迷い猫同好会さんへのコメント一覧全25件
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フェリーでの九州上陸。
迷い猫同好会様
はじめまして、ぞうぷうでございます。
いつも迷い猫同好会様の旅行記、楽しく拝読いたしております。
今回は、
① 飛行機の遅延
② フェリーの欠航
③ フェリーターミナルの移転
となかなか盛りだくさんな「トラブル」に遭われたにもかかわらず、無事に九州に上陸できてよかったです。
松山からの特急宇和海は、曜日かかわらず2両しかつないでいない列車が多いのですが、さすがに休日の午前中くらいは増結してほしいと私も思います。
八幡浜⇒臼杵航路、私も一度乗船してみたいと思っていますので、参考にさせていただければと思います。
乗船券の写真の下側2枚目、カタカナで「サマ」と見えましたが大丈夫でしょうか!?
この先の旅行記、楽しみにいたしております。
今後もよろしくお願いいたします。
ぞうぷう -
大糸線
迷い猫同好会さま、おはようございます。
何時も旅行記を興味深く拝見させて頂いております。
昔々、今から50年前の昭和49年(1974年)当時、首都圏長距離列車発着ターミナルで、気動車の発着は東京駅は特急つばさ用181系だけでしたが、上野、両国、新宿では急行用気動車を試用した列車が多数運転されており、キハ28型は前記の駅全部で見る事が可能でしたが、碓氷峠のアブト区間通過用に設計されたキハ57型とキハ65型気動車は新宿駅でのみ入線していた車輌で、当該車輌を使用し新宿発河口湖・小諸・糸魚川行急行アルプス号が運転されており、1度でしたが新宿から糸魚川まで通しで乗車した事がございました。
新宿発車時は11両編成だった列車が大月で2両、小淵沢で3両、松本で6両が切り離され、糸魚川まで直通する車輌は2両だけでしたが、キハ57型はキハ82系と同じ空気バネを使用した台車で、キハ58型などとは比較にすらならない雲泥の乗り心地からすれば上等な乗り心地を楽しみながら沿線風景を堪能したものでした。
あれから半世紀、翌年には急行気動車での運転が中止され全部165系電車に代わると同時に糸魚川直通運転は中止され、南小谷止へと変更され特急化後も同様でしたが、JR東日本は大糸線白馬-南小谷間乗車効率の低迷を理由に廃止候補に挙げ、その廃止を前提とした あずさの運転区間縮小実施は、嘗てを知る者として残念に思います。
横浜臨海公園 -
遺跡と自然
迷い猫同好会 様
こんばんは。
プレアヴィヒアの自然と遺跡の素晴らしさが伝わりました。とてもよい季節に旅されたのですね!
やっぱりインドシナ半島は冬に訪れるとカラッと晴れている日が多く、旅しやすいですね。ツアーでご一緒されたドイツの方の「夏はヨーロッパ(ノルウェーは知らないですが)、冬はアジア」という考えに共感します(あくまで理想です)。
距離的には近くても、タイのイサーン地方とは簡単に行き来できないようですが、カンボジアとともにタイの素朴なイサーン地方も再訪したいです。
続きの旅行記も楽しみにしています。
Camellia -
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はじめまして
迷い猫同好会さま、はじめてメッセージを差し上げます。
この度は、拙稿ページにフォローを賜りまして、誠に有難うございました。
スハネフ15ですが、日本で廃車直前の塗料が剥げ落ち、所々錆びだらけな廃墟の様なガタガタ状態とは異なり、少なくとも外観は整備され安堵しております。
通路の簡易椅子や瓶飲料の為の栓抜きなど、現在の人々からは想像すら困難な設備などは理解すら出来ないものだと思います。
20系寝台車時代は各寝台車にボーイが1名乗務して寝台のセットや解体、電報の取次などの業務に従事してロいましたが、14系寝台車で中段寝台が自動化され、ボーイも2両に1名となり、昭和52年(1977年)時刻改正以降は原則としてA寝台車にのみ車掌補1名乗務が、やがてそれすら廃止となり、寝台列車自体がほぼ全滅状態では、説明するのに骨が折れます。
そう言えば、今の時期で長距離列車に乗る際に、売店で購入する冷凍ミカンがあり涼味を楽しんだものでしたが、何時しか冷凍ミカンも姿を消してしまいました。
14系客車群、異国で頑張ってもらいたいものです。
今後とも何卒宜敷くお願い申します。
先ずは略儀ながら御挨拶と御礼まで。
横浜臨海公園



