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笠間稲荷神社は、伏見稲荷大社(京都府京都市)、豊川稲荷(愛知県豊川市)とともに日本三大稲荷の一つに挙げられる古社です。<br />御創建は白雉2年(651年)で、来年には1370年となります。<br />御祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)と神大市比売神(かむおおいちひめのかみ)の間の御子である宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で、殖産興業の守護神として、また、五穀豊穣、家内安全などにご利益があるとされています。<br />37年前に職場の先輩が結婚式を挙げたときに訪れて以来の参拝でした。<br />ところで、昭和60年(1985年)の日航機墜落事故から35年目となりますが、犠牲者の一人である歌手の坂本 九(さかもと きゅう)氏は幼少期に、母親の故郷である笠間に疎開していました。その疎開する途中で列車事故が発生し多くの死者が出ましたが、坂本氏は直前に別の車両に移動して難を逃れたと言うことです。以来、笠間稲荷神社の御神徳を信じておられたそうです。「上を向いて歩こう」が米国ビルボード誌でアジア人初の第1位という快挙を成し遂げたのは、大昔の話になってしまいました。<br />当時の家が「九ちゃんの家」として残されており、住所も公開されていますので、訪問したかったのですが、時間的に余裕がなくて残念でした。<br />「九ちゃんの家」は、茨城県笠間市笠間1037-2、笠間稲荷神社から東へ約850mほどですので、歩いて行けそうです。<br /><br />夏休みの日程<br />1日目 埼玉県から茨城県へ移動、アクアワールド<br />2日目 ひたち海浜公園、笠間稲荷神社<br />3日目 笠間工芸の丘(笠間焼き体験)<br />

笠間稲荷神社を37年ぶりに参拝しました。

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2020/07/24 - 2020/07/24

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FUKUJIRO

FUKUJIROさん

笠間稲荷神社は、伏見稲荷大社(京都府京都市)、豊川稲荷(愛知県豊川市)とともに日本三大稲荷の一つに挙げられる古社です。
御創建は白雉2年(651年)で、来年には1370年となります。
御祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)と神大市比売神(かむおおいちひめのかみ)の間の御子である宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で、殖産興業の守護神として、また、五穀豊穣、家内安全などにご利益があるとされています。
37年前に職場の先輩が結婚式を挙げたときに訪れて以来の参拝でした。
ところで、昭和60年(1985年)の日航機墜落事故から35年目となりますが、犠牲者の一人である歌手の坂本 九(さかもと きゅう)氏は幼少期に、母親の故郷である笠間に疎開していました。その疎開する途中で列車事故が発生し多くの死者が出ましたが、坂本氏は直前に別の車両に移動して難を逃れたと言うことです。以来、笠間稲荷神社の御神徳を信じておられたそうです。「上を向いて歩こう」が米国ビルボード誌でアジア人初の第1位という快挙を成し遂げたのは、大昔の話になってしまいました。
当時の家が「九ちゃんの家」として残されており、住所も公開されていますので、訪問したかったのですが、時間的に余裕がなくて残念でした。
「九ちゃんの家」は、茨城県笠間市笠間1037-2、笠間稲荷神社から東へ約850mほどですので、歩いて行けそうです。

夏休みの日程
1日目 埼玉県から茨城県へ移動、アクアワールド
2日目 ひたち海浜公園、笠間稲荷神社
3日目 笠間工芸の丘(笠間焼き体験)

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
同行者
家族旅行
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車
  • 笠間稲荷神社の南側にある門前通り。<br />前方の山の麓に「九ちゃんの家」があります。

    笠間稲荷神社の南側にある門前通り。
    前方の山の麓に「九ちゃんの家」があります。

  • 境内の案内図がありました。

    境内の案内図がありました。

  • 大鳥居。以前の石造りの大鳥居は、老朽化と東日本大震災による損傷で取り壊され、平成28年に鉄製の大鳥居が再建されました。笠間朱色という独特の色に塗られています。

    大鳥居。以前の石造りの大鳥居は、老朽化と東日本大震災による損傷で取り壊され、平成28年に鉄製の大鳥居が再建されました。笠間朱色という独特の色に塗られています。

  • 社号柱。隣は鳥ではなくてお狐様のオブジェ。

    社号柱。隣は鳥ではなくてお狐様のオブジェ。

    笠間稲荷神社 寺・神社・教会

  • 扁額。こちらも新しくなったようです。塙 東男宮司の書です。

    扁額。こちらも新しくなったようです。塙 東男宮司の書です。

    笠間稲荷神社 寺・神社・教会

  • 参道の両側には仲見世通り。

    参道の両側には仲見世通り。

  • 向かって左の仲見世通り。

    向かって左の仲見世通り。

  • 参道を進むと楼門が見えてきます。

    参道を進むと楼門が見えてきます。

  • 手水舎。参道の右手、身を清めます。

    手水舎。参道の右手、身を清めます。

  • 手水舎に立派な彫刻がありました。帰宅後に調べたところ、下段の彫刻は、天の岩戸を天手力男(あめのたぢからお)が開き、光が差しだしてきた様子を彫った作品とのことでした。

    手水舎に立派な彫刻がありました。帰宅後に調べたところ、下段の彫刻は、天の岩戸を天手力男(あめのたぢからお)が開き、光が差しだしてきた様子を彫った作品とのことでした。

  • 感染防止のため、柄杓は撤去されていました。

    感染防止のため、柄杓は撤去されていました。

  • 上部に渡された竹筒から滴り落ちる水でお清めをする方式になっていました。

    上部に渡された竹筒から滴り落ちる水でお清めをする方式になっていました。

  • 楼門。「萬世泰平門」と言い、重層入母屋造で昭和36年に竣工しました。

    楼門。「萬世泰平門」と言い、重層入母屋造で昭和36年に竣工しました。

  • 塙 嘉一郎大人像。楼門に向かって右側に立っています。

    塙 嘉一郎大人像。楼門に向かって右側に立っています。

  • 塙 嘉一郎氏は先々代の宮司で、明治41年に笠間稲荷神社の菊まつりを始めた人です。笠間稲荷の菊まつりは日本で最も古い菊の祭典です。

    塙 嘉一郎氏は先々代の宮司で、明治41年に笠間稲荷神社の菊まつりを始めた人です。笠間稲荷の菊まつりは日本で最も古い菊の祭典です。

  • 笠間稲荷神社は藤の花でも知られていて、藤を讃えている歌碑。

    笠間稲荷神社は藤の花でも知られていて、藤を讃えている歌碑。

  • 楼門には、左右に随身が控えています。<br />向かって右側が左大神の奇磐間戸命(くしいわまどのかみ)。

    楼門には、左右に随身が控えています。
    向かって右側が左大神の奇磐間戸命(くしいわまどのかみ)。

  • 向かって左側が右大神の豊磐間戸命(とよいわまどのかみ)。<br />いづれも文久年間の作です。

    向かって左側が右大神の豊磐間戸命(とよいわまどのかみ)。
    いづれも文久年間の作です。

  • 楼門の扁額。当時の神宮祭主、北白川房子様の御染筆によるものです。<br />

    楼門の扁額。当時の神宮祭主、北白川房子様の御染筆によるものです。

  • 笠間藩第四代藩主の永井直勝公は、古河藩へ移動後も御分霊をお祀りし、その領民たちが奉納した神馬像が現在の楼門にある神馬像だと言われています。

    笠間藩第四代藩主の永井直勝公は、古河藩へ移動後も御分霊をお祀りし、その領民たちが奉納した神馬像が現在の楼門にある神馬像だと言われています。

  • 神馬像。楼門の内側左右にいるのは珍しいのでは。

    神馬像。楼門の内側左右にいるのは珍しいのでは。

  • 楼門。内側から。

    楼門。内側から。

  • 拝殿。昭和35年10月の竣工です。神社建築の美と現代建築の粋を集めた豪壮かつ華麗な建物と評価されています。<br />

    拝殿。昭和35年10月の竣工です。神社建築の美と現代建築の粋を集めた豪壮かつ華麗な建物と評価されています。

  • 拝殿。

    拝殿。

  • 拝殿の扁額。「稲荷宮」とあります。

    拝殿の扁額。「稲荷宮」とあります。

  • 扁額の左右の錦絵。

    扁額の左右の錦絵。

  • 扁額の左右の錦絵。

    扁額の左右の錦絵。

  • 御本殿。江戸時代末期、安政・万延年間に建てられました。昭和63年、国の重要文化財に指定されています。

    御本殿。江戸時代末期、安政・万延年間に建てられました。昭和63年、国の重要文化財に指定されています。

  • 当時、関東の名匠が集められ、彫刻が施されました。

    当時、関東の名匠が集められ、彫刻が施されました。

  • 御本殿の背面。

    御本殿の背面。

  • 背面にも精緻な彫刻が施されています。

    背面にも精緻な彫刻が施されています。

  • 御本殿を拝見した後、総門(東門)まで戻りました。<br />文化10年(1814年)に建てられた入母屋造りの建物です。

    御本殿を拝見した後、総門(東門)まで戻りました。
    文化10年(1814年)に建てられた入母屋造りの建物です。

  • 奉額。

    奉額。

  • 門の内部、左右に奉納の毛綱があります。<br />崇敬者2万人の女性の毛髪で編んでいます。<br />御本殿を100m後方へ移築した際の儀式で使用されました。

    門の内部、左右に奉納の毛綱があります。
    崇敬者2万人の女性の毛髪で編んでいます。
    御本殿を100m後方へ移築した際の儀式で使用されました。

  • この貝も両側に置かれていました。

    この貝も両側に置かれていました。

  • 総門とさざれ石。

    総門とさざれ石。

  • 総門左右にお狐様。

    総門左右にお狐様。

  • お狐様の隣には火除け桶。

    お狐様の隣には火除け桶。

  • お狐様の隣には火除け桶。左右対称になっています。

    お狐様の隣には火除け桶。左右対称になっています。

  • 総門左右にお狐様。

    総門左右にお狐様。

  • 総門。

    総門。

  • 総門内部にも精緻な彫刻がありました。

    総門内部にも精緻な彫刻がありました。

  • さざれ石。

    さざれ石。

  • 君が代。

    君が代。

  • 御神木、胡桃の木。楼門を潜ると右手にあります。<br />かつて、この地は胡桃の密林だったそうで、笠間稲荷神社は、胡桃下稲荷(くるみがしたいなり)とも言われています。

    御神木、胡桃の木。楼門を潜ると右手にあります。
    かつて、この地は胡桃の密林だったそうで、笠間稲荷神社は、胡桃下稲荷(くるみがしたいなり)とも言われています。

  • 藤棚。境内の2株の藤樹は樹齢400年に及ぶもので、昭和42年に県の天然記念物に指定されました。

    藤棚。境内の2株の藤樹は樹齢400年に及ぶもので、昭和42年に県の天然記念物に指定されました。

  • そして奥(本殿側)には、茨城県指定天然記念物となっている八重の藤があります。

    そして奥(本殿側)には、茨城県指定天然記念物となっている八重の藤があります。

  • 毎年5月10日頃に咲くそうです。400年も咲き続ける生命力に驚嘆しました。

    毎年5月10日頃に咲くそうです。400年も咲き続ける生命力に驚嘆しました。

  • 大黒天の立て看板が目立つので、行ってみます。

    大黒天の立て看板が目立つので、行ってみます。

  • 聖徳殿がありました。御祭神は聖徳太子です。<br />また、常陸七福神の大黒天(大国主大神)と事比羅社(大物主大神)が合殿にてお祀りされています。

    聖徳殿がありました。御祭神は聖徳太子です。
    また、常陸七福神の大黒天(大国主大神)と事比羅社(大物主大神)が合殿にてお祀りされています。

  • 聖徳殿。

    聖徳殿。

  • この辺りには石碑がいろいろありました。

    この辺りには石碑がいろいろありました。

  • きつね塚。御本殿の裏にありました。

    きつね塚。御本殿の裏にありました。

  • 末社が御本殿の裏にあり、いろいろな神様がお祀りされていました。<br />月読神社、御祭神は月読尊で海上安全、歴を司る神様です。 <br />白山神社、御祭神は菊理媛命、伊佐那岐命、伊佐那美命で夫婦和合、縁結びの神様です。 <br />菅原神社、御祭神は菅原道真公で学業成就、受験合格の神さまです。 <br />粟島神社、御祭神は少彦名神で医薬・裁縫の神様です。 <br />山倉神社、御祭神は高皇産霊神、建速須佐之男神、大国主神で病気平癒、災難除け、開運、子孫繁栄の神様です。

    末社が御本殿の裏にあり、いろいろな神様がお祀りされていました。
    月読神社、御祭神は月読尊で海上安全、歴を司る神様です。
    白山神社、御祭神は菊理媛命、伊佐那岐命、伊佐那美命で夫婦和合、縁結びの神様です。
    菅原神社、御祭神は菅原道真公で学業成就、受験合格の神さまです。
    粟島神社、御祭神は少彦名神で医薬・裁縫の神様です。
    山倉神社、御祭神は高皇産霊神、建速須佐之男神、大国主神で病気平癒、災難除け、開運、子孫繁栄の神様です。

  • 御本殿の裏、北側の出口です。

    御本殿の裏、北側の出口です。

  • 笠間稲荷美術館の門。北側の出口の向かいにありました。<br />昭和56年、奈良の正倉院を模した建物を建て、開館しました。笠間焼が影響を受けた信楽をはじめ常滑・瀬戸・越前・丹波・備前の中世六古窯の古陶器を常設展示しています。開館時間が9時~16時で、残念ながら見られませんでした。

    笠間稲荷美術館の門。北側の出口の向かいにありました。
    昭和56年、奈良の正倉院を模した建物を建て、開館しました。笠間焼が影響を受けた信楽をはじめ常滑・瀬戸・越前・丹波・備前の中世六古窯の古陶器を常設展示しています。開館時間が9時~16時で、残念ながら見られませんでした。

  • 笠間稲荷神社の北東に鎮座する城山出世稲荷神社の参道です。

    笠間稲荷神社の北東に鎮座する城山出世稲荷神社の参道です。

  • 手水舎です。柄杓がありましたが、お水はあまりきれいとはいえず、手指を清めるにとどめました。

    手水舎です。柄杓がありましたが、お水はあまりきれいとはいえず、手指を清めるにとどめました。

  • 城山出世稲荷神社。御祭神は宇迦之御魂神、誉田別命(ほんだわけのみこと)を配祀しています。

    城山出世稲荷神社。御祭神は宇迦之御魂神、誉田別命(ほんだわけのみこと)を配祀しています。

  • 出世の神様、子育ての神様、学業の神様、興産の神様として御神威があります。

    出世の神様、子育ての神様、学業の神様、興産の神様として御神威があります。

  • 御本殿。一間社流造。承応3年(1654年)創建の八幡宮本殿を移築したと伝えられていて、見事な彫刻が施されています。本殿前の一対のお狐様は、笠間稲荷神社御本殿の彫刻に携わった後藤縫之助の作です。

    御本殿。一間社流造。承応3年(1654年)創建の八幡宮本殿を移築したと伝えられていて、見事な彫刻が施されています。本殿前の一対のお狐様は、笠間稲荷神社御本殿の彫刻に携わった後藤縫之助の作です。

  • 二十三夜尊。詳しいことは分りませんでしたが、茨城県には二十三夜尊がいくつかあります。二十三夜講とも関係あるようで、その場合は御本尊が勢至菩薩のようです。

    二十三夜尊。詳しいことは分りませんでしたが、茨城県には二十三夜尊がいくつかあります。二十三夜講とも関係あるようで、その場合は御本尊が勢至菩薩のようです。

  • 二十三夜尊の扁額。

    二十三夜尊の扁額。

  • マンホールの蓋。菊まつりの菊が描かれています。

    マンホールの蓋。菊まつりの菊が描かれています。

  • 灯籠。門前通りを西に100mほど進むと、この灯籠がありました。<br />

    灯籠。門前通りを西に100mほど進むと、この灯籠がありました。

  • すぐそばに、胡桃下稲荷(くるみがしたいなり)の碑が立っていました。<br />笠間稲荷神社には、胡桃下稲荷のほか、笠間藩主・牧野貞通の一族である門三郎が、深い信仰心から多くの人々に功徳を施したという伝承から「紋三郎稲荷」という別名もあります。

    すぐそばに、胡桃下稲荷(くるみがしたいなり)の碑が立っていました。
    笠間稲荷神社には、胡桃下稲荷のほか、笠間藩主・牧野貞通の一族である門三郎が、深い信仰心から多くの人々に功徳を施したという伝承から「紋三郎稲荷」という別名もあります。

  • もう一つ、作詞家・高野 公男(たかの きみお)氏の胸像も立っていました。<br />彼は、現在の笠間市大郷戸の出身で、春日八郎のヒット曲「別れの一本杉」を作詞しましたが、26歳で没しました。<br />ここまでお読みいただきましてありがとうございました。続きもぜひお読みください。<br /><br />

    もう一つ、作詞家・高野 公男(たかの きみお)氏の胸像も立っていました。
    彼は、現在の笠間市大郷戸の出身で、春日八郎のヒット曲「別れの一本杉」を作詞しましたが、26歳で没しました。
    ここまでお読みいただきましてありがとうございました。続きもぜひお読みください。

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