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のださんのクチコミ(84ページ)全2,489件

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  • 萩の大木戸

    投稿日 2013年06月18日

    金谷神社

    総合評価:3.5

    萩城下から旅立つ者、萩城下へやって来た者は必ず金谷神社の前を通り、藩主・毛利家が参勤交代に出発する際には、必ず金谷神社に立ち寄り道中の安全を祈ったことから、金谷神社は「萩の大木戸」として城下の人々に今も慕われています。

    旅行時期
    2012年05月

  • 織部灯籠

    投稿日 2013年06月18日

    善福寺

    総合評価:3.5

    大内義隆が当寺に与えた文書を所蔵していますが、萩の地名が記されており、これは萩の地名が書かれた最古の文書といわれています。
    境内には、胴にマリア像が彫られた、古田織部が考案したと言われる織部灯籠があります。
    また、禁門の変の責を負って刑死した「野山十一烈士」の一人・楢崎弥八郎の墓や、萩の乱の首謀者の一人・横山俊彦の墓などもあります。

    旅行時期
    2012年05月

  • 外観のみ見学可

    投稿日 2013年06月18日

    井上勝旧宅跡

    総合評価:3.5

    井上勝は、1843(天保14)年、萩藩士・井上勝行の三男として生まれました。
    1863(文久3)年、5人の留学生(長州ファイブ)の1人としてイギリスへ渡り、鉱山と鉄道について学びました。
    1868(明治元)年に帰国後、初代鉄道頭となり、日本初の鉄道、新橋・横浜間の敷設にあたりました。
    以後1910(明治43)年にヨーロッパを視察中イギリスで死去するまで、日本の鉄道の発展につくし、「鉄道の父」と呼ばれています。

    比較的大きな道路から少し入ったところにあります。
    現在は個人所有のため、敷地内に入ることはできませんが、2006年に修復されたという立派な門だけでも見ておきましょう。

    旅行時期
    2012年05月

  • 光明寺内

    投稿日 2013年06月18日

    旧官修墳墓 秋吉台

    総合評価:3.5

    金麗社に本陣を移す前、諸隊は光明寺に本陣を置いていました。
    その光明寺には「官修墳墓」があり、「大田・絵堂の戦い」で戦死した諸隊の戦没者17名が葬られています。
    当初は呑水峠や天神峠などの町内各所に散在していましたが、1915(大正2)年にこの地に合葬されました。
    国が祭祀をしていたので官修墳墓と呼ばれました。

    旅行時期
    2012年04月

  • 秋芳洞だけじゃなくここにも注目しよう

    投稿日 2013年06月18日

    金麗社 秋吉台

    総合評価:3.5

    金麗社は奇兵隊の本陣が置かれ、高杉晋作・山県有朋・伊藤博文らが作戦会議をしたところで、明治維新発祥の地とも言われています。
    1865(慶応元)年、藩政府軍と諸隊が大田・絵堂で戦闘を繰り広げました。
    諸隊は17名の犠牲を出しながらも見事勝利しました。

    旅行時期
    2012年04月

  • 奇兵隊の本拠地

    投稿日 2013年06月18日

    奇兵隊陣屋跡 下関

    総合評価:3.5

    東行庵前の道路をまっすぐ北へ向かうと、右手に見えます。

    1865(慶応元)年4月、吉田に陣を構えた奇兵隊は、町全体を要塞化し、寺院などに分散して駐屯していました。
    この仮住まいの状態が約2年続いた後、1867(慶応3)年8月、奇兵隊は吉田諏訪の地を開き、陣屋を築きました。
    以後1869(明治2)年11月の解散まで、この地を本拠地としていました。

    旅行時期
    2012年04月

  • バス停「東行庵入口」そば

    投稿日 2013年06月18日

    吉田宰判勘場 御茶屋跡 下関

    総合評価:3.5

    1650(慶応3)年、防長2国は18の行政区画に分けられ宰判が置かれました。
    吉田宰判の管轄区域は厚狭村、埴生村をはじめ12村で、勘場として使用された建物や土塀が現存します。
    御茶屋は勘場に隣接していて、参勤交代時代の大名の宿泊所でした。
    いずれも奇兵隊の屯所として使われ、隊ではここの隊士を「勘場詰め」「御茶屋詰め」と呼んでいました。

    旅行時期
    2012年04月

  • 下関戦争を語る

    投稿日 2013年06月18日

    前田砲台跡 下関

    総合評価:4.0

    前田砲台は、長州藩の攘夷実行のために下関沿岸に築かれた砲台の一つで、砲20門を装備していました。
    1863~1864年の下関戦争で、連合軍の激しい砲撃を受け、ついに占領されました。
    占領された直後に従軍写真家・ベアトにより撮影された写真が有名です。

    下関駅からは自転車で行けないこともないけど、車があると便利です。

    旅行時期
    2012年04月

  • 常盤橋そば

    投稿日 2013年06月18日

    伊能忠敬測量200年記念碑 小倉・北九州市中心部

    総合評価:3.5

    伊能忠敬は、1800(寛政12)年、55歳のときに江戸を出発し、測量を開始しました。
    その「測量日記」には、1810(文化7)年1月12日に、「室町の三つ辻より、常盤橋を渡り、常盤門をとおり...」と、記録が残されています。
    九州測量の出発点だったわけですね。

    2001(平成13)年、その偉大な業績を讃え、この顕彰碑が建立されました。

    旅行時期
    2012年04月

  • シーボルトや伊能忠敬も眺めた風景

    投稿日 2013年06月18日

    常盤橋 小倉・北九州市中心部

    総合評価:3.5

    江戸時代、常盤橋は、小倉から九州各地にのびる諸街道の起点であり終点でもありました。
    長崎街道、中津街道、秋月街道、唐津街道、門司往還の5つを「小倉の五街道」と呼びますが、そのすべてがこの橋につながっていました。

    シーボルトや伊能忠敬も、この橋のことを日記に記しています。
    橋を渡りながら、当時に思いを馳せましょう。

    旅行時期
    2012年04月

  • 藩主の御座船を格納した倉

    投稿日 2013年06月17日

    旧萩藩御船倉

    総合評価:3.5

    現在は明治以後の埋め立てのため河岸から離れた所にありますが、往時は松本川尻に面していました。
    構造は両側と奥に玄武岩で壁を築き、上部に瓦屋根を葺き、前面は木造扉を有しています。屋根を葺いた旧藩時代の船倉としては全国唯一の遺構で、国の史跡に指定されています。

    旅行時期
    2012年05月

  • 昭和初期建ての典型的な浜崎の町家

    投稿日 2013年06月17日

    旧山中家住宅

    総合評価:3.0

    浜崎伝建地区の中心部に位置し、浜崎本町筋から裏のとおりまで抜ける細長い敷地に、表から主屋、付属屋、土蔵が建ち並んでいます。
    明治~昭和初期の商いや生活の様子がわかる数多くの品が残されており、室内に展示され、一般公開されています。

    旅行時期
    2012年05月

  • 昔ながらの風景

    投稿日 2013年06月17日

    萩市浜崎伝統的建造物群保存地区

    総合評価:3.5

    浜崎は、城下町の形成にともなって開かれた港町で、近世は北前船の寄港地として廻船業と水産業で栄え、大正から昭和初期にはイリコなどの水産加工業や夏蜜柑等の積み出し港として栄えました。
    江戸時代以来の街路、敷地割がよく残り、南北を走る本町筋を中心に江戸時代から昭和初期に建てられた町家が数多く残っています。

    旅行時期
    2012年05月

  • 幕末の商人

    投稿日 2013年06月17日

    梅屋七兵衛旧宅

    総合評価:3.5

    梅屋七兵衛は、代々浜崎町で北国問屋を営む家に生まれ、七兵衛の代には酒造業を始め、藩の武具方の用達も行っていました。
    木戸孝允などの志士と交流があり、藩の密命を受け、命がけで長崎に鉄砲千丁を買い付けに行き、戊辰戦争での長州の勝利に貢献しました。
    また、関西から小堀遠州流のお茶の流儀を持ち帰るなどの文化人でもあり、萩の多くの人々に受け継がれています。

    この旧宅は、その七兵衛が晩年を過ごした隠居屋敷です。

    旅行時期
    2012年05月

  • 夏蜜柑菓子の老舗

    投稿日 2013年06月17日

    光國本店

    総合評価:3.0

    創業は1858(安政5)年という老舗です。
    萩の特産品「夏みかん」を使って、ほろ苦い皮の風味を大切に残し、ひとつひとつ丁寧に手づくりして仕上げています。
    「夏蜜柑丸漬」は、その名の通り夏みかんを丸ごと1個漬けて作っています。

    旅行時期
    2012年05月

  • 萩藩の波乱に富んだ維新当時を偲ぶ

    投稿日 2013年06月17日

    野山獄 岩倉獄跡

    総合評価:4.5

    1645(正保2)年、酒に酔った岩倉孫兵衛が、道ひとつ隔てた西隣りの野山六右衛門の屋敷に斬り込み、家族を殺傷するという事件が起こりました。
    藩は野山宅に岩倉を幽閉し、後に斬首の刑に処しましたが、喧嘩両成敗ということで両家は取り潰し、屋敷は没収されました。
    後に藩は両家跡を牢獄とし、切り込んだ岩倉に非があるので、士分の者を収容する上牢を野山獄、庶民を収容する下牢を岩倉獄としました。

    1854(安政元)年、海外密航に失敗した吉田松陰が野山獄に投じられました。
    そこで囚人や獄吏相手に講義したという話は有名です。
    従者の金子重輔は岩倉獄に投じられ、そこで病没しました。

    野山獄跡には十一烈士の碑、岩倉獄には重輔絶命の詩碑と松陰が重輔に与えた詩碑が建てられています。
    「金子重輔君絶命之處」碑は、田中義一の揮毫みたいです。

    旅行時期
    2012年05月

  • 表門が豪華

    投稿日 2013年06月17日

    常念寺表門

    総合評価:3.5

    毛利輝元が萩城の築城時に宿舎にした寺です。
    表門は、もともと京都の聚楽第の裏門として建てられたものを、輝元が豊臣秀吉から拝領し、1633(寛永10)年に移築したものです。
    豪壮な彫刻に、桃山時代の特徴が色濃く残っています。

    旅行時期
    2012年05月

  • 明倫小学校敷地内

    投稿日 2013年06月17日

    旧萩藩校明倫館

    総合評価:3.5

    この門は、1849(嘉永2)年、江向に新築された新明倫館の正門として建てられたもので、明倫館全体からみて南にあたるので南門と名付けられましたが、通称「表御門」と呼ばれていました。

    平成15年に、本願寺山口別院から寄附を受け、旧地である明倫小学校敷地内へ移築されました。
    見学するときは、小学校の敷地内ということを認識する必要があります。

    旅行時期
    2012年05月

  • 現在は明倫小学校

    投稿日 2013年06月17日

    旧萩藩校明倫館

    総合評価:4.0

    明倫館は、1718(享保3)年、藩主・毛利吉元が城内三の丸に創建、翌年開校し、1849(嘉永2)年、毛利敬親がこの地に移しました。
    現在、明倫小学校の敷地内に、有備館、水練池、聖賢堂などの遺構が残っています。

    旅行時期
    2012年05月

  • 萩市中央公園内

    投稿日 2013年06月14日

    山形有朋銅像

    総合評価:3.5

    明倫小学校の西隣が萩市の中央公園だそうですが、そこに堂々とした山県有朋の騎乗姿があります。
    作者は北村西望で、陸軍省の依頼により制作したようです。

    その経歴や知名度に比して、人気はかわいそうなくらい低いですね。
    でも萩ではそこそこ尊敬されている、のかな?

    旅行時期
    2012年05月

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