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京都の世界遺産、清水寺紹介の締め括りです。 <br />

2010春、清水寺(4/4):地主神社、音羽の滝、清水舞台、虎三句碑、アテルイ、モレ慰霊碑

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2010/05/16 - 2010/05/16

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旅行記グループ 2010春~夏、京都散策

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

京都の世界遺産、清水寺紹介の締め括りです。

交通手段
高速・路線バス 新幹線

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  • 京都市街方面の遠望です。周りを山が取り囲んだ盆地の地形です。

    イチオシ

    京都市街方面の遠望です。周りを山が取り囲んだ盆地の地形です。

  • 同じく京都市街の光景です。清水寺が建つ清水山は標高242m、その中腹からの眺めです。

    イチオシ

    同じく京都市街の光景です。清水寺が建つ清水山は標高242m、その中腹からの眺めです。

  • 本堂近くから眺めた、奥の院の屋根の光景です。少し下った場所ですから、見上げる光景となりました。檜皮葺の屋根の頂上部分は、瓦が使われています。

    本堂近くから眺めた、奥の院の屋根の光景です。少し下った場所ですから、見上げる光景となりました。檜皮葺の屋根の頂上部分は、瓦が使われています。

  • 清水寺境内の石畳の道です。滑り某氏に、細かな筋が刻まれていました。

    清水寺境内の石畳の道です。滑り某氏に、細かな筋が刻まれていました。

  • 往きにも前を通った縁結びの神社の鳥居です。孵りは本堂に立寄らず、この近くから石段を下りました。

    往きにも前を通った縁結びの神社の鳥居です。孵りは本堂に立寄らず、この近くから石段を下りました。

  • 『えんむびの神・地主(じしゅ)神社』の立看板です。大国主を主祭神とします。

    『えんむびの神・地主(じしゅ)神社』の立看板です。大国主を主祭神とします。

  • 同じく地主神社の光景です。地主神社の本殿、拝殿、総門や境内地も社殿と一体をなして価値を形成するものとして、国の重要文化財に指定されています。

    同じく地主神社の光景です。地主神社の本殿、拝殿、総門や境内地も社殿と一体をなして価値を形成するものとして、国の重要文化財に指定されています。

  • 『清水寺・本堂』が重要文化財(国宝)であることを記した立看板です。1633年の建立であることも記されています。

    『清水寺・本堂』が重要文化財(国宝)であることを記した立看板です。1633年の建立であることも記されています。

  • 奥の院から麓に下る途中での撮影です。長い石段がありました。人だかりがしているのは、『音羽の滝』の前です。

    奥の院から麓に下る途中での撮影です。長い石段がありました。人だかりがしているのは、『音羽の滝』の前です。

  • これから清水の舞台の脇を下るところです。竹矢来のような、立入り禁止の柵がありました。

    これから清水の舞台の脇を下るところです。竹矢来のような、立入り禁止の柵がありました。

  • 立派な屋根を持った造りです。石灯篭のようです。電気がなかった時代には、重要な明りだったに違いありませんが、今は電球が灯るかもしれません。

    立派な屋根を持った造りです。石灯篭のようです。電気がなかった時代には、重要な明りだったに違いありませんが、今は電球が灯るかもしれません。

  • 横から眺めた清水の舞台を支える土台の木組みです。その数は、139本とされます。『懸造(かけづくり)」、あるいは『舞台造』と呼ばれます。釘が1本も使われていません。木を腐らせる水が溜まらないような工夫もされています。

    イチオシ

    横から眺めた清水の舞台を支える土台の木組みです。その数は、139本とされます。『懸造(かけづくり)」、あるいは『舞台造』と呼ばれます。釘が1本も使われていません。木を腐らせる水が溜まらないような工夫もされています。

  • 上から眺めた清水の舞台を支える土台の木組みです。『清水の舞台』から飛び降りた人は、清水寺の古文書調査によれば、1694年から1864年の間に234件に上り、その生存率は85%とされます。明治5年に飛び降り禁止令が出されました。

    上から眺めた清水の舞台を支える土台の木組みです。『清水の舞台』から飛び降りた人は、清水寺の古文書調査によれば、1694年から1864年の間に234件に上り、その生存率は85%とされます。明治5年に飛び降り禁止令が出されました。

  • 下から見上げた清水の舞台を支える木組みの土台です。立入り禁止の柵がありました。

    下から見上げた清水の舞台を支える木組みの土台です。立入り禁止の柵がありました。

  • 清水寺の開創を起縁し、寺名を由来する『音羽の滝』です。こんこんと湧き出る清水は、古来『黄金水』、『延命水』と呼ばれて起案した。この日も順番待ちの列が出来ていました。

    清水寺の開創を起縁し、寺名を由来する『音羽の滝』です。こんこんと湧き出る清水は、古来『黄金水』、『延命水』と呼ばれて起案した。この日も順番待ちの列が出来ていました。

  • 蒼空に映える木立の光景です。桧当たりでしょうか。周りの新緑と比較し、濃い緑の葉です。

    蒼空に映える木立の光景です。桧当たりでしょうか。周りの新緑と比較し、濃い緑の葉です。

  • 半ば新緑に隠れた清水の舞台の土台です。それにしても釘が1本も使われていないのには驚かされます。勿論、若し釘が使ってあった場合は、その後のメンテナンスが大変だったことでしょう。

    半ば新緑に隠れた清水の舞台の土台です。それにしても釘が1本も使われていないのには驚かされます。勿論、若し釘が使ってあった場合は、その後のメンテナンスが大変だったことでしょう。

  • 苔生した石垣の光景です。土台の柱がすぐ近くにありますから、少なくとも500年ほどは経過した石垣でしょうか。

    苔生した石垣の光景です。土台の柱がすぐ近くにありますから、少なくとも500年ほどは経過した石垣でしょうか。

  • 石垣の上に建つ建物です。重要文化財の建物の一つでしょうか。年代と格式を感じさせます。

    石垣の上に建つ建物です。重要文化財の建物の一つでしょうか。年代と格式を感じさせます。

  • まるでお城の石垣です。傾斜地に建てられた寺院ですから、石垣の技術も不可欠です。

    まるでお城の石垣です。傾斜地に建てられた寺院ですから、石垣の技術も不可欠です。

  • 同じく石垣の光景です。城郭ですと、野積み等、石組の種類等が紹介されていますが、公式HP等には記述が見当たりませんでした。

    同じく石垣の光景です。城郭ですと、野積み等、石組の種類等が紹介されていますが、公式HP等には記述が見当たりませんでした。

  • 北天の雄、アテルイ、モレの慰霊碑です。二人は、平安律令政府の東北征服戦争に対して、ゲリラ戦で頑強に抵抗した蝦夷(えみし)の首長と副将です。征夷大将軍の坂ノ上田村麻呂が朝廷に助命を願い出ましたが、河内の国で処刑されました。

    北天の雄、アテルイ、モレの慰霊碑です。二人は、平安律令政府の東北征服戦争に対して、ゲリラ戦で頑強に抵抗した蝦夷(えみし)の首長と副将です。征夷大将軍の坂ノ上田村麻呂が朝廷に助命を願い出ましたが、河内の国で処刑されました。

  • 木陰に建つ石仏です。立派な光背を持った像です。地蔵菩薩でしょうか。合わせた両手に数珠が懸かっていました。

    木陰に建つ石仏です。立派な光背を持った像です。地蔵菩薩でしょうか。合わせた両手に数珠が懸かっていました。

  • 重要文化財の三重塔です。これで当分は見納めです。因みに国宝の三重塔は、現在13箇所です。その内の5つが奈良県にあります。

    重要文化財の三重塔です。これで当分は見納めです。因みに国宝の三重塔は、現在13箇所です。その内の5つが奈良県にあります。

  • 石塔です。七重位でしょうか。蜷川虎三氏の句碑近くにありました。

    石塔です。七重位でしょうか。蜷川虎三氏の句碑近くにありました。

  • 『道はただ一つ その道をゆく 春』と刻まれた、京都府知事だった蜷川虎三さん(1950年-1978年)の句碑です。大西良慶清水寺貫主と意気投合されていました。大西良慶師は、1983年に107歳で天寿を全うされました。長い間日本仏教界の重鎮でした。

    『道はただ一つ その道をゆく 春』と刻まれた、京都府知事だった蜷川虎三さん(1950年-1978年)の句碑です。大西良慶清水寺貫主と意気投合されていました。大西良慶師は、1983年に107歳で天寿を全うされました。長い間日本仏教界の重鎮でした。

  • お顔の半分が影になってしまった石像です。台座部分に彫られたレリーフ像です。

    お顔の半分が影になってしまった石像です。台座部分に彫られたレリーフ像です。

  • 最初に潜った重要文化財の仁王門です。帰り道には、その脇を通りました。

    最初に潜った重要文化財の仁王門です。帰り道には、その脇を通りました。

  • 仁王門の階段下辺りのの光景です。和服姿でカメラに収まる人達の姿がありました。

    仁王門の階段下辺りのの光景です。和服姿でカメラに収まる人達の姿がありました。

  • 清水阪の看板の場所まで戻ってきました。後は1キロ少しの坂を下って、バス停までの移動です。名古屋までの帰りも新幹線にしました。

    清水阪の看板の場所まで戻ってきました。後は1キロ少しの坂を下って、バス停までの移動です。名古屋までの帰りも新幹線にしました。

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