芥川龍之介生誕の地
名所・史跡
3.36
芥川龍之介生誕の地 クチコミ・アクセス・周辺情報
築地 観光 満足度ランキング 23位
ピックアップ クチコミ
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満足度の高いクチコミ
居留地通りを築地川公園に向かって歩くと、公園手前の左手に設置されていました。
5.0
- 旅行時期 2023/01
- by ナツメロ大王さん
築地界隈を散策していた際、聖路加国際大学近くに【芥川龍之介生誕の地】を示す案内板が設置されていました。【クモの糸】や【羅生... 続きを読む門】など、誰でも一度は読んだことがある小説を書いた芥川龍之介の生誕の地が築地にあったとは知りませんでした。彼の母親がこの地で牛乳屋を営んでいたことなど、詳しく記載されていました。居留地通りを築地川公園に向かって歩くと場合、公園手前の左手に設置されていました。 閉じる
クチコミ・評判
3.36
(48件のクチコミ)- アクセス:
- 3.49
- 東京メトロ日比谷線「築地駅」3b出口から徒歩約5分300m by Lily-junjunさん
- 人混みの少なさ:
- 3.67
- 遠くに人影が見えた位で車も通りませんでした by 風来坊之介さん
- バリアフリー:
- 3.58
- 付近は整備されているので大丈夫です by 風来坊之介さん
- 見ごたえ:
- 3.08
- 解説板のみ by ワンダラーさん
1~20件(全48件中)
-
大作家である芥川龍之介はここで生まれ、墨田区本所で養子となり成長していきました。
- 3.0
- 旅行時期:2024/01(約2年前)
- 0
「芥川龍之介生誕の地」へのアクセスは、東京メトロ日比谷線「築地駅」の3b出口を出て、右折し、「聖ルカ通り」沿いに160mほ... 続きを読むど直進します。「中央区立築地川公園」の先の信号を左折します。「聖路加国際大学」を回り込むようにして進むと、「聖ルカ礼拝堂」の手前の歩道の右側に、「芥川龍之介生誕の地」の説明板があります。
「芥川龍之介」は、明治25年(1892年)3月1日に、牛乳販売会社「耕牧舎」を経営する「新原敏三」の長男として、東京市京橋区入船八丁目一番地(現在の中央区明石町十番)で生まれました。辰年辰の日辰の刻の生まれにより「龍之介」と命名されたと言います。生後7ヶ月で母親の「ふく」が病気になったため、「龍之介」は母の実家の「芥川家」に引き取られて成長しました。当時本所区小泉町15番地に住んでいた「ふく」の長兄「芥川道章」に引き取られ、後13歳の時、芥川家の養子となりました。「芥川龍之介」は、「夏目漱石」門下で、「鼻」、「羅生門」、「河童」、「或阿呆の一生」などの多くの文学作品を残しました。
01_【「芥川龍之介生誕の地」の一口メモ】
所在地…〒104-0044 東京都中央区明石町10-11 聖路加病院
02_【「芥川龍之介生誕の地」へのアクセス】
⑴ 東京メトロ日比谷線「築地駅」3b出口から徒歩約5分300m
⑵ 東京メトロ有楽町線「新富町駅」6番出口から徒歩約4分280m
閉じる投稿日:2024/02/04
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芥川がこの近所の牧場経営者の息子で、7か月で伯母に預けられ、さらに叔父の養子に出されたとは。
- 3.5
- 旅行時期:2023/04(約3年前)
- 0
歩道に中央区教育委員会の解説板が建っているが、これがなければ生誕の地は分からない。
誕生日も明治16年といえば、ここは外... 続きを読む国人居留地で、牛乳の需要もあって、近くに牧場が出来たのであろうと想像する。
ここで育ったのであれば、外国人や、外国文学に接する機会もあったのであろうが、僅か7か月で本所の伯母芥川家に預けられ、さらの叔父の養子に出されたという。
ということで、この地や実の父母が芥川に与えた影響は極めて小さく、養子先の芥川家が旧家の士族で代々徳川家に仕えた奥坊主の家で、家中が芸術・演芸を愛好していたことの
影響が大きかったのであろう。
解説板だけでなく、せめて石碑でも建てると、ありがたみが出るであろうが。 閉じる投稿日:2023/05/28
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芥川とは養子に入った先の苗字だったのですね
- 3.0
- 旅行時期:2022/03(約4年前)
- 0
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道路沿いにありました。
- 5.0
- 旅行時期:2021/10(約4年前)
- 0
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碑が移動していたとは
- 3.0
- 旅行時期:2021/03(約5年前)
- 0
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芥川龍之介生誕の地
- 4.0
- 旅行時期:2020/11(約5年前)
- 0
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芥川龍之介生誕の地
- 3.0
- 旅行時期:2020/07(約5年前)
- 0
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若き頃の写真付き
- 3.0
- 旅行時期:2020/02(約6年前)
- 0
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居留地通りに肖像写真付の説明板が立ててあります
- 3.0
- 旅行時期:2020/02(約6年前)
- 0
中央区明石町界隈を散策の折、聖路加国際大学の北側を走る居留地通りの大学側の歩道で見掛けたのがこの 芥川龍之介生誕の地 の... 続きを読む肖像写真が付いた説明板で、車道側に歩道を向いて立ててあります。
その説明板を見ると、
作家芥川龍之介 (1892~1927) は、明治16年 (1883) ごろ、この付近の乳牛牧場の経営者新原家で明治25年に生まれ、誕生後7ヶ月にして家庭の事情から母の長兄芥川家に引き取られて現在の墨田区に移り、明治37年 (1904) 芥川家の養子になった。
ことや文壇に出て多くの名作を遺した ことなどが記されています。
ところで、明治16年 (1883) 頃のこの付近は、築地外国人居留地だったのに乳牛牧場があったとは知りませんでした。
しかし、考えてみれば欧米人が多かっただろうから、乳牛牧場があっても不思議ではない気がします。
それにしても、この近くには、アメリカ公使館を初め教会や学校、住居などが多かったと思うが、乳牛牧場があったのには驚きでした。 閉じる投稿日:2020/03/29
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築地にあった渋沢栄一の経営する牧場が芥川龍之介の生誕地だった
- 3.0
- 旅行時期:2020/01(約6年前)
- 0
外国居留地だった築地の明石町周辺には○○の跡地、発祥の地、生誕の地などいろんな説明板がありますが、意外に思ったのが芥川龍之... 続きを読む介の生誕の地。
古くは播州赤穂藩浅野家の上屋敷だったこの地は開港と同時に外国人居留地となってそんな関係で渋沢栄一の経営する牧場があったそうです。
その「耕牧舎」という乳牛の牧場の支配人だったのが芥川龍之介の父新原敏三の長男として、ここに生まれたそうです。
でも生後七ヶ月にして、母親が発狂してしまい叔父に引き取られたそうで、居住地というよりかは生誕地なんでしょうね。
でも、ここが牧場で乳牛がいたなんて今では想像もできないですよね。 閉じる投稿日:2020/01/25
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居留地通り沿いです
- 3.0
- 旅行時期:2019/06(約7年前)
- 0
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誕生から7カ月を過ごした場所
- 3.5
- 旅行時期:2019/03(約7年前)
- 0
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牧場を経営する家の長男として生まれたそうです
- 3.0
- 旅行時期:2019/01(約7年前)
- 0
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7か月だけ
- 3.0
- 旅行時期:2018/12(約7年前)
- 1
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ここに牧場が?
- 2.5
- 旅行時期:2018/05(約8年前)
- 0
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芥川龍之介生誕の地
- 3.0
- 旅行時期:2018/05(約8年前)
- 0
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文豪・芥川龍之介
- 3.5
- 旅行時期:2018/02(約8年前)
- 0
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プラネタリウムのついで
- 3.0
- 旅行時期:2017/12(約8年前)
- 0
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生誕地の説明板があるのみですが、昔は長閑な場所だったのでしょう
- 3.5
- 旅行時期:2017/01(約9年前)
- 0
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芥川龍之介生誕の地の標識が、聖路加国際大学の西側に立てられています。
- 3.5
- 旅行時期:2016/08(約9年前)
- 0
芥川龍之介生誕の地の標識が、聖路加国際大学の西側に立てられています。
生誕の地の標識は、築地川公園と聖ルカ通りの交点の角... 続きを読むにあります。
芥川龍之介は、入船町8丁目に、牛乳製造販売業を営む新原敏三の長男として生まれました。
明治初期の絵地図を見ると、入船町8丁目は、築地の居留地の西端で、築地川に面していました。ほぼ現在の芥川龍之介生誕の地の標識の位置です。
生後すぐに母の実家の芥川家に預けられ、叔父芥川道章の養子となり芥川姓を名乗ることになりました。
芥川家は、芸術・演芸を愛好する家系で、龍之介も東大英文科に入学します。
芥川龍之介は、文学の世界で活躍し、現在の芥川賞の基礎を作りました。
築地の居留地巡りの折、たまたま目にした芥川龍之介生誕の地の標識と居留地が身近なものとして結びついたことは、大きな驚きでした。 閉じる投稿日:2016/08/30
投稿写真
基本情報(地図・住所)
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