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hiroさんのクチコミ(3ページ)全474件

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  • 道路・鉄道などの交通インフラと一体化した都内有数の複合都市が現在も建設中です!

    投稿日 2022年10月08日

    虎ノ門ヒルズ 三田・田町・芝浦

    総合評価:4.0

    『虎ノ門ヒルズ』は、太平洋戦争終戦後の1946年(昭和21年)に道路整備計画が決定されていた「東京都市計画道路幹線街路環状第2号線」において用地買収などが難航し事業化が凍結する中で計画道路幅員の見直し、さらに土地利用の合理化を図るための建築計画とあわせて道路整備計画を一体化して実施する「立体道路制度」が創設されたことにより、この「立体道路制度」を活用した市街地再開発事業の中核施設として、港区虎ノ門1丁目の一画に位置する超高層複合ビルの建設計画段階から建物地下スペースの一部に東京都の道路整備計画を一体化して検討が進められた結果、2014年(平成26年)に商業施設・オフィス施設・ホテル施設・集合住宅で構成される超高層複合ビル『虎ノ門ヒルズ 森タワー』(高さ247メートル・地上52階・地下5階)が地下部分の一部に「環状第2号線・築地虎ノ門トンネル(新虎通り)」を貫通させて竣工しています。
    その後の2020年(令和2年)には『虎ノ門ヒルズ 森タワー』の北側道路を挟んだ港区虎ノ門1丁目エリアにオフィス施設を中心とした『虎ノ門ヒルズ ビジネスタワー』(高さ183.415メートル・地上36階・地下3階)が竣工、さらに2022年(令和4年)には『虎ノ門ヒルズ 森タワー』の南側道路を挟んだ港区愛宕1丁目エリアに集合住宅を中心とした『虎ノ門ヒルズ レジデンシャルタワー』(高さ221.55メートル・地上54階・地下4階)が竣工しています。
    また『虎ノ門ヒルズ 森タワー』の西側道路を挟んだ港区虎ノ門2丁目エリアの一画には東京メトロ・日比谷線が開業してからおよそ56年ぶりの新駅として2020年(令和2年)に「霞ヶ関駅」と「神谷町駅」の区間に暫定開業した「虎ノ門ヒルズ駅」と一体化して商業施設・オフィス施設・ホテル施設・ビジネス発信拠点で構成される現在建設中の『虎ノ門ヒルズ ステーションタワー』(高さ264メートル・地上49階・地下5階)が2023年(令和5年)に竣工予定となっています。
    『虎ノ門ヒルズ』の施設は、この4棟の超高層ビルで構成され建設中の『虎ノ門ヒルズ ステーションタワー』が完成すると道路・鉄道などの交通インフラと一体化した区域面積:約7.5ヘクタールおよび延床面積:約80万平方メートルとなる都内有数の複合都市が形成されます。
    今回は『虎ノ門ヒルズ 森タワー』の建設以前の記憶が定かではありませんが、おそらく20年ぶり程度となるくらい久しぶりに「虎ノ門」エリアを平日の午後に訪れる機会があり、短時間でしたが「桜田通り(国道1号)・虎ノ門2丁目交差点」側から初めて『虎ノ門ヒルズ 森タワー』に立ち寄ってみました。
    この日は、昼食を食べ損ねて『虎ノ門ヒルズ 森タワー』内に立ち寄ったのが14時半過ぎとなり建物低層階にある商業施設ゾーンの飲食店で少し遅いランチ休憩をしようと思いましたが、ほとんどの飲食店がランチタイムを終えて休憩時間となっていたのが残念でした。
    現在開業している『虎ノ門ヒルズ』の3棟の建物は2階部分で道路を跨いで連絡デッキで結ばれており、その中心的な建物となる『虎ノ門ヒルズ 森タワー』の緑化整備され開放的なオープンスペースは、各所にベンチが設置されているほかに各種イベントなどが実施可能と思われる丘のように傾斜のある芝生広場”オーバル広場”が広がりカフェなども併設されているので、都心の中のくつろげる休憩スペースとしてお勧めできます。
    「虎ノ門」エリアを訪れる機会があれば、ランチやティータイム休憩などで『虎ノ門ヒルズ』の各種施設を利用してみたいと感じるほか、現在も建設中の『虎ノ門ヒルズ ステーションタワー』が竣工した後の『虎ノ門ヒルズ』全容も気になります・・・

    旅行時期
    2022年09月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    虎ノ門ヒルズ駅(東京メトロ・日比谷線)が2020年(令和2年)に開業しています。
    人混みの少なさ:
    4.5
    平日の午後でしたが中心施設の森タワーに整備されている緑豊かな開放的なオープンスペースでくつろぐ方が数名いる程度でした。
    バリアフリー:
    4.5
    気になるところは特にありません。
    見ごたえ:
    4.0
    森タワーのオープンスペースは、都心の中の くつろげる休憩スペースとしてお勧めできます。

  • 食事処および休憩処としてお薦めできるカフェレストランです!

    投稿日 2022年09月24日

    古民家カフェレストラン初花 岩出・紀の川

    総合評価:4.0

    『古民家カフェレストラン初花』は、山号を「一乗山」、院号を「大伝法院」と号する「新義真言宗」の総本山である広大な「根來寺」境内の中心部にある駐車場施設に面している広域農道を挟んだ向かい側(南側)の岩出市根来東谷に位置する敷地の一画において”地域の活性化を図る”ことを目的に「根來寺」ならびに「地元民間企業」2社が共同経営する食事処・休憩処となる施設として2015年(平成27年)にオープンしたカフェレストランです。
    このカフェレストランにおいて利用されている建物は、もともと現在の場所から2~3キロメートル程度南側に位置する岩出市水栖に建っていた築100年以上となる木造平屋建て土壁塗り仕上げの古民家でしたが、持ち主の方が「根來寺」に寄贈しことでカフェレストランのオープンにあわせて解体後に現在地に移築して復元されています。
    『古民家カフェレストラン初花』へのアクセスは、近畿圏の外郭環状を形成する高規格幹線道路である「京奈和自動車道・岩出根来インターチェンジ」の出口から「道の駅 ねごろ歴史の丘」の前を通過して自動車で3分程度(約1.5キロメートル)となりますが、今回は和歌山市在住の方の案内で「岩出根来インターチェンジ」から「道の駅 ねごろ歴史の丘」の東側に隣接する国の重重要文化財である「旧和歌山県議会議事堂(一乗閣)」を見学したり、「根來寺」の中心施設の国宝に指定されている「大毘廬遮那法界体性塔(通称:大塔)」、国の重重要文化財に指定されている「大伝法堂(本堂)」および「大師堂」を見学して廻ったのちのランチ目的で和歌山市在住の方が事前に予約していた『古民家カフェレストラン初花』を十数名で利用しました。
    この「根來寺」を中心とする歴史的建造物が存在するエリアは、和歌山県の観光スポットであるにもかかわらず食事処の施設として目に留まったのが『古民家カフェレストラン初花』以外に「道の駅 ねごろ歴史の丘」施設内にある軽食施設程度で少し驚きもありましたが、『古民家カフェレストラン初花』の外観が周囲の自然に溶け込んだ落ち着きのある雰囲気が漂い期待も高まり店内に入ると、店内も期待通りのノスタルジックなタタミ敷きの座敷席および土間部分のテーブル席など多彩な落ち着きのある空間となっており、店員の方の対応も丁寧で居心地のよさを感じながら食事も上品な器に盛られた季節感のある和の料理で癒されながら会話もはずみ料理を堪能することができました。
    またランチタイムおよびディナータイムでの食事のほかにスイーツメニューも豊富にそろえているようなのでティータイムのほかにさまざまな催し事などで利用するのに便利なカフェレストランであると感じました。
    『古民家カフェレストラン初花』は、観光などで周辺エリアを訪れる機会があればまた立ち寄りたいと思えるノスタルジックな雰囲気が漂う食事処および休憩処などとしてお薦めできるカフェレストランです!

    旅行時期
    2021年11月
    利用した際の同行者
    その他
    一人当たり予算
    2,000円未満
    利用形態
    ランチ
    アクセス:
    4.0
    京奈和自動車道・岩出根来インターチェンジ出口から約1.5キロメートルです。
    コストパフォーマンス:
    3.5
    妥当な値段だと思います。
    サービス:
    4.0
    店員の方の対応も丁寧で居心地のよいお店です。
    雰囲気:
    4.5
    築100年以上のノスタルジックな雰囲気が漂う古民家で落ち着きます。
    料理・味:
    4.0
    ランチ利用でしたが、ノスタルジックな雰囲気にあうバランスのよい和食で美味しかったです。
    バリアフリー:
    3.5
    少人数のグループ利用の場合は問題ないと思いますが、土間のテーブル席を十数名で利用したので座席の間隔が少し狭く感じました。
    観光客向け度:
    4.5
    根來寺・駐車場施設の道路向かいにあり、食事処および休憩処としてお薦めできます。

  • 超高層オフィスビルと一体型の神社として憩いの空間となっています!

    投稿日 2022年09月23日

    虎ノ門金刀比羅宮 三田・田町・芝浦

    総合評価:4.0

    『虎ノ門金刀比羅宮』は、「桜田通り(国道1号)」と「外堀通り(都道405号)」が交差する「虎ノ門・交差点」から「桜田通り」を南側(横浜方面)におよそ100メートル(徒歩1分程度)向った通り沿いに位置し、祭神として「大物主神」・「崇徳天皇」を祀る港区虎ノ門1丁目に鎮座する神社です。
    『虎ノ門金刀比羅宮』の歴史は、徳川幕府・第4代将軍「徳川家綱」の時代である1660年(万治3年)に讃岐国(現:香川県)丸亀藩・初代藩主「京極高和」が当時の丸亀藩領内にあった山号を「象頭山」、院号を「金光院」と号する「松尾寺」境内の堂宇で神仏習合の神として祀られていた「金毘羅大権現」が、戦国時代に瀬戸内海で活躍した「塩飽水軍」などにより金毘羅参詣信仰が西日本を中心に浸透し、”讃岐の金毘羅さん”と親しまれ瀬戸内海の舟運などを利用した金毘羅参詣が盛んであったこともあり、「金毘羅大権現」の分霊を当時の江戸府内の芝・三田の地にあった丸亀藩上屋敷内に勧請(神様の分霊を迎え祀ること)したのが始まりとされています。
    その後の丸亀藩・第2代藩主「京極高豊」の代となる1679年(延宝7年)に丸亀藩上屋敷が「江戸城」の裏鬼門にあたる「虎ノ門見附」付近に移転したことに伴い、丸亀藩上屋敷内「金毘羅大権現」も現在の地に遷座(神様の場所を移すこと)しています。
    さらに江戸時代中期には江戸庶民の間でも金毘羅参詣信仰が広まり讃岐国への金毘羅参詣が庶民の憧れとなる中で庶民からの要望に応えるため丸亀藩上屋敷内「金毘羅大権現」を一般庶民が参詣できるように徳川幕府に願い出ることで毎月10日に限り参詣が許されています。
    この丸亀藩上屋敷内「金毘羅大権現」参詣の様子は、徳川幕府・第14代将軍「徳川家茂」の時代である1862年(文久2年)に2代目「歌川広重」が錦絵「江戸名勝図会 虎の門」に描かれており、錦絵からは丸亀藩上屋敷内に「金毘羅大権現」と書かれた大きな幟とあわせて上屋敷門に行列をつくる庶民の様子が伺え、金毘羅参詣が江戸庶民に定着した行事となっていたことが推測できます。
    明治維新を向かえると明治政府の神仏分離政策のもと神仏習合の神として祀られていた「金毘羅大権現」が「大物主神」と同体であるとして1869年(明治2年)に「事比羅神社」と改称、さらに1889年(明治22年)になると『金刀比羅宮』に改称され現在に至っています。
    今回は、久しぶりに「虎ノ門」を訪れる機会があり短時間でしたが周辺エリアを散策して廻りながら『虎ノ門金刀比羅宮』に初めて立ち寄り参拝とともに写真撮影しました。
    現在の社殿は太平洋戦争で焼失したのちの1951年(昭和26年)に拝殿および幣殿部分を総尾州(木曽)檜による権現造りの銅板葺き屋根として再建、幣殿奥の本殿を1983年(昭和58年)に鉄筋コンクリート造の銅板葺き屋根として復興された建物で2001年(平成13年)に「東京都選定歴史的建造物」に指定されています。
    そのほか社殿正面に配置されている鳥居は、徳川幕府・第11代将軍「徳川家斉」の時代である1821年(文政4年)に奉納された左右の柱上部に東西南北の四方の守護神(霊鳥霊獣)とされる四神(東:青龍・西:白虎・南:朱雀・北:玄武)の彫刻が施されているのが特徴的な銅製の明神型鳥居があり、「港区指定有形文化財・建造物」として2001年(平成13年)に指定されているほか、この銅製鳥居の脇にある心願が叶えられたお礼に建立されたとされる「百度石」が保存されていることが貴重であるとして1997年(平成9年)に「港区文化財総合目録」に登録されているなど見どころもあります。
    「桜田通り」に面した境内には、2004年(平成16年)に竣工の高さ115.2メートル・地上26階建ての社務所施設が入る超高層オフィスビル「虎ノ門琴平タワー」が建ち、ビル下層部分の高さ10.5メートルのピロティが『虎ノ門金刀比羅宮』の参道となっており、ピロティの参道など境内各所に配置されているベンチで休憩する方や参拝される方など人の絶えない都心の一等地に広がる超高層オフィスビルと一体型の神社として憩いの空間となっています。
    境内にある神楽殿では毎月10日に里神楽が奉納されているとのことなので、機会があれば里神楽の奉納にあわせて参拝してみたいと思います・・・

    旅行時期
    2022年09月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.5
    東京メトロ銀座線・虎ノ門駅2a出口からすぐです。
    人混みの少なさ:
    4.0
    平日の午後でしたが、参拝者はまばらですが絶えることがありませんでした。また境内各所のベンチで休憩する方も複数いました。
    バリアフリー:
    4.5
    境内に気になる段差はありません。 銅鳥居
    見ごたえ:
    4.0
    社殿は東京都選定歴史的建造物、銅製鳥居は港区指定有形文化財・建造物に指定されています。

  • 日本仏教の聖地とされる標高800メートル程度の山上盆地です!

    投稿日 2022年09月11日

    高野山 高野山周辺

    総合評価:4.5

    『高野山(和歌山県高野町)』は、平安時代・初期の僧で「真言宗」の開祖「空海」上人(諡号:弘法大師)が、標高1000メートル前後の”外八葉・内八葉”の峰々が連なる山林に囲まれた標高800メートル程度の場所に蓮の花が開いたような形状で広がる東西方向に約5.5キロメートル・南北方向に約2.2キロメートルにおよぶ山上盆地となる現在の和歌山県北東部に位置するエリアを「真言密教」における修禅の根本道場にふさわしい場所として第52代「嵯峨天皇」に上奏し、816年(弘仁7年)に受け賜わった土地であり、山号を『高野山』として開創された日本仏教の聖地とされるエリアです。
    また、平安時代・中期に編纂の「金剛峯寺建立修行縁起」によると804年(延暦23年)に第18次「遣唐使」留学僧の一員として「空海」上人が当時の中国王朝「唐」の都「長安(現:陝西省西安市)」の「青龍寺」において「密教」を学び約2年間におよぶ留学を終えて帰国の途につく折に”伽藍建立の地を示し給え”と念じて持っていた三鈷(仏具)を投げると現在の『高野山』の「壇上伽藍」壇上の地に落ちたとされ、帰国後に修禅の根本道場にふさわしい場所を求めて「空海」上人が和歌山県と奈良県の県境に位置する当時の大和国・宇智郡を訪ねたところ黒と白の二匹の犬を連れていた猟師姿の「狩場明神」と出会いその犬たちに導かれ険しい山中に入り奥に進むと次に古くからその山の主とされる「丹生都比売大神」と出会い「空海」上人に協力する旨が伝えられ、さらに奥に進むと忽然と幽邃な大地が出現し「唐」から帰国する直前に投げた三鈷が木に架かっているのを発見したことでこの地に修禅の根本道場を開創することを決意したと伝えられています。
    そのほか『高野山』の開創に伴い「空海」上人は、「大日如来」の悟りの世界を仏や菩薩を配列した絵などで表現されている「胎蔵界曼荼羅」の世界を密教思想に基づいた建造物となる「壇上伽藍」をはじめ「中門・講堂(現:金堂)・僧房・大塔・西塔」などの伽藍配置で表現したとも伝えられています。
    さらに「空海」上人が835年(承和2年)に「真言密教」の悟りを得るための修行として「高野山・奥之院」において入定した神聖な領域「弘法大師御廟」があり、入定してから86年後の921年(延喜21年)に「東寺真言宗」の総本山「東寺(教王護国寺)」(京都市南区)の長者「観賢」上人の上奏により、第60代「醍醐天皇」から「空海」上人に「弘法大師」の諡号が贈られたことを「空海」上人に報告するため「奥之院」の廟窟に「観賢」上人が入り廟窟内で生存しているような髪を伸ばした「空海」上人の禅定姿が伝えられたことで「空海」上人が”生き続け世の中の平和と人々の幸福を願っている”とされる「入定信仰」が生まれています。
    現在では、『高野山』の中心となる「高野山真言宗」の総本山「金剛峯寺」など117寺院が存在する中で52寺院に宿坊施設が完備されており、「空海」上人が『高野山』開創時の最初に建造した修禅の根本道場「壇上伽藍」とともに「空海」上人が入定した神聖な領域「弘法大師御廟」のある「奥之院」が『高野山』における2代聖地として和歌山県の代表的な観光スポットとなっています。
    2004年(平成16年)には、『高野山』の「真言密教」のほか「吉野・大掌」の「修験道」および「熊野三山」の「熊野信仰」を日本を代表する「紀伊山地」の霊場さらに総延長307.6キロメートルにおよぶ3系統6ルートの参詣道を含め”紀伊山地の霊場と参詣道”として「ユネスコ世界文化遺産」に登録されています。
    今回は、和歌山市在住の方の案内で初めて『高野山』に立ち寄り、「中の橋 駐車場」から有名企業の供養塔などがあるエリアを通り途中から「奥之院」参道に合流するルートで「弘法大師御廟」を参拝したのち「金剛峯寺第2 駐車場」に移動し「金剛峯寺・本坊」を内拝して廻りましたが、『高野山』エリアに立ち寄ったのが平日の午後にもかかわらず観光目的と思われる自動車が多く今回利用した無料駐車場もほぼ満車状態で『高野山』が人気の高い観光スポットであることを実感しました。
    短時間の滞在でしたが「弘法大師御廟」に向かう樹齢数百年の杉立木の中に歴史上の戦国武将や大名などの供養塔が建立されている「奥之院」参道を歩いていると現代社会から離れて1200年以上の時空を遡っているような不思議な感覚を覚え参拝することで心が洗われたような清々しい気分となりました。
    さらに江戸時代末期の1863年(文久3年)に再建された「金剛峯寺・本坊」も建物内の「襖絵」や国内最大級の石庭「蟠龍庭」など見どころが多くお薦めできます。
    機会があれば、今回足を運ぶことのできなかった「壇上伽藍」などのエリアも含めて時間を気にせずにゆっくりと『高野山』を散策してみたいと思います。

    旅行時期
    2021年11月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    3.0
    自動車で高規格幹線道路の京奈和自動車道・紀北かつらぎインターチェンジから45分程度です。
    人混みの少なさ:
    2.5
    平日の午後でしたが、駐車場も満車状態のところもあり観光客が絶えることがありませんでした。
    バリアフリー:
    3.0
    場所によって異なりますが、石段・段差がところどころにあります。

  • 都心のフォトスポットとして魅力的なエリアにある公園です!

    投稿日 2022年09月03日

    佃公園 月島・勝どき

    総合評価:4.0

    『佃公園』は、現在の東京湾となる以前の江戸時代における江戸府内の”海の玄関口”として繁栄していたかつての「江戸湊」沖に浮かぶ2つの島(「石川島」および「佃島」)が存在していたエリアであり、現在の「隅田川」に架かる「中央大橋」から「佃大橋」までの左岸側(下流に向って左側)の区間に位置する中央区佃1丁目内の「旧・石川島」と「旧・佃島」のエリアに分散されるように整備されている中央区が管理する区立公園です。
    その『佃公園』の「旧・石川島」エリアには、1986年(昭和61年)から2010年(平成22年)にわたり”タワー型超高層マンション”の先駆けとなる再開発事業「大川端リバーシティ21」により整備された”タワー型超高層マンション”群と一体化するように「隅田川テラス」として「隅田川」沿いに整備されている遊歩道および桜並木のほか、「旧・石川島」と「旧・佃島」の境界となる「隅田川」から「佃川支川(佃堀)」が分岐する部分に設置されている「住吉水門」北側付近に江戸時代の無宿人および刑期満了後の浮浪人などに社会復帰をさせるため当時の大工・建具・塗物・紙すき・米搗き・油絞り作業など技術修得を援助する目的の更生収容施設「石川島人足寄場」の人足により江戸時代の幕末期となる1866年(慶応2年)に築かれた六角二層の常夜灯(石川島灯台)を復元した「灯台広場」、さらに「住吉水門」から「佃川支川(佃堀)」沿い(北側)に広がる水景施設を完備した「憩いの広場」が整備されています。
    また「旧・佃島」エリアには、1964年(昭和39年)に「佃大橋」の完成に伴い廃止された「隅田川」最後の渡し船であった”佃の渡し”の渡船場跡となる「佃渡し跡広場」とともに「旧・石川島」エリアと同様に「隅田川」沿いの「隅田川テラス」として遊歩道が整備されているほか、「佃川支川(佃堀)」沿いからかつて「佃川支川(佃堀)」と繋がっていた「佃川」が「佃大橋」建設に伴い埋め立てられ遊具などを配置し現在では「ジャリ公園」の愛称で呼ばれるエリアを含む「佃堀広場」が整備されています。
    今回は「築地」エリアを訪れた際に時間に余裕があったので「隅田川」に架かる「勝鬨橋」から上流の「佃大橋」まで足を延ばしておよそ35年ぶりに「旧・佃島」エリアをたずねて夕方の短時間でしたが散策して廻りました。
    『佃公園』の「旧・佃島」エリアにある「佃堀広場」周辺は、「太平洋戦争」末期の1945年(昭和20年)に東京の都市部を5回にわたり襲った「東京大空襲」で被災を免れた数少ないエリアのひとつであり、現在も下町の昭和レトロな雰囲気が感じられ「佃川支川(佃堀)」に架かる赤い欄干が特徴の「佃小橋」さらに「旧・石川島」エリアの”タワー型超高層マンション”群をバックにしての写真撮影が都心のフォトスポットとして有名な場所となっておりお薦めできます。
    そのほか自分は釣りをする機会がほとんどありませんが、『佃公園』の「佃堀広場」は”ハゼ釣りのメッカ”といわれており遊具施設が配置されている「ジャリ公園」および「佃小橋」脇にも「トイレ施設」が完備されているのでお勧めできます。
    機会があれば、桜が咲く時期などに『佃公園』の「旧・佃島」エリアだけではなく「旧・石川島」エリアにも足を延ばして色々と散策して廻りたいと思います・・・

    旅行時期
    2021年10月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    東京メトロ有楽町線・月島駅6番出口から徒歩3分程度です。
    人混みの少なさ:
    4.0
    平日の夕方でしたが、佃堀広場(ジャリ公園)エリアは、地元の子供が数名で遊んでいる程度でした。
    バリアフリー:
    4.0
    だれでもトイレが整備されています。
    見ごたえ:
    4.0
    佃堀広場(ジャリ公園)からの風景は、撮影スポットとしてお勧めできます。

  • ドライブしながらの休憩場所としてお勧めできます!

    投稿日 2022年08月26日

    ジェラートちるちる 小諸・御代田

    総合評価:4.0

    『ジェラートちるちる』は、「上信越自動車道・小諸インターチェンジ」の料金所を出て直ぐの「小諸I.C入口」交差点を左折し、「県道79号(小諸上田線)」の坂道を上り突き当りの「小諸I.C北」交差点を左折したのちに「浅間山麓広域農道(通称:浅間サンライン)」を上田市方面に600メートルほど進んだ通り沿い左手(南側)となる小諸市滋野甲に位置する15台程度の駐車場スペースを完備した自家製手作りアイスクリーム専門店です。
    ちなみに「浅間サンライン」は、北佐久郡軽井沢町追分の「国道18号」から分岐する「浅間サンライン入口」交差点を起点として上田市古里の「国道144号」に合流する「古里西」交差点を終点とする延長27.3キロメートル程度におよぶ東西方向区間を途中で3箇所のトンネルを通りながら「浅間山」南西側斜面を沿うようにして高原地帯となる標高995メートル程度の始点から標高505メートル程度となる終点までを結ぶ「県道79号(小諸上田線)」および「県道80号(小諸軽井沢線)」を含む広域農道として、1973年(昭和48年)から道路工事が始まり1993年(平成5年)に全線開通しています。
    「浅間サンライン」の沿道には、『ジェラートちるちる』(標高770メートル程度)のほかにも「道の駅 雷電くるみの里」(標高685メートル程度)などの施設があり、道路北側に「浅間山」(標高2,568メートル)、道路南側に小諸および東御市外地などを見下ろしながらその後方に連なる「八ヶ岳連峰」(最高峰・赤岳:標高2,899メートル)などの眺望もよく信号も少なく直線の多い最適なドライブルートとしてお勧めできる道路です。
    今回は、自動車を利用して「上信越自動車道・東部湯の丸インターチェンジ」が最寄りの料金所となる「東御市中央公民館」を所要で訪ねた帰りに少し時間に余裕があったので、「東部湯の丸インターチェンジ」付近(標高635メートル程度)から「浅間サンライン」を「小諸インターチェンジ」に通じる「小諸I.C北」交差点(標高785メートル程度)までのおよそ5.6キロメートル区間を通り、その途中で「道の駅 雷電くるみの里」(標高685メートル程度)などに立ち寄りながら駐車場入口部分にある巨大な岩石の看板が目印の『ジェラートちるちる』(標高770メートル程度)にも初めて立ち寄りました。
    『ジェラートちるちる』に立ち寄った日は、天候もよく暑い日であったので店舗敷地内の駐車スペースも満車状態で敷地内各所に配置されているベンチも周囲の景色を楽しみながらアイスクリームを食べる人で賑わっていました。
    店舗脇に設置されている”宮澤ファームの手作りアイスクリーム”と書かれた看板を見て期待も高まり店舗内に入るとアイスクリームを購入するお客さんの行列ができていましたが、前方に並んでいるお客さんが注文する様子を伺いながら地元のさまざまなフルーツや野菜を使用しているカラフルで種類豊富なジェラートやシャーベットの中から何を注文するか考えていたので行列も特に気になりませんでした。
    券売機でチケットを購入してからの注文となりますが今回はダブルのチケットを購入し、濃厚でコクのある”ジャージー牛乳”のジェラートとサッパリした”レモン”のシャーベットを選択、色的にはどちらも白系で写真映えはしませんでしたがボリュームもあり美味しく頂くことができました。
    『ジェラートちるちる』周辺は、景色もよく「浅間サンライン」をドライブしながらの休憩場所としてお勧めできる店舗であり、また小諸市周辺に立ち寄る機会があれば『ジェラートちるちる』に足を延ばしてさまざまな種類のアイスクリームを周囲の景色とともに楽しみたいと思います・・・

    旅行時期
    2022年07月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    一人当たり予算
    500円未満
    利用形態
    その他
    アクセス:
    3.5
    上信越自動車道・小諸インターチェンジから1.7キロメートル程度です。
    コストパフォーマンス:
    4.5
    低価格でボリュームがあります。
    サービス:
    3.5
    敷地内各所にベンチが設置されています。
    料理・味:
    4.0
    地元のさまざまなフルーツや野菜を使用するなど種類も豊富です。
    バリアフリー:
    3.5
    店舗建物と敷地に少し段差があります。
    観光客向け度:
    4.0
    浅間サンライン沿いに位置しドライブしながらの休憩場所として最適です。

  • 昭和レトロな商店街の雰囲気が漂う館内に物販コーナーと飲食コーナーが集結しています!

    投稿日 2022年08月19日

    黒潮市場 和歌山市

    総合評価:4.0

    『黒潮市場』は、国内の観光業界紙「旬刊旅行新聞」を発行する「旅行新聞社」が主催する「プロが選ぶ観光・食事、土産物施設100選」において”土産物施設部門”に選ばれた地元和歌山県近海の旬で新鮮な魚介類をはじめ塩干物さらにそのほかの和歌山土産を取り揃えた物販コーナーと飲食コーナーが集結した商業施設であり、風光明媚な和歌山市毛見沖の和歌山湾に位置する人工島「和歌山マリーナシティ」内のテーマパーク施設「ポルトヨーロッパ」に隣接しています。
    ちなみに「和歌山マリーナシティ」は、1989年(平成元年)から約6年間におよぶ造成工事により開発面積約65ヘクタール(陸地部分:約49ヘクタール、海面部分:約16ヘクタール)の人工島として整備され、1994年(平成6年)7月16日から72日間にわたり体験型の地方博覧会”JAPAN EXPO 世界リゾート博(通称:リゾート博)”が開催されています。
    また「リゾート博」終了後は、”リゾートアイランド”として『黒潮市場』のほかにヨーロッパの街並みを再現するとともにアトラクション施設を完備したテーマパーク「ポルトヨーロッパ」をはじめ、海底およそ1,500メートルの1億年前の地層から湧き出た太古の源泉(泉質:ナトリウム-塩化物泉)を取り込み和歌山湾を一望できる天然温泉施設「紀州黒潮温泉」、全客室(99室)がオーシャンビューのリゾートホテル「和歌山マリーナシティホテル」など各種リゾート・レジャー施設のほかに「リゾートマンション」などが整備され、さらに2015年(平成27年)には国土交通省より一般利用者に開かれた船舶係留施設(マリーナ)「わかやまマリーナシティ海の駅」として登録されています。
    今回は、海を見て和歌山土産などショッピングをしたいという家族の要望に応えるため日曜日の午前中から昼過ぎまでの短時間でのショッピングやランチ目的で「和歌山マリーナシティ」に立ち寄りました。
    「和歌山マリーナシティ」に到着後、海釣りの人気スポットである和歌山湾に面する”大波止エリア”から和歌浦の海を一望したのち、コンパクトですがヨーロッパの雰囲気が漂う街並みを再現した「ポルトヨーロッパ」内を写真撮影をしながら『黒潮市場』でショッピングやランチをしました。
    『黒潮市場』館内は、メインの1階部分に昭和レトロな商店街の雰囲気が漂う寿司・海鮮丼などを販売するフードコートおよび種類豊富な海産物を中心とする販売店が集結する大空間が広がり、その1階奥に和歌山県内の土産物を取り揃えたエリア、また2階部分には和食レストランが配置されており、さらに屋外海辺に面したエリアに浜焼きバーベキューテラスと1階フードコート用の飲食テラスが連なる施設構成となっています。
    ショッピングは和歌山県各地のさまざまな土産物が揃い見て廻るだけでも楽しめるほか、ランチは昼の12時前にフードコートで新鮮なネタが自慢の海鮮丼を購入して海辺の飲食テラス席で潮風を感じながらゆったりと少し早めのランチを美味しくいただきました。
    『黒潮市場』では、館内1階で毎日12時30分から”生マグロ解体ショー”が開催されており、12時前後から”生マグロ解体ショー”目的で大勢の人が集まり始めたので混みあう前の早めの時間帯にランチを済ませることができてよかったです。
    ランチ後は、館内に大勢の人が集まりはじめたので”生マグロ解体ショー”の見学をあきらめてヨットなどが停泊する”マリーナエリア”に移動し、「和歌山マリーナシティホテル」の1階カフェ「カテリーナ」の海外にいるようなリゾート気分が味わえるガーデンテラス席で休憩したのちに「和歌山マリーナシティ」をあとにしました。
    機会があれば、『黒潮市場』館内で開催される”生マグロ解体ショー”の見学をしながらゆっくりと「和歌山マリーナシティ」内を散策してみたいと思います・・・

    旅行時期
    2021年11月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    3.0
    JR・和歌山駅から路線バスで約1時間前後です。
    お買い得度:
    4.0
    地元和歌山県近海の旬で新鮮な魚介類を揃えた寿司・海鮮丼などをフードコートで購入し海辺の飲食テラスでいただけます。
    サービス:
    4.0
    ”生マグロ解体ショー”が毎日開催されています。
    品揃え:
    4.0
    和歌山県内のさまざまな土産物が揃っています。
    バリアフリー:
    4.0
    気になる段差などはありませんでした。

  • 沼津港周辺エリアの中で最新の複合施設です!

    投稿日 2022年08月13日

    沼津港 港八十三番地 沼津

    総合評価:4.0

    『沼津港 港八十三番地』は、静岡県東部エリアの中心都市・沼津市の伊豆半島西側つけ根部分に位置する「駿河湾」に面した「沼津港」東側に連なる沼津市千本港町エリア「沼津港飲食店街」の中で「沼津港」の入り口部分となる「千本港町」交差点に隣接する83番地(敷地面積およそ900坪)の一画に2011年(平成23年)10月にオープンした複合施設です。
    施設敷地内には、”駿河湾を味わう町”をコンセプトに「駿河湾」で捕獲された新鮮な魚介類などの食材を提供する飲食店などが集結しているほかに日本初の深海をテーマとした水族館「沼津港深海水族館シーラカンス・ミュージアム」さらに沼津港初となるライド型のシューティングアトラクション施設「THE DEEP SEA WORLD ~深海王国~」とともに有料駐車場施設が完備され幅広い年齢層が楽しめる最新の観光スポットとなっています。
    「沼津港」については、「日本3大深湾」として国内で最も水深の深い湾である「駿河湾」(最深部:約2,500メートル)の起伏にとんだ海底地形により、日本近海で捕獲される食用魚介類の4割以上およそ1,000種から1,200種の魚介類が「駿河湾」に生息しているといわれており、「駿河湾」の多種にわたる魚介類が水揚げされる国内有数の漁獲量を誇る漁港となります。
    ちなみに「駿河湾」とともに「日本3大深湾」と称される場所は、「相模湾」の最深部が約1,600メートル・「富山湾」の最深部が約1,200メートルであり、「駿河湾」の深さが群を抜いており世界一深い湾ともいわれています。
    今回は土曜日に三島エリアで宿泊する予定があり、15年以上前となりますが仕事の関係で沼津市を訪れた平日にランチ目的で「沼津港飲食店街」を利用したことを思い出し、自動車を利用して「駿河湾」の漁場で捕獲された新鮮な魚介類を目当てに「沼津港」に立ち寄りランチならびに漁港周辺を散策などしてから三島エリアに向かう計画を立てましたが、当日は東京方面から「東名高速道路」を利用したものの大渋滞に巻き込まれて「沼津港」でのランチを断念する結果となりました。
    「沼津港」に到着したのが14時半ごろでしたが、「沼津港」周辺は大変な賑わいとなっており、公共交通機関を利用する場合は「JR沼津駅」南口から「沼津港」までの距離が約2キロメートルあり路線バスを利用して15分程度かかるため、観光客の大半が自動車を利用していると思われ、「沼津港」周辺に点在する有料および無料の駐車場施設がどこも満車状態であり、改めて「沼津港」周辺が人気の観光スポットとなっていることを実感しました。
    「沼津港」の滞在は短時間となりましたが、海産物のお土産処などを中心に以前にランチ目的で立ち寄った際に存在しなかった『沼津港 港八十三番地』および2009年(平成21年)にオープンしたショッピングモール「沼津みなと新鮮館」などの施設を見て廻り雰囲気を楽しむことができました。
    但し閉店時間が15時台から16時台の店舗も複数ありますので、次回に立ち寄る機会があれば早めの時間帯に立ち寄りゆっくりと「沼津港」で水揚げされた新鮮な「駿河湾」の魚介類を堪能したり、「沼津港深海水族館シーラカンス・ミュージアム」などの施設にも入館してみたいと思います。
    また『沼津港 港八十三番地』は「沼津港」周辺エリアの中で最新の複合施設ですが、敷地内にある”沼津港”と書き込まれた大きな提灯は「沼津港」を代表するシンボル的なフォトスポットとしてお勧めできます。

    旅行時期
    2022年03月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    3.5
    JR沼津駅・南口から約2キロメートルの沼津港入り口部分に位置します。
    お買い得度:
    4.0
    新鮮な魚介類などの食材を提供する飲食店が集結しています。
    サービス:
    4.0
    沼津港深海水族館シーラカンス・ミュージアムの入場券を提示すると飲食店で割り引きとなります。
    品揃え:
    4.0
    寿司・海鮮丼・浜焼き・磯揚げ・イタリアン・ハンバーガー・パン・スイーツ・カフェなどバラエティーに富んだ店舗が集結しています。
    バリアフリー:
    4.0
    敷地内の通路は平坦です。

  • 棚田状に分割された広場が連なる開放的な公園です!

    投稿日 2022年08月10日

    九段坂公園 市ヶ谷

    総合評価:4.0

    『九段坂公園』は、最寄り駅が東京メトロ・東西線または半蔵門線あるいは都営地下鉄・新宿線「九段下駅」の2番出入口から「靖国通り(都道302号)」の「九段坂」を西側方面に約180メートル(徒歩4分程度)上り、「田安門」交差点(「北の丸公園」北側出入口)付近となる「靖国通り」沿いの千代田区九段南2丁目に位置し、旧江戸城・内濠の一部であり現在の「千鳥ヶ淵」側に面する敷地面積1,548.06平方メートル(長さ100メートル程度)の千代田区が管理する区立公園として1965年(昭和40年)に開園しています。
    『九段坂公園』敷地内は、開園以降50年以上にわたり「高燈篭」・「品川弥二郎像」・「大山巌像」が植栽に囲まれて配置されている公園でしたが、千代田区の「北の丸公園周辺地域基本構想」とともに公園西側に隣接していた「麹町消防署九段出張所」の解体に伴い消防署跡地を含めた敷地面積2,043.71平方メートル(長さ120メートル程度)の新たな『九段坂公園』として「千代田区景観形成マスタープラン」のもと北の丸地区の主要なランドマークとする整備計画が進められ2017年(平成29年)8月から改修工事の設計がスタートし、2020年(令和2年)3月に改修工事完了にあわせてリニューアルオープンしています。
    リニューアルオープン後の『九段坂公園』は、「田安門」交差点から「千鳥ヶ淵緑道」に通じる「靖国通り」の歩道部分に沿って東西方向に約120メートルにわたり「九段坂」の高低差が4.5メートル程度ある敷地内を4ブロックのフラットな広場(桜広場・歴史広場・眺望広場・四季の広場)として棚田状に分割され高低差をあまり感じさせない一体感のある構成となっており、それぞれの広場と広場の間を緩やかな階段・スロープでつなぎ、「靖国通り」歩道境界部分に仕切りを設けず公園敷地内へ自由に出入りができ、「高燈篭」・「品川弥二郎像」・「大山巌像」も違和感なく既存の位置に配置されており公園全体が開放的な空間となっています。
    また、2021年(令和3年)には『九段坂公園』が「土木学会景観・デザイン委員会デザイン賞(通称:土木学会デザイン賞)」の優秀賞に選ばれています。
    「九段坂」周辺エリアは、以前より「九段下駅」から「北の丸公園」内にある「日本武道館」などを訪れる際に「田安門」交差点付近から見える「高燈篭」が気になっており、機会があれば『九段坂公園』に立ち寄りたいと思っていました。
    今回は、「市ヶ谷」エリアを訪れるた際に少し時間に余裕があったため少し足を延ばして「靖國神社」参拝とあわせて以前から気になっていた「高燈篭」の詳細を調べる目的で『九段坂公園』に立ち寄り、「高燈篭」が明治維新の混乱期に国内各地で繰り広げられた「戊辰戦争」により命を捧げた方々の御霊を祭神として祀る「招魂社(現:靖國神社)」の「常夜灯」として1871年(明治4年)に建立された灯籠であることを学ぶとともに「品川弥二郎像」・「大山巌像」を写真撮影して廻り、改めて幕末期から明治期の歴史などを学び楽しむことができました。
    ちなみに「品川弥二郎」に関する詳細を今まで知らず今回『九段坂公園』に立ち寄ったことで、幕末期の長州藩士で「松下村塾」の塾生であり「薩長同盟」締結の場にも同席していたこと、明治期に官僚から政治家となり内務大臣を務めた人物であることを学びました。
    そのほか「大山巌」については、薩摩藩士で「西郷隆盛」の従兄であることや明治期の「西南戦争」で政府軍として参戦したことなどのある程度の知識はありましたが、改めて「大山巌」の人生を調べた中で「西南戦争」による「西郷隆盛」逝去後は故郷の鹿児島に帰省することができずにいた「大山巌」が危篤状態で”兄さぁ~”とつぶやいたときに妻「捨松」が”西郷さんにやっと会えたのね”と答えたとされる逸話が印象的です。
    今回『九段坂公園』に立ち寄った際は、小雨交じりの天候で公園内でゆっくりとできなかったので、機会があれば桜が咲く時期の天候のよい日に「千鳥ヶ淵」を眺めながら公園内のベンチでくつろいでみたいと思います。

    旅行時期
    2021年09月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    地下鉄・九段下駅2番出入口から徒歩4分程度です。
    人混みの少なさ:
    3.5
    立ち寄った際は小雨交じりの天候で歩行者以外の人はいませんでした。
    バリアフリー:
    4.0
    緩やかな石貼舗装の階段・スロープ(手摺付)があります。
    見ごたえ:
    3.5
    公園内に常燈明台1基・銅像2基が配置されています。

  • 勝鬨橋中央部分の跳開されていた路盤の大きさを間近で見て技術力の凄さを実感しました!

    投稿日 2022年08月06日

    晴海通り 月島・勝どき

    総合評価:4.0

    『晴海通り』は、千代田区日比谷公園北側に位置する「内堀通り」との分岐点となる「祝田橋」交差点を起点として千代田区有楽町エリアから中央区銀座・築地・勝どき・晴海エリアを通り「晴海3丁目」交差点を左折したのち、さらに江東区豊洲・東雲エリアを通り、江東区東雲2丁目の「首都高速湾岸線」との立体交差部分を終点とする全長およそ6.5キロメートルの区間におよぶ「都道304号」(起点部分で一部国道1号同じく20号含む)で構成される主要幹線道路の通称となります。
    この『晴海通り』の原型は、1923年(大正12年)に発生した「関東大震災」により壊滅状態となった東京の街並みを近代的な都市整備を基盤とする「帝都復興計画」に基づき当時から繁華街であった銀座エリアの中央を貫き「歌舞伎座」前を経て築地エリアに至る「隅田川」までの主要幹線道路となる第四号幹線(通称:歌舞伎通り)として道路拡幅工事が実施されています。
    また築地エリアから「隅田川」を渡った先の勝どきエリアは、明治時代に「隅田川」河口付近の浚渫工事により堆積した土砂をさらい発生した浚渫土を活用し造成した「月島2号埋立地」であり、「日露戦争」の際にロシア海軍・太平洋艦隊の根拠地であり軍港・要塞となっていた「旅順(現:中華人民共和国遼寧省大連市)」(203高地)が陥落したことによる祝勝記念として1905年(明治38年)に築地エリアと勝どきエリアの区間を流れる「隅田川」に「勝鬨の渡し」が設置されています。
    その後の1929年(昭和4年)になると紀元前660年に「神武天皇」が初代天皇として即位してから数えて2600年の節目となる1940年(昭和15年)にアジア初開催とする「紀元2600年記念 日本万国博覧会」(東京万博)の提案が持ち上がり、メイン会場予定地の「月島4号埋立地」(現:晴海エリア)へ通じるメインゲートとなる「勝鬨橋」建設が国家的イベントの開催に向けた主要関連施設として日本の技術力を誇示するための建設プロジェクトとなり、欧米からの技術者が参画することなく計画が進められ日本人技術者による設計・施工のもと当時の最先端技術を駆使して1933年(昭和8年)に国内最大規模の可動式橋梁であり”東洋一の可動橋”建設として工事が着工しています。
    「紀元2600年記念 日本万国博覧会」については、「日中戦争(支那事変)」突入後に開催反対意見が強まる中で1938年(昭和13年)に延期が決定し最終的に中止となりますが、「勝鬨橋」建設工事は「日中戦争」が激化し労働力不足および資材調達が困難となる中で約7年間の歳月をかけて1940年(昭和15年)に完成しています。
    「勝鬨橋」の概要は、橋の両端部分が固定構造の「タイドアーチ橋」(支間長:86メートル)、中央部分の橋桁が”ハの字型”となるように路盤(幅員:22メートル・長さ:25.8メートル)を両側に跳ね上げる「双葉跳開橋」(可動支間長:51.6メートル・可動部跳開全開角度:70度)となる構造の橋梁で、「隅田川」を航行する大型船舶が通航する際に「勝鬨橋」の路盤を跳開させており、道路交通量が著しく増大し船舶の通航量が減少する時代の流れの中で1970年(昭和45年)に「勝鬨橋」の跳開が完全停止していますが、2007年(平成19年)に道路橋初となる国の「重要文化財(建造物)」に指定されたほか「日本機械学会」による「機械遺産」に認定されています。
    今回は、平日の午後に築地エリアを訪れる機会があり時間に少し余裕があったので写真撮影をしながら久しぶりに全長246メートル(幅員:22メートル・橋梁総重量8,480トン)の「勝鬨橋」を歩いて渡りました。
    「勝鬨橋」中央部分でかつて跳開されていた路盤の大きさを間近で見て技術力の凄さとともに完成直後から跳開を完全停止するまでの約30年間で跳開に関連する事故が無事故であったことにも改めて驚かされました。
    そのほか「勝鬨橋」の築地側たもとに2005年(平成17年)にオープンした「かちどき橋の資料館」があることを初めて知りましたが、閉館日であったため入館できなかったのが残念でした。
    機会があれば、「かちどき橋の資料館」で定期的に実施されている「勝鬨橋」の橋梁設備に関する橋脚内見学ツアーに参加してみたいと思います・・・

    旅行時期
    2021年10月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    3.5
    勝鬨橋付近の最寄り駅は、都営地下鉄大江戸線・勝どき駅(勝どき側)または東京メトロ日比谷線・築地駅(築地側)となります。
    人混みの少なさ:
    4.0
    勝鬨橋を歩いて渡りました。歩行者・自転車の通行は少ないですが途切れることはありませんでした。
    バリアフリー:
    4.0
    勝鬨橋の歩道は、 歩道は、石貼舗装で整備されており段差はありません。
    見ごたえ:
    4.0
    勝鬨橋・中央部分のかつて跳開していた路盤を見て技術力の凄さを実感しました。

  • 江戸時代屈指の有力大名であった肥後細川家・第16代当主の本邸です!

    投稿日 2022年07月30日

    和敬塾本館 旧細川侯爵邸 目白

    総合評価:4.0

    『和敬塾本館 旧細川侯爵邸』は、室町幕府・第13代将軍「足利義輝」に仕えていた戦国時代から江戸時代初期の武将・戦国大名であり江戸時代屈指の有力大名となる近世大名・肥後細川家(肥後熊本藩主家)の礎を築いた「細川藤孝」から数えて第16代当主「細川護立」公爵(第79代・内閣総理大臣「細川護煕」氏の祖父)の本邸として1936年(昭和11年)に建設されたイギリスのチューダー・ゴシック様式を基調とした西洋風の外観と内観に東洋風のインテリアをはじめ和室を設けるなど昭和初期の代表的な折衷デザインからなる近代建築の旧華族邸宅(鉄筋コンクリート造:地上3階・地下1階建て)です。
    その後の1955年(昭和30年)に総合機械製造メーカー「株式会社 前川製作所」の創業者「前川喜作」氏が太平洋戦争終戦後の人心の荒廃を憂慮し、”共同生活を通した人間形成”を趣旨とする構想の基にイギリスの「オックスフォード大学」・「ケンブリッジ大学」の学生寮を参考に設立した『公益財団法人 和敬塾』が育英事業の場にふさわしい環境として『細川侯爵邸』の建物とともにおよそ7,000坪の敷地を購入し、現在では”日常の共同生活を通じて社会人としての知性と徳性を備えた人材を育成する”目的の中で大学生・大学院生のための男子学生寮として敷地内に6棟におよぶ寮棟のほかテニスコートを含むグランド・武道場・大講堂・小講堂・音楽練習場・多目的地下ホール・自習室・大浴場・食堂などの施設が備えられ国籍を問わず国内外の学生が利用する国内最大規模の男子大学生寮なっています。
    ちなみに『和敬塾』の名称は、「聖徳太子」によって施行された日本初の憲法である「十七条憲法」の”和をもって貴しとなす”とともに”「和」は人と人の和や四季の自然に心から和む”また”「敬」は人を敬うだけでなく真理を敬う”ことも意味するとされています。
    また1998年(平成10年)に『和敬塾本館 旧細川侯爵邸』は、東京都指定の「有形文化財(建造物)」となっており、20年以上前に学生時代のゼミOB会開催場所となったことがあり一度だけ館内に立ち入ったことがありますが、今回は「江戸川橋」周辺エリアを訪れた際に時間に余裕があったので「神田川」北側(左岸側)に位置する「江戸川公園」および「神田川」に沿って整備されている自転車・歩行者専用道路となる「神田川桜並木」を通り、「神田川」に架かる「駒塚橋」部分を北側に左折して「胸突坂」を上り「目白通り(都道8号)」沿いを散策して廻りました。
    『和敬塾本館 旧細川侯爵邸』は文京区目白台1丁目に位置し、「胸突坂」から「目白通り」に向かう通り沿いに寮棟に通じる「東門」と「目白通り」沿いに「正門」がありますが、『和敬塾本館 旧細川侯爵邸』が原則的に非公開であるため一般者の敷地内立ち入りができないので、今回は正門脇の塀にある掲示物のみ写真撮影しました。
    『和敬塾本館 旧細川侯爵邸』館内の立ち入りは、不定期(毎年5月から12月にかけて月に1・2回程度、原則として木曜日)で開催される一般公開、さらにウェディングやパーティーなどを開催するホールとして利用予約がされた場合の関係者のみとなりますので、機会があれば事前申込みで有料のガイド付の見学会形式で開催される一般公開に参加してみたいと思います・・・

    旅行時期
    2021年08月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    3.5
    東京メトロ・江戸川橋駅1a出入口から正門まで1キロメートル程度です。
    人混みの少なさ:
    4.0
    一般公開は不定期で、通常は敷地内に立ち入りできません。
    バリアフリー:
    3.5
    今回は、正門前までで敷地内に立ち入りしていません。
    見ごたえ:
    4.0
    東京都指定有形文化財(建造物)の旧華族邸宅です。

  • 高野山真言宗の総本山であり聖地・高野山の117寺院をまとめる中心的な寺院です!

    投稿日 2022年07月24日

    金剛峯寺 高野山周辺

    総合評価:4.5

    『金剛峯寺(こんごうぶじ)』は、和歌山県北東部の標高1000メートル前後の峰々が連なる山林エリアの自然に囲まれた標高が800メートル程度の山上盆地となる和歌山県伊都郡高野町に位置し、真言宗の開祖である「空海(諡号:弘法大師)」上人がお経の「金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)」より深意を象徴するものとして命名し山号を「高野山」と号する一山の総称として開創した日本仏教の聖地とされています。
    その『金剛峯寺』の創建は、「空海」上人が平安時代・初期の804年(延暦23年)に第16次「遣唐使」留学僧として唐(当時の中国王朝)に渡り、学んだ「密教」の教えを基盤に大成した「真言密教」における修禅の根本道場を開山するにふさわしい場所として朝廷に願い出ることにより、816年(弘仁7年)に第52代「嵯峨天皇」から「高野山」の地を賜ったことが始まりとされています。
    そのほか平安時代・中期に編纂の「金剛峯寺建立修行縁起」によると「空海」上人が2年間におよぶ唐での留学を終えて唐・明州の浜から帰国の途につく折、”伽藍建立の地を示し給え”と念じて持っていた三鈷(密教の修法で用いる仏具)を投げると現在の「壇上伽藍」壇上の地に落ちたとされ、帰国した「空海」上人が国内で修禅の根本道場とする場所を求めて「高野山」東側となる現在の和歌山県と奈良県の県境に位置する大和国・宇智郡をたずねた際に黒と白の二匹の犬を連れていた猟師(狩場明神)と出会いその犬たちに導かれ険しい山中に入ると、次に古くからその山の主とされる「丹生都比売大神」と出会い「空海」上人に協力する旨が伝えられ、さらに奥に進むと忽然と幽邃な大地が出現し唐から帰国する直前に投げたとされる三鈷が木に架かっているのを発見しこの地に開山することを決意したと伝えられています。
    また「高野山」入山後の「空海」上人が真っ先に整備に着手した場所が修禅の根本道場となる「壇上伽藍」であり、「大日如来」の悟りの世界を表す仏や菩薩を配列した絵などで視覚化した「胎蔵界曼荼羅」の世界を密教思想に基づいた伽藍配置とする中門・講堂(現:金堂)・僧房・大塔・西塔などを建立することで表現したと伝えられています。
    『金剛峯寺』創建後も各地で「真言密教」の教えを広めていた「空海」上人ですが、835年(承和2年)に「高野山・奥之院」において「真言密教」の悟りを得るための修行として入定(にゅうじょう)した神聖な領域とされる「弘法大師御廟」があり、入定してから86年後の921年(延喜21年)に現在の京都市南区に位置する「東寺真言宗」の総本山「教王護国寺(東寺)」の長者「観賢」上人の上奏により第60代「醍醐天皇」から「空海」上人に「弘法大師」の諡号が贈られ、「空海」上人に報告するため「観賢」上人が「奥之院」の廟窟に入ると髪を伸ばして生存しているかのような禅定姿の「空海」上人様子が伝えられ、このことがきっかけで「空海」上人が「奥之院」で”生き続け世の中の平和と人々の幸福を願っている”とされる「入定信仰」が生まれ、「壇上伽藍」とあわせて「奥之院」が「高野山」における2代聖地とされています。
    今回は、和歌山市在住の方の案内で平日の午後に初めて「高野山」に立ち寄り「奥之院」の霊域「弘法大師御廟」の参拝とあわせて、現在は「高野山真言宗」の総本山であり「高野山」一山の117寺院をまとめる中心寺院となる『金剛峯寺・本坊』を内拝しました。
    『金剛峯寺・本坊』の前身は、「剃髪寺」として1593年(文禄2年)に太閤と称されていた「豊臣秀吉」が実母である亡き「大政所」の菩提のために建立した寺院であり、その後「青巌寺」となり1869年(明治2年)に現在の『金剛峯寺・本坊』に改称しています。
    現存する『金剛峯寺・本坊』は、徳川幕府・第14代将軍「徳川家茂」の時代である1863年(文久3年)に再建されたもので、大主殿・別殿などで構成される東西54メートル・南北63メートルの壮大な書院造りで大主殿の檜皮葺き屋根頂部に防火用水を貯めておく天水桶が特徴的な建物となっており、大主殿を含めて9棟が1965年(昭和40年)に和歌山県有形文化(建造物)に指定されています。
    『金剛峯寺・本坊』内拝は、有料ですが建物内各間の「襖絵」ならびに国内最大級の石庭「蟠龍庭」など見どころも多くお薦めできます。
    限られた時間内での「高野山」滞在で「壇上伽藍」など見て廻ることができなかったエリアもありますので、機会があればまた立ち寄りたいと思います。

    旅行時期
    2021年11月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    3.5
    参道前に駐車場がありましたが満車で、少し離れた第二駐車場を利用しました。(駐車場は無料です)
    人混みの少なさ:
    2.5
    平日の午後でしたが、観光客が絶えることがありませんでした。
    バリアフリー:
    3.0
    建物内段差部分にスロープが設置されていますが、参道はゆるやかな石段です。
    見ごたえ:
    4.5
    内拝は有料ですが、大主殿・別殿の各間の襖絵および石庭など見どころは沢山あります。

  • 八ヶ岳連峰を望める見晴らしのよい絶好ロケーションの自家製チーズ専門店です!

    投稿日 2022年07月18日

    アトリエ・ド・フロマージュ 本店 真田・東御

    総合評価:4.0

    『アトリエ・ド・フロマージュ 本店』は、長野県東御市滋野エリアの「しなの鉄道・滋野駅」(標高およそ560メートル)から「湯の丸スキー場」(標高およそ1,730メートル)を通り群馬県吾妻郡嬬恋村田代エリアの「国道144号・田代交差点」(標高およそ1,145メートル)までの南北区間を結ぶ「長野県道94号・東御嬬恋線」沿いとなる東御市新張エリアの丘陵地帯南斜面(標高およそ890メートル)に位置し、南側に八ヶ岳連峰を望める見晴らしのよい絶好のロケーションの中でこだわりのある自家製チーズなどのショップとカフェ施設を備えた店舗です。
    創業については、出版業界で勤務していた創業者夫妻が本場であるフランス産のカマンベールチーズを食べたときに深い味わいに感動し”自分たちもカマンベールチーズを作ってみたい”という思いから、1980年(昭和55年)に夫妻がそれぞれの勤務先を退職し本格的にチーズに関する研究や製法を学び始め、翌年の1981年(昭和56年)になると「フランス国立乳製品専門学校」に留学、1982年(昭和57年)に帰国するとともに当時の長野県東部町(現:東御市)に小規模なチーズ工房を構えてフランス語で”新鮮なチーズ”を意味する「フロマージュ・フレ」の製造を国内で初めておこない「生チーズ」と命名して販売をしたことがはじまりとされています。
    その後も白カビチーズの一種である「ブリー・チーズ」の製造を国内で初めておこなうなど、現在では20種類程度のチーズを製造しているほかヨーグルトならびに自家製チーズを使用したピザやスイーツなどの販売をしています。
    また、『アトリエ・ド・フロマージュ』で製造されているさまざまな商品については、世界各地で市販される商品の品質向上を目ざして1961年(昭和36年)に設立された国際評価機関「モンドセレクション」をはじめ世界各国から多種多様なチーズが集まる世界最大級の権威あるチーズコンテスト「ワールド・チーズ・アワード」、乳製品に関するプロ向けの国際見本市の中で開催されるコンクール「モンディアル・デュ・フロマージュ」、国産ナチュラルチーズのコンテスト「ジャパン・チーズ・アワード」、中央酪農会議によるコンテスト「ALL JAPAN ナチュラルチーズコンテスト」などにより国内外で高い評価を得てこれまでにさまざまな賞を受賞しています。
    今回は、自動車を利用して「しなの鉄道・田中駅」が最寄り駅となる「東御市中央公民館」に所要で訪ねた帰りに少し時間に余裕があり『アトリエ・ド・フロマージュ 本店』で買い物をしたいという妻の要望があり立ち寄ることにしましたが、土曜日の13時30分ごろに『アトリエ・ド・フロマージュ 本店』に到着したところ駐車場もほぼ埋まっている状況で人気のある店舗であることが伺えました。
    自分自身は『アトリエ・ド・フロマージュ 本店』に初めて立ち寄りましたが、妻は現在の場所に店舗ができて間もないころから数回に渡り立ち寄っているそうで、店舗に掲示されている創業40周年の掲示物に創業間もない店舗前で創業者夫妻が写る写真を見ながら初めて立ち寄った頃と比較すると立派な店になったとつぶやいていました。
    ちなみに現在では、本店(ショップ&カフェ)の隣りにイタリアンレストラン「リストランテ フォルマッジオ」を開設しているほかに、軽井沢エリアにショップ2店舗・レストラン2店舗、名古屋エリアにショップ1店舗ならびにオンラインショップを展開しています。
    今回は、店舗こだわりの自家製チーズなどを購入しただけでしたが、見晴らしのよい本店カフェ施設も魅力的でしたので、機会があれば次回はティータイムでのスイーツやランチ目的で『アトリエ・ド・フロマージュ 本店』に立ち寄ってみたいと思います・・・

    旅行時期
    2022年07月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    利用形態
    その他
    アクセス:
    3.5
    上信越自動車道・東部湯の丸インターチェンジから8分程度、小諸インターチェンジから10分程度です。
    コストパフォーマンス:
    3.5
    こだわりのある自家製チーズとして妥当な価格であると感じました。
    サービス:
    4.0
    購入商品は宅配送信できます。
    雰囲気:
    4.5
    八ヶ岳連峰を望める見晴らしのよい絶好のロケーションの中にある店舗です。
    バリアフリー:
    3.5
    店内に段差があります。
    観光客向け度:
    4.5
    国内外のコンテストなどでさまざまな賞を受賞している種類豊富な自家製チーズはどれも魅力的です。

  • 奈良時代末期に創建された神社です!

    投稿日 2022年07月16日

    粉河産土神社 岩出・紀の川

    総合評価:3.5

    『粉河産土(こかわうぶすな)神社』は、奈良県北西部の「王寺駅」(北葛城郡王寺町)を起点として終点となる和歌山県北西部の「和歌山駅」(和歌山市)までの87.5キロメートルにおよぶ区間を結ぶJR和歌山線の「粉河駅」を最寄り駅とする和歌山県北部となる紀の川市粉河に位置し、「西国三十三所観音霊場」の第三番札所に数えられる粉河観音宗の総本山「粉河寺」境内に鎮座する「粉河寺」の鎮守社として、主祭神に災いを祓い退け一切を守り育てる女神とされる「丹生津比賣命(にうつひめのみこと)」、五穀豊穣・農業の神とされる「天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)」を祀る神社です。
    『粉河産土神社』の創建については、第49代「光仁天皇」の時代である770年(宝亀元年)に紀伊国那賀郡に住む猟師「大伴孔子古(おおとものくじこ)」が建てた草庵がはじまりとされる「粉河寺」境内に「大伴孔子古」の子供にあたる「大伴船主(おおともふなぬし)」が第50代「桓武天皇」の時代である奈良時代末期の783年(延暦2年)に粉河の郷がかつて鎌垣と称されていたころに鎌垣の各村の守護神とされていた氏神(産土神)を勧請して祀ったことがはじまりとされています。
    また、桃山時代となる1585年(天正13年)になると「羽柴秀吉」軍による”紀州攻め”により「粉河寺」とともに『粉河産土神社』も全焼しており、現存する本殿は江戸時代中期となる元禄年間から宝永年間(1688年から1711年)に建立されたと推測される主祭神をそれぞれ祀る「一間社隅木入り春日造り」の神社建築様式を用いた同寸法の本殿が2棟並列して建ち並び現在では「紀の川市有形文化財」に指定されています。
    今回は、和歌山県で開催された「紀の国わかやま文化祭2021」(国民文化祭)の催しに参加する家族に同行して「粉河寺」門前の「丸浅旅館」に宿泊する機会があり、旅館周辺を散策しながら「粉河寺」境内の一画に鎮座する『粉河産土神社』を参拝しました。
    先ずは、「粉河寺」最古の建造物とされる1706年(宝永4年)に建立の朱塗りの総欅造りの楼門となる「大門」から「粉河寺」境内の入り「粉河寺」の国指定の「重要文化財」など写真撮影しながら広い境内各所を廻り、最後に「粉河寺」千手堂と本堂の奥に位置する神社参道となる石段を上り『粉河産土神社』に立ち寄りました。
    参道の石段を上った正面に拝殿があり境内案内図を見ると拝殿の奥に裏山の樹木に覆われるように2棟の本殿のほか複数の社・祠があるようでしたが、拝殿の奥に立ち入りできないため本殿の全形など伺うことができないのが残念でした。
    『粉河産土神社』を参拝したあとは、JR和歌山線「粉河駅」に通じる「粉河とんまか通り(県道124号)」(粉河寺・大門から粉河駅まで:およそ900メートル)を歩いてみましたが、歩道の両側に粉河の歴史・文化財・縁起絵巻などを紹介する御影石のモニュメントが30基設置されおり、その中で「紀州三大祭」のひとつに数えられる『粉河産土神社』の例祭である「粉河祭」(毎年7月の最終土曜日・日曜日に開催)についても紹介されていました。
    機会があれば次回は「粉河祭」の開催される時期にあわせて粉河の地を訪れてみたいと思います・・・
    余談ですが「粉河とんまか通り(県道124号)」の”とんまか”とは、「粉河祭」において奉納されるきらびやかに飾り付けられた「だんじり」の運行にあわせて打つ太鼓の音に由来しているそうです。

    旅行時期
    2021年11月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    3.5
    JR和歌山線・粉河駅から徒歩で15分程度です。
    人混みの少なさ:
    4.0
    土曜日の夕方に参拝しましたが、誰もいませんでした。
    バリアフリー:
    2.5
    参拝するには参道の石段を上ります。
    見ごたえ:
    3.5
    拝殿の奥にある本殿の全形など伺うことができないのが残念です。

  • 異国の雰囲気が漂う店内で本格的な台湾料理が楽しめます!

    投稿日 2022年07月02日

    池袋 茶舘 池袋

    総合評価:4.0

    『茶舘』は、ターミナル駅としてJR東日本・東武鉄道・西武鉄道・東京メトロの各路線が乗り入れる「池袋駅」の「東武百貨店」側となる「西口(中央)」または「西口(北)」出入口から徒歩3分程度(およそ200メートル)の西池袋1丁目に位置する「西一番街」エリア内に中国茶と点心の専門店として1979年(昭和54年)に創業した本格的な台湾料理を提供するコンセプトとして”台湾の食文化を味覚・視覚・嗅覚で体験できるレストラン”を掲げる店舗です。
    記憶も少し薄れていますが20年以上前に一度だけ『茶舘』を利用したことがあり、その際はティータイム休憩としてランチタイムが過ぎた午後の時間帯に『茶舘』をたずねてお店の方に本格的な中国茶の入れ方や飲み方を教わりながら中国茶とともに点心を頂いたことがあります。
    今回は、妻との会話の中でたまたま以前に利用した『茶舘』の話題となり、インターネットで検索してみると赤を基調とした鮮やかな内装の空間に提灯が天井から吊るされている店内の雰囲気が日本とは思えず台湾にある店舗のように感じられ、久しぶりに『茶舘』をたずねて食事をしてみようということになりました。
    土曜日の午前11時少し過ぎに家族3名で「西一番街」エリアに立ち入り『茶舘』に向かいましたが、かつて『茶舘』に訪れたビルの道路を挟んだはす向かいのビルに『茶舘』の看板があり、『茶舘』前には11時30分の開店を待つ方がすでに1組おり、開店時間が近づくにつれて女性グループ客を中心に行列ができて人気のある店舗であることが伺えました。
    ちなみに現在の『茶舘』は2号店としてオープンした店舗であり、かつて利用したことのある道路を挟んだはす向かいのビルに存在していた『茶舘』が本店で一時期は2店舗で経営していたようですが、現在は本店であった店舗を閉めて現在の『茶舘』が本店を引き継いでいます。
    店舗はビルの2階にあり店舗専用のビル1階入り口から店内につながる専用の階段を上がるとレトロな円卓や各種家具類などのほか内装・装飾によりノスタルジックな異国の雰囲気が漂う店内に先ずは視覚で国内なのに台湾旅行中に食事で立ち寄った台湾の店舗ではないかと錯覚するほどのワクワクした気分になりました。
    料理については”単品メニュー”と”食べ放題メニュー”があり、どちらかと言えば小食な家族ですがデザートを含めて70種類から80種類程度のさまざまな料理の中から気になる料理を食べてみたいと思い”食べ放題メニュー”を注文し、さまざまな料理を堪能することができました。
    さまざまな料理の中には、金魚を模った蒸し餃子やハリネズミ・パンダを模った饅頭など写真映えする料理もありグループで楽しみながら食事ができる店舗としてお勧めできますが、今回利用した土曜日のランチタイムのついては自分たちが帰る頃には店内もほぼ満席状態でしたので週末・休日のランチ利用の場合は、昼の12時前に入店するようにした方がよいと思います。
    そのほか、客席と厨房部分の仕切り壁の一部に嵌め殺しの窓があり厨房の中が見えるようになっているので、機会があれば厨房の中を覗ける窓に近い席で厨房の様子を見ながら食事を楽しんでみたいと思います・・・

    旅行時期
    2022年05月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    一人当たり予算
    4,000円未満 
    利用形態
    ランチ
    アクセス:
    4.5
    池袋駅・西口(中央)または西口(北)出入口から徒歩3分程度です。
    コストパフォーマンス:
    4.0
    税込3,300円(土日祝/金17時以降)で食べ放題メニューが楽しめます。
    サービス:
    4.0
    食べ放題メニューで70種類から80種類程度のさまざまな料理が楽しめます。
    雰囲気:
    4.5
    レトロな円卓や各種家具類などのほか内装・装飾によりノスタルジックな異国の雰囲気が 漂う店内です。
    料理・味:
    4.0
    本格的な台湾料理および中国茶を楽しめます。
    バリアフリー:
    3.0
    店舗は、ビル2階で店内通路も広くはないです。
    観光客向け度:
    4.0
    台湾に遊びに行った気分で楽しめます。

  • ヨーロッパの雰囲気が漂う街並みを写真撮影をしながら楽しめました!

    投稿日 2022年06月19日

    ポルトヨーロッパ 和歌山市

    総合評価:4.0

    『ポルトヨーロッパ』は、風光明媚な和歌山市毛見沖(和歌山湾)に位置する人工島「和歌山マリーナシティ」で開催された体験型の地方博覧会「JAPAN EXPO 世界リゾート博(通称:リゾート博)」(開催期間:1994年7月16日から9月25日の72日間)会場跡地の一画にヨーロッパの街並みを再現した”ポルトヨーロッパ”ゾーンおよび各種アトラクション施設を完備した”パークパシフィーク”ゾーンで構成されているテーマパークとして1994年(平成6年)に開園しています。
    ちなみに『ポルトヨーロッパ』のある「和歌山マリーナシティ」は、1986年(昭和61年)に和歌山県が策定した「和歌山県長期総合計画」における「関西国際空港」の開港に合わせたリゾート開発計画の一環として1989年(平成元年)から約6年間におよぶ造成工事を経て開発された開発面積65ヘクタール(陸地:49ヘクタール、海面:16ヘクタール)の人工島であり、現在では『ポルトヨーロッパ』のほかに昭和レトロな雰囲気が漂う商店街をイメージし”生マグロ解体ショー”が毎日開催される”海鮮販売コーナー”および和歌山県のお土産品が揃った”物販コーナー”が集結しする「黒潮市場」、海底およそ1,500メートルにおよぶ1億年前の地層から湧き出た太古の源泉(泉質:ナトリウム-塩化物泉)を取り込み和歌山湾を一望できる天然温泉施設「紀州黒潮温泉」、国土交通省より一般利用者に開かれた船舶係留施設(マリーナ)として2015年(平成27年)に「海の駅」に登録された「わかやまマリーナシティ海の駅」、「屋外ガーデンプール」および”海の見えるチャペル”の「ウエディング施設」ならびに「宴会場」を備え全客室(99室)がオーシャンビューの南欧風リゾートホテル「和歌山マリーナシティホテル」の各種リゾート・レジャー施設のほかに「リゾートマンション」などで構成されている和歌山湾の海に囲まれた”リゾートアイランド”となっています。
    今回は、日曜日の午前中に海を見て和歌山土産などショッピングをしたいという家族とともに「和歌山マリーナシティ」を訪れて短時間でしたがテーマパーク『ポルトヨーロッパ』内のヨーロッパの街並みが再現された”ポルトヨーロッパ”ゾーンを見て廻りました。
    『ポルトヨーロッパ』は、コンパクトなテーマパークでしたが入園無料で開園時間内であればメインの東側エントランスおよび「黒潮市場」側の西側エントランスから自由に出入りすることができ、東側エントランスから入場すると左手側(南側)に各種アトラクションを完備した”パークパシフィーク”ゾーンが配置され、東側エントランスから真っすぐ正面(西側)に向って運河に架かる橋を渡ると”ポルトヨーロッパ”ゾーンの中心となるフランスの「市役所」や「裁判所」などの官舎をデザインに取り入れたとされるフランスの街並みを再現した噴水広場”プラース ヨーロッパ”が広がります。
    そのほか”ポルトヨーロッパ”ゾーン南側に向って坂道”ヴィア ポルトフィーノ”を上っていくとスペインの古城をイメージして再現された城壁”カスティーヨ・デル・マール”、また城壁に向かう途中から裏路地に入り込むと中世イタリアの地中海沿岸にある港街となる漁村をモチーフにした小広場”ピアッツァ ダンテ”および階段状の路地”ヴィエッタ カプリ”などのフォトスポットが点在しておりヨーロッパの雰囲気が漂う街並みを写真撮影をしながら楽しめました。
    ”ポルトヨーロッパ”ゾーンをひと廻りしてからは、「黒潮市場」に立ち寄り”物販コーナー”で和歌山土産品などのショッピングおよび昭和レトロな商店街の雰囲気がある”海鮮販売コーナー”で自慢の海鮮丼を購入し、昼の12時前でしたがランチで込み合う前に海辺の”飲食テラス席”で潮風を感じながらゆったりと少し早めのランチを楽しみました。
    「黒潮市場」では、毎日12時30分から”生マグロ解体ショー”が開催されており、解体ショーの開催時間が近づくにつれて『ポルトヨーロッパ』園内および「黒潮市場」館内も多くの人で賑わいはじめたので、午前中の人がまばらな時間帯に”ポルトヨーロッパ”ゾーンで写真撮影および「黒潮市場」でのランチを済ませることができてよかったです。
    そのほか『ポルトヨーロッパ』では、夜間にイルミネーションや花火などのイベントも開催されているので機会があれば、各種イベントの開催時期にあわせて、また立ち寄ってみたいと思います・・・

    旅行時期
    2021年11月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    3.0
    和歌山駅から路線バスで約1時間前後です。
    コストパフォーマンス:
    4.0
    入園無料です。(アトラクションは別途有料)
    人混みの少なさ:
    3.0
    日曜日の午前中に立ち寄りましたが、昼頃から人出が増えてきました。
    施設の快適度:
    4.0
    コンパクトな施設ですがヨーロッパの雰囲気が漂う裏路地などのフォトスポットが点在しています。
    バリアフリー:
    3.5
    ヨーロッパの街並みを再現した裏路地など一部に階段があります。
    アトラクションの充実度:
    3.0
    今回はアトラクション施設を利用していません。

  • 三嶋大社名物の縁起餅”福太郎餅”の形状に思わず笑みがこぼれます!

    投稿日 2022年06月16日

    福太郎本舗 三島

    総合評価:3.5

    『福太郎本舗』は、三島市大宮町2丁目に鎮座する「三嶋大社」境内にあるお土産などの販売施設「大社のよりどころ」に店舗を構え「三嶋大社」に室町時代から伝わるとされる民俗芸能の田楽(田遊び)である五穀豊穣願いの神事「お田打ち」の登場人物「福太郎」の顔を模した縁起餅「福太郎餅」などを販売する和菓子店で「三嶋大社」参拝者の休憩処の茶屋(福太郎茶屋)として”福太郎餅(2個)・お茶付”を店内で提供しています。
    ちなみに『福太郎本舗』のある「三嶋大社」は、主祭神に「三嶋大明神」と称されている山森農産の守護神「大山祇命(おおやまつみのみこと)」および”恵比須さま”として親しまれている福徳の神「積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)」を祀る神社であり、その創建年代は不詳とされていますが、平安時代に編纂されたとされる法制書「新抄格勅符第十巻抄」および歴史書「続日本後紀」ならびに「延喜式神名帳」などの古書の中に「伊豆三嶋神」、「三嶋神」として記述が残されているほか、「三嶋大社」が鎮座する周辺エリアが奈良時代から平安時代の令制国のひとつ「伊豆国」の中心地として政務を執る「国府」が置かれていたと伝えられており、「三嶋大社」が歴史の古い神社であることが伺えます。
    また1972年(昭和47年)に「静岡県無形文化財」に指定された室町時代から伝わるとされる民俗芸能「お田打ち」については、山林で暮らす「山の神」が1年で最も寒い時期に山から里に下りて「里の神(田の神)」になるという信仰から、里に下りてきた神様の前で米作りに関わる年間の工程を模擬的に演じ事前に豊作となったことを感謝することで、感謝された神様もその年が豊作になることを約束するという「予祝儀礼」の神事として、旧暦1月6日(現在の2月初旬)の深夜に神前で演じられていたと伝えられています。
    現在では、毎年1月7日に「三嶋大社」の祭事として2000年(平成12年)に国の「重要文化財」に指定されている「本殿」で地元で収穫された米が奉納され「田祭り」が斎行されたのちに「社殿」正面に位置する1966年(昭和41年)に「三島市指定文化財」となっている「舞殿」において「静岡県無形文化財」である「お田打」の神事が執り行われています。
    「お田打」で演じられる演目は、舅の「穂長」(白の翁面)と婿の「福太郎」(黒の翁面)の2名が中心となり、田打・苗代作り・葦草敷き・種蒔・鳥追い・雨ごいまでの稲作行事が狂言風に演じられ、最後に紅白の餅と種籾がまかれ神事が終了します。
    今回は、家族で自動車を利用して三島エリアを訪れ宿泊した翌日となる日曜日の午前中に初めて「三嶋大社」を参拝したあとに「大社のよりどころ」に立ち寄り、「三嶋大社」名物の縁起餅である”福太郎餅(2個)・お茶付”(200円)を店内の畳縁台に腰かけて頂きました。
    「福太郎餅」は、「お田打」で演じられる黒の翁面を被った「福太郎」の顔部分が草餅で、頭に被った烏帽子がこし餡で表現された独特の形状ですが、草餅を包んでいるこし餡が烏帽子というよりも”リーゼント”の髪形に見えて思わず笑みがこぼれます。
    味については、厳選した餅米と小豆を使用し無添加で作っているとのことで甘さも控えめで美味しいのですが、賞味期限が短いのでお土産として購入する際は賞味期限を確認することが必要です。
    機会があれば、「お田打」の神事にあわせて「三嶋大社」を参拝してみたいと思います・・・

    旅行時期
    2022年03月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    一人当たり予算
    500円未満
    利用形態
    その他
    アクセス:
    3.5
    JR・三島駅南口改札から徒歩15分程度、伊豆箱根鉄道・三島田町駅改札から徒歩8分程度の三嶋大社境内に店舗を構えています。
    コストパフォーマンス:
    4.0
    ”福太郎餅(2個)・お茶付”で200円です。
    サービス:
    3.5
    店内で縁起餅”福太郎餅”を頂けます。
    雰囲気:
    4.0
    店内に畳縁台が設置されています。
    料理・味:
    3.5
    三嶋大社名物の縁起餅”福太郎餅”は、甘さ控えめの”こし餡”で包まれた草餅です。
    バリアフリー:
    4.0
    店舗前に数段の段差がありますが、スロープと手摺も設置されています。
    観光客向け度:
    4.0
    茶屋(福太郎茶屋)として落ち着けます。

  • 弘法大師(空海)が開山し現在も深い禅定に入られているとされる聖地です!

    投稿日 2022年06月12日

    高野山奥の院 高野山周辺

    総合評価:4.5

    『高野山奥の院』は、和歌山県北東部の「高野三山」と称される標高が1000メートル以上の「摩尼山(まにさん)」と「楊柳山(ようりゆうさん)」、標高が900メートル以上の「転軸山(てんじくさん)」を含む8つの峰々で囲まれた地形が蓮の花が開いたような形状から「八葉の峰」と呼ばれる標高が800メートルから850メートル程度の高地となる山林エリアに広がる山上盆地の和歌山県伊都郡高野町に位置し、「真言宗」の開祖である「空海」上人(諡号:弘法大師)が61歳となった835年(承和2年)に「真言宗密教」の悟りを得るための修行として入定(にゅうじょう)した神聖な「弘法大師御廟」がある場所です。
    また「空海」上人が入定してから1200年以上におよぶ現在も「空海」上人が肉身をこの世にとどめ深い禅定に入られていると伝えられている「高野山」における「入定信仰」の中心的な聖地であり「弘法大師御廟」に通じる参道には20万基を超える戦国武将をはじめ各時代の著名人の方のほか有名企業の慰霊碑・供養塔が立ち並んでいます。
    ちなみに「高野山」は、平安時代・初期の僧である「空海」上人が804年(延暦23年)に第16次「遣唐使」の留学僧として唐(当時の中国王朝)に渡り、学んだ「密教」の教えを基盤に大成した「真言密教」における修禅の道場を開山するにふさわしいとして朝廷に願い出た場所であり、816年(弘仁7年)に第52代「嵯峨天皇」より賜り、山号を「高野山」と号する現在の「高野山真言宗」の総本山「金剛峯寺(こんごうぶじ)」が開創されています。
    そのほか平安時代・中期の「金剛峯寺建立修行縁起」によると「空海」上人が留学先の唐から帰国する直前に”伽藍建立の地を示し給え”と念じて持っていた三鈷(密教の修法で用いる仏具)を投げると現在の「金剛峯寺・壇上伽藍」壇上の地となる場所に落ちたとされ、帰国後に「空海」上人が修禅の道場としてふさわしい場所を探していた際に黒と白の二匹の犬を連れていた猟師(狩場明神)と出会いその犬たちに導かれて険しい山中に入ると古くから山の主とされる丹生都比売大神と出会い「空海」上人に協力することが伝えられ、さらに奥に進むと忽然と幽邃な大地が出現し唐から帰国する直前に投げた三鈷が木に架かっているのを発見したことによりこの地に開山することを決意したされています。
    「入定信仰」については、921年(延喜21年)に山号を「八幡山」と号する現在の京都市南区に位置する「東寺真言宗」の総本山「教王護国寺(東寺)」の長者であった「観賢」上人の上奏により第60代「醍醐天皇」から「空海」上人に「弘法大師」の諡号が贈られ、そのことを「観賢」上人が「空海」上人に報告するため「空海」上人が入定してから86年後となる廟窟に入ると髪を伸ばして生きているかのように禅定している「空海」上人の姿があったことが伝えられることにより、「空海」上人が『高野山奥の院』で”生き続け世の中の平和と人々の幸福を願っている”とされる「入定信仰」が生まれています。
    『高野山奥の院』の正式な参拝ルートは、「大渡橋(通称:一の橋)」から参道(約2キロメートル)に入り途中の「手水橋(通称:中の橋)」を渡り参道最後の橋となる「御廟橋」から「弘法大師御廟」の霊域とされる撮影禁止エリアとなっています。
    今回は、和歌山市在住の方の案内で平日の午後に「高野山」に立ち寄り時間の都合上「中の橋 駐車場」から有名企業の供養塔などがあるエリアを通り途中から参道に合流するルートで参拝しましたが、「中の橋 駐車場」は無料で収容台数も多く道路の向かい側に『高野山奥の院』参道出入口があり自動車を利用して『高野山奥の院』を参拝するのにとても便利です。
    『高野山奥の院』参道に連なる樹齢数百年の杉木立の中に歴史上の戦国武将や大名などの慰霊碑・供養塔を見ながら「弘法大師御廟」に向って歩いていると徐々に現代社会から離れて時空を遡っているような不思議な感覚を覚え参拝することで心が洗われたような清々しい気分となりました。
    機会があれば、『高野山奥の院』の正式な参拝ルートより時間を気にせずに参道の慰霊碑・供養塔をゆっくり見て廻りながら参拝をしてみたいと思います・・・

    旅行時期
    2021年11月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    2.5
    ”一の橋”からの参拝ルートの場合:最寄りバス停は奥の院口または一の橋口です。
    人混みの少なさ:
    3.0
    平日の午後に立ち寄りましたが、参拝者が絶えることがありませんでした。
    バリアフリー:
    3.0
    石段・段差がところどころにあります。
    見ごたえ:
    4.5
    参道に連なる樹齢数百年の杉木立の中に歴史上の戦国武将や大名などの慰霊碑・供養塔が多数あります。

  • 東京の新たなランドマークになるといわれている今後注目のエリアにある広場です!

    投稿日 2022年05月29日

    TOKYO TORCH Park 丸の内・大手町・八重洲

    総合評価:4.0

    『TOKYO TORCH Park』は、東京駅連絡通路の日本橋口方面(東京駅・北東エリア)に位置する千代田区大手町2丁目の常盤橋街区で現在も建設工事が実施されている大規模再開発事業の一画であり、現在の東京駅周辺で最も高い超高層ビルとして2021年(令和3年)7月にオープンした複合ビル「常盤橋タワー」(地上38階・地下5階・高さ212メートル)の敷地内に整備された面積がおよそ3,000平方メートルとなる広場の名称です。
    ちなみに常盤橋街区で現在も建設工事が実施されている大規模再開発事業は、2016年(平成28年)から2棟の超高層ビル建設を中心とした「東京駅前常盤橋プロジェクト(大手町二丁目常盤橋地区第一種市街地再開発事業)」としてスタートし、2020年(令和2年)にプロジェクト正式名称が”TOKYO TORCH”に決定しています。
    この大規模再開発事業は最終的に2027年度(令和年9度)に完成予定となっており、現在も建設工事中の「Torch Tower」が完成すると現時点で大阪市阿倍野区にある日本一高い超高層ビル「あべのハルカス」(地上60階・地下5階・高さ300メートル)を抜いて、地上63階・地下4階・高さ390メートルの日本一高い超高層ビルとなる予定であり、『TOKYO TORCH Park』も「Torch Tower」の敷地部分が加わることで、最終的に現在の2倍以上の面積およそ7,000平方メートルになる予定となっており、”TOKYO TORCH”の2棟の超高層ビル(「常盤橋タワー」および「Torch Tower」)とあわせて『TOKYO TORCH Park』が東京の新たなランドマークになるといわれている今後注目のエリアです。
    今回は、『TOKYO TORCH Park』で開催されているイベントのひとつとして定期的に毎週金曜日と日曜日に開催される”TOKYO TORCH Market”を見て廻る目的で日曜日の午前中に初めて『TOKYO TORCH Park』に立ち寄り、「常盤橋タワー」内にある商業ゾーン”TOKYO TORCH Terrace”(地下1階から地上3階部分)でランチをしてみました。
    『TOKYO TORCH Park』は、「常盤橋タワー」北側に隣接する「日本橋川」沿いの樹木に囲まれたエリアに錦鯉の発祥である新潟県小千谷市との連携による「錦鯉が泳ぐ池」が整備されているほかに新潟県佐渡市の「佐渡島の金鉱石」が設置され、「常盤橋タワー」西側となる現在建設中の「Torch Tower」と隣接するエリアにはデンマークを拠点に活動する遊具製作会社・MONSTRUMとの連携による「鯉池アート遊具」および福島県との連携による「巨大赤べこ」が設置、さらに茨城県つくば市との連携による「つくばの天然芝」および静岡県裾野市との連携による「うるおいある緑化空間」が整備されるなど『TOKYO TORCH Park』各所で日本全国の地域と連携した施設の設置や整備が進められており、”TOKYO TORCH Market”に出店している国内各地のさまざまなジャンルの商品を見て廻りながら広場各所で楽しむことができました。
    また「常盤橋タワー」の商業ゾーンである”TOKYO TORCH Terrace”の各飲食店は、『TOKYO TORCH Park』と一体化するようにテラス席が設けられており、ランチならびにティータイムなどの休憩処としてお勧めできます。
    そのほか現在建設中の「Torch Tower」が完成した際に現在の2倍以上の面積およそ7,000平方メートルになる予定の『TOKYO TORCH Park』が、どのように進化しているのかも楽しみです・・・

    旅行時期
    2021年11月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    アクセス:
    4.0
    東京駅のJR高速バス降り場のある日本橋口から徒歩1分程度です。
    人混みの少なさ:
    3.5
    日曜日の午前中に立ち寄りランチを食べて帰りましたが、徐々に人が集まってきました。
    バリアフリー:
    4.0
    段差などはほとんど気になりませんでした。
    見ごたえ:
    4.0
    毎週開催されているマーケットなどを見て廻り楽しめました。

  • コンパクトな境内ですが、御神木の”クスノキ”に圧倒されました!

    投稿日 2022年05月22日

    大神社 (紀ノ川市) 岩出・紀の川

    総合評価:4.0

    『大神社(だいじんじゃ)』は、和歌山県北部の紀の川市粉河に位置する「西国三十三所観音霊場」の第三番札所として知られる粉河観音宗・総本山「粉河寺」最古の建造物となる朱塗りの楼門「大門」の門前に鎮座し、祭神として「天照皇大神」を祀る境内面積がおよそ330平方メートル(100坪程度)の小規模な神社です。
    『大神社』の創建年代などは不詳とされていますが、伝承によると1585年(天正13年)に「羽柴秀吉」軍による「紀州攻め」ののちに「粉河寺」を牽制するため「羽柴秀長」に仕えていた「藤堂高虎」が1587年(天正15年)に「羽柴秀吉」から大名として紀伊国粉河の領地を与えられ、もともと「粉河寺」が寺の防御のために築城した「粉河寺」南側に位置する「猿岡山城」(現:秋葉山公園)を改築して、1592年(文禄元年)に「朝鮮出兵(文禄の役)」となるまでの7年間に渡り居城としていた「藤堂高虎」が『大神社』を氏神として崇敬していたと伝えられています。
    また、徳川幕府・第2代将軍「徳川秀忠」の時代となる1608年(慶長13年)に「藤堂高虎」が、伊予国今治から伊賀国・伊勢国の一部に領地替えで初代・津藩主となった際には、『大神社』の社殿を改築したとも伝えられています。
    ちなみに「藤堂高虎」は、室町幕府・第13代将軍「足利義輝」の時代である戦国時代に近江国(現:滋賀県)に生まれ、江戸時代初期の徳川幕府・第3代将軍「徳川家光」の時代となる1630年(寛永7年)までの人生の中で「浅井長政」・「羽柴秀長」・「羽柴秀吉」・「徳川家康」などに仕えた武将・大名であり、「黒田孝高(黒田官兵衛)」・「加藤清正」とともに「築城三名人」と称された築城の名手としても知られる人物です。
    今回は、和歌山県で開催された「紀の国わかやま文化祭2021」(国民文化祭)の催しに参加する家族に同行して『大神社』の道路向かいにある「丸浅旅館」に宿泊する機会があり、旅館周辺を散策しながら『大神社』を参拝しました。
    コンパクトな境内の『大神社』には、パワースポットとして存在感のある樹齢1000年余りと推定される御神木の「クスノキ」(高さ約25メートル・幹廻り約15メートル)があり圧倒されました。
    この「クスノキ」については、徳川幕府・第11代将軍「徳川家斉」の時代である1806年(文化3年)から第12代将軍「徳川家慶」の時代である1839年(天保10年)までの33年間の期間をかけて編纂された紀伊国の地誌「紀伊続風土記」(本編97巻・高野山之部81巻・古文書編17巻:全195巻)において本編の那賀郡粉河荘粉河村の項に大神宮として”境内樟の大樹あり周囲三丈五尺許”と記述されており、2005年(平成17年)に5町合併により紀の川市が誕生する以前である1997年(平成9年)に旧・粉河町の「文化財(自然保存木)」に指定されています。
    一般的に御神木ならびに天然記念物に指定されている樹木は、柵に囲われて直接触ることのできないパターンが多く感じられますが、『大神社』の場合は”御神木に触れてパワーを頂いて下さい”と立看板が設置されており、間近で実際に大樹に触れて改めて幹廻り約15メートルの大きさへの驚きとともに1000年余り生き続けている生命力の凄さに圧倒され邪念が洗い流されたような清々しい気分になりました。

    旅行時期
    2021年11月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    3.5
    JR和歌山線・粉河駅から約900メートル(徒歩12分程度)です。
    人混みの少なさ:
    4.5
    土曜日の夕方に参拝しましたが、誰もいませんでした。
    バリアフリー:
    3.5
    道路と境内に数段の段差があります。
    見ごたえ:
    4.5
    御神木の”クスノキ”に圧倒されました。

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