二条・烏丸・河原町旅行記(ブログ) 一覧に戻る
今回の旅のテーマのひとつでもある関西方面の近代建築探訪。名古屋に続き京都の町を、近代建築を探してさまよい歩きました。限られた時間の中でどこまで見つけられるかそれが課題でしたが事前に調査をしていたものの、炎天下の真夏の京都、ちょっと歩くだけでもう汗だく。それでも結構見ることができました。京都の近代建築もなかなか見ごたえありました。

近代建築を訪ねて~京都編~vol.1

4いいね!

2007/08/13 - 2007/08/15

3208位(同エリア4009件中)

旅行記グループ 近代建築散歩(関西エリア)

0

43

ぬいぬい

ぬいぬいさん

今回の旅のテーマのひとつでもある関西方面の近代建築探訪。名古屋に続き京都の町を、近代建築を探してさまよい歩きました。限られた時間の中でどこまで見つけられるかそれが課題でしたが事前に調査をしていたものの、炎天下の真夏の京都、ちょっと歩くだけでもう汗だく。それでも結構見ることができました。京都の近代建築もなかなか見ごたえありました。

交通手段
徒歩

PR

  • 先ずは南禅寺の水路閣 これは明治21年琵琶湖疎水事業の一環として造られた水路橋。南禅寺の境内を横切っていますが、全く違和感なく寺の景観に溶け込んでいます。長さが93m・15基の橋脚の幅は幅4mあり、毎秒2トンの水が流れているそうです。

    先ずは南禅寺の水路閣 これは明治21年琵琶湖疎水事業の一環として造られた水路橋。南禅寺の境内を横切っていますが、全く違和感なく寺の景観に溶け込んでいます。長さが93m・15基の橋脚の幅は幅4mあり、毎秒2トンの水が流れているそうです。

  • 次は同志社大学のキャンパスにある建物を紹介して行きます。まずこれは、彰栄館。烏丸通の西門を入ってすぐ左にある建物。

    次は同志社大学のキャンパスにある建物を紹介して行きます。まずこれは、彰栄館。烏丸通の西門を入ってすぐ左にある建物。

  • 明治17年(1884年)に同志社大学の教員でもあった宣教師 D.C.グリーンが設計したもので、現存する京都市内の煉瓦建築の中では最古のものだそうです。

    明治17年(1884年)に同志社大学の教員でもあった宣教師 D.C.グリーンが設計したもので、現存する京都市内の煉瓦建築の中では最古のものだそうです。

  • 隣にある礼拝堂も明治19年(1886年)にD.C.グリーンの設計により建てられたものです。

    隣にある礼拝堂も明治19年(1886年)にD.C.グリーンの設計により建てられたものです。

  • アメリカン・ゴシック調の鉄板葺き煉瓦造りの建物で、日本におけるプロテスタント派の煉瓦造りの礼拝堂としては現存する最古のものだそうです。

    アメリカン・ゴシック調の鉄板葺き煉瓦造りの建物で、日本におけるプロテスタント派の煉瓦造りの礼拝堂としては現存する最古のものだそうです。

  • あいにくお盆休みなのか鍵がかかって、中を見ることができませんでした。

    あいにくお盆休みなのか鍵がかかって、中を見ることができませんでした。

  • ハリス理化学館<br />これは明治23年 ANハンセルの設計により建てられたもの。

    ハリス理化学館
    これは明治23年 ANハンセルの設計により建てられたもの。

  • アメリカの実業家 J.N.ハリスの援助により、現在の工学部の前身であるハリス理化学校の校舎として建築されたもので、建物はイギリス積みの煉瓦建築になっています。

    アメリカの実業家 J.N.ハリスの援助により、現在の工学部の前身であるハリス理化学校の校舎として建築されたもので、建物はイギリス積みの煉瓦建築になっています。

  • 現在は、卒業生ラウンジ・入試センター・広報課・校友課などが入っています。

    現在は、卒業生ラウンジ・入試センター・広報課・校友課などが入っています。

  • 普段は中に入れるようですが今日は休館日ということで入ることができませんでした。

    普段は中に入れるようですが今日は休館日ということで入ることができませんでした。

  • これは「有終館」礼拝堂や彰栄館と同じくD.C.グリーンの設計によるものですが、明治20年に書籍館として建てられたものです。

    これは「有終館」礼拝堂や彰栄館と同じくD.C.グリーンの設計によるものですが、明治20年に書籍館として建てられたものです。

  • 真上から見ると十字架の形をしているそうですが横から見てもわかりません。当時としては日本最大の学校図書館だったそうですが、大正11(1922)年に図書館としての役割を終え、現在は庶務課の施設となっています。

    真上から見ると十字架の形をしているそうですが横から見てもわかりません。当時としては日本最大の学校図書館だったそうですが、大正11(1922)年に図書館としての役割を終え、現在は庶務課の施設となっています。

  • いよいよお目当てのヴォーリズの設計した建物です。これはアーモスト館。かって新島襄が学んだアメリカ・アーモスト大学にちなんで昭和7年に清水組の施工により建てられた学生寮です。

    いよいよお目当てのヴォーリズの設計した建物です。これはアーモスト館。かって新島襄が学んだアメリカ・アーモスト大学にちなんで昭和7年に清水組の施工により建てられた学生寮です。

  • 現在も学生寮として使用されているため、敷地内は立ち入り禁止である。赤煉瓦の煙突とマンサード屋根から突き出た白い窓に特徴があり、見た目木造に見えましたが鉄筋コンクリートの建物だそうです。

    現在も学生寮として使用されているため、敷地内は立ち入り禁止である。赤煉瓦の煙突とマンサード屋根から突き出た白い窓に特徴があり、見た目木造に見えましたが鉄筋コンクリートの建物だそうです。

  • アーモスト館の奥に見えるのもヴォーリスの作品です。

    アーモスト館の奥に見えるのもヴォーリスの作品です。

  • これも門が閉じられていて中に入れませんでした啓明館といってヴォーリズ建築事務所の設計により大正9年(1920年)に建てられた鉄骨煉瓦造4階建の建物。 <br /><br />

    これも門が閉じられていて中に入れませんでした啓明館といってヴォーリズ建築事務所の設計により大正9年(1920年)に建てられた鉄骨煉瓦造4階建の建物。

  • 研究室、小集会室を備える研究施設の体制を整えた大学図書館の本館としてOBや学生からの寄付金によってつくられたものです。

    研究室、小集会室を備える研究施設の体制を整えた大学図書館の本館としてOBや学生からの寄付金によってつくられたものです。

  • これは昭和2年に武田五一・中野進一の設計、松村組・松井組・山虎組の3社JVにより施工された 京都市役所本館で、東西にやたら長い建物で、中央の時計塔上部の装飾や、上部がアーチ状連続窓の縦のラインに特徴がある建物です。  <br />

    これは昭和2年に武田五一・中野進一の設計、松村組・松井組・山虎組の3社JVにより施工された 京都市役所本館で、東西にやたら長い建物で、中央の時計塔上部の装飾や、上部がアーチ状連続窓の縦のラインに特徴がある建物です。

  • この建物は三条通にある旧毎日新聞京都支局のビル。昭和3年(1928年)武田五一の設計、大林組の施工により建てられたもので一番上の星型の装飾は、毎日新聞の社章だそうです。 <br />現在のこの建物の名称は、建築年にちなん1928ビルと呼ばれており、地階はレトロなカフェ、1階はギャラリー、2階はレストラン、3階はフリースペースとなっています。

    この建物は三条通にある旧毎日新聞京都支局のビル。昭和3年(1928年)武田五一の設計、大林組の施工により建てられたもので一番上の星型の装飾は、毎日新聞の社章だそうです。
    現在のこの建物の名称は、建築年にちなん1928ビルと呼ばれており、地階はレトロなカフェ、1階はギャラリー、2階はレストラン、3階はフリースペースとなっています。

  • これも三条通にある旧・家辺時計店。明治23年(1890年)に建てられた物で、構造は木造建築で壁の部分に煉瓦を使った建物。京都の民間商業建築としては最も古いものの一つです。  <br />

    これも三条通にある旧・家辺時計店。明治23年(1890年)に建てられた物で、構造は木造建築で壁の部分に煉瓦を使った建物。京都の民間商業建築としては最も古いものの一つです。

  • これも三条通りにある旧不動貯蓄銀行京都支店ビルで、大正5年(1916年)日本建築株式会社設計により建てられたもので、構造は 1階・煉瓦 上階・木骨煉瓦造りとなっています。 <br />

    これも三条通りにある旧不動貯蓄銀行京都支店ビルで、大正5年(1916年)日本建築株式会社設計により建てられたもので、構造は 1階・煉瓦 上階・木骨煉瓦造りとなっています。

  • 現在の建物名はSACRA。これで「さくら」と読みます。ブティックやカフェが入っているテナントビルにリニューアルされています。 <br />

    現在の建物名はSACRA。これで「さくら」と読みます。ブティックやカフェが入っているテナントビルにリニューアルされています。

  • これも三条通にある旧・日本銀行京都支店として明治39年(1906年)に辰野金吾・長野宇平治の設計により建てられたもので、今は京都文化博物館の別館として使用されています。<br /><br />

    これも三条通にある旧・日本銀行京都支店として明治39年(1906年)に辰野金吾・長野宇平治の設計により建てられたもので、今は京都文化博物館の別館として使用されています。

  • 赤レンガにアクセントとして白い石をよく使う辰野金吾氏の特徴ある設計になっています。

    赤レンガにアクセントとして白い石をよく使う辰野金吾氏の特徴ある設計になっています。

  • 天井は無垢材の木を組み込んだものでかなりの重厚感があります。

    天井は無垢材の木を組み込んだものでかなりの重厚感があります。

  • 2階部分にはキャットウォークが回されています。

    2階部分にはキャットウォークが回されています。

  • 内部は銀行だったため店舗部分は2階までの吹き抜けになっています。

    内部は銀行だったため店舗部分は2階までの吹き抜けになっています。

  • これも三条通にある中京郵便局(旧京都郵便電信局) <br />明治35年(1902年)逓信省の設計、安藤組の施工により建てられたものです。現在も現役郵便局として使われています。<br />

    これも三条通にある中京郵便局(旧京都郵便電信局)
    明治35年(1902年)逓信省の設計、安藤組の施工により建てられたものです。現在も現役郵便局として使われています。

  • 昭和48年に解体の危機があったそうですが、昭和53年に内部を新装し外観だけを保存する、日本初の「ファサード保存」として甦りました。

    昭和48年に解体の危機があったそうですが、昭和53年に内部を新装し外観だけを保存する、日本初の「ファサード保存」として甦りました。

  • 日本生命京都支店 1914年(大正3年)に辰野金吾と片岡安の設計の建物で、辰野式の赤レンガ建築とではなく、片岡安の色彩の濃い、石張り建築となっています。本館建て替えの際に東側部分のみが保存され残されています。今はテナントビルとしてブティックなどが入っています。

    日本生命京都支店 1914年(大正3年)に辰野金吾と片岡安の設計の建物で、辰野式の赤レンガ建築とではなく、片岡安の色彩の濃い、石張り建築となっています。本館建て替えの際に東側部分のみが保存され残されています。今はテナントビルとしてブティックなどが入っています。

  • これはNTTの建物ですが今は衣料テナントビルに変わっています。

    これはNTTの建物ですが今は衣料テナントビルに変わっています。

  • 四条通の四条大橋の袂にあるこの建物、これもヴォーリズの作品。大正15年に竣工した建物で、昭和2年のオープン当初は「矢尾政」という西洋レストランでしたが、現在は「東華菜館」という中華料理店になっています。

    四条通の四条大橋の袂にあるこの建物、これもヴォーリズの作品。大正15年に竣工した建物で、昭和2年のオープン当初は「矢尾政」という西洋レストランでしたが、現在は「東華菜館」という中華料理店になっています。

  • 外壁のテラコッタタイルの装飾凝っています。<br />

    外壁のテラコッタタイルの装飾凝っています。

  • 塔屋に乗ったドームの位置、何故か中途半端な場所だと思いませんか?

    塔屋に乗ったドームの位置、何故か中途半端な場所だと思いませんか?

  • 特に1階玄関の上部の装飾が素晴らしい。でもこの中を良く見るとホタテやタコなどの魚介類のの姿を見つけることができます。何で・・・?

    特に1階玄関の上部の装飾が素晴らしい。でもこの中を良く見るとホタテやタコなどの魚介類のの姿を見つけることができます。何で・・・?

  • これは四条通にある南座  昭和4年(1929年)白波瀬直次郎の設計 白波瀬工務店の施工により建てられた劇場。銀座の歌舞伎座のような雰囲気の建物です。 <br />

    これは四条通にある南座 昭和4年(1929年)白波瀬直次郎の設計 白波瀬工務店の施工により建てられた劇場。銀座の歌舞伎座のような雰囲気の建物です。

  • この建物見たときは、隣にあった観世会館のものと思っていましたが、帰ってから調べてみたら全く違っていまして藤井斉成会有鄰館といって中国の古美術が中心の私立美術館でした。確かに外観を見るとどう見ても能や狂言には合いませんよね。<br /><br />

    この建物見たときは、隣にあった観世会館のものと思っていましたが、帰ってから調べてみたら全く違っていまして藤井斉成会有鄰館といって中国の古美術が中心の私立美術館でした。確かに外観を見るとどう見ても能や狂言には合いませんよね。

  • 近江商人の藤井善助氏の藤井紡績の東洋美術コレクションを保存展示するための機関として大正15年(1926)に設立された。日本の私立美術館としては草分けの的存在の建物です。屋上に朱塗りの八角堂を乗せた東洋風の展示館は設立当初からのもので、展示室内部も昭和初期の雰囲だそうです。<br />

    近江商人の藤井善助氏の藤井紡績の東洋美術コレクションを保存展示するための機関として大正15年(1926)に設立された。日本の私立美術館としては草分けの的存在の建物です。屋上に朱塗りの八角堂を乗せた東洋風の展示館は設立当初からのもので、展示室内部も昭和初期の雰囲だそうです。

  • 宿の向かいにあった京都市美術館。この建物は昭和8年(1933年)に 京都市建築課の前田健二郎の設計、 清水組の施工により建てられたものです。<br />

    宿の向かいにあった京都市美術館。この建物は昭和8年(1933年)に 京都市建築課の前田健二郎の設計、 清水組の施工により建てられたものです。

  • 昭和3年に京都で挙行された天皇即位の記念事業として、昭和8年に「大礼記念京都美術館」の名称で開設されました。

    昭和3年に京都で挙行された天皇即位の記念事業として、昭和8年に「大礼記念京都美術館」の名称で開設されました。

  • 和風の屋根を乗せたこの当時流行った帝冠様式の建物です。

    和風の屋根を乗せたこの当時流行った帝冠様式の建物です。

  • 時間がなかったため美術館には入りませんでしたので、玄関ホールのところだけ覗いて撮りました。

    時間がなかったため美術館には入りませんでしたので、玄関ホールのところだけ覗いて撮りました。

  • 私の悪い癖で、美術館や博物館に行くと展示作品を見より建物を見ている時間のほうが多い、それほどこれらの建物は見ごたえのあるものが多いですね。

    私の悪い癖で、美術館や博物館に行くと展示作品を見より建物を見ている時間のほうが多い、それほどこれらの建物は見ごたえのあるものが多いですね。

この旅行記のタグ

4いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP