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HIS エジプト絶景縦断8日間の旅の記録<br /> <br /> エジプト8日間の旅最終日、ルクソールの西岸と東岸を駆け足で見学します。<br /><br /> ルクソールは、ナイル川中流域に位置し、古代エジプト王朝の新王国時代にテーベと呼ばれ、首都して栄えたました。ナイル川を挟さんで東岸と西岸に分かれています。太陽が昇る東岸は「生者の町」として、神々を祀る神殿を造り、太陽がが沈む西岸は「死者の町」とされ、王家の谷をはじめ墳墓がつくられました。<br /><br /> 王妃の谷「ネフェルタリ王妃の墓」は素晴らしかったです。入場料が高額なのでツアーでは、オプションになってる事が多いが、絶対に入場したほうが良い場所です。1日に150人、1人10分という見学制限はあるものの、スマートフォンで撮影可能。入った瞬間に3300年前のエジプトにタイムスリップしたように感じます。<br /> <br /> 見学最後は「カルナック神殿」、美しい大列柱室の柱のすばらしさは人語に尽くしがたい迫力でした。ルクソール神殿と結んでいるスフィンク参道の南門も夕陽に照らされて輝いていました。<br /><br /> 国境を接するガザの問題で、旅行へ行くがどうか躊躇したが、思い切って来て良かったです。のんびりした時間が流れるナイル川クルーズも最高でした。<br /><br />ーーーーースケジュールーーーーー<br />7-8日目<br />  クルーズ船下船<br />     ↓ <br />  メムノンの巨像<br />     ↓ <br /> ハトシュプスト女王祭殿<br />     ↓ <br />   王妃の谷<br />     ↓<br />ハワード・カーター・ハウス<br />     ↓<br />   王家の谷<br />     ↓<br />    ランチ<br />     ↓<br />  カルナック神殿<br />     ↓ <br /> ルクソール空港乗継<br />     ↓<br /> カイロ空港より帰国<br /><br /><br /><br />

⑤エジプト8日間の旅 駆け足でめぐるルクソール西岸&東岸

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2023/11/12 - 2023/11/19

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旅行記グループ 海外編

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じろうまる

じろうまるさん

HIS エジプト絶景縦断8日間の旅の記録
 
 エジプト8日間の旅最終日、ルクソールの西岸と東岸を駆け足で見学します。

 ルクソールは、ナイル川中流域に位置し、古代エジプト王朝の新王国時代にテーベと呼ばれ、首都して栄えたました。ナイル川を挟さんで東岸と西岸に分かれています。太陽が昇る東岸は「生者の町」として、神々を祀る神殿を造り、太陽がが沈む西岸は「死者の町」とされ、王家の谷をはじめ墳墓がつくられました。

 王妃の谷「ネフェルタリ王妃の墓」は素晴らしかったです。入場料が高額なのでツアーでは、オプションになってる事が多いが、絶対に入場したほうが良い場所です。1日に150人、1人10分という見学制限はあるものの、スマートフォンで撮影可能。入った瞬間に3300年前のエジプトにタイムスリップしたように感じます。
 
 見学最後は「カルナック神殿」、美しい大列柱室の柱のすばらしさは人語に尽くしがたい迫力でした。ルクソール神殿と結んでいるスフィンク参道の南門も夕陽に照らされて輝いていました。

 国境を接するガザの問題で、旅行へ行くがどうか躊躇したが、思い切って来て良かったです。のんびりした時間が流れるナイル川クルーズも最高でした。

ーーーーースケジュールーーーーー
7-8日目
  クルーズ船下船
     ↓ 
  メムノンの巨像
     ↓ 
 ハトシュプスト女王祭殿
     ↓ 
   王妃の谷
     ↓
ハワード・カーター・ハウス
     ↓
   王家の谷
     ↓
    ランチ
     ↓
  カルナック神殿
     ↓ 
 ルクソール空港乗継
     ↓
 カイロ空港より帰国



旅行の満足度
4.5
観光
5.0
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
50万円 - 100万円
交通手段
観光バス 飛行機
航空会社
エジプト航空
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
エイチ・アイ・エス

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  • ルクソールでは、早朝に気球から遺跡を見るツアーが人気だそう。乗りたかったなぁ~。

    ルクソールでは、早朝に気球から遺跡を見るツアーが人気だそう。乗りたかったなぁ~。

  • 「メムノンの巨像」<br /> メムノンの巨像は新王朝時代に建てられた、アメンホテプ3世自身の巨像。座像の後ろには、アメンホテプ3世の葬祭殿がありましたが、後の王たちが神殿建設する際に、石材を持ち去り破壊されてしまいました。<br /><br /> メムノンの巨像は、風が吹くと「像が歌う」と言われていましたが、原因はローマ時代に起きた地震によるヒビと温度差による軋み音だったそうで、修復された現在は歌わなくなったそうです。

    「メムノンの巨像」
     メムノンの巨像は新王朝時代に建てられた、アメンホテプ3世自身の巨像。座像の後ろには、アメンホテプ3世の葬祭殿がありましたが、後の王たちが神殿建設する際に、石材を持ち去り破壊されてしまいました。

     メムノンの巨像は、風が吹くと「像が歌う」と言われていましたが、原因はローマ時代に起きた地震によるヒビと温度差による軋み音だったそうで、修復された現在は歌わなくなったそうです。

  • 胸像の台座の高さ2.3m、像の高さは15.6m、膝から下だけでも3mの大きさです。メムノンとは、ギリシア神話のトロイア戦争に登場する、エチオピア王メムノーンに由来するそうです。

    胸像の台座の高さ2.3m、像の高さは15.6m、膝から下だけでも3mの大きさです。メムノンとは、ギリシア神話のトロイア戦争に登場する、エチオピア王メムノーンに由来するそうです。

  • ハトシュプスト女王葬祭殿には、バスの駐車場から電気カートに乗っていきます。

    ハトシュプスト女王葬祭殿には、バスの駐車場から電気カートに乗っていきます。

  • 「ハトシュプスト女王葬祭殿」<br /> ルクソール西岸にある「ハトシュプスト女王葬祭殿」は、ピラミッドのようにとがったクルアルン山の崖際に建てられています。葬祭殿の特徴は、列柱室をもち40m近くある3段テラスになっていて、中央のスロープによってつながっています。葬祭殿の背後にある崖を越えた真後ろには、女王の墓もあった「王家の谷」が位置しています。<br /> 地図を見るとカルナック神殿、ハトシュプスト女王葬祭殿、王家の谷を1本の線で結ぶことができます。<br /><br /> ハトシュプスト女王は、新王国時代第18王朝、エジプト初の女性でファラオになった人です。夫のトトメス2世が死去し、後継者の義理の息子トトメス3世が幼少であったため摂政となりますが、途中からファラオとしての実権を握りました。彼女は、ファラオとして公式の場では、あごひげを付け装いも男性の衣装を身につけるほどの徹底ぶりだったそうです。

    「ハトシュプスト女王葬祭殿」
     ルクソール西岸にある「ハトシュプスト女王葬祭殿」は、ピラミッドのようにとがったクルアルン山の崖際に建てられています。葬祭殿の特徴は、列柱室をもち40m近くある3段テラスになっていて、中央のスロープによってつながっています。葬祭殿の背後にある崖を越えた真後ろには、女王の墓もあった「王家の谷」が位置しています。
     地図を見るとカルナック神殿、ハトシュプスト女王葬祭殿、王家の谷を1本の線で結ぶことができます。

     ハトシュプスト女王は、新王国時代第18王朝、エジプト初の女性でファラオになった人です。夫のトトメス2世が死去し、後継者の義理の息子トトメス3世が幼少であったため摂政となりますが、途中からファラオとしての実権を握りました。彼女は、ファラオとして公式の場では、あごひげを付け装いも男性の衣装を身につけるほどの徹底ぶりだったそうです。

  • テラス階段の両脇にスフィンクスが鎮座

    テラス階段の両脇にスフィンクスが鎮座

  • スロープはゆるい傾斜になっています。<br /> 葬祭殿はお葬式するための建物で、王の葬式が終われば不要になります。こんな大きな建物を造ったのはハトシュプスト女王の権威を表すためです。<br /><br /> しかし、後継者のトトメス3世はハトシュプスト女王実権を握られいたことを、快く思ってはいなかったので、彼が実権を握るとハトシュプトス女王の壁画や碑文を削り取るなど、女王の痕跡を消してしまいました。

    スロープはゆるい傾斜になっています。
     葬祭殿はお葬式するための建物で、王の葬式が終われば不要になります。こんな大きな建物を造ったのはハトシュプスト女王の権威を表すためです。

     しかし、後継者のトトメス3世はハトシュプスト女王実権を握られいたことを、快く思ってはいなかったので、彼が実権を握るとハトシュプトス女王の壁画や碑文を削り取るなど、女王の痕跡を消してしまいました。

  • 第2テラスの南側「ハトホル女神の祠堂」を見学<br />写真は見にくいですが、左に「オシリス神」冥界を支配する神、右に王冠を被った牛は「アビス神」豊穣の神。

    第2テラスの南側「ハトホル女神の祠堂」を見学
    写真は見にくいですが、左に「オシリス神」冥界を支配する神、右に王冠を被った牛は「アビス神」豊穣の神。

  • 古代エジプトでは、葬祭殿がある一帯は、ハトホル女神の聖域であったため、第2テラス南側には「ハトホル女神の祠堂」が設けられています。列柱にはハトホル女神の顔のレリーフ、頭の上にはハトホル女神の楽器「シストルム」が刻まれています。

    古代エジプトでは、葬祭殿がある一帯は、ハトホル女神の聖域であったため、第2テラス南側には「ハトホル女神の祠堂」が設けられています。列柱にはハトホル女神の顔のレリーフ、頭の上にはハトホル女神の楽器「シストルム」が刻まれています。

  • ハトシュプスト女王は、戦いより交易に力をいれて勢力を拡大しました。この山のようになっているのが、プント(現ソマリア・エチオピア)から運ばれた、乳香を軽量しているのだそう。乳香はミイラ作りにかかせないものでした。

    ハトシュプスト女王は、戦いより交易に力をいれて勢力を拡大しました。この山のようになっているのが、プント(現ソマリア・エチオピア)から運ばれた、乳香を軽量しているのだそう。乳香はミイラ作りにかかせないものでした。

  • 消されずに残ったハトシュプスト女王? それともトトメス3世?

    消されずに残ったハトシュプスト女王? それともトトメス3世?

  • 第2テラス北側には、「アヌビス神の祠堂」にがあります。こちらは色がきれいに残っている壁画が多いです。アヌビス神はジャッカルの頭をもつ死者の神で、ミイラをつくりが得意な神。

    第2テラス北側には、「アヌビス神の祠堂」にがあります。こちらは色がきれいに残っている壁画が多いです。アヌビス神はジャッカルの頭をもつ死者の神で、ミイラをつくりが得意な神。

  • ホルス神に供物をささげるトトメス3世

    ホルス神に供物をささげるトトメス3世

  • 上にはコブラのウラエス、その下は翼を広げたアマト神

    上にはコブラのウラエス、その下は翼を広げたアマト神

  • ホルス神の彫像がお出迎えする、第3テラスへ

    ホルス神の彫像がお出迎えする、第3テラスへ

  •  オシリス神(再生復活の神)のポーズをとるハトシュプスト女王の立像は、創建時には26本のありましたが、トトメス3世により破壊されました。<br /> <br /> 現在の葬祭殿は、ポーランド隊による40年以上にわたる復元・修復作業の結果です。

     オシリス神(再生復活の神)のポーズをとるハトシュプスト女王の立像は、創建時には26本のありましたが、トトメス3世により破壊されました。
     
     現在の葬祭殿は、ポーランド隊による40年以上にわたる復元・修復作業の結果です。

  • 「岩窟至聖所」への入口です。

    「岩窟至聖所」への入口です。

  • 葬祭殿の至聖所には、冬至の時に太陽が差し込むという。

    葬祭殿の至聖所には、冬至の時に太陽が差し込むという。

  • 至聖所の天井は星空を表しているのだそう。

    至聖所の天井は星空を表しているのだそう。

  • 駐車場にもどったら、ワンちゃん達が日陰に避難(笑)

    駐車場にもどったら、ワンちゃん達が日陰に避難(笑)

  • 王妃の谷「ネフィルタリィの墓」<br />アブ・シンベル神殿を建造した、ラムセス2世の最愛の第一王妃。古代エジプトではもっとも美しい墓として名高い。墓内は冥界の神オシリス、アヌビス神などの神々、また「死者の書」から抜粋した文書が色鮮やかに描かれています。

    王妃の谷「ネフィルタリィの墓」
    アブ・シンベル神殿を建造した、ラムセス2世の最愛の第一王妃。古代エジプトではもっとも美しい墓として名高い。墓内は冥界の神オシリス、アヌビス神などの神々、また「死者の書」から抜粋した文書が色鮮やかに描かれています。

  • 入口の細い階段を降りて到着するのは前室、美しいアマト神がお出迎え

    入口の細い階段を降りて到着するのは前室、美しいアマト神がお出迎え

  • 3250年以上も時が経っているとは到底思えないほど、色鮮やかなレリーフが壁一面に埋め尽くされ、一瞬で心奪われます。

    3250年以上も時が経っているとは到底思えないほど、色鮮やかなレリーフが壁一面に埋め尽くされ、一瞬で心奪われます。

  • 控えの間に描かれた「死者の書」の一場面、太陽神ラーの聖鳥ベヌウ鳥(アオサギ)、王妃のミイラを守るイシス神とネフティス神

    控えの間に描かれた「死者の書」の一場面、太陽神ラーの聖鳥ベヌウ鳥(アオサギ)、王妃のミイラを守るイシス神とネフティス神

  • 前室の内部、スカラベの姿のケブリ神、ラー・ホルクアクティ、ハトホル神

    前室の内部、スカラベの姿のケブリ神、ラー・ホルクアクティ、ハトホル神

  • 前室の奥にある、第一東側室の南側、「死者の書」に登場する雄牛と雌牛と4本の天の蛇がえがかれている

    前室の奥にある、第一東側室の南側、「死者の書」に登場する雄牛と雌牛と4本の天の蛇がえがかれている

  • ネフェルタリとハトホル神

    ネフェルタリとハトホル神

  • ミイラ作りの神様アヌビス

    ミイラ作りの神様アヌビス

  • 冥界の神オシリス

    冥界の神オシリス

  • ネコの神バステトとネフティス

    ネコの神バステトとネフティス

  • 右は文字と知恵の神トト

    右は文字と知恵の神トト

  • 「ハワード・カーター・ハウス」<br />1922年に、王家の谷で「ツタンカーメンの墓」を発掘したのが、イギリス人考古学者ハワード・カーターです。そのカーターさんが実際に住んでいた(1910~1939年)家が、現在博物館として公開されています。

    「ハワード・カーター・ハウス」
    1922年に、王家の谷で「ツタンカーメンの墓」を発掘したのが、イギリス人考古学者ハワード・カーターです。そのカーターさんが実際に住んでいた(1910~1939年)家が、現在博物館として公開されています。

  •  ハワード・カーターは、イングランドのケンジントンで生まれ、父が動物画家だったので、カーターも絵を描くのが得意でした。ある時、父の顧客の紹介でエジプト学者のフリンダーズ・ビートリーの発掘品を見に行って、エジプトに魅了されてしまいました。<br /> <br /> カーターは、17歳でエジプト調査基金の発掘隊のスケッチ係としてエジプトへ行くことになりました。この調査が終わってもイギリスに帰らず、他の発掘隊に助手と参加していました。1899年、25歳の時にエジプト考古局ルクソール支部の首席捜査官に就任します。<br /> <br /> 調査業務の傍ら米国の富豪「セオドア・ディヴィス」の王家の谷の発掘の助言をし、多くの墓を発見していきます。1904年には、カイロ近郊で北エジプトの調査官として転任します。ところが、1905年にサッカラの遺跡で、入場料を払わすに入ろうとしたフランス人観光客の乱闘騒ぎに巻き込まれ、フランス領事が謝罪を要求しましたが、カーターが謝罪を拒否したため考古局をクビになってしまいました。クビになったカーターは、ルクソールで水彩画を描いて裕福な観光客に売りどうにか生計を立てていた。<br /><br /> 運命的にエジプトの遺跡に魅了されたイギリス人「カーナヴォン卿」と出会います。カーターはカーナヴォン卿の考古学者として雇われ、発掘を再開します。カーターは王家の谷にまだ未発掘のファラオ「ツタンカーメン」の墓があると推定していました。1915年に、アメンホテフ3世の墓を発掘します。しかし、それから1922年まで何も発掘することができず、カーナヴォン卿から発掘調査の打ち切りを告げられます。<br /><br /> カーターは発掘者の名誉をすべてカーナヴォン卿に帰する約束をし、あきらめる事なく自費で発掘を継続しました。1922年11月4日に発掘隊の作業員が何気なく目をとめた石が、埋もれた階段の一段目だった。さらに掘り進むと翌日に、12段の階段と王家の紋章で封印された扉を発見しました。その時発掘された、ツタンカーメンの膨大な副葬品はカイロの考古学博物館に展示されています。

     ハワード・カーターは、イングランドのケンジントンで生まれ、父が動物画家だったので、カーターも絵を描くのが得意でした。ある時、父の顧客の紹介でエジプト学者のフリンダーズ・ビートリーの発掘品を見に行って、エジプトに魅了されてしまいました。
     
     カーターは、17歳でエジプト調査基金の発掘隊のスケッチ係としてエジプトへ行くことになりました。この調査が終わってもイギリスに帰らず、他の発掘隊に助手と参加していました。1899年、25歳の時にエジプト考古局ルクソール支部の首席捜査官に就任します。
     
     調査業務の傍ら米国の富豪「セオドア・ディヴィス」の王家の谷の発掘の助言をし、多くの墓を発見していきます。1904年には、カイロ近郊で北エジプトの調査官として転任します。ところが、1905年にサッカラの遺跡で、入場料を払わすに入ろうとしたフランス人観光客の乱闘騒ぎに巻き込まれ、フランス領事が謝罪を要求しましたが、カーターが謝罪を拒否したため考古局をクビになってしまいました。クビになったカーターは、ルクソールで水彩画を描いて裕福な観光客に売りどうにか生計を立てていた。

     運命的にエジプトの遺跡に魅了されたイギリス人「カーナヴォン卿」と出会います。カーターはカーナヴォン卿の考古学者として雇われ、発掘を再開します。カーターは王家の谷にまだ未発掘のファラオ「ツタンカーメン」の墓があると推定していました。1915年に、アメンホテフ3世の墓を発掘します。しかし、それから1922年まで何も発掘することができず、カーナヴォン卿から発掘調査の打ち切りを告げられます。

     カーターは発掘者の名誉をすべてカーナヴォン卿に帰する約束をし、あきらめる事なく自費で発掘を継続しました。1922年11月4日に発掘隊の作業員が何気なく目をとめた石が、埋もれた階段の一段目だった。さらに掘り進むと翌日に、12段の階段と王家の紋章で封印された扉を発見しました。その時発掘された、ツタンカーメンの膨大な副葬品はカイロの考古学博物館に展示されています。

  • 「王家の谷」<br />すべての墓は新王国時代に岩を掘って造られたものです。王の葬送はナイル川沿いの葬祭神殿から太陽の運行にそって西に向かい、王たちはこの聖なる丘陵の麓に墓を設置することにしたのだそう。全部で64基超える墓が発見されています。

    「王家の谷」
    すべての墓は新王国時代に岩を掘って造られたものです。王の葬送はナイル川沿いの葬祭神殿から太陽の運行にそって西に向かい、王たちはこの聖なる丘陵の麓に墓を設置することにしたのだそう。全部で64基超える墓が発見されています。

  • 「ツターンカーメンの墓」<br />王家の谷で一番有名な墳墓は、ツタンカーメンの墓。わずか9歳で王となったファラオとなったツタンカーメンは、その短い生涯や出自は謎に包まれていた。彼の治世は10年足らずで、1922年にハワード・カーターが王墓を発見するまで、歴史から消された存在でした。父のアクエンアテンの強引な一神教への宗教改革によって、その一族の名がアドビスの王名表から削除されてしまいました。

    「ツターンカーメンの墓」
    王家の谷で一番有名な墳墓は、ツタンカーメンの墓。わずか9歳で王となったファラオとなったツタンカーメンは、その短い生涯や出自は謎に包まれていた。彼の治世は10年足らずで、1922年にハワード・カーターが王墓を発見するまで、歴史から消された存在でした。父のアクエンアテンの強引な一神教への宗教改革によって、その一族の名がアドビスの王名表から削除されてしまいました。

  • 公開されている墳墓内は。意外と小さくて狭いが印象です。

    公開されている墳墓内は。意外と小さくて狭いが印象です。

  • ヒヒの姿で現される「トト神」は知恵と文字を司る神。

    ヒヒの姿で現される「トト神」は知恵と文字を司る神。

  • ツタンカーメンのミイラはとても小さい。18歳で亡くなった彼の死因には、暗殺説などいろいろ言われていましたが、現在はマラリアにかかって死亡したと推定されているそうです。

    ツタンカーメンのミイラはとても小さい。18歳で亡くなった彼の死因には、暗殺説などいろいろ言われていましたが、現在はマラリアにかかって死亡したと推定されているそうです。

  • KV8:メルエンプタハ王墓の入口

    KV8:メルエンプタハ王墓の入口

  • 太陽円盤とスカラベ

    太陽円盤とスカラベ

  • 門の書

    門の書

  • オシリスの厨子

    オシリスの厨子

  • 玄室

    玄室

  • 人型の棺

    人型の棺

  • 「ラムセス9世」

    「ラムセス9世」

  • 「ラムセス2世」

    「ラムセス2世」

  • 「カルナック神殿」<br />新王国時代にテーベ(現ルクソール)につくられたエジプト最大の神殿。最高神であるアメン神に捧げられたカルナック神殿は、塔門、小神殿、大列柱室や中庭などが連続している。南にあるルクソール神殿とスフィンクス参道で結ばれています。当時は20本のオベリスクが立てられていたそうです。

    「カルナック神殿」
    新王国時代にテーベ(現ルクソール)につくられたエジプト最大の神殿。最高神であるアメン神に捧げられたカルナック神殿は、塔門、小神殿、大列柱室や中庭などが連続している。南にあるルクソール神殿とスフィンクス参道で結ばれています。当時は20本のオベリスクが立てられていたそうです。

  • 「カルナック神殿第一塔門」<br />カルナック神殿の基軸は、第18王朝アメンヘテプフ1世が造ったといわれていますが、その後歴代の王達が手を加え巨大な神殿になっていったそうです。<br />

    「カルナック神殿第一塔門」
    カルナック神殿の基軸は、第18王朝アメンヘテプフ1世が造ったといわれていますが、その後歴代の王達が手を加え巨大な神殿になっていったそうです。

  • カルナック神殿のスフィンクスは羊。最高神アメンの聖獣だからだそう。

    カルナック神殿のスフィンクスは羊。最高神アメンの聖獣だからだそう。

  • 「第一中庭」

    「第一中庭」

  • 第一中庭のスフィンクには、色彩が残っています

    第一中庭のスフィンクには、色彩が残っています

  • 「ラメセス2世像」

    「ラメセス2世像」

  • 「隠し場の中庭」と呼ばれる第7塔門の中庭。神殿の床から王や貴族の彫像が2万点ほど見つかったそうです。

    「隠し場の中庭」と呼ばれる第7塔門の中庭。神殿の床から王や貴族の彫像が2万点ほど見つかったそうです。

  • 第2塔門

    第2塔門

  • 「大列柱室」<br />カルナック神殿の最大の見どころ大列柱室。修復により当時の色彩が見られて圧倒されます。

    「大列柱室」
    カルナック神殿の最大の見どころ大列柱室。修復により当時の色彩が見られて圧倒されます。

  • 列柱の高さ23m、パピルスやハスをかたどっと頂部が開いているものと、閉じているものがあります。

    列柱の高さ23m、パピルスやハスをかたどっと頂部が開いているものと、閉じているものがあります。

  • 右側が高さ30mのハトシュプト女王のオベリスク、左側はトトメス1世の22mのオベリスク

    右側が高さ30mのハトシュプト女王のオベリスク、左側はトトメス1世の22mのオベリスク

  • 第8塔門

    第8塔門

  • 「第十塔門 南門」<br />門の前にはルクソール神殿へ続く、スフィンクス参道が続いています。

    「第十塔門 南門」
    門の前にはルクソール神殿へ続く、スフィンクス参道が続いています。

  • 南門は保存状態が良くて、当時の栄華が偲ばれます。

    南門は保存状態が良くて、当時の栄華が偲ばれます。

  • ルクソール神殿まで続くスフィンク参道

    ルクソール神殿まで続くスフィンク参道

  • カルナック神殿のスフィンクスは羊。最高神アメンの聖獣だからだそう。

    カルナック神殿のスフィンクスは羊。最高神アメンの聖獣だからだそう。

  • 聖池

    聖池

  • 3回まわりをまわると幸運が訪れると言われている「スカラベ」

    3回まわりをまわると幸運が訪れると言われている「スカラベ」

  • 聖池の前には、地震により倒れたもう1本のハトシュプト女王のオベリスク。修復せずそのまま展示しているのだそう。

    聖池の前には、地震により倒れたもう1本のハトシュプト女王のオベリスク。修復せずそのまま展示しているのだそう。

  • 遺跡の最奥にあるトトメス3世の神殿

    遺跡の最奥にあるトトメス3世の神殿

  • 後にコプト教会として利用されたそうですが、天井や柱に当時の色彩が残ってます。

    後にコプト教会として利用されたそうですが、天井や柱に当時の色彩が残ってます。

  • 首のない、命の鍵をもつオシリス神の像。

    首のない、命の鍵をもつオシリス神の像。

  • 最後にナイル川の夕陽、カザの問題など躊躇することもあったけど、来て良かった!<br /><br />

    最後にナイル川の夕陽、カザの問題など躊躇することもあったけど、来て良かった!

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