大神社 (紀ノ川市)
寺・神社・教会
3.30
クチコミ・評判
1~8件(全8件中)
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紀の川市指定の天然記念物の大楠樹
- 3.0
- 旅行時期:2025/01(約12ヶ月前)
- 1
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樹齢1000年を超えるという大楠
- 3.5
- 旅行時期:2022/05(約4年前)
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コンパクトな境内ですが、御神木の”クスノキ”に圧倒されました!
- 4.0
- 旅行時期:2021/11(約4年前)
- 3
『大神社(だいじんじゃ)』は、和歌山県北部の紀の川市粉河に位置する「西国三十三所観音霊場」の第三番札所として知られる粉河観... 続きを読む音宗・総本山「粉河寺」最古の建造物となる朱塗りの楼門「大門」の門前に鎮座し、祭神として「天照皇大神」を祀る境内面積がおよそ330平方メートル(100坪程度)の小規模な神社です。
『大神社』の創建年代などは不詳とされていますが、伝承によると1585年(天正13年)に「羽柴秀吉」軍による「紀州攻め」ののちに「粉河寺」を牽制するため「羽柴秀長」に仕えていた「藤堂高虎」が1587年(天正15年)に「羽柴秀吉」から大名として紀伊国粉河の領地を与えられ、もともと「粉河寺」が寺の防御のために築城した「粉河寺」南側に位置する「猿岡山城」(現:秋葉山公園)を改築して、1592年(文禄元年)に「朝鮮出兵(文禄の役)」となるまでの7年間に渡り居城としていた「藤堂高虎」が『大神社』を氏神として崇敬していたと伝えられています。
また、徳川幕府・第2代将軍「徳川秀忠」の時代となる1608年(慶長13年)に「藤堂高虎」が、伊予国今治から伊賀国・伊勢国の一部に領地替えで初代・津藩主となった際には、『大神社』の社殿を改築したとも伝えられています。
ちなみに「藤堂高虎」は、室町幕府・第13代将軍「足利義輝」の時代である戦国時代に近江国(現:滋賀県)に生まれ、江戸時代初期の徳川幕府・第3代将軍「徳川家光」の時代となる1630年(寛永7年)までの人生の中で「浅井長政」・「羽柴秀長」・「羽柴秀吉」・「徳川家康」などに仕えた武将・大名であり、「黒田孝高(黒田官兵衛)」・「加藤清正」とともに「築城三名人」と称された築城の名手としても知られる人物です。
今回は、和歌山県で開催された「紀の国わかやま文化祭2021」(国民文化祭)の催しに参加する家族に同行して『大神社』の道路向かいにある「丸浅旅館」に宿泊する機会があり、旅館周辺を散策しながら『大神社』を参拝しました。
コンパクトな境内の『大神社』には、パワースポットとして存在感のある樹齢1000年余りと推定される御神木の「クスノキ」(高さ約25メートル・幹廻り約15メートル)があり圧倒されました。
この「クスノキ」については、徳川幕府・第11代将軍「徳川家斉」の時代である1806年(文化3年)から第12代将軍「徳川家慶」の時代である1839年(天保10年)までの33年間の期間をかけて編纂された紀伊国の地誌「紀伊続風土記」(本編97巻・高野山之部81巻・古文書編17巻:全195巻)において本編の那賀郡粉河荘粉河村の項に大神宮として”境内樟の大樹あり周囲三丈五尺許”と記述されており、2005年(平成17年)に5町合併により紀の川市が誕生する以前である1997年(平成9年)に旧・粉河町の「文化財(自然保存木)」に指定されています。
一般的に御神木ならびに天然記念物に指定されている樹木は、柵に囲われて直接触ることのできないパターンが多く感じられますが、『大神社』の場合は”御神木に触れてパワーを頂いて下さい”と立看板が設置されており、間近で実際に大樹に触れて改めて幹廻り約15メートルの大きさへの驚きとともに1000年余り生き続けている生命力の凄さに圧倒され邪念が洗い流されたような清々しい気分になりました。 閉じる投稿日:2022/05/22
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粉河寺の門前にある神社
- 3.5
- 旅行時期:2021/10(約4年前)
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素晴らしい
- 5.0
- 旅行時期:2020/05(約6年前)
- 0
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千年越えの楠
- 4.0
- 旅行時期:2018/08(約7年前)
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お社は小さいですが、楠は大きいです
- 3.5
- 旅行時期:2017/05(約9年前)
- 4
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粉河寺大門前のお社
- 3.0
- 旅行時期:2015/04(約11年前)
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