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2016年秋、羽田からスカンディナヴィア航空でコペンハーゲン経由オスロに到着し、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、エストニア、ラトヴィア、リトアニア、デンマークとヨーロッパ7カ国を訪問し、コペンハーゲンから羽田に帰って来ました。今回も絵画鑑賞が主な目的の再訪です。<br /><br />旅程の概略です。<br />★ 9月20日 羽田からスカンディナヴィア航空でコペンハーゲン経由でオスロへ。オスロ泊。<br />★ 9月21~22日 オスロ泊。<br />★ 9月23~24日 ベルゲン泊。<br />★ 9月25日 フロム泊。<br />★ 9月26日 ベルゲン泊。<br />★ 9月27~28日 ストックホルム泊。<br />★ 9月29日 船中泊。<br />★ 9月30日~10月1日 ヘルシンキ泊。<br />★ 10月2~4日 タリン泊。<br />★ 10月5~7日 リガ泊。<br />★ 10月8~10日 ヴィルニュス泊。<br />★ 10月11~12日 コペンハーゲン泊。<br />★ 10月13日 コペンハーゲン空港からスカンディナヴィア航空で羽田へ。<br /><br />この25回目の旅行記は、デンマークのコペンハーゲンの美術館をハシゴした記録(1)です。

シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (25)コペンハーゲンの美術館をハシゴ(1)しました(10月12日)

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2016/09/20 - 2016/10/14

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さわ子さん

2016年秋、羽田からスカンディナヴィア航空でコペンハーゲン経由オスロに到着し、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、エストニア、ラトヴィア、リトアニア、デンマークとヨーロッパ7カ国を訪問し、コペンハーゲンから羽田に帰って来ました。今回も絵画鑑賞が主な目的の再訪です。

旅程の概略です。
★ 9月20日 羽田からスカンディナヴィア航空でコペンハーゲン経由でオスロへ。オスロ泊。
★ 9月21~22日 オスロ泊。
★ 9月23~24日 ベルゲン泊。
★ 9月25日 フロム泊。
★ 9月26日 ベルゲン泊。
★ 9月27~28日 ストックホルム泊。
★ 9月29日 船中泊。
★ 9月30日~10月1日 ヘルシンキ泊。
★ 10月2~4日 タリン泊。
★ 10月5~7日 リガ泊。
★ 10月8~10日 ヴィルニュス泊。
★ 10月11~12日 コペンハーゲン泊。
★ 10月13日 コペンハーゲン空港からスカンディナヴィア航空で羽田へ。

この25回目の旅行記は、デンマークのコペンハーゲンの美術館をハシゴした記録(1)です。

旅行の満足度
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 8時10分前です。朝食に1階にある食堂に下りてきました。<br />

    8時10分前です。朝食に1階にある食堂に下りてきました。

  • まだお客さんは疎らです。窓の外にもテーブルが用意されています。

    まだお客さんは疎らです。窓の外にもテーブルが用意されています。

  • 朝食を終え部屋の窓から市庁舎広場を見下ろしています。子供達が引率されて歩いて行きます。画面の上に龍の泉が見えています。広場の床は波のようなデザインです。

    朝食を終え部屋の窓から市庁舎広場を見下ろしています。子供達が引率されて歩いて行きます。画面の上に龍の泉が見えています。広場の床は波のようなデザインです。

  • 9時を過ぎました。今日も美術館巡りをします。広場からホテルを望みます。矢印の先が我々の部屋です。写真の右手に二人のルアー奏者の像が立っています。残念ながら、このホテルの高い塔に上がれるのかどうか、ホテルの人に一度も尋ねる事はしませんでした。可能なら上がりたかったのですが。

    9時を過ぎました。今日も美術館巡りをします。広場からホテルを望みます。矢印の先が我々の部屋です。写真の右手に二人のルアー奏者の像が立っています。残念ながら、このホテルの高い塔に上がれるのかどうか、ホテルの人に一度も尋ねる事はしませんでした。可能なら上がりたかったのですが。

  • 恒例の記念写真で、ババが部屋のベランダから広場にいるジジを写しています。

    恒例の記念写真で、ババが部屋のベランダから広場にいるジジを写しています。

  • 広場の足跡マークです。「ゴミ箱はこっち」を示しています。

    広場の足跡マークです。「ゴミ箱はこっち」を示しています。

  • 道路の雨水のマン.ホールです。中央にシルクハットのアンデルセンの横顔が浮き彫りになっています。その周りに魚も見えます。

    道路の雨水のマン.ホールです。中央にシルクハットのアンデルセンの横顔が浮き彫りになっています。その周りに魚も見えます。

  • 今日は都心の北側にある、三つの美術館見学に向かいます。買い物通りのストロイエを北に歩いて行きます。先ず10時開館のダヴィデ.コレクション美術館から始めます。

    今日は都心の北側にある、三つの美術館見学に向かいます。買い物通りのストロイエを北に歩いて行きます。先ず10時開館のダヴィデ.コレクション美術館から始めます。

  • 左からダヴィデ.コレクション、国立美術館、そしてヒアシュプロング美術館のパンフレットです。国立美術館は、&quot;SMK&quot;と表記されています。紹介する絵画が大変多いので、今日の旅行記はダヴィデ.コレクションと国立美術館にします。

    左からダヴィデ.コレクション、国立美術館、そしてヒアシュプロング美術館のパンフレットです。国立美術館は、"SMK"と表記されています。紹介する絵画が大変多いので、今日の旅行記はダヴィデ.コレクションと国立美術館にします。

  • 右にニュートーゥ(Nytorv)広場、左にガメルトーゥ(Gammeltorv)広場がある通りの手前に来ました。

    右にニュートーゥ(Nytorv)広場、左にガメルトーゥ(Gammeltorv)広場がある通りの手前に来ました。

  • 更に歩いてアマートーゥ(Amagertorv)広場に近づきました。前方に現代アート.センターになっている旧ニコライ教会の尖塔が見えています。

    更に歩いてアマートーゥ(Amagertorv)広場に近づきました。前方に現代アート.センターになっている旧ニコライ教会の尖塔が見えています。

  •  広場にあるコウノトリの噴水です。

     広場にあるコウノトリの噴水です。

  • コウノトリを拡大しました。

    コウノトリを拡大しました。

  • ストロイエ通りをアマートーゥ広場で左に曲がりました。通りを少し歩くと右手の角に、王室御用達のアクセサリー店を見つけました。そのお店の看板です。

    ストロイエ通りをアマートーゥ広場で左に曲がりました。通りを少し歩くと右手の角に、王室御用達のアクセサリー店を見つけました。そのお店の看板です。

  • 更に歩いて行くと、この写真の左手遠くにラウンド.タワーが見えてきました。通りの手前の右角にはタイガー.オヴ.スウェディシュ.ジーンズの店が入った赤煉瓦の建物があります。現在はバーバリー店に代わっているようです。この建物の前で右に曲がります。

    更に歩いて行くと、この写真の左手遠くにラウンド.タワーが見えてきました。通りの手前の右角にはタイガー.オヴ.スウェディシュ.ジーンズの店が入った赤煉瓦の建物があります。現在はバーバリー店に代わっているようです。この建物の前で右に曲がります。

  • こちらは1975年初冬に若いジジとババが上ったラウンド.タワーです。1642年に天体観測所として建てられた、高さ35mの塔です。前方は北の方角で、中央にローゼンボー城、その後方にコペンハーゲン国立美術館が見えています。

    こちらは1975年初冬に若いジジとババが上ったラウンド.タワーです。1642年に天体観測所として建てられた、高さ35mの塔です。前方は北の方角で、中央にローゼンボー城、その後方にコペンハーゲン国立美術館が見えています。

  • 塔の上から南東の方向を望んでいます。黄色い案内板の左に旧ニコライ教会の尖塔、右にクリスチャンボー宮殿の尖塔が見えています。

    塔の上から南東の方向を望んでいます。黄色い案内板の左に旧ニコライ教会の尖塔、右にクリスチャンボー宮殿の尖塔が見えています。

  • ローゼンボー公園の側、道路を隔てて東側にあるダヴィデ.コレクション(Davids Samling)美術館に入ります。この美術館の並びは、この美術館と同じような赤煉瓦のビルと白い石のビルがほぼ交互に並んでいます。ダヴィデ.コレクションには、主にペルシャやインドの美術品が展示されています。入館は無料です。

    ローゼンボー公園の側、道路を隔てて東側にあるダヴィデ.コレクション(Davids Samling)美術館に入ります。この美術館の並びは、この美術館と同じような赤煉瓦のビルと白い石のビルがほぼ交互に並んでいます。ダヴィデ.コレクションには、主にペルシャやインドの美術品が展示されています。入館は無料です。

  • ダヴィデ.コレクションは、弁護士、ビジネスマン、アート.コレクターのC. L.ダヴィデの個人コレクションを中心に展示した美術館です。8世紀から19世紀までのイスラムやインド美術のコレクションが特に注目されており、北ヨーロッパで最大級の美術館の1つになっています。この美術館には、デンマークの美術品も展示してあります。先ず4階のイスラム芸術の展示室に上がります。<br />これは白い釉薬の上に光沢を付けて描かれた陶器の椀です。11世紀から12世紀初めのエジプトの作品です。ワインをコップに注いでいる女性像のようです。

    ダヴィデ.コレクションは、弁護士、ビジネスマン、アート.コレクターのC. L.ダヴィデの個人コレクションを中心に展示した美術館です。8世紀から19世紀までのイスラムやインド美術のコレクションが特に注目されており、北ヨーロッパで最大級の美術館の1つになっています。この美術館には、デンマークの美術品も展示してあります。先ず4階のイスラム芸術の展示室に上がります。
    これは白い釉薬の上に光沢を付けて描かれた陶器の椀です。11世紀から12世紀初めのエジプトの作品です。ワインをコップに注いでいる女性像のようです。

  • 19世紀のイランの漆画の作品で星座の射手座です。干支(えと)として使用される動物のいくつかは、神話上の生き物としてイスラム美術に描かれています。19世紀の漆画に描かれている射手座は、尾が竜の頭で終わるケンタウロスとして描かれています。

    19世紀のイランの漆画の作品で星座の射手座です。干支(えと)として使用される動物のいくつかは、神話上の生き物としてイスラム美術に描かれています。19世紀の漆画に描かれている射手座は、尾が竜の頭で終わるケンタウロスとして描かれています。

  • 16世紀中頃のイランの作品「サキラの要塞を占領するシャー.アヌシルヴァン」です。剣、弓、斧で武装した騎手と歩兵がサキラの要塞を攻撃しているシーンです。

    16世紀中頃のイランの作品「サキラの要塞を占領するシャー.アヌシルヴァン」です。剣、弓、斧で武装した騎手と歩兵がサキラの要塞を攻撃しているシーンです。

  • 17世紀頃のトルコの作品で「ざくろを持って座るペリ」です。ペリは、イランの高原地帯に棲んでいるとされる妖精の一種で、背中に翼のある人間の姿をしており、魔法を使えます。

    17世紀頃のトルコの作品で「ざくろを持って座るペリ」です。ペリは、イランの高原地帯に棲んでいるとされる妖精の一種で、背中に翼のある人間の姿をしており、魔法を使えます。

  • 15世紀の初めの西イランまたはイラクの作品で「王家のカップルと庭に集まる廷臣達」です。

    15世紀の初めの西イランまたはイラクの作品で「王家のカップルと庭に集まる廷臣達」です。

  • これは「ヨーロッパ人のグループと会話する天使」と名が付けられた17世紀初頭の絵画です。

    これは「ヨーロッパ人のグループと会話する天使」と名が付けられた17世紀初頭の絵画です。

  • 17世紀のインドの作品で「洞窟の前で絵を見せる」です。しかし、この絵の主題は不明だそうです。岩だらけの風景の中の町の外には、芸術家のように見える老人が住む洞窟があります。床にはペン.ケース、顔料や本が置かれ、彼自身で絵を鑑賞する人々に絵を掲げています。人々は、ほとんどは地元のようですが、その中にはヨーロッパ人や他のエキゾチックな人々も見えます。

    17世紀のインドの作品で「洞窟の前で絵を見せる」です。しかし、この絵の主題は不明だそうです。岩だらけの風景の中の町の外には、芸術家のように見える老人が住む洞窟があります。床にはペン.ケース、顔料や本が置かれ、彼自身で絵を鑑賞する人々に絵を掲げています。人々は、ほとんどは地元のようですが、その中にはヨーロッパ人や他のエキゾチックな人々も見えます。

  • 19世紀初めに描かれた作品で「スキナー乗馬連隊の新兵のグループ」です。兵士たちはさまざまな地域、宗教、民族のインド人で構成されていました。

    19世紀初めに描かれた作品で「スキナー乗馬連隊の新兵のグループ」です。兵士たちはさまざまな地域、宗教、民族のインド人で構成されていました。

  • 18世紀中頃の作品です。王子の側室と女性の使用人や警備員が住む幻想的な宮殿をモチーフとしており、ある意味で世界を1つの素晴らしい庭園として描いています。遠くには、象の背中に乗った王子が見え、川の反対側では、ハーレムの女性たちのおそらく心地よいが強制された怠惰とは対照的なあらゆる種類の活動が行われています。

    18世紀中頃の作品です。王子の側室と女性の使用人や警備員が住む幻想的な宮殿をモチーフとしており、ある意味で世界を1つの素晴らしい庭園として描いています。遠くには、象の背中に乗った王子が見え、川の反対側では、ハーレムの女性たちのおそらく心地よいが強制された怠惰とは対照的なあらゆる種類の活動が行われています。

  • これも18世紀中頃のインドの作品です。シーンは金細工職人の工房で、マスター自身がヒンズー教徒の女性のふくらはぎをしっかりと握り、足首にリングを付けています。若い見習いは、右手で指輪を冷やす間、吹き筒で火を強くし、鍛造品を熱く保ちます。宝石をちりばめた2人の女性がやって来て熱狂的におしゃべりをし、小さな女の子がパースニップのように見えるものを食べています。

    これも18世紀中頃のインドの作品です。シーンは金細工職人の工房で、マスター自身がヒンズー教徒の女性のふくらはぎをしっかりと握り、足首にリングを付けています。若い見習いは、右手で指輪を冷やす間、吹き筒で火を強くし、鍛造品を熱く保ちます。宝石をちりばめた2人の女性がやって来て熱狂的におしゃべりをし、小さな女の子がパースニップのように見えるものを食べています。

  • 3階に下ります。4階から1階までこの美しい螺旋階段が続いています。

    3階に下ります。4階から1階までこの美しい螺旋階段が続いています。

  • 18世紀のヨーロッパの美術品を展示する3階の部屋の一つです。天井にも装飾が施されています。

    18世紀のヨーロッパの美術品を展示する3階の部屋の一つです。天井にも装飾が施されています。

  • 2階に下ります。この階にも、18世紀のヨーロッパの美術品が展示してあります。絵画や装飾品の他にも家具や銀器もあります。

    2階に下ります。この階にも、18世紀のヨーロッパの美術品が展示してあります。絵画や装飾品の他にも家具や銀器もあります。

  • フランスのロココを代表する画家フランソワ.ブーシェの間です。

    フランスのロココを代表する画家フランソワ.ブーシェの間です。

  • 一見ポルトガルの装飾タイルであるアズレージョのように見えますが、フランソワ・ブーシェが18世紀に最盛期を迎える中国趣味の美術様式、シノワズリーで描いた油絵です。人物はかなり西洋化されていますが、装飾にはエキゾチックな植生、塔の形の建造物、塗装された石庭のフレームには竹が含まれています。

    一見ポルトガルの装飾タイルであるアズレージョのように見えますが、フランソワ・ブーシェが18世紀に最盛期を迎える中国趣味の美術様式、シノワズリーで描いた油絵です。人物はかなり西洋化されていますが、装飾にはエキゾチックな植生、塔の形の建造物、塗装された石庭のフレームには竹が含まれています。

  • 19世紀前半をピークとするデンマーク黄金時代の間です。前日の旅行記のニュー.カールスベア.グリプトテク美術館で6点紹介した画家クリストファー.ヴィルヘルム.エッカースベルグ(Christoffer Wilhelm Eckersberg:1783-1853)の作品3点です。<br />これは1812年の作品「ブローニュの森のロンシャン.ゲート」です。

    19世紀前半をピークとするデンマーク黄金時代の間です。前日の旅行記のニュー.カールスベア.グリプトテク美術館で6点紹介した画家クリストファー.ヴィルヘルム.エッカースベルグ(Christoffer Wilhelm Eckersberg:1783-1853)の作品3点です。
    これは1812年の作品「ブローニュの森のロンシャン.ゲート」です。

  • これは1813年の作品「モデルのエミリエ」です。

    これは1813年の作品「モデルのエミリエ」です。

  • こちらは1824年の作品で「モンテ.アヴェンティーノからの展望」の絵画で、左下隅を切り取った写真です。モンテ.アヴェンティーノは、ローマの七丘の1つで、ローマ発祥の地となった場所です。

    こちらは1824年の作品で「モンテ.アヴェンティーノからの展望」の絵画で、左下隅を切り取った写真です。モンテ.アヴェンティーノは、ローマの七丘の1つで、ローマ発祥の地となった場所です。

  • これが全体を示す写真で、この美術館のウェブ.サイトである &quot;https://www.davidmus.dk/&quot;からの借画です。前日の旅行記のニュー.カールスベア.グリプトテク美術館で紹介したエッカースベルグの作品「ロット橋(崩壊した橋の意味)の近くからのテヴェレ川の眺め」で、前方遠くに描かれていたのがアヴェンティーノの丘です。

    これが全体を示す写真で、この美術館のウェブ.サイトである "https://www.davidmus.dk/"からの借画です。前日の旅行記のニュー.カールスベア.グリプトテク美術館で紹介したエッカースベルグの作品「ロット橋(崩壊した橋の意味)の近くからのテヴェレ川の眺め」で、前方遠くに描かれていたのがアヴェンティーノの丘です。

  • 陶器の展示室です。天井に吊るされたシャンデリアも素敵なものばかりです。

    陶器の展示室です。天井に吊るされたシャンデリアも素敵なものばかりです。

  • こちらは家具の展示室です。

    こちらは家具の展示室です。

  • ダヴィデ.コレクション美術館に1時間ほど滞在し次の美術館に向かいます。これは靴の泥落とし機です。この辺りで泥が着きそうな場所は、美術館前のローゼンボー公園位です。

    ダヴィデ.コレクション美術館に1時間ほど滞在し次の美術館に向かいます。これは靴の泥落とし機です。この辺りで泥が着きそうな場所は、美術館前のローゼンボー公園位です。

  • ダヴィデ.コレクションを出てローゼンボー公園内を横切って次の目標である国立美術館に向かいます。この公園は老人達にとって良い憩いの場所になっています。

    ダヴィデ.コレクションを出てローゼンボー公園内を横切って次の目標である国立美術館に向かいます。この公園は老人達にとって良い憩いの場所になっています。

  • 園内にはこのような大きな木が何本も育っています。

    園内にはこのような大きな木が何本も育っています。

  • 公園内の西側にあるローゼンボー離宮を東側から眺めます。1606年に夏の離宮として造営され、建物はオランダ.ルネサンス様式で、1624年に増設され今の形になりました。現在、建物はフレデリク2世の時代から19世紀までのデンマーク文化の息吹きをつなぐ芸術品などの王室コレクションを展示する博物館になっています。

    公園内の西側にあるローゼンボー離宮を東側から眺めます。1606年に夏の離宮として造営され、建物はオランダ.ルネサンス様式で、1624年に増設され今の形になりました。現在、建物はフレデリク2世の時代から19世紀までのデンマーク文化の息吹きをつなぐ芸術品などの王室コレクションを展示する博物館になっています。

  • こちらは北東の方向から眺めたローゼンボー離宮です。

    こちらは北東の方向から眺めたローゼンボー離宮です。

  • こちらは1975年初冬の旅の写真でローゼンボー離宮の北西の正門前で写したものです。近くの大学に通っていた学生さんと一緒の記念写真です。現在の正門前の小道は、綺麗に整備されています。

    こちらは1975年初冬の旅の写真でローゼンボー離宮の北西の正門前で写したものです。近くの大学に通っていた学生さんと一緒の記念写真です。現在の正門前の小道は、綺麗に整備されています。

  • ローゼンボー公園の対角線上にあるエスター.アンゲッグ公園で、その南東角にある国立美術館の手前に着きました。

    ローゼンボー公園の対角線上にあるエスター.アンゲッグ公園で、その南東角にある国立美術館の手前に着きました。

  • 国立美術館の正面中央です。この美術館の作品は、王室の美術収集品から始まっています。建物は1896年にイタリアル.ネサンス復古様式で完成しました。その後1998年に、新しく別館が本館の背後に完成しました。建物は地上3階、地下1階で、本館と別館の3階は現代絵画の展示室なので、ジジババはスキップしています。

    国立美術館の正面中央です。この美術館の作品は、王室の美術収集品から始まっています。建物は1896年にイタリアル.ネサンス復古様式で完成しました。その後1998年に、新しく別館が本館の背後に完成しました。建物は地上3階、地下1階で、本館と別館の3階は現代絵画の展示室なので、ジジババはスキップしています。

  • 本館2階西翼のデンマークと北欧美術の展示室から周ります。<br />18世紀の肖像画の制作を牽引したデンマークの画家イエンス.ユール(Jens Juel:1745-1802)の29歳の頃の自画像です。

    本館2階西翼のデンマークと北欧美術の展示室から周ります。
    18世紀の肖像画の制作を牽引したデンマークの画家イエンス.ユール(Jens Juel:1745-1802)の29歳の頃の自画像です。

  • デンマークの風景画家フレデリク.ハンセン.ソドリング(Frederik Hansen Sødring:1809-1862)の作品3点です。ソドリングは、王立アカデミーで勉強し、ノルウェー、スウェーデン、ドイツに旅していますが、イタリアには行っていないようです。<br />これは1828年の作品で「シャーロッテンボー宮殿の後庭」です。 シャーロッテンボー宮殿は、新港を意味するニューハウンの南西岸にあります。

    デンマークの風景画家フレデリク.ハンセン.ソドリング(Frederik Hansen Sødring:1809-1862)の作品3点です。ソドリングは、王立アカデミーで勉強し、ノルウェー、スウェーデン、ドイツに旅していますが、イタリアには行っていないようです。
    これは1828年の作品で「シャーロッテンボー宮殿の後庭」です。 シャーロッテンボー宮殿は、新港を意味するニューハウンの南西岸にあります。

  • こちらは1834年の作品で「ノルウェーの風景の中に座っている若い女性」です。

    こちらは1834年の作品で「ノルウェーの風景の中に座っている若い女性」です。

  • こちらはソドリングの1835年の作品「遺跡となった未完成のフレデリック教会と大理石広場の眺め」です。パネルの右半分を写しました。庶民の住宅でしょうか、窓の下部に木枠が出ていて、日除けの裾を留めたり、洗濯物干す竿になっています。日除けの上部は特に引っ掛けるような物は見えません。建物の前ではベッドのマットのような物を干しています。

    こちらはソドリングの1835年の作品「遺跡となった未完成のフレデリック教会と大理石広場の眺め」です。パネルの右半分を写しました。庶民の住宅でしょうか、窓の下部に木枠が出ていて、日除けの裾を留めたり、洗濯物干す竿になっています。日除けの上部は特に引っ掛けるような物は見えません。建物の前ではベッドのマットのような物を干しています。

  • こちらは上掲の絵画の全景です。国立美術館のウェブサイトの &quot;https://www.smk.dk/&quot;から借画しました。左側に廃墟となった未完のフレデリック教会が描かれています。

    こちらは上掲の絵画の全景です。国立美術館のウェブサイトの "https://www.smk.dk/"から借画しました。左側に廃墟となった未完のフレデリック教会が描かれています。

  • 「デンマーク美術黄金時代」の画家クリストファー.ヴィルヘルム.エッカースベルグ(Christoffer Wilhelm Eckersberg:1783-1853)の作品5点です。<br />こちらは1816年の作品「ローマのアラコエリのサンタ.マリア聖堂」です。この絵が描かれた時には、現在左隣りにあるエマヌエル2世記念堂はありませんでした。1813-16年にローマに滞在中、エッケルスベルクはローマの通りや歴史的建造物の絵を数多く描きました。彼はカピトリーノの丘の麓に位置して描いていましたが、彼は中世の教会、記念碑的な階段、階段に並ぶ古い住宅に専念し、丘の上のミケランジェロ設計のセナリオ宮殿を注意深く避けています。

    「デンマーク美術黄金時代」の画家クリストファー.ヴィルヘルム.エッカースベルグ(Christoffer Wilhelm Eckersberg:1783-1853)の作品5点です。
    こちらは1816年の作品「ローマのアラコエリのサンタ.マリア聖堂」です。この絵が描かれた時には、現在左隣りにあるエマヌエル2世記念堂はありませんでした。1813-16年にローマに滞在中、エッケルスベルクはローマの通りや歴史的建造物の絵を数多く描きました。彼はカピトリーノの丘の麓に位置して描いていましたが、彼は中世の教会、記念碑的な階段、階段に並ぶ古い住宅に専念し、丘の上のミケランジェロ設計のセナリオ宮殿を注意深く避けています。

  • これは2011年冬の旅の写真で、左にアラコエリのサンタ.マリア聖堂、右にセナリオ宮殿です。左端のエマヌエル2世記念堂は1925年の完成です。

    これは2011年冬の旅の写真で、左にアラコエリのサンタ.マリア聖堂、右にセナリオ宮殿です。左端のエマヌエル2世記念堂は1925年の完成です。

  • こちらは1824年の作品「コペンハーゲンからシャーロットンランドへの航海」です。シャーロットンランドは、コペンハーゲンの北にある地域で、前日に訪問したオードロップゴー美術館やシャーロットンランド宮殿があります。1820年以降、海洋シーンはエッカースベルグのお気に入りの主題になりました。彼は船の類型に熱心に興味を持ち、船体の形状、帆、索具など、船の多くの詳細を細心の注意を払って描写しました。若いカップルが船の船首に立っています。これは、175年後の映画「タイタニック」でも若いカップルが採用した同じポーズです。

    こちらは1824年の作品「コペンハーゲンからシャーロットンランドへの航海」です。シャーロットンランドは、コペンハーゲンの北にある地域で、前日に訪問したオードロップゴー美術館やシャーロットンランド宮殿があります。1820年以降、海洋シーンはエッカースベルグのお気に入りの主題になりました。彼は船の類型に熱心に興味を持ち、船体の形状、帆、索具など、船の多くの詳細を細心の注意を払って描写しました。若いカップルが船の船首に立っています。これは、175年後の映画「タイタニック」でも若いカップルが採用した同じポーズです。

  • こちらは1828年の作品で「ヘルシンオアの沖に投錨するロシアの戦列艦アソウ号とフリゲート艦」です。ヘルシンオアはコペンハーゲンがあるシェラン島北東部に位置する都市で、海峡を挟んでスウェーデンのヘルシンボリに対面しています。エッカースベルグは、「アソウ号」の絵を描く前に、コペンハーゲンでロシアの戦列艦を2回ほど観察し研究していました。また彼は、デンマーク海軍から戦列艦の図面を借りて勉強しています。更に、光、風、およびその他の気象条件を研究し、雲の形成を可能な限り現実的に描くように細心の注意を払いました。そしてこの絵を描いています。

    こちらは1828年の作品で「ヘルシンオアの沖に投錨するロシアの戦列艦アソウ号とフリゲート艦」です。ヘルシンオアはコペンハーゲンがあるシェラン島北東部に位置する都市で、海峡を挟んでスウェーデンのヘルシンボリに対面しています。エッカースベルグは、「アソウ号」の絵を描く前に、コペンハーゲンでロシアの戦列艦を2回ほど観察し研究していました。また彼は、デンマーク海軍から戦列艦の図面を借りて勉強しています。更に、光、風、およびその他の気象条件を研究し、雲の形成を可能な限り現実的に描くように細心の注意を払いました。そしてこの絵を描いています。

  • これは1836年の作品「月明かりの下でランゲブロ橋上を走る人々」です。多くの人が橋を渡って走ってきますが、エッカースベルグは何が起こっているのかを明らかにしていません。おそらく火事が起こったのかもしれませんし、誰かが港で溺れているのかもしれません。

    これは1836年の作品「月明かりの下でランゲブロ橋上を走る人々」です。多くの人が橋を渡って走ってきますが、エッカースベルグは何が起こっているのかを明らかにしていません。おそらく火事が起こったのかもしれませんし、誰かが港で溺れているのかもしれません。

  • これは1846年の作品「風雨の中のストリート.シーン」です。雨は降っていないように見えますが.......。

    これは1846年の作品「風雨の中のストリート.シーン」です。雨は降っていないように見えますが.......。

  • こちらも「デンマーク美術黄金時代」の画家クリスチャン.ケプケ (Christen Købke:1810-1848)の作品9点です。<br />これは1831年の作品「コペンハーゲンの城塞にあるパン屋の穀物納屋からの眺め」です。ケプケの父親はパン職人で、ケプケが5歳の時城塞内のパン屋を開きました。

    こちらも「デンマーク美術黄金時代」の画家クリスチャン.ケプケ (Christen Købke:1810-1848)の作品9点です。
    これは1831年の作品「コペンハーゲンの城塞にあるパン屋の穀物納屋からの眺め」です。ケプケの父親はパン職人で、ケプケが5歳の時城塞内のパン屋を開きました。

  • これは1836年の作品「コペンハーゲン郊外のオスターブロの通りの朝の光の下の眺め」です。ケプケは日常のシーンを記念碑的なイメージに変えました。シーンは、自身が居住するコペンハーゲン郊外の田園地帯です。ここでは、市場に向かう漁師の妻や農民、朝の散歩をしている市民、共有牧草地に引かれていく牛など、毎日の早朝のシーンを描いています。

    これは1836年の作品「コペンハーゲン郊外のオスターブロの通りの朝の光の下の眺め」です。ケプケは日常のシーンを記念碑的なイメージに変えました。シーンは、自身が居住するコペンハーゲン郊外の田園地帯です。ここでは、市場に向かう漁師の妻や農民、朝の散歩をしている市民、共有牧草地に引かれていく牛など、毎日の早朝のシーンを描いています。

  • 中央部左寄りを拡大しました。正装して2頭立ての馬車に乗る人々は少し上流階級のようで、教会にでも行くのでしょうか。

    中央部左寄りを拡大しました。正装して2頭立ての馬車に乗る人々は少し上流階級のようで、教会にでも行くのでしょうか。

  • これは1837年の作品「コペンハーゲン城塞の北の跳ね橋」です。橋の向こう側が要塞のようです。橋の手前にいるのは警備の兵士でしょうか。前日ニュー.カールスベア.グリプトテク美術館で同じ画家の1834年の作品で「城塞の北門」の絵画を見ています。同じ跳ね橋でしょうか。

    これは1837年の作品「コペンハーゲン城塞の北の跳ね橋」です。橋の向こう側が要塞のようです。橋の手前にいるのは警備の兵士でしょうか。前日ニュー.カールスベア.グリプトテク美術館で同じ画家の1834年の作品で「城塞の北門」の絵画を見ています。同じ跳ね橋でしょうか。

  • これも1837年の作品「静かな夏の午後の、コペンハーゲン郊外ライムキルン近くの湾の眺め」です。横長のパネルの右半分を切り取って撮影しています。

    これも1837年の作品「静かな夏の午後の、コペンハーゲン郊外ライムキルン近くの湾の眺め」です。横長のパネルの右半分を切り取って撮影しています。

  • これは1838年の作品「ソルテダム湖近くのドセリンゲンから、コペンハーゲン郊外のノレブロに向かっての眺め」です。静かな夏の夜、2人の若い女性が橋の上に立って、湖の上をゆっくりと移動する手漕ぎボートを見ています。旗は絵に非常に重要な役割を追加しています。構図がより印象的になり、旗の赤がクールなニュアンスのバランスを取ります。同時に、旗は絵画の雰囲気とロマンチックさを強調し、デンマークの郊外のシーンを見ていることを強調しています。

    これは1838年の作品「ソルテダム湖近くのドセリンゲンから、コペンハーゲン郊外のノレブロに向かっての眺め」です。静かな夏の夜、2人の若い女性が橋の上に立って、湖の上をゆっくりと移動する手漕ぎボートを見ています。旗は絵に非常に重要な役割を追加しています。構図がより印象的になり、旗の赤がクールなニュアンスのバランスを取ります。同時に、旗は絵画の雰囲気とロマンチックさを強調し、デンマークの郊外のシーンを見ていることを強調しています。

  • これは1840年の作品「ヴェスヴィオ山を背景にしたナポリ湾」です。同じ卵城の西にあるキアイア地区の海岸から描かれた思われるコンスタンティン.ハンセン(Constantin Hansen:1804-1880)の絵画を前日ニュー.カールスベア.グリプトテク美術館で見ています。制作年も同じですが、このクリスチャン.ケプケの絵画ではヴェスヴィオ山から煙は出ていません。ケプケは1838年に美術アカデミーから旅費を貰い、ドレスデンとミュンヘンを経由してイタリアに旅行し1840年まで滞在しています。その時ハンセンと一緒にナポリ、ソレント、ポンペイ、カプリに旅行しています。

    これは1840年の作品「ヴェスヴィオ山を背景にしたナポリ湾」です。同じ卵城の西にあるキアイア地区の海岸から描かれた思われるコンスタンティン.ハンセン(Constantin Hansen:1804-1880)の絵画を前日ニュー.カールスベア.グリプトテク美術館で見ています。制作年も同じですが、このクリスチャン.ケプケの絵画ではヴェスヴィオ山から煙は出ていません。ケプケは1838年に美術アカデミーから旅費を貰い、ドレスデンとミュンヘンを経由してイタリアに旅行し1840年まで滞在しています。その時ハンセンと一緒にナポリ、ソレント、ポンペイ、カプリに旅行しています。

  • これも1840年の作品「ナポリの卵城」です。上掲の絵画では、ヴェスヴィオ山の手前中央に描かれています。

    これも1840年の作品「ナポリの卵城」です。上掲の絵画では、ヴェスヴィオ山の手前中央に描かれています。

  • 2013年冬の旅で夕方の写真なので正面が暗くなり、近づき過ぎですが、上掲の絵画とほぼ同じ方向の眺めです。

    2013年冬の旅で夕方の写真なので正面が暗くなり、近づき過ぎですが、上掲の絵画とほぼ同じ方向の眺めです。

  • こちらは2014年秋の旅で同じく夕方の写真です。西日が当たる少し西の方向から写しています。ケプケの絵画の状態からほとんど変わっていないように見えます。

    こちらは2014年秋の旅で同じく夕方の写真です。西日が当たる少し西の方向から写しています。ケプケの絵画の状態からほとんど変わっていないように見えます。

  • これは1845年の作品で「ケプケの父の家の一角」です。ケプケの家族が1833年にブレグダムメンに移っているので、この家は下に掲載する家と同じかもしれません。ケプケの父親は1843年に亡くなっています。

    これは1845年の作品で「ケプケの父の家の一角」です。ケプケの家族が1833年にブレグダムメンに移っているので、この家は下に掲載する家と同じかもしれません。ケプケの父親は1843年に亡くなっています。

  • こちらも1845年頃の作品「ブレグダムメンにあるケプケのスタジオに繋がる階段」です。ブレグダムメンは、ケプケの作品としてここで5番目に掲載したソルテダム湖の西側にある地域です。彼は自分の家を描いていたにもかかわらず、家自体の印象をほとんど伝えていません。階段のそばの漫然とした木は、絵画の重要な要素になっています。

    こちらも1845年頃の作品「ブレグダムメンにあるケプケのスタジオに繋がる階段」です。ブレグダムメンは、ケプケの作品としてここで5番目に掲載したソルテダム湖の西側にある地域です。彼は自分の家を描いていたにもかかわらず、家自体の印象をほとんど伝えていません。階段のそばの漫然とした木は、絵画の重要な要素になっています。

  • 風景画で有名なデンマークの画家エリック.パウエルセン(Erik Pauelsen:1749-1790)の1789年の作品で「ノルウェーのサルプスフォッセン」です。サルプスフォッセンはオスロの80Km南にある滝です。この滝はノルウェーで最も長い川であるグロマ川の最後の滝で、ヨーロッパで最も大きな滝の1つです。現在は堰で水量が制御されています。

    風景画で有名なデンマークの画家エリック.パウエルセン(Erik Pauelsen:1749-1790)の1789年の作品で「ノルウェーのサルプスフォッセン」です。サルプスフォッセンはオスロの80Km南にある滝です。この滝はノルウェーで最も長い川であるグロマ川の最後の滝で、ヨーロッパで最も大きな滝の1つです。現在は堰で水量が制御されています。

  • デンマークのロマンチックな風景画家ピーター.クリスチャンタム.センスコフガード(Peter Christian Skovgaard:1817-1875)の作品3点です。<br />これは1843年の作品「ヴェジビー村の道端で絵を描く画家のヨハン.トマス.ロンビュー」です。ヴェジビーはコペンハーゲンがあるシェラン島の北端にある村です。

    デンマークのロマンチックな風景画家ピーター.クリスチャンタム.センスコフガード(Peter Christian Skovgaard:1817-1875)の作品3点です。
    これは1843年の作品「ヴェジビー村の道端で絵を描く画家のヨハン.トマス.ロンビュー」です。ヴェジビーはコペンハーゲンがあるシェラン島の北端にある村です。

  • 道端の猫の親子、画家のヨハン.トマス.ロンビューとそれを見守る人々を拡大しました。

    道端の猫の親子、画家のヨハン.トマス.ロンビューとそれを見守る人々を拡大しました。

  • こちらは1857年の作品で「5月のブナの森」です。縦長のパネルの下1/3を切り取って撮影しています。似た構図で、3人の子供が犬を連れた「5月のブナの木」があり、前日の旅行記のニューカールスベア美術館の作品で紹介しています。デンマークの芸術家たちは、夏にデンマークの田舎を描くことを好みました。冬のシーンはめったに描かれず、長い春と秋のシーンは見られませんでした。

    こちらは1857年の作品で「5月のブナの森」です。縦長のパネルの下1/3を切り取って撮影しています。似た構図で、3人の子供が犬を連れた「5月のブナの木」があり、前日の旅行記のニューカールスベア美術館の作品で紹介しています。デンマークの芸術家たちは、夏にデンマークの田舎を描くことを好みました。冬のシーンはめったに描かれず、長い春と秋のシーンは見られませんでした。

  • こちらは上掲の絵画の全景です。国立美術館のウェブサイトの &quot;https://www.smk.dk/&quot;から借画しました。

    こちらは上掲の絵画の全景です。国立美術館のウェブサイトの "https://www.smk.dk/"から借画しました。

  • これは1858年の作品で「リネンの漂白作業」です。リネンが草の上に干してあります。その前で二人の女性が何か話しをしています。こちらも縦長のパネルの下1/3を切り取って写しています。

    これは1858年の作品で「リネンの漂白作業」です。リネンが草の上に干してあります。その前で二人の女性が何か話しをしています。こちらも縦長のパネルの下1/3を切り取って写しています。

  • こちらは上掲の絵画の全景です。国立美術館のウェブサイトの  https://www.smk.dk/&quot;から借画しました。

    こちらは上掲の絵画の全景です。国立美術館のウェブサイトの https://www.smk.dk/"から借画しました。

  • 「デンマーク黄金時代」と呼ばれる時代を代表する画家の一人であるヴィルヘルム・マーストラン(Wilhelm Marstrand:1810-1873)の1840年代の作品「ローマのバルベリーニ広場で黒墨を売る山師」です。群衆の背景にトリトーネの噴水の上部が見えています。

    「デンマーク黄金時代」と呼ばれる時代を代表する画家の一人であるヴィルヘルム・マーストラン(Wilhelm Marstrand:1810-1873)の1840年代の作品「ローマのバルベリーニ広場で黒墨を売る山師」です。群衆の背景にトリトーネの噴水の上部が見えています。

  • 2014年秋の旅で、ローマのバルベリーニ広場でトリトーネの噴水を背景に撮った記念写真です。

    2014年秋の旅で、ローマのバルベリーニ広場でトリトーネの噴水を背景に撮った記念写真です。

  • デンマークの画家カール.ハインリッヒ.ブロッホ(Carl Bloch:1834-1890)の作品3点です。<br />これは1866年の作品「ローマのオステリアでの光景」です。この画家の初期の時代には風俗画を多く描き、後半で1859年から1866年までのイタリア滞在時からイタリアの人々の生活を描いていましたが、滞在の後期になると歴史的、宗教的な題材を多く手がけています。「ローマのオステリア」のテーマは、先輩のヴィルヘルム.マーストランの作品を引き継いでいます。前日の旅行記のニューカールスベア美術館の作品でマーストランのオステリアの作品を紹介しています。

    デンマークの画家カール.ハインリッヒ.ブロッホ(Carl Bloch:1834-1890)の作品3点です。
    これは1866年の作品「ローマのオステリアでの光景」です。この画家の初期の時代には風俗画を多く描き、後半で1859年から1866年までのイタリア滞在時からイタリアの人々の生活を描いていましたが、滞在の後期になると歴史的、宗教的な題材を多く手がけています。「ローマのオステリア」のテーマは、先輩のヴィルヘルム.マーストランの作品を引き継いでいます。前日の旅行記のニューカールスベア美術館の作品でマーストランのオステリアの作品を紹介しています。

  • これは1878年の作品で「キッチン.テーブル」です。いろいろな海産物が並べられています。

    これは1878年の作品で「キッチン.テーブル」です。いろいろな海産物が並べられています。

  • これは1884年の作品で「漁師の家の窓をノックする若い女の子」です。

    これは1884年の作品で「漁師の家の窓をノックする若い女の子」です。

  • 庶民の生活シーンを多く描いたクレステン.ダルスゴー(Christen Dalsgaard:1824-1907)の1857年の作品「亡くなった子供のための柩を運んできた村の大工」です。悲しみに涙する母親を優しく祖母が慰めているシーンでしょうか。

    庶民の生活シーンを多く描いたクレステン.ダルスゴー(Christen Dalsgaard:1824-1907)の1857年の作品「亡くなった子供のための柩を運んできた村の大工」です。悲しみに涙する母親を優しく祖母が慰めているシーンでしょうか。

  • デンマーク民衆の生活を描いた風俗画で知られるユリウス.エクスナー(Julius Exner:1825 - 1910)の1853年の作品「お爺ちゃんの家を訪ねる孫達」です。この絵画は、幅広い人気を集め多くの複製画が制作されています。

    デンマーク民衆の生活を描いた風俗画で知られるユリウス.エクスナー(Julius Exner:1825 - 1910)の1853年の作品「お爺ちゃんの家を訪ねる孫達」です。この絵画は、幅広い人気を集め多くの複製画が制作されています。

  • こちらも同じユリウス.エクスナーの1857年の作品で「ゴンドラで遊覧」です。この画家は、王立アカデミーの援助を受け1857年から2年間ヴェネツィア、パルマ、フィレンツェ、ナポリ、ローマに加えて、ドレスデン、ウィーン、スイス、パリに旅行しています。

    こちらも同じユリウス.エクスナーの1857年の作品で「ゴンドラで遊覧」です。この画家は、王立アカデミーの援助を受け1857年から2年間ヴェネツィア、パルマ、フィレンツェ、ナポリ、ローマに加えて、ドレスデン、ウィーン、スイス、パリに旅行しています。

  • デンマークの画家デヴィッド.ヤコブセン(David Jacobsen:1821-1871)の1863-67年頃の作品で「スタジオの女性」です。

    デンマークの画家デヴィッド.ヤコブセン(David Jacobsen:1821-1871)の1863-67年頃の作品で「スタジオの女性」です。

  • こちらは1860-69年頃の練習のための作品で「座った少女」です。この画家もイタリアへ旅行しているようで、イタリアに関する絵画が少なからずあります。

    こちらは1860-69年頃の練習のための作品で「座った少女」です。この画家もイタリアへ旅行しているようで、イタリアに関する絵画が少なからずあります。

  • ポーランドとデンマークの国籍を持つ女性の画家エリザベス.イェリカウ.ボウマン(Elisabeth Jerichau Baumann:1819-1881)の1878年の作品「ギザでエジプトの陶器を売る女性」です。陶器は女性の右手後ろに見えています。この絵画は、彼女がトルコ、ギリシャ、エジプトを旅した際に観察した情景を表現しています。その官能性と大胆な色彩は、当時のデンマークの芸術とは異なりますが、国際的なオリエンタリズムを特徴付ける偏った先入観に基づく評価はほとんどありません。

    ポーランドとデンマークの国籍を持つ女性の画家エリザベス.イェリカウ.ボウマン(Elisabeth Jerichau Baumann:1819-1881)の1878年の作品「ギザでエジプトの陶器を売る女性」です。陶器は女性の右手後ろに見えています。この絵画は、彼女がトルコ、ギリシャ、エジプトを旅した際に観察した情景を表現しています。その官能性と大胆な色彩は、当時のデンマークの芸術とは異なりますが、国際的なオリエンタリズムを特徴付ける偏った先入観に基づく評価はほとんどありません。

  • 「デンマーク黄金時代」を代表する画家のひとりであるヤアアン.ローズ(Jørgen Roed:1808-1888)の1836年の作品「ロスキレ大聖堂」です。ロスキレはコペンハーゲンの西30Kmにある都市です。ヤアアン.ローズは雪がない季節のロスキレ大聖堂の絵画も描いています。

    「デンマーク黄金時代」を代表する画家のひとりであるヤアアン.ローズ(Jørgen Roed:1808-1888)の1836年の作品「ロスキレ大聖堂」です。ロスキレはコペンハーゲンの西30Kmにある都市です。ヤアアン.ローズは雪がない季節のロスキレ大聖堂の絵画も描いています。

  • こちらもヤアアン.ローズの1842年の作品「フィレンツェのバルジェロ宮殿の中庭」です。この宮殿は、現在は美術館になっていて、ミケランジェロやドナテッロなどの彫刻作品が展示してあります。この画家も1837年から4年間イタリア旅行をしています。

    こちらもヤアアン.ローズの1842年の作品「フィレンツェのバルジェロ宮殿の中庭」です。この宮殿は、現在は美術館になっていて、ミケランジェロやドナテッロなどの彫刻作品が展示してあります。この画家も1837年から4年間イタリア旅行をしています。

  • デンマークの海洋画家イメーヌエル.ラースン(Emanuel Larsen:1823-1859)の1857年の作品「ニーホルムに停泊するフリゲート艦ニールス.ユール号」です。ニーホルムはコペンハーゲンの星型のカステレット要塞の対岸にある小さな島です。フリゲート艦ニールス.ユール号は、1855年竣工し1879年廃艦となています。ニールス.ユール号の前方には、廃船になっている3本マストの船が浮かんでいます。<br />

    デンマークの海洋画家イメーヌエル.ラースン(Emanuel Larsen:1823-1859)の1857年の作品「ニーホルムに停泊するフリゲート艦ニールス.ユール号」です。ニーホルムはコペンハーゲンの星型のカステレット要塞の対岸にある小さな島です。フリゲート艦ニールス.ユール号は、1855年竣工し1879年廃艦となています。ニールス.ユール号の前方には、廃船になっている3本マストの船が浮かんでいます。

  • マーティヌス.ラービュー(Martinus Rørbye:1803-1848)の1831年の作品「コペンハーゲンの監獄」です。ラービューは、王立アカデミーの奨学金を得て1834年からオランダ、フランスを経てイタリアに旅し、1837年までイタリアに滞在していました。監獄は絵画の中で両側のアーチ門に挟まれた建物です。この建築家C.F.ハンセンが設計した建物は、罪を犯そうとしている人に恐怖を与えています。建物の周りには、各自様々な行動をする人々が描かれています。注目は左手前を歩くマント姿で、左手に杖、右手に灯がついたランプを持つ男性です。

    マーティヌス.ラービュー(Martinus Rørbye:1803-1848)の1831年の作品「コペンハーゲンの監獄」です。ラービューは、王立アカデミーの奨学金を得て1834年からオランダ、フランスを経てイタリアに旅し、1837年までイタリアに滞在していました。監獄は絵画の中で両側のアーチ門に挟まれた建物です。この建築家C.F.ハンセンが設計した建物は、罪を犯そうとしている人に恐怖を与えています。建物の周りには、各自様々な行動をする人々が描かれています。注目は左手前を歩くマント姿で、左手に杖、右手に灯がついたランプを持つ男性です。

  • こちらも同じマーティヌス.ラービューの1845年の作品で「トルコ.コーヒー.ハウスと理髪店の外でチェスをする東洋人」です。左がトルコ.コーヒー.ハウスのようです。ラービューは、1837年迄のイタリア滞在中にイスタンブールを訪れているので、その時のスケッチなどを活用してこの絵を描いたのでしょう。

    こちらも同じマーティヌス.ラービューの1845年の作品で「トルコ.コーヒー.ハウスと理髪店の外でチェスをする東洋人」です。左がトルコ.コーヒー.ハウスのようです。ラービューは、1837年迄のイタリア滞在中にイスタンブールを訪れているので、その時のスケッチなどを活用してこの絵を描いたのでしょう。

  • デンマークの画家ピーター.ハンセン(Peter Hansen:1868-1928)の1908年の作品「エンガヴェ広場で遊ぶ子供達」です。鋭い社会意識、自由な色彩、そして現実にしっかりと固定された印象派の精神を備えたピーター.ハンセンは、コペンハーゲンの南西部にあるエンガヴェヴェイの自宅の外で遊んでいる子供たちを描いています。

    デンマークの画家ピーター.ハンセン(Peter Hansen:1868-1928)の1908年の作品「エンガヴェ広場で遊ぶ子供達」です。鋭い社会意識、自由な色彩、そして現実にしっかりと固定された印象派の精神を備えたピーター.ハンセンは、コペンハーゲンの南西部にあるエンガヴェヴェイの自宅の外で遊んでいる子供たちを描いています。

  • デンマークの画家兼イラストレーターであったエリック.ルドヴィグ.ヘニングセン(Erik Henningsen:1855 - 1930)の作品2点です。ヘニングセンは、社会主義的な現実主義者で貧しい人や弱者に寄り添った絵画を描いています。<br />これは1888年の作品で「衛兵交代」です。題名の衛兵交代より、興味なさそうに前を歩く子供達二人が目立ちます。右側の女の子の手を引く人物は、意識的に描かれていません。後ろの男の子は、左手にマグ.カップ、右手に野菜を入れた籠を持っています。

    デンマークの画家兼イラストレーターであったエリック.ルドヴィグ.ヘニングセン(Erik Henningsen:1855 - 1930)の作品2点です。ヘニングセンは、社会主義的な現実主義者で貧しい人や弱者に寄り添った絵画を描いています。
    これは1888年の作品で「衛兵交代」です。題名の衛兵交代より、興味なさそうに前を歩く子供達二人が目立ちます。右側の女の子の手を引く人物は、意識的に描かれていません。後ろの男の子は、左手にマグ.カップ、右手に野菜を入れた籠を持っています。

  • こちらは1892年の作品で「退去させられたテナント」です。立ち退くのは3人家族でしょうか。右側で父親らしき男性が警官らしき人物と話しをしています。母親と子供は心配そうにその方向を見ています。

    こちらは1892年の作品で「退去させられたテナント」です。立ち退くのは3人家族でしょうか。右側で父親らしき男性が警官らしき人物と話しをしています。母親と子供は心配そうにその方向を見ています。

  • デンマークの写実主義の画家オットー.バッケ(Otto Bache:1839-1927)の1878年の作品「旅館の外の一連の馬達」です。旅館の前にいる人々を切り取った写真です。赤い服を着てラッパを吹く男性は馬車の馭者でしょうか、左手に鞭のような竿とひざ掛けを持っているようです。バッケは、デンマークの歴史における重要な出来事を描いた事で知られています。一番奥で黒い帽子の男性は、スマホで写真を撮っているように見えます。

    デンマークの写実主義の画家オットー.バッケ(Otto Bache:1839-1927)の1878年の作品「旅館の外の一連の馬達」です。旅館の前にいる人々を切り取った写真です。赤い服を着てラッパを吹く男性は馬車の馭者でしょうか、左手に鞭のような竿とひざ掛けを持っているようです。バッケは、デンマークの歴史における重要な出来事を描いた事で知られています。一番奥で黒い帽子の男性は、スマホで写真を撮っているように見えます。

  • こちらは上掲の絵画の全景です。国立美術館のウェブサイトの &quot;https://www.smk.dk/en/&quot;から借画しました。馬の一軍が旅館の前を通って行きます。

    こちらは上掲の絵画の全景です。国立美術館のウェブサイトの "https://www.smk.dk/en/"から借画しました。馬の一軍が旅館の前を通って行きます。

  • クロード.モネらの印象派の画家の影響を受けたとされるデンマークの画家ペーダー.セヴェリン.クロイヤー(Peder Severin Krøyer:1851-1909)の1879年の作品「コンカルノーのイワシ缶詰工場」です。小さなイワシを1匹づつ処理する大変な作業です。作業者の前には、たくさんの未処理のイワシが入った箱が置いてあります。この画家は、次にジジババが訪れるヒアシュプロング美術館の創立者の支援を受けて外国旅行をしています。

    クロード.モネらの印象派の画家の影響を受けたとされるデンマークの画家ペーダー.セヴェリン.クロイヤー(Peder Severin Krøyer:1851-1909)の1879年の作品「コンカルノーのイワシ缶詰工場」です。小さなイワシを1匹づつ処理する大変な作業です。作業者の前には、たくさんの未処理のイワシが入った箱が置いてあります。この画家は、次にジジババが訪れるヒアシュプロング美術館の創立者の支援を受けて外国旅行をしています。

  • デンマークの画家ヴィゴ.クリスチャン.フレデリク.ヴィルヘルム.ペダーセン(Viggo Christian Frederik Vilhelm Pedersen:1854-1926)の1888年の作品で「居間の陽だまり」です。この画家の妻と子供と推定されています。ヴィゴ.ペダーセンは風景画を主体に、暖かな家族や、母子、子供などを描いています。

    デンマークの画家ヴィゴ.クリスチャン.フレデリク.ヴィルヘルム.ペダーセン(Viggo Christian Frederik Vilhelm Pedersen:1854-1926)の1888年の作品で「居間の陽だまり」です。この画家の妻と子供と推定されています。ヴィゴ.ペダーセンは風景画を主体に、暖かな家族や、母子、子供などを描いています。

  • デンマークの画家で同じ画家のアンナと結婚したミカエル.アンカー(Michael Ancher:1849-1927)の1882年の作品で「病気の女の子」です。ミカエル.アンカーは、肖像画を含め幅広いジャンルの絵画を描いていますが、特に過酷な仕事に従事する漁業者の作品が印象的です。

    デンマークの画家で同じ画家のアンナと結婚したミカエル.アンカー(Michael Ancher:1849-1927)の1882年の作品で「病気の女の子」です。ミカエル.アンカーは、肖像画を含め幅広いジャンルの絵画を描いていますが、特に過酷な仕事に従事する漁業者の作品が印象的です。

  • フィンランドの画家アルベルト.エデルフェルト(Albert Edelfelt:1854-1905)の1885年の作品で「夏の夕べのハマーの修理場」です。船の修理場に集まった子供達が、沖から向かって来る小舟を見つめています。エデルフェルトはフィンランドにおける写実主義の始祖の1人であり、パリで成功を収め国際的な評判を得た最初のフィンランド人美術家の1人でした。

    フィンランドの画家アルベルト.エデルフェルト(Albert Edelfelt:1854-1905)の1885年の作品で「夏の夕べのハマーの修理場」です。船の修理場に集まった子供達が、沖から向かって来る小舟を見つめています。エデルフェルトはフィンランドにおける写実主義の始祖の1人であり、パリで成功を収め国際的な評判を得た最初のフィンランド人美術家の1人でした。

  • 左側の子供達を拡大しました。

    左側の子供達を拡大しました。

  • ベルゲンに生まれたロマン派のノルウェーの画家ヨハン.クリスチャン.ダール(1788 - 1857)の1829年の作品「冬のフォーディングボーグ近くの大きな墓」です。犬と一緒に雪原を歩いている狩人は、煙突から煙が立ち上る藁葺き屋根の家の快適な暖かさから遠く離れる事はありません。絵の重要な要素は、古い樫の木の根元の前景にある巨石の古墳です。古代の古墳と樹木は、過去と現在の両方をつないでいます。

    ベルゲンに生まれたロマン派のノルウェーの画家ヨハン.クリスチャン.ダール(1788 - 1857)の1829年の作品「冬のフォーディングボーグ近くの大きな墓」です。犬と一緒に雪原を歩いている狩人は、煙突から煙が立ち上る藁葺き屋根の家の快適な暖かさから遠く離れる事はありません。絵の重要な要素は、古い樫の木の根元の前景にある巨石の古墳です。古代の古墳と樹木は、過去と現在の両方をつないでいます。

  • 犬と一緒に雪原を歩いている狩人と、煙突から煙が立ち上る藁葺き屋根の家を拡大しました。

    犬と一緒に雪原を歩いている狩人と、煙突から煙が立ち上る藁葺き屋根の家を拡大しました。

  • こちらもヨハン.クリスチャン.ダールの1826年の作品「遠浅海岸の日没」です。左側の多数の人々は、海岸近くに停泊する船から降りて来て砂浜にいるようです。

    こちらもヨハン.クリスチャン.ダールの1826年の作品「遠浅海岸の日没」です。左側の多数の人々は、海岸近くに停泊する船から降りて来て砂浜にいるようです。

  • ノルウェーの画家で作家でもあったクリスチャン.スクレアスヴィ(Christian Skredsvig:1854-1924)の1886年の作品で「ノルウェーの真夏の夕」です。漕ぎ手は手を止めて、タバコに火をつけているようです。船尾ではアコーディオンを演奏する男性がいます。この画家は自然主義を反映したスタイルを採っています。叙情的な描写の田舎の風景画で特によく知られています。

    ノルウェーの画家で作家でもあったクリスチャン.スクレアスヴィ(Christian Skredsvig:1854-1924)の1886年の作品で「ノルウェーの真夏の夕」です。漕ぎ手は手を止めて、タバコに火をつけているようです。船尾ではアコーディオンを演奏する男性がいます。この画家は自然主義を反映したスタイルを採っています。叙情的な描写の田舎の風景画で特によく知られています。

  • こちらは上掲の絵画の全景です。国立美術館のウェブサイトの &quot;https://www.smk.dk/&quot;から借画しました。鏡のように滑らかな湖面に映る小舟と背景の山並みです。

    こちらは上掲の絵画の全景です。国立美術館のウェブサイトの "https://www.smk.dk/"から借画しました。鏡のように滑らかな湖面に映る小舟と背景の山並みです。

  • イタリアのルネサンス期の画家アンドレア.マンテーニャ(Andrea Mantegna:1431-1506)作の「苦しむ救い主のキリスト」です。磔刑による傷を示すために手を広げたキリストは、細かく彫刻された古代の石棺から立ち上がろうとしています。キリストの体は金属色の白いドレープに包まれており、2人のひざまずく天使に支えられています。左側には墓の覆いが見え、背景は夕日の光の下の風景です。

    イタリアのルネサンス期の画家アンドレア.マンテーニャ(Andrea Mantegna:1431-1506)作の「苦しむ救い主のキリスト」です。磔刑による傷を示すために手を広げたキリストは、細かく彫刻された古代の石棺から立ち上がろうとしています。キリストの体は金属色の白いドレープに包まれており、2人のひざまずく天使に支えられています。左側には墓の覆いが見え、背景は夕日の光の下の風景です。

  • キリストの右側を拡大しました。遠くのゴルゴダの丘と手前の採石場が見え、2人の男性がスラブ、柱、彫像を加工しています。内部光源に照らされた洞窟の中には、更に2人の労働者が見えます。

    キリストの右側を拡大しました。遠くのゴルゴダの丘と手前の採石場が見え、2人の男性がスラブ、柱、彫像を加工しています。内部光源に照らされた洞窟の中には、更に2人の労働者が見えます。

  • キリストの左側も拡大しました。手前に羊飼いと牛がいる畑と、遠くに城壁都市エルサレムが見えます。2人の敬虔な女性がイエスの墓に辿り着く道を走っています。

    キリストの左側も拡大しました。手前に羊飼いと牛がいる畑と、遠くに城壁都市エルサレムが見えます。2人の敬虔な女性がイエスの墓に辿り着く道を走っています。

  • フィリッポ.リッピの息子であるフィリッピーノ.リッピ(Filippino Lippi:1457-1504) の作品「エルサレムの金門でのヨアキムとアンナの出会い」です。ヨアキムとアンナは、聖母マリアの両親です。天使の言葉に導かれ、エルサレムの金門で二人は再び出会います。子を授かった喜びを胸に抱き合います。フィリッピーノ.リッピは、最初は父親のフィリッポ.リッピ(1406-1469)に師事し、その後サンドロ.ボッティチェッリ(1445-1510)に師事しました。

    フィリッポ.リッピの息子であるフィリッピーノ.リッピ(Filippino Lippi:1457-1504) の作品「エルサレムの金門でのヨアキムとアンナの出会い」です。ヨアキムとアンナは、聖母マリアの両親です。天使の言葉に導かれ、エルサレムの金門で二人は再び出会います。子を授かった喜びを胸に抱き合います。フィリッピーノ.リッピは、最初は父親のフィリッポ.リッピ(1406-1469)に師事し、その後サンドロ.ボッティチェッリ(1445-1510)に師事しました。

  • 聖アンナと二人の侍女を拡大しました。

    聖アンナと二人の侍女を拡大しました。

  • これはロンドンのナショナル.ギャラリーで撮影したフィリッピーノ.リッピの作品で「左にサン.ジロラモと右にサン.ドメニコを従えた聖母子」です。リッピの特徴的な女性の顔が印象的です。

    これはロンドンのナショナル.ギャラリーで撮影したフィリッピーノ.リッピの作品で「左にサン.ジロラモと右にサン.ドメニコを従えた聖母子」です。リッピの特徴的な女性の顔が印象的です。

  • バロック最後期のイタリアの画家ジョヴァンニ.バッティスタ.ティエポロ(Giovanni  Battista Tiepolo:1696-1770)作の「クレオパトラを軍艦に案内するアントニオ」です。<br />

    バロック最後期のイタリアの画家ジョヴァンニ.バッティスタ.ティエポロ(Giovanni Battista Tiepolo:1696-1770)作の「クレオパトラを軍艦に案内するアントニオ」です。

  • 2015年春の旅でエディンバラのナショナル.ギャラリー.オヴ.スコットランドで撮影した同じ題材のパネル絵画です。こちらのシーンでは、アントニオはクレオパトラの手にキスをしています。このパネル画は、ヴェネツィアのラビア宮殿舞踏の間の西壁面を飾るフレスコ画(1750年に完成)の元絵になっていますが、フレスコ画ではアントニオは、デンマーク国立美術館のパネル画に近い立ち姿になっています。

    2015年春の旅でエディンバラのナショナル.ギャラリー.オヴ.スコットランドで撮影した同じ題材のパネル絵画です。こちらのシーンでは、アントニオはクレオパトラの手にキスをしています。このパネル画は、ヴェネツィアのラビア宮殿舞踏の間の西壁面を飾るフレスコ画(1750年に完成)の元絵になっていますが、フレスコ画ではアントニオは、デンマーク国立美術館のパネル画に近い立ち姿になっています。

  • これは2012年春の旅のヴェネツィアの写真ですが、カナル.グランデでサンタ.ルチア鉄道駅前から東へ600m程の所にある白い壁のラビア宮殿が中央左寄りに写っています。現在はテレビ.ラジオ放送会社が入っていますが、ティエポロのフレスコ画で飾られた舞踏の間は国際会議やサミットなどで迎賓の間として使われているそうです。一度見学しようと直接訪れましたが、前もって予約をすれば見学が可能との事でした。

    これは2012年春の旅のヴェネツィアの写真ですが、カナル.グランデでサンタ.ルチア鉄道駅前から東へ600m程の所にある白い壁のラビア宮殿が中央左寄りに写っています。現在はテレビ.ラジオ放送会社が入っていますが、ティエポロのフレスコ画で飾られた舞踏の間は国際会議やサミットなどで迎賓の間として使われているそうです。一度見学しようと直接訪れましたが、前もって予約をすれば見学が可能との事でした。

  • こちらもバッティスタ.ティエポロの1754年の作品でローマ神話の逸話に基づいています。ラティーヌスがアイネイアースに娘ラビニアを与え結婚させます。アイネイアースはトロイア戦争におけるトロイア側の武将で、トロイア滅亡後イタリア半島に逃れて後のローマ建国の祖となったといわれています。絵画では、アイネイアースがラビニアに指輪を差し出し、それをイネイアースの後ろでラティーヌスが見ています。

    こちらもバッティスタ.ティエポロの1754年の作品でローマ神話の逸話に基づいています。ラティーヌスがアイネイアースに娘ラビニアを与え結婚させます。アイネイアースはトロイア戦争におけるトロイア側の武将で、トロイア滅亡後イタリア半島に逃れて後のローマ建国の祖となったといわれています。絵画では、アイネイアースがラビニアに指輪を差し出し、それをイネイアースの後ろでラティーヌスが見ています。

  • フィレンツェに生まれバロック初期に活躍したイタリアの画家サンティ.ディ.ティトー(Santi di Tito:1536-1603)の作品「ポルキア.カトニスの姿の若い女性の肖像画」です。この画家には、肖像画、宗教画、神話画などの作品が残されています。ポルキア.カトニスは、ジュリオ.チェザーレ(ジュリアス.シーザー)の暗殺に加わったブルート(ブルートゥス)の2番目の妻でした。

    フィレンツェに生まれバロック初期に活躍したイタリアの画家サンティ.ディ.ティトー(Santi di Tito:1536-1603)の作品「ポルキア.カトニスの姿の若い女性の肖像画」です。この画家には、肖像画、宗教画、神話画などの作品が残されています。ポルキア.カトニスは、ジュリオ.チェザーレ(ジュリアス.シーザー)の暗殺に加わったブルート(ブルートゥス)の2番目の妻でした。

  • ヤコポ.ティントレットを父に持つ息子のドメニコ.ティントレット(Domenico Tintoretto:1560-1635)の作品で「キリストと罪人」です。シーンはヨハネ福音書からの引用です。『あなた達の中で罪を犯した事のない者が、先ず、この女に石を投げなさい』と説教する場面です。

    ヤコポ.ティントレットを父に持つ息子のドメニコ.ティントレット(Domenico Tintoretto:1560-1635)の作品で「キリストと罪人」です。シーンはヨハネ福音書からの引用です。『あなた達の中で罪を犯した事のない者が、先ず、この女に石を投げなさい』と説教する場面です。

  • ローマで活躍したバロック後期のイタリアの画家ジュゼッペ.バルトロメオ.キアリ(Giuseppe Bartolomeo Chiari:1654-1727)の1720年の作品「エジプトへの逃避途中での休息」です。絵画の下半分を拡大した写真です。

    ローマで活躍したバロック後期のイタリアの画家ジュゼッペ.バルトロメオ.キアリ(Giuseppe Bartolomeo Chiari:1654-1727)の1720年の作品「エジプトへの逃避途中での休息」です。絵画の下半分を拡大した写真です。

  • こちらは上掲の絵画の全景です。国立美術館のウェブサイトの &quot;https://www.smk.dk/&quot;から借画しました。聖母子と礼拝する天使の後ろにヨセフが立っています。

    こちらは上掲の絵画の全景です。国立美術館のウェブサイトの "https://www.smk.dk/"から借画しました。聖母子と礼拝する天使の後ろにヨセフが立っています。

  • イタリア北部のトレンティーノ出身で貴族の家族に生まれたジョヴァンニ.アントニオ.グアルディ(Giovanni Antonio Guardi:1699-1760)作の「クロリンダが見守る中、戦うタンクレドとアルガンテ」です。クロリンダは、16世紀イタリアの詩人トルクァート.タッソの叙事詩「エルサレム解放」に異教の女性戦士として登場する架空の人物です。彼女は、キリスト教国の十字軍からエルサレムを守る戦いに参加します。左側に十字軍の騎士タンクレドと中央に描かれた守備側の戦士アルガンテとの戦いを右の後方で見守っています。叙事詩ではタンクレドはクロリンダと恋しますが、後に誤ってクロリンダを殺してしまいます。そして死の直前にクロリンダはキリスト教に改宗しました。<br />画家のジョヴァンニ.アントニオ.グアルディは、父親を始め兄弟のフランチェスコやニコロと共に全員が画家でした。妹のマリア.チェチリアは、ジョヴァンニ.バッティスタ.ティエポロと結婚しています。

    イタリア北部のトレンティーノ出身で貴族の家族に生まれたジョヴァンニ.アントニオ.グアルディ(Giovanni Antonio Guardi:1699-1760)作の「クロリンダが見守る中、戦うタンクレドとアルガンテ」です。クロリンダは、16世紀イタリアの詩人トルクァート.タッソの叙事詩「エルサレム解放」に異教の女性戦士として登場する架空の人物です。彼女は、キリスト教国の十字軍からエルサレムを守る戦いに参加します。左側に十字軍の騎士タンクレドと中央に描かれた守備側の戦士アルガンテとの戦いを右の後方で見守っています。叙事詩ではタンクレドはクロリンダと恋しますが、後に誤ってクロリンダを殺してしまいます。そして死の直前にクロリンダはキリスト教に改宗しました。
    画家のジョヴァンニ.アントニオ.グアルディは、父親を始め兄弟のフランチェスコやニコロと共に全員が画家でした。妹のマリア.チェチリアは、ジョヴァンニ.バッティスタ.ティエポロと結婚しています。

  • 上掲の絵画の画家ジョヴァンニ.アントニオ.グアルディの弟のフランチェスコ.グアルディ(Francesco Guardi:1712-1793)の作品で「ヴェネツィアのブチントロ.フェスティバル」です。サン.マルコ運河では、ヴェネツィア総督の船であるイル.ブチントロが、その船首をスキアヴォーニ河岸に向けて航海しています。ドゥカーレ宮殿のピンク色のファサードとサン.マルコ聖堂の鐘楼が右手に見えます。総督の船では、国務大臣、貴族の代表者、著名な外国人客も乗船しています。昇天の日に海で行われる毎年恒例の総督の儀式を祝うためにリドで著名なパーティーが催されます。総督に同行する無数のゴンドラが海を埋め尽くしています。<br />フランチェスコ.グアルディは一生ヴェネツィアに住み、働き、その多くの祝祭と日常生活を彼のお気に入りのテーマにしました。<br />

    上掲の絵画の画家ジョヴァンニ.アントニオ.グアルディの弟のフランチェスコ.グアルディ(Francesco Guardi:1712-1793)の作品で「ヴェネツィアのブチントロ.フェスティバル」です。サン.マルコ運河では、ヴェネツィア総督の船であるイル.ブチントロが、その船首をスキアヴォーニ河岸に向けて航海しています。ドゥカーレ宮殿のピンク色のファサードとサン.マルコ聖堂の鐘楼が右手に見えます。総督の船では、国務大臣、貴族の代表者、著名な外国人客も乗船しています。昇天の日に海で行われる毎年恒例の総督の儀式を祝うためにリドで著名なパーティーが催されます。総督に同行する無数のゴンドラが海を埋め尽くしています。
    フランチェスコ.グアルディは一生ヴェネツィアに住み、働き、その多くの祝祭と日常生活を彼のお気に入りのテーマにしました。

  • ヴェネツィア総督の巨大で豪華な船「ブチントロ」を拡大しました。右が船首です。

    ヴェネツィア総督の巨大で豪華な船「ブチントロ」を拡大しました。右が船首です。

  • こちらは群がる多くの小船を拡大しました。左上隅にサンジョルジョマッジョーレ聖堂の鐘楼が見えています。

    こちらは群がる多くの小船を拡大しました。左上隅にサンジョルジョマッジョーレ聖堂の鐘楼が見えています。

  • 主に海景画を描いたオランダの画家シモン.デ.フリーヘル(Simon de Vlieger:1601-1653)の1652年頃の作品で「ロッテルダムを流れるマース川の風景」です。このマース川の河口に外港のフク.ファン.ホラントがあり、現在イギリスとオランダを結ぶ定期フェリーが頻繁に運行されています。

    主に海景画を描いたオランダの画家シモン.デ.フリーヘル(Simon de Vlieger:1601-1653)の1652年頃の作品で「ロッテルダムを流れるマース川の風景」です。このマース川の河口に外港のフク.ファン.ホラントがあり、現在イギリスとオランダを結ぶ定期フェリーが頻繁に運行されています。

  • 上掲のパネルの左下1/4を拡大しました。こちらの3艘は、オランダの帆走軍艦のようです。

    上掲のパネルの左下1/4を拡大しました。こちらの3艘は、オランダの帆走軍艦のようです。

  • こちらは右下1/4の拡大写真です。右の小船は沿海の貨物船のようです。中央遠くの街並みの中に、教会らしき建物も見えます。

    こちらは右下1/4の拡大写真です。右の小船は沿海の貨物船のようです。中央遠くの街並みの中に、教会らしき建物も見えます。

  • オランダ美術の黄金時代の画家で海景画や冬の風景画を多く描いたヘンドリック.ダベルズ(Hendrick Jacobsz Dubbels:1620-1707)作の「オランダの停泊地の眺め」です。手前の浅瀬から艀に貨物を積み込んで、沖合に停泊する軍艦らしい帆船に運搬するのでしょうか。

    オランダ美術の黄金時代の画家で海景画や冬の風景画を多く描いたヘンドリック.ダベルズ(Hendrick Jacobsz Dubbels:1620-1707)作の「オランダの停泊地の眺め」です。手前の浅瀬から艀に貨物を積み込んで、沖合に停泊する軍艦らしい帆船に運搬するのでしょうか。

  • 教会内部を描いた作品で知られているオランダの画家エマヌエル.デ.ウィッテ(Emanuel de Witte:1617-1692)の1680年の作品「アムステルダムの旧教会」です。この建物は中央駅南の歓楽街にあり、13世紀に建てられたアムステルダムで最も古い建物になっています。現在は建築遺産、美術館、教会であり、オランダで最も新しい現代美術の関連団体も入っています。縦長のパネルの下半分を切り取って撮影しました。

    教会内部を描いた作品で知られているオランダの画家エマヌエル.デ.ウィッテ(Emanuel de Witte:1617-1692)の1680年の作品「アムステルダムの旧教会」です。この建物は中央駅南の歓楽街にあり、13世紀に建てられたアムステルダムで最も古い建物になっています。現在は建築遺産、美術館、教会であり、オランダで最も新しい現代美術の関連団体も入っています。縦長のパネルの下半分を切り取って撮影しました。

  • オランダの数学者、画家、建築家であったルトガー.フォン.レンガーフェルド (Rutger van Langevelt:1635-1695)の1659年の作品「オランダの教会の内部」です。

    オランダの数学者、画家、建築家であったルトガー.フォン.レンガーフェルド (Rutger van Langevelt:1635-1695)の1659年の作品「オランダの教会の内部」です。

  • アメリカ大陸の風景を描いた最初のヨーロッパ人画家であるオランダの画家フランス.ポスト(Frans Janszoon Post:1612-1680)の1660年の作品「ブラジルの砂糖農園の風景」です。フランス.ポストは、オランダが領有していたブラジル内の植民地で1637年から6年間滞在していました。

    アメリカ大陸の風景を描いた最初のヨーロッパ人画家であるオランダの画家フランス.ポスト(Frans Janszoon Post:1612-1680)の1660年の作品「ブラジルの砂糖農園の風景」です。フランス.ポストは、オランダが領有していたブラジル内の植民地で1637年から6年間滞在していました。

  • 静物画や肖像画を多く手がけたオランダの黄金時代の画家ディルク.フォルケンブルグ(Dirk Valkenburg:1675-1721)の1707年頃の作品「スリナムの砂糖農園での奴隷の&quot;遊び&quot;」で、「奴隷の踊り」とも名付けられています。シーンは、1706-08年にファルケンブルグが滞在したスリナムのオランダ植民地(南米のオランダ.ガイアナ)で見かけた情景です。縦長のパネルの下半分を切り取って撮影しました。

    静物画や肖像画を多く手がけたオランダの黄金時代の画家ディルク.フォルケンブルグ(Dirk Valkenburg:1675-1721)の1707年頃の作品「スリナムの砂糖農園での奴隷の"遊び"」で、「奴隷の踊り」とも名付けられています。シーンは、1706-08年にファルケンブルグが滞在したスリナムのオランダ植民地(南米のオランダ.ガイアナ)で見かけた情景です。縦長のパネルの下半分を切り取って撮影しました。

  • こちらは上掲の絵画の全景です。国立美術館のウェブサイトの &quot;https://www.smk.dk/&quot;から借画しました。人々の右後方の家屋の屋根に立つ竿に棚引く白長い布は、何なのでしょうか?

    こちらは上掲の絵画の全景です。国立美術館のウェブサイトの "https://www.smk.dk/"から借画しました。人々の右後方の家屋の屋根に立つ竿に棚引く白長い布は、何なのでしょうか?

  • ライデンに生まれたオランダの画家ヘリット.ドウ(Gerrit Dou:1613-1675)の1645年頃の作品「台所の様子」です。ヘリット.ドウは15歳から3年間、レンブラントの門弟として修業し、一生ライデンで活躍しました。

    ライデンに生まれたオランダの画家ヘリット.ドウ(Gerrit Dou:1613-1675)の1645年頃の作品「台所の様子」です。ヘリット.ドウは15歳から3年間、レンブラントの門弟として修業し、一生ライデンで活躍しました。

  • これは2015年春の旅でロッテルダムのボイマンス.ファン. ベーニンゲン美術館で撮影したヘリット.ドウの1667年の作品で「化粧室の若い婦人」です。<br />

    これは2015年春の旅でロッテルダムのボイマンス.ファン. ベーニンゲン美術館で撮影したヘリット.ドウの1667年の作品で「化粧室の若い婦人」です。

  • ライデンに生まれオランダの黄金時代のジャンルと肖像画家として活躍したフランス.ファン.ミーリス.ジ.エルダー(Frans van Mieris, the Elder:1635-1681)作の制作年不詳の作品で「ビールを買いに少年を送る」です。少年は大きなビール.マグを持ち、老婦人が手作業を止めてコインを少年に渡そうとしています。この老夫婦の子供にしては若すぎます。お手伝いの少年でしょうか。

    ライデンに生まれオランダの黄金時代のジャンルと肖像画家として活躍したフランス.ファン.ミーリス.ジ.エルダー(Frans van Mieris, the Elder:1635-1681)作の制作年不詳の作品で「ビールを買いに少年を送る」です。少年は大きなビール.マグを持ち、老婦人が手作業を止めてコインを少年に渡そうとしています。この老夫婦の子供にしては若すぎます。お手伝いの少年でしょうか。

  • 同じ画家の1660年の作品を2015年春の旅でデン.ハーグのマウリッツハイス美術館で撮影した作品「女性が抱いたペットの犬をからかう男」です。

    同じ画家の1660年の作品を2015年春の旅でデン.ハーグのマウリッツハイス美術館で撮影した作品「女性が抱いたペットの犬をからかう男」です。

  • ディルク.ファン.デーレン(Dirck van Delen:1605-1671)<br />主に宮殿や教会の内部を描いた建築画に特化したオランダの画家ディルク.ファン.デーレン(Dirck van Delen, Dutch:1605-1671)の1644年の作品で「宮殿の前の優雅な人々」です。

    ディルク.ファン.デーレン(Dirck van Delen:1605-1671)
    主に宮殿や教会の内部を描いた建築画に特化したオランダの画家ディルク.ファン.デーレン(Dirck van Delen, Dutch:1605-1671)の1644年の作品で「宮殿の前の優雅な人々」です。

  • 寓意、ジャンルの主題、肖像画と多才なオランダ黄金時代の画家エイドリアン.ファン.デ.ヴェンヌ(Adriaen van de Venne:1589-1662)の1635年の作品「一緒にどれだけ上手くやれるか」です。人間の服を着た2匹のフクロウです。1匹はこの時期にオランダの漁師や農民が着ていた青い羊毛の帽子をかぶっており、もう1匹は商人クラスの間で流行のラフと冬に女性が着ている種類の黒いマントを着ています。2羽の鳥は冬の風景を背景に氷の上を滑っています。16,17世紀には、フクロウは冬と関係がある鳥でした。

    寓意、ジャンルの主題、肖像画と多才なオランダ黄金時代の画家エイドリアン.ファン.デ.ヴェンヌ(Adriaen van de Venne:1589-1662)の1635年の作品「一緒にどれだけ上手くやれるか」です。人間の服を着た2匹のフクロウです。1匹はこの時期にオランダの漁師や農民が着ていた青い羊毛の帽子をかぶっており、もう1匹は商人クラスの間で流行のラフと冬に女性が着ている種類の黒いマントを着ています。2羽の鳥は冬の風景を背景に氷の上を滑っています。16,17世紀には、フクロウは冬と関係がある鳥でした。

  • これもファン.デ.ヴェンヌのグリザイユ画(単色画)の「ストリート.シンガー」です。樽の上に敷いた板の上で男女二人が歌っています。

    これもファン.デ.ヴェンヌのグリザイユ画(単色画)の「ストリート.シンガー」です。樽の上に敷いた板の上で男女二人が歌っています。

  • こちらは2015年春の旅でアムステルダムの国立美術館(Rijksmuseum)で撮影したファン.デ.ヴェンヌの1618年の作品「ヴァルケンブルグ馬見本市でのオレンジ家のマウリッツ.ファン.ナッサウ王子(1567-1625)と異母弟のフレデリック.ヘンドリック王子(1584-1647)」です。ヴァルケンブルグは、オランダの最南端にある城塞都市です。

    こちらは2015年春の旅でアムステルダムの国立美術館(Rijksmuseum)で撮影したファン.デ.ヴェンヌの1618年の作品「ヴァルケンブルグ馬見本市でのオレンジ家のマウリッツ.ファン.ナッサウ王子(1567-1625)と異母弟のフレデリック.ヘンドリック王子(1584-1647)」です。ヴァルケンブルグは、オランダの最南端にある城塞都市です。

  • オランダの風景画家サロモン.ファン.ロイスダール(Salomon van Ruysdael:1602-1670)の1652年の作品「川沿いの道」です。ファン.ロイスダールは、特に海岸や川沿いの景観画を多く残しています。画面の中央に川沿いに生えた大木を置き、左に川面、右に道路を配置しています。この絵画は描いた場所は特定されていませんが、川辺の土面の高さは、水面から僅かしか高くありません。

    オランダの風景画家サロモン.ファン.ロイスダール(Salomon van Ruysdael:1602-1670)の1652年の作品「川沿いの道」です。ファン.ロイスダールは、特に海岸や川沿いの景観画を多く残しています。画面の中央に川沿いに生えた大木を置き、左に川面、右に道路を配置しています。この絵画は描いた場所は特定されていませんが、川辺の土面の高さは、水面から僅かしか高くありません。

  • 画面左側の川面を拡大しました。家畜も渡し船で運んでいます。水面は鏡のように凪いでいます。

    画面左側の川面を拡大しました。家畜も渡し船で運んでいます。水面は鏡のように凪いでいます。

  • こちらは画面の右側で道路を走る馬車を中心に拡大しました。木々の間には、塔も含め建物が見え隠れしています。

    こちらは画面の右側で道路を走る馬車を中心に拡大しました。木々の間には、塔も含め建物が見え隠れしています。

  • これは2015年春の旅でロンドンのナショナルギャラリーで撮影したファン.ロイスダールの1657年の作品で「北西から見たデフェンターの眺め」です。デフェンターは、オランダ東部の内陸の町です。町の中央部をアイセル川が北北西に流れ、アムステルダム北東にあるケーテル湖、エイセル湖を経由して北海と繋がっています。遠くに見える塔がある建物は、聖レブイヌス教会のようです。

    これは2015年春の旅でロンドンのナショナルギャラリーで撮影したファン.ロイスダールの1657年の作品で「北西から見たデフェンターの眺め」です。デフェンターは、オランダ東部の内陸の町です。町の中央部をアイセル川が北北西に流れ、アムステルダム北東にあるケーテル湖、エイセル湖を経由して北海と繋がっています。遠くに見える塔がある建物は、聖レブイヌス教会のようです。

  • オランダの画家ヘラルト.ファン.ホントホルスト(Gerard van Honthorst:1592-1656)の1623年の作品「蝋燭の周りの歌唱グループ」です。右のリュート奏者の伴奏で左の3人が歌っています。ファン.ホントルストはローマのサンタ.マリア.デル.ポポロ教会で、聖ペテロの磔を描いたカラヴァッジョの大きな祭壇画を模写しました。彼は直ぐに、ドラマチックな照明でカラヴァッジャの夜のシーンをマスターしています。

    オランダの画家ヘラルト.ファン.ホントホルスト(Gerard van Honthorst:1592-1656)の1623年の作品「蝋燭の周りの歌唱グループ」です。右のリュート奏者の伴奏で左の3人が歌っています。ファン.ホントルストはローマのサンタ.マリア.デル.ポポロ教会で、聖ペテロの磔を描いたカラヴァッジョの大きな祭壇画を模写しました。彼は直ぐに、ドラマチックな照明でカラヴァッジャの夜のシーンをマスターしています。

  • 2014年秋のイタリアの旅で撮影したカラヴァッジョの「聖ペテロの磔」です。大きくはない礼拝所の左側の壁面を飾るパネルなので、礼拝所の前からだと、このようにしか写せません。

    2014年秋のイタリアの旅で撮影したカラヴァッジョの「聖ペテロの磔」です。大きくはない礼拝所の左側の壁面を飾るパネルなので、礼拝所の前からだと、このようにしか写せません。

  • レンブラントを師としたオランダの画家フェルディナント.ボル(Ferdinand Bol:1616?1680)の1644年の作品「キリストの墓の周りの女性達」です。この画家は、歴史的な題材や肖像画等を好んで手掛けました。この作品はルカ福音書から題材を採っています。聖金曜日の次の月曜日の夜明け前にガリラヤから墓に到着した女性達はキリストの墓を見に行きましたが棺は空でした。そこに突然、稲妻のように輝く服を着た二人の男性が現れ、「貴方方が探している人はここにはいません」と告げます。この絵画では男性を翼を付けた天使のように描いています。

    レンブラントを師としたオランダの画家フェルディナント.ボル(Ferdinand Bol:1616?1680)の1644年の作品「キリストの墓の周りの女性達」です。この画家は、歴史的な題材や肖像画等を好んで手掛けました。この作品はルカ福音書から題材を採っています。聖金曜日の次の月曜日の夜明け前にガリラヤから墓に到着した女性達はキリストの墓を見に行きましたが棺は空でした。そこに突然、稲妻のように輝く服を着た二人の男性が現れ、「貴方方が探している人はここにはいません」と告げます。この絵画では男性を翼を付けた天使のように描いています。

  • 天使姿の男性二人を拡大しました。棺の前に散らばっているのは墓を守っていた兵士の装備です。

    天使姿の男性二人を拡大しました。棺の前に散らばっているのは墓を守っていた兵士の装備です。

  • フランスの画家ルイ=レオポルド.ボワイー(Louis-Léopold Boilly:1761-1845)の作品で「贈り物」です。この画家は、主に肖像画を中心に絵画を描き、中流階級の人々の生活などを題材としました。

    フランスの画家ルイ=レオポルド.ボワイー(Louis-Léopold Boilly:1761-1845)の作品で「贈り物」です。この画家は、主に肖像画を中心に絵画を描き、中流階級の人々の生活などを題材としました。

  • 肖像画、風俗画、宗教作品を描いたフランスの画家クロード.ヴィニョン(Claude Vignon:1593-1670)の1625年の作品で旧約聖書から題材を採った「ロトと娘達」です。

    肖像画、風俗画、宗教作品を描いたフランスの画家クロード.ヴィニョン(Claude Vignon:1593-1670)の1625年の作品で旧約聖書から題材を採った「ロトと娘達」です。

  • フランドル、フランスやオランダの画家の作品を展示する部屋の一つです。大きなガラス屋根からの自然光を取り入れる構造になっています。

    フランドル、フランスやオランダの画家の作品を展示する部屋の一つです。大きなガラス屋根からの自然光を取り入れる構造になっています。

  • バロック期のフランドルの画家ピーテル.パウル.ルーベンス(Peter Paul Rubens:1577-1640) の1617年頃の作品「ソロモンの判決」です。物語は旧約聖書の列王記に記載されています。2人の娼婦はそれぞれ3日間隔で生まれた男の子を産みます。男の子の1人が亡くなり、両方の女性が生きている子供は自分の子であると主張します。賢明なソロモン王は、それぞれの女性が平等に分け合う事ができるように、子供を半分に切るべきだと判定します。女性の1人は判決を受け入れ、もう1人は子供の救命を嘆願し、それによって自分が本当の母親である事が判明します。ルーベンスは手の言葉で物語を語ります。ソロモンの右手は笏に乗っており、左手は引き抜かれた剣を持った男を指さし、男は左手で子供の足をつかんでいます。物語は真の母親の哀願で広げられた手で続けられ、シーンから身を引こうとしているように見える偽の母親のスカートを引っ張る手で終わります。

    バロック期のフランドルの画家ピーテル.パウル.ルーベンス(Peter Paul Rubens:1577-1640) の1617年頃の作品「ソロモンの判決」です。物語は旧約聖書の列王記に記載されています。2人の娼婦はそれぞれ3日間隔で生まれた男の子を産みます。男の子の1人が亡くなり、両方の女性が生きている子供は自分の子であると主張します。賢明なソロモン王は、それぞれの女性が平等に分け合う事ができるように、子供を半分に切るべきだと判定します。女性の1人は判決を受け入れ、もう1人は子供の救命を嘆願し、それによって自分が本当の母親である事が判明します。ルーベンスは手の言葉で物語を語ります。ソロモンの右手は笏に乗っており、左手は引き抜かれた剣を持った男を指さし、男は左手で子供の足をつかんでいます。物語は真の母親の哀願で広げられた手で続けられ、シーンから身を引こうとしているように見える偽の母親のスカートを引っ張る手で終わります。

  • こちらもバロック期のフランドルの画家のヤーコブ.ヨルダーンス(Jacob Jordaens:1593-1678)の作品です。聖マタイによる福音書からの題材で「魚の口の中で貢の銭を見つける使徒ペテロ」です。イエスは使徒ペテロをカペナウムの湖に送りました。そこで彼は奇跡的に最初に掴んだ魚の口にコインを見つけました。コインは、イエスと彼の弟子たちがエルサレムの神殿に強制的に貢がされるお金になりました。聖書の話しよりも、17世紀のフランダースの日常生活にはるかに関係している渡し船は、パネルの大部分を占めています。舷縁が水面すれすれです。船にはあらゆる年齢や国籍の乗客や動物がたくさん乗っています。そのため「アントワープへの渡し船」と別名が付けられています。

    こちらもバロック期のフランドルの画家のヤーコブ.ヨルダーンス(Jacob Jordaens:1593-1678)の作品です。聖マタイによる福音書からの題材で「魚の口の中で貢の銭を見つける使徒ペテロ」です。イエスは使徒ペテロをカペナウムの湖に送りました。そこで彼は奇跡的に最初に掴んだ魚の口にコインを見つけました。コインは、イエスと彼の弟子たちがエルサレムの神殿に強制的に貢がされるお金になりました。聖書の話しよりも、17世紀のフランダースの日常生活にはるかに関係している渡し船は、パネルの大部分を占めています。舷縁が水面すれすれです。船にはあらゆる年齢や国籍の乗客や動物がたくさん乗っています。そのため「アントワープへの渡し船」と別名が付けられています。

  • これもバロック期のフランドルの画家でセバスチャン.ヴランクス(Sebastian Vrancx:1573-1647)の1620年頃の作品で「イタリアの別荘でのご馳走」です。ゲストが到着しています。前景左手では、紳士が下馬したばかりで、高貴な女性に挨拶します。右側では、キューピッドを伴った愛の女神ヴィーナスの噴水の前で、室内オーケストラが演奏してます。楽団の後ろには、芸人の一団がいます。後方では、オープン.パビリオンでのごちそうのために長いテーブルが配置されており、乳母が階段で子供をあやしています。この種の絵画は、雅宴のモチーフとして知られていますが、テーマはもともと放蕩息子についての聖書の物語の描写から生まれました。そしてそれはしばしば飲酒と淫行に対する道徳的な警告を取り入れました。

    これもバロック期のフランドルの画家でセバスチャン.ヴランクス(Sebastian Vrancx:1573-1647)の1620年頃の作品で「イタリアの別荘でのご馳走」です。ゲストが到着しています。前景左手では、紳士が下馬したばかりで、高貴な女性に挨拶します。右側では、キューピッドを伴った愛の女神ヴィーナスの噴水の前で、室内オーケストラが演奏してます。楽団の後ろには、芸人の一団がいます。後方では、オープン.パビリオンでのごちそうのために長いテーブルが配置されており、乳母が階段で子供をあやしています。この種の絵画は、雅宴のモチーフとして知られていますが、テーマはもともと放蕩息子についての聖書の物語の描写から生まれました。そしてそれはしばしば飲酒と淫行に対する道徳的な警告を取り入れました。

  • 右側の楽団や芸人達、それを取り巻くゲストを拡大しました。<br />セバスチャン.ヴランクスは、戦闘場面や寓意画、宴会や祭りの行事のシーンなど幅広い題材の絵画を描いています。

    右側の楽団や芸人達、それを取り巻くゲストを拡大しました。
    セバスチャン.ヴランクスは、戦闘場面や寓意画、宴会や祭りの行事のシーンなど幅広い題材の絵画を描いています。

  • ブラバント公国(現在のオランダ)の画家ピーテル.ブリューゲル (子)(Pieter Brueghel the Younger:1564-1636)の作品「ゴルゴタへの道を行くキリスト」です。右上のゴルゴダの丘は黒雲に覆われています。

    ブラバント公国(現在のオランダ)の画家ピーテル.ブリューゲル (子)(Pieter Brueghel the Younger:1564-1636)の作品「ゴルゴタへの道を行くキリスト」です。右上のゴルゴダの丘は黒雲に覆われています。

  • 十字架を担がされ、苦しみながら歩くキリストです。白布を持つ聖女ヴェロニカがキリストの右前に見えます。一人の男性が十字架を支えています。<br />父親のピーテル.ブリューゲルの作品を数多く模写したことで知られていますが、この「ゴルゴタへの道を行くキリスト」は独自の作品のようです。

    十字架を担がされ、苦しみながら歩くキリストです。白布を持つ聖女ヴェロニカがキリストの右前に見えます。一人の男性が十字架を支えています。
    父親のピーテル.ブリューゲルの作品を数多く模写したことで知られていますが、この「ゴルゴタへの道を行くキリスト」は独自の作品のようです。

  • これは2013年秋の旅でウィーンの美術史美術館で撮影した父親のピーテル.ブリューゲルの同名の1564年の作品です。中央に十字架とキリストが、右手前に聖母マリアが描かれています。

    これは2013年秋の旅でウィーンの美術史美術館で撮影した父親のピーテル.ブリューゲルの同名の1564年の作品です。中央に十字架とキリストが、右手前に聖母マリアが描かれています。

  • 十字架を担がされているキリストを拡大しました。こちらには聖女ヴェロニカは描かれていませんが、十字架を持ち上げようとキリストを助ける男達が描かれています。

    十字架を担がされているキリストを拡大しました。こちらには聖女ヴェロニカは描かれていませんが、十字架を持ち上げようとキリストを助ける男達が描かれています。

  • この絵画「神殿から商人を追い払うキリスト」は、ピーテル.ブリューゲル(父)やヒエロニムス.ボスの追従者が関係していると言われています。また同じような作品が他に3点あるそうです。

    この絵画「神殿から商人を追い払うキリスト」は、ピーテル.ブリューゲル(父)やヒエロニムス.ボスの追従者が関係していると言われています。また同じような作品が他に3点あるそうです。

  • 神殿の外、左側で実演して薬を売っている男と集まった人々を拡大しました。

    神殿の外、左側で実演して薬を売っている男と集まった人々を拡大しました。

  • こちらは今回の北欧.バルトの旅でエストニア.タリンのカドリオルグ美術館で撮影した1枚です。右端に、絵画を護るガラスの反射が写り込んでしまいました。

    こちらは今回の北欧.バルトの旅でエストニア.タリンのカドリオルグ美術館で撮影した1枚です。右端に、絵画を護るガラスの反射が写り込んでしまいました。

  • こちらは2015年春の旅で、イギリスのグラスゴー美術館で撮影した作品で、他の2枚と異なり、縦長になっています。神殿の外観も異なっていますが、こちらの方がヒエロニムス.ボスの作風に似ています。

    こちらは2015年春の旅で、イギリスのグラスゴー美術館で撮影した作品で、他の2枚と異なり、縦長になっています。神殿の外観も異なっていますが、こちらの方がヒエロニムス.ボスの作風に似ています。

  • 室内画を得意とし、一般市民の日常的な姿を描いたドイツの画家ゲオルク.フリードリヒ.ケルスティンク(Georg Friedrich Kersting:1785-1847)の1808年の作品「コペンハーゲン近くのフレデリックスベア.ガーデンの滝」です。フレデリックスベア.ガーデンは、コペンハーゲンの西の郊外にある、フレデリックスベア宮殿を囲む庭園です。現在、庭園内には動物園もあります。この写真は絵画の下半分を写したものです。

    室内画を得意とし、一般市民の日常的な姿を描いたドイツの画家ゲオルク.フリードリヒ.ケルスティンク(Georg Friedrich Kersting:1785-1847)の1808年の作品「コペンハーゲン近くのフレデリックスベア.ガーデンの滝」です。フレデリックスベア.ガーデンは、コペンハーゲンの西の郊外にある、フレデリックスベア宮殿を囲む庭園です。現在、庭園内には動物園もあります。この写真は絵画の下半分を写したものです。

  • オーストリアのロココの画家ヨハン.ヴォルフガング.バウムガルトナー(Johann Wolfgang Baumgartner:1712-1761)の作品で「娼婦と暮らす放蕩息子」です。聖書の物語を描いたバウムガルトナーの絵では、放蕩息子は自己を失っている事をまだ認識していません。女性、ワイン、音楽の魅力に夢中になり、彼は堕落の暗い側面に注意を払っていません。バウムガルトナーのこの小さな油絵では、ロカイユ(岩・貝などをかたどった曲線状の装飾文様)を絵の外枠としてだけでなく、それ自体のモチーフとして使用しています。ロココの典型的な装飾の一種であるロカイユは、場面内の建築に巻き込まれています。波の子として、貝殻の姉妹であり、サンゴの双子であるロカイユは、放蕩息子が迷子になっている事をまだ知らないバウムガルトナーのパステル.カラーの宇宙の中でくつろいでいます。

    オーストリアのロココの画家ヨハン.ヴォルフガング.バウムガルトナー(Johann Wolfgang Baumgartner:1712-1761)の作品で「娼婦と暮らす放蕩息子」です。聖書の物語を描いたバウムガルトナーの絵では、放蕩息子は自己を失っている事をまだ認識していません。女性、ワイン、音楽の魅力に夢中になり、彼は堕落の暗い側面に注意を払っていません。バウムガルトナーのこの小さな油絵では、ロカイユ(岩・貝などをかたどった曲線状の装飾文様)を絵の外枠としてだけでなく、それ自体のモチーフとして使用しています。ロココの典型的な装飾の一種であるロカイユは、場面内の建築に巻き込まれています。波の子として、貝殻の姉妹であり、サンゴの双子であるロカイユは、放蕩息子が迷子になっている事をまだ知らないバウムガルトナーのパステル.カラーの宇宙の中でくつろいでいます。

  • ルネサンス期のドイツの画家ルーカス.クラナッハ(父)(Lucas Cranach the Elder:1472頃-1553)の1532年の作品で「憂鬱」です。3人の裸の男の子は、小さすぎるかもしれないフープに木の棒を使いボールを押し込もうとします。翼のある女性は、新たなフープを作り始めながら子供達の活動を観察しています。左上には豚や羊に乗った裸の人々が走っています。翼のある女性は伝統的に憂鬱と解釈されています。クラナッハの絵画の謎めいた性質は、それを個々の鑑賞者の解釈に委ねています。

    ルネサンス期のドイツの画家ルーカス.クラナッハ(父)(Lucas Cranach the Elder:1472頃-1553)の1532年の作品で「憂鬱」です。3人の裸の男の子は、小さすぎるかもしれないフープに木の棒を使いボールを押し込もうとします。翼のある女性は、新たなフープを作り始めながら子供達の活動を観察しています。左上には豚や羊に乗った裸の人々が走っています。翼のある女性は伝統的に憂鬱と解釈されています。クラナッハの絵画の謎めいた性質は、それを個々の鑑賞者の解釈に委ねています。

  • こちらもルーカス.クラナッハ(父)の作品で「ザクセンの賢王フレデリック(1463-1525)選帝侯のスタグ.ハント」です。クラナッハの時代には、猟犬や馬での狩猟は君主と貴族の特権でした。実際、このスポーツへの参加は必須でした。なぜなら、狩猟は戦闘技術の鍛錬でもあったからです。スタグ.ハントは、ゲーム理論で保証ゲーム、または共通の利益のゲームと呼ばれるものです。

    こちらもルーカス.クラナッハ(父)の作品で「ザクセンの賢王フレデリック(1463-1525)選帝侯のスタグ.ハント」です。クラナッハの時代には、猟犬や馬での狩猟は君主と貴族の特権でした。実際、このスポーツへの参加は必須でした。なぜなら、狩猟は戦闘技術の鍛錬でもあったからです。スタグ.ハントは、ゲーム理論で保証ゲーム、または共通の利益のゲームと呼ばれるものです。

  • これも同じルーカス.クラナッハ(父)の作品で「子供の聖ヨハネに愛された聖母子」です。聖ヨハネは通常十字架を持って描かれますが、この絵にはありません。

    これも同じルーカス.クラナッハ(父)の作品で「子供の聖ヨハネに愛された聖母子」です。聖ヨハネは通常十字架を持って描かれますが、この絵にはありません。

  • 風景画や海洋画を描いたドイツの画家アドルフ.フリードリヒ.フォルマー(Adolph Friedrich Vollmer:1806-1875)の1832年の作品です。逆風の中を航送する帆船を描いています。

    風景画や海洋画を描いたドイツの画家アドルフ.フリードリヒ.フォルマー(Adolph Friedrich Vollmer:1806-1875)の1832年の作品です。逆風の中を航送する帆船を描いています。

  • 本館の背後に接続して新しく1998年に建てられた別館との接続部分です。本館と新館を繋ぐ2階の空中通路から見下ろしています。この写真では、右側が本館で左側が新館です。両建物は直接接続せずに空間を置き、ガラス屋根で覆っています。

    本館の背後に接続して新しく1998年に建てられた別館との接続部分です。本館と新館を繋ぐ2階の空中通路から見下ろしています。この写真では、右側が本館で左側が新館です。両建物は直接接続せずに空間を置き、ガラス屋根で覆っています。

  • 新館に移り、新館1階の階段ホールを見下ろしています。

    新館に移り、新館1階の階段ホールを見下ろしています。

  • こちらは真下のカフェテリアを見下ろしています。

    こちらは真下のカフェテリアを見下ろしています。

  • 1時半になり館内の絵画鑑賞を終えたので、1階のカフェテリアで簡単な昼食にしました。サラダとチーズ.サンドイッチです。

    1時半になり館内の絵画鑑賞を終えたので、1階のカフェテリアで簡単な昼食にしました。サラダとチーズ.サンドイッチです。

  • 本館1階の吹き抜けの大ホールです。左側が美術館の入り口になります。

    本館1階の吹き抜けの大ホールです。左側が美術館の入り口になります。

  • 大ホールの脇にUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の展示がありました。地中海を渡ってくる難民を表現しているのでしょうか?<br />これから3番目のヒアシュプロング美術館に向かいますが、次の旅行記にタスキを渡します。

    大ホールの脇にUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の展示がありました。地中海を渡ってくる難民を表現しているのでしょうか?
    これから3番目のヒアシュプロング美術館に向かいますが、次の旅行記にタスキを渡します。

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