うぐいす陵とも呼ばれる美しい御陵です。
- 5.0
- 旅行時期:2022/08(約3年前)
-
-
by hijunoさん(非公開)
河南・太子 クチコミ:8件
第36代孝徳天皇は乙巳の変の後、元号を大化と改め、新しい政策、政治を推し進めてきました。その後、中大兄の皇子との確執もあり、妻や皇族、群臣の多くが中大兄皇子側についたため、一人、孤独のうちに、難波の宮で亡くなったといわれています。
陵は清少納言の枕草子のなかにでてくる「うぐいすのみささぎ」ともいわれ、美しい陵です。「薄葬令」が出され、直径が32mの小さな円墳です。
「海獣葡萄鏡」も出土しています。
日本最古の竹内街道を通っていきます。竹内街道は難波と飛鳥の宮を結ぶ大切な官道でした。とても情緒があります。
陵に着いてからは、苔むした坂道を登っていきます。歩きやすい靴をお勧めします。
- 施設の満足度
-
5.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
クチコミ投稿日:2022/08/06
いいね!:1票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する