迷い猫同好会さんへのコメント一覧全28件
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小田急連絡運輸
迷い猫同好会さま、おはようございます。
交通系電子カード普及と共に、各社連絡運輸は衰退の一途をたどり、残念に思っております。
手元に有る内部資料の連帯社線一覧昭和63年版では、国鉄民営化翌年という事で、北海道だけでも、函館、札幌、岩見沢、旭川、北見、帯広、釧路発着小田急線全駅間に於いて連絡運輸契約が存在し、翌平成元年(1989年)に旭川支社営業課を訪問した際に、昭和40年半ばまで、旭川駅出札には、旭川駅発新宿経由、経堂、成城学園前、登戸、新原町田、本厚木着準常備D型硬券で大人券口座のみならず、帰省の学生用に学割専用口座も存在していたとの話を伺った記憶があり、同様に九州でも、急行高千穂号で上京者用に延岡発小田原経由本厚木、新原町田、登戸着準常備D型硬券口座を有していた時代があったそうです。
戦時中の大東急の名残があった様でした。
正に契約縮小縮小で隔世の感がしてなりません。
横浜臨海公園Re: 小田急連絡運輸
横浜臨海公園さんこんばんは。
小田急の連絡運輸の詳細な情報ありがとうございます。
北海道から小田急線なんて夢がありますね~
最近は指定席までチケットレスで便利なのはいいですが味気なくもあります。2026年03月15日22時44分 返信する続 小田急連絡運輸
迷い猫同好会さま、こんばんは。
そう言えば、東北本線三沢駅、山陽本線岩国(新岩国)駅対小田急線町田、座間、大和各駅、及び、海老名駅経由相鉄相模大塚駅間連絡運輸は平成中期頃まで、しぶとく残存しておりました。
残存理由はお判りですね!
横浜臨海公園2026年03月17日18時01分 返信するRe: 小田急連絡運輸
横浜臨海公園さんこんばんは
またお詳しい話をありがとうございます。
三沢の寿司屋で食事をしたら、当たり前のように隣にアメリカ人が座りごく自然に寿司をつまんでました。
岩国空港を飛び立つ飛行機に乗った時、撮影を禁止するアナウンスがありました。
それにしても実際にその区間の連絡運輸の切符はどれくらい売れたのでしょうね…2026年03月17日22時18分 返信する昭和期寝台特急さくら号
迷い猫同好会さま、おはようございます。
仰せの通り、小田急で指定連絡運輸駅は米軍関係の公務後払発券です。
御存じと思いますが、平成元年(1989年)3月の時刻改正まで、寝台特急さくら号は、全区間東京車掌区が乗務しておりましたが、昭和62年某日に小生が長崎まで乗車しておりました際に、午前4時代と言う早朝にも拘らず、岩国駅で米軍関係者と自衛隊関係者と思われる利用者数名が列車の下車姿を拝見しております。
あとで車内を巡回に来た車掌に質問した処、米軍黒人女性軍曹は座間駅発券の常備硬券、自衛隊関係者は自衛隊公務後払で西武鉄道所沢駅発券の常備硬券だったそうです。
当時は飛行機移動が一般的ではなく、鉄道利用が当たり前の様に利用されておりました。
横浜臨海公園2026年03月19日07時36分 返信する -
切符のために旅をする
迷い猫同好会さま
はじめまして
いつもいいねをありがとうございます。
旅の形態もいろいろとあると思いますが、「切符のために旅をする」 いい発想ですね(^^)
小田急が東海道線のかなり先の方まで連絡運輸をしているのは知っていました。その昔は岐阜まで範囲に入っており、小田原経由で岐阜までの切符を買い、同じように「切符のために旅」をしたことがあります。しかも当時はまだロマンスカードがあったので、それで「カ」のマークが入った切符を買いました。窓口の駅員さんも「こんな切符が発券できるんだなあ」と感心していたものです(笑) さすがに岐阜駅で小田急線内までの切符を買う勇気はありませんでした^^;
私も多摩地区(多摩市の近隣)に住んでいるので、浜松や清水から多摩センターや唐木田までの乗車券とか萌えてきますねえ。
といいつつ、どれだけ需要があるか、ということなんでしょうね。これも時代の流れなんだなあという気もします。
いずれにしても、これをきっかけに天浜線や遠鉄線、富士宮に行ったり清水に行ったり、充実した2往復でしたね。あ、岳南鉄道の連絡運輸の切符(しかも硬券)も買えましたしね。
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Tagucyan -
お大事になさってください
迷い猫同好会さん
こんにちは。
ご体調を崩されていたのですね。現在も療養されているのでしょうか。
私は約10年前にマイコプラズマ肺炎に感染し、40度くらいの熱が数日出て意識がもうろうとしたので、約5日ほど入院しました。それ以降、呼吸器が弱くなったように思います。
いつか旅行の形を変える必要が出てきたり、そもそも旅行ができなくなったりすることがあるということをよく考えています。
旅行ができるのはありがたいですね。
Camellia -
フェリーでの九州上陸。
迷い猫同好会様
はじめまして、ぞうぷうでございます。
いつも迷い猫同好会様の旅行記、楽しく拝読いたしております。
今回は、
① 飛行機の遅延
② フェリーの欠航
③ フェリーターミナルの移転
となかなか盛りだくさんな「トラブル」に遭われたにもかかわらず、無事に九州に上陸できてよかったです。
松山からの特急宇和海は、曜日かかわらず2両しかつないでいない列車が多いのですが、さすがに休日の午前中くらいは増結してほしいと私も思います。
八幡浜⇒臼杵航路、私も一度乗船してみたいと思っていますので、参考にさせていただければと思います。
乗船券の写真の下側2枚目、カタカナで「サマ」と見えましたが大丈夫でしょうか!?
この先の旅行記、楽しみにいたしております。
今後もよろしくお願いいたします。
ぞうぷう -
大糸線
迷い猫同好会さま、おはようございます。
何時も旅行記を興味深く拝見させて頂いております。
昔々、今から50年前の昭和49年(1974年)当時、首都圏長距離列車発着ターミナルで、気動車の発着は東京駅は特急つばさ用181系だけでしたが、上野、両国、新宿では急行用気動車を試用した列車が多数運転されており、キハ28型は前記の駅全部で見る事が可能でしたが、碓氷峠のアブト区間通過用に設計されたキハ57型とキハ65型気動車は新宿駅でのみ入線していた車輌で、当該車輌を使用し新宿発河口湖・小諸・糸魚川行急行アルプス号が運転されており、1度でしたが新宿から糸魚川まで通しで乗車した事がございました。
新宿発車時は11両編成だった列車が大月で2両、小淵沢で3両、松本で6両が切り離され、糸魚川まで直通する車輌は2両だけでしたが、キハ57型はキハ82系と同じ空気バネを使用した台車で、キハ58型などとは比較にすらならない雲泥の乗り心地からすれば上等な乗り心地を楽しみながら沿線風景を堪能したものでした。
あれから半世紀、翌年には急行気動車での運転が中止され全部165系電車に代わると同時に糸魚川直通運転は中止され、南小谷止へと変更され特急化後も同様でしたが、JR東日本は大糸線白馬-南小谷間乗車効率の低迷を理由に廃止候補に挙げ、その廃止を前提とした あずさの運転区間縮小実施は、嘗てを知る者として残念に思います。
横浜臨海公園 -
遺跡と自然
迷い猫同好会 様
こんばんは。
プレアヴィヒアの自然と遺跡の素晴らしさが伝わりました。とてもよい季節に旅されたのですね!
やっぱりインドシナ半島は冬に訪れるとカラッと晴れている日が多く、旅しやすいですね。ツアーでご一緒されたドイツの方の「夏はヨーロッパ(ノルウェーは知らないですが)、冬はアジア」という考えに共感します(あくまで理想です)。
距離的には近くても、タイのイサーン地方とは簡単に行き来できないようですが、カンボジアとともにタイの素朴なイサーン地方も再訪したいです。
続きの旅行記も楽しみにしています。
Camellia -
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