<ドイツ バイエルン州;バイエルン王国の周遊>
:アルペン街道・キーム湖・ドナウ、...
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期間:2008年4月17日(木)~5月1日(木)15日間の旅
目的地:今春の旅はドイツ南部、バイエルン州のOberbayern高地バイエルンと呼ばれるアルプス地方とOstbayern東バイエルン地方を巡る旅である。
Freistaat Bayernバイエルン州は面積(7千万㎢)がドイツ最大、人口(12百万人・カトリック教徒が凡そ67%、新教徒が24%と数えられている)も二番手となる有力州であり、それぞれが個性的な四つの地方からなる。
州都ミュンヘンを中心とするOberbayern高地バイエルン地方、
レーゲンスブルクを中心としたOstbayern東バイエルン地方、
ニュルンベルクを中心としたフランケン地方、
アウクスブルクが中心都市となるアルゴイ・バイエリッシャー-シュヴァーベン地方である。
<4.18(金) 快晴 16℃、 137km>
8:30城の周辺を散策し、シェーンブルン城、9:10スタート。Landshutランツフート(人口62千人)市内観光 =>6km 9:30~11:00 Trausnitzラウスニッツ城の見学。
*二度にわたるドイツ駐在生活にも拘らず、この古都Landshutランツフートの町を訪れるのは始めてである。
徐々に朝日も強くなり、今日は嬉しいことに、快晴になりそうだ。古城ホテル シェーンブルン城を9:10スタートした。メルセデスA-150はさすがに小さく感じる。
今日の観光はランツフート である。高台のTrausnitzラウスニッツ城を初めに見学した。
この町は1839年以来、ニーダーバイエルン地方政府の政庁所在地であり、800年の歴史ある町でもある。中世の面影は今も色濃く残り、ドイツでも有数の美しい町と云われてきた。又、神聖ローマ帝国・伯爵LudwigIX.,ルートヴィヒ9世とザクセン選帝侯フリードリヒ2世の娘*Amalia von Sachsenアマリアの息子Georgゲオルク公爵が1475年に美しい花嫁ヤドヴィガ・ヤギェロンカ ポーランド王女と「夢のような結婚式」を催した事で広く知られている。
【Burg Trausnitzトラウスニッツ城の見学】
Landshutランツフート(人口62千人)市内観光は先ず町を見下ろす高台に立つTrausnitzトラウスニッツ城の見学である(9:30~11:00)。
シェーンブルン城のレセプションで教えて頂いた道に沿って6kmほど登る。
城の後背地に小さな無料駐車場が設けられていた。
今年の芽吹きは遅いなと思いながら、森の中を数分歩くと、城門があり、この門を入り、外構えの長い城壁に沿って歩くと、所謂、一の丸の城門に至る。
その先には見事なトラウスニッツ城が青空の中に浮かんで見えた。
橋を渡って本丸内に入る。
ドイツでもたいへん立派な、力強い、見事な姿をもった城である。
トラウスニッツ城は1204年Kelheimケルハイム侯Ludwigルートヴィヒにより築城された。更にWilhelmヴィルヘルムⅤ世が1600年代に現在の力強い城郭を完成させた。残念なことに1961年の大火災により、殆どを消失している。消失後、直ちに再建に着手し、1975年に現在の形に復元された。
城下町から見上げた古城の姿もまたたいへん美しい。
<“Kunst und Wunderkammer芸術と自然の驚異の部屋”という展示室を見学>
ガイド案内は10時からだ。20分もあったので併設されている“Kunst und Wunderkammer芸術と自然の驚異の部屋”という展示室を見学する。
小学生のグループが先生に引率されて、説明を聞きながら様々な展示を熱心に見ている。こちらはガイド付ではないので、気楽に一巡できた。ここはWittelsbachヴィッテルスバッハ家のAlbrecht世公爵が16世紀の頃蒐集した作品だという。象牙、金銀や宝石のちりばめた宝石箱、家具、絵画、彫刻、仏像、貝、動物の剥製などなど、世界各地の多様な、一種脈絡の無い蒐集品であったように思えたが----。 (9:40~10:00)
<城内見学>
男性のガイドさんに導かれて、中庭の正面建物中央の一階入口から城内に入る。本日は“私共二人だけ”のガイドツアー(Euro10)で恐縮である。大火災の被害を受けただけに中身は少なく、ガイドさん曰く、“火災後、様々なアンチーク家具類を新たに収集し、展示している。”とのことだ。順路に沿って行くと、
①Duerniz騎士の広間:Ludwigルートヴィヒ侯のストーブ、15世紀の壁画の名残が入口の上に見られる。
②Italian Annexイタリアの間:天井の16世紀のフレスコ画は1965年に発見されたそうだ。ヴィルヘルム世とその妻Renataレナタ(仏・アルザス‐ロートリンゲンの出)の其々の肖像画。
③道化師の階段:16世紀にイタリアの芸術家によって古い喜劇が描かれたフレスコ画。火災から消失を免れたが、ススで汚れていた。
④Georgskapelleゲオルクの礼拝堂:13世紀にその大部分が建設され、後に二階建てになった。領主は二階で、他の人々は一階で祈りをささげたと云う。
⑤旧デュルニッツ従者の間:神聖ローマ帝国の7人の選帝侯の絵が掛けられている。
⑥二階の回廊から中庭を見下ろす。アーケードの階段下に泉が見え、右手の黄色い塔はWittelsbacher Turmヴィッテルスバッハの塔がある。塔は円筒形で最後の防御の砦だと云う。
⑦各部屋:緑のタイル張りのストーブ、音楽家や宮廷の道化師を描いた絵。
⑧イタリアの間:1578年製素焼きの天井は花や果物模様が描かれている。
⑨黒タイルのストーブ:17世紀のもので、ライオンの足と称する脚が付いたもの。
⑩地と水の壁画:本来は水、地、火、風の四要素を描いた壁画であったが、大火災の後、残った二要素のみを移したもの。
⑪領主の小部屋:二階には公爵の祈りの間が設けられていた。聖歌隊の席とも云う。
⑫三階の展示室:城の改築時に発見されたものが展示されている。
⑬タペストリーの間:17世紀のフランダースの職人により製作された壁掛けの絨毯には11匹の怪獣(聖ゲオルクが退治した)と12世紀のバイエルンで勢力を伸張したヴィッテルスバッハ家のオットー・フォン・ヴィッテルスバッハ公爵の生涯が表されているそうだ。皇帝・赤ひげ王がオットーに公爵を授ける図とか様々な壁掛けがかかっている。
⑭テラス:夏の間はここで宴が催された。テラスからの旧・新市街の眺望は素晴らしい。山上の城の裾野からIsar川までびっしりと赤い屋根の建物が続き、左手にはSt.Martinskirche聖マルティン教会が高々とした尖塔を見せている。
⑮控えの間:テラスに続く部屋にはJadwigaヤドヴィガ・ポーランド王女の美しい肖像画が見られる。市民が熱狂して迎えた意味が良く分かる。 (10:00~11:00)
親切にも日本語の説明書をコピーして頂いたガイドさんにはチップEuro3を手渡して、お別れです。
城門脇にあった120mの深い井戸を見下ろしてから、駐車場に急いだ。
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投稿日:2024/01/13