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ぶんちゃさんのトラベラーページ

ぶんちゃさんのクチコミ(17ページ)全653件

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  • 逆期待外れ 立派な神社です

    投稿日 2016年04月02日

    本刈谷神社 刈谷・知立

    総合評価:3.5

    ご祭神は誉田別尊・須佐之男命・菅原道真公の三柱です。
    大正2年に八雲社があったところに近くにあった八幡社と北野社を合併して本刈谷神社と名乗ったようです。
    八幡社=誉田別尊、八雲社=須佐之男命、北野社=菅原道真ということでしょう。
    北側の駐車場のほうから入っていったんですが、期待してなかったので一寸びっくりです。広くてなかなか立派な神社です。
    本殿前には狛犬じゃあなくって左大臣・右大臣の石像があってこれまたびっくりです。

    旅行時期
    2016年04月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 佐久間氏の居城跡に立つ神社

    投稿日 2016年03月31日

    御器所西城跡 / 尾陽神社 鶴舞・堀田

    総合評価:3.0

    戦国のころの織田氏の配下の佐久間氏の居城の跡です。周囲は住宅やマンションが立ち並び、城跡としての遺構は残っていません。ただ、地形的には丘の突端といったところで北側が急に低くなっています。私が小学生のころ、今から50年前くらいですけど神社の東に空堀があってその東に郭のような地形が残っていました。明治時代に尾張徳川家の初代義直公と最後の慶勝公を祀るために建てられたのがこの神社です。今の社殿は昭和40年代の再建で、境内には末社や立派な門も建てられ神社としての体裁が整っています。

    旅行時期
    2016年03月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 竹生島宝厳寺の名古屋別院

    投稿日 2016年03月23日

    辨天寺 名古屋港

    総合評価:3.0

    琵琶湖の竹生島にある宝厳寺の名古屋別院です。庄内川の堤防のすぐ下という感じ。周囲を浅い水たまりに囲まれています。湖に浮かぶ竹生島を模しているのでしょうか。小さなお寺ですが、ぱらぱらとお参りに来る人がいます。名古屋七福神の札所にもなっています。ご本尊は幕がかかっていてお姿は見えませんが正月の間はお参りできるようです。

    旅行時期
    2016年03月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 前田利家の菩提寺

    投稿日 2016年03月19日

    荒子観音(観音寺) 名古屋

    総合評価:3.5

    正式名は 浄海山 圓龍院 観音寺。天台宗のお寺です。
    このお寺は名古屋四観音の一つで節分のときには大賑わいです。国の重要文化財指定の多宝塔は名古屋市内最古西湖の木造建築で、なかなか見ごたえがあります。それと日本の円空仏5000体余りのうち四分の一がこの寺にあります。ただし,拝観できるのは毎月第2土曜の午後1時から4時までなので残念ながら見ることができませんでした、

    旅行時期
    2016年03月

  • 機織りと縁結びの神様

    投稿日 2016年03月18日

    服織神社 一宮

    総合評価:3.0

    1965年の建立ですから新しい神社です。真清田神社の主祭神の「天火明命(あめのほあかりのみこと)」の母神様「萬幡豊秋津師比売命(よろずはたとよあきつしひめのみこと)」をお祀りしています。別名を「棚機姫神(たなばたひめのかみ)」と呼ばれ、七夕伝説の「織姫」と同一と考えられています。一宮地方は繊維産業が盛んなためこの神社が建立されたようです。真清田神社の拝殿右手にひっそりと佇んでいました。

    旅行時期
    2016年01月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 開かずの門

    投稿日 2016年03月10日

    名古屋城 名古屋

    総合評価:3.5

    本丸の北、大天守のすぐ横にある深井丸に抜ける門です。不明門の名の通り普段は厳重に締め切られ不測の事態の時だけ開けられる開かずの門です。埋み門型式で屋根の軒先には大天守と小天守を結ぶ橋台のように槍の穂先のような形状のものがびっしり並んで侵入者を防ぐようになっています。

    旅行時期
    2016年03月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 玉照姫を祀る

    投稿日 2016年03月07日

    泉増院 天白・笠寺

    総合評価:3.5

    笠寺観音の子院の一つです。この寺の住職が夢のお告げにより玉照姫の像を造り、笠寺観音の境内にお堂を建てて祀ったそうです。明治時代の中ごろにその像は泉増院に遷され、現在は秘仏となっています。節分の時には笠寺観音とあわせて参拝する人で大層にぎわいますが、普段はゆっくりお参りできます。

    旅行時期
    2016年02月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 名古屋のシンボル

    投稿日 2016年03月10日

    名古屋城 名古屋

    総合評価:4.0

    名古屋城の見どころは何といっても天守閣と金の鯱です。高さはともかく延べ床面積では日本最大です。ただ、戦災で焼失し鉄筋コンクリートで再建されているのが残念です。最近、木造で再々建の動きがありますが是非実現してもらいたいと思います。本丸御殿の再建とあわせて素晴らしいものになるでしょう。
    天守閣や小天守、隅櫓と石垣など雄大といえる景観が楽しめます。

    旅行時期
    2016年03月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 本丸に移築

    投稿日 2016年03月10日

    名古屋城 名古屋

    総合評価:3.0

    二の丸には虎口が東西二箇所ありましたが、戦後東の二の門だけが残っていました。二の丸に愛知県体育館を建設するにあたり昭和38年に解体され、47年に本丸東の虎口に移築されました。扉や柱には鉄板と鋲が打ち込まれた堅固な冠木門です。

    旅行時期
    2016年03月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 堂々とした渡櫓門

    投稿日 2016年03月10日

    名古屋城 名古屋

    総合評価:3.5

    名古屋城の正門といえば本来であれば三の丸の本町御門ですが、現在では西の丸西南の虎口にある渡櫓門をさします。元は西之丸榎多御門があったのですが明治24年の濃尾地震で破損したため、同43年に江戸城の蓮池御門を移築したものです。戦災で焼失し天守閣復興に合わせて再建されました。名古屋城の正門にふさわしいなかなか立派な堂々とした門です。

    旅行時期
    2016年03月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 築城時の様子を想像

    投稿日 2016年03月10日

    名古屋城 名古屋

    総合評価:3.0

    名古屋城築城の時、大石を曳く人足をはげます加藤清正の像です。二の丸にあります。今と違って重機やトラックの無い時代は人や馬の力しかなく大変だったでしょう。堀川の掘削は石垣築造完成のころですから間に合いません。船で運んできても、熱田辺りで陸揚げしあとは陸上を運ぶしかありません。小さな石ならともかく数トンもあるような石を運ぶ場合は清正のように景気を付けて大勢の人間で一気に運ぶしかないでしょうね。

    旅行時期
    2016年03月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 名前は清正でも運んだのは黒田長政

    投稿日 2016年03月10日

    名古屋城 名古屋

    総合評価:3.5

    本丸東の虎口にあります。かなり大きな石でざっと高さ2m幅6m奥行きは不明です。何tあるのでしょうか。運ぶのも大変ですが石垣に積むのもこれまた大変です。この場所の受持ち大名は黒田長政なので清正は関係ないんですけどね。

    旅行時期
    2016年03月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 二層三階の隅櫓

    投稿日 2016年03月10日

    名古屋城 名古屋

    総合評価:3.5

    未申櫓ともいわれ、2層3階の隅櫓です。正門を入ると最初に目に入る建築です。西、南面には、千鳥破風の下に「石落し」を張り出して屋根を付けています。明治の濃尾大地震で石垣と共に崩壊したそうです。本丸は離宮だったので修理復旧は宮内省の手でなされました。なので、瓦などに菊花紋が見られます。徳川家康は尾張藩初代藩主義直の正室春姫さんの嫁入り行列をこの櫓から見物したそうです。

    旅行時期
    2016年03月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 別名清洲櫓

    投稿日 2016年03月10日

    名古屋城 名古屋

    総合評価:4.0

    深井丸西北角にある三層三階の櫓です。通称清洲櫓と呼ばれ、清洲城の天守を移築したといわれています。解体修理をしたときに古材を使用していることは確認されていますが、清洲城天守かどうかは確認されていません。北・西面に石落しを備え千鳥破風で装飾されています。現存する他の櫓と違い内側(東・南面)にも千鳥破風がありました。

    旅行時期
    2016年03月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 加藤清正担当

    投稿日 2016年03月10日

    名古屋城 名古屋

    総合評価:4.0

    加藤清正が単独で工事をしたといわれています。天守閣を載せるので天守台ともいいます。濠のそこからの高さが19.5m。きれいな扇形の曲線を描いて組まれています。この上に巨大な天守閣が載るのでものすごい重量だと思うのですが、建築工学なんてものが無い時代に経験と勘だけで作り上げたのでしょうか。でも、江戸時代に石垣が膨らんできたので修理した記録があるそうです。

    旅行時期
    2016年03月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 眺望抜群

    投稿日 2016年03月10日

    名古屋城 名古屋

    総合評価:3.5

    大天守は5層7階地下1階の構造となっています(元は5層6階地下1階)。地下から5階まではエレベーターで上がれますが、そこからは螺旋階段しかありません。周囲には高層建築が無いので素晴らしい眺望が得られます。すっきりした天気の時はかなり遠くの方まで見渡すことができます。

    旅行時期
    2016年03月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 大天守閣の礎石

    投稿日 2016年03月10日

    名古屋城 名古屋

    総合評価:3.0

    焼失した天守閣の礎石は本丸北の不明門を出たところに並べられています。昔の建築はこんな石の上に柱を載せて作られていたんですね。耐震の観点からは問題ですけど、奈良・飛鳥時代の建築から基本的に変わっていませんね。

    旅行時期
    2016年03月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 赤門通りの名前の由来

    投稿日 2016年03月16日

    大光院 名古屋

    総合評価:3.0

    徳川家康の四男で二代将軍秀忠の同母弟の松平忠吉が清洲城主の時再興した清善寺を忠吉の死後その戒名を採って大光院としたそうです。昔は相当大きなお寺で大須の遊郭の女郎さんたちもお参りに来ていたそうです。戦災で建物を焼失し、区画整理で寺域を削られて今では街中に埋もれかけています。三門等が朱に塗られていたのでこの前の通りは赤門通りと呼ばれています。戦後RC造で再建された本堂の明王殿は中々きれいで私のお参り心をくすぐってくれます。

    旅行時期
    2016年03月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 創建当時の姿

    投稿日 2016年03月10日

    名古屋城 名古屋

    総合評価:4.0

    辰巳櫓ともいわれます。規模と構造は西南隅櫓と同じで二層三階です。ただ石落しの破風の形をちょっと違っています。この櫓は創建当時の姿を伝えるものですが、案内板によれば明治になって江戸城の鯱が取り付けられているとのことです。

    旅行時期
    2016年03月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 今は冠木門のみ

    投稿日 2016年03月10日

    名古屋城 名古屋

    総合評価:3.0

    本丸には南と東に石垣で枡形が作られ、内側に渡り櫓門、外側に冠木門と二重の防御になっていました。更にその外側に堀と石塁で囲まれた馬出しという防御設備が備えらえていました。南が大手、東が搦め手です。
    現在の東門は渡り櫓門が戦災で焼失し、二の丸から移築された冠木門があります。

    旅行時期
    2016年03月
    利用した際の同行者
    一人旅

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