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赤心館跡

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御茶ノ水・本郷

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赤心館跡 https://4travel.jp/dm_shisetsu/10008592

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施設情報

施設名
赤心館跡
住所
  • 東京都文京区本郷5-5
アクセス
地下鉄本郷三丁目駅から徒歩7分
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(17件)

御茶ノ水・本郷 観光 満足度ランキング 87位
3.31
アクセス:
3.25
地下鉄・都営三田線・春日駅出入口A6か都営大江戸線・本郷三丁目駅出入口3から歩いてどちらも6,7分のところです by 風来坊之介さん
人混みの少なさ:
3.55
訪ねた折は誰とも会いませんでした by 風来坊之介さん
バリアフリー:
2.80
長泉寺を経由しないルートも勿論あるがこのルートが分かり易いと思います by 風来坊之介さん
見ごたえ:
3.39
フェンス沿いに説明板が立ててあるのみです by 風来坊之介さん
  • 赤心館跡

    • 5.0
    • 旅行時期:2023/05(約2年前)
    • 0

    本郷にある赤心館跡。
    駅からは少し離れており歩く。住宅街にあるので少し分かりにくい。
    文豪ゆかりの地であり、一度は名前...  続きを読むを聞いたことがある人ばかりだ。
    菊富士ホテル跡のすぐそばにあり、今は説明板だけが残っている。  閉じる

    投稿日:2023/05/30

  • 石川啄木ゆかりの場所

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/12(約5年前)
    • 0

    本郷三丁目駅から北西に伸びる菊坂周辺は,かつてたくさんの文豪たちが住んでいたことで有名な場所です。菊坂から北に向かって歩い...  続きを読むたところ,菊富士ホテル跡の近くに,石川啄木も下宿していた赤心跡があります。今は説明板だけになっていますが,当時の様子を想像するだけでワクワクしました。  閉じる

    投稿日:2019/12/27

  • 啄木が執筆活動を行った場所

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/04(約6年前)
    • 0

    文京区本郷の裏通り、とあるビルの壁面前に「啄木ゆかりの 赤心館跡」と記された案内板があります。北海道から上京した啄木がこの...  続きを読む場所にあった「赤心館」に下宿し、執筆活動に励んだということです。特徴のない裏通りにステンレス製の無機質な案内板があるのみなのが残念です。  閉じる

    投稿日:2020/05/16

  • 住宅街に看板がポツン

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/04(約6年前)
    • 3

    都バスIC1日券を使って、文京区散策。
    石川啄木ゆかりの下宿先。
    金田一京助を頼り、北海道からここにたどり着いた。
    ...  続きを読む菊富士楼も近かったらしい。
    本妙寺坂を登りきったところに看板だけが残っている。
    比較的東大にも近い。  閉じる

    投稿日:2020/01/23

  • 石川啄木が下宿した場所

    • 2.5
    • 旅行時期:2019/02(約6年前)
    • 0

    本郷にある長泉寺の近くに石川啄木が下宿したと言われる「赤心館」があったそうです。今では説明板が建てられているだけで当時の雰...  続きを読む囲気はまったくありませんが、樋口一葉や坪内逍遥など多くの文豪がこの地に集まっているのがわかり、とても不思議な感じがしました。  閉じる

    投稿日:2019/12/09

  •  文京区本郷4丁目と5丁目の境界を通る菊坂界隈には文学関連のものが多く、その一つがここ「啄木ゆかりの 赤心館跡」です。
    ...  続きを読む 石川啄木 (1886~1912) は、「文学の志」やみがたく、明治41年 (1908) 5月、22歳で3度目の上京をし、金田一京助を頼って、ここにあった「赤心館」に下宿し、執筆に励んだ。
     ここ赤心館での生活は4ヶ月、その間のわずか1ヶ月の間に小説5編、原稿用紙にして300枚にものぼる作品を完成した。
     とのこと。
     今は、その赤心館はなく、通路沿いに「啄木ゆかりの 赤心館跡」という説明板が立ててあるのみです。
     場所は一寸分かり難く、菊坂の中間よりやや北西方向の北東側にある長泉寺の参道を上がり山門をくぐって本堂手前を右折し門を出て10数m行った右手のフェンス沿いです。 長泉寺の参道右手前には「菊坂」の説明板が立ててあるので分かるかと思います。  閉じる

    投稿日:2017/12/10

  • 周りには当時の木造建築を思いおこさせる物は全くありません。ただプレートがあるだけです。赤心館跡のプレートには、文京区内の啄...  続きを読む木ゆかりの地として赤心館の他に上京の下宿から終焉の地まで5カ所の住所があります。文京区教育委員会が平成元年につくったプレートはどれだけの人が見ているのかと思いました。  閉じる

    投稿日:2018/03/08

  • 長泉寺山門の手前にある

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/04(約9年前)
    • 0

    地下鉄本郷三丁目駅の北西、住宅地の長泉寺山門の手前にこちらの説明板がある。週末午後、付近の路地は人がほとんど歩いておらず、...  続きを読むこちらの説明板を見ている人はいなかった。石川啄木は、22歳の時に上京し、金田一京助を頼って、ここにあった赤心館に下宿し、菊池君、母、天鵞絨等の小説を執筆した。石川啄木やこの界隈に関心や知識のある方は訪問するのもいいかもしれない。  閉じる

    投稿日:2016/04/04

  • 説明板があります

    • 3.5
    • 旅行時期:2016/02(約9年前)
    • 0

    春日駅から徒歩6分の長泉寺の近くです。長泉寺本堂の右手の門を出た道の右側です。明治41年5月22歳の石川啄木は三度目の上京...  続きを読むをして金田一京助を頼ってこの場所にあった赤心館に下宿し執筆に励みました。赤心館で4か月生活する間に「菊地君」、「母」、「天鵞絨」など小説5編を完成しました。しかし作品に買い手が付かず収入が途絶え、金田一京助の援助で近くにあった蓋平館別荘に移りました。「たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず」は赤心館時代の作品です。  閉じる

    投稿日:2016/02/19

  • 説明板があるのみ

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/09(約9年前)
    • 0

    「啄木ゆかりの赤心館跡」という説明板が立っていますが、ぽつんとあるだけなので、注意深くないと気付かないでしょう。
    石川啄...  続きを読む木は、本郷の金田一京助を頼って上京しましたが、ここにある赤心館に下宿し、執筆活動に励んだそうです。
    ただ、ここにいたのは4か月と、短かったですね。  閉じる

    投稿日:2016/12/21

  • 説明板が立っているだけです

    • 2.5
    • 旅行時期:2015/03(約10年前)
    • 0

    剣道か空手の道場の跡かと思ったら、なんと石川啄木が下宿していた下宿屋「赤心館」の跡だそうです。
    当時、本郷四丁目の菊坂に...  続きを読むあったホテル「菊富士」の隣にあった小さな下宿屋だったようで、現在は案内板が立つだけです。
    場所は分かりづらく、菊坂から細長い参道を入った所にある長泉寺の境内右手の出口から住宅街を進むと右手にあります。
    その先の路地を右折すると菊富士ホテルの跡です。   閉じる

    投稿日:2015/03/21

  • 若き頃の石川啄木が下宿していたそうです

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/01(約10年前)
    • 0

    東京メトロ・本郷三丁目駅から歩いて10分ほど、長泉寺の近くに立て札が建っています。
    明治時代、22歳の石川啄木は北海道で...  続きを読むの放浪旅の後に上京し、金田一京助を頼ってかつてここにあった赤心館に下宿して執筆活動に励んだとのこと。
    (その頃は作品に買い手がつかず、失意と苦悩の日々が続いたそうです)
    この周辺は上り坂がきついですが、ファンの方なら見ていってはいかがでしょう。  閉じる

    投稿日:2015/02/20

  • ここも啄木ゆかりの場所の一つ

    • 4.0
    • 旅行時期:2014/09(約10年前)
    • 0

    赤心館跡は、長泉の山門そば。小さなプレートがありました。
    ここも啄木ゆかりの場所の一つ。22歳の啄木は、3度目の上京で、...  続きを読むこの金田一京助の下宿、赤心館に移ります。4か月の間でしたが、執筆に励み、小説5編を書き上げたということです。  閉じる

    投稿日:2014/09/29

  • 石川啄木ゆかりの下宿

    • 3.5
    • 旅行時期:2013/11(約11年前)
    • 0

    文京区本郷の裏通りを歩いていて「赤心館跡」の看板を見つけました。
    現在は「オレガノ」という会社の敷地内に、かつて「赤心館...  続きを読む」という名称の下宿があったそうです。石川啄木や金田一京助が滞在していた事で有名な下宿ということです。
      閉じる

    投稿日:2013/11/24

  • 石川啄木の下宿していた場所だそうです

    • 3.5
    • 旅行時期:2013/11(約11年前)
    • 0

    菊坂中程から本妙寺坂を上ると、菊富士ホテルの跡の碑があります。そのすぐ近く、長泉寺寄りに、赤心館跡の看板が建てられています...  続きを読む。明治41年、石川啄木が初めて上京した時、滞在した下宿で、金田一京介も同宿だったそうです。  閉じる

    投稿日:2013/11/23

  • 啄木ゆかりの

    • 3.5
    • 旅行時期:2013/04(約12年前)
    • 0

    文京区本郷にある、石川啄木ゆかりの赤心館跡です。この付近には樋口一葉、宮沢賢治、石川啄木など、多くの文豪の、ゆかりの場所が...  続きを読む多くあって、なんだかすごいなと思いました。赤心館という場所に下宿して執筆していたそうです。  閉じる

    投稿日:2015/02/25

  • 石川啄木(1886~1912)は文学の志やみがたく、
    明治41年5月、北海道の放浪の旅から上京した。
    啄木22歳で3度...  続きを読む目の上京であった、上京後、
    金田一京助を頼って、ここ赤心館に下宿し、執筆に励んだ。
    赤心館での生活は4ヵ月。その間、わずか1ヶ月で、
    菊池君、母など小説5編、原稿用紙にして300枚にも
    のぼる作品を完成したが、作品に買い手がつかず、
    失意と苦悩の日が続いた。このようななkで、
    数多くの優れた短歌を残した。

    たはむれに 母を背負ひてそのあまり 軽きに泣きて 三歩あゆまず
      閉じる

    投稿日:2011/06/06

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