2025/05/08 - 2025/05/12
255位(同エリア1303件中)
マリアンヌさん
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この旅行記のスケジュール
2025/05/08
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安土駅から徒歩で
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安土から近江八幡に移動。散策ツアーに参加
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旧吉田悦蔵邸(特別公開)
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旧ミッションタブルハウス
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近江八幡駅から大津駅へ
2025/05/09
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京阪電車で錦駅から石山寺へ
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京阪電車で石山寺から三井寺へ
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京阪電車で三井寺駅から錦駅、ホテルシャトルバスで大津駅へ駅から徒歩で
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この旅行記スケジュールを元に
ヴォリーズ建築にかねてから興味を持っていまして、軽井沢や京都でその建築にも触れ聖地の近江八幡に行ってみたいと思っていました。
ネットで特別公開のお宅なども見せていただけるツアーに応募して当選しましたので、初めての滋賀訪問となりました。
飛鳥時代から京都に近い歴史ある大津に移動し、石山寺や三井寺も訪れました。歴史&建築ファンには滋賀県はとても魅力的なところだなと感じました。
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まずは、新幹線で東京発7:33米原着9:47。琵琶湖線で安土へ。
初めての滋賀訪問、車窓から長閑な景色が望めた。
以前から興味を持っていたヴォリーズ建築を見学するためにやって来た。 -
まずは、安土から徒歩7分ほどで旧伊庭邸住宅へ。
伊庭家とは…
伊庭貞剛(1847-1926)滋賀県蒲生郡に生まれ、司法省司法検事などを歴任後、住友家に入社、別子銅山煙害問題解決に心血を注いだ。
その後、住友家第二代総理事に就任し、数々の業績を残した。
伊庭慎吉(1885-1975) 伊庭貞剛の四男として生まれ、絵画の勉強に渡仏、帰国後、八幡商業学校の美術教師として勤務。
結婚後、沙沙神社の神主に就き、大正2年に伊庭邸の完成後、移り住んだ。
その後、2期に渡り、安土村長に就任し、安土駅新設誘致に尽力した。
一方、画家、歌人、俳人など芸術家と親交があり、邸宅が友人のアトリエとなったこともあったそう。旧伊庭家住宅 名所・史跡
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大正2年、建築家ヴォーリズ氏の設計による洋風の木造住宅で当時としては異色の建築物。建物は、主体部と玄関からなり、主体部の外観はハーフティンパーと呼ほれる化粧梁で細分化された意匠の外壁に、傾斜の強い天然石スレート葺きの切妻屋根を乗せて煙突を備えた、英国の伝統的な様式を一部に伝える洋風建築と、入母屋造りで妻入桟瓦茸さの和風玄関とで構成されている。
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実は伊庭邸が伊庭貞剛由来とは、来てみてから知ったのだが、住友系列に勤務していたので、住友の歴史に出てきた方だと思い出した。
上:ご夫婦の部屋だったよう。階段下を利用したクローゼットがある。
中:廊下は、数寄屋風に網代天井になっている。 -
気持ち良い光が注ぐ和室。
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100年前の暖炉を備えた洋室。
八角形のテーブルが洒落ている。 -
暖炉のタイルは、ヴィクトリアン風かな。
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灯りもいい感じ。
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ガラス戸を開けると…
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サンルームのような明るい洋室。
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ヴォーリズらしい階段で、緩やかな傾斜、手に優しい手すりなど居住者に寄り添っている。
2階の慎吉のアトリエ。 -
大きな暖炉があり、隣には和室。
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2階の洋室3部屋のひとつ。
3階へは立入禁止だった。 -
壁紙の装飾や床材。泰山タイルが楽しい。
地域の方の尽力か良く保存されていた。感謝です。 -
安土といえば信長の安土城、残っていたらさぞ素晴らしかったでしょうね。
駅前には資料館があった。
次は琵琶湖線で近江八幡へ。 -
今回、まいまいツアーという説明会にネット予約、集合時間まで少しある。
旧パーミリー邸へ。
1924(大正13)元近江ミッションに参加していたパーミリー女史、その後、ヴォーリズ建築事務所の柿元氏の住宅として使用され、2021年Cafe&Barとして蘇った。
実は集合時間まで55分、Google mapによると往復徒歩54分、私の足なら行けると決行。Cafeは休みの日だったし、外観だけでも写真を撮りたいと殆ど駆け足(笑)
無事に集合10分前に到着。 -
ヴォーリズ建築めぐりのまいまいツアーにネット予約してきた。幸運にも今回は8人で少人数、ガイドの方から詳細に説明いただいた。
バスを下車し、まずは八幡小学校。
大正時代に田中松三郎氏の設計で建てられた校舎を最近オリジナルの意匠を残しながら改築したもののよう。現存しないかつての講堂はヴォーリズ建築だったそう。 -
池田町洋風住宅界隈へ。
土台は正規品、その上に規格外煉瓦を積み上げたそう。
大津市衣川にあった中川煉瓦製造所の支社工場裏手に放棄されていた焼き過ぎの不良煉瓦を利用したと考えられているとのこと。1911年、そこを通りかかったヴォーリズ、悦蔵らがその煉瓦の硬さを気に入って利用したと記した文章が残っているそう。 -
吉田悦蔵邸へ。
今回の目玉で特別公開の在住のお宅を拝見。
お住まいの吉田家のお嬢様自らガイドしていただいた。
邸内1階は撮影可だが、SNS公開不可。2階もご案内いただいたが、撮影不可。
パンフレットより。
「ウイリアム・メレル・ヴォーリズWilliam Merrell Vories I880-1964
米国人ヴォーリズはキリスト教伝道のため、YMCA派遣英語教師として単身来日し、近江八幡の商業高校で英語を教えながら、放課後に聖書研究会を開きました。
しかし、来日2年目で伝道の影響力が強すぎることを理由に教師を解雇されました。無収入になっても伝道を続ける決意をし、近江を神の国にするというビジョンを達
成するため、伝道団体「近江ミッション (現近江兄弟社)」を組繊化しました。
その傍ら、建築設計を業としたヴォーリズは、1910 (明治43)年に建築事務所を設立。建築材料、家庭薬メンソレータム、鍵盤楽器などの輸入販売事業、出版事業、結核療養所、幼稚園、学校などを運営し、400名近い団体に育てました。
彼は信仰への情熱と、幾つもの特別な才能によりたくさんの事業を成し遂げましたが、そこには彼と歩むことをきめた協働者たち、そして、彼らに無償の協力をした人々の存在がありました。
1964 (昭和39) 年5月7日、82歳で永眠しました。
吉田 悦蔵 1890-I942 Yoshida Etsuzo
悦蔵はヴォーリズが近江入幡の商業学校に英語教師として着任した時の生徒であり、ヴォーリズ合名会社の創立メンバーでもありました。近江兄弟社設立に貢献するなど、ヴォーリズの片腕として生遅を支えました。」 -
パンフレットより。
「吉田悦蔵邸 YOSHIDA ETSUZO
吉田悦蔵邸は、1913(大正2) 年に近江ミッションが手にした1,000坪の広大な敷地内で、、吉田悦蔵の住居としてウォーターハウス邸 (1913年築)、ヴォーリズ邸 (1914年築)ダブルハウス (1921年築) と共に、ヴォーリズ合名会社の設計により建設されました。
ヴォーリズ建築最初期の住宅建築で、建設から30年に渡って住居としてだけでなく、家政塾、ゲストハウス、モデルハウスなどの役割も果たしました。以降も吉田家の
住まいとして4代目に渡って守り継がれています。
本館建物は木造3階建ての腰折れ屋根のダッチコローアル様式であり、内部はアメリカのスタイルを取り入れた衛生的かつ合理的な設計で作られています。洋館に和室を組
込み、米国製建具と金具を多用するなどヴォーリズ建築の特色がよく出ています。
本館。茶室。レンガ塀、家具23点、図面4点が滋賀県指定有形文化財、離れ茶室は国登録有形文化財に登録されています。」 -
こちらは、まいまいツアーのネット写真から。
上:暖炉のあるリビングルーム。手前側に増築したサンルームがある。
中:ペパーミントグリーンが可愛いダイニングルーム。
下:エントランスの内側、アーチが美しいガラス。
高齢者に優しい緩やかな階段、西部劇の酒場のドアのような双方向に手ぶらで出入り出来る蝶番が使われいたり、多くの収納などとても機能的に設計されているそう。
2階のアイボリー色のサンルームは、寝室に使用されているそうで光が溢れ、夢のような素敵な部屋だった。 -
パンフレットより。
邸内には建築当初から昭和初期までに備えられた家具がよく揃っている。これらの家具はヴォーリズの設計思想を反映した意匠と機能を有しており、大正から昭和初期における家具資料として価値が高いとされ、23点が滋賀県指定有形文化財に指定されているそう。 -
パンフレットより。
上:暖炉内部の煉瓦。内部の耐火煉瓦は様々な製造所のものが使われ、当時事務所にあったサンプルを利用したもの。
中:タイル。床には泰山タイルが多く敷かれている。可愛い鳥のタイル。
下:輸入家具とドアノブ。扉と木製窓は、イリノイ州から輸入された建具だと考えられ、1913年(大正2)当初の金属のドアノブなどの建築金具は米国Sargent社のもの。
クリスタルのドアノブは1930年(昭和5)増築時のものでヴォーリズ建築事務所が頻繁に用いた。 -
購入したポストカード。
前庭にて吉田悦蔵家族。1918
パンフレットより。
「渡り廊下で繋がる1階の茶室は、 禮八幡から移築された
江戸中期の建物で、 全体的に数寄屋風の意匠です。 建材の一部には、 舟板の再利用がされています。
この茶室が日牟禮八幡宮にあった江戸末期には「頼三樹三郎(江戸時代末期 (幕末) の儒学者。頼山陽の三男。)が追手を避けて隠れ住んだことがある」 という言い伝えがあり、柱のひとつには刀傷が見受けられます。」
1階の和室は、皇室の宮様が近江にいらした折、宿泊されたそう。
川越の旧山崎家別邸もそうだったが、地方にはホテルのような宿泊所がなく素封家を利用されたのね。 -
購入したポストカード。
手前が吉田邸、隣がウォーターハウス邸、その隣に現存しないヴォーリズ邸。 -
次にお隣のウォーターハウス邸へ。1913年(大正2)
ウォーターハウス記念館(国登録有形文化財)
ウオーターハウスは早稲田大学の講師として来日。
ヴォーリズに共鳴した彼は、一時帰国し神学校で学び夫婦で再び日本に戻り近江ミッションに加入した。鉄道などが整備されていない当時、彼は、湖畔伝道船 (ガリラヤ丸)の船長としても活躍し、各地域で布教活動に力を注いだ。
2013年に築100年を迎えたウォーターハウス記念館は、アメリカの伝統的な建築様式である「コロニアルスタイル」で建てられており、3階建て11室、暖炉が5箇所、煙突が2箇所備えられている。ウォーターハウス記念館 名所・史跡
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HPより。
「建築後約100年が経過し傷みが目立ってきていた2008年6月に、公益財団法人近江兄弟社により全面修復が行われ、国登録有形文化財にも登録されました。2023年、宿泊施設等への利活用を通し、建物の維持保全をはかる取り組みがスタートしました。」
一棟ご利用料金(7名様まで・素泊まり)132,000円(税込)とのこと。
https://waterhouse-kinenkan.com/ -
素敵なエントランス。
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HPより。
「ウォーターハウスは、ヴォーリズに出会い、その人格と働きに共鳴し、近江ミッションの活動に協力しました。
ウォーターハウス記念館の周辺に、1913(大正2)年に吉田邸とウォーターハウス邸、 翌1914(大正3)年にヴォーリズ邸、1921(大正10)年には旧近江ミッションダブルハウスが建てられ、そしてこれらの住宅に囲まれるようにテニスコートが設けられ、近江八幡市池田町に広大な洋館街を形成しました。現在、ヴォーリズ邸は取り壊され吉田邸とウォーターハウス邸、旧近江ミッションダブルハウス、旧近江八幡家政塾舎のみが残っています。」 -
当時の模型。
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居心地が良いリビングルーム。
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ガラス窓が大きく光溢れるサンルーム。
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2階のリビングルーム。
2階中央にあり、各部屋に通じるドアが設置してあり、移動のための動線を最小限にすることで、家族間のコミュニケーションをとりやすいという配慮がなされている。 -
明るい寝室。
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その他の寝室。
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1階リビング中央には、部屋を2つに分ける折れ戸を設置。
日本の屏風からヒントを得たよう。 -
上:石橋邸。女性カルチャースクールの原型ともいえる旧近江家政塾。
下:ダブルハウス
<近江ミッション婦人部と近江家政塾>
ウォーターハウス夫人のベッシイは来幡して間もなく、近在の婦人達を招いて西洋料理講習会を開き、近江八幡における婦人教育活動を率先して始めていた。ヴォーリズの第一の部下である、吉田悦蔵は、水戸で宣教師ビンフォードに師事していた渡辺清野を大正5年に妻として迎え入る。彼女は、ウォーターハウス夫人を補佐し、その教育活動を拡大していった。
そしてこの西洋料理講習会は、大正4 (1915) 年の記録によると、毎月 2回実施に拡張され、参加者は 15~16名にのぼっていった。この会は「マナ会」 と称され、会長を務めたベッシイーウォーターハウス夫人を中心にヴォーリズの母ジュリアも指導役に加わり、吉田悦蔵の母、柳子がまとめ役を果したといわれる。
その後、大正7年のウォーターハウス夫妻の帰米という事態を迎えたが、それ以降も「マナ会」 は吉田清野が中心となり盛り上げていくことになる。
清野は大正11年に単身渡米して、西洋料理法の研究を深め、大正1 3年に自邸内に「マナ会」を移して、西洋料理教室の体制をさらに整えた。、 西洋料理教室は清野の尽力により発展し、昭和8年 (1932) に關講科目を充実させて「近江家政塾」が設立され、近江ミッションの新たな事業部門として位置づけられるに至った。
そして昭和11年 (1936) には池田町の吉田邸に隣接して住宅風の近江家政塾本館 (現石橋邸) が建てられ、地元の婦人を対象とした、家政学を主とする婦人教育事業が本格化してゆく。
施設と機構を整え、新たな講師陣を加えての近江家政塾の出発であったが、第二次世界大戦などにより昭和 17年に閉じている。近江家政塾に学んだ生徒は主として女学校を卒業した人達で、新しい生活を積極的に学び摂取しようとした婦人達であったといわれ、必ずしも当時の八幡の町に広く普及したものではないが、洋風化による生活の向上を目指したもうひとつの「モデル」がここに実現していたとされている。 -
旧ミッションダブルハウス。1921年(大正10)
在住なので外観だけ。
建築当時は、近江ミッションレジデンとして使われていたとのこと。
お洒落な洋風長屋的な感じ、在住の方も住みやすいとおっしゃているそう。 -
コロニアルスタイルの2世帯住宅。
2個の住宅がレンガ積みの壁を挟んで対象形の間取りを有し各々の玄関ポーチ及び居間を南庭に向けて配置されている。
居間と食堂の仕切りは大きな折戸で、たたむと広間になる。
2階の寝室を境に浴室が設けられ、相互利用できるようになっている。 -
旧市街を散策しながら移動。
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和建築の間に教会が見えてきた。
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日本基督教団 近江八幡教会。ヴォーリズ建築ではないけれど…
Googleマップのローカルガイドによると
「創建は1901年で、当初は八幡組合教会という名称であった。元来仏教勢力の強い地域であった事から、布教は困難を極めた。転機となったのは、明治38年にヴォーリズが来幡してから」とのこと。 -
アーチの回廊が美しい。
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アンドリュース記念館(個登録有形文化財)
ハーバートアンドリュースはヴォーリズの大学時代の友人。
アンドリュースは、ヴォーリズに導かれてキリスト教信者となったが、その後、若くして召天した。遺族より贈られた資金を基に、ヴォーリズ自身も貯蓄金の全てを捧げ、自らが設計し、1907年に竣工したヴォーリズ設計第一号の建築物。
1Fの書斎と曖炉のある小部屋は「祈りの部屋」と呼ばれ、当時のままの姿が保存されているそう。
特別公開もあるそうで次回かな。アンドリュース記念館 名所・史跡
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近江八幡教会牧師館(旧近江兄弟地塩寮)
かつての近江兄弟社の独身青年社員寮。地塩寮の名は、「あなたがたは、地の塩である」という聖書の言葉に由来しているそう。
現在は道路向かいの近江八幡教会の牧師館として使用されている。
教会のHPより。
「1930年(昭和5年)頃に既に蒲生郡八幡町為心町に古い日本家屋の地塩寮が既にありましたが、 1940年(昭和15年)6月1日に日本家屋風として、ヴォーリズ建築事務所の西井一郎氏が設計を担当して新しく建てられました。
1974年(昭和49年)12月24日株式会社近江兄弟社は、創立者ウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏が病に臥してから、業績や様々な社内の問題が浮上して、経営が困難になり、「会社整理法」の適用申請を出し倒産しました。財産の建築物の処分の一端として、民間の「あわ八」様に売却されました。
当時、八幡福音教会の中村清義牧師、孝子夫人の親友であったイギリス人のミス・ユニース・クラークという宣教師が八幡に滞在中に生活をされていました。クラーク先生はその間、近江兄弟社中学校の英語の教師として約8年間活躍されていました。
その後1984年(昭和59年)近江兄弟社と関係の深かった、日本キリスト教団近江八幡教会が地塩寮を取得されました。その翌年に改築をされて現在の姿になりました。」 -
旧八幡郵便局。
大正期のヴォーリズ建築のひとつ。
土日は、NPO法人によりカフェが運営されている。旧八幡郵便局 名所・史跡
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本日は残念ながら公開日ではないので、外観のみ。
郵便マークの瓦が可愛かった。 -
近江商人の豪華な居宅。
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ヴォーリズ記念館 (県指定文化財)
近江兄弟社の創立者であり、近江八幡市の名誉市民第一号であるウイリアム・メレル・ヴォーリズ(ー柳(ひとつやなぎ)米衆留(めれる))が満喜子夫人と共に過でした住居をヴォーリズ記念館として運営している。この建物は、昭和6年に建築されたもので、ヴォーリズの日常生活に関する数々の遺品や資料が保管展示されている。 -
こちらも開館時間が設定されているので次回かな。
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ハイド記念館 教育会館(ヴォーリズ学園内)(国登録有形文化財)1931年 (昭和6)
ヴォーリズに共感したハイド家(メンソレータム社の創始者)の多額の寄付により建てられたもの。
2003年3月まで幼稚園舎として使われていた。現在は、創立替ゆかりの品や絵画、バネルなどが展示されている。ハイド記念館 教育会館 名所・史跡
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下駄箱は園児の手の届く高さで、傘が入り濡れないよう金属製など機能的に作られていた。
<ヴォーリズとハイドの出会い>
吉田悦蔵が、1913年(大正2)外遊先のアメリカでYMCAや海外伝道学生奉仕団の熱心な支援者であり、「メンソレータム」の発明者A・A・ハイドと不思議な導きにより面会し、ヴォーリズとのハイドの出会いのきっかけを作ったそう。 -
暖炉の前に幼児の成長に合わせた籐椅子。2階には籐ベッド。
園児たちの健康を最優先に考えた充実した保健室が設置された。
大人の扱う薬品などは、園児の手が届かない高い位置の棚に保管できるようになっている。 -
ウイリアム・メレル・ヴォーリズは、1880 年にアメリカ合衆国カンザス州に生まれ、日本で数多くの西洋建築を手懸けた建築家。彼は、明治 38 年 (1905) 英語教師として来日。その後建築設計監督事務所を設立し、学校、教会、病院、住宅など、様々な種類の建物を設計した。
ヴォーリズの設計した建物は、建物を造るのではなく、人のいる場所を作るという理念のもとに建てられており、現在その価値が高く評価されつつある。
そして、その土地に根ざした建築であるとともにデザイン面でも優れていることも人々を引きつける理由となっている。
また、ヴォリーズは1919年(大正8)小野藩主で一柳末徳子爵の3女満喜子と結婚した。出会いは、満喜子の兄恵三が廣岡家に養子入りし、東京の洋館や神戸の本邸の設計をヴォリーズに依頼したことに始まる。妹である満喜子も廣岡家(大同生命の広岡浅子の廣岡家)に身を寄せており、通訳をしたことで親交を深め、結婚に至ったそう。
満喜子は、神戸女学院卒業後、9年間の海外生活を通じて近代女性に相応しい主体的な生き方と思想を学んだ。
1920年(大正9)八幡町池田町のプレイグランドの園長となり、1922年(大正11)清友会幼稚園を開設した。 -
<ハイド夫妻について>
ハイド氏は、家庭保健薬として知られる"メンソレータム"の発明者。ヴォーリズの活動に共鳴して日本での販売権を与え、後の近江兄弟社の事業を支える大きな柱となった(現在は「近江兄弟社メンターム」の名称で順調に事業が続けられている)ヴオーリズとは非常に深い親交があり、終生ヴォーリズの強力な後援者であつた。
ハイド氏は最後の望みとして、自分に与えられた財産を全部神に捧げて死にたいと語ったそう。 -
ヴォーリズ建築の写真が展示されていた。
下が展示されていた写真で、上はネットから。
佐藤邸・現在の前田邸。1931年。
ヴォーリズ建築事務所の技師、大丸心斎橋店の設計を担当した佐藤久勝の自邸。
スパニッシュスタイルの個性的デザイン。吉田邸とともに近江八幡で最も美しいヴォーリズ建築。 -
同志社大学アーモスト館。重要文化財。1932年
新島襄が学んだアーモスト大学にちなんで建てられた学生寮。ヴォーリズは館内に来客用としてタバコの灰皿が置いてあるのを見ただけで極めて不快な顔を見せたという。 -
関西学院大学 西宮上ケ原キャンパス。1929年
時計台を持つ図書館、校舎、講堂などがスパニッシュ・ミッション・スタイルによって統一されている。米国の大学のキャンパスを範としたキャンパスは、昭和初期のヴォーリズ建築を特徴づけたものであり、ヴォーリズの代表作である。
神戸女学院 西宮岡田山 1934年
神戸女学院はヴォーリズの妻、満喜子の母校。
関西学院大学の竣工直後から計画され5年後に完成する。
阪神淡路大震災により一部の校舎が解体され、新築されている。
ヴォーリズがアメリカから持ち帰った日本で初めての2台のオルガンのうち、1台は現在も神戸女学院礼拝堂で使用されている。 -
ネットから現在の写真。上から同志社大学、関西学院大学、神戸女学院。
公開機会があるところもあるようで、拝見してみたい。 -
ハイド記念館に展示されていた神戸女学院の写真。
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神戸ユニオン教会。神戸市中央区生田町 1929年
ゴシック様式の会堂建築の代表的なもの。 -
主婦の友社 千代田区神田駿河台 1925年
関東大震災復興期の耐震耐火建築のさきがけ的建築。
現在の建物は当時の外壁のデザインを活かして再建されたもの。中にはヴォーリズホールが設けられている。
大丸百貨店心斎橋店 大阪市中央区心斎橋筋 1922~1933年
現在の建物の主要部は4期に分けて建築されている。
ファサードの中央に大丸のシンボルである孔雀をモチーフにしたアーチを冠した玄関を設けている。この建築の最大の持ち味のひとつに店内随所に散りばめられた電飾がある。 -
ネットから現在の写真。上から神戸ユニオン教会(現在は老舗ベーカリーフロインドリーブが買い取り、改装してカフェとして活用)
続いて、大丸百貨店心斎橋店、主婦の友社。
主婦の友社は大学の向かいにあった。山の上ホテルも隣接していた。
山の上ホテルを訪れた編。
https://4travel.jp/travelogue/11883844 -
軽井沢診療所(マンロー病院)1925年
近江ミッション軽井沢事務所 1912年 -
上記の建物は現存しないけれど、軽井沢集会堂や片岡山荘を見ることができる。
睡鳩荘(すいきゅうそう)[旧朝吹山荘]を訪れた編。
https://4travel.jp/travelogue/11847686 -
ハイド記念館に展示されていたピアソン記念館の写真 北海道北見市 1914年
他に、京都で駒井家住宅やカフェGOSPELを訪れた編。
https://4travel.jp/travelogue/11867549 -
ハイド教育会館。1931年(昭和6)
ハイド記念館の満喜子夫人が園長を努めた幼稚園。
教育会館は、礼拝堂として使われていたが、現在は小学校の教育活動などに使われている。 -
内部はこんな感じ。
上は、後部の座席でヴォーリズの奏でたハモンドオルガンがあった。
下は、講壇側。
ここでまいまいツアーは終了。普段は非公開の邸宅など、ガイドいただき満足しました。参加料は7500円ほどだったかと。 -
実はキャリーバックが入る大きさのコインロッカーが改札付近になく、観光案内所の中に預けて来たのだが、17時までに引取とのこと。
この時点であと40分、速攻でちょこっと観光。 -
緑美しい八幡堀へ。
八幡堀 名所・史跡
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観光HPより。
「八幡堀は、安土・桃山時代に豊臣秀次の八幡山城居城のもと、城下町が栄える基礎となった町の一大動脈です。近江商人の発祥と発展、また町の繁栄に大きな役割を果たし賑わいを見せたといいます。
昭和初期までは、常に町の人々の経済・流通路でしたが、戦後は陸上交通の発展によって不要となった八幡堀は廃れ、ドブ川となり、埋め立ての予定もありました。
しかしながら、地元の青年たちの保存再生運動により当時の美しさを取り戻しました。堀に沿って、白壁の土蔵や旧家が立ち並びる風景は、時代劇等のロケ地としても知られています。」 -
白壁の瓦ミュージアムなどもあるよう。
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時間に余裕があればのんびりそぞろ歩きに良いと思う。
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水郷巡りの舟も出ているようだった。
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白雲橋に上がってきた。さぁ急いで帰らないと!
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八幡商業高校。
ヴォーリズが英語教師として赴任した学校。(当時は滋賀県立商業学校)数多くの近江商人を輩出した学校としても知られている。
白雲館(旧八幡東小学校)
ネットのローカルガイドによると
「明治10年(1877年)に建てられた洋風木造建築で、近江八幡のランドマーク的な存在。現在は観光案内所として使われているそう。」 -
タイムリーなバスもなく、とにかく観光案内が閉まる前にとGoogleマップを見ながら徒歩35分の経路を猛ダッシュ。何とか間に合った。
そして琵琶湖線で大津へ。 -
マップで検索するとホテル周辺に飲食店があまりないので、駅ビルで軽く夕食をいただいた。
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そしてシャトルバスで琵琶湖大津プリンスホテルへ。
びわ湖大津プリンスホテル 宿・ホテル
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お部屋はこんな感じ。
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夕陽が見れるかなと思ったのだけど、昼間は晴天だったけど夕刻に曇ってきちゃったみたい、残念。
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初滋賀だけに琵琶湖を見ようとこのホテルを予約したのだけど。
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まぁ夜景になれば、お天気は関係ないか…
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マジックアワーの琵琶湖。
翌日は大津周辺観光します。 -
明けて翌日、朝食バイキングは和洋色々とあって、つい取り過ぎちゃいますよね。
残念ながら曇天。 -
徒歩で京阪電車の錦駅へ。
途中、立派な地蔵尊を見かけた。 -
石山寺駅で下車、徒歩で石山寺へ。
紫式部にも因んだお寺ということで行ってみようかなと。石山寺 寺・神社・教会
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パンフレットより。
「石山寺は、 清流瀬田川のほとり 伽藍山 (標高239m)にあり、 奈良時代から観音の聖地でありました。緣起によれば 石山寺は天平19年(747) 聖武天皇の勅願で良弁僧正が創建とされています。現在 本堂に安置されている御本尊如意輪観音菩薩(重文)は 日本唯一の勅封秘仏といわれ、 御開扉は33年に一度。 安産、福德、縁結びなどに霊験あらたかな仏さまとして信仰を集めています。」 -
「平安時代には貴族たちの間で石山詣が盛んになり 紫式部は参籠の折に 「源氏物語」の着想を得たと言われています。 他にも 「枕草子「蜻蛉日記「更科日記」などの文学作品に登場するなど、 石山寺は平安王朝文学の開花の舞台となりました。 また学問の寺として絵画・聖教・典籍な数多 くの歴史的なを有します。」
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良弁は、「国分寺」(聖武天皇の命で諸国に造営された寺)の建立や「東大寺」の初代別当などを務めた高僧。
聖武天皇は、東大寺の大仏建立に必要な黄金が不足しているため、産出を祈願するよう良弁に命じた。はじめは別の場所で祈願していた良弁でしたが、蔵王権現の夢告を受けたため、石山の地へ移動。 -
聖武天皇から預かった「厩戸王」(うまやどおう:聖徳太子)の念持仏を祀って祈願すると、陸奥国で黄金が産出されたのだそう。ところが、祈禱が終わり念持仏を移動させようとすると、仏像がどうしても岩から離れなくなったため、その場に草庵を建ててお祀りし寺院としたのが、石山寺の創建とされているそう。
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さっそく階段で上へ。
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多宝塔が見えてきた。
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毘沙門堂。
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蓮如堂。
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石山寺御影堂。
本堂の東、鐘桜の下にあるこの御影堂は、室町時代の建立。
内部の須弥壇には、弘法大師、良弁、淳祐の遺影(御影)を安置しているそう。 -
本堂。
滋賀県最古の木造建築物とされており、承暦2年(1078) の大火で焼失したが、内陣 (正掌)は永長元年 (1096) に再建され、外陣 (礼堂)は慶長7年 (1602) 淀殿の寄進により増築された。 -
近江八景「石山の秋月」としても名高い寺院で、全国でも類を見ない巨大な硅灰石(天然記念物)の上に建てられているそう。
紫式部もいましたよ。 -
ここから望む本堂がいい雰囲気。
-
経堂が、校倉造だった。
-
多宝塔。
源頼朝の寄進により建立されたと伝えられているそう。 -
光堂。
平成20年 (2008)、石山を発祥の地とする東レ株式会社によって寄進された堂宇。鎌倉時代に存在したという「光堂」を復興したもので、本堂と同じ懸造となっており、阿弥陀如来を本尊としているそう。
紫式部像もあった。 -
光堂の三尊特別公開がされていた。
内部は写真不可で、写真はパンフレットより。
紫式部展も開催中だった。
同様に撮影不可だったが、石山寺に伝来する源氏絵や経典が展示されていた。 -
天智天皇の石切場。
本堂正面のすぐ下方にある石切り場跡には、天然記念物「硅灰石」が道沿いに露出しており、15か所の採石痕がある。近年、ここから切り出された石が、天智天皇の時代に飛鳥の川原寺中金堂の礎石に使用されていることが明らかとなったそう。 -
5/19青鬼まつりの準備なのか青鬼が飾られていた。
なんかよくわからないゆるキャラも飾られていた。 -
ちょっとカフェでひと休み。
-
石山寺駅付近で「住友活機園」看板を見かけ、入れるわけではないが、行ってみた。
伊庭貞剛の隠居別荘だったとのこと。
住友連系会社勤務時代、厚生施設として入れたことがあったような気がする。 -
可愛い京阪電車の車両、中に舞妓さんを起用したポスターが。
石山寺駅から三井寺駅へ。 -
琵琶湖疏水。
昨年秋、京都でそぞろ歩きしたっけ。琵琶湖疏水 名所・史跡
-
パンフレットより。
「園城寺三井寺。
園城寺(三井寺)は、 天台寺門宗の総本山で 古くから日本四箇大寺のの に数えられて います。
その歴史をひもとくと 天智・弘文 ・天武天皇の勅願により 弘文天皇の皇子 大友与多王が田園城邑を投じて建立され、 天武天皇より 「園城 (おんじょうの勅勅額を賜わり、 「長等山園城寺と称したのにはじまります 。俗にに三井寺と呼ばれるのは、 天智 ・天武・ 持統天皇の産湯に用いられた霊泉があり、「御井(みい)の寺」と呼ばれていたものを、後に智証大師が 当寺の厳儀・三部潅頂の法水に用いられたことに由来します。
長い歴史の上で、 当寺は再三の兵火にあい焼失しましたが 豊臣氏や徳川氏の尽力で再興され現在も国宝 重要文化財 名園など貴重な寺宝を数多く伝えています。」三井寺(園城寺) 寺・神社・教会
-
西国十四番札所観音堂。
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観月舞台。琵琶湖が望めた。
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観音堂でお参り。
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上は、十一面観世音菩薩。微妙寺にあるようだが、見れず寺前の看板から。
下は衆宝観音。 -
国宝の金堂。豊臣秀吉の正室、北政所により再建されたそう。
内部には沢山の貴重な仏像が安置されていた。
堂前灯籠が中央に鎮座。
天智天皇が大化の改新で蘇我一族を誅殺し、その罪消滅のため、天智天皇自ら左薬指を切り、この灯籠の台座の下に納めたと伝えられているそう。 -
千手観音と二十八部衆という特別公開がされていた。
写真はHPから。 -
三井の晩鐘、鐘楼。
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一切経蔵。毛利輝元により山口県国清寺より移築、寄進されたそう。
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三重塔。徳川家康が三井寺に寄進したそう。
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灯籠が美しい参道と思ったら・・・
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唐門。開祖智証大師の廟所。
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釈迦堂。
堂前の看板から。
大友皇子(弘文天皇)
近江大津京に遷都はれた天智天皇の皇子・大友皇子は、672年
壬申の乱により大海人皇子(後の天武天皇)に破れた悲劇の皇子と言われています。
三井寺は大友皇子の意志を継いだ与太麻呂によって686年天智、弘文、天武、持統の歴代天皇の勅願により、創建されたことから御位牌を奉安しています。 -
仁王門。徳川家康により甲賀の常楽寺より移築、寄進されたそう。
三井寺参拝を終え、京阪電車で錦駅へ戻り、琵琶湖大津プリンスホテルへ戻り、預けた荷物を受け取りシャトルバスで大津駅へ。 -
実は大津2泊目は、別の宿に宿泊。
徒歩で向かった。
日本基督教団大津教会。こちらもヴォリーズ建築。 -
少し時間があったのでカフェでひと休み。
古民家リノベーションした雰囲気の良いカフェ、プリンも美味しかった。
<カフェ ゴジュウカラ> -
小雨が降ってきて、お宿に移動。
東海道が通る街並みは雰囲気がある。 -
今夜のお宿、HOTEL講 茶屋。
https://hotel-koo.com/HOTEL 講 大津百町 宿・ホテル
-
せっかくなので16時からの商店街ツアーを申し込んだ。
この日は私一人だっので、マンツーマンで歴史の話など盛り上がり、とても楽しい時間だった。 -
路地奥の器のギャラリー兼飲食店へご案内いだいた。
ガイドの方がマスターと懇意なようで、町家の中を拝見させていただいた。戸にも細やかな意匠が。 -
北欧家具のテーブルやアメリカンヴィンテージの椅子などマスターのセンスが光る内装だった。
大津再訪の折は、是非お邪魔したいと思った。 -
貸家だそうで、軒先には、ちまきが付けられていた。
緑の路地がいい感じだった。 -
ヴィンテージ着物やさん。着物好きとしては、着てみたくなる。
大津城は埋められたので、東海道から琵琶湖に向かい、土地が低くなっていく。 -
大津祭りは、祇園祭に似たもので13基の曳山それぞれに、からくり人形が乗っているそう。
老舗の漬物屋さんにも案内いただき、思わす購入。 -
お宿のウェルカムドルチェを頂き、改めてチェックイン。
商店街ツアーが話が弾んで一時間半位になり、すぐに予約したレストランに向かった。 -
古民家リノベーションの素敵な内装。
せっかく近江に来たので、近江牛をいただいた。
200gで食べごたえ十分でした。
<肉とワイン Jinen>
https://jinen.shop/肉とワイン Jinen グルメ・レストラン
-
徒歩で宿に戻り、宿泊棟へ。建物へは、暗証番号で入りフリードリンクスペースがある。私の部屋は1階だったが、2階にも部屋があった。
-
お風呂も気持ち良さそう。
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お庭が望めるリビング。癒しの空間、ちょっぴり奮発。
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安土で二度も猛ダッシュしたし、1日2万歩、2日で4万歩なのでゆっくり休みましょ。神戸・京都に続きます。
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この旅行記へのコメント (5)
-
- mistralさん 2025/05/17 21:12:05
- 滋賀の旅、良いですよね。
- マリアンヌさん
こんばんは。
すっかりご無沙汰です。
と思っていましたら滋賀へのご旅行をされたんですね。
滋賀へは初めての旅だったとか。
行ってみると見どころは数多くあるのに、皆さん滋賀へはいらっしゃらないですね。
それでもいらっしゃってみると、はまったんではないかしら?
ボリュームのある内容ですのに、一編の旅行記に纏められてしまい読みでがありました。
近江八幡でのヴォーリス建築物巡りはツアーに参加されたそうで
羨ましいガイドさんによる解説付き、
石山寺、三井寺から大津のHotel講さんまで
私でしたら講にたどり着くまでに3編ぐらいになってしまいそうでした。
宿泊された「茶屋」さんは私も初回に同じところに、なんとお部屋も一緒でした。
商店街ツアー、もしかしたら同じガイドさんだったかもしれません。
ご案内されたところが結構似通っていました。
大津は何度通っても飽きることがなさそうで、旅行記を拝見して
また行きたくなっています。
mistral
- マリアンヌさん からの返信 2025/05/18 00:34:54
- RE: 滋賀の旅、良いですよね。
- mistralさん こんばんは☆
そうなんです、遠いところから攻めてきたのでイタリア全州制覇するも、日本はまだまだ未踏県があります(汗)
漠然と滋賀のイメージは、安土城、坂本城、大津宮という感じだったのですが、訪れてみると高校時代に興味を持っていた飛鳥時代の天智天皇や弘文天皇などを感じられ、歴史好きにはとても興味をそそられる場所だなと思いました。
mistralさんの旅行記で大友皇子が房総に逃れた説を拝見した時は衝撃的でした。
関東は僻地だった感を抱いていたのですが、考えれば高麗、新羅の入植や千葉の立派な香取神宮(実際に訪れて立派さに驚いた)、古代の製鉄、タタラなど鑑みれば、大友皇子が落ち延びても不思議ではないと思いました。
今回は近江八幡でヴォーリズ建築が主目的だったので、石山寺や三井寺はとりあえず行ってみただけで…
神社なども実地検分せれてしまうmistralさんには遠く及びません。
滋賀には何度もいらっしゃているようで、見損ねていた旅行記もあったようで、次回以降の参考にさせていただきますね。
大津のHotel講、予約する時、mistralさんの旅行記で見たなと思いましたが、同じお部屋だったんですね。ガイドさんもきっと同じ方です。
大津城を埋めた地形のことや関ヶ原の戦いの際には、京極高次が大津城で籠城し、毛利元康率いる西軍を一時足止めしたことなどの話で盛り上がりました。
そして細やかな考察を書かれるmistralさんと違って、キャプション貼付けが多い雑な旅行記ゆえ、ざっくり2日分まとめてしまいました(^.^;
京都にも近いし、大津の街はかなり気に入りました。
時間と費用の折り合いがつけば再訪したいです。
マリアンヌ
- mistralさん からの返信 2025/05/18 07:25:56
- RE: RE: 滋賀の旅、良いですよね。
- マリアンヌさん
早速のお返事をありがとうございました。
> 漠然と滋賀のイメージは、安土城、坂本城、大津宮という感じだったのですが、訪れてみると高校時代に興味を持っていた飛鳥時代の天智天皇や弘文天皇などを感じられ、歴史好きにはとても興味をそそられる場所だなと思いました。
私は古代史、飛鳥時代などにはあまり興味を抱いてませんでしたのに、滋賀に行くにあたって
なぜか壬申の乱に突然はまり、調べていくと大海人皇子によってはめられ、滅ぼされてしまった
大友の皇子にシンパシーを感じるようになりました。
> mistralさんの旅行記で大友皇子が房総に逃れた説を拝見した時は衝撃的でした。
> 関東は僻地だった感を抱いていたのですが、考えれば高麗、新羅の入植や千葉の立派な香取神宮(実際に訪れて立派さに驚いた)、古代の製鉄、タタラなど鑑みれば、大友皇子が落ち延びても不思議ではないと思いました。
マリアンヌさんは高校生の頃からの歴史好き!らしく
政争に巻き込まれて死に追いやられた悲劇のプリンスたちなど、若き日の女学生には
惹かれる存在だったことを、いつか話されていましたね。
> 大津のHotel講、予約する時、mistralさんの旅行記で見たなと思いましたが、同じお部屋だったんですね。ガイドさんもきっと同じ方です。
背のお高い女性の方で、自転車でお見えになってました。
> 大津城を埋めた地形のことや関ヶ原の戦いの際には、京極高次が大津城で籠城し、毛利元康率いる西軍を一時足止めしたことなどの話で盛り上がりました。
そうだったんですね。
私たちも、案内くださる前に、大津についてどのぐらいの予備知識があるかを伺ってから
その上でご案内下さるそうで、ロビー棟でお話しを始めたんですが、
いつの間にか1時間ぐらいは話し込んでしまい、慌てて出かけたほど楽しいひと時を過ごしました。
> 京都にも近いし、大津の街はかなり気に入りました。
> 時間と費用の折り合いがつけば再訪したいです。
そうですね。
京都からはすぐですのに、観光客は少ないし、お食事は美味しく、お値段も安く
かなり満足度の高い地だと思っています。
次の旅行記も楽しみにしていますね。
mistral
-
- Mauricioさん 2025/05/16 08:23:00
- 来日したばかりのヴォーリズ
- マリアンヌさん、素晴らしい旅行記を楽しませて頂きました、有難う御座います。
来日したばかりで右も左も分からないヴォーリズを優しく導いた夫妻が居りまして、ピアソン夫妻なんですが、北海道北見市に記念館が残されていますので1度足を運ばれては如何でしょうか。
たまたまブラジル日本人移民の足跡を追い掛けている時に知り合うことが出来ました、人との出会いって素晴らしいものですね。
神戸市西区にて Mauricio
- マリアンヌさん からの返信 2025/05/16 22:29:23
- Re: 来日したばかりのヴォーリズ
- Mauricioさん こんばんは。
旅行記を見て下さりありがとうございました。
北見のピアソン夫妻の記念館をご紹介いただき、いつか行ってみたいです。
今回、ハイド記念館で写真を拝見しましたが、静かな佇まいですね。
神戸にお住まいなのでしょうか。
ヴォリーズ建築が沢山残っていて羨ましいです。今回の旅で人となりや思想についても触れることが出来て有意義でした。
マリアンヌ
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