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2016年秋、羽田からスカンディナヴィア航空でコペンハーゲン経由オスロに到着し、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、エストニア、ラトヴィア、リトアニア、デンマークとヨーロッパ7カ国を訪問し、コペンハーゲンから羽田に帰って来ました。今回も絵画鑑賞が主な目的の再訪です。<br /><br />旅程の概略です。<br />★ 9月20日 羽田からスカンディナヴィア航空でコペンハーゲン経由でオスロへ。オスロ泊。<br />★ 9月21~22日 オスロ泊。<br />★ 9月23~24日 ベルゲン泊。<br />★ 9月25日 フロム泊。<br />★ 9月26日 ベルゲン泊。<br />★ 9月27~28日 ストックホルム泊。<br />★ 9月29日 船中泊。<br />★ 9月30日~10月1日 ヘルシンキ泊。<br />★ 10月2~4日 タリン泊。<br />★ 10月5~7日 リガ泊。<br />★ 10月8~10日 ヴィルニュス泊。<br />★ 10月11~12日 コペンハーゲン泊。<br />★ 10月13日 コペンハーゲン空港からスカンディナヴィア航空で羽田へ。<br /><br />この15回目の旅行記は、タリンの街歩きをし、トームペア、城壁、聖オラフ教会などを訪れた記録です。

シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (15)タリンの街歩きです(10月3日)

29いいね!

2016/09/20 - 2016/10/14

264位(同エリア1478件中)

さわ子さん

2016年秋、羽田からスカンディナヴィア航空でコペンハーゲン経由オスロに到着し、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、エストニア、ラトヴィア、リトアニア、デンマークとヨーロッパ7カ国を訪問し、コペンハーゲンから羽田に帰って来ました。今回も絵画鑑賞が主な目的の再訪です。

旅程の概略です。
★ 9月20日 羽田からスカンディナヴィア航空でコペンハーゲン経由でオスロへ。オスロ泊。
★ 9月21~22日 オスロ泊。
★ 9月23~24日 ベルゲン泊。
★ 9月25日 フロム泊。
★ 9月26日 ベルゲン泊。
★ 9月27~28日 ストックホルム泊。
★ 9月29日 船中泊。
★ 9月30日~10月1日 ヘルシンキ泊。
★ 10月2~4日 タリン泊。
★ 10月5~7日 リガ泊。
★ 10月8~10日 ヴィルニュス泊。
★ 10月11~12日 コペンハーゲン泊。
★ 10月13日 コペンハーゲン空港からスカンディナヴィア航空で羽田へ。

この15回目の旅行記は、タリンの街歩きをし、トームペア、城壁、聖オラフ教会などを訪れた記録です。

旅行の満足度
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 今日も晴天のようです。ホテルの部屋から西の方向を眺めると右側遠くにトームペアの丘のロシア正教会アレクサンドル.ネフスキー寺院の葱坊主の塔が微かに見えます。左寄りには、キーク.イン.デ.キョクの塔の頭も見えています。正面はホテル前の映画館です。

    今日も晴天のようです。ホテルの部屋から西の方向を眺めると右側遠くにトームペアの丘のロシア正教会アレクサンドル.ネフスキー寺院の葱坊主の塔が微かに見えます。左寄りには、キーク.イン.デ.キョクの塔の頭も見えています。正面はホテル前の映画館です。

  • 8時半になり朝食に行き窓側に座りました。食堂は1階で6差路にある小さな広場に面しています。

    8時半になり朝食に行き窓側に座りました。食堂は1階で6差路にある小さな広場に面しています。

  • 食堂内の状況です。客は疎らです。ここは&quot;MEKK&quot;の名でバールを開いています。

    食堂内の状況です。客は疎らです。ここは"MEKK"の名でバールを開いています。

  • ホテルの前南西の方向で小さな広場です。この広場は&quot;牛門の広場&quot;と名が付いていますが、城壁があった時代に&quot;牛門&quot;があったのでしょう。写真は広場の対面で、左にチョコレート博物館、右は1階に商店が並ぶオフィス.ビルです。

    ホテルの前南西の方向で小さな広場です。この広場は"牛門の広場"と名が付いていますが、城壁があった時代に"牛門"があったのでしょう。写真は広場の対面で、左にチョコレート博物館、右は1階に商店が並ぶオフィス.ビルです。

  • 9時半を過ぎました。街歩きに出発します。これはホテルの前の&quot;牛門の広場&quot;に設置された煙突掃除人のブロンズ像です。

    9時半を過ぎました。街歩きに出発します。これはホテルの前の"牛門の広場"に設置された煙突掃除人のブロンズ像です。

  • 映画館前の小広場から朝日が当たるマイ.シティ.ホテルの南西面を眺めています。右端には日陰の中のサヴォイ.バティーク.ホテルが見えます。

    映画館前の小広場から朝日が当たるマイ.シティ.ホテルの南西面を眺めています。右端には日陰の中のサヴォイ.バティーク.ホテルが見えます。

  • ホテル前から西の方向にムーリヴァヘ通りを歩いていきます。通りの左側に城壁の一部と見張り塔が残っていて、側の建物の壁になっています。正面奥にキーク.イン.デ.キョクの塔が見えます。ムーリヴァヘ通りは、旧市街で東側の城壁の中程にある聖ニコライ教会前からヴェネ通りと別れて、そのまま東、南側の城壁に沿って続いています。途中ヴィル門からここ迄の区間は城壁や塔が完全に取り払われています。

    ホテル前から西の方向にムーリヴァヘ通りを歩いていきます。通りの左側に城壁の一部と見張り塔が残っていて、側の建物の壁になっています。正面奥にキーク.イン.デ.キョクの塔が見えます。ムーリヴァヘ通りは、旧市街で東側の城壁の中程にある聖ニコライ教会前からヴェネ通りと別れて、そのまま東、南側の城壁に沿って続いています。途中ヴィル門からここ迄の区間は城壁や塔が完全に取り払われています。

  • 通りを振り返ると、右奥に朝日が当たり始めたサヴォイ.バティーク.ホテル、中央奥にマイ.シティ.ホテル、通りの左に映画館です。右側には、城壁とアッソーヴェ塔があり、その奥に、エストニア劇場と音楽の博物館があります。

    通りを振り返ると、右奥に朝日が当たり始めたサヴォイ.バティーク.ホテル、中央奥にマイ.シティ.ホテル、通りの左に映画館です。右側には、城壁とアッソーヴェ塔があり、その奥に、エストニア劇場と音楽の博物館があります。

  • これが城壁の名残りです。

    これが城壁の名残りです。

  • ムーリヴァヘ通りにあったエステティック.サロンの看板です。

    ムーリヴァヘ通りにあったエステティック.サロンの看板です。

  • ムーリヴァヘ通りの突き当たりです。正面奥にキーク.イン.デ.キョクの塔、手前はグリルハウス.ダウベの名のレストランです。

    ムーリヴァヘ通りの突き当たりです。正面奥にキーク.イン.デ.キョクの塔、手前はグリルハウス.ダウベの名のレストランです。

  • ムーリヴァヘ通りの突き当たりで右に曲がりハルユ通りを北の方向に少し歩きます。この通りの左側は空き地が広がり、この聖ニコラス教会がよく見えます。この辺りは、戦争中の1944年3月にソ連の空襲で破壊されました。現在この空き地はハルユ通り公園になっています。

    ムーリヴァヘ通りの突き当たりで右に曲がりハルユ通りを北の方向に少し歩きます。この通りの左側は空き地が広がり、この聖ニコラス教会がよく見えます。この辺りは、戦争中の1944年3月にソ連の空襲で破壊されました。現在この空き地はハルユ通り公園になっています。

  • この写真は、二日後に聖ニコラス教会に入った際に見た展示写真です。これが戦前の風景です。現在と異なり、教会は建物に囲まれています。

    この写真は、二日後に聖ニコラス教会に入った際に見た展示写真です。これが戦前の風景です。現在と異なり、教会は建物に囲まれています。

  • こちらは戦後1948年の状態で、再建はまだ手付かずです。

    こちらは戦後1948年の状態で、再建はまだ手付かずです。

  • ムーリヴァヘ通りとハルユ通りの交差点に戻りました。ムーリヴァヘ通りでホテルの方向を望んでいます。この通りの右側で、ホテルの手前にある塔はアッソーヴェ塔です。ムーリヴァヘ通りは、この交差点からリュートゥリ通りに名を変え、西の方向に延びていきます。

    ムーリヴァヘ通りとハルユ通りの交差点に戻りました。ムーリヴァヘ通りでホテルの方向を望んでいます。この通りの右側で、ホテルの手前にある塔はアッソーヴェ塔です。ムーリヴァヘ通りは、この交差点からリュートゥリ通りに名を変え、西の方向に延びていきます。

  • これは城壁に入り口があるレストラン.グロリアの看板です。豚を串刺しした図柄になっています。この看板は、交差点の建物に掛かっていました。

    これは城壁に入り口があるレストラン.グロリアの看板です。豚を串刺しした図柄になっています。この看板は、交差点の建物に掛かっていました。

  • リュートゥリ通り(騎士の通りの意味だそうです)を歩いて行きます。通りは上り坂になり、徐々に右に曲がって行きます。右の建物は聖ミカエル.スウェーデン教会で、正面奥は、キーク.イン.デ.キョクの塔です。

    リュートゥリ通り(騎士の通りの意味だそうです)を歩いて行きます。通りは上り坂になり、徐々に右に曲がって行きます。右の建物は聖ミカエル.スウェーデン教会で、正面奥は、キーク.イン.デ.キョクの塔です。

  • ほぼ北向きなったリュートゥリ通りの左側の建物の隙間に城壁にあるネイツイトルン、乙女の塔の屋根が木陰に見えてきました。

    ほぼ北向きなったリュートゥリ通りの左側の建物の隙間に城壁にあるネイツイトルン、乙女の塔の屋根が木陰に見えてきました。

  • 通りの正面右側に聖ニコラス教会の鐘塔が見えてきました。右側の建物は聖ミカエル.スウェーデン教会です。

    通りの正面右側に聖ニコラス教会の鐘塔が見えてきました。右側の建物は聖ミカエル.スウェーデン教会です。

  • 教会の対面に5軒並んだ切り妻屋根の家屋です。このリュートゥリ通りはタリンで最も古い通りの一つだそうです。

    教会の対面に5軒並んだ切り妻屋根の家屋です。このリュートゥリ通りはタリンで最も古い通りの一つだそうです。

  • 上掲の同じ通りの西側の建物を振り返ると、ジョウジア料理のレストランがありました。

    上掲の同じ通りの西側の建物を振り返ると、ジョウジア料理のレストランがありました。

  • 聖ニコラス教会が間近です。この教会は現在博物館で、月、火曜日は休館なので、水曜日の移動日の朝に訪問します。

    聖ニコラス教会が間近です。この教会は現在博物館で、月、火曜日は休館なので、水曜日の移動日の朝に訪問します。

  • 教会の南側でリュートゥリ通りの西側にある建物です。

    教会の南側でリュートゥリ通りの西側にある建物です。

  • 素晴らしいブロンド髪の女性を見かけました。

    素晴らしいブロンド髪の女性を見かけました。

  • リュートゥリ通りの看板2点です。こちらは&quot;騎士と薔薇&quot;の名の店で、5人の巨匠の作品の衣服、宝石、アクセサリー、家具を販売しているそうです。

    リュートゥリ通りの看板2点です。こちらは"騎士と薔薇"の名の店で、5人の巨匠の作品の衣服、宝石、アクセサリー、家具を販売しているそうです。

  • こちらはブラッセリー(ビールと食事を提供する店)の看板で、名前の看板はビール樽にぶら下がっています。

    こちらはブラッセリー(ビールと食事を提供する店)の看板で、名前の看板はビール樽にぶら下がっています。

  • リュートゥリ通りで聖ニコラス教会を過ぎた次の交差点で左に曲がり、トームペアの丘に上がるショート.レッグ(リュヒケ.ヤルク:Lühike jalg)と名が付く細い道に入ります。途中には階段も含まれます。<br />この看板は、ショート.レッグに入った直ぐ左にあるアダムソン.エリック博物館の看板です。この博物館は、エストニアで最も優れた文化的人物および創造的な人物の1人であったアダムソン.エリック(Adamson-Eric:1902-1968)の芸術作品を展示しているそうです。

    リュートゥリ通りで聖ニコラス教会を過ぎた次の交差点で左に曲がり、トームペアの丘に上がるショート.レッグ(リュヒケ.ヤルク:Lühike jalg)と名が付く細い道に入ります。途中には階段も含まれます。
    この看板は、ショート.レッグに入った直ぐ左にあるアダムソン.エリック博物館の看板です。この博物館は、エストニアで最も優れた文化的人物および創造的な人物の1人であったアダムソン.エリック(Adamson-Eric:1902-1968)の芸術作品を展示しているそうです。

  • リュヒケ.ヤルクの小道が左に曲がった箇所から階段の上方を望みます。この写真の右端に次掲の看板が掛かったへリナ.ティルクのお店があります。店主のへリナさんが手作りする陶器製品や布製人形、子供服などを販売しています。場所柄お土産品店になります。

    リュヒケ.ヤルクの小道が左に曲がった箇所から階段の上方を望みます。この写真の右端に次掲の看板が掛かったへリナ.ティルクのお店があります。店主のへリナさんが手作りする陶器製品や布製人形、子供服などを販売しています。場所柄お土産品店になります。

  • へリナ.ティルクの看板です。図柄は、このリュヒケ.ヤルグ通りのようです。<br />

    へリナ.ティルクの看板です。図柄は、このリュヒケ.ヤルグ通りのようです。

  • こちらはエストニアの手工芸品を販売しているアリーカマヤ工芸店(Allikamaja Käsitöö)の看板です。

    こちらはエストニアの手工芸品を販売しているアリーカマヤ工芸店(Allikamaja Käsitöö)の看板です。

  • 通りの中程で振り返ります。

    通りの中程で振り返ります。

  • こちらは通りの前方です。このリュヒケ.ヤルクの門はまだ通りの途中です。門の表記の下にホルトゥス.ムジクス(Hortus Musicus)とあります。これは、1972年に設立されたエストニアの10人のアンサンブルで、8~15世紀の音楽の演奏を専門としています。<br />

    こちらは通りの前方です。このリュヒケ.ヤルクの門はまだ通りの途中です。門の表記の下にホルトゥス.ムジクス(Hortus Musicus)とあります。これは、1972年に設立されたエストニアの10人のアンサンブルで、8~15世紀の音楽の演奏を専門としています。

  • ここで危険な出来事が発生しました。ババが土産物店で品物を見ていると、背負ったリュック.サックのチャックが開けられた感触が! 直ぐ気がつくと何やら怪しげな女性3人組が近くにいました。ジジがリュヒケ.ヤルクの門の前で聖ニコラス教会の鐘楼を撮影するふりをしてカメラを向けました。すると普通の観光客と違う不自然な様子の2人が写っていました。右の若い子は顔を背け、左の年寄りは知らん顔をしています。

    ここで危険な出来事が発生しました。ババが土産物店で品物を見ていると、背負ったリュック.サックのチャックが開けられた感触が! 直ぐ気がつくと何やら怪しげな女性3人組が近くにいました。ジジがリュヒケ.ヤルクの門の前で聖ニコラス教会の鐘楼を撮影するふりをしてカメラを向けました。すると普通の観光客と違う不自然な様子の2人が写っていました。右の若い子は顔を背け、左の年寄りは知らん顔をしています。

  • その後、写真を撮ろうとしたババの手を叩き、若い2人は足早に逃げました。最後にこに写った年寄りが逃げていきました。幸いにもリュック.サックの中から無くなった物はありませんでした。この後トームペアの丘の展望台にもこの3人を見かけました。<br />この門は、デンマーク王の庭への入り口です。門の表示は、「乙女の塔博物館 - カフェ.デンマーク王の庭」です。

    その後、写真を撮ろうとしたババの手を叩き、若い2人は足早に逃げました。最後にこに写った年寄りが逃げていきました。幸いにもリュック.サックの中から無くなった物はありませんでした。この後トームペアの丘の展望台にもこの3人を見かけました。
    この門は、デンマーク王の庭への入り口です。門の表示は、「乙女の塔博物館 - カフェ.デンマーク王の庭」です。

  • これは何も危険な出来事が無かった2003年春の写真です。

    これは何も危険な出来事が無かった2003年春の写真です。

  • デンマーク王の庭に入りました。上掲の門から入ると右手にこの城壁があります。この城壁は乙女の塔に続いています。トームペアの丘には中央左寄りのトンネルから入ります。日陰になっていますがよく見ると、そのトンネルの右上で僧侶のブロンズ像が見下ろしています。

    デンマーク王の庭に入りました。上掲の門から入ると右手にこの城壁があります。この城壁は乙女の塔に続いています。トームペアの丘には中央左寄りのトンネルから入ります。日陰になっていますがよく見ると、そのトンネルの右上で僧侶のブロンズ像が見下ろしています。

  • こちらの僧侶のブロンズ像は、デンマーク王の庭への入り口の門を入って左手にあります。僧侶のブロンズ像がもう1体、トームペアの丘へのトンネルの入り口の左手近くにあります。

    こちらの僧侶のブロンズ像は、デンマーク王の庭への入り口の門を入って左手にあります。僧侶のブロンズ像がもう1体、トームペアの丘へのトンネルの入り口の左手近くにあります。

  • デンマーク王の庭の南側の景色です。中央に城壁沿いにある乙女の塔、その左奥に独立して立ち円錐状の屋根を持つキーク.イン.デ.チョクが見えます。

    デンマーク王の庭の南側の景色です。中央に城壁沿いにある乙女の塔、その左奥に独立して立ち円錐状の屋根を持つキーク.イン.デ.チョクが見えます。

  • デンマーク王の庭から城壁のトンネルを通ってトームペアの丘へ上がりました。左手にアレクサンドル.ネフスキー寺院があり、写真中央に大聖堂(聖母マリア教会)の塔が見えています。

    デンマーク王の庭から城壁のトンネルを通ってトームペアの丘へ上がりました。左手にアレクサンドル.ネフスキー寺院があり、写真中央に大聖堂(聖母マリア教会)の塔が見えています。

  • アレクサンドル.ネフスキー寺院の北面を見上げています。

    アレクサンドル.ネフスキー寺院の北面を見上げています。

  • こちらは2003年春の撮影の南面です。

    こちらは2003年春の撮影の南面です。

  • こちらも2003年春にトームペア城前の広場から撮影した西面です。

    こちらも2003年春にトームペア城前の広場から撮影した西面です。

  • 同じ広場でアレクサンドル.ネフスキー寺院の反対側に、現在国会議事堂となっているトームペア城があります。城の後方に、エストニア国旗がはためく&quot;のっぽのヘルマンの塔&quot;の頂部が見えます。

    同じ広場でアレクサンドル.ネフスキー寺院の反対側に、現在国会議事堂となっているトームペア城があります。城の後方に、エストニア国旗がはためく"のっぽのヘルマンの塔"の頂部が見えます。

  • アレクサンドル.ネフスキー寺院の北側から東の方向を見ると、聖ニコラス教会の鐘楼の尖塔が見えています。

    アレクサンドル.ネフスキー寺院の北側から東の方向を見ると、聖ニコラス教会の鐘楼の尖塔が見えています。

  • アレクサンドル.ネフスキー寺院の西側から北にトーム.コーリ通りを歩いて行くと、右手に大聖堂(聖母マリア教会)の鐘楼が見えてきました。

    アレクサンドル.ネフスキー寺院の西側から北にトーム.コーリ通りを歩いて行くと、右手に大聖堂(聖母マリア教会)の鐘楼が見えてきました。

  • 2003年春の写真ですが、大聖堂の南にあるエストニアの音楽と劇場のアカデミー、舞台芸術学校の看板です。これはエストニアの舞台監督、俳優、演劇教師だったヴォルデマール.パンソの肖像のようです。1957年から20年間、彼はタリン州立音楽院舞台芸術部門を統括しました。

    2003年春の写真ですが、大聖堂の南にあるエストニアの音楽と劇場のアカデミー、舞台芸術学校の看板です。これはエストニアの舞台監督、俳優、演劇教師だったヴォルデマール.パンソの肖像のようです。1957年から20年間、彼はタリン州立音楽院舞台芸術部門を統括しました。

  • 大聖堂の北西近くにあるピースコピ展望台です。海以外は見晴らしは良くありません。早々に引き上げました。

    大聖堂の北西近くにあるピースコピ展望台です。海以外は見晴らしは良くありません。早々に引き上げました。

  • 土産物店ですが、店名なしの看板です。

    土産物店ですが、店名なしの看板です。

  • 今度はトームペアの丘の北東側にあるコフトウッツァ展望台に移動しました。こちらは北東の方向から南の方向まで展望できます。まず東北東の方向です。左隅に聖オラフ教会、中央右寄りに精霊教会の尖塔です。風見鶏が頂部にある三角屋根は、ロング.レッグ(ピック.ヤルク:Pikk Jalg)と呼ばれる通りの入り口にある門塔の屋根です。右隅にホテル.ヴィルが見えています。

    今度はトームペアの丘の北東側にあるコフトウッツァ展望台に移動しました。こちらは北東の方向から南の方向まで展望できます。まず東北東の方向です。左隅に聖オラフ教会、中央右寄りに精霊教会の尖塔です。風見鶏が頂部にある三角屋根は、ロング.レッグ(ピック.ヤルク:Pikk Jalg)と呼ばれる通りの入り口にある門塔の屋根です。右隅にホテル.ヴィルが見えています。

  • こちらは2003年春の旅での写真です。右側の精霊教会の尖塔は、前年に火災で損壊したので、その修復工事中の状態です。

    こちらは2003年春の旅での写真です。右側の精霊教会の尖塔は、前年に火災で損壊したので、その修復工事中の状態です。

  • 写真中央に、この展望台の目の前にある、ピック.ヤルク通りの門塔の風見鶏です。左側遠くにホテル.ヴィル、右側に旧市庁舎の尖塔が見えます。<br />

    写真中央に、この展望台の目の前にある、ピック.ヤルク通りの門塔の風見鶏です。左側遠くにホテル.ヴィル、右側に旧市庁舎の尖塔が見えます。

  • 旧市庁舎尖塔の風見鶏、「トーマスお爺さん」です。1530年の創建当時の風見鶏を再現して1996年に制作されたものです。

    旧市庁舎尖塔の風見鶏、「トーマスお爺さん」です。1530年の創建当時の風見鶏を再現して1996年に制作されたものです。

  • 赤瓦の屋根越しに、北東方向のタリン港を拡大しました。やはりこの展望台は低く過ぎです。

    赤瓦の屋根越しに、北東方向のタリン港を拡大しました。やはりこの展望台は低く過ぎです。

  • これは南の方向の聖ニコラス教会の鐘楼です。その右にキーク.イン.デ.チョクの塔、さらに右に乙女の塔です。

    これは南の方向の聖ニコラス教会の鐘楼です。その右にキーク.イン.デ.チョクの塔、さらに右に乙女の塔です。

  • 北東の方向で聖オラフ教会の鐘楼を中央に置きました。左側に、北西側の城壁の塔やキリスト変容教会のドームと尖塔も見えています。

    北東の方向で聖オラフ教会の鐘楼を中央に置きました。左側に、北西側の城壁の塔やキリスト変容教会のドームと尖塔も見えています。

  • 精霊教会の風見鶏。

    精霊教会の風見鶏。

  • コフトウッツァ展望台から戻って行きます。トームペアの丘にはもう一つ北端にパットクリ展望台がありますが、近くの聖オラフ教会の鐘楼に上がれば、この北端の展望台より良い景色が展望できるので行きませんでした。この写真は、コフトゥ通りから眺めた大聖堂(聖母マリア教会)の背面です。

    コフトウッツァ展望台から戻って行きます。トームペアの丘にはもう一つ北端にパットクリ展望台がありますが、近くの聖オラフ教会の鐘楼に上がれば、この北端の展望台より良い景色が展望できるので行きませんでした。この写真は、コフトゥ通りから眺めた大聖堂(聖母マリア教会)の背面です。

  • 大聖堂の南側からピースコピ通りを南の方向に進んでいます。通りの先にはアレクサンドル.ネフスキー寺院が見えています。

    大聖堂の南側からピースコピ通りを南の方向に進んでいます。通りの先にはアレクサンドル.ネフスキー寺院が見えています。

  • 北のほうからピースコピ通りを歩いてきて、アレクサンドル.ネフスキー寺院の北側まで来ました。中央奥はトームペア城です。<br />

    北のほうからピースコピ通りを歩いてきて、アレクサンドル.ネフスキー寺院の北側まで来ました。中央奥はトームペア城です。

  • 今朝トームペアの丘に上がってきたショート.レッグ(リュヒケ.ヤルク:Lühike jalg)に対しロング.レッグ(ピック.ヤルク:Pikk Jalg)と呼ばれる通りを下って旧市街の中心のラエコヤ広場に向かいます。ここはピック.ヤルク通りに入って直ぐの場所で、カフェ.ボガポット(Bogapott)の前です。後方に城壁沿いの塔、更に後ろに聖ニコラス教会の尖塔が見えています。

    今朝トームペアの丘に上がってきたショート.レッグ(リュヒケ.ヤルク:Lühike jalg)に対しロング.レッグ(ピック.ヤルク:Pikk Jalg)と呼ばれる通りを下って旧市街の中心のラエコヤ広場に向かいます。ここはピック.ヤルク通りに入って直ぐの場所で、カフェ.ボガポット(Bogapott)の前です。後方に城壁沿いの塔、更に後ろに聖ニコラス教会の尖塔が見えています。

  • これはカフェ.ボガポットの看板です。コヒー.カップを飾っています。

    これはカフェ.ボガポットの看板です。コヒー.カップを飾っています。

  • ピック.ヤルク通りで上掲のカフェ.ボガポットの対面にあるカフェ.レストランのピカ.ヤラ(Pika Jala)です。

    ピック.ヤルク通りで上掲のカフェ.ボガポットの対面にあるカフェ.レストランのピカ.ヤラ(Pika Jala)です。

  • 右端に写るブーツがピカ.ヤラの看板です。

    右端に写るブーツがピカ.ヤラの看板です。

  • 2003年春の旅では、ここでお茶にしました。ここでも絵葉書を書いています。

    2003年春の旅では、ここでお茶にしました。ここでも絵葉書を書いています。

  • ジジの後方には、右に城壁沿いの塔、中央にブーツの看板、更に後ろに聖ニコラス教会の尖塔が見えています。<br />

    ジジの後方には、右に城壁沿いの塔、中央にブーツの看板、更に後ろに聖ニコラス教会の尖塔が見えています。

  • この辺りは引ったくりが多いのか、この注意喚起の標識です。

    この辺りは引ったくりが多いのか、この注意喚起の標識です。

  • 緩い坂のピック.ヤルク通りを下って行きます。

    緩い坂のピック.ヤルク通りを下って行きます。

  • 通り左のトームペアの丘側は、中程からこのように崖の上に張り付いた大きな建物が現れます。公共の建物のようです。

    通り左のトームペアの丘側は、中程からこのように崖の上に張り付いた大きな建物が現れます。公共の建物のようです。

  • 正面の三角屋根の塔は、ピック.ヤルク通りの門になっています。この門塔は、先程訪れたコフトウッツァ展望台の直下にあります。後方は聖オラフ教会の尖塔です。

    正面の三角屋根の塔は、ピック.ヤルク通りの門になっています。この門塔は、先程訪れたコフトウッツァ展望台の直下にあります。後方は聖オラフ教会の尖塔です。

  • 門塔を出て右に緩く曲がると正面に、細いピック通りがあり、その先にラエコヤ広場の北にある精霊教会の尖塔が見えています。

    門塔を出て右に緩く曲がると正面に、細いピック通りがあり、その先にラエコヤ広場の北にある精霊教会の尖塔が見えています。

  • ピック通りの土産物屋さん&quot;バルティック&quot;の看板です。

    ピック通りの土産物屋さん"バルティック"の看板です。

  • 上掲の&quot;バルティック&quot;の先に掛かっていた、ブラッセリー(ビールと食事を提供する店)の&quot;ハンザ.ブレヴァリー&quot;の看板です。

    上掲の"バルティック"の先に掛かっていた、ブラッセリー(ビールと食事を提供する店)の"ハンザ.ブレヴァリー"の看板です。

  • ピック.ヤルク通り手前から右に曲がり南へラタスカエヴ通り(Rataskaevu)を歩いて行きます。遠くに聖ニコラス教会の鐘楼が見ています。

    ピック.ヤルク通り手前から右に曲がり南へラタスカエヴ通り(Rataskaevu)を歩いて行きます。遠くに聖ニコラス教会の鐘楼が見ています。

  • こちらはすぐ分かるレストランの看板です。

    こちらはすぐ分かるレストランの看板です。

  • ラタスカエヴ通りがドゥンクリ通り(Dunkri)と出会う3差路の交差点に来ました。

    ラタスカエヴ通りがドゥンクリ通り(Dunkri)と出会う3差路の交差点に来ました。

  • 3差路の交差点にこの&quot;猫の井戸&quot;の遺跡があります。

    3差路の交差点にこの"猫の井戸"の遺跡があります。

  • ラタスカエヴ通りから左に大きく鋭角に曲がりドゥンクリ通りを歩いてラエコヤ広場に向かいます。中央遠くにラエコヤ広場の東側にある学生会館の建物が見えています。

    ラタスカエヴ通りから左に大きく鋭角に曲がりドゥンクリ通りを歩いてラエコヤ広場に向かいます。中央遠くにラエコヤ広場の東側にある学生会館の建物が見えています。

  • これは、ドゥンクリ通りの北側にあるエストニアの田舎の食堂と表記にあるレストランの看板です。

    これは、ドゥンクリ通りの北側にあるエストニアの田舎の食堂と表記にあるレストランの看板です。

  • これはラエコヤ広場への入り口近くのブラッセリーの&quot;ビール.ハウス&quot;の看板です。

    これはラエコヤ広場への入り口近くのブラッセリーの"ビール.ハウス"の看板です。

  • &quot;ビール.ハウス&quot;は通りからビールの醸造設備が見えます。

    "ビール.ハウス"は通りからビールの醸造設備が見えます。

  • こちらは目隠しの為でしょうか、窓ガラスに帆船時代の海戦らしき絵が描かれています。

    こちらは目隠しの為でしょうか、窓ガラスに帆船時代の海戦らしき絵が描かれています。

  • ラエコヤ広場に着きました。左は広場北側の建物列です。

    ラエコヤ広場に着きました。左は広場北側の建物列です。

  • これは2003年秋の旅の写真です。広場北側のカフェで寛いでいます。背景は広場の東側の建物列です。前掲の写真で説明したラエコヤ広場の東側にある建物が学生会館になったのは2005年だったそうなので、当然のことながら壁面にその表記は見えません。

    これは2003年秋の旅の写真です。広場北側のカフェで寛いでいます。背景は広場の東側の建物列です。前掲の写真で説明したラエコヤ広場の東側にある建物が学生会館になったのは2005年だったそうなので、当然のことながら壁面にその表記は見えません。

  • こちらは広場の東側の建物列です。右手に旧市庁舎の建物が1部写っています。左端2棟目の低い建物は市議会薬局です。

    こちらは広場の東側の建物列です。右手に旧市庁舎の建物が1部写っています。左端2棟目の低い建物は市議会薬局です。

  • 広場の南側にある旧市庁舎です。

    広場の南側にある旧市庁舎です。

  • 旧市庁舎の壁面の雨樋です。ゴシック様式の教会でよく見る部品です。

    旧市庁舎の壁面の雨樋です。ゴシック様式の教会でよく見る部品です。

  • 広場北側で最も東にある白い壁の市議会薬局です。この建物の左端の壁にサイアカイクの小道に入るトンネル入り口があります。その入り口は、丁度赤い日除け傘の左端に隠れています。

    広場北側で最も東にある白い壁の市議会薬局です。この建物の左端の壁にサイアカイクの小道に入るトンネル入り口があります。その入り口は、丁度赤い日除け傘の左端に隠れています。

  • ラエコヤ広場の北東角にある市議会薬局のトンネルからサイアカイクの小道を北に歩き、精霊教会のファサード前を通ってピック通りとの交差点に来ました。この写真はピック通りの北東方向です。左手にロシア大使館が見えます。右側は、タリン最古のカフェ.マイアスモック(Maiasmokk)です。

    ラエコヤ広場の北東角にある市議会薬局のトンネルからサイアカイクの小道を北に歩き、精霊教会のファサード前を通ってピック通りとの交差点に来ました。この写真はピック通りの北東方向です。左手にロシア大使館が見えます。右側は、タリン最古のカフェ.マイアスモック(Maiasmokk)です。

  • 上掲の写真と同じ位置から反対方向に、中世のルーテル教会である精霊教会を撮影しました。ここは小さな広場になっています。この教会の建立は13世紀に遡ります。この教会の8角形の塔は、1684年と2002年に火災で損壊し再建されています。この教会は、エストニア語で説教が行われた初めての教会になりました。

    上掲の写真と同じ位置から反対方向に、中世のルーテル教会である精霊教会を撮影しました。ここは小さな広場になっています。この教会の建立は13世紀に遡ります。この教会の8角形の塔は、1684年と2002年に火災で損壊し再建されています。この教会は、エストニア語で説教が行われた初めての教会になりました。

  • 壁面右上隅に1684年製造の時計があります。

    壁面右上隅に1684年製造の時計があります。

  • 精霊教会に入りました。この教会は、当初側廊なしで1身廊だけのシンプルなレイアウトで建てられましたが、14世紀に1身廊分の拡張が南側に行われています。この写真は、その拡張された南側の身廊をファサード側から望んでいます。写真正面の内陣側を見ると、祭壇などの内陣らしいものは見当たりません。

    精霊教会に入りました。この教会は、当初側廊なしで1身廊だけのシンプルなレイアウトで建てられましたが、14世紀に1身廊分の拡張が南側に行われています。この写真は、その拡張された南側の身廊をファサード側から望んでいます。写真正面の内陣側を見ると、祭壇などの内陣らしいものは見当たりません。

  • こちらは上掲の増設された身廊のファサード側を写しています。教会の2階ギャラリーの袖は、17世紀半ばに、おそらくさまざまな芸術家によって描かれた聖書の場面で装飾されています。

    こちらは上掲の増設された身廊のファサード側を写しています。教会の2階ギャラリーの袖は、17世紀半ばに、おそらくさまざまな芸術家によって描かれた聖書の場面で装飾されています。

  • これは当初からあった北側の身廊のファサード側を写しています。左側に説教壇に上がる階段が見えます。こちらの身廊の2階ギャラリーは、内陣からファサード側まで長く続いています。それに対して南側の増設された身廊のギャラリーは前方のみです。

    これは当初からあった北側の身廊のファサード側を写しています。左側に説教壇に上がる階段が見えます。こちらの身廊の2階ギャラリーは、内陣からファサード側まで長く続いています。それに対して南側の増設された身廊のギャラリーは前方のみです。

  • 南北の身廊を分ける列柱で最前方の柱に説教壇と天蓋が造られています。

    南北の身廊を分ける列柱で最前方の柱に説教壇と天蓋が造られています。

  • 説教壇を拡大しました。壁面のレリーフで、右から3番目の聖人は、8回目の旅行記のストックホルムで見かけ説明した帝国宝珠を持っています。

    説教壇を拡大しました。壁面のレリーフで、右から3番目の聖人は、8回目の旅行記のストックホルムで見かけ説明した帝国宝珠を持っています。

  • これは北側の身廊の内陣にある、バーント.ノトケ(Bernt Notke:1440頃-1509)が製作した主祭壇です。これは1483年に奉納されました。中央のパネルに、聖母マリアと12人の使徒に聖霊が降臨する場面が彫られています。この祭壇は、バルト海地域で最も初期の作品です。中央のパネルが聖人の正式な並びではなく、聖書の場面に沿っているそうです。この祭壇を通して、バルト海地域の芸術に導入された他の目新しさは、礼拝堂での精霊降臨です。ノッケの祭壇画のうち、元の絵の具と色を保持しているのはこの作品だけです。

    これは北側の身廊の内陣にある、バーント.ノトケ(Bernt Notke:1440頃-1509)が製作した主祭壇です。これは1483年に奉納されました。中央のパネルに、聖母マリアと12人の使徒に聖霊が降臨する場面が彫られています。この祭壇は、バルト海地域で最も初期の作品です。中央のパネルが聖人の正式な並びではなく、聖書の場面に沿っているそうです。この祭壇を通して、バルト海地域の芸術に導入された他の目新しさは、礼拝堂での精霊降臨です。ノッケの祭壇画のうち、元の絵の具と色を保持しているのはこの作品だけです。

  • 1階から南身廊にある2階ギャラリー袖の絵を写しています。場面は旧約聖書のアダムとイブのようです。

    1階から南身廊にある2階ギャラリー袖の絵を写しています。場面は旧約聖書のアダムとイブのようです。

  • 教会内に飾られている絵画の一つです。十字架から死せるキリストを下ろしています。

    教会内に飾られている絵画の一つです。十字架から死せるキリストを下ろしています。

  • これは、南身廊の内陣側の壁面にある20世紀の作品のステンドグラスです。キリストの生涯を表しています。

    これは、南身廊の内陣側の壁面にある20世紀の作品のステンドグラスです。キリストの生涯を表しています。

  • 南身廊の前方にある2階ギャラリーから階下を見下ろしています。中央に見える柱に説教壇が後方に向いて設置してあります。

    南身廊の前方にある2階ギャラリーから階下を見下ろしています。中央に見える柱に説教壇が後方に向いて設置してあります。

  • 南身廊2階ギャラリーから対面の北身廊ギャラリーの絵画を移しています。中央は「サマリアの女」、右は「キリストの足に香油をぬるマグダラのマリア」でしょうか。

    南身廊2階ギャラリーから対面の北身廊ギャラリーの絵画を移しています。中央は「サマリアの女」、右は「キリストの足に香油をぬるマグダラのマリア」でしょうか。

  • 精霊教会の北側にあり、1417年に後期ゴシック様式で内装も含め完成した大ギルドの会館に入ります。この建物には、エストニア歴史博物館が入っています。ファサードの最も印象的な特徴は、1430年に作られた大きなブロンズ製のドア.ノッカーを備え、オーク材の扉を備えたポータルです。それらは中世のタリンにおける青銅鋳造の最良の例であると考えられています。

    精霊教会の北側にあり、1417年に後期ゴシック様式で内装も含め完成した大ギルドの会館に入ります。この建物には、エストニア歴史博物館が入っています。ファサードの最も印象的な特徴は、1430年に作られた大きなブロンズ製のドア.ノッカーを備え、オーク材の扉を備えたポータルです。それらは中世のタリンにおける青銅鋳造の最良の例であると考えられています。

  • 部屋の壁面ルネッタの絵画です。「15~16世紀の大ギルドの祭典」の表記があります。

    部屋の壁面ルネッタの絵画です。「15~16世紀の大ギルドの祭典」の表記があります。

  • こちらもルネッタの絵画です。こういう絵画を見ると、この場面はどこの場所だろう?と常々考えます。中央遠くの鐘楼は聖ニコラス教会のようで、左側の建物は3姉妹の連棟の一つに似ています。しかし背景は特定の場所を描かず、適当にパーツを組み合わせているようです。

    こちらもルネッタの絵画です。こういう絵画を見ると、この場面はどこの場所だろう?と常々考えます。中央遠くの鐘楼は聖ニコラス教会のようで、左側の建物は3姉妹の連棟の一つに似ています。しかし背景は特定の場所を描かず、適当にパーツを組み合わせているようです。

  • 会館の中央にある大広間で、当初の形態を維持しているそうです。

    会館の中央にある大広間で、当初の形態を維持しているそうです。

  • こちらは入口側から奥を望んでいます。博物館そのものは、特に興味を惹かれる物はありませんでした。この後西側の城壁を歩きに行きます。

    こちらは入口側から奥を望んでいます。博物館そのものは、特に興味を惹かれる物はありませんでした。この後西側の城壁を歩きに行きます。

  • 大ギルドの会館を出て、ピック通りから大ギルドの会館の左手にある、入口に扉が付いた小道を通って西側のライ通りに出ました。ライ通りの北の方に聖オラフ教会の鐘楼が見えています。

    大ギルドの会館を出て、ピック通りから大ギルドの会館の左手にある、入口に扉が付いた小道を通って西側のライ通りに出ました。ライ通りの北の方に聖オラフ教会の鐘楼が見えています。

  • ライ通りから左に曲がり、大修道院の意味のスール.クローストゥリ通り(Suur-Kloostri)に入り城壁沿いの&quot;修道女の塔&quot;(Nunnatorn)の手前に来ました。ここから城壁に登ります。写真の右隅に木に隠れて少し小さな&quot;サウナ塔&quot;(Saunatorn)があります。

    ライ通りから左に曲がり、大修道院の意味のスール.クローストゥリ通り(Suur-Kloostri)に入り城壁沿いの"修道女の塔"(Nunnatorn)の手前に来ました。ここから城壁に登ります。写真の右隅に木に隠れて少し小さな"サウナ塔"(Saunatorn)があります。

  • 修道女の塔の北側に三つの塔が見えています。写真で左端に隠れていますが&quot;サウナ塔&quot;、中央に&quot;金の足の塔&quot;(Kuldjalatorn)、その奥に&quot;修道女の後の塔&quot;(Nunnadetagune torn)が見えています。

    修道女の塔の北側に三つの塔が見えています。写真で左端に隠れていますが"サウナ塔"、中央に"金の足の塔"(Kuldjalatorn)、その奥に"修道女の後の塔"(Nunnadetagune torn)が見えています。

  • 先ずこのような狭い階段を上がって&quot;修道女の塔&quot;に上ります。

    先ずこのような狭い階段を上がって"修道女の塔"に上ります。

  • 北東の方向を望んでいます。左側に手前からキリスト変容教会の塔とドーム、その更に遠くに聖オラフ教会の鐘楼が見えます。

    北東の方向を望んでいます。左側に手前からキリスト変容教会の塔とドーム、その更に遠くに聖オラフ教会の鐘楼が見えます。

  • こちらは南東の方向です。中央に市庁舎の尖塔、左端に精霊教会の尖塔が見えます。

    こちらは南東の方向です。中央に市庁舎の尖塔、左端に精霊教会の尖塔が見えます。

  • 城壁の外を見ると、トームペアの丘の北端にあるパットクリ展望台を見つけました。ジジババは、この展望台には行っていません。

    城壁の外を見ると、トームペアの丘の北端にあるパットクリ展望台を見つけました。ジジババは、この展望台には行っていません。

  • 拡大すると、こんなに大勢の人が展望を楽しんでいました。

    拡大すると、こんなに大勢の人が展望を楽しんでいました。

  • 修道女の塔から北の方向の塔を望んでいます。手前から、小さな&quot;サウナの塔&quot;、&quot;金の足の塔&quot;、小さな&quot;修道女の後ろの塔&quot;、そして&quot;ルーエンシェデ塔&quot;(Loewenschede torn)で、この名は壁のこの部分の防御の建設を主導した市長名から採られたそうです。

    修道女の塔から北の方向の塔を望んでいます。手前から、小さな"サウナの塔"、"金の足の塔"、小さな"修道女の後ろの塔"、そして"ルーエンシェデ塔"(Loewenschede torn)で、この名は壁のこの部分の防御の建設を主導した市長名から採られたそうです。

  • &quot;修道女の塔&quot;を下りて高架になった城壁を歩きます。正面の建物は学校(Gustav Adolf Grammar School)で、その奥は正教会のキリスト変容教会の尖塔です。<br />

    "修道女の塔"を下りて高架になった城壁を歩きます。正面の建物は学校(Gustav Adolf Grammar School)で、その奥は正教会のキリスト変容教会の尖塔です。

  • ラエコヤ広場からやって来た時に通ったスール.クローストゥリ通りを見下ろします。左側の建物は上掲の学校です。

    ラエコヤ広場からやって来た時に通ったスール.クローストゥリ通りを見下ろします。左側の建物は上掲の学校です。

  • 城壁の通路です。この先城壁は&quot;サウナの塔&quot;の前で少し右に曲がります。

    城壁の通路です。この先城壁は"サウナの塔"の前で少し右に曲がります。

  • &quot;サウナの塔&quot;から次の&quot;金の足の塔&quot;を望みます。

    "サウナの塔"から次の"金の足の塔"を望みます。

  • &quot;サウナの塔&quot;で少し上がって&quot;修道女の塔&quot;を振り返ります。

    "サウナの塔"で少し上がって"修道女の塔"を振り返ります。

  • 城壁の外で左にスール.クローストゥリ通り、その通り沿いにある市役所の建物が木々の中に見えています。

    城壁の外で左にスール.クローストゥリ通り、その通り沿いにある市役所の建物が木々の中に見えています。

  • &quot;サウナの塔&quot;の次にある&quot;金の足の塔&quot;を上がります。手摺りが無い螺旋階段なので注意して上がります。

    "サウナの塔"の次にある"金の足の塔"を上がります。手摺りが無い螺旋階段なので注意して上がります。

  • 途中からこんな階段になりました。

    途中からこんな階段になりました。

  • 中程に板の床がありその後は壁沿いの階段を上がって行きます。

    中程に板の床がありその後は壁沿いの階段を上がって行きます。

  • 最上階に上がります。この綱が最後の階段の手摺になっています。

    最上階に上がります。この綱が最後の階段の手摺になっています。

  • 最上階です。特に何もありません。展望用の窓があるだけです。

    最上階です。特に何もありません。展望用の窓があるだけです。

  • 北の方向に建つ4本の塔を望みます。右から&quot;コイスマエの塔&quot;(Köismäe torn)、&quot;プラーテの塔&quot;(Plate torn)、&quot;エッピングの塔&quot;(Fppingi torn)、そして&quot;グルスベケットの塔&quot;(Grusbeketagune torn)です。

    北の方向に建つ4本の塔を望みます。右から"コイスマエの塔"(Köismäe torn)、"プラーテの塔"(Plate torn)、"エッピングの塔"(Fppingi torn)、そして"グルスベケットの塔"(Grusbeketagune torn)です。

  • また狭い螺旋階段を注意して下りて行きます。

    また狭い螺旋階段を注意して下りて行きます。

  • 城壁と塔の見学は&quot;金の足の塔&quot;迄です。途中の&quot;サウナの塔&quot;を経由して&quot;修道女の塔&quot;に戻って行きます。

    城壁と塔の見学は"金の足の塔"迄です。途中の"サウナの塔"を経由して"修道女の塔"に戻って行きます。

  • &quot;修道女の塔&quot;で城壁を下ります。

    "修道女の塔"で城壁を下ります。

  • &quot;修道女の塔&quot;です。塔の下に入口が見えます。

    "修道女の塔"です。塔の下に入口が見えます。

  • 城壁が歩けないなら、地上を城壁に沿って歩く事にしました。先ほど上がった”金の足の塔”、次の&quot;修道女の後ろの塔&quot;の側を過ぎました。ここで前方、北東の方向を眺めると、聖オラフ教会の鐘楼、その左に&quot;コイスマエの塔&quot;(Köismäe torn)が見えます。

    城壁が歩けないなら、地上を城壁に沿って歩く事にしました。先ほど上がった”金の足の塔”、次の"修道女の後ろの塔"の側を過ぎました。ここで前方、北東の方向を眺めると、聖オラフ教会の鐘楼、その左に"コイスマエの塔"(Köismäe torn)が見えます。

  • そして、少し城壁から離れた小広場から、&quot;修道女の後ろの塔&quot;の次の&quot;ルーエンシェデの塔&quot;が、城壁前の建物の屋根越しに見えました。<br />

    そして、少し城壁から離れた小広場から、"修道女の後ろの塔"の次の"ルーエンシェデの塔"が、城壁前の建物の屋根越しに見えました。

  • また城壁沿いを歩き、後ろを振り返ります。&quot;ルーエンシェデの塔&quot;の南隣りにある&quot;修道女の後ろの塔&quot;が見えています。この辺りは、城壁にへばり付いて家屋が建っています。

    また城壁沿いを歩き、後ろを振り返ります。"ルーエンシェデの塔"の南隣りにある"修道女の後ろの塔"が見えています。この辺りは、城壁にへばり付いて家屋が建っています。

  • 通り過ぎた&quot;ルーエンシェデの塔&quot;と写真の手前に写る&quot;コイスマエの塔&quot;との間の城壁に通行できるトンネルがあったので、城壁の外の塔の広場と呼ばれる緑地にちょっと出て北側の4塔を撮影しました。先程&quot;金の足の塔&quot;の上から眺めた4塔と同じです。

    通り過ぎた"ルーエンシェデの塔"と写真の手前に写る"コイスマエの塔"との間の城壁に通行できるトンネルがあったので、城壁の外の塔の広場と呼ばれる緑地にちょっと出て北側の4塔を撮影しました。先程"金の足の塔"の上から眺めた4塔と同じです。

  • 又城壁内に戻って北側の方向に歩きます。こちらからは、城壁に近すぎて最奥の&quot;グルスベケットの塔&quot;は見えません。手前から&quot;コイスマエの塔&quot;、&quot;プラーテの塔&quot;、&quot;エッピングの塔&quot;です。

    又城壁内に戻って北側の方向に歩きます。こちらからは、城壁に近すぎて最奥の"グルスベケットの塔"は見えません。手前から"コイスマエの塔"、"プラーテの塔"、"エッピングの塔"です。

  • スールトゥキ通り(Suurtüki)を横切って歩き続けます。ここからは&quot;エッピングの塔&quot;と&quot;グルスベケットの塔&quot;が見えています。<br />

    スールトゥキ通り(Suurtüki)を横切って歩き続けます。ここからは"エッピングの塔"と"グルスベケットの塔"が見えています。

  • そして北端の&quot;グルスベケットの塔&quot;に近づきました。

    そして北端の"グルスベケットの塔"に近づきました。

  • &quot;グルスベケットの塔&quot;の手前で後方を振り返ります。中央遠くに、トームペアの丘にある大聖堂(聖母マリア教会)の尖塔頂部が見えています。

    "グルスベケットの塔"の手前で後方を振り返ります。中央遠くに、トームペアの丘にある大聖堂(聖母マリア教会)の尖塔頂部が見えています。

  • 城壁沿いの道路の突き当たりで右に曲がり、ライ通りを横切ってピック通りに出ました。スール.ランナ門の手前です。この門を出るとすぐ右側に&quot;ふとっちょマルガレータ&quot;があります。

    城壁沿いの道路の突き当たりで右に曲がり、ライ通りを横切ってピック通りに出ました。スール.ランナ門の手前です。この門を出るとすぐ右側に"ふとっちょマルガレータ"があります。

  • 2003年春の旅で、城外から&quot;ふとっちょマルガレータ&quot;を写しました。中央遠くに聖オラフ教会の鐘楼、左側に&quot;ふとっちょマルガレータ&quot;の南の#ストルティンギの塔&quot;(Stoltingi torn)が写っています。

    2003年春の旅で、城外から"ふとっちょマルガレータ"を写しました。中央遠くに聖オラフ教会の鐘楼、左側に"ふとっちょマルガレータ"の南の#ストルティンギの塔"(Stoltingi torn)が写っています。

  • 午後1時半になりました。ホテルに戻ります。スール.ランナ門の南、ピック通りの西側に並ぶ3人姉妹の建物を南の方向から眺めています。さらに奥のクリーム色の建物はエストニア児童文学センターです。

    午後1時半になりました。ホテルに戻ります。スール.ランナ門の南、ピック通りの西側に並ぶ3人姉妹の建物を南の方向から眺めています。さらに奥のクリーム色の建物はエストニア児童文学センターです。

  • こちらは3人姉妹の中央の建物です。

    こちらは3人姉妹の中央の建物です。

  • ピック通りを南下して歩いて行くと、左側からオレヴィマギ通り(Olevimägi)が合流します。我々は、写真の左のピック通りから来ました。

    ピック通りを南下して歩いて行くと、左側からオレヴィマギ通り(Olevimägi)が合流します。我々は、写真の左のピック通りから来ました。

  • 上掲の3差路の近くにブラックヘッドの会館があります。タリンの旧市街に残っている数少ないルネサンス様式の建物の1つです。ブラックヘッドの友愛会が購入した建物が1597年に改装され、ファサードはネーデルラントのルネサンス建築のスタイルになりました。

    上掲の3差路の近くにブラックヘッドの会館があります。タリンの旧市街に残っている数少ないルネサンス様式の建物の1つです。ブラックヘッドの友愛会が購入した建物が1597年に改装され、ファサードはネーデルラントのルネサンス建築のスタイルになりました。

  • 玄関は1640年に制作されたもので、扉上部のルネッタに友愛会の守護聖人である聖モーリシャスの頭像が彫刻されています。

    玄関は1640年に制作されたもので、扉上部のルネッタに友愛会の守護聖人である聖モーリシャスの頭像が彫刻されています。

  • ブラックヘッド会館の右隣りの家屋です。ファサードの彩色がブラックヘッド会館と同じです。

    ブラックヘッド会館の右隣りの家屋です。ファサードの彩色がブラックヘッド会館と同じです。

  • ブラックヘッド会館から右に4番目の建物、聖カヌティ.ギルド.ハウス(Püha Kanuti gild)です。カヌティ.ギルドは、13世紀に設立されました。当初、カヌティ.ギルドには職人と商人が含まれていました。後に大ギルドが結成された時、商人はそこに移動し、職人がカヌーティ.ギルドに残りました。

    ブラックヘッド会館から右に4番目の建物、聖カヌティ.ギルド.ハウス(Püha Kanuti gild)です。カヌティ.ギルドは、13世紀に設立されました。当初、カヌティ.ギルドには職人と商人が含まれていました。後に大ギルドが結成された時、商人はそこに移動し、職人がカヌーティ.ギルドに残りました。

  • 上掲の建物の右隣りで、タリン最古のカフェのマイアスモック(Maiasmokk)の左隣りの建物ドラゴン.アート.ギャラリー(Draakon kunstigalerii)です。この建物は14世紀の建物を1910年にアール.ヌーボー様式で改築したものです。

    上掲の建物の右隣りで、タリン最古のカフェのマイアスモック(Maiasmokk)の左隣りの建物ドラゴン.アート.ギャラリー(Draakon kunstigalerii)です。この建物は14世紀の建物を1910年にアール.ヌーボー様式で改築したものです。

  • ファサードの下層階です。

    ファサードの下層階です。

  • アール.ヌーボーのファサードのパーツ二つを拡大しました。

    アール.ヌーボーのファサードのパーツ二つを拡大しました。

  • 隣りのカフェ.マイアスモックの窓です。

    隣りのカフェ.マイアスモックの窓です。

  • ピック通りのハイライトが続く並びです。カフェ.マイアスモックの対面はロシア大使館です。

    ピック通りのハイライトが続く並びです。カフェ.マイアスモックの対面はロシア大使館です。

  • ピック通りとラエコヤ広場を結ぶサイアカイクの小道で、その途中にある「小さな赤い家」です。この家はお土産店でしょうか。後方は精霊教会の尖塔と大ギルド.ハウスのファサードです。

    ピック通りとラエコヤ広場を結ぶサイアカイクの小道で、その途中にある「小さな赤い家」です。この家はお土産店でしょうか。後方は精霊教会の尖塔と大ギルド.ハウスのファサードです。

  • ラエコヤ広場を通り、広場の南東隅からヴァナトゥル.カエル通り(Vanaturu Kael)に入ります。この辺りは多くのレストランで賑やかです。通り右側の角には有名な&quot;オルデ.ハンザ&quot;のレストランが見えています。通りの正面の中世の家は、ペッパーサック.レストランです。

    ラエコヤ広場を通り、広場の南東隅からヴァナトゥル.カエル通り(Vanaturu Kael)に入ります。この辺りは多くのレストランで賑やかです。通り右側の角には有名な"オルデ.ハンザ"のレストランが見えています。通りの正面の中世の家は、ペッパーサック.レストランです。

  • これは2003年春の旅で撮影していたペッパーサック.レストランです。典型的な中世ハンザの建物の姿を残しています。

    これは2003年春の旅で撮影していたペッパーサック.レストランです。典型的な中世ハンザの建物の姿を残しています。

  • この看板は、上掲の写真の左隅にあるステーキ.ハウスの&quot;ホプナー&quot;の看板です。男性の後ろ向きの姿になっています。

    この看板は、上掲の写真の左隅にあるステーキ.ハウスの"ホプナー"の看板です。男性の後ろ向きの姿になっています。

  • こちらは&quot;オルデ.ハンザ&quot;の看板です。

    こちらは"オルデ.ハンザ"の看板です。

  • これが&quot;オルデ.ハンザ&quot;の全景です。

    これが"オルデ.ハンザ"の全景です。

  • &quot;オルデ.ハンザ&quot;を右に見て、正面の通りに素敵な建物を見つけました。右隣にはピンク色の外壁の「タリン騎士団博物館」があります。正面の通りを左に真っすぐに歩けば滞在するホテルに行けます。午後2時過ぎになりホテルのバールで昼食にする事にしました。

    "オルデ.ハンザ"を右に見て、正面の通りに素敵な建物を見つけました。右隣にはピンク色の外壁の「タリン騎士団博物館」があります。正面の通りを左に真っすぐに歩けば滞在するホテルに行けます。午後2時過ぎになりホテルのバールで昼食にする事にしました。

  • ホテルに戻りました。簡単な昼食になりました。

    ホテルに戻りました。簡単な昼食になりました。

  • サラダ風の料理です。

    サラダ風の料理です。

  • 綺麗に並べられた突き合わせのパンです。

    綺麗に並べられた突き合わせのパンです。

  • 午後3時15分になりましたが、今日最後の訪問先の聖オラフ教会を目指します。この教会の鐘楼に登って展望を楽しみます。左手に聖ニコラス教会がある緑地を見ながらハルユ通り(Harju)を北の方向に歩きます。遠くに精霊教会の尖塔が微かに見えています。右側の建物は、ソ連邦時代のものなのか燻んだ色の壁面です。

    午後3時15分になりましたが、今日最後の訪問先の聖オラフ教会を目指します。この教会の鐘楼に登って展望を楽しみます。左手に聖ニコラス教会がある緑地を見ながらハルユ通り(Harju)を北の方向に歩きます。遠くに精霊教会の尖塔が微かに見えています。右側の建物は、ソ連邦時代のものなのか燻んだ色の壁面です。

  • このまま真っ直ぐ行くとラエコヤ広場の南西角になります。正面の建物は、尖塔を持つ洒落た建物です。

    このまま真っ直ぐ行くとラエコヤ広場の南西角になります。正面の建物は、尖塔を持つ洒落た建物です。

  • これはスール.カルヤ通り(Suur-karja)9番地の家の前の歩道にはめ込まれた記念碑です。「1931年、この家で『犬のユークの冒険』と呼ばれる最初のエストニアのアニメーション映画が完成しました」と書いてあります。この9番地の家は、現在ゴルドマンと言う宝石店です。

    これはスール.カルヤ通り(Suur-karja)9番地の家の前の歩道にはめ込まれた記念碑です。「1931年、この家で『犬のユークの冒険』と呼ばれる最初のエストニアのアニメーション映画が完成しました」と書いてあります。この9番地の家は、現在ゴルドマンと言う宝石店です。

  • 又&quot;オルデ.ハンザ&quot;の側に戻って来ました。

    又"オルデ.ハンザ"の側に戻って来ました。

  • モンゲ.ピカンテの屋台は、タリンで最高のロースト.アーモンドを魅力的なさわやかな味で販売していると噂されています。売り子さんは何か暇そうですが.......。

    モンゲ.ピカンテの屋台は、タリンで最高のロースト.アーモンドを魅力的なさわやかな味で販売していると噂されています。売り子さんは何か暇そうですが.......。

  • ラエコヤ広場を通って行きます。ここは広場の北側の西端です。どこでも見かける観光用のセグウェイです。

    ラエコヤ広場を通って行きます。ここは広場の北側の西端です。どこでも見かける観光用のセグウェイです。

  • 三輪車の輪タクも客待ちです。

    三輪車の輪タクも客待ちです。

  • ラエコヤ広場の北側中程にあるレストラン&バール(Vana Toomas)の看板です。

    ラエコヤ広場の北側中程にあるレストラン&バール(Vana Toomas)の看板です。

  • ラエコヤ広場の北東角から東にヴェネ通り(Vene)に入りました。通りの東側にある、カタリーナ.ギルドの建物にあるレストランのムンガ.ケルダー(Munga Kelder)の看板です。この看板が掛かっている下にカタリーナの小道(Katariina käik)に繋がるトンネルの入り口があります。看板のデザインは、修道僧がビールのグラスを持っている姿に見えます。

    ラエコヤ広場の北東角から東にヴェネ通り(Vene)に入りました。通りの東側にある、カタリーナ.ギルドの建物にあるレストランのムンガ.ケルダー(Munga Kelder)の看板です。この看板が掛かっている下にカタリーナの小道(Katariina käik)に繋がるトンネルの入り口があります。看板のデザインは、修道僧がビールのグラスを持っている姿に見えます。

  • 2003年春の旅で訪れたカタリーナの小道とドミニコ会修道院の遺跡の写真です。上掲の写真と同じ場所で、カタリーナ.ギルドの看板が掛かっています。この建物には現在、手工芸家を纏める組織が入居しています。

    2003年春の旅で訪れたカタリーナの小道とドミニコ会修道院の遺跡の写真です。上掲の写真と同じ場所で、カタリーナ.ギルドの看板が掛かっています。この建物には現在、手工芸家を纏める組織が入居しています。

  • カタリーナの小道はヴェネ通りとムーリヴァヘ通り(Müürivahe tänav)を結んでいます。2003年春の旅では、ムーリヴァヘ通りの入り口から入りました。こちらも入口は、建物をくり貫いたトンネルです。入口で西のヴェネ通りの方向を望んでいます。

    カタリーナの小道はヴェネ通りとムーリヴァヘ通り(Müürivahe tänav)を結んでいます。2003年春の旅では、ムーリヴァヘ通りの入り口から入りました。こちらも入口は、建物をくり貫いたトンネルです。入口で西のヴェネ通りの方向を望んでいます。

  • ムーリヴァヘ通りの方向へ振り返ります。

    ムーリヴァヘ通りの方向へ振り返ります。

  • ヴェネ通りの出口間近で、西側から東側を振り返っています。左側は聖カタリーナ教会の長手方向壁面の名残りで、教会内にあった墓石の石板が並べてあります。当時のこの教会は、タリンで最も大きな教会でした。

    ヴェネ通りの出口間近で、西側から東側を振り返っています。左側は聖カタリーナ教会の長手方向壁面の名残りで、教会内にあった墓石の石板が並べてあります。当時のこの教会は、タリンで最も大きな教会でした。

  • ドミニコ会修道院の遺跡で、その中庭です。右の白い建物は、修道院の跡地に、1844年に建設された聖ピエトロとパオロ教会です。ドミニコ会修道院は、少なくとも1246年には設立が確認され、1525年にその活動が終了させられました。その後、略奪や火災で殆どの建物は破壊されました。

    ドミニコ会修道院の遺跡で、その中庭です。右の白い建物は、修道院の跡地に、1844年に建設された聖ピエトロとパオロ教会です。ドミニコ会修道院は、少なくとも1246年には設立が確認され、1525年にその活動が終了させられました。その後、略奪や火災で殆どの建物は破壊されました。

  • 廃墟の教会の中に入りましたが、面影は全くありません。

    廃墟の教会の中に入りましたが、面影は全くありません。

  • ヴェネ通りの出口を出て北の方向を望んでいます。正面に東方正教会の聖ニコライ教会が見えます。ここまでが2003年春の旅の写真です。

    ヴェネ通りの出口を出て北の方向を望んでいます。正面に東方正教会の聖ニコライ教会が見えます。ここまでが2003年春の旅の写真です。

  • ドミニコ会修道院の一部だったヴェネ通りの建物の壁にこの看板がありました。

    ドミニコ会修道院の一部だったヴェネ通りの建物の壁にこの看板がありました。

  • ヴェネ通りから、その前庭越しにサン.ピエトロとパオロ聖堂を覗いて見ました。このファサードは1924年に改装されたものです。

    ヴェネ通りから、その前庭越しにサン.ピエトロとパオロ聖堂を覗いて見ました。このファサードは1924年に改装されたものです。

  • 聖オラフ教会に着きました。これからこの塔に上がります。エレベーターはありません。四角柱の鐘楼の頂部にある東西南北の4辺に造られた回廊を回って眼下の市街を展望します。

    聖オラフ教会に着きました。これからこの塔に上がります。エレベーターはありません。四角柱の鐘楼の頂部にある東西南北の4辺に造られた回廊を回って眼下の市街を展望します。

  • 日本より蹴上げ高い階段を258段登り、地上60mの回廊に上がります。

    日本より蹴上げ高い階段を258段登り、地上60mの回廊に上がります。

  • 狭い螺旋階段もあります。

    狭い螺旋階段もあります。

  • 鐘楼頂部の回廊には西側に出入り口があります。これは、右側の尖塔の壁にある出入り口を出て細い西側の回廊を写しています。このように狭いので、他の人とのすれ違いは大変です。

    鐘楼頂部の回廊には西側に出入り口があります。これは、右側の尖塔の壁にある出入り口を出て細い西側の回廊を写しています。このように狭いので、他の人とのすれ違いは大変です。

  • 2003年春の写真ですが、西側の回廊の直下です。赤い屋根は、ライ通りの対面にある政府庁舎です。

    2003年春の写真ですが、西側の回廊の直下です。赤い屋根は、ライ通りの対面にある政府庁舎です。

  • まず鐘楼回廊の南側から南西の方向にあるトームペアの丘を眺めます。既に午後4時半に近いので、この方向は逆光になり写りが良くありません。トームペアの丘で目立つ建物は、右から大聖堂(聖母マリア教会)、のっぽのヘルマンの塔、アレクサンドル.ネフスキー寺院です。写真中央に正教会のキリスト変容教会の半球体のドームが見えています。左端にライ通りも識別できます。

    まず鐘楼回廊の南側から南西の方向にあるトームペアの丘を眺めます。既に午後4時半に近いので、この方向は逆光になり写りが良くありません。トームペアの丘で目立つ建物は、右から大聖堂(聖母マリア教会)、のっぽのヘルマンの塔、アレクサンドル.ネフスキー寺院です。写真中央に正教会のキリスト変容教会の半球体のドームが見えています。左端にライ通りも識別できます。

  • 上の写真と同じ南西の方向で、2003年春の写真です。この時は午前中に撮影していますので、正光で綺麗に写っています。正教会のキリスト変容教会の半球体のドームは、修復中だったようで、真っさらの銅製の屋根が輝いています。奥の塔は、城壁沿の修道女の塔です。その左側で、青緑色の屋根はホテル.インペリアルで、その隣の赤い四角屋根はカフェ.パガリポイシッド(Pagaripoisid)です。更に左隅にはピック.ヤルグ通りの二つの塔も見えます。

    上の写真と同じ南西の方向で、2003年春の写真です。この時は午前中に撮影していますので、正光で綺麗に写っています。正教会のキリスト変容教会の半球体のドームは、修復中だったようで、真っさらの銅製の屋根が輝いています。奥の塔は、城壁沿の修道女の塔です。その左側で、青緑色の屋根はホテル.インペリアルで、その隣の赤い四角屋根はカフェ.パガリポイシッド(Pagaripoisid)です。更に左隅にはピック.ヤルグ通りの二つの塔も見えます。

  • 南南西の方向で、聖ニコラス教会の鐘楼が右側に見えます。左端中央に市庁舎、その手前に精霊教会です。それぞれの尖塔は、東西方向に反対の位置に立っています。精霊教会の尖塔の手前にはピック通りにあるアール.ヌーボー様式のファサードのドラゴン.アート.ギャラリーの頂部が見えます。

    南南西の方向で、聖ニコラス教会の鐘楼が右側に見えます。左端中央に市庁舎、その手前に精霊教会です。それぞれの尖塔は、東西方向に反対の位置に立っています。精霊教会の尖塔の手前にはピック通りにあるアール.ヌーボー様式のファサードのドラゴン.アート.ギャラリーの頂部が見えます。

  • 鐘楼回廊の西側に移動しました。北西の方向を望んでいます。手前の城壁沿いの塔は、左からプラーテの塔、エッピングの塔、グルスベケットの塔です。この城壁外の地域は、綺麗に区画され、木々に囲まれた戸建て住宅地になっています。

    鐘楼回廊の西側に移動しました。北西の方向を望んでいます。手前の城壁沿いの塔は、左からプラーテの塔、エッピングの塔、グルスベケットの塔です。この城壁外の地域は、綺麗に区画され、木々に囲まれた戸建て住宅地になっています。

  • 上掲の写真より少し北寄りを拡大しました。タリン港の北西にある公船や特殊用途の船舶などが使用する港が見えます。

    上掲の写真より少し北寄りを拡大しました。タリン港の北西にある公船や特殊用途の船舶などが使用する港が見えます。

  • 更に鐘楼回廊の北側に移動しました。北側の直下を見下ろしました。左上隅にグルスベケットの塔の下部が見えています。

    更に鐘楼回廊の北側に移動しました。北側の直下を見下ろしました。左上隅にグルスベケットの塔の下部が見えています。

  • こちらの北側からは、タリン港が良く眺められます。これは北東のクルーズ船用の埠頭に着桟しているドイツのアイダ.クルーズ社が保有する2012年竣工で71,300総トンのアイダ.マール(AIDAmar)号です。昨日は同じ会社の2002年竣工で42,289総トンのアイダ.ヴィータ(AIDAvita)号が着桟していましたが・・・・・。右端にタリン.バルーンも見えます。

    こちらの北側からは、タリン港が良く眺められます。これは北東のクルーズ船用の埠頭に着桟しているドイツのアイダ.クルーズ社が保有する2012年竣工で71,300総トンのアイダ.マール(AIDAmar)号です。昨日は同じ会社の2002年竣工で42,289総トンのアイダ.ヴィータ(AIDAvita)号が着桟していましたが・・・・・。右端にタリン.バルーンも見えます。

  • 東北東の方向にタリン港のターミナルAが中央に見えます。丁度タリンクのスター号(2007年竣工、36,249総トン)が離岸し、反時計回りに回転して方向を変えています。これからヘルシンキに向かうのでしょう。スター号は、我々が昨日利用したスーパースター号と組んでタリンとヘルシンキの間に就航していました。

    東北東の方向にタリン港のターミナルAが中央に見えます。丁度タリンクのスター号(2007年竣工、36,249総トン)が離岸し、反時計回りに回転して方向を変えています。これからヘルシンキに向かうのでしょう。スター号は、我々が昨日利用したスーパースター号と組んでタリンとヘルシンキの間に就航していました。

  • 左側のタリン港のターミナルAと右側のターミナルDです。ターミナルD側にはタリンクのロマンティカ号の姉妹船であるヴィクトリア1世号が着桟しています。

    左側のタリン港のターミナルAと右側のターミナルDです。ターミナルD側にはタリンクのロマンティカ号の姉妹船であるヴィクトリア1世号が着桟しています。

  • 同じカットで2003年春の写真です。まだ寒山とした光景に見えます。ターミナルAの手前も空き地のままですが、2016年には再開発の建設工事が進行しています。ターミナルDの奥の埠頭は改装されてフェリーの着桟施設が増設され、大型のクレーンや建屋が撤去されています。

    同じカットで2003年春の写真です。まだ寒山とした光景に見えます。ターミナルAの手前も空き地のままですが、2016年には再開発の建設工事が進行しています。ターミナルDの奥の埠頭は改装されてフェリーの着桟施設が増設され、大型のクレーンや建屋が撤去されています。

  • ターミナルDを拡大しました。昨日はヴィクトリア1世号の後方のにスーパースター号が着桟しました。

    ターミナルDを拡大しました。昨日はヴィクトリア1世号の後方のにスーパースター号が着桟しました。

  • タリン港の全景です。ただし左側にあるクルーズ船の係船埠頭は外れてしまいました。

    タリン港の全景です。ただし左側にあるクルーズ船の係船埠頭は外れてしまいました。

  • 2003年春の写真で北東の方向を見下ろしています。写真の左上には1980年にV. I.レーニン文化スポーツ宮殿として完成した多目的会場のリンナハル(Tallinna Linnahall)への階段が見えます。中央の塔は、北東側の城壁にあるストーティングの塔で、その左は太っちょマルガレータです。左から右に延びる通りはピック通りで、その通り手前側で壁面が工事中の建物が3姉妹の南端の建物になります。

    2003年春の写真で北東の方向を見下ろしています。写真の左上には1980年にV. I.レーニン文化スポーツ宮殿として完成した多目的会場のリンナハル(Tallinna Linnahall)への階段が見えます。中央の塔は、北東側の城壁にあるストーティングの塔で、その左は太っちょマルガレータです。左から右に延びる通りはピック通りで、その通り手前側で壁面が工事中の建物が3姉妹の南端の建物になります。

  • 更に鐘楼回廊の東側に移動し、直下を見下ろしました。聖オラフ教会の屋根とその角の小さな尖塔、そしてタリンを守った要塞で砲台があった堡塁の跡が見えます。堡塁の跡は、北側に1箇所、南側に2箇所残っています。

    更に鐘楼回廊の東側に移動し、直下を見下ろしました。聖オラフ教会の屋根とその角の小さな尖塔、そしてタリンを守った要塞で砲台があった堡塁の跡が見えます。堡塁の跡は、北側に1箇所、南側に2箇所残っています。

  • 東の方向で堡塁を超えた街並みです。中央の緑色の建物はホテル.メトロポールです。左端にエストニア建築博物館が見え、その右手前には居住用の建物、その右隣りは商業ビルです。

    東の方向で堡塁を超えた街並みです。中央の緑色の建物はホテル.メトロポールです。左端にエストニア建築博物館が見え、その右手前には居住用の建物、その右隣りは商業ビルです。

  • 四角柱の形の鐘楼で頂部の回廊の東側に出ました。ババが東南角に立っています。2003年春の写真です。<br />

    四角柱の形の鐘楼で頂部の回廊の東側に出ました。ババが東南角に立っています。2003年春の写真です。

  • こちらは南側の回廊ですが、2003年春の写真と比べると、通路の上や横に多数のロープが張られています。

    こちらは南側の回廊ですが、2003年春の写真と比べると、通路の上や横に多数のロープが張られています。

  • これは東南東の方向の2003年春の写真です。中央左寄りに元インター.ホテル のヴィルが見えます。右寄りには東側の城壁とその中ほどに正教会の聖ニコライ教会が見えます。

    これは東南東の方向の2003年春の写真です。中央左寄りに元インター.ホテル のヴィルが見えます。右寄りには東側の城壁とその中ほどに正教会の聖ニコライ教会が見えます。

  • 南東の方向を拡大します。左上隅にホテル.ヴィルが見えます。このホテルの最上階にKGB博物館があります。中央には旧市街の東側の城壁の一部と東方正教会の聖ニコライ教会が見えます。

    南東の方向を拡大します。左上隅にホテル.ヴィルが見えます。このホテルの最上階にKGB博物館があります。中央には旧市街の東側の城壁の一部と東方正教会の聖ニコライ教会が見えます。

  • 旧市街東側の城壁と塔の一部が残っている南南東の方向の拡大です。左下隅にとんがり帽子の屋根がないブレーメン塔(Bremeni Tower)、右上にムンカデタグネ塔、更に右上にレマン塔です。写真の中央下に聖ニコライ教会の双子の鐘楼が見えます。

    旧市街東側の城壁と塔の一部が残っている南南東の方向の拡大です。左下隅にとんがり帽子の屋根がないブレーメン塔(Bremeni Tower)、右上にムンカデタグネ塔、更に右上にレマン塔です。写真の中央下に聖ニコライ教会の双子の鐘楼が見えます。

  • こちらは2003年春の旅の写真です。とんがり帽子のムンカデタグネ塔の後方に、当時宿泊した空色の屋根のホテル.ターニリンナが見えます。当時はムンカデタグネ塔とレマン塔の間の城壁の高架回廊は復元されていないのが分かります。

    こちらは2003年春の旅の写真です。とんがり帽子のムンカデタグネ塔の後方に、当時宿泊した空色の屋根のホテル.ターニリンナが見えます。当時はムンカデタグネ塔とレマン塔の間の城壁の高架回廊は復元されていないのが分かります。

  • 鐘楼回廊の南側に戻りました。南南西の方向で、聖ニコラス教会の鐘楼が目立ちます。右側にトームペアの丘です。右側にライ通り、左にピック通りです。手前の両通りに挟まれた大きな建物にソ連邦時代にKGB本部が置かれていたそうです。城壁の一部と東方正教会の聖ニコライ教会が写真の左隅に見えます。

    鐘楼回廊の南側に戻りました。南南西の方向で、聖ニコラス教会の鐘楼が目立ちます。右側にトームペアの丘です。右側にライ通り、左にピック通りです。手前の両通りに挟まれた大きな建物にソ連邦時代にKGB本部が置かれていたそうです。城壁の一部と東方正教会の聖ニコライ教会が写真の左隅に見えます。

  • こちらは2003年春の旅の写真で、同じ南南西の方向を望んでいます。KGB本部が置かれていた建物の壁面は単色で塗り潰されていて、現在のアール.ヌーヴォーの塗装と異なっています。

    こちらは2003年春の旅の写真で、同じ南南西の方向を望んでいます。KGB本部が置かれていた建物の壁面は単色で塗り潰されていて、現在のアール.ヌーヴォーの塗装と異なっています。

  • 南南西の方向で中央に旧市庁舎、その手前に精霊教会です。

    南南西の方向で中央に旧市庁舎、その手前に精霊教会です。

  • 南の方向を拡大した写真です。右上隅に、旧市街のすぐ外にある聖ヨハネ教会(Jaani kirik)の鐘楼が見えます。中央右寄りで青い屋根の建物は滞在ホテルの前の建物です。

    南の方向を拡大した写真です。右上隅に、旧市街のすぐ外にある聖ヨハネ教会(Jaani kirik)の鐘楼が見えます。中央右寄りで青い屋根の建物は滞在ホテルの前の建物です。

  • 南西の方向の眺めです。旧市街西側の城壁に並ぶ塔が見えます。左上隅はトームペアの丘です。

    南西の方向の眺めです。旧市街西側の城壁に並ぶ塔が見えます。左上隅はトームペアの丘です。

  • こちらは同じ南西の方向で2003年春の写真です。写っている城壁の塔は右から&quot;コイスマエの塔&quot;、&quot;ルーエンシェデの塔&quot;、小さな&quot;修道女の後ろの塔&quot;、先程上がった&quot;金の足の塔&quot;、小さな&quot;サウナの塔&quot;、&quot;修道女の塔&quot;です。&quot;修道女の塔&quot;の手前に正教会のキリスト変容教会のドームも見えます。

    こちらは同じ南西の方向で2003年春の写真です。写っている城壁の塔は右から"コイスマエの塔"、"ルーエンシェデの塔"、小さな"修道女の後ろの塔"、先程上がった"金の足の塔"、小さな"サウナの塔"、"修道女の塔"です。"修道女の塔"の手前に正教会のキリスト変容教会のドームも見えます。

  • 2003年春の写真で、少し広域を写しました。右上にタリンの鉄道駅があります。城壁と駅の間は&quot;塔の公園&quot;になっています。左下にはライ通りが写っています。

    2003年春の写真で、少し広域を写しました。右上にタリンの鉄道駅があります。城壁と駅の間は"塔の公園"になっています。左下にはライ通りが写っています。

  • 展望所から下りていきます。

    展望所から下りていきます。

  • この辺りは木造で床や階段が造られています。

    この辺りは木造で床や階段が造られています。

  • 次は石やレンガで造られた直線の通路や階段です。そして一休みするための折りたたみ椅子もあります。

    次は石やレンガで造られた直線の通路や階段です。そして一休みするための折りたたみ椅子もあります。

  • この先奥から螺旋階段になっていました。

    この先奥から螺旋階段になっていました。

  • 聖オラフ教会に入ります。比較的簡素な造りです。

    聖オラフ教会に入ります。比較的簡素な造りです。

  • 内陣の主祭壇画です。

    内陣の主祭壇画です。

  • この教会でも演奏会があるらしくチェロの練習に出会いました。

    この教会でも演奏会があるらしくチェロの練習に出会いました。

  • 聖オラフ教会の南で、西側のライ通りと東側のピック通りを結ぶ2番目の通りはパガリ通り(Pagari tänav)でソ連邦時代に悪名高きKGB本部や内務省がありました。このライ通りに面した建物は、1911年に住宅用として建てられました。この写真は、少しアール.ヌーヴォーデのザインが入った建物であると思い、その背景も知らずに撮影しました。この建物のピック通り側に旧牢獄を見学する入り口があります。現在建物は本来の住宅用になっているそうです。KGBミュージアムが旧市街東の外にある元インター.ホテルのヴィルの最上階にあります。

    聖オラフ教会の南で、西側のライ通りと東側のピック通りを結ぶ2番目の通りはパガリ通り(Pagari tänav)でソ連邦時代に悪名高きKGB本部や内務省がありました。このライ通りに面した建物は、1911年に住宅用として建てられました。この写真は、少しアール.ヌーヴォーデのザインが入った建物であると思い、その背景も知らずに撮影しました。この建物のピック通り側に旧牢獄を見学する入り口があります。現在建物は本来の住宅用になっているそうです。KGBミュージアムが旧市街東の外にある元インター.ホテルのヴィルの最上階にあります。

  • ライ通りを南下して行きます。これは、通りの西側にあるエストニア自然史博物館(Loodusmuuseum)の入り口です。

    ライ通りを南下して行きます。これは、通りの西側にあるエストニア自然史博物館(Loodusmuuseum)の入り口です。

  • これはエストニア自然史博物館の入り口の右上にある看板です。

    これはエストニア自然史博物館の入り口の右上にある看板です。

  • こちらはライ通りの西側にあるタリン.シティ劇場です。

    こちらはライ通りの西側にあるタリン.シティ劇場です。

  • こちらは2003年春の旅の順光での写真です。

    こちらは2003年春の旅の順光での写真です。

  • ライ通りを振り返ります。

    ライ通りを振り返ります。

  • こちらは2003年春の旅の写真です。

    こちらは2003年春の旅の写真です。

  • 夕暮れのラエコヤ広場の西側です。そしてホテルに戻り、今日の晴天の下の街歩きを終了しました。

    夕暮れのラエコヤ広場の西側です。そしてホテルに戻り、今日の晴天の下の街歩きを終了しました。

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