豊臣秀吉が造った京の城郭跡!
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- 旅行時期:2020/05(約6年前)
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by 常連さん(非公開)
二条・烏丸・河原町 クチコミ:231件
聚楽第は豊臣秀吉が1587年に政庁兼邸宅として造った華麗な邸宅で、東西600m南北700mの広大な敷地は二条城より一回り大きく周囲は堀で囲まれていたといいます。1591年に秀吉が関白職を秀次に譲ったあと聚楽第は秀次の邸宅となりましたが、その後たった4年間で秀次は秀吉によって高野山に追放させられ切腹、 聚楽第は破却しました。
また聚楽第は京にある豊臣秀吉の城郭として有名ですが、最後の城郭として「京都新城」が京都御所内で発見されたのは興味深いものです。
この「聚楽第跡」は中立売通りにある正親小学校の北東角に立っていて駒札で説明もしています。是非確認してください。
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- 人混みの少なさ:
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- 見ごたえ:
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クチコミ投稿日:2020/05/24
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