2021/07/23 - 2021/07/23
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この旅行記のスケジュール
2021/07/23
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徒歩での移動
湖畔を歩く
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二荒山神社中宮祠に参拝
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徒歩での移動
歩く
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ペンション・フレンドリーで朝食
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車での移動
自家用車で移動
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この旅行記スケジュールを元に
日光二荒山(にっこうふたらさん)神社は、日光山信仰の始まりとなった古社で、二荒山(男体山)をご神体として祀っています。
世界文化遺産「日光の社寺」を構成する神社ですが、日光市内にある本宮の他に、男体山山頂にある奥宮と男体山中腹の中禅寺湖畔に鎮座する中宮祠の三宮から成り立っています。
中宮祠は、とは、本社と奥宮との「中間の祠」の意で、勝道上人による天応2年(782年)の男体山登頂ののち、延暦3年(784年)に建立されたと伝わっています。この時、同時に中禅寺も二荒山神社の神宮寺として創建されました。
中宮祠は古くから男体山登山の表口とされ、現在も登拝口(登山口)が本殿横に設けられており、入り口の登拝門は開山時(5月5日~10月25日)のみ開かれます。7月31日~8月8日の登拝祭の間は、中宮祠本殿から奥宮に神像が遷坐されます。
ところで、二荒山神社の神宮寺として創建された中禅寺は、十一面千手観世音菩薩立像を御本尊としています。この像は勝道上人が中禅寺湖上に千手観音様をご覧になり、その姿を桂の立木に彫ったと伝えられており、現在も地に根を張っているそうです。
しかしながら、現在の中禅寺は二荒山神社中宮祠から離れた歌ヶ浜にあります。これは明治35年(1902年)の大山津波(土砂崩れ)によって観音堂が湖上に押し流されたものの、御本尊は無傷のまま浮かび上がり、現在の観音堂に祀られることとなったそうです。これを機に中禅寺湖と改名されました。やはり人知を越えた超常現象なのでしょう。
中禅寺は、世界文化遺産「日光の社寺」を構成する日光山輪王寺の別院で、天台宗のお寺です。
コロナ禍のため、帰宅後2週間以上経過し感染していないことを確認してから旅行記を公開しています。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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いつものように6時前に目覚めたので、散歩に出ました。
早朝の中禅寺湖、青の世界です。 -
雲海が出ています。
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二荒山神社中宮祠の東鳥居に来ました。
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木々の間から男体山が見えました。
男体山のすべてが二荒山神社中宮祠の境内地になっています。 -
浜鳥居の近くには木彫りの何かがいました。
トトロみたいです。 -
頭に上にあるのはドングリ?何でしょう。
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水神碑。御祭神は水波能売神(みづはのめのかみ)。
大正10年(1921年)9月28日、中宮祠渡船組合により建立。 -
中宮祠浜鳥居。
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浜鳥居と八脚門。
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八脚門。
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八脚門の先は広くなっていて、右に手水舎、左に中宮祠稲荷神社があります。正面に中宮祠唐門(中門)が建ち、後背に男体山が聳えています。
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手水舎。
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狛犬(阿形)。
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狛犬(吽形)。
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唐門の彫刻。
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男体山へ登る方への注意書き。
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唐門は拝殿と回廊でつながっています。
現在の社殿は元禄12年(1699年)に再建されました。
入口の扁額は内大臣三条実美が揮毫しています。 -
拝殿の内部。
御祭神は、田心姫命(たごりひめのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと=大国主大神)、味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)の三柱です。
味耜高彦根命は、大国主大神と宗像三女神の多紀理毘売命の間の子、農業の神。鋤が神格化された神様です。 -
拝殿に掲げられたの絵馬はすべて猛禽類でした。
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鼓。
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神楽殿(大国殿)。
御祭神は、大己貴命です。拝殿の左隣に鎮座しています。 -
神楽殿の入り口にありました。諸説ありますが、大国主命と大黒天を同一視した誤解から、鼠は大国主命の使いとされているようです。
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中宮祠のイチイという標柱がありました。
奥のお社は山霊宮です。 -
山霊宮(やまのみや)。
御祭神は、男体山を中心に日光連山八峰に篤い信仰を捧げた方々の御霊です。 -
山霊宮。
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大正2年(1913年)の絵地図が張ってありました。
男体山が中宮祠全景とされています。 -
樹齢が推定1100年とされるイチイの巨木。山霊宮の後ろに立っています。
いちいは一位と書いて最高をあらわし、周囲を清浄にする樹気が出ているそうです。 -
中宮祠境内には中宮祠七福神が鎮座しています。
福禄寿。中国では道教の神様、長い髭は生きてきた年数を示し、これが健康長寿のご利益に通じるとされています。 -
布袋尊。弥勒菩薩の化身といわれ、いつも担いでいる大きな袋には宝物が入っています。笑門来福、夫婦円満のご利益があります。
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寿老神。黒い頭巾をかぶり、杖には巻物が付いており、そこには人間の寿命が書かれているそうです。長寿延命、富貴長寿の神とされています。
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拝殿の右側に扇の形をした石碑がありました。
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扇の的弓道発祥之地の碑。
那須与一が波に揺れる小舟の扇を射抜いた故事にちなみ、同じ栃木県の中禅寺湖では毎年8月4日に小舟の的に矢を放つ行事が行われています。 -
さざれ石。
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弁財天。元はインドで水の神とされていましたが、後に音楽の神、言葉の神となり、弁才天とも言われます。吉祥天との混同により財宝の神となりました。ご利益は、芸能上達、福財です。
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男体龍水。弁財天の隣にあります。
古くは南湖と呼ばれた中禅寺湖は、明治天皇が行幸の折りに「幸の湖(さちのうみ)」と呼びました。
この水は中禅寺湖から汲み上げた神聖な水で、弁財天が本来水の神であることから、財運の神様の水でお金を洗うと金運に恵まれるとされます。 -
境内の右側に広がる杜(正しくはここも境内)を幸運の杜と呼んでいます。
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杜に入ると、小さなお社がありました。
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ずばり、幸運神社。
御祭神は思兼神(おもいかねのかみ)。天照大御神の岩戸隠れの際、困りはてた神々が祝詞や舞などで天照大御神を招き出しましたが、その知恵を授けた神様です。高御産巣日神の子です。 -
幸運神社の奥には「カワラケ割り」と呼ばれる厄落としもあります。
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唐銅鳥居(登拝口鳥居)。明和6年(1769年)の造営。
二荒山神社中宮祠は、男体山頂奥宮への唯一の登拝口(登山口)に当たります。 -
登拝門。開山期間(5月5日~10月25日)のみ開門され、7月31日~8月8日の登拝祭の間は、中宮祠本殿から奥宮に神像が遷されます。
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登拝道は、約6km、往復6~7時間を要します。
一合目の遥拝所までは、往復約20分です。 -
男体山全体が日光二荒山神社の境内地と定められているため、閉山中や他の場所からの立ち入り行為は不法侵入罪になりますので、お止めください。
入山料を払うのがもったいないからと闇ルートを教唆しているサイトもありますので、注意してください。 -
日光砂防事務所のHPより拝借した男体山の写真です。
天応2年(782年)に勝道上人により創建された男体山山頂に鎮座する奥宮が見えます。 -
男体山大蛇御神像。登拝門手前鎮座しています。
平成25年4月9日に建立されました。 -
説明書きによると、昔々男体山の神が大蛇に変じ、赤城山の神がムカデに変じて領地争いを行ったといわれます。赤城山のムカデに攻め寄られた時、弓の名手「猿丸」の加勢を受けて、男体山の大蛇はみごと赤城山の大ムカデを撃退し勝利しました。
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この由縁より黄金の大蛇にあらゆる願いを込め、特に金運がついて、ぴんぴん元気で過ごせます様に、祈りを込めて、愛称を「きんぴん大蛇」と名づけました。
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戦いが行われた所を「戦場ヶ原」、血が流れた所を「赤沼」、勝負がついた所を「菖蒲ヶ浜」、勝利を祝い歌った所を「歌ヶ浜」、それぞれ地名が残っています。
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大蛇を「オロチ」とも言いますが、「オ」は峰・「ロ」は助詞、「チ」は神霊を意味し、古代人は蛇のとぐろを巻いた姿が山に見えることから、オロチを山の神と称えたと言われます。勝利した男体山の大蛇は「勝利」・「金運」の守護神とされます。
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御本殿。現在の建物は元禄14年(1702年)に造営されました。
三間社流造、朱漆塗り、銅瓦葺き屋根。 -
中宮祠七福神の毘沙門天。四天王の一尊に数えられる武神であって、北方を守る多聞天です。武将の姿をしています。ご利益は、厄災消除、金銀財福です。
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恵比須神。七福神で唯一日本の神様、恵比須神の持つ釣竿は「釣りはすれども網は使わず」と、暴利を貪らない清い心を象徴していることが商売繁盛の神として信仰されています。行当然、漁業の神でもあります。
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大国様。二荒山神社の御祭神である大国主命と同一視されています。大黒様としての姿は、頭巾をかぶり、大きな袋を背負い、打出の小槌を持っています。財宝、福徳開運の神として信仰されています。
他の六福神と異なり新しいお姿ですが、元の像では小槌を持たずに手招きしていたようです。 -
開山碑文の礎石。唐銅鳥居(登拝口鳥居)の左にあり、空海の書と伝えられる「二荒山碑」があったところとされています。風雨に晒されて判読できなくなったために、宝永年間(1704~1711年)に輪王寺門跡の公弁法新王によって再興され、分厚い銅板に碑文が刻まれました。明治維新の神仏分離によって銅板が剥がされたため、礎石だけが残されました。銅板は輪王寺宝物殿に保管されています。
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中宮祠稲荷神社。八脚門と唐門の間にあります。
御祭神は、倉稲魂神(うがのみたまのかみ)、文久三年(1863年)に創建されました。 -
倉稲魂神は稲の御霊であるところから食物の神として祀られ、後世、豊穣の神、商売繁盛の神へと神徳が広がりました。田畑の少ない山奥にあって、食物に困らないようにと願いが込められています。
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中宮祠稲荷神社。
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放魚の碑。明治の初めまで中禅寺湖には魚がいませんでした。明治7年、二荒山神社は戒律を解いて魚の放流を許可しました。二代目宮司の柿沼廣身氏は自ら放流を行い、後に「幸の湖に魚を放ちちるときの碑」を建てました。
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願い叶えます。放魚の碑の手前に建っています。
湖の波に躍る黄金の鱒は、柿沼廣身宮司の功績を讃え、多くの人の願いが叶うようにとの思いが詰まっています。 -
この黄金の鱒に触れ、心願成就を祈ってください。
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牛石。唐門から東鳥居の方向に向かってすぐです。
牛馬禁則とされるこの地に牛を引いて侵入した者が現れ、その牛は石にされてしまいました。 -
ただ、当初の牛石は大正時代に消失し、平成21年に有志一同が復元しました。
牛石は、大鳥居の脇にある巫女石と同じようなお話で、禁制に対する意識が高かったのでしょう。 -
時計。高さは約1m。
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社務所。後ろには、男体山の頂上が見えています。
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中宮祠黒門坂。ペンションに戻る途中です。
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湖畔展望テラス。栃木県営湖畔第1駐車場に続いています。
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湖畔展望テラスの屋上から、北側には男体山の頂上まで見えました。
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南側には中善寺湖を一望できました。
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大きく凹んでいるところが阿世潟(あぜがた)峠1,410m、その右が社山(しゃざん)1,827m、その手前の湖上に上野島があるのですが、見えないかな。阿世潟峠の左には半月峠1,590mと半月山1,753m。半月山の途中までは車道が通じていて、そこから徒歩で行く半月山展望台からは中禅寺湖が一望できます。
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湖畔展望テラス。建物にエレベーターもありますが、湖畔沿いの道路には階段で下ります。
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湖畔展望テラスを下りると、隣の建物がどことなく南欧風で良い感じに男体山が見えました。
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ペンション・フレンドリーの朝食です。
久しぶりに朝食にパンを食べました。 -
朝食をいただいてから、中善寺に移動しました。
楼門(仁王門)。 -
左右の仁王像は金剛力士像とも言います。
阿形の密釋(みっしゃく)金剛像。 -
吽形の那羅延(ならえん)金剛像。
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楼門の天井絵。
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楼門の天井絵。
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楼門の内側には、風神。
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雷神。風雷神も寺を守る護法善神です。
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鐘楼。この鐘楼には、諸願成就の梵鐘(ねがいのかね)があります。
一つ撞いては父母先祖有縁無縁供養のため、二つ撞いては延命福寿のため、三つ以上は願いの数々と伝わっています。 -
宝篋印塔。
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延命水。中禅寺湖の湧き水です。冷たくて気持ちいい。
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青もみじ。
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参道に立つ巨木。正面のお堂は、波之利大黒天堂です。
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身代わりの瘤。私たちの病気を、身代わりになってできた瘤です。
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客殿写経堂。写経したお経を納めた証にいただくものが本来の御朱印です。
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中善寺別所。写経の受付をしています。
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五大明王堂。勝道上人開山1200年記念事業として昭和44年(1969年)に造営されました。堂内に不動明王を中心として降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王からなる五大明王像が安置されています。
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波之利大黒天堂(はしりだいこくてんどう)。参道の真正面に見える建物です。
波之利大黒天は立木観音の化身とされています。勝道上人が日光山(男体山)の頂上を目指していたとき、一度目二度目は断念、三度目に大黒天が現れ、その助力で登頂できたと伝わっています。二荒山神社の御祭神が大己貴命である理由も分かりました。 -
本堂(立木観音堂)。御本尊の十一面千手観音像を安置しています。
中禅寺湖に観音様を感得した勝道上人が、桂の立木をそのままに観音像を彫り出したことから「立木観音」と呼ばれています。
明治35年(1902年)9月、男体山の土砂崩れに因って山津波が発生し、二荒山神社中宮祠の境内にあった観音堂は中禅寺湖に押し流されました。
しかし、本尊は無傷のまま湖上に浮かび、歌ヶ浜の地に祀られることとなりました。高さ6m観音像は、現在も根を張り生きているそうです。
このようなことから、苦難や災事を乗り越える力を与えてくれると信仰されています。
公式HPに写真が掲載されています。 -
本堂と本堂につながる五大明王堂は撮影禁止です。
本堂の待合室に掲げてあった書です。 -
五大明王堂は舞台造りのため、中禅寺湖を展望することができました。
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五大明王堂から見た男体山。頂上は雲に隠れてしまいました。
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五大明王堂の天井には、堅山南風画伯による壮大な「瑞祥龍」が描かれています。公式HPに写真が掲載されています。
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五大明王堂は崖の上に作られているため、拝観後は長い石段を下ります。
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五大明王堂。崖の上からせり出すようにが建てられています(舞台造り)。
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宝珠地蔵尊。江戸時代色の作品。
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霊場巡拝記念の碑。
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愛染堂。本堂の斜向かいに建つ小さなお堂です。
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愛染堂本堂には愛染明王像を安置しています。
昭和13年(1938年)の松竹映画「愛染かつら」のロケ地として有名になりました。ご利益は縁結び。 -
愛染かつら(2代目)。ロケに使われた初代は落雷で焼失しました。
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中善寺は檀家を持たない、祈願をする為のお寺で現世利益を旨とする祈祷寺(きとうでら)だそうです。
祈祷寺は、無病息災や恋愛成就といった個人の願いはもとより、五穀豊穣や商売繁盛の願いなどを叶えることで参拝者を増やしてきました。
つまり、祈祷寺が存続しているということは、実際にご利益があるということだそうで、思わずお守りをいただいて参りました。
中善寺の参拝を終えて、移動します。
ここまでお読みいただきましてありがとうございました。
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