ロンプラさんのクチコミ(8ページ)全537件
- サムネイル表示
- リスト表示
- ホテル
- ショッピング
- グルメ・レストラン
- 交通機関
- 観光スポット
- 基本情報
-
ここに牧場があったとは信じられません
投稿日 2018年03月09日
-
シーボルトの像があります
投稿日 2018年03月09日
-
投稿日 2018年03月09日
-
投稿日 2018年03月09日
-
投稿日 2018年03月09日
-
投稿日 2018年03月09日
-
投稿日 2018年03月08日
-
投稿日 2018年03月08日
-
投稿日 2018年03月08日
-
投稿日 2018年02月20日
総合評価:4.0
東大の赤門は正門ではありません。正門は赤門から本郷通りを北に約270mのところにあります。東大は元加賀藩の上屋敷のあった場所にあります。赤門は正式には「旧加賀屋敷御守殿門」といい、1827年に第12代加賀藩主前田斉泰が第11代将軍徳川家斉の第21女、溶姫を迎える際に造られました。190年前のことです。
- 旅行時期
- 2017年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2018年02月20日
-
投稿日 2018年02月20日
総合評価:3.0
夏目漱石の名作『三四郎』は、ここを舞台としたため、「三四郎池」と呼ばれるようになりました。三四郎池の周辺は育徳園と呼ばれています。加賀藩前田家の上屋敷にあった育徳園には、2代秀忠(引退後)、3代家光、5代綱吉、11代家斉、12代家慶と、計5人の将軍が訪れています。1868年には明治天皇が行幸の途中で休憩に訪れたこともあります。関東大震災後の時期の東京帝国大学新聞には、学生が池で泳ぐ様子やスケートを楽しむ記事が紹介されています。現在は外来種のネズミや植物の問題もでてきています。
- 旅行時期
- 2017年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 景観:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
-
投稿日 2018年02月20日
-
投稿日 2018年02月21日
-
投稿日 2018年02月21日
総合評価:3.0
大久保彦左衛門(大久保忠教:ただたか)は江戸初期の旗本です。初陣以来軍功多く,徳川家康・秀忠・家光3代に仕え,戦国の勇士として知られました。「天下のご意見番」と呼ばれ、著書『三河物語』は江戸時代には写本が一般に出回り、人気になったと伝えられています。講談やテレビの姿は脚色されたものでしょう。
この石碑を見なければ知らないことばかりでした。- 旅行時期
- 2017年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2018年02月21日
-
投稿日 2018年02月21日
-
投稿日 2018年02月21日
-
投稿日 2018年02月21日
総合評価:4.0
イギリスの建築家ジョサイア・コンドルは、お雇い外国人として来日し、工部大学の教授として日本人の建築家を育成しました。また、鹿鳴館、ニコライ堂、旧古河庭園など明治時代に多くの建物を設計しました。お雇い外国人としての5年間の契約期間が終わっても日本に滞在して日本人と結婚して、大正9年(1920年)に東京で没しました。
銅像は右手に葉巻を持ち、左手はズボンのポケットに入れています。とてもリラックスしているように見えます。建築家の伊東忠太がデザインし、新海竹太郎によって彫刻されました。
見所は台座です。地震の象徴とされる邪鬼二体を置いたのは、日本の建築の耐震化に尽くしたコンドルを讃える意味を込めたといわれています。- 旅行時期
- 2017年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2018年02月21日
総合評価:3.0
樋口一葉旧居跡の井戸は、案内も看板も出ていません。静かな道を歩いて探しました。わかりにくく木造家屋が建てこんだ小さな路地にある井戸を見つけたときには、ここだと確信しました。一葉が住んでいた家はわかりませんでした。青い手押しポンプがありましたが明治時代は釣瓶桶だったと思いました。
菊坂にあると思っていましたが菊坂下道という道のようです。- 旅行時期
- 2017年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 1.0
- 人混みの少なさ:
- 1.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0