう。- 旅行時期
- 2020年05月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2020年05月15日
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投稿日 2020年05月15日
総合評価:3.5
「八軒家船着場跡」は天満橋を西へ土佐堀通の南側にあります。昆布屋さんの永田屋本店が目印でその前に県っています。
八軒家の名称はこの付近に八軒の船宿があったことに由来しているようです。船着場は淀川沿いに面していますが淀川の上流は京都へ繋がっていて、京都からいや江戸からの多くの人々が利用し船旅をしたのでしょう。京街道を歩くより楽ですから。
またこの付近は熊野街道の起点である場所でもあり多くの人々で賑わったに違いありません。この西には熊野街道碑もあり土佐堀通には多くの史跡が残っていますので散策するのも良いでしょう。- 旅行時期
- 2019年11月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2020年05月15日
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投稿日 2020年05月15日
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投稿日 2020年05月15日
総合評価:3.5
今日は大阪天満宮から日本一長い商店街である天神橋筋商店街を楽しもうと思います。
まずは大阪天満宮での参拝ですが周辺や境内には多くの史跡がありこの「大阪ガラス発祥の地碑」もそのひとつで大阪天満宮正門の西側にあるえびす門の前に建っています。
播磨屋清兵衛は「大阪ガラス商工業ノ始祖」とされていますが、これはオランダ人が長崎に伝えたガラス製法を学び大阪に持ち込み、江戸中期の1760年頃ここ大阪天満宮の前でガラスの製造を始めたものです。
碑はえびす門の前に建っていますが商売繁盛のえびすさんの像も建っています。大阪ガラスも大阪の発展に大きく貢献したに違いないでしょう。えびす像も見学してください。- 旅行時期
- 2019年11月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2020年05月10日
総合評価:3.5
今日は大阪天満宮から日本一長い商店街である天神橋筋商店街を楽しもうと思います。
まずは大阪天満宮での参拝ですが境内や周辺には史跡が残っていて川端康成の生誕地の碑があるとの情報から行ってきました。場所は天満宮正面を東へ、通りの南側にありました。
川端康成は日本人初のノーベル文学賞を受賞した小説家で「伊豆の踊子」「雪国」など多くの作品を出品した日本を代表する人物です。明治32年(1899)にこの地で生まれました。生誕之地は「ポンテ シェロ」と書かれたマンションのような建物の前にあり、ちょっと変わったデザインをしてお洒落で近代化しているようにも思います。是非立ち寄ってください。
もしこの碑のデザインや意味など情報がありましたら投稿をお願いします。- 旅行時期
- 2019年11月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2020年05月10日
総合評価:4.0
今日は大阪天満宮から日本一長い商店街である天神橋筋商店街を楽しもうと思います。
まずは大阪天満宮での参拝ですが周辺や境内には多くの史跡がありこの「西山宗因向栄庵跡」もそのひとつで大阪天満宮正門右前に建っています。
西山宗因は肥後八代出身の江戸時代に活躍した俳人です。武士をすて連歌師を志し京都へそして1642年に大坂のこの地の向栄庵で談林派を開き俳句の世界へ弟子は武士や豪商が多く井原西鶴もその中のひとりだったようです。
この正門を入ってすぐには「宵のとし雨ふりける元旦に 一に梅花 浪華津にさく夜の雨や 花の春」と読まれた句碑が建っていました。たぶん西側のえびす門との間だったと思います。見逃さない様にして下さい。ちなみに1682年78才で亡くなっています。- 旅行時期
- 2019年11月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2020年05月07日
総合評価:3.5
今日は天神橋商店街をぶらぶらしています。大阪天満宮から北へ天神橋1丁目から6丁目から6丁目まで約2.6㎞を歩きました。
ちょうど昼時だったので気軽に入れそうなこの店「めん家 だるま堂」に入りました。だるまと言えば串かつ屋さんもありますがここはうどん屋さんです。丸亀製麺のように自分で好きな麺やトッピングを選択するセルフスタイルの店です。麺は太麺でコシがありボリュームもあります。最近は「ゴボかき揚げ天」が流行っているのでこれをトッピングします。これで満腹です、その他カレーうどんやおにぎりもありますのでもっと食べたい方はどうぞ。
商店街には沢山の店がありどれも良しです。- 旅行時期
- 2019年11月
- アクセス:
- 3.5
- サービス:
- 3.5
- 雰囲気:
- 3.5
- 料理・味:
- 3.5
































