江戸時代屈指の有力大名であった肥後細川家・第16代当主の本邸です!
- 4.0
- 旅行時期:2021/08(約4年前)
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by hiroさん(男性)
目白 クチコミ:17件
『和敬塾本館 旧細川侯爵邸』は、室町幕府・第13代将軍「足利義輝」に仕えていた戦国時代から江戸時代初期の武将・戦国大名であり江戸時代屈指の有力大名となる近世大名・肥後細川家(肥後熊本藩主家)の礎を築いた「細川藤孝」から数えて第16代当主「細川護立」公爵(第79代・内閣総理大臣「細川護煕」氏の祖父)の本邸として1936年(昭和11年)に建設されたイギリスのチューダー・ゴシック様式を基調とした西洋風の外観と内観に東洋風のインテリアをはじめ和室を設けるなど昭和初期の代表的な折衷デザインからなる近代建築の旧華族邸宅(鉄筋コンクリート造:地上3階・地下1階建て)です。
その後の1955年(昭和30年)に総合機械製造メーカー「株式会社 前川製作所」の創業者「前川喜作」氏が太平洋戦争終戦後の人心の荒廃を憂慮し、”共同生活を通した人間形成”を趣旨とする構想の基にイギリスの「オックスフォード大学」・「ケンブリッジ大学」の学生寮を参考に設立した『公益財団法人 和敬塾』が育英事業の場にふさわしい環境として『細川侯爵邸』の建物とともにおよそ7,000坪の敷地を購入し、現在では”日常の共同生活を通じて社会人としての知性と徳性を備えた人材を育成する”目的の中で大学生・大学院生のための男子学生寮として敷地内に6棟におよぶ寮棟のほかテニスコートを含むグランド・武道場・大講堂・小講堂・音楽練習場・多目的地下ホール・自習室・大浴場・食堂などの施設が備えられ国籍を問わず国内外の学生が利用する国内最大規模の男子大学生寮なっています。
ちなみに『和敬塾』の名称は、「聖徳太子」によって施行された日本初の憲法である「十七条憲法」の”和をもって貴しとなす”とともに”「和」は人と人の和や四季の自然に心から和む”また”「敬」は人を敬うだけでなく真理を敬う”ことも意味するとされています。
また1998年(平成10年)に『和敬塾本館 旧細川侯爵邸』は、東京都指定の「有形文化財(建造物)」となっており、20年以上前に学生時代のゼミOB会開催場所となったことがあり一度だけ館内に立ち入ったことがありますが、今回は「江戸川橋」周辺エリアを訪れた際に時間に余裕があったので「神田川」北側(左岸側)に位置する「江戸川公園」および「神田川」に沿って整備されている自転車・歩行者専用道路となる「神田川桜並木」を通り、「神田川」に架かる「駒塚橋」部分を北側に左折して「胸突坂」を上り「目白通り(都道8号)」沿いを散策して廻りました。
『和敬塾本館 旧細川侯爵邸』は文京区目白台1丁目に位置し、「胸突坂」から「目白通り」に向かう通り沿いに寮棟に通じる「東門」と「目白通り」沿いに「正門」がありますが、『和敬塾本館 旧細川侯爵邸』が原則的に非公開であるため一般者の敷地内立ち入りができないので、今回は正門脇の塀にある掲示物のみ写真撮影しました。
『和敬塾本館 旧細川侯爵邸』館内の立ち入りは、不定期(毎年5月から12月にかけて月に1・2回程度、原則として木曜日)で開催される一般公開、さらにウェディングやパーティーなどを開催するホールとして利用予約がされた場合の関係者のみとなりますので、機会があれば事前申込みで有料のガイド付の見学会形式で開催される一般公開に参加してみたいと思います・・・
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 東京メトロ・江戸川橋駅1a出入口から正門まで1キロメートル程度です。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 一般公開は不定期で、通常は敷地内に立ち入りできません。
- バリアフリー:
- 3.5
- 今回は、正門前までで敷地内に立ち入りしていません。
- 見ごたえ:
- 4.0
- 東京都指定有形文化財(建造物)の旧華族邸宅です。
クチコミ投稿日:2022/07/30
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