都心のフォトスポットとして魅力的なエリアにある公園です!
- 4.0
- 旅行時期:2021/10(約3年前)
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by hiroさん(男性)
月島・勝どき クチコミ:5件
『佃公園』は、現在の東京湾となる以前の江戸時代における江戸府内の”海の玄関口”として繁栄していたかつての「江戸湊」沖に浮かぶ2つの島(「石川島」および「佃島」)が存在していたエリアであり、現在の「隅田川」に架かる「中央大橋」から「佃大橋」までの左岸側(下流に向って左側)の区間に位置する中央区佃1丁目内の「旧・石川島」と「旧・佃島」のエリアに分散されるように整備されている中央区が管理する区立公園です。
その『佃公園』の「旧・石川島」エリアには、1986年(昭和61年)から2010年(平成22年)にわたり”タワー型超高層マンション”の先駆けとなる再開発事業「大川端リバーシティ21」により整備された”タワー型超高層マンション”群と一体化するように「隅田川テラス」として「隅田川」沿いに整備されている遊歩道および桜並木のほか、「旧・石川島」と「旧・佃島」の境界となる「隅田川」から「佃川支川(佃堀)」が分岐する部分に設置されている「住吉水門」北側付近に江戸時代の無宿人および刑期満了後の浮浪人などに社会復帰をさせるため当時の大工・建具・塗物・紙すき・米搗き・油絞り作業など技術修得を援助する目的の更生収容施設「石川島人足寄場」の人足により江戸時代の幕末期となる1866年(慶応2年)に築かれた六角二層の常夜灯(石川島灯台)を復元した「灯台広場」、さらに「住吉水門」から「佃川支川(佃堀)」沿い(北側)に広がる水景施設を完備した「憩いの広場」が整備されています。
また「旧・佃島」エリアには、1964年(昭和39年)に「佃大橋」の完成に伴い廃止された「隅田川」最後の渡し船であった”佃の渡し”の渡船場跡となる「佃渡し跡広場」とともに「旧・石川島」エリアと同様に「隅田川」沿いの「隅田川テラス」として遊歩道が整備されているほか、「佃川支川(佃堀)」沿いからかつて「佃川支川(佃堀)」と繋がっていた「佃川」が「佃大橋」建設に伴い埋め立てられ遊具などを配置し現在では「ジャリ公園」の愛称で呼ばれるエリアを含む「佃堀広場」が整備されています。
今回は「築地」エリアを訪れた際に時間に余裕があったので「隅田川」に架かる「勝鬨橋」から上流の「佃大橋」まで足を延ばしておよそ35年ぶりに「旧・佃島」エリアをたずねて夕方の短時間でしたが散策して廻りました。
『佃公園』の「旧・佃島」エリアにある「佃堀広場」周辺は、「太平洋戦争」末期の1945年(昭和20年)に東京の都市部を5回にわたり襲った「東京大空襲」で被災を免れた数少ないエリアのひとつであり、現在も下町の昭和レトロな雰囲気が感じられ「佃川支川(佃堀)」に架かる赤い欄干が特徴の「佃小橋」さらに「旧・石川島」エリアの”タワー型超高層マンション”群をバックにしての写真撮影が都心のフォトスポットとして有名な場所となっておりお薦めできます。
そのほか自分は釣りをする機会がほとんどありませんが、『佃公園』の「佃堀広場」は”ハゼ釣りのメッカ”といわれており遊具施設が配置されている「ジャリ公園」および「佃小橋」脇にも「トイレ施設」が完備されているのでお勧めできます。
機会があれば、桜が咲く時期などに『佃公園』の「旧・佃島」エリアだけではなく「旧・石川島」エリアにも足を延ばして色々と散策して廻りたいと思います・・・
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 東京メトロ有楽町線・月島駅6番出口から徒歩3分程度です。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 平日の夕方でしたが、佃堀広場(ジャリ公園)エリアは、地元の子供が数名で遊んでいる程度でした。
- バリアフリー:
- 4.0
- だれでもトイレが整備されています。
- 見ごたえ:
- 4.0
- 佃堀広場(ジャリ公園)からの風景は、撮影スポットとしてお勧めできます。
クチコミ投稿日:2022/09/03
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