2016/09/20 - 2016/10/14
18位(同エリア36件中)
さわ子さん
2016年秋、羽田からスカンディナヴィア航空でコペンハーゲン経由オスロに到着し、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、エストニア、ラトヴィア、リトアニア、デンマークとヨーロッパ7カ国を訪問し、コペンハーゲンから羽田に帰って来ました。今回も絵画鑑賞が主な目的の再訪です。
旅程の概略です。
★ 9月20日 羽田からスカンディナヴィア航空でコペンハーゲン経由でオスロへ。オスロ泊。
★ 9月21~22日 オスロ泊。
★ 9月23~24日 ベルゲン泊。
★ 9月25日 フロム泊。
★ 9月26日 ベルゲン泊。
★ 9月27~28日 ストックホルム泊。
★ 9月29日 船中泊。
★ 9月30日~10月1日 ヘルシンキ泊。
★ 10月2~4日 タリン泊。
★ 10月5~7日 リガ泊。
★ 10月8~10日 ヴィルニュス泊。
★ 10月11~12日 コペンハーゲン泊。
★ 10月13日 コペンハーゲン空港からスカンディナヴィア航空で羽田へ。
この18回目の旅行記は、ラトヴィアのリガからバウスカのルンダーレ宮殿を訪れ、その後リガを散策した記録です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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朝7時20分です。今日はリガの南、リトアニアの国境近くの街バウスカの郊外にあるルンダーレ宮殿にバスで行くので早起きし早飯です。
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客は我々だけで静かです。
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調理済みの用意された料理だけですが、種類は豊富でした。
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8時10分です。これからバス.ターミナルに向かいます。ホテルを出てその北東側のクラム通りを歩いています。写真の右側の建物がホテルです。正面遠くに聖ペトロ教会の尖塔が見えています。ホテルの周りは旧市街の細い道が並び、古い家屋が多く残っています。朝が早いので人通りはこの通りです。
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クラム通りの先に広場が見えてきました。この広場は戦災を受けた後に更地になった場所ではないかと推測します。
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広場にはオープンエアー.レジャーパーク.イーグルが陣取っています。
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クラム通りはクング通りに引き継がれ南東に延びていきます。右側の建物の裏側にはブラックヘッドの会館や市庁舎が面する広場があります。この辺りの古い建物は戦災で完全に破壊されたようで、更地にされ、いまある建物は戦後に新たに建てられたものです。
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クング通りから北東に行くマルスタル通りを覗きます。この通りの奥は古い建物が残っていますが、マルスタル通りの左側とクラム通りは再開発されて味気ない建物が多くなっています。奥に見える塔は、元キリスト教改革派の教会です。
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鉄道線路のガード下を通ります。バス.ターミナルは奥の運河の手前、右手にありますす。
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バス.ターミナルに着きました。これは国際線のバスでしょうか、行き先の都市が車体に紹介されています。ヘルシンキへは、ロシアのザンクト.ペテロスブルク経由でバルト海沿いに走るのでしょうか?
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8時半、発車しました。バス.ターミナル側の高架線路を電車が走っていきます。
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バスターミナル近くの中央市場の建物が4棟並んで見えますが、もう1棟が奥に4棟とは90度違った方向に建っています。
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橋を渡ります。対岸で中央左寄りに旧市街の聖ペトロ教会と大聖堂が見えます。又、右寄りに1961年に完工したラトヴィア科学アカデミーが入るスターリン様式の建物が見えます。ラトヴィアで新たに設立された集団農場(コルホーズ)から必要な資金を集め、更に費用が増えるにつれて、農村で働く人々の給与から差し引かれ、「自発的な寄付」として資金を集めました。ワルシャワにも同じような建物が、周りを睥睨するように建っています。
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バウスカに行くバスは、ローカル.バスですが綺麗な新型です。
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バウスカの街は、ヴィリニュスまでのルートの途中にあります。
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バウスカの中心街に北から入り、カルナ通りの西側にあるバウスカ地域芸術博物館の横を通ります。建物の壁面に1609年と表記があるバウスカの風景画が掲げてあります。後程この近くまで歩いてやって来る事になります。
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バスは逆Y字路で左に曲がり8時47分、バウスカのバス.ターミナルに着きました。我々は、このバスに乗ってきました。
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ターミナルの乗客待合所でルンダーレ宮殿に行くバスの乗車券を買います。写真の正面が切符販売の窓口です。バスは11時に出発するという事で、1時間以上の待ち時間です。時間潰しを兼ねて旧市庁舎広場まで街歩きをします。そこには観光案内所もあります。
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バス.ターミナルがあるザリャー通りを歩いてカルナ通りに曲がるラウンドアバウト(環状交差点)の手前で左手奥に、派手に彩色されたラトヴィア正教会セント.ジョージ教会の鐘楼頂部が僅かに見えています。
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ラウンドアバウトを右に曲がりカルナ通りに出ました。通りの西側でバウスカ.カルチャー.センターの手前にあった面白い壁?を見つけました。壁面に昔のバウスカの街の様子でしょうか、大きな写真が貼ってあります。
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更に歩いて行くと今度はカルナ通りの東側にこのような造形物を見つけました。左の建物の壁面に掛かったキャンバスに描かれているのは。再建された旧市庁舎の図面です。
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旧市庁舎の建物が見えてきました。可愛い塔がある赤い屋根の建物です。
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旧市庁舎がある場所は広場になっていて広場の中央にこの旧市庁舎が建っています。17-18世紀に建てられ2012年に再建されて、現在は計量器具の展示場がありました。
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こちらは広場の北側の建物です。
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こちらは広場の東側の建物です。
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旧市庁舎に入りました。入場者は我々だけです。親切な学芸員の方が案内してくれました。ババの向こうには、大きな身長計が掛けてあります。
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こちらは体重計です。
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色々な天秤が並べてあります。
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こちらも天秤です。
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上段に旧市庁舎の形態が示してあります。左端は16世紀の形で、中は17世紀の形です。下段左はバウスカの街の紋章、中は彫刻された梁の遺物で、右は市庁舎広場での消防隊パレードの写真です。
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「バウスカの街の起源」と題する展示で、上に1703年のバウスカ城と街の様子。下にバウスカの古い地図が展示してあります。
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こちらは広場の写真のようです。右下の写真は再建中の旧市庁舎の建物です。
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市庁舎広場の北には川が流れています。
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少し寂しいバウスカの街歩きでしたが、10時半になりバス.ターミナルに戻ります。カルナ通りもザリャー通りも歩道近くは、このような緑地帯が続いていて、気分も爽快になります。
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遠くに見えますが、もう少し時間があれば立ち寄りたかったラトヴィア正教会のセント.ジョージ教会です。
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バス.ターミナルに戻って来ました。構内にあったノルウェーで良く見かけたコンビニ店です。ノルウェーの企業で本国に370店舗、ラトヴィアで249店舗、リトアニアで260店舗を展開しているそうです。
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バウスカに到着して1時間10分、ようやくルンダーレ宮殿に行くバスに乗れました。ルンダーレ宮殿はバウスカの西10Kmの所にあります。
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バスは前述のラウンドアバウトで西の方向に曲がります。しばらくするとラトヴィア正教会のセント.ジョージ教会前を通ります。
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20分程でルンダーレ宮殿前につきました。ここで帰りのバスの時刻表を写真で記録します。ヨーロッパで良く見る表示法ですが、曜日を数字で表しています。1は月曜で6は土曜、7は日曜です。今日は木曜日ですが、この時刻表をみると、どのバスにも乗れます。この画面を後で見ながら帰りのバスを探します。
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バス停からは、このような表示があり、周りは草地なので宮殿を見つける事は容易でした。
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今日は曇りで天気が良くありません。雨で無い事は感謝しますが・・・。
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8分程歩くと宮殿が見えてきました。
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宮殿の北東側に池があり、その池を回るツアーの案内板が立っています。
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宮殿と庭園の周りを取り囲む小さな堀の北東角です。赤レンガの建物は、宮殿の北側にある別棟です。
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北東方向から宮殿を眺めています。
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宮殿の東側の堀の外を歩いています。宮殿の構内には正面の門から入らずに東側の小道から堀を渡って入りました。
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1735年、クールラント大公エルンスト.ヨハン.フォン.ビロンは、夏の離宮の建設のために古い中世の城のあるルンダーレの土地を購入し、バルトロメオ.ラストレッリ(Francesco Bartolomeo Rastrelli:1675-1744)に建設を依頼しました。そして宮殿は1768年に完成し、エルンスト.フォン.ビロンは翌年公国を息子のピーター.フォン.ビロンに譲りました。1772年の大公の死後1795年に、クールラント公国はロシア帝国に併呑され、エカチェリーナ2世は、バレリアン.ズボーフ伯爵に宮殿を贈呈し、その後女帝のお気に入りでバレリアンの末の弟のプラトン.ズボーフ王子が宮殿を相続しました。王子の死後、若い未亡人はシュヴァロフ伯爵と結婚し、宮殿はシュヴァロフ家のものになりました。第1次世界大戦後、宮殿は国有財産になり種々の目的に使われました。1972年にルンダーレ宮殿博物館が設立され宮殿の修復作業が2015年まで続きました。
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前掲の写真とこの写真は宮殿のパンフレットです。前掲の地図で、下方にある"A"のマークがバスの停留所です。
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東翼の真ん中にある入り口から宮殿に入りました。これは東翼1階の廊下です。この最奥に入場券売り場があります。宮殿内の見学コースは長さ(従って見学する部屋の数)の違いによってロング.コースとショート.コースの2種類があります。我々はロング.コースを選びました。ロング.コースは、「祝祭のための宮廷広間」の並びがある東翼、「大公の公私の居室」がある中央部、「大公夫人の居室」がある西翼の全てが回れます。ショート.コースは、東翼と中央部だけです。
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入場券売り場の隣りに、この東翼の大階段があります。この階段で2階に上がります。
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2階に上がり右に行くと東翼で、左に行くと宮殿の中央部に入れます。
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2階の見取り図です。中央部のピンクの部屋は大公の私室で、西翼のピンクの部屋は大公夫人の居室です。ピンク色がショート.コースの見学ルートで、青い色はロング.コースの見学ルートを表しています。
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先ず東翼の「祝祭のための宮廷広間」の並びから見学します。階段を上がってコート.ヤードに面した1番目の部屋は「黄金の大広間の控えの間」です。宮廷の接待と祝祭のための部屋の組み合わせは、小さな控えの間から始まります。階段ホールから入ってコート.ヤード側の東翼を1直線に見通しています。この部屋で注目されるのは、17世紀のイタリアとフランドルの巨匠による大きな絵画です。絵画もその他の品物も、宮殿が博物館として開館して以来、持ち込まれた物ばかりです。ストーブは 1970年代にレニングラードで作られ、宮殿のオリジナルのコバルト塗装のタイル.ストーブを正確にコピーしています。
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この絵画はフランドルの画家の作品でしょうか。
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この写真の右の入り口奥に見えるのが階段ホールで、上掲の写真はこの入り口から「黄金の大広間」や更にその奥の部屋を見通したものです。
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上掲の壁面に掲げられた絵画です。イタリア絵画のようです。
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階段ホールと黄金の大広間の間の壁面です。宮殿内では、このような水色のビニール.カバーを靴に被せて歩きます。
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こちらもフランドルの画家の作品でしょうか。
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「黄金の大広間」です。この大広間は、大公の玉座の間として使用されました。ヨハン.ミヒャエル.グラフ作の2色の装飾漆喰の大理石の背景に、金色の漆喰装飾が施されており、多くの人が拝謁のために集まる大広間に欠かせない華やかな雰囲気を醸し出しています。
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バロック期のイタリアの画家フランチェスコ.マルティーニ(Francesco Martin)とカルロ.ズッキ(Carlo Zucchi:1682-1767)が描いた天井画は、神格化されたエルンスト.ヨハン大公を描いています。
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「黄金の広間」の装飾の細部を拡大した3枚です。
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次の「青の間」の入り口前で「黄金の大広間」を振り返ります。右側がコート.ヤード(中庭)です。不思議な事に、ストーブや暖炉のような暖房設備が見当たりません。
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「黄金の大広間」の次の「青の間」です。この部屋には、ヒエロニムス.ゴール(Hieronymus Galle)、ヤン.ファン ケッセル(Jan van Kessel)、ダニエル.セーヘルス(Daniel Seghers)の工房などのフランドルとオランダの巨匠による聖母子のような宗教的な図柄の周りに花輪を付けた静物画や、肖像画が展示してあります。
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右側がコート.ヤードに面したスモール.ギャラリーです。「青の間」から小さな階段ホールを通って入ります。この回廊は、建設当初からの外観を維持し、ラストレッリが設計した初期のスタイルが残されています。 当初、このスモール.ギャラリーは礼拝堂の控え室として計画されていました。
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ここは「白の大広間」です。東翼の「祝祭のための宮廷広間」の並びの北端になります。この広間は、当初礼拝堂として設計されましたが、第2期の建設期間中(1764-1768)に舞踏のための大広間に変わりました。壁の漆喰の装飾には、さまざまな牧歌的な風景や、四つの季節と四つの世界の要素が描かれています。この「白の大広間」の奥に付属した楕円形の「磁器の間」が見えています。
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壁の漆喰装飾の拡大写真を5枚続けます。
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「白の大広間」に付属した「楕円形の磁器の間」です。この部屋が宮廷広間の並びの終端です。45基のロカイユ.コンソールと呼ばれる飾り台に、中国と日本の花瓶のコレクションが展示されています。
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「楕円形の磁器の間」の入り口から「白の大広間」を望んでいます。
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「白の大広間」から戻って行きます。宮殿の外側に面したこの「グランド.ギャラリー」は宴会場として使われました。天井画の修復には 14 年かかりましたが、壁画の作業は 1992 年に一時中止され、2010 年に再開されました。
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グランド.ギャラリーの天井画です、
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「グランド.ギャラリー」の次の部屋は「黄金の大広間」になります。
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「黄金の大広間」を素通りして次の小さな「磁器のキャビネット」に入ります。ここは、「黄金の大広間」の素晴らしさと対比してデザインされています。 この部屋には、壁面の34基の装飾的な飾り台に、東洋の磁器の花瓶が展示されています。
ここで東翼の「祝祭のための宮廷広間」の並びの見学が終了します。 -
大階段ホールに戻り、中央部の「大公の公私の居室」の並びに入ります。先ずコート.ヤードに面した「ズーボフ伯爵の間」です。この部屋は、新しい所有者であるヴァレリアン.ズーボフ伯爵(1771-1804)がザンクト.ペテルブルクから持ち込んだ新古典主義様式の家具を備えた1800年頃の部屋を見せています。この部屋には、ズーボフとその庇護者エカチェリーナ2世(1729-1796)の肖像画が展示されています。ズーボフの肖像画は、写真の正面の壁面で入り口の左中段の額縁で、オーストリアの画家の1796年の作品だそうです。但しコピーのようで、真作はザンクト.ペテルスブルグのミハイロフスキー城塞にあるようです。エカチェリーナ2世の肖像画は、ズーボフの肖像画の左隣りです。
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カメラを少し左に振りました。天井にはシャンデリア以外に特に装飾はありません。
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南の庭園側に面した「大公の居室区画の前室」です。この部屋は古典的にバランスが取れており、その天井の装飾は、初期の新古典主義の特徴である月桂樹の花輪を示しています。壁を飾る絵画は、主に宗教的なテーマで、イタリアとフランダースのバロックの巨匠によるものです。
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別の角度からの写真です。右隣りの部屋は、「図書室」です。
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この「大公のアパートの前室」に掲げてあった絵画2枚です。この絵は、イタリアのルネサンス後期の画家フェデリコ.バロッチ(Federico Barocci:1535頃-1612)の作品「キリストの埋葬」の模作のようです。
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イタリアの古典主義の画家ベネデット.ルティ(Benedetto Luti:1666-1724)による「聖家族」です。
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中央部の東端にある「図書室」です。この「図書室」では、オリジナルの家具としてオーク材の本棚だけが1個残っていました。11基の複製品と合わせて、以前の部屋の配置を再現する事ができました。
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「図書室」のストーブの外壁のタイルを拡大しました。
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建物の中央部で南側の庭園に面した部屋は、東端から「図書室」、「大公の居室区画の前室」、「バラの間」と西翼の方向に向かっていきます。この「バラの間」は、天井画に描かれている春と花の女神フローラをテーマにしています。このテーマは、カラフルな漆喰装飾の花の花輪が漆喰の大理石パネルを飾る壁に展開されます。「バラの間」の寄木細工の床は 1739 年に遡ります。
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春と花の女神フローラをテーマにした「バラの間」の天井画です。
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「バラの間」の漆喰擬大理石柱の装飾です。
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次の部屋は「オランダのサロン」です。ここでは、絵画に重点が置かれています。18世紀にルンダーレ宮殿に展示されたのは主にオランダの巨匠による作品で、レンブラントの絵画「シメオンと神殿のアン」もその中にありました。この部屋には、エルンスト.フォン.ビロンの息子のピーター.フォン.ビロン公爵がサティー教会に寄贈した2脚の椅子も展示されています。
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次の部屋は「統治者の肖像画の間」です。クールラント大公領の歴史に関係した統治者の肖像画が掲げられています。これは部屋で目立ったソファーです。
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南側の庭園に面した「統治者の肖像画の間」の奥で、コート.ヤードに面した部屋との間にある、スートブを管理しカマドに燃料を焚べる小部屋です。
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「大公の寝室」に入りました。ヴェルサイユ宮殿の伝統に従って、クールラント大公の寝室は建物の中心部にあります。天井画のテーマは「アモールの育成」です。ダンジグ(グダニスク)の陶芸家、ゴット.フリート.ケーターが作った2台のストーブは、1740年にまでさかのぼります。ラストレッリの設計に従って1739年に作られた寄木細工の床は、現代のドイツ貴族エルンスト.ヨハン.ビロン.フォン.クールラント王子の財政的支援のおかげで復元できました。
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部屋のアルコーヴ(壁龕)に設置されたベッドです。やはり極寒の地なのかストーブも2台がベッド近くに設置してあります。
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寄木細工の床を拡大しました。
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大公の寝室から庭園を眺めます。
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庭園には中央の大きな道と、左右に2本づつ放射線状に小道が作られています。
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大公の寝室の隣りある「接待の間」です。赤いダマスク織りで壁面が覆われた部屋で、別名が赤の書斎です。天井には、ヴィーナスとその最愛のアドニスの神話が描かれています。
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「接待の間」の隣りの「イタリアのサロン」です。この部屋は、エルンスト.フォン.ビロンの息子ピーター大公のイタリアへの愛情を反映しています。彼はボローニャ芸術学院の学生のための奨学金制度を設立しました。イタリアの印象は、ジョヴァンニ.バッティスタピ.ラネージの彫刻とミラノの家具により示されています。 部屋には、宮殿内に残る8つのオリジナルのタイル.ストーブの1つもあります。
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南側で庭園に面し、「イタリアのサロン」の次にある「大理石の広間」です。この部屋は大公の食堂として機能しました。ピーター大公、ドロテア大公夫人とその娘たちの胸像は、灰色と青みがかった色の漆喰の偽大理石の壁を背景に際立っています。この部屋では、ベルリンのKPM工場にピーター大公が注文した磁器セットも見る事ができます。この部屋の寄木細工の床はまだ完全に修復されていないそうです。左に見える扉の奥は、「ビリアード室」で、東端の「図書室」の反対になる中央部の西端にあります。
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「大理石の間」の天井です。天井の外周は、珍しく青い花の花飾りで飾られています。
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コート.ヤードに面した大公の「第一書斎」です。部屋の壁は、18世紀のパターンを模した綿の壁装材で覆われています。狩猟シーンを描いた絵画は、大公の狩猟への情熱を伝えています。
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「大公の第一書斎」の天井の中央にある装飾です。
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こちらは「大公の第一書斎」の天井の角の装飾です。
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ここは「大公の着付け室」です。この部屋は、建物の真ん中で寝室の反対側にありコート.ヤードに面しています。天井を飾る色とりどりの花輪の真ん中に太陽の顔が輝いています。花や鳥が天井裾を飾ります。 部屋の壁はブローシュ.シルクの壁装材で覆われています。部屋には、部屋の目的を説明する箪笥と椅子が備わっています。ここでは、オリジナルのストーブも見ることができます。
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「大公の着付け室」の天井装飾です。
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こちらは天井裾の装飾です。
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宮殿の中央部で、コート.ヤードに面した角にある「ズーホフ伯爵の間」と反対の角に「シュヴァロフ伯爵の間」があります。この肖像画は、この部屋に掛けてあったパーヴェル.アンドレイェヴィチ.シュヴァロフ伯爵の夫人であるオルガ.エスペロヴナ.ベロセルスカヤ-ベロゼルスカヤの肖像です。2代目の宮殿所有者になったプラトン.ズボーフ王子が1822年に亡くなった後、彼の未亡人はアンドレイ.シュヴァロフ伯爵と結婚し、ルンダーレ宮殿はシュヴァロフ家の所有になりました。
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西翼の大階段室を通って西翼の1部を占める「大公夫人ベニグナ.ゴットリーブ(Benigna Gottliebe:1703-1782)の居室」の並びに入ります。夫人の部屋のうち2室だけが室内装飾がされており、残りの部屋は、大公夫人の存在感を出すために慎重に選ばれた家具やさまざまな家庭用品で飾られています。コート.ヤードに面した「大公夫人の1番目の控え室」を通り、宮殿の外側に面した「2番目の控え室」に入りました。ここは着付け室としても使用されていました。ベニグナ.ゴットリーブ大公夫人の肖像画の複製が展示されています。これは、部屋の隅にある18世紀の宮殿の暖房システムのカマドの小部屋の扉です。
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その扉を開けてみると、こんなになっていました。焚口が三つ見えます。三つのストーブを管理していることになります。
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次の部屋は「大公夫人の書斎」です。この書斎には、陶磁器のアイテムを収集する事への彼女の情熱を思い出させる、磁器の茶碗が飾られたガラス扉の展示ケースがあります。 写真の左奥に、次の「大公夫人のサロン」が扉越しに見えます。
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同じ「大公夫人の書斎」の反対側です。こちら側には書斎らしく、多くの引き出しが付いた大きな机が置いてあります。
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次は「大公夫人のサロン」です。この部屋は応接室として使用されました。ここでは、ポプリの花瓶の興味深いコレクションを見ることができます。
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次の部屋は「大公夫人のブドゥアール(化粧室)」です。この部屋には、貝殻の形をしたアルコーヴ(壁龕)があり、宮殿で唯一漆喰でできたストーブがあります。部屋の壁は、レース. パターンと花束が付いた華やかなブローシュ.シルクの壁装材で覆われています。掲げられ宗教的なテーマの絵画は、大公夫人の信仰心を示しています。
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アルコーヴにはデイ.ベッド(寝椅子)、いわゆる公爵夫人のブリゼが見えます。
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「大公夫人のブドゥアール」の天井の装飾です。
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貝殻の形をしたアルコーヴ上部の装飾です。
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「大公夫人の私室」の並びの最奥にある「大公夫人の寝室」です。この寝室の最も重要な要素は、バイエルンの宮廷芸術家フランソワ.ド.キュヴィリエによるオリジナルのデザインで作られたベッドです。ベッドの両サイドには隠し扉が2つ。左側のものは化粧室に通じており、右側のものは使用人が利用する廊下に通じています。
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ここは「大公夫人の化粧室」です。この部屋は古い写真から復元されています。オリジナルの壁パネルのいくつかも残っていたオリジナルです。洗面ボウルとビデが展示しております。
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半分しか写っていませんが、部屋の隅にあるナイト.テーブルには、便器の代わりになる磁器の小便器が置かれています。
これで宮殿内の見学を終了し庭園に出ます。 -
1階に下りて「大公の寝室」の下にあり多くの柱が並ぶこの広間から庭園に出ます。
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宮殿の出口から見た庭園です。
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少し歩いて建物の近くにある噴水の前から宮殿を眺めます。
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宮殿の南側にある庭園のパンフレットです。
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こちらは庭園に掲示してあった庭園の見取り図です。宮殿の前にあり噴水を囲む正方形の区画の両側がバラの庭園になっています。
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噴水を囲む正方形の区画で、四隅にある観賞用花壇の一つです。
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宮殿内では見学者を殆ど見掛けませんでしたが、自由に入れる庭園には人々が楽しんでいました。
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バラ園の区画を歩いています。
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10月に入っているのでバラの季節が終わっているのでしょうか、少し寂しい花の咲き具合です。
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ここは椅子も置かれた休憩の場所です。これは何でしょう?ただの飾り台なのでしょうか?
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宮殿内地階のバールで昼食です。今日の特別メニューはこのスープのようです。
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ここにも入園者がいました。
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結構美味しかったスープで、全部たいらげました。
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付け合わせのパンです。
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14時34分発のバスに乗ります。ガタガタになったベンツのミニバスです。結構歳をとった運転手さんでした。
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往きには気づかなかったバウスカ城を見つけました。バス.ターミナルの約1.5Km手前の川沿いです。
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バウスカのバス.ターミナルで15分程の乗り換え待ちの後、3時15分発のリガ往きバスに乗りました。
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午後4時10分、リガのバス.ターミナルに戻ってきました。
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リガ鉄道駅近くです。左はウェルトン.リガ.ホテル&スパ、右端のピンク色の建物はメトロポール.ホテル.バイ.セマラです。手前の地下トンネルには、エスカレーターやリフトが無かったので、2003年の旅ではバス.ターミナルからスーツ.ケースを持ってホテルに歩いて行った際に苦労した事を思い出しました。
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リガ駅近くに新しく建設されたフォーラム.シネマ、即ち映画館の建物です。リガ駅の駅舎はこの建物の更に左側にあります。
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ウェルトン.リガ.ホテル&スパの西側から旧市街に入りヴェツピルセタス通りを北に歩いて聖ペトロ教会に向かっています。写真で通りの左に、フォー.ホワイト.シャツ(Cetri balti krekli, SIA)と言う名のミュージック.クラブがあります。17-18世紀の倉庫を改造した家屋を利用しているようです。遠くにラトビア科学アカデミーの建物が見えています。
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聖ペトロ教会の東北側にあるブレーメンの音楽隊のブロンズ像です。ロバが後ろ足で立ち上がり、犬が背中をジャンプし、猫が犬の上を這い、雄鶏りが歌います。この彫刻は、ブレーメン市からその姉妹都市のリガへ贈られました。
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正面から見ます。皆んなが撫でるので地膚が見えています。しかし雄鶏まで手が届く人は少ないようです。
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2003年春の写真です。ババの頭にロバが前足を乗せています?ブレーメンには2回ほど訪れていますが、ブレーメンの音楽隊の写真は見つかりませんでした。
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聖ペトロ教会の北東側の建物です。右端に聖ヨハネ教会、小道を挟んで左隣りある肌色の壁の建物は、15世紀中葉に宿屋として建てられ、16世紀末にエッケの修道院になり、現在はホテル.ヴィースニカです。
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これと次の2枚の写真はは2003年春の旅のものです。
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カメラを左に動かします。中央から左側に聖ゲオルギ教会跡を利用した工芸とデザインの博物館が見えます。博物館への入り口は、中央の白い建物にあります。
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前回の旅行記で掲載した聖ペテロ教会の尖塔からの写真を再掲します。中央にある大きな屋根の建物がリガ最古の建物の遺跡、聖ゲオルギ教会です。
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エッケの修道院跡を中心に拡大しました。左には、家をくり抜いて造られたヤーニス(ヨハネ)の中庭に入る入り口があります。
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この"KONVENTA SETA"と表示がある入り口を入って真っ直ぐに歩いて行くと、ホテルのコンヴェンタ.セタ入り口近くでカレジュ通り(Kalēju iela)に出ます。
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上掲のトンネルを入って振り返ります。後方は聖ペトロ教会です。左には陶磁器博物館の看板が見えます。
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2003年春の写真ですが、上掲の写真で円形の建物の前を右に入った小道です。
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ヤーニスの中庭は狭い小道が続いていますが、エッケの修道院跡に造られたレストラン.フェリチータ(Ristorante La Felicita)の裏側にある中庭前から聖ヨハネ教会のファサードが写せました。これも2003年春の写真です。
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少し大きな広場に出ました。正面には旧市街を囲んでいた城壁の遺跡が見えます。その向こうはカレジュ通りです。その通りに面して7棟の建物を繋げたホテルのコンヴェンタ.セタがありますが、この城壁跡も組み込まれています。城壁の右隅のトンネルからカレジュ通りに出ます。
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2003年春の写真です。城壁の上は、こちら側が開放されているホテルの通路になっています。
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城壁のトンネルを抜けるとカレジュ通りに出ます。カレジュ通りから見える城壁の名残りはこれだけで、この右側は次の写真のように、ホテルの建物が覆っています。
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カレジュ通りの北西の方向を望んでいます。左側はホテルのコンヴェンタ.セタです。この通りの南東側には大きなショッピング.センターが建設されています。
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2003年春の写真ですが、右側にホテル.コンヴェンタ.セタの入り口、左端はヤーニスの中庭への入り口です。
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2003年春の旅で3泊したホテル.コンヴェンタ.セタの部屋です。ベッド.ルームと別でこのリビングルームが付いていました。
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ヤーニスの中庭を通って戻って行き、聖ペトロ教会の前に出ました。聖ペトロはリガの守護聖人です。この教会は、既に1209年に記録があり、その後改築され拡張もされました。そして先端に雄鶏の飾りが付いた尖塔を最後に新しい教会が1491年に完成しました。
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教会の内部です。この教会も戦災で大きな被害を受け屋根や天井は瓦礫になり、その後復元されたものです。
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聖ペテロ教会の正面に来ました。ファサードの手前で何か動いています。
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ストックホルムでも見た大型の人力4輪車でした。
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17世紀末、聖ペトロ教会のファサードに三つの入り口が造られました。中央の入り口上部に聖ペトロの像が置かれました。ところが良く見ると中央の入り口にだけ像がありません。下に掲載する2003年の写真には写っています。調べると、戦災で頭部が無くなった聖ペトロは残りました。2016年の時点では修復のため外したのでしょうか。
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拡大した2003年の写真です。頭部を失った聖ペトロの像が写っています。
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クング通りから眺めた聖ペトロ教会のファサード全景です。手前で左右に見える建物は戦後のものです。聖ペトロ教会の尖塔の上部は戦災で崩壊し戦後の1973年に再興されました。
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市庁舎の建物です。この建物18世紀中葉に完成し、戦災で外壁を残しただけで全壊しています。その後、残骸も活用して以前の姿に再建されましたが、屋上にかまぼこ型の建屋が増設されました。市庁舎の塔は中間と最上段が破壊されました。
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市庁舎のファサード上部には天秤と剣を持った正義の像が飾られ、広場のローランドの石像が見つめているようです。戦災を受けた写真をみると、この正義の像はファサードの上部に残っています。
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2003年春の旅ではブラックヘッドの会館のカフェで休憩しました。
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市庁舎広場の南側にブラックヘッドの会館と左隣りのシュヴァーブ.ハウスが建っています。ブラックヘッドの会館は、リガの未婚の商人、船主、外国人のためのギルドであるブラックヘッズの親睦会のために14世紀の前半に建てられました。その後大きな改装が17世紀初頭に実施され、マニエリスムの装飾が追加されました。1941年に空爆で全壊に近い損傷を受け、1948年には残骸の全てを取り払って完全な更地にされました。そして1999年に戦災前の姿の建物にゼロから再建されました。ブラックヘッドの会館で、そのファサードの上部に元の建物の完成年の1334年と、再建された1999年の表示が見られます。2012年から2016年の間、リガ城にある大統領官邸の修復工事のため、この建物が1時的に大統領執務室になり、内部の見学が中止されていました。
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ブラックヘッドの会館を拡大しました。この建物は、左のシュヴァーブ.ハウスの奥行きと同じ分だけ、その1階以上の階層部分が引っ込んでいます。元の建物は戦災を受けた当時は一部の外壁を残してほぼ全壊の状態でした。
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2003年春の晴天の下の写真です。
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ファサード上部にある1622年に設置された天文時計です。時計の下には、ハンザ都市の紋章が掲げてあります。
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更にハンザ都市の紋章の下には、寓話上の人物で、ローマ神話の海の神、商業の神、団結の象徴、平和の象徴の亜鉛製の彫像が並んでいます。
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ブラックヘッドの会館の1階の右端角にあるサン.ジョルジョ(セント.ジョージ)の龍退治の像です。この像は戦災後も残っていましたが、その後どうなったのでしょう。これはレプリカのようです。
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ブラックヘッドの会館の入り口です。戦災を受けて後方の建物がほぼ全壊していましたが、この入り口の門を含む1階の前面は、隣のシュヴァーブ.ハウスの前面下部と共に奇跡的に残っています。しかしこの地を更地にするために残ったこの部分も崩され、後ろの瓦礫と共に取り除かれました。
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ブラックヘッドの会館の左に隣接したシュヴァーブ.ハウスです。観光案内所、インフォメーションが入っています。この写真から、この建物の奥行きが浅いのが分かります。
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シュヴァーブ.ハウスを背景にローランド像を写しました。このローランド像は戦後のレプリカで、1896年に製作されたオリジナルの像は、少し戦災の影響で損傷がありますが、近くの聖ペトロ教会に安置されていました。
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ローランド像を拡大しました。人気の英雄としての地位を享受した神話のローランド像は、鞘から抜かれた剣を構えた騎士の像であり、中世の間に町の自由と都市の権利の象徴として建てられました。このような彫像は、特にドイツ北部と東部の多くの都市に存在し、市場広場や市庁舎の前に置かれる事があります。その例は中央ヨーロッパ、クロアチア、ラトヴィアが良く知られており、ブラジルと米国にもコピーがあります。最初のローランド像は12世紀に登場し、教会の外に置かれました。14世紀から15世紀にかけて、ローランドの彫像がより一般的に広まりました。ハンザ同盟の都市である事と何の関係もなかったそうです。
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過去の旅行の際に写した写真2枚です。これは1996年に訪れたブレーメンのマルクト広場で市庁舎前に建てられているローランド像です。
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こちらは2007年初夏に訪れたクロアチアのドゥブロヴニクでの写真です。聖ヴラホ教会前の広場に建てられたローランド像がありました。
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市庁舎広場からホテルに戻っていきます。クラム通り左のロゼナ通りを覗きます。このロゼナ通りは、ドゥアマ広場まで延びて、リガで最も狭い道路という事です。"真性の中世レストラン"と看板を掲げるローゼングラル(Rozengrāls)を見つけました。
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こちらの建物は、昔のワイン.セラー(蔵)だったそうです。
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ホテル.ネイブルクスに帰ってきました。この建物は1903年に賃貸の集合住宅として建築家ルートヴィヒ.ネイブルクスにより建てられました。戦災も受けず、建設当初の状態を維持していました。ソ連邦時代には例によって国有化され、建物も内部が大々的に改装されてしまいました。1991年にラトヴィアの主権が回復され、この建物も元の所有者の手に戻りました。そして建物内部も以前のユーゲント.シュティール様式を主体にしたデザインで再改装され、2009年にレストランが再開し、翌年春にホテルが開業しました。
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折衷主義とアールヌーボーの要素が応用された建物です。旧市街にある中世の複数の建物の敷地に建てられました。この建物が旧市街の環境により良く適合するように、建築家はそれをいくつかの部分に分割し、それぞれが異なる装飾的な特徴を与えました。折衷的なネオ.ルネッサンス様式のモチーフは、アールヌーボー様式の装飾と交互になっています。建物のファサードにはバルコニーや出窓があり、形式化された植物模様の装飾で飾られています。赤い矢印が我々が宿泊する部屋です。
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少し外観を観察する事にしました。ここがホテルの入り口です。建物の中央の入り口は、太陽をモチーフにした女性の頭の記念碑的な仮面で飾られています。
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ホテル前の道路が狭いので、前面が見上げたような写真になりました。
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前掲の写真の最上部を拡大しました。ここにも"顔"がありました。
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入り口がある上掲写真の右隣りです。
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ベランダの下の3基の支えにも装飾が施されています。
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上掲の写真の更に右側です。2階あたりから最上階まで出っ張りがありますが、ここに2階以上の階段が設置してあります。
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建物の北端で塔がある箇所です。三つの顔が見つけられます。
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我々が宿泊する部屋の丁度上に当たります。
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