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お彼岸に両親の墓参を終え、以前から気になっていた石川組西洋館へ立寄った。私の祖父が入間市出身、父の実家と私が住んでいた家が狭山市と地元です。子供の頃から父から石川製紙のことは聞き及んでいたが、私が在住だった頃は洋館は公開されていなかった。<br />近くの蓮華院が菩提寺なのでいつも近辺には行くものの、車に乗せてもらったりで行く機会がなかったのです。<br />想像以上に立派な建築で興味深かったです。<br />また数多くのドラマ、映画、TV、MV撮影など使われてきたことに驚きました。<br /><br />※公開日は入間市のHPから<br />https://www.city.iruma.saitama.jp/soshiki/hakubutsukan/event/670.html

地元にもこんな洋館があったとは!石川組製糸西洋館

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2023/09/24 - 2023/09/24

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旅行記グループ 魅惑の洋館

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マリアンヌ

マリアンヌさん

お彼岸に両親の墓参を終え、以前から気になっていた石川組西洋館へ立寄った。私の祖父が入間市出身、父の実家と私が住んでいた家が狭山市と地元です。子供の頃から父から石川製紙のことは聞き及んでいたが、私が在住だった頃は洋館は公開されていなかった。
近くの蓮華院が菩提寺なのでいつも近辺には行くものの、車に乗せてもらったりで行く機会がなかったのです。
想像以上に立派な建築で興味深かったです。
また数多くのドラマ、映画、TV、MV撮影など使われてきたことに驚きました。

※公開日は入間市のHPから
https://www.city.iruma.saitama.jp/soshiki/hakubutsukan/event/670.html

  • 旧石川組製紙西洋館は、会社の迎賓館として大正10年頃に造られたもので、創業者石川幾太郎が取引先のアメリカの貿易商をもてなすために建設したそう。<br />洋館に寺のような屋根の玄関、和洋折衷ですね。<br /><br />設計は、帝国大学で西洋建築を学んだ室岡惣七。比企郡川島町の遠山邸(旧日興證券(現SMBC日興証券)の創業者である遠山元一が、母のため建てた)も彼の設計とのこと。<br />建築は川越まつりの山車を制作した宮大工関根平蔵とのこと。

    旧石川組製紙西洋館は、会社の迎賓館として大正10年頃に造られたもので、創業者石川幾太郎が取引先のアメリカの貿易商をもてなすために建設したそう。
    洋館に寺のような屋根の玄関、和洋折衷ですね。

    設計は、帝国大学で西洋建築を学んだ室岡惣七。比企郡川島町の遠山邸(旧日興證券(現SMBC日興証券)の創業者である遠山元一が、母のため建てた)も彼の設計とのこと。
    建築は川越まつりの山車を制作した宮大工関根平蔵とのこと。

  • エントランスは広い。自宅ではなく、迎賓館として建てられた建物だからとのこと。<br />入間市のHPによると、石川組製糸は、明治時代から昭和初期にかけて入間地方の産業を牽引した会社で、大正11年度の横浜への生糸出荷高では全国第6位になるなど、全国でも有数の製糸会社として名を馳せたそう。なんとニューヨーク五番街にも事務所があったそう。<br />しかし、関東大震災による生糸の焼失、金融恐慌や化学繊維の誕生におされて、昭和12年に会社は解散することとなったそう。

    エントランスは広い。自宅ではなく、迎賓館として建てられた建物だからとのこと。
    入間市のHPによると、石川組製糸は、明治時代から昭和初期にかけて入間地方の産業を牽引した会社で、大正11年度の横浜への生糸出荷高では全国第6位になるなど、全国でも有数の製糸会社として名を馳せたそう。なんとニューヨーク五番街にも事務所があったそう。
    しかし、関東大震災による生糸の焼失、金融恐慌や化学繊維の誕生におされて、昭和12年に会社は解散することとなったそう。

  • 控えの間。天井は変形格天井、壁の組木や照明器具に中国の文様の雷門(ラーメン鉢で見る)が使われている。

    控えの間。天井は変形格天井、壁の組木や照明器具に中国の文様の雷門(ラーメン鉢で見る)が使われている。

  • 雷門が見えるよう照明を消してくれた。ありますね、ガラスの縁に雷門。

    雷門が見えるよう照明を消してくれた。ありますね、ガラスの縁に雷門。

  • そして壁紙の縁にも雷門。

    そして壁紙の縁にも雷門。

  • 応接室。天井は折上小組格天井、寺院で見ますよね。壁紙はちょっと傷みが激しいけど豪華なもの。ペルシャ絨毯は当時のもの。

    イチオシ

    応接室。天井は折上小組格天井、寺院で見ますよね。壁紙はちょっと傷みが激しいけど豪華なもの。ペルシャ絨毯は当時のもの。

  • MVなどの聖地にもなっているようでGAKUTOやラルクのMVもここで撮られたものがあるそう。<br />L&#39;Arc~en~Cielの『Lies and Truth』など。

    MVなどの聖地にもなっているようでGAKUTOやラルクのMVもここで撮られたものがあるそう。
    L'Arc~en~Cielの『Lies and Truth』など。

  • 四君子のキャビネ。同じパターンの意匠が3ヶ所ある。<br /><br />※四君子とは、その高潔な姿が君子と呼ぶにふさわしいところから)東洋画の画題として好まれる梅・竹・蘭・菊の総称。

    四君子のキャビネ。同じパターンの意匠が3ヶ所ある。

    ※四君子とは、その高潔な姿が君子と呼ぶにふさわしいところから)東洋画の画題として好まれる梅・竹・蘭・菊の総称。

  • 発注したペルシャ絨毯。

    発注したペルシャ絨毯。

  • ドアの上にも装飾。

    ドアの上にも装飾。

  • 天井との堺にも装飾。壁紙はだいぶ傷んでいるが、さぞ豪華なものだっただろう。

    天井との堺にも装飾。壁紙はだいぶ傷んでいるが、さぞ豪華なものだっただろう。

  • 天井近くのストレートな線模様と壁の中程の板と模様が合っている。

    天井近くのストレートな線模様と壁の中程の板と模様が合っている。

  • 家具の後ろにストレートな木彫り模様。

    家具の後ろにストレートな木彫り模様。

  • 玄関脇の客室。窓のアールが美しい。

    玄関脇の客室。窓のアールが美しい。

  • 客室の寄木の床。

    客室の寄木の床。

  • 1Fホールにあった椅子。椅子の生地は当時のものだそう。

    1Fホールにあった椅子。椅子の生地は当時のものだそう。

  • 絨毯も色合いが合わせてあって素敵。

    絨毯も色合いが合わせてあって素敵。

  • 2階へ行ってみよう。

    2階へ行ってみよう。

  • 階段の手すりの装飾は生糸をデザイン化してるそう。

    階段の手すりの装飾は生糸をデザイン化してるそう。

  • 2階ホール。<br />明治の製糸工場というと女工哀史とか聞くと思うが、石川幾太郎は、弟の和助が熱心なキリスト教信者であったことから、勧めでキリスト教に入信している。<br />一般に製糸業では女工の過酷な労働が伝えられているが、石川組製糸では女工の積極的な教育に取り組むなど、慈愛に満ちた雇用を行っていたそう。

    2階ホール。
    明治の製糸工場というと女工哀史とか聞くと思うが、石川幾太郎は、弟の和助が熱心なキリスト教信者であったことから、勧めでキリスト教に入信している。
    一般に製糸業では女工の過酷な労働が伝えられているが、石川組製糸では女工の積極的な教育に取り組むなど、慈愛に満ちた雇用を行っていたそう。

  • 2階ホールにあった椅子生地も当時のものだそう。肘のところにも直線の装飾。<br />引き出すとベッドにもなるそう。

    2階ホールにあった椅子生地も当時のものだそう。肘のところにも直線の装飾。
    引き出すとベッドにもなるそう。

  • この椅子生地もいいね。こちらの装飾は丸形透かし彫り。

    この椅子生地もいいね。こちらの装飾は丸形透かし彫り。

  • 各部屋の照明は創建当時ではなく、昭和になってから付け替えたものだそう。

    各部屋の照明は創建当時ではなく、昭和になってから付け替えたものだそう。

  • アールデコ風なものもあり素敵。

    アールデコ風なものもあり素敵。

  • 2階の貴賓室。西洋館で最も豪華な造りの部屋。<br />天井の周囲は、出組組物、内側は金泥、銀泥を描いた絹布が張られている。<br />壁は絹使用の布団張とのこと。<br />傷みが激しく入室は禁止されている。<br />パンフレットより

    2階の貴賓室。西洋館で最も豪華な造りの部屋。
    天井の周囲は、出組組物、内側は金泥、銀泥を描いた絹布が張られている。
    壁は絹使用の布団張とのこと。
    傷みが激しく入室は禁止されている。
    パンフレットより

  • 2階和室に入ってみましょう。和室のまわりは廊下になっていて畳は一段高くなっている。

    2階和室に入ってみましょう。和室のまわりは廊下になっていて畳は一段高くなっている。

  • アップにして。市松模様の寄木模様が美しい。

    アップにして。市松模様の寄木模様が美しい。

  • 二間続きの和室。外国人客を日本風にもてなすために造ったのではと。<br />欄間は、川越の名工、野本義明の作品とのこと。

    二間続きの和室。外国人客を日本風にもてなすために造ったのではと。
    欄間は、川越の名工、野本義明の作品とのこと。

  • 和室と開き窓とカーテンという和洋折衷。南側だし、縁側的な?

    和室と開き窓とカーテンという和洋折衷。南側だし、縁側的な?

  • 奥の部屋。右側は違い棚があったのだが、進駐軍が使用した折、出入り口のドアが付けられたそう。

    奥の部屋。右側は違い棚があったのだが、進駐軍が使用した折、出入り口のドアが付けられたそう。

  • 近くにあったジョンソン基地の将校や軍医など3家族が西洋館の本館と別館を区切って住んでいたそう。

    近くにあったジョンソン基地の将校や軍医など3家族が西洋館の本館と別館を区切って住んでいたそう。

  • 四君子の彫られた飾り箪笥。だけど扉の彫り物には梅・蘭・菊・竹だけ無い。ちょっとわかりづらいけど箪笥の柱が竹の形になっている。<br /><br />

    四君子の彫られた飾り箪笥。だけど扉の彫り物には梅・蘭・菊・竹だけ無い。ちょっとわかりづらいけど箪笥の柱が竹の形になっている。

  • 手前の和室のこの扉は、元は床の間だったのがGHQによりクローゼットに変えられてしまったそう。

    手前の和室のこの扉は、元は床の間だったのがGHQによりクローゼットに変えられてしまったそう。

  • 2階大広間。赤い絨毯の下はコルク敷になっている。往時は舞踏会が行われたのではと。

    2階大広間。赤い絨毯の下はコルク敷になっている。往時は舞踏会が行われたのではと。

  • かなり広いよね。鹿鳴館ってイメージ。湖池屋スコーンのTVCMで中島健人さんも社交ダンスをしたそう。<br />FBには、日本ヨハン・シュトラウス協会19世紀舞踏研究会が、古い衣装を再現したドレスとタキシード?で踊っている写真が掲載されていた。

    かなり広いよね。鹿鳴館ってイメージ。湖池屋スコーンのTVCMで中島健人さんも社交ダンスをしたそう。
    FBには、日本ヨハン・シュトラウス協会19世紀舞踏研究会が、古い衣装を再現したドレスとタキシード?で踊っている写真が掲載されていた。

  • カーテンボックスとその幕は創建当初のものとのこと。幕にはそれぞれ違う花の模様が織り込まれているそう。

    カーテンボックスとその幕は創建当初のものとのこと。幕にはそれぞれ違う花の模様が織り込まれているそう。

  • こちらが玄関脇の方角で光がよく入る四君子のステンドグラス。<br />しかし梅・竹・蘭・菊のはずが、菊が狭山茶の花と実に変えられている。<br />創業者の石川幾太郎は、明治12年(1879)には代々続いた茶園を継いで製茶仲買商となったが思わしくなく、その後茶業を辞めて製糸業に進出した。<br />そのことを忘れないよう茶の花にしたのではとのこと。

    こちらが玄関脇の方角で光がよく入る四君子のステンドグラス。
    しかし梅・竹・蘭・菊のはずが、菊が狭山茶の花と実に変えられている。
    創業者の石川幾太郎は、明治12年(1879)には代々続いた茶園を継いで製茶仲買商となったが思わしくなく、その後茶業を辞めて製糸業に進出した。
    そのことを忘れないよう茶の花にしたのではとのこと。

  • 茶の花。個人的にはこの柄が一番好きかな。<br /><br />デザインは三崎彌三郎、制作は別府ステインドガラスと推定される。<br />三崎は京都市立美術工芸学校(現京都市立芸術大学)を卒業後、家具等の装飾設計に携わり、1922年(大正11年)東京玲光社を設立。代表作には国立科学博物館中央階段のグラスモザイク、国会議事堂職員階段ステンドグラスなど。<br />館内案内板より

    茶の花。個人的にはこの柄が一番好きかな。

    デザインは三崎彌三郎、制作は別府ステインドガラスと推定される。
    三崎は京都市立美術工芸学校(現京都市立芸術大学)を卒業後、家具等の装飾設計に携わり、1922年(大正11年)東京玲光社を設立。代表作には国立科学博物館中央階段のグラスモザイク、国会議事堂職員階段ステンドグラスなど。
    館内案内板より

  • 梅と蘭。

    梅と蘭。

  • 竹と茶の花。

    竹と茶の花。

  • 梅の柄も和的でいいね。

    梅の柄も和的でいいね。

  • ここにも雷門の寄木模様。

    ここにも雷門の寄木模様。

  • 元は、貴賓室に続く部屋だったのものを進駐軍がバス、トイレに変えたそう。<br />お陰で湿気で梁が腐り補修しているそう。

    元は、貴賓室に続く部屋だったのものを進駐軍がバス、トイレに変えたそう。
    お陰で湿気で梁が腐り補修しているそう。

  • 大広間のステンドグラスの裏側の階段を降ります。

    大広間のステンドグラスの裏側の階段を降ります。

  • 廊下の天井は白い鋼板。

    廊下の天井は白い鋼板。

  • 1階食堂。大正ロマン感じる部屋。天井は幾何学模様を配したパネル天井。

    1階食堂。大正ロマン感じる部屋。天井は幾何学模様を配したパネル天井。

  • 撮影でもよく使われるそう。

    撮影でもよく使われるそう。

  • アールデコっぽいどっしりとした家具。

    アールデコっぽいどっしりとした家具。

  • この葡萄模様も色々な部屋で見かけた。

    この葡萄模様も色々な部屋で見かけた。

  • カーテンレールにも葡萄模様。

    カーテンレールにも葡萄模様。

  • 天井の幾何学模様が独特。

    天井の幾何学模様が独特。

  • この灯りの縁のひょうたん的な模様が部屋の意匠と合わせている。

    この灯りの縁のひょうたん的な模様が部屋の意匠と合わせている。

  • この透かし模様が灯りと符号している。

    この透かし模様が灯りと符号している。

  • 迎賓館のすぐ近くにも製糸工場があった。右側の丘陵は今も変わらい景色で、西武池袋線が走っている。ちなみに石川幾太郎は、一時は武蔵野鉄道(現西武鉄道池袋線)の社長にも就任したそう。

    迎賓館のすぐ近くにも製糸工場があった。右側の丘陵は今も変わらい景色で、西武池袋線が走っている。ちなみに石川幾太郎は、一時は武蔵野鉄道(現西武鉄道池袋線)の社長にも就任したそう。

  • 2階から見えた別館の屋根に見える石川家の家紋、笹竜胆。<br />別館は賓客をもてなすための厨房があったそう、公開されていない。

    2階から見えた別館の屋根に見える石川家の家紋、笹竜胆。
    別館は賓客をもてなすための厨房があったそう、公開されていない。

  • 武蔵豊岡教会。洋館からほど近い。<br />W.M.ヴォーリズが設計した教会堂。石川家同族会が建築費の約半分と用地1,000坪を寄贈して大正12年5月6日に献堂されたそう。<br />入間市にも手掛けた教会があったとは、知らなかった。建物が保存されていたら良かったですね。<br /><br />日本の近代建築に大きな足跡を残したヴォーリズ、先月、軽井沢でも見たなぁ。改めて調べてみると学生時代、毎日目にしていた山の上ホテルもそうだったのかと。<br /><br />またヴォーリズと結婚した子爵家の三女一柳満喜子は、大同生命の広岡浅子と縁があると知り驚いた。満喜子は、大同生命第二代社長の広岡恵三の妹にあたり、19才から大阪の広岡家で恵三の娘たちの世話をしながら浅子とも家族同然に暮らしたそう。<br />満喜子は、神戸女学院卒業後、浅子も関わった日本女子大学で助手として勤務した後、渡米して8年を過ごし帰国し広岡家でヴォーリズと知り合ったそう。<br />華族令嬢だった満喜子との結婚は周囲から反対されたが、二人の結婚に広岡浅子が力になったよう。

    武蔵豊岡教会。洋館からほど近い。
    W.M.ヴォーリズが設計した教会堂。石川家同族会が建築費の約半分と用地1,000坪を寄贈して大正12年5月6日に献堂されたそう。
    入間市にも手掛けた教会があったとは、知らなかった。建物が保存されていたら良かったですね。

    日本の近代建築に大きな足跡を残したヴォーリズ、先月、軽井沢でも見たなぁ。改めて調べてみると学生時代、毎日目にしていた山の上ホテルもそうだったのかと。

    またヴォーリズと結婚した子爵家の三女一柳満喜子は、大同生命の広岡浅子と縁があると知り驚いた。満喜子は、大同生命第二代社長の広岡恵三の妹にあたり、19才から大阪の広岡家で恵三の娘たちの世話をしながら浅子とも家族同然に暮らしたそう。
    満喜子は、神戸女学院卒業後、浅子も関わった日本女子大学で助手として勤務した後、渡米して8年を過ごし帰国し広岡家でヴォーリズと知り合ったそう。
    華族令嬢だった満喜子との結婚は周囲から反対されたが、二人の結婚に広岡浅子が力になったよう。

  • 当時の教会堂。入間市HP いるま歴史ガイドから画像お借りしました。<br /><br />豊岡地区でのキリスト教の布教は、明治22年(1889)に石川和助(幾太郎の弟)により始められたそう。当初は信者の家を使っていたが、明治28年(1895)には酒蔵を利用した教会堂が建てられ、大正時代になると新しい教会堂の建設が望まれ、教会堂が建設されたそう。<br /><br />子供の頃から自宅にほど近い黒須の地にキリスト教まで広がっていたとは意外だった。その上、女工哀史のイメージと裏腹に慈愛に満ちた雇用だったとは誇らしい。

    当時の教会堂。入間市HP いるま歴史ガイドから画像お借りしました。

    豊岡地区でのキリスト教の布教は、明治22年(1889)に石川和助(幾太郎の弟)により始められたそう。当初は信者の家を使っていたが、明治28年(1895)には酒蔵を利用した教会堂が建てられ、大正時代になると新しい教会堂の建設が望まれ、教会堂が建設されたそう。

    子供の頃から自宅にほど近い黒須の地にキリスト教まで広がっていたとは意外だった。その上、女工哀史のイメージと裏腹に慈愛に満ちた雇用だったとは誇らしい。

  • 当時の黒須銀行。入間市HP いるま歴史ガイドから画像お借りしました。<br />現在は、武蔵町郷土民芸館として改修中。<br /><br />実業家が輩出すれば銀行も明治33年(1900年)豊岡町大字黒須に資本金20万円で設立されたそう。顧問には渋沢栄一も名を連ねていたとのこと。埼玉だもんね。<br />一時は県下第3位の銀行に成長したが、大正11年に武州銀行と合併し、その後の合併で昭和18年(1943年)から埼玉銀行(現在の埼玉りそな銀行)へ。<br />

    当時の黒須銀行。入間市HP いるま歴史ガイドから画像お借りしました。
    現在は、武蔵町郷土民芸館として改修中。

    実業家が輩出すれば銀行も明治33年(1900年)豊岡町大字黒須に資本金20万円で設立されたそう。顧問には渋沢栄一も名を連ねていたとのこと。埼玉だもんね。
    一時は県下第3位の銀行に成長したが、大正11年に武州銀行と合併し、その後の合併で昭和18年(1943年)から埼玉銀行(現在の埼玉りそな銀行)へ。

  • そして歩いて30分弱、石川農場跡でもあるジョンソンタウンへ。<br />ここは、かつて石川組製糸工場で働く大人数の従業員のための食糧を生産する農場だったそう。女工さんの思い出でカレーライスを楽しみに食べた話が残っているとのこと。<br />

    そして歩いて30分弱、石川農場跡でもあるジョンソンタウンへ。
    ここは、かつて石川組製糸工場で働く大人数の従業員のための食糧を生産する農場だったそう。女工さんの思い出でカレーライスを楽しみに食べた話が残っているとのこと。

  • 石川幾太郎の弟でキリスト教徒である和助は労働教育の趣意書を著し、労働の必要性を説いたそう。一族は農作業の体験実習をしたとのこと。

    石川幾太郎の弟でキリスト教徒である和助は労働教育の趣意書を著し、労働の必要性を説いたそう。一族は農作業の体験実習をしたとのこと。

  • その後、農場は磯野農園、日本陸軍将校向けの住宅と戦後の進駐軍将校向けの住宅、磯野住宅を経て、現在のジョンソンタウンとなったそう。<br />私の子供時代は、稲荷山公園などジョンソン基地周辺に米軍ハウスがあり、英語も喋れないのにハウスに遊びに行ったことがあった。

    その後、農場は磯野農園、日本陸軍将校向けの住宅と戦後の進駐軍将校向けの住宅、磯野住宅を経て、現在のジョンソンタウンとなったそう。
    私の子供時代は、稲荷山公園などジョンソン基地周辺に米軍ハウスがあり、英語も喋れないのにハウスに遊びに行ったことがあった。

  • アメリカ風の街なのにイタ車のアルファロメオ。

    アメリカ風の街なのにイタ車のアルファロメオ。

  • ジョンソンタウンのお気にいりのカフェ。<br />ここに来たのは3回目。1回目は父の介護に悩みながら立寄った。2回目はその父が亡くなり命日に墓参に来た帰りに寄った。<br /><br />ジョンソンタウンにご興味あれば以前のブログ<br />https://4travel.jp/travelogue/11797792<br />https://4travel.jp/travelogue/11660759#bbs

    ジョンソンタウンのお気にいりのカフェ。
    ここに来たのは3回目。1回目は父の介護に悩みながら立寄った。2回目はその父が亡くなり命日に墓参に来た帰りに寄った。

    ジョンソンタウンにご興味あれば以前のブログ
    https://4travel.jp/travelogue/11797792
    https://4travel.jp/travelogue/11660759#bbs

  • 実は両親が亡くなったこともあり、今年実家を売却した。更地にして売却したので狭山市に実家の形も消えた。私自身も世の中から消える方向に着実に歩んでいるのだから仕方ないことだけど、育った土地への郷愁は胸の中にずっと残るもの。<br />このあたりを墓参で訪れるたび、ちょっと胸が悼むこの頃です。

    実は両親が亡くなったこともあり、今年実家を売却した。更地にして売却したので狭山市に実家の形も消えた。私自身も世の中から消える方向に着実に歩んでいるのだから仕方ないことだけど、育った土地への郷愁は胸の中にずっと残るもの。
    このあたりを墓参で訪れるたび、ちょっと胸が悼むこの頃です。

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