wiz さんのクチコミ(6ページ)全448件
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(09) サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼地として世界遺産に登録されている Eglise Saint-Hilaire le Grand
投稿日 2014年11月06日
総合評価:5.0
サン・ポルシェール教会を見た後は、賑やかなガンベッタ通りを南下し、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼地として世界遺産に登録されているサン・ティレール・ル・グラン教会(11世紀建造)に向かいました。
サン・ティレール・ル・グラン教会は、中へ入った瞬間、(感覚的に)すごい!と思いました。
教会内には、エミール・マールの本で紹介されていた柱頭彫刻「聖イレールの死」や、身廊には司教像が描かれたロマネスクの壁画(11世紀末)も残ります。 (この司教像の壁画は衣の表現にサン・サヴァン聖堂のトリビューンとの関係がみられるのだそうです。)
ポワチエ市のホームページ( http://www.poitiers.fr/ )で、サン・ティレール・ル・グラン教会のリーフレットがダウンロードでき、その中に教会内の配置図(見どころの柱頭彫刻や壁画など)が書かれているので、事前に見たいもののある位置を確かめて行きました。 なにしろ、「聖イレールの死」の柱頭彫刻が見たいと言っても、柱頭彫刻はたくさんありますからね。
しかし、この見たかった柱頭彫刻「聖イレールの死」の置かれている位置は非常に高く、かつあまり明るくないので、ズームを使って写真を撮るのはなかなか難しくほとんどぶれてしまいました。
この教会は、他の教会とは少し離れたポワチエ旧市街の南西部に位置しますが、教会建築に興味がある方ならば、できれば見学された方が良いと思います。
エミール・マールの『ロマネスクの図像学』によれば・・ ≪聖イレール(ポワティエのヒラリウス Saint Hilaire de Poitiers)は、4世紀、キリスト教の最も巧妙な聖人の一人。 はじめ異教徒だった彼は司教になる前に結婚していたが、ひとたびキリスト教徒になると、アリウス主義に対する最も果敢なカトリック正統の擁護者として活躍した。 聖ヒエロニムスの記したところによると、彼の書物にはローヌの流れのように抗しがたい力があったということである。≫
Eglise Saint-Hilaire le Grand
http://www.patrimoine-histoire.fr/Patrimoine/Poitiers/Poitiers-Saint-Hilaire-le-Grand.htm
(注・クチコミのタイトルの頭につけた数字はポワチエ駅発着で訪問した順番です。)- 旅行時期
- 2014年10月
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(08) 11世紀後半のロマネスクの鐘楼をもち 内部は中心に柱がある独特の建築 Eglise Saint-Porchaire
投稿日 2014年11月06日
総合評価:4.0
サン・ポルシェール教会の入口は、賑やかなガンベッタ通りの途中にあります。
この教会は、教会内部の柱が中央部に立っていて、かなり独特な造りだと思いました。
鐘楼の部分は11世紀後半のロマネスク様式で、教会自体は1509年から1520年に再建されたそうです。
巡礼教会として、世界遺産登録されている サン・ティレール・ル・グラン教会 へ向かう最中に立ち寄りました。
Eglise Saint-Porchaire
http://www.patrimoine-histoire.fr/Patrimoine/Poitiers/Poitiers-Saint-Porchaire.htm
(注・クチコミのタイトルの頭につけた数字はポワチエ駅発着で訪問した順番です。)- 旅行時期
- 2014年10月
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(07) 12世紀ロマネスク期のサン・ジェルマン教会は今はオーディトリオム Eglise Saint-Germain
投稿日 2014年11月06日
サン ジェルマン教会 (現サン ジェルマン オーディトリオム) ポワティエ
総合評価:3.5
近くのサン・ジャン・ド・モンティエヌフ教会を訪問した後にこちらに寄ってみました。
サン・ジェルマン通りをはさんで、教会の向かい側には ポワチエ国立音楽院 Conservatoire National de region de Poitiers があり、教会前の広場に立っていると、楽器の音が聞こえてきて、若い人たちも多かったです。
この教会は、12世紀ロマネスク期の建築かと思いますが、今はサン・ジェルマン・オーディトリオムとなっていて、コンサートなどで使われるようです。
中には入ることができなかったので、外観だけ写真におさめ、再度ノートル・ダム・ラ・グラン教会前を通りながら、サン・ポルシェール教会に向かいました。
(注・クチコミのタイトルの頭につけた数字はポワチエ駅発着で訪問した順番です。)- 旅行時期
- 2014年10月
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(06) 明るい光で満ちた気持ちよい空間 クラン川沿いから見る姿も美しかった Abbatiale Saint-Jean de Montierneuf
投稿日 2014年11月06日
総合評価:4.5
この教会は、ノートル・ダム・ラ・グランド教会の方からも行けますが、クラン川沿いから水車小屋とともに望む構図も素敵です。 ポストカードなどにもこの構図が使われていました。 (だいたいの位置は、66 Rue des 4 Roues あたり)
私たちはサント・ラドゴンド教会を見た後に、クラン川対岸の高台(展望台?)からポワチエ旧市街のパノラマ風景を楽しみ、その後、クラン川沿いに近い道を歩き、こちらへ来ました。 このルートだと、正直、多少距離はあると思います。 ただ、川沿いからこの教会を眺望するにはどこかの橋を渡らなければいけないので、いずれにしても少し歩くことになると思います。
クラン川沿いから教会と水車小屋の風景を写真におさめた後は、クラン川にかかる ロシュレイユ橋 Pont de Rochereuil を渡り、教会まで歩いていき、内部にも入ってみました。
教会内部は、とても明るい光で満ちていました。
ポワチエは彩色の残る柱頭や壁画のある教会も多く、建築に使われている石の色のせいかほの暗いところも多いので、この教会に使われている白い石の明るさは新鮮に感じました。 気持ちよい空間でした。
建築様式としては、半円アーチの部分と尖塔アーチの部分があったので、ロマネスクとゴシックが混じった感じかと思います。 西ファサードの壁面の文様には(ポワチエ最古の)サン・ジャン洗礼堂を連想させるようなものもありました(添付写真)。
(注・クチコミのタイトルの頭につけた数字はポワチエ駅発着で訪問した順番です。)- 旅行時期
- 2014年10月
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(05) ポワチエ旧市街 と クラン川 を望む 展望台? までの 階段 はけっこうきつい! でも、がんばって!
投稿日 2014年11月06日
総合評価:5.0
街歩きのはじめに、さっそくお土産屋さんで(ノートルダム・ラ・グラン教会の近く)ポストカードを買ったのですが、その中の景色で、高台から見下ろすポワチエ旧市街とクラン川を見下ろす眺望を撮影した1枚がありました。
この眺望を見たい!と思ったし、ポワチエの観光案内所のHPからダウンロードした地図で”眺望良し”のマークをあらかじめチェックしていたので、このポストカードの景色の場所へはどうやって行ったら良いのかはだいたい掴んでいました。
ノートル・ダム・ラ・グラン教会の方から歩くなら、グラン・リュなどを通り、クラン川へ、クラン川にかかるジュベール橋を渡り、さらに狭い道に入ると、「Escalier des Dunes」という階段があります。 この階段を昇れば、展望台? なんだな、と事前学習。 当日は、ダウンロードした地図どおりに、無事、階段に到着。
しかし、この階段が、かなりきつい!!!!!
それでも、地元の方(けっこう若者が多い。ポワチエは大学都市でもあるので。)がけっこう上り下りしていて、みんな「がんばって!Bon courage!」と声をかけてくれました。
ここまで来たら、途中であきらめるわけにはいかない! というわけで、ゼーハー言いながら、辿りつきましたよ、展望台? に!!!
そこから見る景色は、まさにポストカードで見た、ポワチエ旧市街のパノラマ風景でした。 変わりやすい天気の日で、ここでは曇りで、それは残念だったけれど。
今回の旅で、ダントツ、一番つらかった経験(階段のこと。ほんとうに足にきました!)でしたが、ポワチエ旧市街のパノラマ風景が見れたので、来て良かった〜と思いました。
ポワチエ市( http://www.poitiers.fr/ )がYoutubeに美しい景色を載せているので良かったら見てみてください。 http://youtu.be/aEhmVDgJmiU
(注・クチコミのタイトルの頭につけた数字はポワチエ駅発着で訪問した順番です。)- 旅行時期
- 2014年10月
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(04) 内陣や周歩廊に 鮮やかな彩色の壁画が残る Eglise Sainte-Radegonde
投稿日 2014年11月06日
総合評価:4.0
ポワチエのサン・ピエール大聖堂を見終わった後は、こちらのサント・ラドゴンド教会に入りました。 クラン川のすぐ近くで、この教会も、クラン川の向こうの高台(展望台?)から見ると、よく見える教会でした。
西正面はとても細長く、かつ教会前のスペースが狭いので、こちら側からファサードと塔を全体で撮るには、Rue Arthur de la Mauviniere から撮るしかなさそうです。 教会内部には、鮮やかな彩色の柱頭彫刻や壁画が見られました。 聖女ラドゴンドのお墓もあります。
※聖女ラドゴンド Sainte-Radegonde: フランク王クロタール1世(メロヴィング朝フランク王国の創始者クロヴィス1世の息子の一人)の妻となるが、宮廷を去り、ポワチエで サント・クロワ修道院 Abbaye Sainte-Croix de Poitiers を設立した。 目の見えない女を癒したり、悪魔に憑かれた女を癒したりした。 6世紀ポワチエの守護聖女。
Eglise Sainte-Radegonde
http://www.patrimoine-histoire.fr/Patrimoine/Poitiers/Poitiers-Sainte-Radegonde.htm
(注・クチコミのタイトルの頭につけた数字はポワチエ駅発着で訪問した順番です。)- 旅行時期
- 2014年10月
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(03) 12世紀のステンドグラス「磔刑」が特に有名 プランタジュネ様式ゴシック Cathedrale Saint-Pierre
投稿日 2014年11月06日
総合評価:4.0
この教会は、何と言っても、12世紀のステンドグラス「磔刑」が有名です。
このステンドグラスは、上から3分の2を「昇天」「磔刑」が占め、下の3分の1に「キリストの復活」、そしてこの大聖堂の守護聖者である「聖ペテロと聖パウロの裁判と殉教」のエピソードがあらわされています。 最下部にはステンドグラスをささげる姿で寄進者像(1165〜70年頃プランタジュネ家のアンリ2世<ヘンリー2世>とアリエノール・ダキテーヌであろうとされている)が描かれています。
ポワティエ大聖堂は東端(シュヴェ)を平らな壁体としているのですが、その真ん中にこのステンドグラスがあります。 高さよりも水平方向の広がりを重視するこの大聖堂の構想はユニークなのですが、フランスでは追従作品を生まなかったそうです。
建築様式は、プランタジュネ朝時代のゴシック建築(プランタジネット様式ゴシック建築)。
クラン川の向こうの高台(展望台?)から見ると、この大聖堂の平らな東端がよく望めました。
Cathedrale Saint-Pierre
http://www.patrimoine-histoire.fr/Patrimoine/Poitiers/Poitiers-Saint-Pierre.htm
(注・クチコミのタイトルの頭につけた数字はポワチエ駅発着で訪問した順番です。)
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”12世紀ロマネスクのステンドグラス”
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◆印は今回の旅で見てきたもの。
◇印は以前見たもの。
◎西部
1140〜45年頃 ル・マン サン・ジュリアン大聖堂 身廊南側廊 「昇天」
1165〜70年頃 ポワチエ
サン・ピエール大聖堂 シュヴェ中央の窓 「磔刑」◆
1180年頃 アンジェ サン・モーリス大聖堂
身廊北側 「聖母の葬列と埋葬」
◎イル・ド・フランス(王領の地)
1140〜45年頃 聖ベネディクトゥスの昇天を目撃する二人の修道士
サン・ドニ修道院聖堂に由来(クリュニー美) ◇
1145年頃 サン・ドニ修道院聖堂
放射状祭室 シュジェールのステンドグラス◆
1150〜55年頃 シャルトル大聖堂 西正面の三つの窓◆
「キリストの幼年時代」 「エッサイの樹」 「受難」
1175年 シャルトル サン・ピエール聖堂 「昇天」 のメダイヨン
1180年頃 シャルトル大聖堂 「美しき絵ガラスの聖母」◆
※サン・ドニは、シュジェール (Suger de Saint-Denis 1081頃〜1151 サン・ドニ大修道院長であり、学友のルイ6世と、その子ルイ7世の2代にわたって政治顧問をつとめた。) の時代、さまざまな芸術的傾向が集中した坩堝だった。
◎シャンパーニュ地方
1147年頃 シャロン・シュル・マルヌ 聖エチエンヌ大聖堂 「磔刑」
※シャンパーニュ地方のロマネスクのステンドグラスは様式的にはムーズ川流域に栄えたモザン芸術に属している。
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- 2014年10月
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(02) ポワトゥー・ロマネスク といえば まずはここ 華麗なるファサード彫刻は必見 Eglise Notre-Dame la Grande
投稿日 2014年11月06日
総合評価:5.0
ポワトゥー地方ポワチエのロマネスクを代表するのがここノートル・ダム・ラ・グラン教会です。 華麗なる西ファサードの彫刻(典礼劇に着想を得たという)が特に有名な教会です。 ポワチエに来たのは(私にとって)これが見たかったから、と言っても過言ではありません。
内部に入ると、石の質感のせいか、少しグレーがかった色味を感じたのですが、目が慣れてくると柱頭の色彩が目に入ってきました。 はじめは、ほの暗さの中に建物自体の力強さを感じましたが、内陣や周歩廊あたりに行くとさらに神秘的な力強さを感じる教会でした。 内陣や放射状祭室、周歩廊、側廊には彩色の残る壁画や柱頭なども残されています。
身廊のあたりはけっこう暗いので、写真撮影はぶれやすいかもしれません。
教会前の広場あたりは、ポワチエ旧市街の中心となるような場所なので、何度か通り、そのたびに写真を撮っていました。(天気が変わりやすい1日だったので。)
Eglise Notre-Dame la Grande
http://www.patrimoine-histoire.fr/Patrimoine/Poitiers/Poitiers-Notre-Dame-la-Grande.htm
(注・クチコミのタイトルの頭につけた数字はポワチエ駅発着で訪問した順番です。)- 旅行時期
- 2014年10月
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(01) 1429年3月 ジャンヌ・ダルクの処女検査まで行われたというポワチエ高等法院 Palais de justice de Poitiers
投稿日 2014年11月06日
ポワトゥ伯 アキテーヌ公宮殿 (ポワティエ裁判所) ポワティエ
総合評価:4.0
ポワチエの高等法院は、街のほぼ中央(ノートル・ダム・ラ・グラン教会近く)にある12世紀からの建物(コルドリエ通り側)。 ジャンヌが審問を受けたのは、この高等法院の大広間なのだそうです。 中世には、ポワトゥ伯アキテーヌ公宮殿として使われ、王政復古時代に、アルフォンソ・ル・プティ広場に面している正面部分が付け加えられたそうです。(ポワチエの鉄道駅から来るとこちら側に辿りつきます。)
コルドリエ通り側から見る建物は中世の雰囲気を残していると思います。 そこにジャンヌ・ダルク像がありました。
そして、ここのすぐ近く、カテドラル通り53番地にはジャンヌが泊まったという館があったのだとか。 ラ・ロゼ館とよばれたその建物は、当時の面影はほとんど残っていませんでしたが、その歴史を示す看板だけは建てられていました。
≪ ※ジャンヌを引見した王太子シャルルは、すっかりジャンヌを信用したが、王太子の側近たちは、まだ彼女の信仰や人柄に関して疑いの気持ちを持っていた。 そこで彼らは国王顧問会議を開き、ジャンヌの正体をあきらかにするために高位聖職者による専門の法廷をもうけるべきだという結論を出して、それを王太子に認めさせた。 ジャンヌを審問する宗教審問会は、当時、王太子の高等法院や大学の置かれていたポワチエに召集された。 審問会は「信仰に反するものは見当たらない」と結論付け、ジャンヌは従軍が許されオルレアンへと向かいました。・・ ≫
(注・クチコミのタイトルの頭につけた数字はポワチエ駅発着で訪問した順番です。)- 旅行時期
- 2014年10月
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紅葉散歩! 有栖川宮記念公園 (陸奥盛岡藩 南部美濃守 下屋敷跡)
投稿日 2014年12月16日
総合評価:4.0
有栖川宮記念公園(ありすがわのみやきねんこうえん)の土地(現港区南麻布5−7)は、江戸時代は、陸奥盛岡藩 南部美濃守(なんぶみののかみ) 下屋敷跡。 のち有栖川宮熾仁親王邸となり、昭和9年高松宮家から下賜され、現在は有栖川宮記念公園。
園内は、麻布台地の地形を生かしたという日本庭園になっていて、起伏に富み、東側の高台から西南側の低地に向けて大きく傾斜した地形(広尾駅の方が低い)となっています。
12月第2週末でしたが、園内の渓流のあたりの木々が紅葉していてきれいでした!
有栖川宮記念公園(ありすがわのみやきねんこうえん)
http://www.arisugawa-park.jp/- 旅行時期
- 2014年12月
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紅葉散歩! 西渋谷台地の崖線につくられた 旧朝倉家住宅 回遊式庭園
投稿日 2014年12月16日
総合評価:4.5
東京府議会議長や渋谷区議会議長を歴任した朝倉虎治郎氏によって大正8年に建てらた旧朝倉家住宅。
旧朝倉家住宅の庭園は、玄関前の前庭(ぜんてい)、敷地南側に広がる主庭(しゅてい)、坪庭の中庭(ちゅうてい)に大別されており、主庭は、西渋谷台地の崖線部にあるため、斜面とその上部平地からなり、敷地外の眺望を借景 (しゃっけい )として取り入れ、富士山や目黒川、田園風景が望めるような構成になっていたそうです。
東急東横線代官山駅徒歩5分という位置にあるということを忘れてしまうような、なかなか素敵な紅葉を満喫することができました。 紅葉時期におすすめのスポットです!
国重要文化財 旧朝倉家住宅
住 所: 渋谷区猿楽町29-20
開館時間: 午前10時~午後6時 月曜休み
観 覧 料: 一般100円(60歳以上無料)
web: https://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/asakura.html- 旅行時期
- 2014年12月
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投稿日 2014年12月16日
総合評価:4.0
現在、品川区立池田山公園のある地(品川区東五反田)は、江戸時代には、備前岡山藩 池田家 下屋敷「大崎屋敷」があったところで、明治になってからは、池田侯爵邸として使用されていたそうです。
池や滝のある江戸時代の回遊式庭園で、池田山の高台を生かした高低差のある公園です。
公園内の高台のあたりの紅葉は12月に入ってからも赤く色づいておりきれいでした!
ところで、池田山公園はパワースポットとしても有名のようです。 池田山公園は風水でいう龍穴に当たり、富士山から発する龍脈が入ってくる場所と言われるのだとか。 (富士山から五つの龍脈が流れていて、そのひとつは皇居へ流れ、その通り道に当たるのが池田山公園なのだそうです。)
今回は、白金台駅 ~ 瑞聖寺(港区白金台) ~ 芝増上寺子院群(品川区上大崎) ~ 池田山公園(品川区東五反田) ~ ねむの木の庭(品川区東五反田) ~ 五反田駅 とお散歩してみました。
今回の出発地点=白金台駅近くの 国立科学博物館附属自然教育園(港区白金台) も12月の同じ時期に紅葉が楽しめます( http://4travel.jp/domestic/area/kanto/tokyo/shinagawa/shirokane/tips/10937845/ )ので、そちらもからめて都内の遅い時期の紅葉巡りも良いかと思います。- 旅行時期
- 2014年12月
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投稿日 2014年12月07日
総合評価:4.0
パリ3区モンモレンシー通り 51 Rue de Montmorency 51番地にたつ「錬金術師ニコラ・フラメルの家」(現在1階はオーベルジュとなっている)は、改修された箇所はあるらしいが、1407年に建てられたというパリ最古の家なのだそうです。
一階入口の框(かまち)に刻まれているのは 「 勤倹なるわれわれ夫妻は、1407年に建てられたこの家の玄関に住み、神に罪の許しを乞いながら、日々、主のアヴェ・マリアを唱えて過ごした。 アーメン 」 という ”中世フランス語” だそうです。
ニコラ・フラメルは錬金術の技術によって財を成し、教会や病院、礼拝堂などへの多くの援助を行ったそうで、(サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路のパリの起点とされている)現在のサン・ジャック塔、ここは、かつてサン・ジャック・ラ・ブーシュリー教会でしたが、この教会への寄進もニコラ・フラメルによるもので、教会のタンパンには寄進するフラメル夫妻がひざまずく姿で刻みこまれていたそうで、しかも、ちゃんと名前の頭文字まで(ニコラのN、ニコラ夫人ペルネルのP)タンパンに刻まれていたというのだから・・ なかなか凄いではないですか! ( → サン・ジャック・ラ・ブーシュリー教会のタンパン http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Portail_de_Saint_Jacques_de_la_Boucherie.jpeg )
私は今回、フィリップ・オーギュストの城壁跡散歩をしていた際に、ここにちょっと寄り道したのですが、この家は、位置的にはフィリップ・オーギュストの城壁のサン・マルタン門があった場所のすぐ外側にあたります。- 旅行時期
- 2014年10月
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前菜、メイン(カレー)、デザートの昼ムニュが10EUR Restaurant Safran
投稿日 2014年12月07日
総合評価:4.0
カレーが食べたくなり、パリ5区サン・ミッシェル界隈にあるインド料理のお店に入ってみました(14:30頃)。
前菜(私はサラダ)、メイン(カレー)、デザートのムニュで10ユーロでした。
ここで ビックリ したのが、このサラダの生野菜が美味しくて予想外でなかなか良。 マルシェで新鮮なものを仕入れるのでしょうか。 カレーもどうかなぁ、と思っていたのですが、そんなに辛くもなく、トッピングソースで3種(たしかスパイシー、ミント、スイーティー)の味を楽しめるようになっていました。
メインのカレーは、私はポワッソン、相棒はベジタブル に。
デザートは、インドのものだと思いますが、すごく甘かったです。 甘党の方には良いかも。- 旅行時期
- 2014年10月
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このあたりにフィリップ・オーギュストの城壁がありました! Institut de France (6区)
投稿日 2014年11月23日
総合評価:5.0
今回の旅では、フィリップ・オーギュストの城壁跡散歩をしました。
ここ 【 フランス学士院 Institut de France 】 あたりもフィリップ・オーギュストの城壁があった場所を辿るのにポイントになる建築物となります。
左岸のフィリップ・オーギュストの城壁は、
旅行記の表紙でも書いていますが・・
○フランス学士院 前、コンチ河岸 ”ネールの塔があった”
○~マザリーヌ通り (=旧称ネール堀割通り)6区
○~アンシエンヌ・コメディ通り (=旧称サン・ジェルマン堀割通り)
○~ムッシュー・ル・プランス通り (=旧称お堀の上の道 他)
○~マルブランシュ通り
○~エストラパード通り
○~フォッセ・サン・ジャック通り (=現サン・ジャック堀割通り)
○~ブランヴィル通り
○~カルディナル・ルモワヌ通り (=旧称サン・ヴィクトール堀割通り)
○~フォッセ・サン・ベルナール通り (=現サン・ベルナール堀割通り)
○~トゥルネル橋近く、トゥルネル河岸 ”トゥルネル塔があった”
のような線を辿り、(城壁が)聳えていました!
(※ 6区 ~ マルブランシュ通り以下は 5区 )
左岸に関しては、上のような ”堀割通り” だったところを辿れば、だいたい城壁跡散歩を完成することができるので、地図で確認さえしておけば、わりと簡単です!
【 フランス学士院 Institut de France 】 を正面に見ると、左側の建物の壁に、ここに城壁時代 ”ネールの塔” があったことの記念版を見ることができるので、建物を見上げてみてくださいね!
ネールの塔は、フランスの文豪たちの作品の中でも描写されているのですが、佐藤賢一氏の『カルチェ・ラタン(ドニ・クルパン回想録)』(1536年頃のパリが舞台)の中でも生き生きと描写されていました。
また、フランス学士院(アンスチチュ)の前は、ポン・デ・ザールですが、このあたりは対岸のルーヴル美術館側から見た夜景も非常に美しいところです。 夜景撮影の一押しスポットです。 (夜景写真は、 2012年10月・2006年12月撮影 のものです。)- 旅行時期
- 2014年10月
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このあたりにフィリップ・オーギュストの城壁がありました! Credit Municipal de Paris (4区)
投稿日 2014年11月23日
総合評価:4.0
今回の旅では、フィリップ・オーギュストの城壁跡散歩をしました。
ここ 【 クレディ・ミュニシパル(パリ信用金庫) Credit Municipal de Paris 】 あたりもフィリップ・オーギュストの城壁があった場所を辿るのにポイントになる建築物となります。
右岸のフィリップ・オーギュストの城壁は、セーヌ川沿いの
○ポン・デ・ザール あたりから
○~ルーヴル宮のクール・カレ(方形の中庭) あたり
○~オラトワール教会 あたり
○~パリ商品取引所(の建物の北西あたり)
○~ジャン・サン・プールの塔
○~ユダヤ芸術歴史博物館
○~クレディ・ミュニシパル(パリ信用金庫)
○~リセ・シャルルマーニュ あたり
○~セレスタン河岸
のような線を辿り、(城壁が)聳えていました!
クレディ・ミュニシパル(パリ信用金庫)へは、中庭への入口が開いていますので、是非入られてみるのも良いと思います。 フラン・ブルジョワ通り57番地の建物の隙間からも見えるのですが、ここクレディ・ミュニシパルの中庭からも『フィリップ・オーギュストの城壁』の一部をなしていた塔(基部)を見ることができます。(だいぶ改装されていますが・・) この中庭の敷地をちょうど東西の方向に城壁が聳えていた、という位置関係になります。 おそらく、中庭にある噴水の前の石畳のラインが城壁のラインなのかと思います。
パリ信用金庫は、パリで最初の質屋で、貧しい人や急な金の要り用の人にお金を貸し付けてくれるところ。 車を買いたい時に、例えば指輪を担保に出すと、指輪が鑑定されその価値の50~70%を借りることができ、契約書を書けばすぐに現金が手に入る、という仕組みだそうです。 1年後までに借りたお金を返すか契約を更新しなければ指輪はオークションに出されるのだとか。 ロダンやモネも作品を預けに来たこともあったのだとか・・。- 旅行時期
- 2014年10月
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このあたりにフィリップ・オーギュストの城壁がありました! Musee d'Art et d'Histoire du Judaisme (3区)
投稿日 2014年11月23日
総合評価:3.5
今回の旅では、フィリップ・オーギュストの城壁跡散歩をしました。
ここ 【 ユダヤ芸術歴史博物館 Musee d'Art et d'Histoire du Judaisme 】 あたりもフィリップ・オーギュストの城壁があった場所を辿るのにポイントになる建築物となります。
右岸のフィリップ・オーギュストの城壁は、セーヌ川沿いの
○ポン・デ・ザール あたりから
○~ルーヴル宮のクール・カレ(方形の中庭) あたり
○~オラトワール教会 あたり
○~パリ商品取引所(の建物の北西あたり)
○~ジャン・サン・プールの塔
○~ユダヤ芸術歴史博物館 ・・
のような線を辿り、(城壁が)さらに南東へ聳えていました!
【 ユダヤ芸術歴史博物館 】 の建物は、【 サン・テニャン館 Hotel de St Aignan 】 と呼ばれている建物です。
1650年にダヴォー伯のためにル・ミュエの設計で建てられた。 1680年にサン=テニャン公はコルベールの女婿で、フェヌロンと共にルイ14世の3人の孫の家庭教師として仕えた。 中庭の左側には、 『フィリップ・オーギュストの時代の古い城壁』 なのだそうです。 しかし、それをル・ミュエが作った似非窓で隠しているのだそうです。
今回は中には入れませんでしたが、いずれにしてもユダヤ芸術歴史博物館のあるタンプル通り71番地のあたりには、城壁が聳えていたのだと思えば、さらに興味深い散策となるのではないでしょうか。- 旅行時期
- 2014年10月
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このあたりにフィリップ・オーギュストの城壁がありました! La Tour Jean Sans Peur (2区)
投稿日 2014年11月23日
総合評価:4.0
今回の旅では、フィリップ・オーギュストの城壁跡散歩をしました。
ここ 【 ジャン・サン・プールの塔 La Tour Jean Sans Peur 】 あたりもフィリップ・オーギュストの城壁があった場所を辿るのにポイントになる建築物となります。
右岸のフィリップ・オーギュストの城壁は、セーヌ川沿いの
○ポン・デ・ザール あたりから
○~ルーヴル宮のクール・カレ(方形の中庭) あたり
○~オラトワール教会 あたり
○~パリ商品取引所(の建物の北西あたり)
○~ジャン・サン・プールの塔 ・・
のような線を辿り、(城壁が)さらに東へ聳えていました!
エチエンヌ・マルセル通り20番地に残るのが、上部に石落としのついた方形の塔、 【 ジャン・サン・プール(ジャン無畏王)の塔 】 。
オルレアン公ルイ暗殺のあとブルゴーニュ公ジャン無畏王が1408年にたてたもので、もとはブルゴーニュ館 Hotel de Bourgogne 。 このブルゴーニュ館の建物は、フィリップ・オーギュストの城壁(Enceinte de Philippe Auguste)とは背中合わせになって建っていたそうです。
時は、百年戦争時。 ブルゴーニュ派とアルマニャック派がフランスを二分し壮絶な戦いをくりひろげていた時期。 ブルゴーニュ館は、ブルゴーニュ公のパリにおける居館のひとつでした。
私は今回外部だけの見学になってしまいましたが、現在は中に入ることもでき、中世ブルゴーニュ建築を垣間見ることもできるようで、フィリップ・オーギュストの城壁の一部も中で見学できるようです。 しばしば中世に関する展覧会もされているようです。- 旅行時期
- 2014年10月
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このあたりにフィリップ・オーギュストの城壁がありました! Bourse de Commerce de Paris (1区)
投稿日 2014年11月23日
総合評価:3.0
今回の旅では、フィリップ・オーギュストの城壁跡散歩をしました。
ここ 【 パリ商品取引所 Bourse de Commerce de Paris 】 あたりもフィリップ・オーギュストの城壁があった場所を辿るのにポイントになる建築物となります。
右岸のフィリップ・オーギュストの城壁は、セーヌ川沿いの
○ポン・デ・ザール あたりから
○~ルーヴル宮のクール・カレ(方形の中庭) あたり
○~オラトワール教会 あたり
○~パリ商品取引所(の建物の北西あたり) ・・
のような線を辿り、(城壁が)さらに東へ聳えていました!
【 パリ商品取引所 】 は丸い形をした建築物ですが、ルーヴル通りから見て左側の側面のライン(建物の北西部分のライン)がフィリップ・オーギュストの城壁の聳えていたラインに近いです。- 旅行時期
- 2014年10月
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シテ島にあった今はなき教会から移された13世紀のポルタイユ や 15世紀に初めて大がかりな外科手術が行われたというパリ唯一の中世の納骨回廊 がある Eglise Saint-Severin (5区)
投稿日 2014年11月12日
総合評価:4.5
サン・セヴラン教会 Eglise Saint-Severin は、飲食店なども多いカルチエ・ラタン地区の賑やかな界隈の一角に建つ教会です。
フランク王クロヴィスの孫クロドアルドに僧衣を着せたのが、6世紀にこの辺りに住んでいた セヴラン Saint Severin de Paris という名の隠者だったそうです。 11世紀末には、サン・セヴランは左岸全体の教区教会として使われていたようです。 身廊や内陣、周歩廊などは14,15世紀の建築。 内陣にある螺旋状にのびるリブが印象的な明るい教会です。
この教会の中央のポルタイユ(門)は、1839年、シテ島に アルコル通り Rue d'Arcole が開通するのに伴って取り壊しになった ” サン・ピエール・オー・ブッフ教会 Eglise Saint-Pierre-aux-Boeufs ” から移されたもので、13世紀のものだそうです。
また、この教会の修復されて残っている回廊の一部は、中世のものとしてはパリに残る唯一の回廊 <シャルニエ Charniers> なのだそうで、初めて大がかりな外科手術 <初めての結石手術> が行われる舞台となったところでもあるそうです。
また、こちらの教会も画家ユトリロによって描かれています。- 旅行時期
- 2014年10月