奈良時代末期に創建された神社です!
- 3.5
- 旅行時期:2021/11(約4年前)
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by hiroさん(男性)
岩出・紀の川 クチコミ:8件
『粉河産土(こかわうぶすな)神社』は、奈良県北西部の「王寺駅」(北葛城郡王寺町)を起点として終点となる和歌山県北西部の「和歌山駅」(和歌山市)までの87.5キロメートルにおよぶ区間を結ぶJR和歌山線の「粉河駅」を最寄り駅とする和歌山県北部となる紀の川市粉河に位置し、「西国三十三所観音霊場」の第三番札所に数えられる粉河観音宗の総本山「粉河寺」境内に鎮座する「粉河寺」の鎮守社として、主祭神に災いを祓い退け一切を守り育てる女神とされる「丹生津比賣命(にうつひめのみこと)」、五穀豊穣・農業の神とされる「天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)」を祀る神社です。
『粉河産土神社』の創建については、第49代「光仁天皇」の時代である770年(宝亀元年)に紀伊国那賀郡に住む猟師「大伴孔子古(おおとものくじこ)」が建てた草庵がはじまりとされる「粉河寺」境内に「大伴孔子古」の子供にあたる「大伴船主(おおともふなぬし)」が第50代「桓武天皇」の時代である奈良時代末期の783年(延暦2年)に粉河の郷がかつて鎌垣と称されていたころに鎌垣の各村の守護神とされていた氏神(産土神)を勧請して祀ったことがはじまりとされています。
また、桃山時代となる1585年(天正13年)になると「羽柴秀吉」軍による”紀州攻め”により「粉河寺」とともに『粉河産土神社』も全焼しており、現存する本殿は江戸時代中期となる元禄年間から宝永年間(1688年から1711年)に建立されたと推測される主祭神をそれぞれ祀る「一間社隅木入り春日造り」の神社建築様式を用いた同寸法の本殿が2棟並列して建ち並び現在では「紀の川市有形文化財」に指定されています。
今回は、和歌山県で開催された「紀の国わかやま文化祭2021」(国民文化祭)の催しに参加する家族に同行して「粉河寺」門前の「丸浅旅館」に宿泊する機会があり、旅館周辺を散策しながら「粉河寺」境内の一画に鎮座する『粉河産土神社』を参拝しました。
先ずは、「粉河寺」最古の建造物とされる1706年(宝永4年)に建立の朱塗りの総欅造りの楼門となる「大門」から「粉河寺」境内の入り「粉河寺」の国指定の「重要文化財」など写真撮影しながら広い境内各所を廻り、最後に「粉河寺」千手堂と本堂の奥に位置する神社参道となる石段を上り『粉河産土神社』に立ち寄りました。
参道の石段を上った正面に拝殿があり境内案内図を見ると拝殿の奥に裏山の樹木に覆われるように2棟の本殿のほか複数の社・祠があるようでしたが、拝殿の奥に立ち入りできないため本殿の全形など伺うことができないのが残念でした。
『粉河産土神社』を参拝したあとは、JR和歌山線「粉河駅」に通じる「粉河とんまか通り(県道124号)」(粉河寺・大門から粉河駅まで:およそ900メートル)を歩いてみましたが、歩道の両側に粉河の歴史・文化財・縁起絵巻などを紹介する御影石のモニュメントが30基設置されおり、その中で「紀州三大祭」のひとつに数えられる『粉河産土神社』の例祭である「粉河祭」(毎年7月の最終土曜日・日曜日に開催)についても紹介されていました。
機会があれば次回は「粉河祭」の開催される時期にあわせて粉河の地を訪れてみたいと思います・・・
余談ですが「粉河とんまか通り(県道124号)」の”とんまか”とは、「粉河祭」において奉納されるきらびやかに飾り付けられた「だんじり」の運行にあわせて打つ太鼓の音に由来しているそうです。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- その他
- アクセス:
- 3.5
- JR和歌山線・粉河駅から徒歩で15分程度です。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 土曜日の夕方に参拝しましたが、誰もいませんでした。
- バリアフリー:
- 2.5
- 参拝するには参道の石段を上ります。
- 見ごたえ:
- 3.5
- 拝殿の奥にある本殿の全形など伺うことができないのが残念です。
クチコミ投稿日:2022/07/16
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