滝山氏照さんへのコメント一覧(9ページ)全113件
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いろいろ考えさせられる秘話でした
横浜臨海公園さん、おはようございます。
昨日の更なる詳細に亘るご説明痛み入ります。
古今東西、交戦状況苦境に立ちますと将来に向けて打開方策を種々巡らせることいずこでも同じで、米軍の思わざるパワ−を見せ付けられ、当時の関係者はそれなりに悩みつつ対策を模索していた事と受け止めております。
例えばロンメル将軍をも巻き込んだヒトラ−暗殺未遂事件、秀吉に小田原城包囲された北条氏直が密かに義父・徳川家康に開城(降伏)を申出た件等が頭をよぎります。
今般の山本有三記念館訪問をとらえて横浜臨海公園さんの貴重な秘話を賜り自分としてはいろいろ考えさせられる機会でした。
改めてお礼を申し上げます。
滝山氏照
(お詫びと訂正)
昨日の小生の掲示板文章の中で記載に間違いありました。
正しくは「有三」です。お詫びして訂正いたします。2012年02月10日09時06分返信する拝復
滝山氏照さま、こんにちは。
早速メッセージを賜りまして誠に有難うございました。
> 例えばロンメル将軍をも巻き込んだヒトラ−暗殺未遂事件、秀吉に小田原城包囲された北条氏直が密かに義父・徳川家康に開城(降伏)を申出た件等が頭をよぎります。
→実は、東條暗殺予定日が若し実行に移されていれば、ベルティヒニスガルテン別荘でのフォン・シュタインベルク大佐が主犯として実行したヒットラー暗殺未遂事件と同一日だったというのは東西枢軸国に於ける憂国の士の行動として興味が持たれます。
それから、小生もうる覚えでメッセージを記述したメッセージの中に若松陸軍大臣としましたが、陸軍次官が正当でした。
年をとってしまい記憶だけで文章を作成するのは間違いのもとですね。
訂正をさせて頂きます。
横浜臨海公園2012年02月10日16時24分 返信するフォン・シュタウフェンベルク大佐
滝山氏照さま、横浜臨海公園さま こんばんは。
横から失礼いたします。
> > 例えばロンメル将軍をも巻き込んだヒトラ−暗殺未遂事件、
のくだりに、横浜臨海公園様が
> →実は、東條暗殺予定日が若し実行に移されていれば、ベルティヒニスガルテン別荘でのフォン・シュタインベルク大佐が主犯として実行したヒットラー暗殺未遂事件と同一日だったというのは東西枢軸国に於ける憂国の士の行動として興味が持たれます。
とのコメントをお書きになっていらっしゃいますね。
フォン・シュタウフェンベルク大佐の名前が出てきたからには、じっとしていられなくなりました。
私もお仲間に入れてください。
東條暗殺事件が起きていたら、まさにヒトラー暗殺未遂事件と同じ日、1944年7月20日だった…という偶然に背筋が寒くなる思いがしました。
シュタウフェンベルク大佐の「ワルキューレ」と同じく未遂に終わったでしょうから…。
そうなると、日本の実行犯達は今頃どんな運命を辿っているのか??
きっと、ヒトラー未遂犯と同じく、死刑に処されているのでしょうね。
熊本県出身者グループが多かった由、何だか身につまされます。
なお、ヒトラー暗殺未遂事件の実行場所は、ベルヒテスガーデンの山荘ではなく、ポーランドに近いヴォルフスシャンツェのヒトラー陣営だと思います。
もし時間がありましたら、私の愚作「2010初夏 No.26 ワルキューレを訪ねて ドイツ抵抗記念館」を見ていただけると嬉しいです。
横から大変失礼いたしました。
himmel2012年02月13日22時41分 返信する -
知りませんでした!
横浜臨海公園さま、こんにちは
「山本雄三記念館」訪問記にお立寄りいただきありがとうございます。
それにしても東条英機首相暗殺計画が水面下で練られていたとは
全くの驚きです。
しかも政治とは無縁と思われる山本有三に密かに打診があったとは
驚き以外のなにものでもありません。
貴重な情報をまことにありがとうございます。
加えて今後ともよろしくお願いいたします。
滝山氏照2012年02月09日14時59分返信する拝復
滝山氏照さま、こんばんは。
掲示板拝見させて頂きました。
昭和18年(1943年)頃より日本国内に於ける親英米派グループは戦争継続に疑問を抱きつつ連合国との講和への模索が起動しはじめます。
然し、東條総理は戦争継続と日本の勝利を信じて疑わず、更に、腹心の四方東京憲兵隊長を使い、東條と陸軍に反対の態度を崩さなかった中野正剛を自殺に追い込み強権政治を強めた事から、政変に拠る改革を模索するグループが発生するに至ります。
1)高木惣吉海軍大佐を頂点とする、高松宮宣仁親王、神重徳、等々の海軍高官グループ。
2)細川護貞、松前重義、佐々弘雄、等々の、主に熊本県出身者で構成されたグループで近衛文麿が関与。
3)津野田陸軍少佐を頂点とし警視庁関係者を含むグループで背後に三笠宮崇仁親王が関与。
後に、1、及び、2は、高木-佐々、高松宮-細川の個人関係で統合され、夫々が東條総理暗殺計画に発展し、実行にあたり、近衛が山本有三に対し暗殺完遂後に於ける宣言文起草を依頼した事で山本が暗殺計画を知り仰天させられます。
サイパン失陥が1日遅れていれば、高木グループと津野田グループに拠る暗殺計画は実行される予定でしたが、サイパン失陥が原因で岸商工大臣が辞任し後任が選出出来ず、東條内閣は総辞職せざるを得なくなります。
然し、負の罪も大きく、それぞれ左遷されたり、津野田陸軍少佐は軍法会議にかけられ免官され満州に送られます。
松前重義の如きは運輸通信省高等技術官職であるにも拘らず懲罰的に陸軍に1兵卒として徴集され苦難の扱いをされますが、終戦直後、若松陸軍大臣から「懲罰的徴集のお詫び」として陸軍機密費から当時の金額で100万円を受領し、松前は此れを資金に学校を設立したのが現在の東海大学です。
横浜臨海公園2012年02月10日00時56分 返信する -
山本有三
滝山氏照さま、こんばんは。
山本有三が大東亜戦争末期に栃木に疎開するまで三鷹に住んでいた事は広く知られた事実ですが、なかなか旅行記にまとめられた方は居られず、溜飲を下げた旅行記に感服しております。
因みに、山本有三は旧制高校時代、総理大臣を務めた近衛文麿と同期で、昭和19年(1944年)7月に近衛から電報1本で荻窪に在った近衛邸に呼出され、東条総理暗殺計画を打ち明けられ参加する様に求められましたが、近衛の計画の余りの杜撰ぶりに山本が尻込みして不参加となった経緯等がございます。
結局、暗殺実行直前にサイパン島失陥の責任を取らされるかたちで東条内閣が総辞職した為に、暗殺計画自体がが中止になりましたが、若し、実施されていれば、憲兵隊は山本も拘引して軍法会議にかけ極刑に処したかもしれません。
そうなれば、あの、山本特有の、ほのぼのとした戦後の論調も目にすることがなかったものと思われます。
横浜臨海公園



