2016/09/20 - 2016/10/14
356位(同エリア1573件中)
さわ子さん
2016年秋、羽田からスカンディナヴィア航空でコペンハーゲン経由オスロに到着し、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、エストニア、ラトヴィア、リトアニア、デンマークとヨーロッパ7カ国を訪問し、コペンハーゲンから羽田に帰って来ました。今回も絵画鑑賞が主な目的の再訪です。
旅程の概略です。
★ 9月20日 羽田からスカンディナヴィア航空でコペンハーゲン経由でオスロへ。オスロ泊。
★ 9月21~22日 オスロ泊。
★ 9月23~24日 ベルゲン泊。
★ 9月25日 フロム泊。
★ 9月26日 ベルゲン泊。
★ 9月27~28日 ストックホルム泊。
★ 9月29日 船中泊。
★ 9月30日~10月1日 ヘルシンキ泊。
★ 10月2~4日 タリン泊。
★ 10月5~7日 リガ泊。
★ 10月8~10日 ヴィルニュス泊。
★ 10月11~12日 コペンハーゲン泊。
★ 10月13日 コペンハーゲン空港からスカンディナヴィア航空で羽田へ。
この14回目の旅行記は、ヘルシンキからタリンへ移動しタリンで3箇所の美術館巡りをした記録です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 船 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ヘルシンキ最後の朝です。昨夜は寒くて仕方がなかったので「空調を暖房にしてくれませんか」とお願いすると、「セントラル空調なのでできません」との返事、「その代わりに電気ストーブをお使いください」と左端の機器を持って来てくれました。これでも充分に暖かく過ごせました。ヘルシンキはどこへ行っても清潔で、デパートやショッピング.モールのトイレも小銭が必要でなく、綺麗で日本のように自由に使えます。
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午前9時5分前にホテルをチェック.アウトして出発しました。近くの市電の停留所で電車を待っています。目の前にバルト海の乙女のブロンズ像と噴水が見えます。今朝はこのように晴天です。
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ホテル近くのこの停留所から2番の市電に乗ります。今日は日曜日で市電の本数が少ないようです。「次の市電は9分待ち」の標示が出ています。ババが手に持っているのはゴミ袋ではありません。ムーミンのバケツが入った大きな袋です。
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市電の停留所から南の方角を望みます。右側の建物群の中央に2階建てのホテルのレストランが見えています。市電はこちらから来ます。
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時間つぶしにジジはマーケット広場を散歩です。港には漁船が海上市場の準備をしています。自分の船の写真を掲げて商売する漁師のようですが、鮮魚ではなく加工品を並べています。
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こちらの漁船は食料品のみならず毛糸の帽子も並べています。ここでもフィンランド語とスウェーデン語の並列表記をしています。
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このように漁船が密集して接岸し店を開いています。写真の右端にオールド.マーケット.ホールの赤煉瓦の建物が見えています。
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陸でもテントを張って店開きです。手前のお店は食堂でしょうか。遠くにウスペンスキー寺院が見えています。
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ようやく市電が来て乗車しました。中央駅の南側にあるアテネウム美術館前を過ぎれば中央駅は直ぐです。
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中央駅前の電停で2番の市電から9番の市電に乗り換えます。これは市電の扉の宣伝広告です。フードラ(Foodora)は、オンライン.フード.デリバリーのブランドです。ドイツのミュンヘンで設立され、現在はスウェーデン、ノルウェー、フィンランドで運営しているそうです。
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ここでも市電がなかなか来ません。この写真は中央駅と反対側の建物です。ショッピング.モールのようです。
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こちらは中央駅の西側の建物です。左の大きな建物はソコス百貨店です。
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15分ほど待って9番の市電に乗りました。車内から西港が見えてきました。写真中央にはヘルシンキ造船所があります。右側の高い建物は、西港の西埠頭にあるクラリオン.ホテル.ヘルシンキです。フェリーに乗船するための西ターミナル.ビルはその先です。
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市電を降りて西港ターミナル.ビルに入りました。タリンクのカウンターで乗船券を入手します。出入港の案内板です。10時半出航で10時から乗船できるとの案内です。ターミナルには空港のような免税店はありません。免税品は船の中のショップで買います。
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派手な塗装のスーパースター号です。この船はイタリアのアンコーナで建造され2008年竣工した36,400総トンのクルーズ.フェリーです。ヘルシンキとタリンの間を2時間で結んでいます。乗船口手前から船首側を撮影しました。
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こちらは船尾側です。乗船口は、救命ボートが設置してあるデッキ6になります。
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西埠頭の南端に建設中の第2ターミナルとの関連でしょうか、この既存のターミナル周辺でも建設ラッシュです。
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このスーパースター号は、2017年に売却されて船名もパスカル.ロータ号に変わり、地中海のコルシカ島、サルディニア島やエルバ島と大陸側のフランスやイタリアの港との間に就航しています。スーパースター号は、就航後直ぐに2回ほど問題を起こしていました。特に2009年には、タリンからヘルシンキに向かう途中エンジンが停止し、2時間近く漂流したそうです!
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デッキ6の乗船口から乗船すると直ぐ近くに、写真の左側に見えるインフォメーション.カウンターがあります。
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インフォメーション.カウンターの対面の絵です。左にヘルシンキ、右にタリンで、その間を車や人を乗せたタリンクのフェリーが描かれています。
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今日は昼間の2時間の航海なので部屋は予約していません。船首にある舞台付きのラウンジに席を取り、スーツ.ケースは預けずに足下に置きました。ここはバー.ドルチェ.ヴィータ(Bar Dolce Vita)と名が付いた大広間で、デッキ6からデッキ8までの吹き抜けになっています。
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出航を前、いつものようにジジはデッキ9に上がりました。船尾方向を望んでいます。
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左舷側のデッキから船首の方向を望んでいます。左は西港の東埠頭の先端です。沖の2つの島は東西のピフラヤ島です。両島共レクレーション地域になっていています。
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10時30分出航の筈ですが、10分以上前に動き出しています。このフェリーは右舷接岸の出船状態だったので、離岸すればそのまま前進していきます。
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西港ターミナルがある西埠頭の先端を過ぎました。正面に建設中の第2西港ターミナル.ビルが見えています。
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西ピフラヤ島の西側を通っていきます。こちらの写真の中央は、西港の東埠頭先端です。遠くにミカエル.アグリコラ教会の尖塔、その後方に双子鐘塔の聖ヨハネス教会が見えています。教会の手前で東突堤上に、屋内サッカー競技場のヘルネサーリ.アリーナ(Hernesaari Areena)の丸い屋根も見えています。
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西ピフラヤ島を過ぎました。右側遠くにスオメンリンナの要塞がある諸島が見えます。写真中央遠くにヴァイキング.ラインのクルーズ.フェリーのヴァイキング XPRS号(2008年竣工、35,918総トン)がヘルシンキ南港に向かっています。このフェリーはヘルシンキとタリン間を2時間半で結んでいるそうです。
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写真の右端に西ピフラヤ島です。その上方遠くにクラリオン.ホテル.ヘルシンキが見えています。
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こちらの写真では、左側に東ピフラヤ島が手前に見えています。この島の上方遠くに、ミカエル.アグリコラ教会の尖塔、大聖堂の鐘楼、双子鐘塔の聖ヨハネス教会などが見えます。
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本船の東側の海を逆光で撮影しました。
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左端の橋は、ヘルシンキの市街の中心部と西のラウッタ島とを結んでいます。
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空に煙を残して船は進みます。ヘルシンキの市街の中心部は右端に消えました。
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人もまばらな右舷のデッキ9の状況です。左側は遮風板です。
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出航後15分、島も見えなくなったのでデッキ6に下りてきました。このデッキを少し散歩です。最後部には、このスーパーマーケットがあります。
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デッキ6の中央には免税店があります。
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この船首から船尾への通路の左にビジネス.ラウンジ、右側に会議用の部屋が3室あります。この写真は、通路を船尾方向に振り返っています。
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船首にあるバー.ドルチェ.ヴィータに戻って来ました。バンドの演奏が始まったようです。
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ババはここに居ました。その前の椅子に大きなムーミンの袋を置いています。当初から持参していない荷物は、旅の途中忘れてしまいがちです。注意します!
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舞台の正面全景です。
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バー.ドルチェ.ヴィータの船首側はこのように全面がガラス張りになっています。
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2階席です。ここも快適な椅子がテーブルと共に配置してあります。
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天井です。これもエンタテイメントの設備らしくなっています。
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この船にも当然ながらスロット.マシーンなどのギャンブル機器が備えてあります。
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これはトイレですが、とても綺麗で清潔でした。
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到着予定時刻20分前になりました。開放デッキ9に上がり周りの景色を見ます。陸地が見えてきました。本船の右前方に、エケロラインのフェリー、フィンランディア号(2001年竣工、36,093総トン)がのんびりと走っています。
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懐かしいタリンの街が見えてきました。右端にトームペアの丘、聖ニコラス教会の尖塔、聖オレフ教会の尖塔、左側には旧市街の東にある建物です。
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トームペアの丘、聖ニコラス教会の尖塔、聖オレフ教会の尖塔を拡大しました。トームペアの丘の大聖堂の鐘楼とアレクサンドルネフスキー寺院も確認できます。
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こちらは、貨物船やフェリーが発着するタリン港の西側にある、公船や特殊船舶などが使用する別の港です。
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5日前の9月27日にストックホルムに停泊していたドイツのアイダ.クルーズ社が保有する2002年竣工で42,289総トンのアイダ.ヴィータ(AIDAvita)号が見えます。クルーズ船は、タリン港の最北に用意された専用の埠頭に係船されています。この会社は14隻のクルーズ船を運航し、最大の船は183,858総トンのアイダノーヴァ(AIDAnova)号で、更に同型船2隻を建造中だそうです。
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このスーパースター号はクルーズ船専用の停泊地を右に見て、Dターミナルの最東埠頭の接岸場所に向かい左方向に進んでいます。写真右側で聖オレフ教会の前には、タリンク.スパ&カンフェランス. ホテルが見えます。その右隣の球体はバルーン.タリンで、高さ120mまで上がる観光用の気球です。右端の煙突近くに、工場跡を利用したレストランのコルステン.キッチンがあります。聖オレフ教会の右側に見える幾つかの赤い三角帽子は、城壁沿いにある見張り塔です。その手前には「太っちょマルゲリータ」の塔も見えます。トームペアの丘には、右から大聖堂の鐘楼、トームペア城の「のっぽのヘルマン」の塔、そしてアレクサンドル.ネフスキー寺院です。更に左に聖ニコラス教会の尖塔、旧市庁舎の塔、城壁沿いのキーク.イン.デ.キョク.ネイツィトルンの塔、そして城壁外の聖チャールス教会の双子の塔と聖ヨハネ教会です。
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背景は旧市街の東側の地域で、上掲の写真の左側です。右端に聖チャールス教会の双子の塔、聖ヨハネ教会、中央にソ連邦時代に西側旅行客向けに建てられた、いわゆる「インター.ホテル」と呼ばれていた22階建てのホテル.ヴィル(Viru)、左側にビジネス.センターのシティ.プラザ、SEBビル、左端はスイスホテル.タリンです。手前のターミナルDの係船地にタリンクのバルティック.クイーン号(2009年竣工、48,915総トン)が接岸しています。
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到着が間近になったのでラウンジに戻りました。前方のフェリーの後方に左舷で接岸するようです。
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下船して連絡通路を歩いています。右に乗船してきたスーパースター号の船首が見えています。搭載してきた車両は船首側から降りていきます。左はロマンティカ号の船尾です。中央奥は動き出したバルティック.クイーン号です。
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この写真のように、船首が左右に開きランプをフェリーから伸ばして通路を作ります。我々は、右側に写る連絡通路を歩いてきました。右側に駐車するトラック群は。折り返しで搭載される車両でしょう。
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スーパースター号の前方に接岸していたロマンティカ号は、全ての車両を降ろしてしまったのでしょう。
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遠くでバルティック.クイーン号が後進で出航していきます。
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ターミナルDの建物に入りました。下船者は特に何もする事は無く、ただ通過するだけです。我々はここからタクシーで2.1Km、旧市街の南東端にあるホテル.サヴォイ.バティークに行きます。
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ここから11枚の写真は2003年春の写真です。この時はタリンからヘルシンキに行っています。当時タリンクのフェリーへの乗船は、このターミナルAの建物からでした。
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この船が乗船したロマンティカ号(2002年竣工、40,803総トン)です。タリンクのサイトから借画しました。乗船時は就航して1年だったので真っ新の状態でした。このフェリーは、2016年にはストックホルムとタリン間に就航していました。
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ターミナル.ビルから南側の埠頭に接岸しているロマンティカ号の船首を見ています。
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乗船しました。ここはデッキ6の右舷側で、インフォメーション.カウンターがある円形の広間です。綺麗に磨かれた鏡に写った写真です。二人の後方は免税店で、出航した後に開きます。
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船内の前後にある階段の1つです。真鍮製の手摺や鏡はピカピカに磨かれています。
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ロマンティカ号左舷でデッキ6の左舷側通路です。後方はターミナルAの建物で、遠方右に聖オレフ教会、左に聖ニコラス教会、その間にトームペアの丘が見えています。
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この時の旅では、3時間半の航海だったので船室を予約しました。船室への通路です。
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船室はデッキ8で舷側にあります。料金は昼食込みでした。
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ターミナルAの東にあるターミナルDの埠頭にもタリンクのフェリーが接岸していました。1979年にヴァイキング.ラインのターレラ(Turella)号(10,604総トン)として竣工し、1988年にタリンクのファンタジア(Fantaasia)号として2008年まで就航していました。現在はリーゲル III(Rigel III)号として地中海でイタリアとギリシャやアルバニア間に就航してます。
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ロマンティカ号が出航しタリン港の港外に出ました。ターミナルAの北側の長い埠頭にクルーズ船が3隻接岸していました。その最後尾のクルーズ船の船尾が見えています。この船は、1955年竣工で2003年から2005年までオーシャン.モナーク号(Ocean Monarch)の船名だった15,739総トンのクルーズ船です。そして2014年にスクラップにされました。
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こちらはオーシャン.モナーク号の後方に接岸しているクルーズ船2隻です。左の船は1995年就航で69,153総トンのP&O ラインのオリアナ号です。この船は2019年に中国に売却され船名がピアノ.ランド号に変わっています。
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午後1時、ターミナルAからタクシーでホテルに着きました。全44室のサヴォイ.バティークです。部屋は4階の角部屋で2面に窓があります。隣り合う部屋との壁は厚い鉄筋コンクリートなので静かでした。ここはダブル.ベッド.ルームです。
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ベッド.ルームからリヴィング.ルームを望みます。
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ベッド.ルームの窓側からの写真です。タンスがある壁の後ろに入口の扉があります。
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リヴィング.ルームには大きなソファもあります。
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リヴィング.ルームの奥には机があります。
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リヴィング.ルームの隣にバス.ルームです。この壁はぺらぺらの仕切り壁です。
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適当な広さのバス.ルームです。少し大きめのバスタブがあります。
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洗面台です。これは洗濯には向きません。
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部屋からの眺めです。このホテルは6差路の交差点の角に立っています。右の白い建物は、二つの道路を挟んで北側に位置するマイ.シティ.ホテルです。ソ連邦時代には海軍関係のオフィスだったそうで、正面の屋根に「らしき」装飾を残こしています。中央奥は交差点の西側にある映画館です。
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早速街歩きに出発します。これは古典的なエレベーターです。今日はタリン市街の東で、カドリオルク公園にある三つの美術館の訪問です。この三つの美術館は10月に入ると月.火曜日が休みになります。今回の北欧の旅のスケジュールから、どうしても日曜日の今日中に見て回らなければなりませんでした。そのため、ヘルシンキがしわ寄せを受け、滞在が短くなりました。
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途中に踊り場がない階段です。
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エストニア歌劇場近くのヴィル電停所から3番の市電に乗ってカドリオルク公園に向かいます。この公園に三つの美術館があります。6時には閉館するので急いで行きます。一回券の切符を市電の運転手さんから買いました。一人1.60ユーロです。
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カドリオルグ公園前で市電を降りました。前を歩くのは市電で一緒だったお婆さんで、なかなかお洒落な帽子をかぶっています。
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市電はここで左に曲がってナルヴァ街道に戻り、折り返して旧市街の方向に戻っていきます。この車両は、2015年から導入されたスペインの鉄道車両メーカーであるCAF製の超低床路面電車ウルボス AXL型です。珍しく軌間が、日本のJR在来線と同じ1,067mmの狭軌です。
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市電を降りてA.ヴァイツェンベルギ通りを更に東の方向に歩いて行きます。「先ずは美術館」と、先を急ぎます。
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これは2003年春の旅行の写真です。A.ヴァイツェンベルギ通りでカドリオルク宮殿の手前になり、公園内を北の方向に海岸まで延びる通りを望んでいます。通りの先に小さくルサルカ記念碑(Russalka Memorial)が見えています。これは1902年に建てられ、1893年にフィンランドへ向かう途中で沈没したロシアの軍艦ルサルカ号の9周年を追悼して建てられたブロンズの記念碑です。
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カドリオルク宮殿内の美術館の案内です。左は宮殿内の演奏会の案内で、右は特別絵画展の案内のようです。
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カドリオルク宮殿です。この宮殿は、ピョートル大帝により王妃のエカチェリーナ1世のために1718年から1725年にかけて建設されました。いわゆるピョートル.バロックと呼ばれる様式の宮殿です。1725年のピョートル大帝の没後、宮殿はほとんど見捨てられた状態になりました。そしてエカチェリーナ1世のイニシャルと豊富なスタッコ装飾を備えた大広間以外は、1827年にニコライ1世の命により大改修が行われています。
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これも2003年春の旅行の写真で、宮殿の東側の庭園から写しています。このように庭園は玄関がある宮殿西側より1階分高くなっているので、西側の3階建てが2階建てに見えます。
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これは宮殿正面になる西側の左右に造られた、1階分高くなった庭園の西端を支える壁です。
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これも2003年春の旅行の写真です。庭園内で宮殿と反対側にはこの壁が造られています。この庭園の先は更に1段と高くなっていて、エストニアの大統領官邸がある森のような庭の敷地です。
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2階の展示室から見学を始めます。この部屋には普通の暖炉があります。
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フランドルのバロック期の画家ヤーコブ.ヨルダーンス(Jacob Jordaens:1593-1678)の1616年頃の作品「聖家族」です。ヤーコブ.ヨルダーンスは、ピーテル.パウル.ルーベンスやアンソニー.ヴァン.ダイク同様、アントワープ派を代表する画家でした。
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同じくフランドルのバロック期の画家フランス.ポルビュス (子)(Frans Pourbus, the Younger:1569-1622)の1599年の作品「オランダの摂政、イザベラ.クララ.ユージニアの肖像」です。1598年、スペイン国王フェリペ2世の娘であるイザベラは、スペイン領ネーデルラントの将来の統治者になるアルバート大公と結婚しました。イザベラは、特別な刺繍が施され、豪華な毛皮で裏打ちされたブロケードのウェディング.ドレスを着ています。
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この作品は、フランドルの画家マールテン.ド.ヴォス(Maerten de Vos:1532-1603)が1597年にアントワープの聖母大聖堂の祭壇画として製作した「カナの婚礼」の模写作品です。カナの婚礼の物語は、新約聖書のヨハネによる福音書で水をワインに変えるというイエスの最初の奇跡が語られています。
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2階の大広間の東側にある大回廊です。この写真で左側中央に大広間があり、右側は庭園に面しています。この庭園の地面が入り口側より1階分上がっているので、この庭園側の大回廊は庭園と同じ地上階になっていて右側中央の扉から庭園に出る事ができます。
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この肖像画は、ロシア皇帝ニコライ1世の長女で1839年に結婚しロイヒテンベルク公妃になったマリア.ニコラエヴナ (1819-1876)です。この絵は、スコットランド出身で後にロシア皇室の専属画家になった女性のクリスティーナ.ロバートソン(Christina Robertson:1796-1854)が1846年に描きました。
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同じクリスティーナ.ロバートソンが1841年に描いた作品で「大公爵夫人オルガ.ニコラエフナの肖像」です。オルガ.ニコラエフナ(1822-1892)は、ロシア皇帝ニコライ1世の次女でドイツのヴュルテンベルクの国王カール1世と1846年に結婚しました。
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大回廊から大広間に入りました。正面は庭園を望むベランダがある側です。
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天井のフレスコ画です。イタリアの画家の作品に比べると、イマイチの感じです。
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大広間の長手方向の壁面の装飾です。エカチェリーナ1世のイニシャルの"E"の金文字が紺色の卵型の背景に映えています。
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上掲の写真で暖炉の上の胸像を拡大しました。これもエカチェリーナ1世でしょうか。絵画の展示室は、この大広場の両側にあります。
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ヴュルテンベルク公爵の宮廷画家ゲオルク.クリストフ.グロース(Georg Christoph Grooth:1716-1749)が描いた「エカチェリーナ2世(1729-1796)の騎馬像」のコピー作品です。エカチェリーナ2世は、夫のピョートル3世の死後1762年にロマノフ朝第8代ロシア皇帝に即位しました。プロイセンのフリードリヒ2世(大王)やオーストリアのヨーゼフ2世と共に啓蒙専制君主の代表とされます。
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オーストリア人新古典主義の女性画家アンゲリカ.カウフマン(Angelica Kauffmann:1741-1804)が1780年に描いたトンド絵画の寓話作品2点です。この2点の絵画は、白い服を着た若い女性で表された『美しさ』に焦点を当てています。これは「『慎重さ』によって導かれ、『完璧さ』に包まれた『美しさ』」だそうです。『慎重さ』は『美しさ』の側にいる女性を指し、『完璧さ』は右にいる若者を指しています。
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こちらは「『愚かさ』の勧誘を軽蔑して拒絶する『慎重さ』によって導かれた『美しさ』」です。
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赤い壁の展示室です。ここには大きな内燃式の暖炉が備わっています。
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青緑の壁の展示室です。
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バロック時代にヴェネツィアで活躍したイタリア人画家アンドレア.セレスティ(Andrea Celesti:1637-1712頃)作の「ファラオの王冠の上に立つ乳児モーゼ」です。左側でモーゼを支える王女の顔は、2世紀近く前の盛期ルネサンスの時期にパルマで活躍したコレッジョの作品を思い出させます。
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イタリアのバロック後期からロココ初期の頃のヴェネツィア派の画家ジョヴァン二.バッティスタ.ピアッツェッタ(Giovanni Battista Piazzetta:1682-1754)作の「聖ヨセフの死」です。13才ほど若いジョヴァンニ.バッティスタ.ティエポロと互いに影響し合っていたそうです。
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オランダ黄金時代の画家アドリアン.ピータス.ヴァン.ド.ヴェンヌ(Adriaen Pietersz van de Venne:1589 - 1662)作の「貧困の寓話」です。ヴァン.ド.ヴェンヌは、寓話、ジャンル、挿絵家、政治的風刺画家、肖像画など多才な芸術家でした。この「貧困の寓話」の絵画では、ボロボロの服を着た盲目の男性が、足が不自由な年配の女性を運び、その女性はまた子供を背負っています。男性はベルトに付けた鎖に繋がれた犬に導かれています。
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オランダ絵画黄金時代の風俗画家ヘラルト.テル.ボルフ(子)(Gerard ter Borch the Younger:1617-1681)の工房の作品で「眠り込む兵士への手紙」です。ボルフの画風はヨハネス.フェルメールにも影響を与えたそうです。
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これもオランダの黄金時代の画家で風景や家畜がいる農場の題材を得意としたディルク.ワイントラック(Dirck Wijntrack:1605/1625-1678)作の「納屋の中」です。こういう生活感溢れる絵画は、一人一人の登場人物が何をしているかを推測する楽しみがあります。中央で屈んだ姿の女性は、井戸から水を汲み出しているのでしょうか?
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これはピーテル.ブリューゲル(子)(Pieter Brueghel the Younger:1564-1638)の工房の作品で「贈り物の公開」です。この絵は、17世紀にネーデルラントで公式に禁止されていた、結婚式のゲストからお金を受け取る習慣を表しています。花嫁の前のテーブルには、ゲストからのお祝い金が入ったお皿があります。正確な金額は、花嫁の右手に座る立派な服を着た年配の男性によって書き留められています。後年の絵の修正で彼が持つペンと紙を覆ってしまったので、彼の仕事を確認するのは難しくなりました。
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オランダ絵画黄金時代で最も多彩で多作な画家の一人であったフィリップス.ワウウェルマン(Philips Wouwerman:1619-1668)作の「馬への水やり」です。この画家は、狩りの情景や風景画、戦闘場面を描きました。
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この絵は、ヒエロニムス.ボス(Hieronymus Bosch:1450 - 1516)の画風に倣って制作されたネーデルラントの無名の画家の作品「神殿から商人を追い出すキリスト」と説明がありました。しかし、ジジの感じは、ヒエロニムス.ボスと言うよりは、ピーテル.ブリューゲルの画風を感じます。
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絵画の左側を拡大しました。
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こちらは右側の拡大写真です。
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フランドルの静物画、風俗画、海の景色の画家であるコルネリス.マヒュー(Cornelis Mahu:1613-1689)作の「「納屋でのウェディング.ダンス」」です。右側の二人が花嫁と花婿なのでしょうか。
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これはフランドルの風景画家ヨース.デ.モンペル(Joos de Momper II:1564-1635)の仲間の無名の画家の作品「夏の刈取り作業」です。
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保守的な風景画で有名なベルギーのワロン出身の画家テオバルド.ミシャウ(Theobald Michau:1676-1765)作の「村の風景(川岸の居酒屋)」です。
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木製モザイクでタリンの景観が表されたフリーズで覆われた部屋で挿絵やスケッチ作品の特別展をしていました。フリーズ以外の壁面も木彫りで装飾された板で覆われています。
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これは、この美術館があるカドリオルク宮殿です。
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こちらは、トームペアの丘で中央に大聖堂です。右端には、のっぽのヘルマンの塔も見えます。
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これは北西の城壁と見張り塔、その向こうに聖オレフ教会の尖塔が見えます。
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建物の外に面した壁面です。
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こちらは続き部屋との壁面です。
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ロシア帝国の風景画家アレクセイ.ペトロヴィッチ.ボゴリュボフ(Aleksei Petrovich Bogoljubov:1824-1896)の1853年の作品で「タリンの港」です。アレクセイは海軍士官として仕事を始めました。その後海軍本部の芸術家になりました。このタリンの港の情景では、右から聖オレフ教会の鐘楼、トームペアの丘の大聖堂の鐘楼、聖霊教会の尖塔、旧市庁舎の尖塔、そして聖ニコラス教会の鐘楼です。左端には数門の大砲を備えた要塞も見えます。海面には帆船や蒸気船が見えます。
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画面の右下隅の漁船らしき小舟を拡大しました。
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こちらの作品も、アレクセイ.ペトロヴィッチ.ボゴリュボフです。ヨット、蒸気船、帆船などが見えます。水路の通行を分ける一列に並んだブイも見えます。
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帝政ロシアの画家ヴラディーミル.イェゴロヴィッチ.マコフスキー(Vladimir Yegorovich Makovsky:1846-1920)の1878年の作品で「子供を抱いた若い農家の女性」です。マコフスキーの作品は、永続的なユーモアと露骨な皮肉と軽蔑によって特徴付けされました。
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ロシア帝国の画家で彫刻家のイリヤ.レーピン(Ilja Repin:1844-1930)の1877年の作品で「兵士の物語」です。イリヤ.レーピンは19世紀で最も有名なロシアの芸術家であり、芸術の世界での彼の地位は、文学におけるレオ.トルストイの地位に匹敵していました。
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ウクライナ生まれの帝政ロシアの画家であるイヴァン.コンスタンチノヴィチ.アイヴァゾフスキー(Ivan Konstantinovich Aivazovsky:1817-1900)の1898年の作品「海」です。アイヴァゾフスキーはロシア海軍の主要な画家に任命されました。彼のほぼ60年のキャリアで、約6,000枚の絵画を描き、彼を当時の最も多作な芸術家の1人にしました。彼の作品の大部分は海景ですが、彼はしばしば戦闘シーン、アルメニアのテーマ、肖像画などを描いています
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こちらもウクライナ生まれの帝政ロシアの画家ルフィム.ガブリロヴィッツ.スドコフスキー(Rufim Gavrilovits Sudkovski:1850-1885)の晩年の作品「オデッサの埠頭」です。オデッサは、黒海に面した港町です。突堤の外の海は荒れていますが、港内は比較的静かなようです。全ての帆船のマストが真っ直ぐに立っています。
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角部屋の空色の壁の展示室です。
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ロシアの画家であり、この時代における主要な肖像芸術家の一人であったヴァレンティン.アレクサンドロヴィチ.セローフ(Valentin Aleksandrovitch Serov:1865-1911)の1903年の作品で「浜辺の子供達」です。
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エストニア生まれのバルト.ドイツ人の画家オスカー.ホフマン(Oskar Georg Adolf Hoffmann:1851-1912)の1899年の作品で「市場への道で」です。
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鏡に映した二人の記念写真です。これでカドリオルク宮殿の見学を終え、次のミッケル博物館に向かいます。
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ミッケル博物館に入ります。この建物は、1754年に建てられたカドリオルク宮殿の2階建ての料理室を改装し、実業家ヨハンネス.ミッケルが収集した芸術品を展示しています。
この絵は、ザンクト.ペテルスブルグで活躍したロシアの画家ガヴリル.コンドラテンコ(Gavriil Kondratenko:1854 - 1924)の作品で、10世紀のウクライナのキエフ大公国王妃オルガの物語です。オルガは軍隊に、小さな布で縛られた硫黄片を鳩に取り付けるように指示しました。夜になり硫黄に火を点けて鳩を放します。鳩は市内の巣に戻り、その後、コロステンの街は炎上しました。 -
コロステンの炎上を眺める王妃オルガのグループを拡大しました。
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バルト.ドイツ人の画家カール.ゴットリーブ.ヴェニッヒ(Karl Gottlieb Wenig(1830 - 1908)の作品で「1478年のノヴゴロド共和国の崩壊」です。ノヴゴロド共和国は帝政ロシアの貴族共和制の国家の1つです。このシーンでは、ノヴゴロドがモスクワ大公イヴァン3世により攻め滅ぼされ、ノヴゴロド共和国民会の象徴であるヴェーチェの鐘が持ち去られようとしています。
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ロシアの宗教、歴史、肖像画家ピョートル.ベイシン(Pjotr Basin:1793-1877)作の「グラックス兄弟とその母コーネリア」です。コーネリアは、第二次ポエニ戦争(紀元前3世紀)の英雄であるローマ帝国将軍のスキピオ.アフリカヌスの次女でローマ帝国の政治家グラックスと結婚し12人の子供を産み、その中の二人の男子のティベリウスとガイウスを政治家にするために努力しました。
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以下6点の絵画は、画家や題名が見つけられませんでしたが、興味があった絵ですので掲載します。
この絵は、獲物を持って帰って来た父親を迎える家族でしょうか。犬、猫、鶏もいます。大きなカマドは暖房も兼ねたものでしょうか。左の小さなテーブルには3人分のお皿とナイフ、フォークが用意されています。 -
こちらは、賑やかで楽しそうな会食が行われています。2匹の犬は猟犬でしょうか、女性は誰もいません。
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少し波が荒そうな海の光景です。
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こちらは静かな海面の港です。
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家屋に比べて大きな教会が中央にある村の景色でしょうか。左の小屋が不思議な建て方になっています。
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こちらは中東の風景のように見えます。
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カドリオルグ宮殿の南東側にあるクム美術館に向かいます。この5階建ての近代的デザインの建物は、フィンランドの建築家の設計で2006年に完成しました。
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1階は講堂とカフェがあります。右側は上掲の写真に見られる円筒を弦の形にカットしたようなガラス張りの建物で、左側は石灰岩の丘をくり抜いて造られた部分です。
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2階は特別展にも使われる大ホールとショップ、3階は18世紀から1945年までのエストニア芸術、4階はソヴィエト連邦時代の1945-1991年のエストニア芸術、5階は現代芸術の展示室になっています。現代芸術には興味は無いので4階と3階を回ります。
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4階の1945-1991年のエストニア芸術の展示室です。エストニアは1918年にロシア帝国から独立しましたが、独ソ不可侵条約の秘密協定で1939年にソ連軍が侵攻し、第2次世界大戦中はドイツが一時占領し、戦後はソヴィエト連邦の1共和国にされました。その戦後のソ連邦共産主義時代の芸術作品です。一眼で共産党独裁国家の宣伝用だとわかる作品群です。
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こちらの最下段の絵では毛沢東まで登場しています。
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この絵は、エストニアの画家エルマー.キッツ(Elmar Kits:1913-1972)とエヴァルドカス(Evald Okas:1915-2011)の1951年の共作で「レーニンとスターリンを訪問するエストニアの赤軍警備兵」です。縦長の絵画の下部のみ切り取りました。左手前のレーニン(1870-1924)、テーブルの後ろのスターリン(1878-1953)。 右側は、武器を持った兵士の制服を着た男性のグループです。このシーンがどこで、いつ、どんな状況なのか確認する事ができませんでした。
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3階に下りて、1945年までのエストニア芸術(古典)の展示を鑑賞します。
これは、ラトヴィアで肖像画家として活躍したバルト.ドイツ人のフリードリヒ.ハルトマン.バリシエン(Friedrich Hartmann Barisien:1724-1796)とドイツ人の画家クリスチャン.ゴットリーブ.ヴェルテ(Christian Gottlieb Welte (1748 - 1792)との共作で1783年に制作した「冬のポルツァマー宮殿」です。 縦長のパネルで上部の空をカットした写真です。中央にはソリが横転し御者が犬に吠えられています。その左になぜか牛が2頭見えます。 -
エストニア生まれのバルト.ドイツ人の画家カール.ティモレオン.フォン.ネフ(Carl Timoleon von Neff:1804-1877)の1839年の作品「鶏に餌を与えるエストニアの女性」です。
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多くの肖像画を残しているバルト.ドイツ人の画家グスタフ.アドルフ.ヒッピウス(Gustav Adolf Hippius:1792-1856)の1852年の作品2点です。
上の絵は、エストニアの民族衣装を着た花嫁姿の少女の胸像です。少し右に向き、垂らした髪で、頭には花嫁の象徴であるリボンがぶら下がっている冠を被り、右手で指輪を握っています。
下の絵は、エストニアの民族衣装を着た若い女性の胸像です。 頭にポット.ハット、髪も結ばず垂らしています。 -
晩年ドイツのデュッセルドルフに移住したバルト.ドイツ人の画家アレクサンダー.ゲオルク.シュレーター(Alexander Georg Schlater:1834-1879)の作品2点です。これは「ハットルプ防衛塔のあるタリンの眺め」です。ハットルプ防衛塔は、旧市街の北端で、聖オレフ教会の近くにあります。
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こちらは1873年の作品で「釣り船」です。2隻の釣り船が陸に引き上げられ、一人の男性が船に近づいています。
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バルト.ドイツ人の画家アレクサンダー.ハインリッヒ.グレガー.フォン.ボッホマン(Gregor Alexander Heinrich von Bochmann:1850-1930)の1872年の作品「市場」です。これは家畜の売買が行われている市場でしょうか。フォン.ボッホマンは、エストニアの農民や海浜の人々、そしてオランダや他の国々の日常生活を描いていました。
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多くの風景画、特に海岸から見える海の風景を描いたバルト.ドイツ人画家のオイゲン.グスタフ.デュッカー(Eugen Gustav Duecker:1841-1916)の作品4点です。彼は1864年からドイツのデュッセルドルフに移住しました。
この絵は1860年制作の「エストニアの西にあるサーレマー島の景観」です。 -
こちらは1862年に描かれた「エストニア南部の風景」です。左側の手前にある古い背の高い木。中央の右岸に水車堰と粉挽き小屋がある曲がりくねった川です。粉挽き小屋の後方には樹木に一部隠れた家屋が見えます。右岸には女性の姿も見えます。川の前景にある空のボート、空は白っぽい-灰色の雲が棚引いています。
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これは1866年の作品「ティスクレの海浜」です。ティスクレは、タリンの最西端の地区です。漁業用でしょうか、4艘の小舟が海から浅い砂浜に引き上げられています。賑やかな人々のグループも見えます。奥には落葉樹のある高い石灰岩の土手です。
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こちらは場所の特定がされていない1875年の作品で「海浜にて」です。左手前の岩の上に座っている女性と男の子の姿が見えます。静かな海の右側に1隻の帆船が見えます。空は少し曇っています。
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歴史、肖像、風景画を得意としたバルト.ドイツ人の画家ルドルフ.ジュリアス.フォン.ズール.ミューレン(Rudolf Julius von zur Mühlen:1845-1913)の1883年の作品「浜辺で」です。漁師が網を担いでやって来ました。この網も干すのでしょう。
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バルト.ドイツ人のエドゥアルト.カール.フランツ.フォン.ゲブハルト(Eduard Karl Franz von Gebhardt:1838-1925)の1904年の作品「山上の説教を聞く」です。フォン.ゲブハルトは1860年にデュッセルドルフに移住しています。前景では、丘の斜面に多くの人々が密集して座っています。
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エストニアで初めて芸術学校で学んだヨハン.ケーラー(Johann Köler:1826-1899)の作品6点です。
これは1859年の作品で「十字架のキリスト」です。この絵はヨハン.ケーラーがローマ滞在中に描いています。その後彼はザンクト.ペテルスブルグに呼び戻され、1862年から1874年まで皇帝アレクサンドル2世の娘であるマリア.アレクサンドロ.フナ大公爵夫人の芸術教師になりました。ヨハン.ケーラーはまた、1850年頃から始まる「エストニア民族の目覚めの時代」を引っ張った芸術家の一人でした。 -
これは1861年の作品で「泉で陶器の水差しを持って遊ぶ少女」です。
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この絵は、1861年に制作した右側のプロフィールの若いイタリアの女性の胸像です。 白のレース.トリムのブラウスとグリーン.グレーのボディスを身に着け、ショルダー.ストラップを肩にかけています。ヘッドギア用の白いタオル、サンゴのイヤリングとネックレスのジュエリーなどが目につきます。
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こちらは1862年に制作された作品で「小川の側で子供を連れたイタリア人の女性」です。前景の浅瀬で、岸辺から若い黒髪の女性が足を踏み入れます。右手で赤い胴着のスカートを上げ、その前にエプロンを着けています。エプロンの上下にある幅広のアップリケの裾、ネック.ラインが深いブラウス、首周りに2列の珊瑚のネックレスを着用しています。左手に空の銅製の水差しを持ち、頭の上の平底のバスケットには子供が座っています。女性の隣りで、黒髪の少年が水の中を歩き、右手でシャツをへその上に持ち上げ、左手で女性のスカートを握っています。背景には山岳風景があり、左側には大きな落葉樹が家族に陰影を落としています。
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これは1875年に制作した「クリミア半島の南海岸にあるマトカ.マナーとバイダー.ゲート」です。右側の大木で男の子が木ノ実を採っています。木の下では女の子が手を伸ばして木ノ実を採っているようです。写真は横長のパネルの右側2/3を切り取りました。
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6点目の作品は1878年の作品「忠実な守護犬」です。花の牧草地にある大きな白樺の幹の前に座っている女の子、左側に長い毛並みの大きな犬がいます。この写真は縦長のパネルの中央部を切り取りました。
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エストニア生まれのバルト.ドイツ人の女性画家サリー.フォン.キューゲルゲン(Sally von Kuegelgen:1860-1928)の1907年の作品「猫を肩に抱く女性」です。フォン.キューゲルゲンは1890年にローマに移住し、特に夏にはエストニアに戻るというかたちで活動していました。
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20世紀初頭のエストニアにおける最も影響力の大きい画家パウル.ラウト(Paul Raud (1865 - 1930)の1920年の作品で「エストニアの女性」です。
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こちらもパウル.ラウトの作品で「ママはゆりかごを牧草地に持ってきた」です。
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エストニアの画家で、演劇芸術家やグラフィック芸術家としても活躍したピート.アレン(Peet Aren:1889-1970)の1917年の作品で「教会への道で」です。
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風景画で知られたエストニアの画家コンラート.メギ(Konrad Mägi:1878-1925)の1916年の作品「白い衣装の女性」です。
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海と風景画で知られるエストニアの画家リチャード.ウトマー(Richard Uutmaa:1905-1977)の1941年の作品「ライ麦の刈り取り」です。真ん中の前景では、女性がライ麦を三日月型の鎌で刈り取り、束を結んでいます。左隅では、子供たちがライ麦の束に座っています。遠くには、茅葺き屋根の古い農家が見えます。
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午後4時20分、クム美術館を出ます。今日は忙しい美術館巡りでした。
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カドリオルグ公園内の細い運河を左手に、A.ヴァイツェンベルギ通りを市電の停留所に向かって歩いていきます。樹木も紅葉が始まっているようで、綺麗です。
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運河に鴨の姿が見えます。
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A.ヴァイツェンベルギ通りに沿った運河の更に奥左側にこの白鳥の池があります。その池の中央にあるパビリオンです。
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また3番の市電に乗って旧市街の方向に戻っていきます。
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市電車内の案内板です。この案内板で面白いのは、市電の進行方向は下から上になっている事です。次の停留所は"Tallinna Ulikool"で、その次が"Hobujaama"、"Viru"となっています。
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"Hobujaama"停留所で交差する路線2番の市電の車両は、ソ連邦時代に共産圏の標準となっていたチェコスロヴァキア製のタトラ型です。古い高床式の車両なので荷物を持って乗降するのが大変です。
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午後5時です。ホテルに戻ってきました。右端にマイ.シティ.ホテル、その奥に映画館です。
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ホテルの部屋から眺めた夜景です。上掲の写真と同じ西の方向です。
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こちらは南の方向です。
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