萩藩の波乱に富んだ維新当時を偲ぶ
- 4.5
- 旅行時期:2012/05(約14年前)
-
-
by のださん(男性)
萩 クチコミ:77件
1645(正保2)年、酒に酔った岩倉孫兵衛が、道ひとつ隔てた西隣りの野山六右衛門の屋敷に斬り込み、家族を殺傷するという事件が起こりました。
藩は野山宅に岩倉を幽閉し、後に斬首の刑に処しましたが、喧嘩両成敗ということで両家は取り潰し、屋敷は没収されました。
後に藩は両家跡を牢獄とし、切り込んだ岩倉に非があるので、士分の者を収容する上牢を野山獄、庶民を収容する下牢を岩倉獄としました。
1854(安政元)年、海外密航に失敗した吉田松陰が野山獄に投じられました。
そこで囚人や獄吏相手に講義したという話は有名です。
従者の金子重輔は岩倉獄に投じられ、そこで病没しました。
野山獄跡には十一烈士の碑、岩倉獄には重輔絶命の詩碑と松陰が重輔に与えた詩碑が建てられています。
「金子重輔君絶命之處」碑は、田中義一の揮毫みたいです。
- 施設の満足度
-
4.5
クチコミ投稿日:2013/06/17
いいね!:1票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する