2008/04/29 - 2008/04/30
19位(同エリア250件中)
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<ドイツ バイエルン州;バイエルン王国の周遊>
:アルペン街道・キーム湖・ドナウ、イザール、イン川を巡る:
期間:2008年4月17日(木)~5月1日(木)15日間の旅
目的地:今春の旅はドイツ南部、バイエルン州のOberbayern高地バイエルンと呼ばれるアルプス地方とOstbayern東バイエルン地方を巡る旅である。
Freistaat Bayernバイエルン州は面積(7千万?)がドイツ最大、人口(12百万人・カトリック教徒が凡そ67%、新教徒が24%と数えられている)も二番手となる有力州であり、それぞれが個性的な四つの地方からなる。
州都ミュンヘンを中心とするOberbayern高地バイエルン地方、
レーゲンスブルクを中心としたOstbayern東バイエルン地方、
ニュルンベルクを中心としたフランケン地方、
アウクスブルクが中心都市となるアルゴイ・バイエリッシャー-シュヴァーベン地方である。
2008年4月29日 (火)
旅の最後の夕食は、第一日と同じLandshutランツフートにある別の古城ホテルに泊まり、グルメレストランで食事を楽しむ事にした。
この春の旅で3軒目のグルメレストランだ。
【1475年「メルヘンのような婚礼」で知られた古都ランツフートにミシュラン1星レストラン「領主の間」がある。】
写真は1475年の結婚式で知られた、美しい花嫁(Jadwigaヤドヴィガ・ポーランド王女)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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<4/17 (木) 日本は晴、ミュンヘンは曇り空・10℃、 64km>
成田 LH715 LV 12:25 => Muenchen Airport AR 17:45 ;32AC (F.J.Strauss国際空港;A340-300 12:35離陸。)
*18:15に予約済みのHertzで手続き(18:24)。前回同様に予約車なく、18:55空港を出る。=>L?Erding=>Tittenkofen ・ Fraunberg ・ Moosburg ・Ehohing ・ Landshutランツフート B15・L? =>64km 古城ホテル・Schloss Schoenbrunnシュロス-シェーンブルン”美しき泉の城“に20:15到着。遅めとなった夕食(20:30~22:30)を”Schloss Schoenbrunn” にてSpecial Arrangement利用。
二度にわたるドイツ駐在生活にも拘らず、この古都Landshutランツフートの町を訪れるのは始めてである。市内に入って、古城ホテル・Schloss Schoenbrunnシュロス-シェーンブルン”美しき泉の城“に至る。
写真はLandshutランツフート・古城ホテルSchloss Schoenbrunnシェーンブルン城”美しき泉の城“とBurg Trausnitzトラウスニッツ城のMapトラウスニッツ城 城・宮殿
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(1泊)
Schloss Schoenbrunn シュロス-シェーンブルン”美しき泉の城“
D-84036 Landshut 、 Schoenbrunn 1、
古城ホテル 114号室(2階) Euro 90 ;全24室・4星
TEL:49(0)871-95220
http://www.hotel-schoenbrunn.de
17世紀の中頃に州書記官であった Johann Bernhard Pockmayrヨハン・ベルンハルト・ポックマイヤーがIsarイザール川に沿った、この地に“Zierlmuehleツィールミュール(可愛らしい水車小屋)”と称する美しい屋敷を建てたと云う。
その後、1690年に時のランツフート州長官により、この屋敷が購入され、帝国伯Hohenwaldeck und Maxlrainホーエンバルデック・マックスレイン家の宮殿として新たに城が建てられた。
大きな果樹園、たくさんの木々、美しい泉と池に周囲を囲まれた城はそれに因んで“Schloss Schoenbrunn(ウイーンのマリア・テレジア女帝やエリザベート皇妃で有名な宮殿と同じ名前である)シュロス-シェーンブルン”美しき泉の城“と命名された。
1726年までJ.Josephヨハン・ヨーゼフ伯爵(ホーエンバルデック・マックスレイン家)の居城であったが、その後は所有者が変遷し、1905年1月以来、Obermeierオーバーマイヤー家によって保有、維持される。
1990年代の初め、建物の大改装を行い、現在の形である古城ホテルを開業したと云う。
旅の最初と最後にランツフートに宿泊する事としたのも、この古城ホテル シュロス-シェーンブルン”美しき泉の城“と、ミシュランの一つ星レストランのRomantik Hotel Fuerstenhof ロマンチックホテル フュルステンホフがこの地にあった為でもある。
写真はLandshutランツフート・古城ホテルSchloss Schoenbrunnシェーンブルン城の入口 -
<4.18(金) 快晴 16℃、 137km>
8:30城の周辺を散策し、Schloss Schoenbrunnシェーンブルン城、9:10スタート。Landshutランツフート(人口62千人)市内観光;=>6km 9:30~11:00 Trausnitzラウスニッツ城の見学、旧新市街・聖マルティン教会、”Alt Landshutアルト・ランツフート”(12:00~12:50)で昼食。Residenzレジデンツ(博物館・美術館)、市庁舎~14:20 =>B15・L?A92・9・Muenchenミュンヘン環状線2R・95・952 Starnbergシュタルンベルク 127km=>L? 4km Berg am Starnbergersee ベルク アム シュタルンベルク湖 17:00着。夕食は古城ホテル”Schloss Bergベルク城”にてSpecial Arrangement利用(19:00~20:30)。
*時差で4時に目が覚めるがシャワーの後、7時まで休息。7:45に昨夜のレストランで、一年ぶりのドイツの朝食を楽しむ。疲れも頭もすっきりしたようだ。
朝食後の8:30、城の周辺を散策する。道路に沿った長細い城館はこげ茶色の屋根、薄いピンク色が入ったクリー色の壁を持つ三階建ての建物です。1階左手にレストラン、中央にレセプション、右手は大小様々な会議場が設けられ、2階は廊下を中央にして左右が客室である。
城館の裏手は外壁に囲まれた、広い駐車場、木々の下に設けられたビアガーデンなどが見る事ができる。
徐々に朝日も強くなり、今日は嬉しいことに、快晴になりそうだ。
写真はランツフート・古城ホテルSchloss Schoenbrunn シェーンブルン城の俯瞰 -
シェーンブルン城を9:10スタートした。
メルセデスA-150はさすがに小さく感じる。今日の観光はランツフート である。高台のTrausnitzラウスニッツ城を初めに見学し、それから旧新市街にある聖マルティン教会を見て回る。”Alt Landshutアルト・ランツフート”(12:00~12:50)で昼食した後、Residenzレジデンツ(博物館・美術館)、市庁舎も見る~14:20。
写真はランツフート・古城ホテルSchloss Schoenbrunn シェーンブルン城の裏手駐車場にて -
この町は1839年以来、ニーダーバイエルン地方政府の政庁所在地であり、800年の歴史ある町でもある。中世の面影は今も色濃く残り、ドイツでも有数の美しい町と云われてきた。
又、神聖ローマ帝国・伯爵LudwigIX.,ルートヴィヒ9世とザクセン選帝侯フリードリヒ2世の娘*Amalia von Sachsenアマリアの息子Georgゲオルク公爵が1475年に夢のような結婚式を催した事で広く知られている。
ロマンチックホテル フュルステンホフのグルメレストランを書く前に、「夢のような結婚式」の事を先ず紹介したい。
(*アマリア公妃(1436~1501年)は1452年3月21日にランツフートにおいて、ランツフート公ルートヴィヒ9世(1417~1479年)と結婚した。後の息子ゲオルクの結婚式と同様に、この結婚式には22,000人の客が招待され、盛大に祝われたと云う。1463年、アマリアは夫からブルクハウゼン城・・・先に投稿した「1km程の長い城は難攻不落の堅城・南ドイツのBurghausenブルクハウゼン城を訪ねる」・・・を居城として与えられ、そのために広範かつ厳格な宮廷規則も制定された。アマリアはブルクハウゼンの聖霊教会の創建者の一人とみなされているそうだが、歴史を紐解くと、違った土地が紐付くから面白い)
写真はLandshutランツフート・Burg Trausnitzトラウスニッツ城:1770年頃の城 -
【古都ランツフートで催される、1475年の故事に従った結婚式】
花婿はTeilherzogtum Bayern-Landshut下バイエルン・ランツフート公国のGeorgeゲオルク (バイエルン・ランツフート公) (1455~ 1503年)である。
花嫁はJadwiga Jagiellonkaヤドヴィガ・ヤギェロンカ (1457~1502年)、ドイツ語名はHedwig von Polenヘートヴィヒ・フォン・ポーレンである。
ヤドヴィガはポーランド王・リトアニア大公カジミェシュ4世と、その妃でアルブレヒト系ハプスブルク家出身のローマ王アルブレヒト2世の娘であるエリーザベトの第2子、長女として生まれた。
1475年11月14日、ゲオルクとヤドヴィガの結婚式は盛大に執り行われ、「Landshuter Hochzeitランツフートの結婚式」の名で、現在も4年に1度の祭典として開催される。
このランツフート結婚式においては、美しい花嫁(Jadwigaヤドヴィガ・ポーランド王女)の姿と見事な嫁入り道具の行列に、参集した市民たちは“Himmel Landshut!Tausend Landshut!”(神よ!ランツフートに、大きな恵みをランツフートに!・・・意訳)という歓呼の声で迎えたと、伝えられている。
この当時の祝宴を再現したランツフートの祭りは、Aralアラルの観光書でも【Maerchenhochzeitメルヘンホッホツァィ ト(メルヘンのような婚礼)】と表現されていて、祭りの期間は大勢の観光客が訪れるそうだ。
一度のその季節に訪れたいものだが。
(次回は2009年、来年に予定されている)
写真はLandshutランツフート:1475年の故事に従ったHochzeit結婚式の祭り・・・華やかな行進を楽しむ聖マルティン教会傍の大観衆聖マルティン教会 寺院・教会
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写真はLandshutランツフート:1475年の故事に従ったHochzeit結婚式の祭り・・・当時の衣装を着た市民たちが音楽を奏でて行進
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写真はLandshutランツフート:1475年の故事に従ったHochzeit結婚式の祭り・・・当時の衣装を着た侍女、市民たちの行進
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ゲオルク公はヤドヴィガ妃との間に3男2女をもうけたが、1502年にヤドヴィガ妃が、翌1503年にゲオルク公が死去した時、3人の息子に先立たれ、生き残っていたのは娘2人だけだった。
この為、150年保持してきた下バイエルン・ランツフート公国(1353~1503年)は断絶し、*ランツフート継承戦争と呼ばれる相続争いが起きた。
*ゲオルクが死去した時、甥で婿でもあるループレヒト(妹マルガレーテとプファルツ選帝侯フィリップの3男)を後継者に指名した。これに遠縁の上バイエルン・ミュンヘン公アルブレヒト4世が反対、ゲオルクの死後ランツフート継承戦争が勃発した。1505年にアルブレヒト4世がランツフートの大半を相続し、残りはゲオルクの外孫にあたるオットー・ハインリヒ(ループレヒトの息子、ループレヒトは継承戦争の最中に急死)がプファルツ・ノイブルク公として領有した。
写真はLandshutランツフート:1475年の故事に従ったHochzeit結婚式の主人公Georgeゲオルク公 -
イチオシ
尚、バイエルン・ランツフート公国の居城は1475年までランツフートのトラウスニッツ城に置かれた。
1475年には前述したブルクハウゼン城に居城を移転した。
写真はLandshutランツフート:1475年の故事に従ったHochzeit結婚式の主人公・美しい花嫁Jadwiga Jagiellonヤドヴィガ・ヤギェロンカ ポーランド王女 -
次回の予定は
Die nächste Aufführung der ”Landshuter Hochzeit 1475“ findet statt vom 25.06. bis 18.07.2027 ***
昨年実行されたのは
statt vom 30.06. bis 23.07.2023 *** 2週間
Home - Landshuter-Hochzeit
*マイフレンドの素晴らしい投稿をご参考に:
『ちゃあちゃん 4年に1度のランツフート結婚式祭り見物に行く』その他の観光地(ドイツ)の旅行記・ブログ by utamiumiuさん【フォートラベル】 (4travel.jp)
写真は1475年の故事に従った結婚式の祭り・・・王女の乗る馬車 -
写真はLandshut・Burg Trausnitzトラウスニッツ城の絵(Michael Weningミヒャエル・ウェニング作・・・ドイツ人画家1645年~1718年、彼がバイエルンの城を中心に描いた作品は400にも及ぶと云う)
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Landshutランツフート(人口62千人)市内観光は先ず町を見下ろす高台に立つTrausnitzトラウスニッツ城の見学である(9:30~11:00)。
シェーンブルン城のレセプションで教えて頂いた道に沿って6kmほど登る。
城の後背地に小さな無料駐車場が設けられていた。
写真はLandshut・Burg Trausnitzトラウスニッツ城:現在の城郭俯瞰 -
今年の芽吹きは遅いなと思いながら、森の中を数分歩くと、城門があった。
門を入り、外構えの長い城壁に沿って歩くと、もう一つの城門に至る。
写真はトラウスニッツ城:外構えの長い城壁 -
その先には見事なトラウスニッツ城が青空の中に浮かんで見えた。
橋を渡って本丸内に入る。
ドイツでもたいへん立派な、力強い、見事な姿をもった城である。
トラウスニッツ城は1204年Kelheimケルハイム侯Ludwigルートヴィヒにより築城された。更にWilhelmヴィルヘルムⅤ世が1600年代に現在の力強い城郭を完成させました。
残念なことに1961年の大火災により、殆どを消失している。消失後、直ちに再建に着手し、1975年に現在の形に復元された。
写真は見事なトラウスニッツ城 -
ガイド案内は10時からだ。
20分もあったので併設されている“Kunst und Wunderkammer芸術と自然の驚異の部屋”という展示室を見学する。小学生のグループが先生に引率されて、説明を聞きながら様々な展示を熱心に見ている。こちらはガイド付ではないので、気楽に一巡できた。ここはWittelsbachヴィッテルスバッハ家のAlbrechtⅤ世公爵が16世紀の頃蒐集した作品だという。象牙、金銀や宝石のちりばめた宝石箱、家具、絵画、彫刻、仏像、貝、動物の剥製などなど、世界各地の多様な、一種脈絡の無い蒐集品であったように思えたが・・・。 (9:40~10:00)
写真はトラウスニッツ城:アーケード階段を持った宮殿の様子 -
トラウスニッツ城内見学;
男性のガイドさんに導かれて、中庭の正面建物中央の一階入口から城内に入る。本日は“私共二人だけ”のガイドツアー(Euro10)で恐縮である。
大火災の被害を受けただけに中身は少なく、ガイドさん曰く、“火災後、様々なアンチーク家具類を新たに収集し、展示している。”とのことだ。
順路に沿って行くと、
① Duerniz騎士の広間:Ludwigルートヴィヒ侯のストーブ、15世紀の壁画の名残が入口の上に見られる。
② Italian Annexイタリアの間:天井の16世紀のフレスコ画は1965年に発見されたそうだ。ヴィルヘルムⅤ世とその妻Renataレナタ(仏・アルザス‐ロートリンゲン家の出)の其々の肖像画。
③ 道化師の階段:16世紀にイタリアの芸術家によって古い喜劇が描かれたフレスコ画。火災から消失を免れたが、ススで汚れていた。
④ Georgskapelleゲオルクの礼拝堂:13世紀にその大部分が建設され、後に二階建てになった。領主は二階で、他の人々は一階で祈りをささげたと云う。
⑤ 旧デュルニッツ従者の間:神聖ローマ帝国の7人の選帝侯の絵が掛けられている。
⑥ 二階の回廊から中庭を見下ろす。アーケードの階段下に泉が見え、右手の黄色い塔はWittelsbacher Turmヴィッテルスバッハの塔がある。塔は円筒形で最後の防御の砦だと云う。
⑦ 各部屋:緑のタイル張りのストーブ、音楽家や宮廷の道化師を描いた絵。
⑧ イタリアの間:1578年製素焼きの天井は花や果物模様が描かれている。
⑨ 黒タイルのストーブ:17世紀のもので、ライオンの足と称する脚が付いたもの。
⑩ 地と水の壁画:本来は水、地、火、風の四要素を描いた壁画であったが、大火災の後、残った二要素のみを移したもの。
⑪ 領主の小部屋:二階には公爵の祈りの間が設けられていた。聖歌隊の席とも云う。
⑫ 三階の展示室:城の改築時に発見されたものが展示されている。
⑬ タペストリーの間:17世紀のフランダースの職人により製作された壁掛けの絨毯には11匹の怪獣(聖ゲオルクが退治した)と12世紀のバイエルンで勢力を伸張したヴィッテルスバッハ家のオットー・フォン・ヴィッテルスバッハ公爵の生涯が表されているそうだ。皇帝・赤ひげ王がオットーに公爵位を授ける図とか様々な壁掛けがかかっている。
⑭ 控えの間:テラスに続く部屋にはJadwigaヤドヴィガ・ポーランド王女の美しい肖像画が見られる。市民が熱狂して迎えた意味が良く分かる。
写真はトラウスニッツ城:イタリアの間 -
⑮ テラス:夏の間はここで宴が催された。テラスからの旧・新市街の眺望は素晴らしい。山上の城の裾野からIsarイザール川までびっしりと赤い屋根の建物が続き、左手にはSt.Martinskirche聖マルティン教会が高々とした尖塔を見せている。
(10:00~11:00)
親切にも日本語の説明書をコピーして頂いたガイドさんにはチップEuro3を手渡して、お別れです。
城門脇にあった120mの深い井戸を見下ろしてから、駐車場に急いだ。
写真はランツフート:トラウスニッツ城から見た聖マルティン教会(中央) -
トラウスニッツ城のある山麓をくぐるトンネルがあり、その出口傍にあるパークハウスに車を停めて、旧新市街まで歩く。
旧市街には14世紀以来の独特の切妻を持った市民の家並みや市庁舎が見られる。
城下町から見上げた古城の姿もまたたいへん美しい。
写真はランツフート:トラウスニッツ城を見上げて -
城から見えた聖マルティン教会は131mの尖塔を持ち、市民のシンボルとなっている。ランツフートのマドンナ彫像が有名。教会の先にある広場には町の創設者であり、支配者であったルートヴィヒ公爵の銅像がトラウスニッツ城を背にして立っている。
写真はランツフート:旧市街の聖マルティン教会の通り -
Alte Postアルテ・ポストの建物を写真に撮り、劇場通りをイザール川に向かうと、Laendtor町の城門に至る。ランツフートの町はイザール川畔にできた町だ。
イザール川は水を満々と湛えて、流れる。その流れに沿って遊歩道があり、小さな軽食屋があった。
丁度昼時、若いスタッフの呼びかけに応えて、狭い店内に入った。
<Isarイザール川>
イザール川はオーストリアのチロル州とドイツのバイエルン州を流れる河川でドナウ川の一支流である。長さ295 km。
水源はチロルのKarwendelgebirgeカーヴェンデル山系にある。山系を抜けたScharnitzで国境を越え、バイエルン州内を南から北西へ流れ、Mittenwald、Bad Toelzバードテルツ、Muenchen(イザール川畔のアテネと称される州都)、Freisingフライジング、Moosburgモースブルク、Landshut、Landauランダウの順に通過した後、Deggendorfrデッゲンドルフでドナウ川に合流する。
写真はイザール川と遊歩道
・・・・・・・・・・・
(中略) -
<4.29 (火) 小雨 時に激しく 9℃、 163km>
朝食後、Schloss Eggを9:30に出発。=>L? 9km Metten =>A3・B20 33km Straubing 市内観光 :68mの市の塔、ゴイボーデン博物館10:30~12:00 =>B20・A3 54km Regensburgに12:50着。昼食に名代の”Historische Wurstkueche”でソーセージ料理を(13~14)。 Regensburgレーゲンスブルク市内観光 ;ドナウ川の石橋・橋の小人像、聖ペーター大聖堂、お茶を ”Dampfnudel-Uli ”で(14:45~15:20)。旧市庁舎の見学(Reichstagsmuseum・帝国議会 :ガイド付き15:30~16:30)。Regensburgレーゲンスブルクを17時にスタート。=>B15 67km Landshut ランツフート・ Romantik Hotel Fuerstenhof ロマンチックホテル フュルステンホフに18:20到着。
夕食はミシュラン1星の ”Romantik Hotel Fuerstenhof ”の現代風ドイツ料理を得意とするレストラン ”Fuerstenzimmer領主の間” で(19:30~22:30)。
*Regensburgレーゲンスブルクを17時にスタート。雨もやんだ道をひたすら南下する。=>B15 67km この国道B15はレーゲンスブルクとランツフート間の古くからの街道のようです。予想した以上に、小さな村々をつなぎ、道も狭く、時間がかかった。
ランツフート ・ ロマンチックホテル フュルステンホフにはいつもより遅い、18:20に到着となった。
レセプションにいた陽気なオーナー夫人Simoneシモーネさんに夕食時間を30分ずらしてもらう。
写真はLandshutランツフート:Romantik Hotel Fuerstenhofロマンチックホテル フュルステンホフのMap -
イチオシ
<(1泊) ⑬泊目、 Romantik Hotel Fuerstenhofロマンチックホテル フュルステンホフ>
D-84034 Landshut 、Stethaimerstr.3
Romantik Hotel全24室・3S星 、203号室(3階)=Euro 110 。
TEL:49(0)871-92550
http://www.fuerstenhof.la
ミュンヘン空港まで30分・42kmとホテルのパンフレットにあったが、バイエルン王国の首都であったミュンヘンには70kmの距離だから、空港は手前にあり、ホテルからは近くて便利だ。
バイエルンで最も美しいゴシックの町ランツフートにあるロマンチックホテル(1906年開業)にはミシュラン1星のレストラン”Fuerstenzimmerフュルステンツィマー(領主の間)”(Jugendstil ユーゲントシュティール様式が見られる)があり、旅の最後の日に相応しいホテルである。
レストランは日曜と、月曜日の昼が休みなので、火曜日に宿泊・食事ができるように行程をわざわざ調整した。それに応えるだけのホテルです。
若く、才能あるオーナーシェフ夫妻がこのホテルにかける意気込みと美意識が隅々まで感じられたホテルだった。
【Jugendstilユーゲントシュティールとは;青年派様式若しくは青春様式とも訳している。1897~1910におけるドイツの芸術思潮である。その19世紀末の芸術は一種退廃的とも云われる芸術で、曖昧且つ曲線的表現を駆使している。
フランス語で言うアール・ヌーヴォーもそれに近い。Passauガラス博物館でもその作品群を見ることができたが、ウイーンで名高いクリムトの絵画がその代表であり、建築でも独特の色彩とデザインを持った建物がウイーンの町に見られる】
写真はLandshutランツフート:Romantik Hotel Fuerstenhofロマンチックホテル フュルステンホフの前景Romantik Hotel & Restaurant Furstenhof ホテル
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写真はRomantik Hotel Fuerstenhofロマンチックホテル フュルステンホフ 2015年版の冊子の紹介
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写真はロマンチックホテル フュルステンホフ:ホテルの皆さん・・・オーナーシェフAndre' Greuアンドレ・グレウ(グレイ) は座った方、すぐ後ろは奥方Simoneシモーネさん
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宿泊した203号室は3階の右手奥まった部屋で、ユーゲントシュティールと思われる装いが見える。
室内の設備、家具なども室料金に比して、大変立派だ。
写真はロマンチックホテル フュルステンホフ:203号室(3階) -
写真はロマンチックホテル フュルステンホフ:203号室(3階)
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【夕食:Romantik Hotel Fuerstenhofロマンチックホテル フュルステンホフのRestaurant「Fuerstenzimmerフュルステンツィマー(領主の間)」で】
19:30~22:30
Euro 177.1+Tips Euro 5=Euro182.1(@165.13=30,070円)
領主の間はJugendstilユーゲントシュティールの部屋で、ホテル自慢のレストランである。
;ミシュラン1星・Gault Millau 13点 、(全独217位)
;65席、従業員14名(日曜日休み)、
;コースEuro46~80。ワイン190銘柄。
;オーナーシェフAndre'Greuアンドレ・グレウ(グレイ) ・・・現代風ドイツ料理
旅の最後の夕食は第一日目の古城ホテル シェーンブルン城と同じランツフートにあるもう一つの古城ホテルに泊まり、食事を楽しむ事にした。
この春の旅で3軒目のグルメレストランだ。
ユーゲントシュティール様式のレストランだけに独特な色合いと飾りだ。椅子の布地の柄、電燈の笠、暖炉、硝子戸のガラスの絵に様式美を感じる。
先ほど、もう一つの公爵の間を見てみたが、こちらはバイエルン風の伝統的なレストランだった。殆どのお客さんはむしろ、こちらの方が好みらしい。
その所為か、領主の間の客は私共二人だけでした(少し時間が経つと、会社関係の集まりのような団体客が入って来た)。
写真はロマンチックホテル フュルステンホフ:Restaurant Fuerstenzimmerレストラン フュルステンツィマー(領主の間)の席はベストポジションでした。 -
<Romantik Menue ロマンチックメニューの4品コースとVegetarisches Menueヴェジタブルメニューの3品コース>
レストラン ”Fuerstenzimmerフュルステンツィマー(領主の間)”はミシュラン1星です。現代風ドイツ料理を得意とするだけに、料理が楽しみである。
私はロマンチックメニュー 4品、家内はヴェジタブルメニュー 3品コースをオーダーした。
さて飲み物は!Dirndlkleidディルンドルクライドのお嬢さんが注文を聞きにきた。
アペリティーフ:Sherry Finoドライ・シェリー 0.5CLx2 (Euro 10.4)
ワイン: Dr.Hegerドクター・ヘーガー の赤;2001年Spaetburgunder
シュペートブルグンダー、Ihringer Winklerberg Trockenイーリンガー ヴィンクラーベルク トロッケン 、Baden、バーデン(Euro 61)。
最近、バーデンワインの醸造元Dr.Hegerがお気に入りだ。
写真はレストラン 領主の間:花も飾られたテーブル。 -
シェフからの御挨拶:二品出てきました。
一品目は鴨肉の薄切りにラバーバソースかけ。
二つ目は野菜のライスペーパー巻きにラバーバソースかけ。
写真はレストラン 領主の間:シェフからの御挨拶;①鴨肉の薄切りにラバーバソースかけ。 -
イチオシ
広い「領主の間」の客は私共二人だけで始まった。
少し時間が経つと、会社関係の集まりのような団体客が入って来て、奥の横長い席に座った。
写真はレストラン 領主の間:シェリー酒で乾杯です。 -
写真はレストラン 領主の間:シェフからの御挨拶;②野菜のライスペーパー巻きにラバーバソースかけ。
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<Romantik Menue ロマンチックメニュー4品;Euro 56>
前菜:ナツメヤシ入りライスクッキーに燻製の SeeteufelアンコウとHummer-Wantanエビ入りワンタンのせ。
スープ:カモ肉の燻製のコンソメ、揚げたワンタン添え。
メイン:仔牛のフィレ肉、シュパーゲル(アスパラ)と新鮮なアミガサダケ添え。
デザート:ラバーバのクリーム、白いチョコレートアイス、イチゴ
写真はレストラン 領主の間:私の前菜;ナツメヤシ入りライスクッキーに燻製のアンコウとエビ入りワンタンのせ -
<Vegetarisches Menue ヴェジタブル(野菜)のメニュー3品;Euro 42>
前菜:野菜サラダ、白アスパラに南瓜の種、トマトソースのせ。
メイン:ラビオリとホウレンソウのピューレ、赤ワインSchalottenシャロッテン ソースかけ。
デザート:バリエーションFuerstenhofフュルステンホフ(イチゴ、チョコレートスティック、バニラアイス)
写真はレストラン 領主の間:家内の前菜;野菜サラダ、白アスパラ -
写真はレストラン 領主の間:前菜の段階でスタッフが撮ってくれた。
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写真はレストラン 領主の間:私のスープ:カモ肉の燻製のコンソメ、揚げたワンタン添え。
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イチオシ
写真はレストラン 領主の間:私のメイン;仔牛のフィレ肉、シュパーゲル(アスパラ)と新鮮なアミガサダケ添え。
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写真はレストラン 領主の間:私のメイン;仔牛のフィレ肉、シュパーゲル(アスパラ)と新鮮なアミガサダケ添え。もう一枚!
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写真はレストラン 領主の間:家内のメイン;ラビオリとホウレン草のピューレ、赤ワインSchalottenシャロッテン ソースかけ。
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イチオシ
写真はレストラン 領主の間:家内のデザート;バリエーションFuerstenhofフュルステンホフ(イチゴ、チョコレートスティック、バニラアイス)
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中国料理の影響を受けているようで、私の前菜、スープにワンタンが出てきたのには驚いたが、さすがに美味しい。
現代風ドイツ料理とはこういうものなのか?!皿や盛り付けへの気配り、新鮮な野菜、料理の少量化というものが、流れになっているようだ。
写真はレストラン 領主の間:会社関係の集まりのような団体客が入って来て、奥の横長い席に座った。急に騒がしい雰囲気になった。 -
写真はレストラン 領主の間:私のデザート;ラバーバのクリーム、白いチョコレートアイス、イチゴ
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若い女性のスタッフにワインのラベルはがしをお願いしたが、珍しく尻込みしたので、自分ではがした。
写真はレストラン 領主の間:Dr.Heger の赤のラベル(2001年Spaetburgunder、Ihringer Winklerberg Trocken 、Baden(Euro 61) -
2008年春に訪れたバイエルンのグルメレストラン3店は以下の通りで、それぞれの料理を体験してみると、確かに星の差、ドイツランクの差を感じたものです。
①4月24日、Aschauアッシャウ・Residenz Heinz Winklerレジデンツ・ハインツ・ヴィンクラー:ミシュラン3星レストラン『ヴェネチアニッシェ レストラン』(ドイツランク4位)、
②4月21日、Tegernseeテーゲルン湖Rottach-Egernロタッハ・エゲルン・Park-Hotel Enerner Hoefeパークホテル エゲルナーへーフェ:ミシュラン1星レストラン『作家の間』(ドイツランク64位)、
③4月29日、Landshutランツフート・Romantik Hotel Fuerstenhofロマンチックホテル フュルステンホフ:ミシュラン1星レストラン『領主の間』(ドイツランク217位)
写真は満足した食後にレセプション傍のラウンジで、オーナー夫人Simoneシモーネさんに撮って頂いた。
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心地よい酔いが残っているが、部屋に戻って、明日の帰国準備をしなくてはならないのが面倒なのだが・・・。 -
<4.30 (水) 快晴 15℃、 47km>
朝食後、Hotel を9:30にスタート。ランツフート市内でお土産など購入。9:45~10:45 =>B15L?A92 Freisingフライジング =>L? 42km 空港手前のOMV給油所で休憩・お茶を(11:25~11:45)。最後の給油をして、12:25に空港に向かう。
=>L? 5km Munechen Airportミュンヘン空港には12:36に到着。12:37、ハーツにレンタカーを返却。ミュンヘン発成田行き LH714 には13時にはチェックインし、搭乗時間の15:30まで、お土産購入など。
*朝食は昨日の“領主の間”でドイツ最後の朝食を頂く。
朝食後は恒例のホテル内外を散策をした。
写真はレストラン 領主の間:ドイツ最後の朝食はこちらでとった。 -
写真はレストラン 領主の間:ビュッヘ方式の朝食
【Romantik Hotel:Romantik 2007年版のHotel&Restaurant案内書】
2004年の南ドイツ、オーストリア周遊で泊まったBad AiblingのRomantik Hotel Lindner や食事に訪れたSt.Wolfgangの白馬亭が、そして2005年の旅でも利用したハルツのQuedlinburgのRomantik Hotel Theophanoもこれに掲載されている。
2007年には黒い森のHotel Sackmannでミシュラン1星の料理を堪能しました。
私は泊まったホテルで出来るだけ、情報を入手するようにしているが、この案内書はヨーロッパを中心にしたもので、歴史ある、大変雰囲気の良いホテルばかりが載っている。料理も美味しく、シテイホテルとは違った魅力が一杯である。
私のホテルの選択は、①古城ホテル、②ロマンチック掲載のホテル、③インターネットで見つける・・・という順序にしている。
尚、①は町から離れているケースが多く、レンタカーが必須です。
参考にHPを書いておきます。:http://www.romantikhotels.com
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イチオシ
ホテルの各所やホテル前を見て回る。
レストラン“Herzogstueberlヘルツォークシュテーベル(公爵の小間)”は“領主の間”とは異なる趣むきであり、大きな天井の梁がむき出しで、木彫りの立像や様々な飾り付けがNiederbayern低地バイエルン地方独特の魅力を見せていて、ここも捨てがたいと思うレストランである。
写真はレストラン“Herzogstueberlヘルツォークシュテーベル(公爵の小間) -
こちらの“ヘルツォークシュテーベル(公爵の小間)”はバイエルン風の伝統的なレストランである。もう一泊あれば、こちらの夕食も体験したかったが。
写真はレストラン 公爵の小間で -
写真はレストラン 公爵の小間で一緒に撮って頂いた。
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ホテルのスタッフがきれいなDirndlkleidディルンドルクライドという民族衣装を着けて立ち働いていたので、家内は一緒に写真を撮らせてもらった。
写真はレストラン 公爵の小間でディルンドルクライドのお嬢さんと一緒に撮る。 -
写真はレストラン 公爵の小間の傍で古い人形などが飾られていた。
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写真はRestaurant Wintergarten-Pavillionレストラン ヴィンターガルテン(冬園または温室の意)パビリオン・・・こうしたパーティ―用のレストランもある。
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ホテルの外に出てみると、3階の203号室は向かって左手奥に見えた。
ホテルの赤茶色の屋根、緑の蔦がからまる白い壁が真っ青の空に映えて、
なかなか格好が良い。
写真はロマンチックホテル フュルステンホフの前景 -
写真はロマンチックホテル フュルステンホフの玄関前で、空港に向かう前に一枚。
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写真は旅行で楽しんだドイツレストラン格付け:2001~8年 Volkenborn Hitlisten スキャン・・・ミシュラン1星レストラン領主の間(Landshut・Romantik Hotel Fuerstenhof)
(2024年1月7日Wiki・HP参考、訳・編集追記)
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お立ち寄りの皆様、
あけましておめでとうございます。
早々とご投稿を開始され、或いは新しい旅にチャレンジされ、
御元気に活動されておられるご様子、誠に素晴らしく、
何よりのことです。
本編は「ドイツの美味なるもの2」シリーズの続きです。
傘寿を過ぎたjijidarumaですが、これからも少しずつ
投稿やお立ち寄りを続けていきたいと考えております。
本年も宜しくお願い致します。
jijidaruma
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