
2024/05/11 - 2024/05/11
1位(同エリア124件中)
morisukeさん
- morisukeさんTOP
- 旅行記160冊
- クチコミ2件
- Q&A回答0件
- 805,582アクセス
- フォロワー430人
オッサンネコです。
足尾。
銅の産出と精錬で日本の経済発展を支えた鉱都。
足尾の銅は明治日本の富国強兵を推し進める原動力になった反面、
公害という、大いなる「負の遺産」を生み出したのもまた事実。
社会の教科書にも出てくる「煙害によるハゲ山」というフレーズは、
少年の心に強烈なインパクトを残したのは間違いないでしょう。
結局、足尾銅山が引き起こした汚染は「足尾銅山鉱毒事件」と呼ばれ、
日本の公害クロニクルにその名を刻んだのは間違いないのですが、
実はこの事件、令和の現代でも未解決事件として続いているのです。
足尾の山をハゲ散らかした煙、今もなお鉱山から出てくる鉱毒、
そして一時の繁栄の後に残された”賑わい”の微かな痕跡。
そんな興味深いダークツーリズムへの招待を受けてしまった以上は…
行かねばならぬでしょう。
果たして、かつての鉱都が今もなお抱える「負の遺産」とは何なのか?
その時の記録です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
-
どうもどうも、オッサンネコことモリネコちゃんです。
本日は日本人なら誰でも聞いたことがある「足尾」までやってきました。
スタートは足尾の上流にある銅(あかつき)親水公園から。
公園の裏にはめちゃくちゃ巨大な堰堤「足尾砂防堰堤」が聳えてます。
足尾の山々は、銅の製錬所から出る煙害でハゲ山になった経緯があり、
ハゲ山と化した荒廃した土地に雨水を保水する力はなく、
ひとたび雨が降れば山肌の土ごと持って行かれちゃうのです。
当然その土は全て下流域へと流され、農業に深刻な影響を与えたため、
土砂の流出を防ぐ目的でとにかく巨大な砂防ダムが建設されたのです。
もうね、とにかく巨大です ( ゚Д゚) -
砂防堰堤に登ってみると… これはこれは絶景たるかな ( ゚Д゚)
ダムには集まってくる土砂をすべて食い止められるだけの敷地が必要‥。
そしたらこの莫大な土地が必要ってなわけざんす ( ゚Д゚)
この荒涼の大地の先にはカラミと呼ばれる鉱物残滓の堆積場や
明治時代に廃村を余儀なくされた旧松木村の跡地があるのですが、
今日は時間がないので、次回へのお楽しみに取っておきまっしょい。 -
砂防堰堤から仰ぎ見る足尾の山々。
漸く木々が回復しつつありますが、昔は岩石剥き出しのハゲ山でした。
逆を言えば、足尾銅山から毒の煙が出なくなって70年近く経つのですが、
山の植生の回復はまだまだこの程度なのです。
では、ここまで環境を破壊した煙害とは如何なるモノだったのか。
そのヒントはこの堰堤からさらに下流に辿ったところにあるのです。 -
その煙害を吐き出していた煙突がここからでも見ることができます。
なお当時足尾で働いていた人の証言によると‥
足尾の町は表現できないニオイのスモッグが慢性的に充満しており、
逆光下だとモワッと黄色がかって見えたと言われています。 -
砂防堰堤から流れる川。
めっちゃ綺麗ですやん…
これが本来のアシオ・ブルーなのか! (*゚∀゚)b -
かつて「愛宕下」という集落があった場所。
谷間のわずかな土地を平地にして何とか住める場所にしている感じ。
今は植林の木々が谷風に揺れるだけ (´ω` ) -
足尾銅山が稼働していた頃の愛宕下集落。
今植林がある場所には複数の世帯が暮らせる長屋の社宅が軒を連ね、
家族ぐるみの緩やかなコミュニティがそこにはあったのだろうと。
なお、それぞれの社宅にはお風呂が付いていないので、
集落には必ず共同浴場があり、住民の憩いとなっていたそうで ( *゚∀゚)b -
愛宕下集落に唯一残された遺構がコレ、防火壁。
平坦な土地が少ない足尾では、とにかく狭い平地に住宅が密集していたので、
一度火事が発生すると、集落が全滅する憂き目がありまして。
そのために一定の間隔で火の勢いを止める防火壁が必要だったのです。
なぜコレを住宅と一緒に取り壊さなかったのかは不明ざんす (* ´-` ) -
その防火壁も半世紀以上の時を経て崩壊の兆しが見え始めています。
ツワモノ達が夢の跡。
どんなに堅強な構造でも、手を加えなければいずれは野に還る。
自然の摂理とはそういうもの (*´з`) -
愛宕下集落の道端にあったお堂。
もはや管理をする人もいなくなった割にはきれいに保たれてます。
誰かが他の集落から掃除をしに来ているのかもですね ( *゚∀゚)b -
目の前に見えるのが「本山製錬所跡」
製錬所の大煙突が近くに見えてきたところで足尾の公害を整理しませう。
足尾銅山がもたらした公害の要因は、主に二つに分類されます。
ひとつは鉱毒の河川流出(鉱害)、そしてもうひとつは煙害による洪水。
その両方の原因をつくったのが、目の前に見えている製錬所になるのです。
まず、足尾に限らず、日本で採掘される銅は基本的に黄銅鉱になります。
黄銅鉱とは銅と鉄の硫化鉱物で、その化学式は「CuFeS2」ってな感じ。
即ち、銅を得るには邪魔な硫黄を取り除く作業(製錬)が必要なのです。
製錬の過程において硫黄そのものを単体で取り出す事はできないので、
銅の製錬には必然的に「硫酸」が副産物として出る事になります。
鉱物に含まれる硫黄分を硫酸として回収できれば問題ないのですが、
当時はそんなこと気にせずに亜硫酸ガスを大気中にモクモク排出し放題。
要は、公害が深刻になるまでの30年間「無対策」だったわけです。
えらいこっちゃ ( ゚Д゚)
そして追い討ちをかけたのが足尾の地形。
足尾は周囲を山々に囲まれた谷間の底部で発展した町だったので、
空気より重い亜硫酸ガスはずっと足尾の谷間に滞留することになります。
そこに雨が降れば、亜硫酸は雨と一緒に谷間の山林に降り注ぐことに‥
要は、強烈な酸性雨が足尾の山々に降り注いだわけですよ (´Д`ノ)ノl||
さらには、鉱山の開発と共に足尾周辺の人口も爆上がりしたので、
人々は薪を求めて、山間から木を伐採していきます σ;゚Д゚)σ
酸性雨と伐採、間もなく足尾の山から木々が消えていく始末…。
足尾を流れる松木川の下流域では洪水・氾濫が頻発する事になります。
今では小学生でも分かるやべぇことが足尾の山奥で行われたのですが、
当時の日本は「殖産興業」のスローガンの真っ只中。
足尾から生み出された銅は日本の輸出品の稼ぎ頭まで成長し、
日本の経済を根幹から支える必要不可欠なものという位置付けでした。
急な経済発展の裏には少なからず”歪み”が生じるわけですが、
まさに「技術より先に生産が優先された時代」だったのです。 -
イチオシ
そしてもう一つの問題が”鉱毒”となります。
先ほど硫化鉱物の化学式が「CuFeS2」になることを説明しましたが、
鉱物には銅や鉄以外にも微量に有害な鉱物を含んでいるのです。
代表的なのが、亜鉛、カドミウム、水銀など。
これらの有害な鉱物は、選別や製錬の過程を経て鉱物残滓に分けられます。
この不要な鉱物残滓を”カラミ”と言うのですが、
当時はこの”カラミ”を松木川の上流にまるごと廃棄してました。
なので、足尾に雨が降ると”カラミ”が雨と一緒に流される事になるため
松木川の下流、渡良瀬川流域の農村で深刻な鉱物汚染を引き起こします。
結局、渡良瀬川流域でコメ作に行き詰まった農夫たちが起こした訴訟問題、
これが「足尾銅山鉱毒問題」であり、日本初の公害問題となります。 -
次は赤倉という集落にある龍蔵寺というお寺から。
ここには旧松木村に捨て置かれた墓石を積んだ塔があるそうな。
時代は明治まで遡りまして、
現在の足尾の町よりもっと上流に「松木村」という集落がありました。
松木村は、元々林業や農業で生計を立てる山間の小さな村でしたが、
銅山の開発が進むにつれ、鉱山に従事する人も増えていったそうで。
まぁ足尾銅山と共に発展をした村だったわけですが、
件の通り、製錬所から排出された亜硫酸ガスで松木村の山野は荒廃。
農業はおろか、生活すらままならなくなる状況に追い込まれ、
最終的に村人たちは自ら生活の場を捨てるしかありませんでした。
それでも先祖の墓や無縁仏が放置されるのは忍びないと、
当時、町の信仰の中心であった龍蔵寺に移されたのが経緯となります。 -
イチオシ
で、その旧松木村の墓石でつくられた塔がこれ。
製錬所の煙突の真ん前に鎮座するこの構図。
無念と怒りがそのまま積み上げられた様に見えるのは錯覚でしょうか。 -
本来は松木村で守られたはずの墓石の塔。
静かな寺の片隅で、消滅した村のキオクを背負っているのかと思うと、
語られなかった住民の想いを感じさせるような気がします。 -
大煙突から少し下流側に進むと本山製錬所の硫酸タンクが見えてきます。
公害を時系列にまとめると、
・明治17年 本山製錬所が稼働開始
でも当時は硫酸なんて知ったこっちゃねぇの野放し状態‥
・明治30年代 国民が足尾がやべぇ事になってる事に気づき始める
この頃、ヒゲおじ田中正造が孤軍奮闘する
下流域の住民だって黙っちゃいない この惨状にブチ切れ
抗議活動を起こし、警察隊と衝突することもしばしば
ようやく国も重い腰を上げて運営側(古河金属)に指導をする
古河金属も「なんとかすっぺ」と考えるようになる
・明治40年代 技術者の指導で排ガス処理の試験設備を導入しはじめる
でも実質、排ガスは変わらず大気中にモクモクたれ流し
・大正元年 遂に硫酸回収装置が完成
回収した硫酸は肥料原料として販売・活用されるように
はい、というわけで回収した硫酸を溜め置くタンクがこちらになります。 -
本山製錬所前にある貴重な土木遺構「古河橋」。
元々この場所には木造の橋があったのですが、明治20年の火災で焼失。
ここに橋がないと製錬所へのアクセス面で色々不備が出るので、
今度は火事でも燃えない橋という事で、鉄骨トラス橋が架橋されました。
橋の建設は当時の最先端技術を用いて行われ、
故に足尾銅山の近代化を象徴する重要な存在に位置付けられとります。
現在は老朽化のため通行禁止ざんす (o´Д`) -
本山製錬所跡地。
内部では鉱石や銅を効率的に運搬する専用鉄道が敷設されてたそうな。
施設の老朽化が進み、廃墟に近い外観になっちゃってますが、
是非とも見学可能な状態にして世界遺産登録を目指して欲しいのである。 -
これが1948年の時の足尾の様子。
良質な鉱脈の発見を祈願して行われた祭り「山神祭」の時の風景。
足尾銅山の閉山とともに山神祭は形を変えて存続してきたのですが、
コロナ禍で実行委員の維持が難しくなり、現在は行われていないとのこと。 -
続いて完全に消滅した集落を見に行ってみませう。
深沢という集落跡ですが、今では完全に消滅した集落になり、
かつて集落があったと思われる場所は草木が茂るだけになってます。
さてさてこの薮の中をガサガサかき分けていきますと‥ -
かつて集落があったことを如実に示す痕跡を発見しましたぁ。
すべり台だっっ (゚ロ゚;三;゚ロ゚)!!!! -
イチオシ
役割を終えた遊具は自然に還ろうとしているのか。
絡まった藤の花が重ねてきた年月の重さを感じさせるのです。
ここに集落があった時、ちびっこ達が遊ぶ姿が確かにあったのでしょう。
ホントは童心に返ってキャッキャしてみたかったのですが、
こんな貴重な遺産を私のケツで壊すわけにはいかんのだ ( *゚∀゚)=3 -
もうちょっと営みの痕跡はないかなーと。
おや‥ 茂みの奥に何やらそれらしきコンクリ製の基礎。
穴が二つ空いておりまして… ( ゚Д゚)
さてこれが何かと申しますと‥ -
答えはこちら。
あゝ懐かしの「BOTTON」便所だっっ (゚ロ゚;三;゚ロ゚)??!!
しかも共同の汲み取り式…。
昭和末期まではまだ地方都市でもあった様なキオクがありますねぇ。 -
BOTTONの穴、でかいな ( ゚Д゚)!!
思えば、昭和世代の学校の七不思議には、
汲み取り式のトイレに落ちた子の話が入っているのが鉄板でした。
いや、確かにこれはかなり怖いぞ。
夜とか1人で行くのは躊躇いそう。 -
間藤駅まで下っていくと、突然フミキリが現れます。
これはまだわたらせ渓谷鉄道が国鉄「足尾線」だった頃の名残。
現在のわたらせ渓谷線は「間藤駅」が終点になっていますが、
国鉄時代はその先の古河鉱業の製錬所まで路線は続いていました。
間藤駅から先は事実上の廃線になっているわけですが、
二度と警報器が鳴ることのない踏切だけが当時のまま残されてます。 -
こちらも足尾銅山が動いていた頃の名残。
通洞変電所。
創業は明治40年(1907年)。
100年以上前の建築だが、何といまだに現役の施設 Σ(゚∀゚ノ)ノ !!
当時は足尾銅山に電力を送り込むための施設でしたが、
今は足尾町周辺の電力供給に貢献しているのであります。 -
壁材が剥がれ落ちて廃墟のような様相を醸し出してますが‥
窓ガラスは比較的きれいに維持されてますね (`∀´*)
もちろん現役の変電所なので内部の見学は不可。
旅人は外観をじっくり眺めてホケーとため息をつくのがよろしいかと。 -
続いて中才という集落から。
中才は今も人が住んでいる現役の住宅地になります。
そんな中才の入り口にある遺構がこちら。
シックナー跡地。
恐らくここまでが通洞選鉱所だったのではないかと。
通洞選鉱所には入れませんが、このシックナーは見ることができます。
シックナーとは、シンプルに説明すれば「濃縮装置」の事。
鉱石を粉砕して選鉱すると、水と混ざった泥状のものができます。
この泥状のものをスラリー(固形分が混ざった液体)と言うのですが
このスラリーから水分を分離し、固形分を濃縮するための設備です。
要は、比重の大きいスラリーはシックナーの底に溜まるので、
上澄みの水を処理して排水すれば、環境負荷は軽減できるってわけざんす。
あとはスラリーの重量も軽くできるので、運搬にも適してるってわけ。 -
中才の集落地。
かつての足尾の社宅の面影を残す貴重な集落となります。
この街並みの他に見たかったのが、この赤レンガの壁。
これぞ現役の防火壁ですね ォォォ(゚ロ゚*) -
防火壁。
火災による全滅を防ぐため、集落には必ず防火壁を設定していたそうです。
竈門、炭、タバコ‥
昔は今と比べられないほど火事の原因となるものが多かったのでしょう。
多分、一番の原因は「寝タバコ」だと思いますが‥ -
中才集落。
足尾の中では比較的大きめの規模の集落にはなりますが、
やはり空き家が目立ってきている様に思います。
どうしても街と比べると、足尾には生活インフラや働く場所がないので、
否応なく人口が流出していく事になります。
2040年に地方の自治体の半分は消滅するという未来予測もあるため、
足尾に限らず地方再生は今後の日本の大きな課題であると言えます。 -
では、シメに簀子橋(すのこばし)堆積地を見に行きましょう。
足尾銅山が1973年に閉山したのは先に述べてきた通り。
でも坑道から染み出す水には今でも鉱毒の成分が含まれていて、
50年以上経った今でも坑道から出た水を処理し続ける必要があるのです。
その処理の過程で出来た鉱毒の沈殿物を溜めて置く場所、
現在も足尾で稼働している堆積場が「簀子橋堆積地」になリマス。
ちなみに簀子橋堆積場は普通のルートでは見学できないのですが、
隣の金龍山の山頂からその一部を眺める事ができるそうな。
というわけで、今から30分程度のプチ山登りのハジマリハジマリ‥。
蓮慶寺というお寺の脇から登山口に取り付きます。 -
登山口付近はやたら岩が多いなーと思っていたら‥
うげげ‥ 足元に転がっているやつ全部庚申塚やん (゚ロ゚;三;゚ロ゚)!!!!
もはや辺り一面、打ち捨てられた庚申塚で墓場状態。
チョー不気味なのだが、仕方ない、見なかった事にして進もっと‥ -
廃道に近い道をえっちら登ること数分、朽ちかけたお堂を発見。
中を拝見すると、首が‥もげとる ( ゚Д゚)…?
もし跨っている動物が猪なら「摩利支天」だと思うのですが‥
首がないのは明治時代の廃仏毀釈の影響かもしれないのですが、
なぜこの金龍山に摩利支天が祀られているのか‥
謎である‥ 金龍山‥( ゚Д゚) -
金龍山への行き方ですが、明確な道はありません(笑)
まずはこの鉄塔を目印にして歩みを進めましょう (*´罒`*)ニヒヒ -
途中、木々が途切れる場所からは足尾の町並みがよく見えます。
峠を境に鉄塔ルートから外れて、尾根筋をグビグビ登っていきましょう。 -
さて、簀子橋堆積場のつづら折れの管理道が見えてきました。
これはGoogle Map上では出てこない道になります。 -
イチオシ
簀子橋堆積場。
なぜ閉山してもなお坑道から出る水を処理しなければいけないのか‥
それは坑道の中にある岩石が硫化鉱石である事が影響しています。
段階的に説明するとこんな感じ‥
① 坑道を掘ってしまったが故に、坑道には空気と水が流入
② 硫化鉱石が酸化され、硫酸が生成
③ 岩石中に含まれた他の金属(銅?鉛?亜鉛等)が溶け出す
④ 坑道の水が酸性+鉱毒を含んだ有害な水になる
では、この鉱滓ダムがいっぱいになったらどうするのか、
答えは”埋め戻す”です。
足尾には鉱滓ダムが13ヶ所あり、簀子橋だけが今も使われてるのですが、
フルキャパになったら、壁を高くするか、堆積場を別の場所に設けるか、
残念ながら取れる選択肢はこの2択なのです。 -
ちなみにネット上では”伝説の赤い池”なんて言われていますが、
赤い色の正体は酸化鉄、いわゆる赤錆です。
これは鉱山跡地によく見られる現象で、鉱山酸性排水と言われています。
ダムは足尾の町の真上にあるので、最悪の事態を想定しているとは言え、
決壊した時のリスクは大きく、未だに足尾は負の遺産を抱えているのです。
というわけで、裏?足尾紀行はこれにてオシマイ。
足尾では2025年5月にも「足尾銅山記念館」を新設と新たな動きもあり、
今後の古河の積極的施設公開にも期待がかかります (*゚∀゚)b
それではまた~。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
足尾(栃木) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
40