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京都の街は、予想以上に近代建築宝庫。いろいろ見たい建物が数多くあるのですが、バスや地下鉄、徒歩での移動なかなか効率よく見ることができません。レンタルサイクルで移動しようと思って探しましたが、皆考えることは一緒なのか、すべて貸し出し中で借りることができません。見たかった建物の半分も見れなかったので秋の紅葉の季節にでも、また来て見ようと思っています。

近代建築を訪ねて~京都編~vol.2

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2007/08/13 - 2007/08/15

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旅行記グループ 近代建築散歩(関西エリア)

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ぬいぬい

ぬいぬいさん

京都の街は、予想以上に近代建築宝庫。いろいろ見たい建物が数多くあるのですが、バスや地下鉄、徒歩での移動なかなか効率よく見ることができません。レンタルサイクルで移動しようと思って探しましたが、皆考えることは一緒なのか、すべて貸し出し中で借りることができません。見たかった建物の半分も見れなかったので秋の紅葉の季節にでも、また来て見ようと思っています。

  • vol.2では京都大学のキャンパス内の建物から紹介します。京都大学は百万遍(ひゃくまんべん)と呼ばれる面白い名前の場所にあります。

    vol.2では京都大学のキャンパス内の建物から紹介します。京都大学は百万遍(ひゃくまんべん)と呼ばれる面白い名前の場所にあります。

  • これは門を入ってすぐ正面にある京都大学・百周年時計台記念館 <br />大正14年(1925年)に 武田五一・永瀬狂三・坂静雄設計、施工を 清水組・山虎組JVにより建てられたものです。 <br />

    これは門を入ってすぐ正面にある京都大学・百周年時計台記念館
    大正14年(1925年)に 武田五一・永瀬狂三・坂静雄設計、施工を 清水組・山虎組JVにより建てられたものです。

  • 数年前の100周年記念の際に改修され、エントランスホールはこんなきれいになっていました。

    数年前の100周年記念の際に改修され、エントランスホールはこんなきれいになっていました。

  • 京都大学・保険診療所(旧電話拡張交換室) <br />建築年 大正14年(1925年)に武田五一・永瀬狂三の設計により建てられたもので、 レンガタイルが美しく、2階の連続アーチ窓もついています。<br />

    京都大学・保険診療所(旧電話拡張交換室)
    建築年 大正14年(1925年)に武田五一・永瀬狂三の設計により建てられたもので、 レンガタイルが美しく、2階の連続アーチ窓もついています。

  • 旧石油化学教室本館は、明治31年(1898年)山本治兵衛の設計により建てられたもので、1階部分は旧第三高等中学校の物理学教室の増築部分であり、2階部分は大正時代に増築されたので1,2階のレンガの色が若干違っています。あの京大出身のノーベル賞受賞である湯川秀樹・朝永振一郎・福井謙一の3人の先生がここで研究した為、別名「ノーベル賞の館」と呼ばれているそうです。

    旧石油化学教室本館は、明治31年(1898年)山本治兵衛の設計により建てられたもので、1階部分は旧第三高等中学校の物理学教室の増築部分であり、2階部分は大正時代に増築されたので1,2階のレンガの色が若干違っています。あの京大出身のノーベル賞受賞である湯川秀樹・朝永振一郎・福井謙一の3人の先生がここで研究した為、別名「ノーベル賞の館」と呼ばれているそうです。

  • この法経本館は、1933年(昭和8年)に大倉三郎の設計大倉土木の施工によるものです。

    この法経本館は、1933年(昭和8年)に大倉三郎の設計大倉土木の施工によるものです。

  • この部分が一番最初に建てられ、以降1953年にかけて順次奥に増築されていきました。

    この部分が一番最初に建てられ、以降1953年にかけて順次奥に増築されていきました。

  • このちいさな建物は尊攘堂といって1903年(明治36年)年に建てられたものです。

    このちいさな建物は尊攘堂といって1903年(明治36年)年に建てられたものです。

  • もとは長州藩出身の政治家品川弥二郎が建てた、維新の志士の霊を祀り、遺品を展示するための施設。品川の死後、京大に寄贈され移築されたものです。

    もとは長州藩出身の政治家品川弥二郎が建てた、維新の志士の霊を祀り、遺品を展示するための施設。品川の死後、京大に寄贈され移築されたものです。

  • これは文学部陳列館 <br />大正3年(1914年)に山本治兵衛・永瀬狂三 の設計により建てられたものです。<br />

    これは文学部陳列館
    大正3年(1914年)に山本治兵衛・永瀬狂三 の設計により建てられたものです。

  • 見た目石造りのようにに見えますが、レンガの上からモルタルを塗ったもで、玄関庇のペディメントや上部の円形窓を含む装飾など、キャンパス内で一番目立っている建物です。

    見た目石造りのようにに見えますが、レンガの上からモルタルを塗ったもで、玄関庇のペディメントや上部の円形窓を含む装飾など、キャンパス内で一番目立っている建物です。

  • 京都大学農学部・表門と門衛所<br /> 大正13年(1924年)森田慶一の設計により造られました。

    京都大学農学部・表門と門衛所
    大正13年(1924年)森田慶一の設計により造られました。

  • 見た目なんでもないような守衛所と門ですが国の有形文化財に登録されています。

    見た目なんでもないような守衛所と門ですが国の有形文化財に登録されています。

  • 京都大学農学部・旧演習林本部事務室は昭和6年(1931年)に大倉三郎・関原猛夫の設計により建てられたものです。 <br />

    京都大学農学部・旧演習林本部事務室は昭和6年(1931年)に大倉三郎・関原猛夫の設計により建てられたものです。

  • スパニッシュ瓦葺で周りにベランダをめぐらしたバンガロー風の木造建築です。

    スパニッシュ瓦葺で周りにベランダをめぐらしたバンガロー風の木造建築です。

  • 設計者の大倉三郎氏はあまり聞いたことのない名前ですが、当時の京都帝国大学営繕課に所属していた人だそうです。

    設計者の大倉三郎氏はあまり聞いたことのない名前ですが、当時の京都帝国大学営繕課に所属していた人だそうです。

  • これは京都御所に東側にあった同志社の創立者新島襄の自邸で、設計は宣教医テーラーの助言のもとに新島自身が行ったコロニアルスタイル(植民地時代のアメリカの建築様式)の建物です。

    これは京都御所に東側にあった同志社の創立者新島襄の自邸で、設計は宣教医テーラーの助言のもとに新島自身が行ったコロニアルスタイル(植民地時代のアメリカの建築様式)の建物です。

  • 細かな装飾がほとんどなく、真壁の白い壁面に配された茶渇色の木部がシンプルな美しさを見せています。

    細かな装飾がほとんどなく、真壁の白い壁面に配された茶渇色の木部がシンプルな美しさを見せています。

  • これは円山公園の入り口にあった、日本のたばこ王と言われた明治時代の実業家・村井吉兵衛の別荘。

    これは円山公園の入り口にあった、日本のたばこ王と言われた明治時代の実業家・村井吉兵衛の別荘。

  • 明治42年(1909年)J・M・ガーディナー設計、清水組の施工によるものです。 <br /><br />

    明治42年(1909年)J・M・ガーディナー設計、清水組の施工によるものです。

  • 構造は鉄骨石造り・一部煉瓦造りで京都市指定文化財になっています。

    構造は鉄骨石造り・一部煉瓦造りで京都市指定文化財になっています。

  • 現在は結婚式場とレストランとして運営されていています。

    現在は結婚式場とレストランとして運営されていています。

  • 写真には写っていませんがこの裏側は現在改修工事中で休業していますが女性専用ホテルとなっています。

    写真には写っていませんがこの裏側は現在改修工事中で休業していますが女性専用ホテルとなっています。

  • これは大倉財閥の創始者・大倉喜八郎が別邸建設にあたり、敷地内に展望台を兼ねた高閣を建てました。上部には祇園祭の鉾に似たものを乗せているため「祇園閣」と呼ばれるようになったそうです。

    これは大倉財閥の創始者・大倉喜八郎が別邸建設にあたり、敷地内に展望台を兼ねた高閣を建てました。上部には祇園祭の鉾に似たものを乗せているため「祇園閣」と呼ばれるようになったそうです。

  • 昭和2年(1927年)伊東忠太の設計、清水組の施工により建てられたものです。

    昭和2年(1927年)伊東忠太の設計、清水組の施工により建てられたものです。

  • この旧二条駅舎は明治は明治37年(1904年)に京都鉄道株式会社によって、本社社屋と駅舎を兼ねて建設されたわが国最古の木造駅舎です。

    この旧二条駅舎は明治は明治37年(1904年)に京都鉄道株式会社によって、本社社屋と駅舎を兼ねて建設されたわが国最古の木造駅舎です。

  • 今は梅小路機関車館に移築・復元され、同館への入場口として使用しています。<br />

    今は梅小路機関車館に移築・復元され、同館への入場口として使用しています。

  • これは三十三間堂の向かいにある京都国立博物館・本館 。明治28年(1895年)片山東熊の設計により建てられたものです。 <br /><br />

    これは三十三間堂の向かいにある京都国立博物館・本館 。明治28年(1895年)片山東熊の設計により建てられたものです。

  • 時間がなかったので表から写真だけと思いましたが、入場料を払って中に入らないと塀が邪魔で写真が撮れずやむなく中に入りました。

    時間がなかったので表から写真だけと思いましたが、入場料を払って中に入らないと塀が邪魔で写真が撮れずやむなく中に入りました。

  • でも、中に入ると上野の国立東京博物館と同じく常設展は新館でやっていて中に入れませんでした。

    でも、中に入ると上野の国立東京博物館と同じく常設展は新館でやっていて中に入れませんでした。

  • なかなか美しい建物でした。

    なかなか美しい建物でした。

  • 噴水の裏側にはは物館をバックにしてロダンの考える人の像がたっています。

    噴水の裏側にはは物館をバックにしてロダンの考える人の像がたっています。

  • 京都国立博物館の正門は、博物館と同じく明治28年(1895年)にあの赤坂御所(現迎賓館)の設計者である片山東熊の設計によるものです。<br />

    京都国立博物館の正門は、博物館と同じく明治28年(1895年)にあの赤坂御所(現迎賓館)の設計者である片山東熊の設計によるものです。

  • この建物は鴨川沿いの先斗町歌舞練場。昭和2年(1927年) 木村得三郎の設計、大林組の施工により建てられました。 <br /><br />

    この建物は鴨川沿いの先斗町歌舞練場。昭和2年(1927年) 木村得三郎の設計、大林組の施工により建てられました。

  • 鴨川おどりの会場として知られていますが、通常は先斗町の芸妓・舞妓さんが踊りや鳴物・唄などを練習する場所です。ということはここにいけば舞妓さんに会えるかも。

    鴨川おどりの会場として知られていますが、通常は先斗町の芸妓・舞妓さんが踊りや鳴物・唄などを練習する場所です。ということはここにいけば舞妓さんに会えるかも。

  • 旧第一銀行(旧第一勧業銀行)京都支店のレプリカ

    旧第一銀行(旧第一勧業銀行)京都支店のレプリカ

  • もともとこの場所に明治39年に建てられた辰野金吾の設計による本物がありましたが、98年解体されその後本物そっくりのレプリカに建て直されました。

    もともとこの場所に明治39年に建てられた辰野金吾の設計による本物がありましたが、98年解体されその後本物そっくりのレプリカに建て直されました。

  • 古い建物の割りに新しいなというのが第一印象でした。

    古い建物の割りに新しいなというのが第一印象でした。

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