2016/09/20 - 2016/10/14
235位(同エリア673件中)
さわ子さん
2016年秋、羽田からスカンディナヴィア航空でコペンハーゲン経由オスロに到着し、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、エストニア、ラトヴィア、リトアニア、デンマークとヨーロッパ7カ国を訪問し、コペンハーゲンから羽田に帰って来ました。今回も絵画鑑賞が主な目的の再訪です。
旅程の概略です。
★ 9月20日 羽田からスカンディナヴィア航空でコペンハーゲン経由でオスロへ。オスロ泊。
★ 9月21~22日 オスロ泊。
★ 9月23~24日 ベルゲン泊。
★ 9月25日 フロム泊。
★ 9月26日 ベルゲン泊。
★ 9月27~28日 ストックホルム泊。
★ 9月29日 船中泊。
★ 9月30日~10月1日 ヘルシンキ泊。
★ 10月2~4日 タリン泊。
★ 10月5~7日 リガ泊。
★ 10月8~10日 ヴィルニュス泊。
★ 10月11~12日 コペンハーゲン泊。
★ 10月13日 コペンハーゲン空港からスカンディナヴィア航空で羽田へ。
この23回目の旅行記は、リトアニアのヴィリニュスを街歩きした記録です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今日は1日中ヴィルニュスの街歩きです。ホテルを出てヴィルニュス大学の南側の聖ヨハネ通りを西に進み、右に曲がって大学通りを北に歩きます。写真の右側がヴィルニュス大学です。通りの左側にイタリア.レストランの"フィオレンティーノ"が見えます。この先奥が大統領官邸になります。
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イタリア.レストランの手前には、この看板がある人文科学の学術書を売る書店があります。
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大学通りに入って直ぐ左にある前述の人文科学の学術書の書店とイタリア.レストランの"フィオレンティーノ"との間にあるアーチの門をくぐると"同窓会ヤード"と呼ばれる中庭に入ります。この中庭で2003年の旅では「スカムバ.スカムバ.カンクレス」(https://ssk.lt/en/122-en/about-the-festival)と呼ばれる音楽民俗祭が催されていました。この祭典は1973年から毎年5月の最終週に催されてきました。特設の舞台で、民族服で着飾った女性達が歌っています。
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別のグループの公演です。違った民族服を着用しています。男性も参加しています。この祭典は、民族性や宗教性を無視した共産主義に対し暗に反発した行事の一つになっていました。
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大学通りに面した大統領官邸建物の扉の一つです。扉の上に騎馬戦士のリトアニア国章が表示してあります。
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こちらも大学通りに面した大統領官邸の中庭への入り口です。
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ヴィルニュス大学の「図書館コート.ヤード」から北の方を望んでいます。遠くに大聖堂の鐘楼が見えます。その手前のギリシャ神殿風の建物は、シュアゼリア宮殿です。
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ヴィルニュス大学の観光客用の案内板です。観光客が見学できる場所とハイライトを示しています。
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これは写真右側の大学通りに面した「図書館コートヤード」の南側にある大学本部と天文学部の建物です。この建物は、この大学構内でもっとも古い部分です。19世紀初頭まで大学通り側にも建物があり、他のコートヤードと同じように、4方が建物に囲まれた完全なコートヤードだったようです。L字型に曲がる左側の図書館の建物に大学構内に入る通路があります。
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大学本部と天文学部の建物4階の壁面装飾を拡大しました。窓の両側の柱には数学や天文学のアイコンがフレスコ画で描かれています。
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2003年春の旅の写真です。同じ南側にある大学本部と天文学部の建物ですが、大学通りから写しているので左奥に、この建物の上に建つ塔が写っています。
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「図書館コートヤード」の東に面したヴィルニュス大学図書館に入るブロンズ製の扉です。リトアニアの最初の本の出版450年を記念した1997年に製作されたそうです。
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コートヤードの東に面した図書館の建物にあるアーチ門をくぐりヴィルニュス大学構内に入ります。ここは「マシアス.カシミール.サルビーヴィウスのコートヤード」と呼ばれ、このコートヤードの東側を写しています。マシアス.カシミール.サルビーヴィウス(1595-1640)は、17世紀のヨーロッパで最も著名なラテン詩人で詩学の有名な理論家でした。彼はヴィルニュス大学の修辞学、哲学、神学の教授でした。左の建物に言語学部、正面右寄りの建物内に、後ほど訪れる「リッテラ書店」があります。
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「マシアス.カシミール.サルビーヴィウスのコートヤード」の南にある「グランド.コートヤード」に入りました。コートヤードの南側の写真です。正面の建物は新古典主義デザインの「小ホール」と名が付いています。その内部は、両側に多数の柱が並び、細かい彫刻が施されたかまぼこ型の天井が綺麗だそうです。左端は鐘楼の下部です。
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「育む母親ヴィルニュス」のラテン語表記がある上掲の建物入口の両側にある彫像です。こちらは実験器具らしき物を持つ右側の男性です。
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こちらは左側で書物を持つ女性です。
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これはコートヤードの西側です。この建物内に学長室があるそうです。大学本部と天文台の建物の上に立つ塔が右側に見えます。このコートヤードで、この西側と次の北側の建物は大学構内で最も古い建物の二つだそうです。
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壁面に描かれたフレスコ画を拡大しました。最上部のマークはキリスト教会で見られるキリストを表す略字表記"IHS"ですが、下の肖像は王侯貴族のような容姿です。
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コートヤードの北側です。右端は聖ヨハネ教会です。
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こちらの建物2階の装飾柱にも人物の肖像が描かれています。
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そしてコートヤード東側の聖ヨハネ教会のファサードです。この聖ヨハネ教会は同名の二人の聖ヨハネ、即ち洗礼者ヨハネと使徒で福音書記者であるヨハネに捧げられています。
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聖ヨハネ教会の右に鐘楼です。聖ヨハネ教会は15世紀初期に建てられ、その後16、17世紀に建て直されました。ヴィルニュス旧市街で最も背が高い建物である鐘楼は16世紀に建てられています。18世紀中頃に後期バロック様式で教会は完全に改造されましたが、19世紀初期に豪華なバロック様式の内部の大部分が破壊されました。写真の小ホールの右側の建物内に劇場ホールがあるそうです。
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聖ヨハネ教会に入りました。正面の内陣を眺めています。この教会も内部は白一色です。説教壇が右側に見えます。
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少し拡大しました。身廊両側の柱の内側とパイプ.オルガンがある後方に向いて彫像が2体づつ飾られています。内陣方向と外側にはありません。
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更に拡大しました。内陣は華麗なバロックの風情があります。
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内陣の天井ヴォールトを拡大しました。繊細な彫刻で一杯です。良く見ると、最上部に三位一体の父なる神、その下に精霊の鳩、更に下には聖ヨハネから洗礼を受ける神の子キリストが彫刻されています。
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身廊には形が異なったシャンデリアが1列に並んでいます。
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ソ連邦時代に破壊され、後に新造されたパイプ.オルガンです。
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内陣右側に掲げてあった使徒で福音書記者であった聖ヨハネの肖像画です。ヨハネは、左上に飛ぶ自身の象徴である鷲を見つめています。
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身廊と側廊を分ける柱に飾られている彫像です。
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上掲写真の右側の彫像を拡大しました。
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「グランド.コートヤード」の西側にある「天文台のコートヤード」に入ります。このコートヤードの北側を写しています。正面は大学本部と天文台の建物でその屋根の右端に立つ塔が見えています。天文台の建物の中央手前に、別館として天文観測用に設計された2つの細長い小さな塔を持つ建物が付属しています。この塔の壁は、子午線の象限を確保するために砂岩で造られているそうです。
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別館の上部を拡大しました。上部に星座のアイコンが見えます。
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大学本部と天文台がある建物の上に立つ塔を拡大した2003年春の写真です。
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「マシアス.カシミール.サルビーヴィウスのコートヤード」の東側の言語学部の建物の1階にある「リッテラ書店」に入ります。ダーク.ウッドの内装、低照明、装飾されたアーチ型の天井で、ヨーロッパの高名な図書館のように見えます。天井は低く、全体が装飾されていて、1978年に描かれた教授や学生の似顔絵のフレスコ画に目を惹かれます。この全体の写真は、CNN.Travel(https://edition.cnn.com/travel)からの借画です。
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天井のフレスコ画を拡大した4枚です。
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リッテル書店がある同じ建物の2階にある「リトアニア言語学センターの玄関ホール」に入りました。この部屋は、壁面、ルネッタ、天井ヴォールト、アーチがフレスコ画で装飾されています。これはヴィルニュス大学図書館のウェブ.サイト(https://biblioteka.vu.lt/en/)からの借画です。
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上掲の写真の正面奥の壁画は白地に焦げ茶色で描かれています。
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リトアニアの神話に基づき自然崇拝時代の生活を描いた「四季」のフレスコ画です。1976年から1985年の間に描かれています。リトアニアの神話では、世界調和の国家的概念を明らかにしています。 踊ったりさまざまな楽器を演奏したりする人物の逆説的に現実的な扱いは、神話の世界の幻想的な性質を表しています。壁画とルネッタは主に濃い黄土色と茶色で、ヴォールト天井やアーチは濃い青色の地に描かれています。
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1箇所の壁面とルネッタの絵画を拡大しました。
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更に壁面の3枚を拡大しました。
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こちらは壁面と繋がるヴォールト天井のフレスコ画です。
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ヴォールト天井部分を拡大しました。
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こちらは「リトアニア言語学センターの玄関ホール」の別室です。
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ヴィルニュス大学を出て、道路を挟んで反対にある大統領官邸前の広場に来ました。官邸の左右対称の正面を写しています。
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大統領官邸前から北にある大聖堂前の広場に移動しました。その広場で鐘楼の前から南西にあるケンピンスキー.ホテル.カテドラル.スクエアが見えます。
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これは大聖堂から西北西に延びるゲディミナス大通りです。
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大聖堂前の広場には、1989年にバルト3国200万人の国民がタリンからヴィルニュスまで手を繋いで、ソ連邦に組み込まれている現状に抗議する活動、"バルトの道"と言われる人間の鎖を記憶する銘板があります。
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1989年の抗議行動25周年を記念して、広場の床に追加されたものです。
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大聖堂とその鐘楼です。ヴィルニュス大聖堂は1783年に建てられ、ソ連邦に併合後の1950年に教会としては閉鎖され、その直後には教会内部で略奪や破壊が行われました。その後倉庫になっていましたが、再独立後の1989年に直ちに教会として再興されました。
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晴天の下撮影した2003年春の写真が混じります。
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大聖堂のファサードです。倉庫時代には、屋根上の3体の聖人像は撤去されていましたが、1997年に復元されました。その時撤去された聖人像は破壊されたそうです。
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屋根上の彫像は、左にポーランド及びクラクフの守護聖人である聖スタニスラウス、中央に十字架を支える古代ローマ帝国の皇后で、初めてのキリスト教徒の皇帝コンスタンティヌス1世の母聖ヘレナです。
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聖ヘレナについては、ヴェネツィアの画家パオロ.ヴェロネーゼ(1528-1588)の1570年頃の作品「聖ヘレナの幻視」をロンドンのナショナル.ギャラリーで写していました。ヘレナがうたた寝をした時の夢の中に天使が現れ本物の聖十字架を教えます。
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屋根の右端にある彫像は聖カジミエラスで、ポーランドおよびリトアニアの統治者であったヤギェヴォ家の人物で、リトアニアの守護聖人です。
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大聖堂に入ります。ここも内部は白一色です。
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祭壇画の一つ、磔刑の絵画です。
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一般的なラテン十字やギリシャ十字の教会とは異なり、内陣の両側に二つのドームがある変形バシリカ型の教会になっています。これは、その一つのドームです。
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イタリアの彫刻家トンマーゾ.リーギ(1727-1802)による漆喰の彫刻「隣人への愛」です。
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こちらは比較的小型のパイプ.オルガンです。
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植物を模した装飾が施された天井ヴォールトです。
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大聖堂前の広場の東端から南の方向を眺めています。右手前にゲディミナス大公記念像、正面に政府官庁の建物です。その建物の屋根の上に僅かに見えているのはヴィルニュス大学内の聖ヨハネ教会の鐘楼頂部です。
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2003年の旅の写真です。ゲディミナス大公記念像は、騎馬像ではなく、馬を後ろに従わせています。ゲディミナス大公(1275-1341)は、リトアニア大公国の実質的な創始者です。
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復元されたリトアニア大公宮は、残念ながら今日は定休日で入れませんでした。
いつも面白いとどこでも良く見るようになった持ち込み禁止品、その中に時々見かける右端のピストルのマークです。 -
思い出したのは、ブタペストでハンガリー国会議事堂に入場するときに見たこの表示です。
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大聖堂の東北東にあるゲディミナスの丘の城跡に上がります。丘の頂上には復元された東の塔が見えています。
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丘の上には、大聖堂広場から反時計回りの道を登って行きます。
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登り道の北側に来ました。左に見える白い建物は旧兵器庫です。紅葉する向こうの山は三つの十字架の丘です。
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頂上から北西の方向を望んでいます。ネリス川の対岸中央に大天使ラファエル教会が見えます。この教会の右に見える高層ビルは、ラディソン.ブルー.ホテル.リエッヴァで、更に右隣のユニークなデザインのビルはスウェド銀行です。
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南の方向です。右端にヴィルニュス大学内の聖ヨハネ教会が見えます。
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聖ヨハネ教会の左側を拡大しました。中央遠くに、市庁舎広場の南東端にある赤い屋根と肌色の壁の聖カジミエラス教会が見えます。その少し手前で右寄りに殉教者パラスケバ教会の尖塔も見えています。その尖塔の手前は二日前に訪れたヴィルニュス.ピクチャー.ギャラリーです。
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上掲写真の更に左側です。左寄りに見える大きな赤い屋根の建物は、ヴィルネ川の西岸にあり、2009年から教会遺産博物館になっている旧大天使ミカエル教会です。ビルニュス大司教区の神聖な宗教芸術作品の博物館です。その後方には、後ほど訪れる白い壁、赤い屋根のドームを持つテオトコス(神の母)正教会大聖堂も見えます。右上端の教会は、夜明けの門近くのロシア正教会の精霊教会です。
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2003年春の旅の写真です。この時はゲディミナス城の東塔に上って撮影してるので、少しずれた建物の位置関係になっています。こちらでは、旧大天使ミカエル教会の一部しか写っていません。代わりにテオトコス(神の母)正教会大聖堂はほぼ全景が見えます。この建物の右上に円形要塞が見えます。右上のロシア正教会の精霊教会の右下の塔は、少し寂れていますが聖母マリア教会です。
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マイロニオ通りの東側にある赤レンガが冴えるサン.フランチェスコ&サン.ベルナルド教会、その右にある聖アンナ教会です。後ほどサン.フランチェスコ&サン.ベルナルド教会を訪れます。
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南西の方向です。ヴィルニュスは教会が多い街です。左端にヴィルニュス大学内の聖ヨハネ教会が見えます。右の下手には再建された王宮と大聖堂の鐘楼が見えています。中央で緑青の屋根の建物は大統領官邸です。
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ヴィルニュス大学内の聖ヨハネ教会とその鐘楼を拡大しました。
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大統領官邸の周りを拡大しました。手前の大きな建物は政府官庁です。中央少し左寄り遠くにドミニコ会の聖霊教会が見えます。
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更にドミニコ会の聖霊教会を中央に拡大しました。画面左手前にヴィルニュス大学の建物が少し見えています。
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南南西の方向に市庁舎広場の南東端でラディソン.ブルー.ロイヤル.アストリヤ.ホテルの前にある聖カジミエラス教会付近を拡大しました。聖カジミエラス教会にも後に訪れます。
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こちらは2003年春の写真です。こちらの方が緑が多そうですが、これも主に撮影位置の違いによるものです。
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復元された王宮です。宮殿は15世紀にゴシック様式で建てられ、16世紀にはルネサンス様式に改造され、更に時代に沿って初期バロック様式で改装されました。17世紀の中頃にロシア軍の侵略で破壊され、その後廃墟は放置されています。廃墟の宮殿は19世紀初めには完全に更地になりました。1960年代に開始された宮殿跡の発掘作業の後、2002年からルネサンス様式で宮殿の再建が始まり、最終的に2018年に再建プロジェクトが完了しました。
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丘の東側、上の城の廃墟です。左端の建物はケーブルカー乗り場です。
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ゲディミナス城の丘から東側にヴィルネ川を越えて三つの十字架の丘が見えています。
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北西の方向を望んでいます。右側からネリス川が流れています。ネリス川は西の方向に流れ、カウナスでネムナス川と合流してバルト海に注ぎます。左側手前の赤い屋根ぼ建物はリトアニア科学アカデミーの文書館です。その奥、写真中央の建物は、リトアニア内務省医療センターです。
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ケーブルカー乗り場近くから東北東の方向を望んでいます。左側にはネリス川沿いにある旧兵器庫の建物で、右上隅は城の廃墟です。
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ゲディミナス城の北側にある旧兵器庫の側からゲディミナスの丘まで、小さなケーブル.カーが動いています。礎石だけが残る遺跡は教会跡でしょうか。
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ゲディミナス城の丘から大聖堂広場に下りて行きます。途中で丘を振り返りました。東の塔とケーブルカー乗り場が見えています。これからバルボロス.ラドゥヴィライテス通りを東に歩き、滞在するホテルやヴィルニュス大学沿いのピリエス通りと平行になっているマイロニオ通りを南に歩きます。
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マイロニオ通りの東側にある聖アンナ教会です。後方は赤レンガが冴えるサン.フランチェスコ&サン.ベルナルド教会です。
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奥にあるサン.フランチェスコ&サン.ベルナルド教会に入ります。この教会の起源は15世紀後半に建てられた木造の建物です。そして16世紀初頭に煉瓦造りの教会に建て替えられ、17世紀と18世紀にルネサンスとバロック様式に改装されました。この写真は、内陣方向を望んでいます。身廊の両側で柱の手前に、11の後期バロック様式の木製祭壇が設置されています。
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内陣と身廊を分ける勝利のアーチと呼ばれる天井袖のフレスコ画です。
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右側廊から身廊を望んでいます。柱の横に木製の祭壇が並んでいます。
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ほとんどの祭壇にはこのような祭壇画があります。
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身廊の左側にある説教壇です。
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教会の左身廊の壁面に16世紀のフレスコ画が残されています。これは十字架への磔の図のようです。
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こちらはイタリア、アッシジの聖フランチェスコの物語のようです。
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内陣からファサード側を望んでいます。写真正面にパイプ.オルガン、右側に説教壇が見えます。
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装飾が少ない天井ヴォールトです。
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マイロニオ通り沿いにある聖アンナ教会は月曜が定休日なので閉まっていました。聖アンナ教会は15世紀末に建てられた煉瓦造りの華やかなゴシック様式のカトリック教会です。
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マイロニオ通りに戻りました。左は聖アンナ教会。右はサン.フランチェスコ&サン.ベルナルド教会です。
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ほぼ同じ位置から撮影した2003年春の旅の写真です。特に建物の変化は認められません。
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マイロニオ通りの南の方向です。右手にホテルのマーブル.レジデンス、左手奥の白亜の建物はロシア正教会のテオトコス(神の母)大聖堂です。これからこの教会に向かいます。通りを左に曲がるとヴィリニャ川を渡ってウジュピス地区になります。
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横断歩道を渡ってマイロニオ通りを北に振り返ります。写真の右手前に見える広告塔は上掲の広告塔と共に、現在は撤去されているようです。
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ロシア正教会のテオトコス(神の母)大聖堂に入ります。この教会の起源は14世紀中頃まで遡りますが、以後数々の変遷を経てロシア正教会になり1868年に中世のジョージアン様式の建築を模したスタイルで再建されました。現在リトアニアに居住するロシア人とベラルーシ人が参集しているそうです。
これは右側の祭壇です。 -
この正教会の建物は正方形でドームが正方形の中心に聳えています。内陣は正方形から外にはみ出した形になっています。
こちらは中央の祭壇です。左右の祭壇に比べて高さが1段と高くなっています。 -
これは左側の祭壇です。
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教会に入ったのは12時半ですが、丁度洗礼式が行われていました。左側で写真を撮る母親、赤ちゃんを抱く父親、そしてお婆ちゃんでしょうか。
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正面右側の柱の前に設置された説教壇なのでしょうか、手前に4段の階段が付いています。
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こちらは正面左側の柱の前で、正面右側の柱に面して設置された、これも説教壇なのでしょうか?
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内陣の反対側です。カトリック教会などの西方教会とは異なり、パイプ.オルガンはありません。
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一旦市庁舎前広場に戻り、予め調べておいたレストランで昼食にします。これは旧市庁舎前から南方向を望んでいます。前回泊まったアストリア.ホテルが見えます。
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旧市庁舎前から広場の北方向を望んでいます。右に写る塔は正教会の聖ニコラス教会の鐘楼です。
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以下5枚の写真は2003年春の旅です。リガへの出発前に旧市庁舎前で記念写真の撮影です。広場の北の方向を背景にしています。
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市庁舎広場の中程の西側にある、今も変わらぬクラフトメン.パブの看板です。
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市庁舎広場の北端から旧市庁舎を写しています。左奥に宿泊していたラディソン.ブルー.ロイヤル.アストリヤ.ホテルが見えます。当時は未だこのような駐車場が広場にありました。
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市庁舎広場の北端にある正教会の聖ニコラス教会です。リトアニアのビリニュスで最も古い東方正教会の1つです。14世紀中頃に正教会として木造の建物が立てられました。1609年から1839年の間、一時的に東方正教会から離れ、ローマ教皇配下の教会になった特別の歴史を持っています。
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旧市庁舎の東側から北の方向を望みます。中央遠くにヴィルニュス大学の聖ヨハネ教会の鐘楼が見えます。
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旧市庁舎内の海鮮料理のレストラン.ジュヴィネ(Zuvine)に入ります。トリップ.アドバイザー評価でビリニュスのレストラン775軒中121位です。
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落ち着いた雰囲気のレストランです。
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ババが選んだ料理です。
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ジジはこの料理と次のスープを選びました。
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美味しいスープでした。
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レストランを出て、旧市街の東側にあるウジュピス地区に向かいます。途中壁飾りで有名なリテラトゥ通りを歩きます。通りの北側の家屋の玄関前にあった新聞.郵便受けの飾りで、刺青姿の日本人の着色写真のようです。他にも刺青姿の人物の写真が続く何枚かの窓に貼ってあり、刺青屋さんのアンギス.タトゥー.ショプでした。
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更に歩くと、この壁が現れました。白い壁に何でもかんでも貼ってあります。続いてリテラトゥ通りの南側にも同じような装飾壁がありました。
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中にはこんな物まで。一つ一つに番号が付いていますが、どこかに説明があるのでしょうか。
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入れ歯で思い出したのがミラノでドーム近くのケーキ屋さんのショー.ウィンドーで撮影したこの写真です。「マジパンの入れ歯、7Euro」の表示です。
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旧市街の東を流れるヴィリニャ川を渡ってウジュピス地区に入ります。
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紅葉の季節なので落ち葉掃除も大変です。
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ウジュピオ通りの途中で、小さな3角形の広場にある天使像です。西から東の方向を望んでいます。
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この広場から南の方向に、主の昇天教会(ミッショナリー教会)を望みます。
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こちらは西の方向で、今来た方向です。特に期待していた程の景色もありませんでした。
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ウジュピス橋の上にの清掃班の人々が働いていました。この橋の欄干も錠前が密集しています。
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市庁舎広場に戻って来ました。花壇の花の入れ替え作業のようです。
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市庁舎広場の南東端でラディソン.ブルー.ロイヤル.アストリヤ.ホテルの前にある聖カジミエラス教会です。ウェブ.サイト「ゴー.ヴィルニュス」(https://www.govilnius.lt)からの借画しました。1618年に建てられヴィルニュスで最も古いバロック様式のイエズス会の教会です。一時期ロシア正教の教会やルーテル教会になったり、ソ連邦時代には無神論博物館に変えられています。聖カジミエラス(1458-1484)はポーランドおよびリトアニアの統治者であったヤギェヴォ家の人物で、リトアニアの若者たちの守護聖人です。
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聖カジミエラス教会に入ります。教会ファサードにある入り口です。ファサード外壁から少し出っ張った構造になっています。入口上部に天使の頭、その更に上に聖顔布の彫刻が見えます。エルサレムの敬虔な女性であった聖ヴェロニカは、十字架を背負いゴルゴタの丘へと歩くキリストを憐れみ、額の汗を拭くよう自身が身につけていたヴェールを差し出しました。キリストは彼女の申し出を受けて汗を拭き、ヴェールを彼女へ返しました。すると奇跡が起こり、ヴェールにキリストの顔が浮かび上がったのです。これが聖顔布の由来です。
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正面の入り口を入って内陣方向を望んでいます。人工大理石を用いた祭壇を除き、内装は白色と肌色の2色で、装飾は少なめです。
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内陣の主祭壇を拡大しました。
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祭壇上部の祭壇画「聖カジミエラス」です。背景にヴィルニュスの大聖堂、その鐘楼、ゲディミナス丘の城の塔、三つの十字架の丘などが描かれています。
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右側廊にある礼拝所の祭壇画「聖母子」です。
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教会内に掲げられていた絵画2点です。これは「使徒ペトロの解放」です。これは、エルミタージュ美術館所蔵のバロック期のスペインの画家バルトロメ.エステバン.ムリーリョ(1617-1682)の作品の模作のようです。
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こちらは「エジプトへの逃避中の休息」ですが、同じくエルミタージュ美術館所蔵のムリーリョの作品の模作のようです。
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これも比較的小型のパイプ.オルガンです。
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市庁舎広場から南に夜明けの門通りを歩き、夜明けの門手前の聖テレザ教会に入ります。これは超広角レンズで撮影された写真で、ウェブ.サイト「ゴー.ヴィルニュス」(https://www.govilnius.lt)からの借画です。
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教会の歴史は17世紀初頭に遡ります。現在の建物は、17世紀にルネッサンス後期、バロック時代、古典主義後期のスタイルで建て直されています。内部は18世紀中頃の火災の被害後にロココ様式で再建されました。
教会内で内陣方向を望んでいます。内部はこのように華麗な装飾が施されています。 -
内陣上部の絵画を拡大しました。
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こちらは内陣上部のドームです。このドームには窓が無く暗いのでフレスコ画がはっきり見えません。騙し絵のような感じです。
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聖テレザ教会を出て夜明けの門の北側を望んだ2003年春の写真です。左隅に聖テレサ教会ファサードが僅かに見えています。夜明けの門のこちら側2階にある聖母マリアの礼拝堂が見えます。
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聖母マリアの礼拝堂の窓から夜明けの門通りの北側を望んでいます。礼拝堂は小さく多くの人がお祈りをしていたので写真は撮りませんでした。通りの右側で肌色の壁で赤い屋根の建物は聖テレザ教会です。
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前日に撮影した聖母マリアの礼拝堂の写真を拡大しました。微かに聖母マリア像が見えます。聖母マリア像は、顔と両手以外は衣装も含め加工された金属板で覆われています。
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聖テレザ教会の前から夜明けの門通りを北方向に望んでいます。
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夜明けの門通りの西側で、聖テレザ教会の対面にある木彫りの土産物店(Art Studio of Jonas Bugailiškis)の中庭にあった面白い彫像です。何をしているのでしょうか?
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市庁舎広場の手前で、夜明けの門通りの西側にあったチーズ店(Cheese Džiugas House)の店舗前に置いてあった丸いチーズの置物です。横から可愛いネズミが顔を出しています。
今日でバルト3国の旅を終わり、明日はコペンハーゲンに飛びます。
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (3)オスロの散策2日目です(9月22日)
2016/09/20~
オスロ
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (4)オスロからベルゲンに移動しフロイエン山に上がり...
2016/09/20~
ベルゲン
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (5)ベルゲンで美術館と街歩きです(9月24日)
2016/09/20~
ベルゲン
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (6)ベルゲンからフロムへ1泊旅行です(9月25日)
2016/09/20~
フロム
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (7)フロムを散策し、午後ベルゲンに帰ります(9月2...
2016/09/20~
フロム
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (8)ベルゲンからストックホルムに移動しました(9月...
2016/09/20~
ストックホルム
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (9)ストックホルムでヴァーサ博物館と美術館を訪れ、...
2016/09/20~
ストックホルム
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (10)ストックホルム最後の日です(9月29日)
2016/09/20~
ストックホルム
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (11)ストックホルムからヘルシンキへセレナーデ号で...
2016/09/20~
ストックホルム
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (12)セレナーデ号でヘルシンキに着いて町歩きです(...
2016/09/20~
ヘルシンキ
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (13)ヘルシンキの町歩きです(10月1日)
2016/09/20~
ヘルシンキ
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (14)ヘルシンキからタリンへ移動し美術館巡りです(...
2016/09/20~
タリン
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (15)タリンの街歩きです(10月3日)
2016/09/20~
タリン
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (16)タリンの街歩き、2日目です(10月4日)
2016/09/20~
タリン
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (17)エストニアのタリンからラトヴィアのリガに移動...
2016/09/20~
リガ
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (18)ラトヴィアのリガからバウスカのルンダーレ宮殿...
2016/09/20~
バウスカ
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (19)リガのアール・ヌーヴォーの建築群を見て回りま...
2016/09/20~
リガ
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (20)リガのラトヴィア国立美術館を訪問しました(1...
2016/09/20~
リガ
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (21)ラトヴィアのリガからリトアニアのヴィリニュス...
2016/09/20~
ビリニュス
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (22)リトアニアのヴィリニュスからカウナスへデイ....
2016/09/20~
カウナス
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (23)リトアニアのヴィリニュスの街歩きです(10月...
2016/09/20~
ビリニュス
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (24)リトアニアのヴィリニュスからコペンハーゲンに...
2016/09/20~
コペンハーゲン
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (25)コペンハーゲンの美術館をハシゴ(1)しました...
2016/09/20~
コペンハーゲン
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旅行記グループ シニア夫婦の北欧4カ国、バルト3カ国再訪の旅25日
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