2019/09/26 - 2019/09/26
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jijidarumaさん
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【ホテル自慢の鴨料理を楽しんだAlthoff Hotel Fuerstenhof Celleアルトホフ(古城ホテル)フュルステンホフ ツェレもこの40年の間に大きく変わった!】
1982年4月、2005年4月、そして2019年9月と北ドイツの有数の観光地である木組み建築の町ツェレを訪れているが、17世紀のバロック様式の宮廷であったHotel Fuerstenhof Celleホテル フュルステンホフ ツェレには2度泊まり、鴨料理を楽しんだものだ。
写真は2005.04.21.北ドイツ周遊:ルノー2200㏄7人乗りバン、04.26.ツェレのフュルステンホフでの夕食・鴨料理
(注記)
学生時代所属していた格闘技の部で、4期という混とんとした草創期を過ごした。
昨秋、その部も創部60周年を迎えた。周年記念誌に【ドイツ時代に来訪した後輩たち】と称した、マッチョたちが投稿したものと、大いに変わった!?小文を投稿した。
記念誌がOBたちに届くと、投稿分に登場する内の3人から懐かし気にお礼の手紙やメールが届いた。
特に駐在時を共にした後輩の手紙に触発されて、当時に遡って、手元のアルバムの写真などから、3度訪れたホテル フュルステンホフの鴨料理について旅行記に纏めてみた。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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デュッセルドルフは“ライン川畔の小パリ”といわれるおしゃれな街並みをもち、ドイツでも人口の最も多い州であるノルトライン・ヴェストファーレン州の州都です。当時の人口57万人、人口の凡そ1%が日本人と云われていました。
写真は1982.04.04.第二回目のDuesseldorfデュッセルドルフ駐在:上右はルター広場のビスマルク像前で次女と、上中央はヤン・ベレン広場で家内と長女、後の高層ビルはドイツ最大の鉄鋼メーカーであるティッセンの本社ビル(現在は合併によりThyssenKruppティッセンクルップ AGとなっている) 、
残りの写真は絵葉書:ライン川畔・旧市街のレストラン街・Koeケー(王様の小道)の噴水です。 -
写真はGast im Schlossガスト・イム・シュロス(意訳すれば、古城ホテルの滞在を楽しむ)・・・ドイツ古城ホテル全図(1982年・西ドイツ時代)はよく利用した。
(黒線は1974年~1985年の駐在時に宿泊した古城ホテル、赤線は2001年以降~2019年まで定年後の旅で利用した。統合後のドイツはこの表にあるものよりずっと多くなっているようだ) -
≪Ⅰ:オースター休暇で北ドイツを巡る≫
1982年4月9日~12日、Osternオースター(=Easterイースター)休暇を利用して北ドイツに家族旅行をした。
その際、ドイツ古城ホテルの冊子に掲載されていた、17世紀のバロック様式の宮廷だったホテル フュルステンホフ ツェレ(前頁図の赤丸No.64)に初めて一泊し、レストラン・エンテンファング(鴨の罠=鴨猟)で食事をした。
その「鴨料理」が実に美味しかった思い出が残った。
(当時はデジカメを所有せず、また食事の際に料理を撮る習慣も無かったから写真はない。
・・・2005年に再訪した際の夕食をご参照)
写真は北ドイツの旅(イースター=オースター休暇)のMap・・・簡単な行程 -
ツェレ大公と呼ばれたブラウンシュヴァイク・リューネブルク公爵とホテル:
17世紀のバロック様式の宮廷であった5星ホテルAlthoff Hotel Fuerstenhofアルトホフ(古城ホテル)フュルステンホフ ツェレと書いているが、この宮廷はHerzogtum Braunschweig-Lüneburgブラウンシュヴァイク・リューネブルク公爵でツェレ大公と呼ばれたのはGeorg Wilhelmゲオルク・ヴィルヘルム(1624年~1705年)のものであろう。
ツェレ大公は17世紀の半ば過ぎにツェレ宮殿をバロック建築に改めて内部をイタリア芸術で飾り、フランス音楽愛好家だった大公妃エレオノールの要望で1675年に城内でオペラ劇場を作ったと云われている。
写真は北ドイツの旅(イースター=オースター休暇)の行程・・・日程と概略 -
写真はイースター=オースター休暇・1982年4月9日ツェレ観光:右上から時計回りで、①ボーマン博物館、②写真左奥にツェレ大公の宮殿、③観光案内所前に左右に罪人さらし台(支柱)が首輪付きである、④シュロスパーク(宮殿の庭園)の水堀、⑤旧市庁舎(観光案内所)
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写真はイースター=オースター休暇・1982年4月9日ツェレ観光:美しい木組み建築の家並み、旧市庁舎内のラーツケラーで昼食をとった。
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写真はイースター=オースター休暇・1982年4月9日ツェレ観光:左上にツェレ宮殿(正面)、左下に宮殿内礼拝堂、下中央に宮殿内入場券、上中央にもっとも有名なホッペナーハウス、その他は木組みの家並み。
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写真はイースター=オースター休暇:1982年4月9日5星の古城ホテル フュルステンホフ(17世紀のバロック様式の宮廷であった):レストラン・エンテンファング(鴨の罠=鴨猟)など
アルトホフ ホテル フュルステンホフ ホテル
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写真はイースター=オースター休暇:1982年4月9日ツェレ・古城ホテル フュルステンホフのグルメレストラン エンテンファング(鴨の罠=鴨猟)の鴨料理のこと。
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写真はイースター=オースター休暇:1982年4月9日ツェレ・古城ホテル フュルステンホフの室内プールで、長女12歳、次女9歳が泳ぐ!?
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翌朝、同業のK氏(大学での格闘技の9期主将、私の5期後輩になる)ご一家とばったり会って、ビックリした思い出もあります。
ドイツの古城ホテル巡りについては、確かK氏に「Gast im Schlossガスト・イム・シュロス(古城ホテルの滞在を楽しむ)」のパンフレットをあげたことがあったから、オースター休暇などを利用してトライしていたのだろう。
現役時代もK氏の事は知っていたし、就職にもアドバイスなどをした後輩が、1978年12月8日に赴任してきた。
後輩が同じ町に赴任してきたことが大変嬉しかったものだ。
赴任早々の12月10日、中世そのままの町ローテンブルクにあったゲーテ語学学校に入校する為、デュッセルドルフ中央駅から午前9時4分発、ヴュルツブルク行き電車に緊張した顔をしたK氏が乗るのを、家内と共に見送った。
修学後、デュッセルドルフでの住居設営などにも力をかした。
BMWの赤い中古車を購入して、K氏が嬉しそうにしていた事も覚えている。
二人の駐在時期が重なったのは、同業のK氏が赴任してきた1978年12月から、私が第一回の駐在を終えて帰国した1979年8月と、再び赴任した1982年1月から、K氏が1984年5月に5年半のドイツ駐在を終えて帰国した時までだ。
重なった期間は凡そ3年間である。
ついでに言うと、駐在中(2度通算9年)に出張でデュッセルドルフにやって来た部の後輩は3人で、K氏を入れると4人になる。
スイスに駐在していた1期下のM氏は3度の出張の都度、我が家を訪れた。
ロンドンやパリに駐在した者たちからは、何かあると電話があった。
年次が近い連中の所為もあったが、こうして振り返ると、体力自慢の我が部は海外志向が強かったようだ。
写真はイースター=オースター休暇:1982年4月9日ツェレ・古城ホテル フュルステンホフの部屋番号と1泊料金(旧DM) -
フュルステンホフ本館最上階の部屋を家族で見学、立派な家具やご先祖様の絵画そして、時節がらオースターの卵飾りが飾られていた。
次はリューネブルクに向かう。
写真はイースター=オースター休暇:ツェレ・古城ホテル フュルステンホフの本館内見学 -
≪Ⅱ:23年ぶりの北ドイツ巡りで、再訪した古城ホテル フュルステンホフのホテル自慢の“鴨料理”を楽しんだ≫
期間:2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間、 1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツです。
目的地:1989年の来日以来、16年ぶりに旧交を温めるべく、ブレーメンの友人S夫妻を訪問し、ドイツの誇る世界遺産の町々(ブレーメン、リューベック、ヴィスマール、ブラウンシュヴァイク、ヒルデスハイム、更にクウェートリンブルグ、ゴスラー)や、ハンザ諸都市・エリカ街道(塩の道)・ハルツ山地(魔女伝説)・メルヘン街道を巡る、盛りだくさんの旅(総走行距離は2,087km)をした。
写真はかつての古城ホテル案内本(左にドイツ、右にオーストリア) -
写真はかつての古城ホテル案内本(左に古城ホテル フュルステンホフ、右に古城ホテル トレンデンブルグ城)
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木組みの家並みで知られたツェレの旧市街にも近いハノーファー通りに面し、17世紀のバロック様式の宮廷であった、古城ホテル フュルステンホフにチェックインして、ホッとする。
駐車場は一杯で、お客も多そうだ。今回の旅では最高級の5星ホテルだけに、駐車している車も、メルセデス、ポルシェなど高級車ばかりだ。
No.403号室は本館に連結した建物にあり、部屋からは中庭がみえ、モダンな部屋でした。古城ホテルのイメージを好ましく思うので、モダン過ぎたから少々残念でした。その分、バスルームは十分な広さで、明るい快適なものだった。
写真は2005.04.25.ツェレの絵葉書:ツェレ大公の宮殿、古城ホテル フュルステンホフ -
このホテルに2泊して、ここからBraunschweigブラウンシュヴァイクやHildesheimヒルデスハイムの町々を見て回る。
26日16:40ヒルデスハイムを出発し、A7、B3を約70km走ると、凡そ200kmの回遊は終わり、予定通りの17:30、古城ホテル フュルステンホフに帰った。
今日の夕食はホテルのRestaurant Endtenfangレストラン・エンテンファング(鴨の罠=鴨猟)を予約済みです。月曜日がお休みなので、旅の行程をいろいろと調整し、火曜日の今夜にしましたが、23年ぶりの味はどうでしょうか?!!
写真は2005.04.25.ツェレは木組みの家並みで知られ、町一番の美しい家ホッペナーハウス、久しぶりの中華 -
2005年4月25日(月)~27(水) (2泊):
Hotel Fuerstenhof Celle 古城ホテル フュルステンホフ ツェレ
D-29221 Celle 、Hannoverschestr.55/56、
5星・全73室、No.403号室Euro179 X 2=Euro358、駐車代Euro 16.5
TEL:49(0)-5141-2010、FAX:49(0)-5141-201120
<Restaurant Endtenfangレストラン・エンテンファング(鴨の罠=鴨猟)>
夕食はミシュランの1星付きレストランRestaurant Endtenfangレストラン・エンテンファング(鴨の罠、若しくは鴨の捕獲を意味して、Braunschweigブラウンシュヴァイク・Lueneburgリューネブルク公爵家が鴨を罠で捕らえ、この肉を焼いて、食事を楽しんだという何百年もの伝統に、その名は由来する)は中世以来の鴨料理を得意としていた。
写真は(17世紀のバロック様式の宮廷であった)Hotel Fuerstenhof Celle 古城ホテル フュルステンホフ ツェレ -
イチオシ
ホテルのお客はこれを目当てにやってくるそうだ。この旅で、一番の贅沢がこのホテルの宿泊とここ、エンテンファングでの食事でした。
レストランはプレシーズンの所為か?お客は3組程度です。ベストの席に案内されて、今日は大事にされそうである。
1982年4月9日に、家族旅行で初めて一泊し、このレストランで食事をしましたが、その時の鴨料理が大変、美味しかった思い出があり、今夜も“鴨料理”と決めています。
名物“鴨料理”は二人以上のオーダーが必要となる。
写真は2005.04.21.北ドイツ周遊:ルノー2200㏄7人乗りバン、04.26.ツェレのフュルステンホフでの夕食・Restaurant Endtenfangレストラン・エンテンファング(鴨の罠=鴨猟)の鴨料理・・・ウエーターが一匹の若鴨を我々の席の前に持ってきて、切り分けます。 -
イチオシ
まずは<シェフの御挨拶>として、チェリーをパンの小片にのせた小品が出て、食前酒は辛口のシェリーで乾杯だ。
<前菜><スープ>
小さくきざまれたマンゴに緑のアスパラソースかけた品が出て来た。たいへん美味しく頂いた。
若鴨が焼けるまでの繋ぎに、白アスパラの小さなスープもでて、嬉しくなる。
<ワイン>
ライン川右岸、Ruedesheimリューデスハイム近くのOestrich-Winkelエストリヒ・ヴィンケル産辛口白;Peter Jakob Kuehn 2000、 Oestrich Doosberg Spaetlese Trocken :Rheingau Rieslingラインガウのリースリング(Qmp 750ml=Euro59)を女性ソムリエのお勧めで、注文した。
写真は2005.04.26.ツェレのフュルステンホフの夕食・名物の鴨料理 -
イチオシ
<メイン>
ウエーターが一匹の若鴨を我々の席の前に持ってきて、切り分けます。
【若鴨は野飼いの生後6週間の鴨で、重さ2000gと決まっているとのことです。鴨の内外にいろいろな香辛料を抽入し、ぬり、それを特製フライパンで、50分(200℃の温度)じっくりと焼くのだとの事。
ソースも鴨の皮や肉汁を利用し、香辛料、コニャック、クリーム、バター等を加えて作るそうで、まさに鴨尽くしと言えましょう】
最初は甘酸っぱいソースがかかる鴨を頂く、23年前の記憶通りの絶妙な味に感激する。
皿が下げられると、少し間をおく為に「口直し」として、Guaveグアバ(和名は蕃石榴バンジロウまたはバンザクロ)というフルーツにメロンのソースをかけたものと、アイスが出てきました。
写真は2005.04.26.ツェレのフュルステンホフの夕食・名物の鴨料理 -
そして、第二回目の鴨が出てくる。
今度は鴨のレバーソースがかかっていて、ちょっと重さを感じる、大人の味です。
23年前の39歳の若さには、全く問題ない量でしたが、今日はさすがに家内も食べきれず、私も満腹でした。
<デザート>
三色のアイスにチョコレートムースが5つの容器に入って、シャレタ形で出てきました。
<コーヒー>
食後のコーヒーには盆に載ったクッキーが出てきて、さすがにクッキーは部屋に持って帰りたくなりました。
・・・
『チーズは?ブランデーなど如何ですか?!!』
『充分です。日本人は小さな胃しか持っていないのでもう満腹ですよ!!』
(もっとも、私共はこうした満足した夕食を食べた後に、チーズを食べたことが無い。また、ブランデーなどの食後酒も飲む事は無いのだ)
チップ(Euro10)込みで、今思うと何やら中途半端な数字(切上げてEuro200にすべきだったか?!)になっているのだが、
Euro196.5=28,000円の請求書(次頁にその請求明細がある)にサインした
(これはチェックアウト時に室料、駐車料金と一緒に支払うためだが)。
もう他のお客の姿が無く、私共が最後のお客になっていた。
レストラン支配人、ウエーター達の丁重な挨拶を受けて、満足!!満足!の晩餐は終わりました。
XXX
定年退職後のドイツ感傷旅行は3回目、満61歳の時でした。
写真は2005.04.27.ツェレのフュルステンホフ:名物の鴨料理のレシート、出発前に昨夜のエンテンファングで朝食 -
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
≪Ⅲ:2019年9月、定年後のドイツ感傷旅行も17回を数えた。初秋の旅はメルヘン街道と木組み建築街道の旅になった≫
この40年間で3度訪れたが、ホテル自慢の鴨料理を楽しんだAlthoff Hotel Fuerstenhof Celleアルトホフ(古城ホテル)フュルステンホフ ツェレも大きく変わった!
期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
グリム童話の故郷を繋ぐメルヘン街道はブレーメンを皮切りにWeserヴェーザー川にそった町や村、古城、たいへん魅力的な木組み建築の家並み街道(Celleツェレ、Einbeckアインベック、H・Muendenハン・ミュンデンなど)、ハンザ都市、三十年戦争の平和条約の締結の町(Muensterミュンスターには以前訪れているので、今回はOsnabrueckオスナブリュックに)、ローマ軍団とゲルマン民族との戦いの場(トイトブルク森の戦い)のBramsche‐Kalkrieseブラームシェ・カルクリーゼ遺跡などを巡ります。
ゆっくり走る田舎巡りが一番で、街道沿いの幾つかの古城ホテルに泊まり、料理を楽しむ、<総走行距離は1,516km>である。
写真はツェレの観光地図 -
2019年9月26日(木) 晴れのち曇り、13℃~18℃ 13:50~14:00
<Althoff Hotel Fuerstenhof Celle
アルトホフ(古城ホテル)フュルステンホフ ツェレ>
Hannoversche Str. 55/56
https://www.althoffcollection.com/en/althoff-hotel-fuerstenhof-celle
5星・全62室、ハノーファー通りに面し、17世紀のバロック様式の宮廷であった5星ホテルAlthoff Hotel Fuerstenhofアルトホフ(古城ホテル)フュルステンホフ ツェレがある。
写真は5星ホテルAlthoff Hotel Fuerstenhofアルトホフ(古城ホテル)フュルステンホフ ツェレのイタリアレストラン棟 -
以前はHotel Fuerstenhof Celle古城ホテル フュルステンホフ ツェレと言っていたが、Hotelの前にホテル企業家Althoffアルトホフ氏の率いるグループ名が付いた。
因みに、このグループは全て5星ホテルで、ミシュラン星付きのグルメレストランを持っているようだ。代表的なのはケルン近郊にあるAlthoff Grandhotel Schloss Bensberg古城ホテル ベンスベルク城である。
写真は5星ホテルAlthoff Hotel Fuerstenhofアルトホフ(古城ホテル)フュルステンホフ ツェレの本館 -
ツェレの宮殿から徒歩10分、フランス風庭園から徒歩8分です。
2度宿泊したホテルがとても懐かしく、シュロスパーク(宮殿の庭園)から歩いて行った。結果は唯、写真を撮って帰って来ただけなのだが・・・。
ホテルの案内はミシュラン1星のグルメレストラン「Endtenfangエンテンファング」では地中海料理を、Taverna & Trattoria Palioタベルナ&トラットリア パリオでは美味いイタリア料理を味わえると云う。
*ホテルのHPを遡ってみると、
2017年12月28日アルトホフ ホテル フュルステンホフの発表があり、ツェレで25年以上にわたり、ミシュランの星を獲得してきたグルメレストランEndtenfangエンテンファングは、今後レストランを開く頻度が大幅に少なくなり、将来的には週末にのみ運営されるとの事である。
現在、シェフのHolger Lutzホルガー・ルッツは厳選されたコースメニューを提供しているが、徐々にホテルのイタリアンレストランPalioパリオを強化していく方針であると述べている。
写真はかつてのEndtenfangエンテンファングかな! -
経営母体が変わり、もうこのホテルもかつての「鴨料理」のようなものにありつけるのは無理そうだ。ツェレの町同様に、ホテルも中心はイタリア料理なのだ。
(尚、HPをみてみると、「Endtenfangエンテンファング」では伝統的な鴨料理は通常、提供が無いように思われた。
ただ、2018年のクリスマス時にGaenseessenゲンゼエッセン(ガチョウ料理・・・ドイツのクリスマスの定番メニューであるガチョウのロースト)の提供があり、ホテルに予約することが可能らしい。また、クリスマスイブにはホテルのゲストにのみ、ガチョウ料理が提供されると云うことだが・・・)
写真はTaverna & Trattoria Palioタベルナ&トラットリアパリオ
・・・・・
定年退職後のドイツ感傷旅行は17回目、満75歳の時でした。
以降の頁は2019年ツェレ観光の写真集(抜粋)です。見覚えもあるでしょう。 -
ツェレはニーダーザクセン州に属する中都市、人口は約7万人。ヴェーザー川の支流Allerアラー川(全長263km)が町を流れる。「北ドイツの真珠」と呼ばれ、ルネサンスとバロック様式のツェレ宮殿と、絵のように美しい旧市街に400もの木組みの家並みが残り、その景観は素晴らしい。ニーダーザクセン州の州都ハノーファーはツェレから南西に40kmの距離、ヒルデスハイムは南に60 km、ハンブルクは北に120 kmの距離にある。
(お茶):Museumscafe博物館カフェ
An der Stadtkirche 1 、
https://www.konditorei-baxmann.de/Cafe
ボーマン博物館(地上階)を見学し、その反対側に併設されていたカフェで小休止した。
Konditorei & Chocolaterie Baxmannバックスマンというケーキ屋さんの支店だった。
二人ともコーヒーに、ケーゼクーヘンとシュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ(黒い森の さくらんぼケーキ)を頂く、美味しい。
お代はチップ込みでEuro13=1,636円。
写真は旅行では定番のケーゼクーヘン(チーズケーキ)とシュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ(黒い森の さくらんぼケーキ)を注文する -
Hoppener Hausホッペナーハウス:
Postポスト通りとRundeルンデ通りの角にある。
色とりどりの華やかな木組みの家々が残るツェレの旧市街のなかでも、切妻壁をもつ威風堂々とした最も美しいといわれる家、町一番の木組みの家、Hoppener Hausホッペナー・ハウス(1532年)は深い緑色の木枠とレンガ色の色調が実に素晴らしい。その木枠部分には神話上の生き物や人物をモチーフにした色鮮やかで細やかな彫刻が施されている。
美しい木組みの家は年月と共に色合いのも変わってしまうが、何度見ても印象的だ。旧市街で最も有名であるから、今回も昨日の到着早々に見ている。
写真は町一番有名なホッペナーハウス -
Schlossparkシュロスパーク:
ツェレ宮殿は軍事的な意味はない城郭であったため、外側の稜堡は1785年から1802年の間に取り壊され、より深く、より広い水堀にするための建設用材になってしまった。さらに1826年から、防御壁が取り壊され、城の周辺環境の美化に美しい庭園が造成された。
庭園は約7haの広さとなっている。現在のツェレ宮殿は堀に囲まれた島に立っている形状になった。広い芝生、水堀、見事な大木群、リスが走る・・・実に恵まれた景観が羨ましい。
写真はツェレ宮殿の裏手にSchlossparkシュロスパークがある。中央に馬と調教師の銅像、後方にツェレ宮殿 -
木組みの家並みの町めぐり:
旧市街にはどの通りに入っても、様々な木組みの家が並んでいる。上階にいくほど、前にせり出す独特の建築様式は面白く、1階の広さで税金が決められた当時の苦肉の策・工夫というのだが、ともかく見飽きるほどに多いのだ。
宿泊ホテルから出て、一番北の道から順次南の道に歩く。Schuhstrasse靴通り、Neuen Strasse新通り、Am Heiligen Kreuz聖十字架、Zoellnerstrasseツェルナー通り、Stechbahnシュテッヒバーン通り、Poststrasseポスト通り、Rundestrasseルンデ通り、Mauernstrasseマウエルン通りといったところだ。
ここでは、聖十字架26番地にある「1526年建築のDas aelteste datierte Haus Cellesツェレの町で最も古い木組みの家」を写真に撮っている。
Gotische Ornamente! ゴシックの装飾品!と呼ばれる。1526年以来、何度も居住者、店舗も変わり、2013年に靴屋となっていたが、現在は借主の募集中だった。
写真は聖十字架26番地のツェレで最も古い木組みの家(中央)
(2023年1月27日編集・追記)
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この旅行記へのコメント (2)
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- Mugieさん 2023/01/28 21:06:43
- こんばんは!
- デュッセルドルフは日本人がたくさん住んでいるというイメージですが、人口のわずか1%程度なんですね。
ハノーバーに行った時も観光地ではないせいか、街中にアジア人が少ないな、と思いました。
ツェレはハノーバーから日帰りで行きました。
小さな町ですが、木組みの家がとてもかわいらしいのと、伝統的な様式の建物の中に今時のショップが入ってるのがおもしろいと思いました。
古城ホテルもあったんですね。
とても懐かしくなりました。
ムギー
- jijidarumaさん からの返信 2023/01/29 01:47:57
- Re: こんばんは!
- ムギーさん、
今晩は。コメントありがとうございました。
この旅行記を一気に作り、印刷しました。そして後輩のK氏宛てに28日付のヤマト便で送りました。きっとまた驚き、懐かしむことでしょう。
そうなんですね。デュッセルドルフは日本人駐在員と家族数でいくと、欧州最大とよく云われていました。
ロンドン、パリとはそのへんが違っていて、同一性の職業人たちの集合体でした。ドイツにおける日本の植民地とか、少東京とか揶揄されていましたが、N-W州やデュッセルドルフ市にとっては、単なる1%以上に大きなメリット(所得税収入や家賃収入、買い物など)があったと思いますよ。
北ドイツはおっしゃるようにアジア人は当時少なかったでしょう。
ハンブルクに日本の各社が支店を設けていましたが、会社数も少なく、たいした人数でもなかったです。ハノーバーでメッセが開催された時が一番日本人が集中したかもしれませんね。機械の見本市には家族と共におにぎり、みそ汁などを陣中見舞いと称して持参したものでした。
ツェレは好ましい町でした。私は木組み建築の家並みが好きで、メルヘン街道から外れますが、北ドイツの旅ではよく訪れた町の一つです。
それではまた。ありがとうございました。
jijidaruma
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