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2016年秋、羽田からスカンディナヴィア航空でコペンハーゲン経由オスロに到着し、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、エストニア、ラトヴィア、リトアニア、デンマークとヨーロッパ7カ国を訪問し、コペンハーゲンから羽田に帰って来ました。今回も絵画鑑賞が主な目的の再訪です。<br /><br />旅程の概略です。<br />★ 9月20日 羽田からスカンディナヴィア航空でコペンハーゲン経由でオスロへ。オスロ泊。<br />★ 9月21~22日 オスロ泊。<br />★ 9月23~24日 ベルゲン泊。<br />★ 9月25日 フロム泊。<br />★ 9月26日 ベルゲン泊。<br />★ 9月27~28日 ストックホルム泊。<br />★ 9月29日 船中泊。<br />★ 9月30日~10月1日 ヘルシンキ泊。<br />★ 10月2~4日 タリン泊。<br />★ 10月5~7日 リガ泊。<br />★ 10月8~10日 ヴィルニュス泊。<br />★ 10月11~12日 コペンハーゲン泊。<br />★ 10月13日 コペンハーゲン空港からスカンディナヴィア航空で羽田へ。<br /><br />この22回目の旅行記は、リトアニアのヴィリニュスからカウナスへデイ.トリップした記録です。2003春の旅のトゥラカイへのデイ.トリップも掲載します。

シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (22)リトアニアのヴィリニュスからカウナスへデイ.トリップです(10月9日)

20いいね!

2016/09/20 - 2016/10/14

78位(同エリア230件中)

さわ子さん

2016年秋、羽田からスカンディナヴィア航空でコペンハーゲン経由オスロに到着し、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、エストニア、ラトヴィア、リトアニア、デンマークとヨーロッパ7カ国を訪問し、コペンハーゲンから羽田に帰って来ました。今回も絵画鑑賞が主な目的の再訪です。

旅程の概略です。
★ 9月20日 羽田からスカンディナヴィア航空でコペンハーゲン経由でオスロへ。オスロ泊。
★ 9月21~22日 オスロ泊。
★ 9月23~24日 ベルゲン泊。
★ 9月25日 フロム泊。
★ 9月26日 ベルゲン泊。
★ 9月27~28日 ストックホルム泊。
★ 9月29日 船中泊。
★ 9月30日~10月1日 ヘルシンキ泊。
★ 10月2~4日 タリン泊。
★ 10月5~7日 リガ泊。
★ 10月8~10日 ヴィルニュス泊。
★ 10月11~12日 コペンハーゲン泊。
★ 10月13日 コペンハーゲン空港からスカンディナヴィア航空で羽田へ。

この22回目の旅行記は、リトアニアのヴィリニュスからカウナスへデイ.トリップした記録です。2003春の旅のトゥラカイへのデイ.トリップも掲載します。

旅行の満足度
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
鉄道 高速・路線バス 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 7時半起床です。ホテルの部屋からヴィルニュス大学内の聖ヨハネ教会の鐘楼が目の前に見えます。

    7時半起床です。ホテルの部屋からヴィルニュス大学内の聖ヨハネ教会の鐘楼が目の前に見えます。

  • 朝8時に朝食に行きました。ホテルの食堂は地階にあります。

    朝8時に朝食に行きました。ホテルの食堂は地階にあります。

  • 以前はワイン蔵だったようで名前もセラー.レストランです。

    以前はワイン蔵だったようで名前もセラー.レストランです。

  • 食品の質も量も適切で、サービスも不服はありませんでした。

    食品の質も量も適切で、サービスも不服はありませんでした。

  • 8時50分ホテルを出ました。今日は雨の中カウナスにデイ.トリップです。9時35分発の列車に乗る予定ですが、切符は未だ買っていません。ホテルから鉄道駅まで傘をさして歩いて行きます。雨は本格的です。通りの正面にロシア正教の教会が見えてきました。

    8時50分ホテルを出ました。今日は雨の中カウナスにデイ.トリップです。9時35分発の列車に乗る予定ですが、切符は未だ買っていません。ホテルから鉄道駅まで傘をさして歩いて行きます。雨は本格的です。通りの正面にロシア正教の教会が見えてきました。

  • ピリエス通りを北の方向に振り返っています。この辺りのピリエス通りの西側(写真の左側)は、新しい近代の建物が続いています。

    ピリエス通りを北の方向に振り返っています。この辺りのピリエス通りの西側(写真の左側)は、新しい近代の建物が続いています。

  • 市庁舎広場の北縁に来ました。正面左に旧市庁舎が見えます。

    市庁舎広場の北縁に来ました。正面左に旧市庁舎が見えます。

  • 結構雨が降っています。広場の中程で西側の建物の並びです。広場の中央に噴水と花壇があります。

    結構雨が降っています。広場の中程で西側の建物の並びです。広場の中央に噴水と花壇があります。

  • 旧市庁舎横から夜明けの門に向かっている途中、国立フィルハーモニーの前で間違って左の方向に入ってしまい、その後1時間以上迷って歩き続ける事になりました。雨の中だったので、地図の確認を疎かにした結果です。手持ちの地図外になってしまったので役に立ちません。雨の中、歩いている人はほとんどなく尋ねる事も困難でした。

    旧市庁舎横から夜明けの門に向かっている途中、国立フィルハーモニーの前で間違って左の方向に入ってしまい、その後1時間以上迷って歩き続ける事になりました。雨の中だったので、地図の確認を疎かにした結果です。手持ちの地図外になってしまったので役に立ちません。雨の中、歩いている人はほとんどなく尋ねる事も困難でした。

  • 何とかかんとか、鉄道線路近くに達し、やっと駅近くに辿り着きました。

    何とかかんとか、鉄道線路近くに達し、やっと駅近くに辿り着きました。

  • 駅に着いて切符を購入し、10時25分発の列車に乗車する事になりました。50分も計画より遅い列車です。殺風景な地下道を通ってホームへ進みます。

    駅に着いて切符を購入し、10時25分発の列車に乗車する事になりました。50分も計画より遅い列車です。殺風景な地下道を通ってホームへ進みます。

  • 列車はヴィルニュスを定時の10時25分に発車しました。カウナスには11時37分に到着する筈です。

    列車はヴィルニュスを定時の10時25分に発車しました。カウナスには11時37分に到着する筈です。

  • 乗車後50分程過ぎて車内検札が始まりました。

    乗車後50分程過ぎて車内検札が始まりました。

  • 駅前からトロリー.バスに乗りました。女性の運転手さんです。駅から北西の方向にある旧市街に向かいます。

    駅前からトロリー.バスに乗りました。女性の運転手さんです。駅から北西の方向にある旧市街に向かいます。

  • 切符は運転手さんから買いました。老人は何と80%引きの 0.16 ユーロでした。

    切符は運転手さんから買いました。老人は何と80%引きの 0.16 ユーロでした。

  • 手持ちの地図を見ながら、ここだと思う停留所でバスを下りました。駅から西の方向に旧市街を走り、方向を北に変えた直後で、ネリス川の手前のロータリー近くのバス停です。

    手持ちの地図を見ながら、ここだと思う停留所でバスを下りました。駅から西の方向に旧市街を走り、方向を北に変えた直後で、ネリス川の手前のロータリー近くのバス停です。

  • 寒いと思ったら気温7度Cの表示です。

    寒いと思ったら気温7度Cの表示です。

  • バス停から西の方向に歩きます。目標は聖ペトロ&パウロ大聖堂です。

    バス停から西の方向に歩きます。目標は聖ペトロ&パウロ大聖堂です。

  • 上掲の写真の中央で左寄りを拡大しました。この写真の中央の建物は、現在「古代の工芸品と芸術」という名のお土産さんだそうです。この建物の屋根の右奥にカウナス城の塔の三角屋根が僅かに見えています。これからこの建物の前を左に曲がって南の方向に歩きます。

    上掲の写真の中央で左寄りを拡大しました。この写真の中央の建物は、現在「古代の工芸品と芸術」という名のお土産さんだそうです。この建物の屋根の右奥にカウナス城の塔の三角屋根が僅かに見えています。これからこの建物の前を左に曲がって南の方向に歩きます。

  • 聖ペトロ&パウロ大聖堂のファサード前に来ました。

    聖ペトロ&パウロ大聖堂のファサード前に来ました。

  • 聖ペトロ&amp;パウロ大聖堂の標識板です。現在の聖ペトロ&amp;パウロ大聖堂の建物は1624年に完成しましたが、その直後の1655年に戦災を受け1671年に再建されています。更に1732年の火災で喪失した双子の鐘楼の内一つだけだ再建されました。この聖堂の外観は比較的シンプルで、赤レンガの壁面に白漆喰のアクセント以外に彫像などの装飾は全くありません。

    聖ペトロ&パウロ大聖堂の標識板です。現在の聖ペトロ&パウロ大聖堂の建物は1624年に完成しましたが、その直後の1655年に戦災を受け1671年に再建されています。更に1732年の火災で喪失した双子の鐘楼の内一つだけだ再建されました。この聖堂の外観は比較的シンプルで、赤レンガの壁面に白漆喰のアクセント以外に彫像などの装飾は全くありません。

  • 聖ペトロとパウロ大聖堂に入ります。今日は日曜日のなので大勢の人が参集したミサが行われていました。

    聖ペトロとパウロ大聖堂に入ります。今日は日曜日のなので大勢の人が参集したミサが行われていました。

  • 内陣を拡大しました。大きなシャンデリアが堂内を明るくしています。

    内陣を拡大しました。大きなシャンデリアが堂内を明るくしています。

  • ミサ中は前方には行けません。望遠レンズで内陣を撮影します。白い柱、金色のアクセント、同じく白色の多くの彫像が見えます。綺麗な内陣です。ミサ中は自由に動き回れませんが、明るく照明が点けられているので、この日のように雨で外光が期待できない場合にはミサ中が鑑賞や写真撮影には最適です。

    ミサ中は前方には行けません。望遠レンズで内陣を撮影します。白い柱、金色のアクセント、同じく白色の多くの彫像が見えます。綺麗な内陣です。ミサ中は自由に動き回れませんが、明るく照明が点けられているので、この日のように雨で外光が期待できない場合にはミサ中が鑑賞や写真撮影には最適です。

  • 身廊の左側です。白色の教会内部で目立つ木造の比較的小さな説教壇が見えます。

    身廊の左側です。白色の教会内部で目立つ木造の比較的小さな説教壇が見えます。

  • 身廊と側廊を隔てる柱に掲げてある絵画です。「東方3賢王の礼拝」の図のようです。

    身廊と側廊を隔てる柱に掲げてある絵画です。「東方3賢王の礼拝」の図のようです。

  • こちらは幼子キリストとヨセフと、三位一体の父なる神、鳩で表す精霊が上部に描かれています。

    こちらは幼子キリストとヨセフと、三位一体の父なる神、鳩で表す精霊が上部に描かれています。

  • 天井と身廊両側の壁面です。壁面上部に並べられた絵画以外はあっさりとした装飾になっています。

    天井と身廊両側の壁面です。壁面上部に並べられた絵画以外はあっさりとした装飾になっています。

  • 天井ヴォールトを拡大しました。雲間の天使が見えます。

    天井ヴォールトを拡大しました。雲間の天使が見えます。

  • 身廊と側廊を隔てる列柱上部壁面の絵画です。

    身廊と側廊を隔てる列柱上部壁面の絵画です。

  • この絵は「ガリラヤ湖の奇跡の漁」の話でしょうか。ある日ガリラヤ湖畔で漁師の兄弟ペテロとアンデレが網を打っていましたが不漁でした。キリストは彼らに「沖で漁をしなさい」と告げます。半信半疑でそうすると驚くほどの大漁になりました。そして彼らはキリストの弟子になりました。キリストの弟子の召命です。

    この絵は「ガリラヤ湖の奇跡の漁」の話でしょうか。ある日ガリラヤ湖畔で漁師の兄弟ペテロとアンデレが網を打っていましたが不漁でした。キリストは彼らに「沖で漁をしなさい」と告げます。半信半疑でそうすると驚くほどの大漁になりました。そして彼らはキリストの弟子になりました。キリストの弟子の召命です。

  • 側廊にあった教会内の子供の遊び場です。親がミサに参加している間、小さな子供達が遊ぶ場所になっています。

    側廊にあった教会内の子供の遊び場です。親がミサに参加している間、小さな子供達が遊ぶ場所になっています。

  • 聖ペトロ&パウロ大聖堂を出て隣りの市庁舎広場を覗きます。

    聖ペトロ&パウロ大聖堂を出て隣りの市庁舎広場を覗きます。

  • 市庁舎前広場の東の角から西の方向に市立博物館になっている旧市庁舎を左隅に望みます。

    市庁舎前広場の東の角から西の方向に市立博物館になっている旧市庁舎を左隅に望みます。

  • 広場の南西側にあり、写真で旧市庁舎の左側にはイエズス会のフランシスコ.ザビエル教会が僅かに見えています。

    広場の南西側にあり、写真で旧市庁舎の左側にはイエズス会のフランシスコ.ザビエル教会が僅かに見えています。

  • 広場の東南側のユニークなデザインの古い建物の並びです。

    広場の東南側のユニークなデザインの古い建物の並びです。

  • 聖ペトロ&amp;パウロ大聖堂を左側に見てヴィリュニアウス通りを東に歩いて行き旧市街を後にする事にしました。

    聖ペトロ&パウロ大聖堂を左側に見てヴィリュニアウス通りを東に歩いて行き旧市街を後にする事にしました。

  • 途中で見つけた壁画です。

    途中で見つけた壁画です。

  • 大聖堂からの長いヴィリュニアウス通りからライスヴェス通りに入りました。ここから更に東の方向に歩いて行きます。ライスヴェス通りは、ほぼ東の方向に1.8Kmほどの直線の通りになっており、途中聖ミカエル教会が道路の真ん中に建っています。そしてライスヴェス通りの周りは碁盤の目になった街並みになっていて、大学や博物館があります。

    大聖堂からの長いヴィリュニアウス通りからライスヴェス通りに入りました。ここから更に東の方向に歩いて行きます。ライスヴェス通りは、ほぼ東の方向に1.8Kmほどの直線の通りになっており、途中聖ミカエル教会が道路の真ん中に建っています。そしてライスヴェス通りの周りは碁盤の目になった街並みになっていて、大学や博物館があります。

  • ライスヴェス通りの北側にあったヴィータウタス大王(1352-1430)の記念碑です。ヴィータウタスは、1401年にポーランド王ヴワディスワフ2世から正式にリトアニア大公の位を譲られて即位しました。その後はポーランド.リトアニア連合としてドイツ騎士団に対抗し、1410年にはタンネンベルクの戦いで勝利を収めました。その結果、直後のホロドウォ合同において、ポーランドとリトアニア国家は一層緊密な関係を築くことになりました。

    ライスヴェス通りの北側にあったヴィータウタス大王(1352-1430)の記念碑です。ヴィータウタスは、1401年にポーランド王ヴワディスワフ2世から正式にリトアニア大公の位を譲られて即位しました。その後はポーランド.リトアニア連合としてドイツ騎士団に対抗し、1410年にはタンネンベルクの戦いで勝利を収めました。その結果、直後のホロドウォ合同において、ポーランドとリトアニア国家は一層緊密な関係を築くことになりました。

  • ライスヴェス通りの中央は2列の並木通りになっています。

    ライスヴェス通りの中央は2列の並木通りになっています。

  • ライスヴェス通りから北に入りヴィエニーベス広場近く、ヴィータウタス大公戦争博物館の東側で国立チュルリョーニス美術館に行く道を尋ねます。チュルリョーニス美術館は、主に画家で作曲家であったミカロユス.チュルリョーニス(1875-1911)の作品が展示されているそうです。

    ライスヴェス通りから北に入りヴィエニーベス広場近く、ヴィータウタス大公戦争博物館の東側で国立チュルリョーニス美術館に行く道を尋ねます。チュルリョーニス美術館は、主に画家で作曲家であったミカロユス.チュルリョーニス(1875-1911)の作品が展示されているそうです。

  • ヴィータウタス大公戦争博物館の北側の通りを歩いて行きます。通りの北側で所々に色々なオブジェが緑地に展示してあります。

    ヴィータウタス大公戦争博物館の北側の通りを歩いて行きます。通りの北側で所々に色々なオブジェが緑地に展示してあります。

  • これは合唱隊でしょうか。

    これは合唱隊でしょうか。

  • やっと辿り着いたのは国立チュルリョーニス美術館ではなく、悪魔博物館だったのです。後でよく調べると、チュルリョーニス美術館は通りの北側ではなく南側で、ヴィータウタス大公戦争博物館の建物内にあったようです。小さな地図で雨の中、2回目の大失態でしたが当時はこの間違いを気づきませんでした。<br />悪魔博物館は世界から集められた悪魔の彫像や彫り物を収集し展示しています。その展示室の1室です。

    やっと辿り着いたのは国立チュルリョーニス美術館ではなく、悪魔博物館だったのです。後でよく調べると、チュルリョーニス美術館は通りの北側ではなく南側で、ヴィータウタス大公戦争博物館の建物内にあったようです。小さな地図で雨の中、2回目の大失態でしたが当時はこの間違いを気づきませんでした。
    悪魔博物館は世界から集められた悪魔の彫像や彫り物を収集し展示しています。その展示室の1室です。

  • 展示品です。アフリカの作品でしょうか。

    展示品です。アフリカの作品でしょうか。

  • 手の込んだ手彫りの作品です。

    手の込んだ手彫りの作品です。

  • 化け物を背負ったセールス.マンでしょうか。

    化け物を背負ったセールス.マンでしょうか。

  • こんな絵も掲げてありました。3人兄妹でしょうか。

    こんな絵も掲げてありました。3人兄妹でしょうか。

  • 農作業の一環で小さな藁束を作っているように見えます。

    農作業の一環で小さな藁束を作っているように見えます。

  • 浜辺に引き上げられた漁船でしょうか。

    浜辺に引き上げられた漁船でしょうか。

  • 別の展示室です。

    別の展示室です。

  • トイレの扉にもこんなイラストが描かれていました。

    トイレの扉にもこんなイラストが描かれていました。

  • こんな筈ではなかったと、僅か20分で博物館を出ました。近くにあったヴィータウタスマグナス大学の壁面に掲げられていた大学の紋章です。

    こんな筈ではなかったと、僅か20分で博物館を出ました。近くにあったヴィータウタスマグナス大学の壁面に掲げられていた大学の紋章です。

  • ライスヴェス通りに戻って来ました。東の方向で通りの奥に聖ミカエル教会が見えています。

    ライスヴェス通りに戻って来ました。東の方向で通りの奥に聖ミカエル教会が見えています。

  • ネオ.ビザンティン建築のローマ.カトリック教会である聖ミカエル教会は、ライスヴェス通りの東方で、通りの中央に鎮座しています。

    ネオ.ビザンティン建築のローマ.カトリック教会である聖ミカエル教会は、ライスヴェス通りの東方で、通りの中央に鎮座しています。

  • 聖ミカエル教会がある正方形の広場の南西角にジリンスカ美術館があります。教会も含め広場周りの古い建物と大きく異なるモダンなデザインの建物です。先にこの美術館に入ります。

    聖ミカエル教会がある正方形の広場の南西角にジリンスカ美術館があります。教会も含め広場周りの古い建物と大きく異なるモダンなデザインの建物です。先にこの美術館に入ります。

  • 美術館の入り口です。

    美術館の入り口です。

  • ベルギーの画家アルマンド.マソネット(Armand Massonet:1892-1979)作の「緑の服の女性」です。

    ベルギーの画家アルマンド.マソネット(Armand Massonet:1892-1979)作の「緑の服の女性」です。

  • これもベルギーの画家ルイ.クリーゼ(Louis Cleese:1889-1961)の作品「漁師の妻」です。夫が魚を捕り妻が魚を売るの役割分担でしょうか。

    これもベルギーの画家ルイ.クリーゼ(Louis Cleese:1889-1961)の作品「漁師の妻」です。夫が魚を捕り妻が魚を売るの役割分担でしょうか。

  • 盛期バロックのイタリアの画家ドメニキーノ(Domenichino:1581-1641)作の「巫女」です。

    盛期バロックのイタリアの画家ドメニキーノ(Domenichino:1581-1641)作の「巫女」です。

  • ドメニキーノの作品で思い出したのがルーヴル美術館で写した「ヴィオールを奏でるサンタ.チェチリアと楽譜を持つ天使」です。サンタ.チェチリアは、音楽家の守護聖人です。ヴィオールは、ルネサンスとバロック時代に人気があった6弦の弦楽器です。

    ドメニキーノの作品で思い出したのがルーヴル美術館で写した「ヴィオールを奏でるサンタ.チェチリアと楽譜を持つ天使」です。サンタ.チェチリアは、音楽家の守護聖人です。ヴィオールは、ルネサンスとバロック時代に人気があった6弦の弦楽器です。

  • ローマやボローニャで活躍した盛期バロックのイタリアの画家グエルチーノ(Guercino:1591-1666)作の「ディアーナ」です。ディアーナは、ローマ神話に登場する、狩猟、貞節と月の女神です。

    ローマやボローニャで活躍した盛期バロックのイタリアの画家グエルチーノ(Guercino:1591-1666)作の「ディアーナ」です。ディアーナは、ローマ神話に登場する、狩猟、貞節と月の女神です。

  • グエルチーノの作品で上掲のディアーナに似た顔の女性がマドリードのティッセン.ポルネミッサ美術館で写した作品「井戸の側のキリストとサマリアの女性」の女性に瓜二つです。

    グエルチーノの作品で上掲のディアーナに似た顔の女性がマドリードのティッセン.ポルネミッサ美術館で写した作品「井戸の側のキリストとサマリアの女性」の女性に瓜二つです。

  • ミラノ出身でバロック初期のイタリア人画家および彫刻家のジュリオ.チェーザレ.プロカッチーニ(Giulio Cesare Procaccini:1570-1625)作の「聖カテリーナの神秘的な結婚」です。

    ミラノ出身でバロック初期のイタリア人画家および彫刻家のジュリオ.チェーザレ.プロカッチーニ(Giulio Cesare Procaccini:1570-1625)作の「聖カテリーナの神秘的な結婚」です。

  • 同じジュリオ.チェーザレ.プロカッチーニの作品をミラノのブレラ美術館で撮影していました。題材も同じ「聖カテリーナの神秘的な結婚」です。

    同じジュリオ.チェーザレ.プロカッチーニの作品をミラノのブレラ美術館で撮影していました。題材も同じ「聖カテリーナの神秘的な結婚」です。

  • こちらも同じジュリオ.チェーザレ.プロカッチーニの作品をエディンバラの国立スコットランド美術館で撮影していました。「聖母子と子供の洗礼者ヨハネと二人の天使」です。

    こちらも同じジュリオ.チェーザレ.プロカッチーニの作品をエディンバラの国立スコットランド美術館で撮影していました。「聖母子と子供の洗礼者ヨハネと二人の天使」です。

  • これはモデナ出身でバロック初期のイタリア人画家バルトロメオ.スケドーニ(Bartolomeo Schedoni:1578-1615)作の「悔い改めたマグダラのマリア」です。

    これはモデナ出身でバロック初期のイタリア人画家バルトロメオ.スケドーニ(Bartolomeo Schedoni:1578-1615)作の「悔い改めたマグダラのマリア」です。

  • 上掲の画家バルトロメオ.スケドーニの有名な絵画「施し」は、ナポリのカポディモンテ美術館にあるという事ですが、我々が2013年冬、2014年秋、2019年春と3回カポディモンテ美術館を訪れましたが、その作品を写していません。その代わり2016年冬の旅でマルケ州ウルビーノの国立マルケ美術館でコピー作品と思われる絵画を写していました。手前でこちらを見ている小さな子供が印象的です。

    上掲の画家バルトロメオ.スケドーニの有名な絵画「施し」は、ナポリのカポディモンテ美術館にあるという事ですが、我々が2013年冬、2014年秋、2019年春と3回カポディモンテ美術館を訪れましたが、その作品を写していません。その代わり2016年冬の旅でマルケ州ウルビーノの国立マルケ美術館でコピー作品と思われる絵画を写していました。手前でこちらを見ている小さな子供が印象的です。

  • シエナで活躍したイタリア人の画家フランチェスコ.ルスティチ(Francesco Rustici(1592-1626)作の「コンサート」です。この画家の作品では、カラヴァッジョとその追随者、いわゆるカラヴァッギスティの影響を受けて、夜行性効果の好みを示しています。

    シエナで活躍したイタリア人の画家フランチェスコ.ルスティチ(Francesco Rustici(1592-1626)作の「コンサート」です。この画家の作品では、カラヴァッジョとその追随者、いわゆるカラヴァッギスティの影響を受けて、夜行性効果の好みを示しています。

  • 同じフランチェスコ.ルスティチの作品で、シエナ大聖堂の洗礼者聖ヨハネの礼拝堂のフレスコ画の写真です。キリストを洗礼する聖ヨハネです。ところで洗礼者ヨハネは、イタリア語ではサン.ジョヴァンニ.バッティスタです。

    同じフランチェスコ.ルスティチの作品で、シエナ大聖堂の洗礼者聖ヨハネの礼拝堂のフレスコ画の写真です。キリストを洗礼する聖ヨハネです。ところで洗礼者ヨハネは、イタリア語ではサン.ジョヴァンニ.バッティスタです。

  • ルネサンス期のイタリアのヴェネツィア派の画家パルマ.イル.ヴェッキオ(Jacopo Palma II Vecchio:1480頃-1528)の作品で「聖母子と、マグダラのマリアとサン.ロッコ」です。

    ルネサンス期のイタリアのヴェネツィア派の画家パルマ.イル.ヴェッキオ(Jacopo Palma II Vecchio:1480頃-1528)の作品で「聖母子と、マグダラのマリアとサン.ロッコ」です。

  • パルマ.イル.ヴェッキオの有名な作品の一つがこの「聖家族と、アレキサンドリアの聖カトリーナと洗礼者ヨハネ」です。ヴェネツィアのアッカデミア美術館で撮影しました。

    パルマ.イル.ヴェッキオの有名な作品の一つがこの「聖家族と、アレキサンドリアの聖カトリーナと洗礼者ヨハネ」です。ヴェネツィアのアッカデミア美術館で撮影しました。

  • パルマに生まれマニエリスム初期のイタリア人画家パルミジャニーノ(Parmigianino:1503-1540)の作品で「幼子のイエスの水浴」です。

    パルマに生まれマニエリスム初期のイタリア人画家パルミジャニーノ(Parmigianino:1503-1540)の作品で「幼子のイエスの水浴」です。

  • パルミジャニーノと言えば、イタリア各地に素晴らしい作品が見られますが、パルマのギリシャ十字型の教会であるマドンナ.デッラ.ステッカータ教会の天井、主祭壇の上のアーチを飾るフレスコ画の写真を掲載します。マタイの福音書にあるイエスの譬え話し「賢い乙女と愚かな乙女」が題材です。こちらは賢い乙女です。<br /><br />

    パルミジャニーノと言えば、イタリア各地に素晴らしい作品が見られますが、パルマのギリシャ十字型の教会であるマドンナ.デッラ.ステッカータ教会の天井、主祭壇の上のアーチを飾るフレスコ画の写真を掲載します。マタイの福音書にあるイエスの譬え話し「賢い乙女と愚かな乙女」が題材です。こちらは賢い乙女です。

  • アーチの反対側のフレスコ画で、こちらは愚かな乙女です。マタイの福音書では、花嫁は、結婚式の日にランプを持って花婿を迎えに行来ます。その際、花婿との会合が遅れる場合を想定して油の予備を持参した賢い乙女はランプを長く灯し花婿を迎える事ができました。この2枚の絵を比べると、頭に百合が入った壺を載せ、手にランプを持った3人の乙女がいます。上掲の絵では、二つのランプが点灯していますが、こちらの絵ではランプが消えています。

    アーチの反対側のフレスコ画で、こちらは愚かな乙女です。マタイの福音書では、花嫁は、結婚式の日にランプを持って花婿を迎えに行来ます。その際、花婿との会合が遅れる場合を想定して油の予備を持参した賢い乙女はランプを長く灯し花婿を迎える事ができました。この2枚の絵を比べると、頭に百合が入った壺を載せ、手にランプを持った3人の乙女がいます。上掲の絵では、二つのランプが点灯していますが、こちらの絵ではランプが消えています。

  • パルマ生まれ、素朴な風景を描いたイタリアの画家ジョヴァンニ.バッティスタ.チマローリ(Giovanni Battista Cimaroli(1503-1540)作の「ヴェネト地方の町」です。

    パルマ生まれ、素朴な風景を描いたイタリアの画家ジョヴァンニ.バッティスタ.チマローリ(Giovanni Battista Cimaroli(1503-1540)作の「ヴェネト地方の町」です。

  • ティエポロの影響を強く受けたヴェネツィアのバロック後期またはロココ時代のイタリアの画家フランチェスコ.フォンテバッソ(Francesco Fontebasso:1709-1769)作の「スチピオの雅量」です。スペインの都市を征服した後、古代ローマの司令官スチピオは、彼の「戦利品」の中に美しい若い女性を見つけました。彼女が婚約していることを知ったとき、彼女を婚約者と両親に返しました。金の身代金を持ってきた少女の両親は、感謝の気持ちを込めてそれをスチピオに渡そうとしました。彼はそれを拒否し、代わりに若いカップルに結婚式の贈り物として返しました。

    ティエポロの影響を強く受けたヴェネツィアのバロック後期またはロココ時代のイタリアの画家フランチェスコ.フォンテバッソ(Francesco Fontebasso:1709-1769)作の「スチピオの雅量」です。スペインの都市を征服した後、古代ローマの司令官スチピオは、彼の「戦利品」の中に美しい若い女性を見つけました。彼女が婚約していることを知ったとき、彼女を婚約者と両親に返しました。金の身代金を持ってきた少女の両親は、感謝の気持ちを込めてそれをスチピオに渡そうとしました。彼はそれを拒否し、代わりに若いカップルに結婚式の贈り物として返しました。

  • 中央部を拡大しました。左に着座のスチピオ、中央に捕えられていた女性、その右で頭を下げ感謝する婚約者の男性です。

    中央部を拡大しました。左に着座のスチピオ、中央に捕えられていた女性、その右で頭を下げ感謝する婚約者の男性です。

  • 同じ作者の作品で「アンティオコスとストラトニケ」です。アンティオコスはシリアのセレウコス1世の息子でした。 彼は父親の新しい妻ストラトニケに恋をし、それが原因で致命的な病気になりましたが、これを秘密にしていました。その原因を知ったセレウコス1世は、アンティオコスにストラトニケを無私無欲で譲ります。ラブ.ストーリーと親の献身の例の両方の主題は、1800年代にかなりの人気を博しました。

    同じ作者の作品で「アンティオコスとストラトニケ」です。アンティオコスはシリアのセレウコス1世の息子でした。 彼は父親の新しい妻ストラトニケに恋をし、それが原因で致命的な病気になりましたが、これを秘密にしていました。その原因を知ったセレウコス1世は、アンティオコスにストラトニケを無私無欲で譲ります。ラブ.ストーリーと親の献身の例の両方の主題は、1800年代にかなりの人気を博しました。

  • 画面の中央を拡大しました。左にベッドに臥せるアンティオコス、中央に医者のエラシストラトス、右に着座のセレウコス1世と立位のストラトニケです。

    画面の中央を拡大しました。左にベッドに臥せるアンティオコス、中央に医者のエラシストラトス、右に着座のセレウコス1世と立位のストラトニケです。

  • パリの中心から北北東に43Km、コンデ美術館があるシャンティイ城で撮影した同じ題名の作品です。ダヴィッドから新古典主義を継承したジャン=オーギュスト=ドミニク.アングル(Jean-Auguste-Dominique Ingres:1780-1867)の作品です。この絵画では、ストラトニケを見て息子のアンティオコスが興奮し、彼の病気の原因を知った父親のセレウコス1世がベッドの端に倒れ込んでいます。

    パリの中心から北北東に43Km、コンデ美術館があるシャンティイ城で撮影した同じ題名の作品です。ダヴィッドから新古典主義を継承したジャン=オーギュスト=ドミニク.アングル(Jean-Auguste-Dominique Ingres:1780-1867)の作品です。この絵画では、ストラトニケを見て息子のアンティオコスが興奮し、彼の病気の原因を知った父親のセレウコス1世がベッドの端に倒れ込んでいます。

  • これはフランチェスコ.フォンテバッソの作品で、ヴェネツィアのカ.レッツォニコで写した写真です。題名は「ヴェネツィアの神格化」です。これもティエポロの画風を忍ばせます。

    これはフランチェスコ.フォンテバッソの作品で、ヴェネツィアのカ.レッツォニコで写した写真です。題名は「ヴェネツィアの神格化」です。これもティエポロの画風を忍ばせます。

  • バロック後期のイタリア人画家でナポリ派の巨匠のルカ.ジョルダーノ(Luca Giordano:1634-1705)作の「洗礼者ヨハネ」です。

    バロック後期のイタリア人画家でナポリ派の巨匠のルカ.ジョルダーノ(Luca Giordano:1634-1705)作の「洗礼者ヨハネ」です。

  • これは同じルカ.ジョルダーノの作品でルーヴル美術館で撮影した「マリアの結婚」です。

    これは同じルカ.ジョルダーノの作品でルーヴル美術館で撮影した「マリアの結婚」です。

  • 1時間ほどでジリンスカ美術館を出て、聖ミカエル教会に入ります。この教会は、当初はロシア正教会の教会で1893年にカウナス要塞の一部として建設されました。戦間期にはカトリック要塞としても使われました。1944年から1990年のソビエト連邦時代には美術館として利用され、リトアニアが再独立を果たすとともにカトリック教会に戻されました。<br />教会内では、大きなモニター画面にパイプ.オルガンの演奏場面が映されていました。

    1時間ほどでジリンスカ美術館を出て、聖ミカエル教会に入ります。この教会は、当初はロシア正教会の教会で1893年にカウナス要塞の一部として建設されました。戦間期にはカトリック要塞としても使われました。1944年から1990年のソビエト連邦時代には美術館として利用され、リトアニアが再独立を果たすとともにカトリック教会に戻されました。
    教会内では、大きなモニター画面にパイプ.オルガンの演奏場面が映されていました。

  • 内部は白一色の世界です。内陣の反対側にあるパイプ.オルガンを写しています。

    内部は白一色の世界です。内陣の反対側にあるパイプ.オルガンを写しています。

  • 教会の内陣に向かって左側の扉です。扉の両側には、近代の彫刻作品がおかれています。

    教会の内陣に向かって左側の扉です。扉の両側には、近代の彫刻作品がおかれています。

  • 内陣アプスに描かれた装飾です。これも近代の作品のようです。

    内陣アプスに描かれた装飾です。これも近代の作品のようです。

  • 聖ミカエル教会から南東の方向にある杉原記念館に向かいます。途中で見つけた看板です。これはダンス教室でしょうか。

    聖ミカエル教会から南東の方向にある杉原記念館に向かいます。途中で見つけた看板です。これはダンス教室でしょうか。

  • これは何でしょう?

    これは何でしょう?

  • これは教会のようです。

    これは教会のようです。

  • 途中で出会った人に道を尋ねながら杉原記念館を目指しました。途中この長い階段を登って来ました。

    途中で出会った人に道を尋ねながら杉原記念館を目指しました。途中この長い階段を登って来ました。

  • この先100mの標識を見つけました。

    この先100mの標識を見つけました。

  • ようやく杉原記念館を見つけました。もともと1939年11月に開設された日本総領事館です。その後。独ソ不可侵条約付属秘密議定書でリトアニアはソ連邦に併合され、独立国としての資格を失い全ての外国総領事館は閉鎖されます。戦後の2000年に杉原領事の功績を称えて記念館になりました。

    ようやく杉原記念館を見つけました。もともと1939年11月に開設された日本総領事館です。その後。独ソ不可侵条約付属秘密議定書でリトアニアはソ連邦に併合され、独立国としての資格を失い全ての外国総領事館は閉鎖されます。戦後の2000年に杉原領事の功績を称えて記念館になりました。

  • 元領事館の門柱には日本語でも「希望の門、命のヴィザ」の看板が掛かっています。

    元領事館の門柱には日本語でも「希望の門、命のヴィザ」の看板が掛かっています。

  • 記念館に入るとビデオが流れていました。

    記念館に入るとビデオが流れていました。

  • 杉原千畝(1900-1986)領事の映像です。杉原は、枢軸国側で日本の同盟国でもあったナチス.ドイツの迫害によりポーランドなど欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情しました。1940年7月から8月にかけて、外務省からの訓令に反して大量のビザ(通過査証)を発給し、避難民を救出しました。その避難民の大多数がユダヤ系であったので「東洋のシンドラー」とも呼ばれます。

    杉原千畝(1900-1986)領事の映像です。杉原は、枢軸国側で日本の同盟国でもあったナチス.ドイツの迫害によりポーランドなど欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情しました。1940年7月から8月にかけて、外務省からの訓令に反して大量のビザ(通過査証)を発給し、避難民を救出しました。その避難民の大多数がユダヤ系であったので「東洋のシンドラー」とも呼ばれます。

  • 領事執務室です。

    領事執務室です。

  • この部屋では杉原の人物を紹介しています。この壁面には生い立ちを説明しています。

    この部屋では杉原の人物を紹介しています。この壁面には生い立ちを説明しています。

  • こちらの壁面には、カウナス滞在中の杉原一家を紹介しています。

    こちらの壁面には、カウナス滞在中の杉原一家を紹介しています。

  • 杉原記念館を出て、アクロポリスという名の大きなショッピング.センターに入りワインを買いました。

    杉原記念館を出て、アクロポリスという名の大きなショッピング.センターに入りワインを買いました。

  • 駅前のバス乗り場に戻りました。ここでトロリー.バスに乗り旧市街に行きました。

    駅前のバス乗り場に戻りました。ここでトロリー.バスに乗り旧市街に行きました。

  • カウナス駅のホーム下の連絡通路です。広告もなくガランとしています。

    カウナス駅のホーム下の連絡通路です。広告もなくガランとしています。

  • ここでも人気でしょうか、クレーン.ゲーム機です。

    ここでも人気でしょうか、クレーン.ゲーム機です。

  • 17時5分カウナス発、ヴィルニュス着18時16分の列車に乗りました。

    17時5分カウナス発、ヴィルニュス着18時16分の列車に乗りました。

  • 定時にヴィルニュスに帰えりました。

    定時にヴィルニュスに帰えりました。

  • これがカウナスから乗車した可愛い気動車です。いわゆるレール.カーと言われるディーゼル駆動の車両で、2009年に造られたポーランド製と言う事です。

    これがカウナスから乗車した可愛い気動車です。いわゆるレール.カーと言われるディーゼル駆動の車両で、2009年に造られたポーランド製と言う事です。

  • こちらはラトヴィアの会社で1976年に造られたER9M型、4両固定編成の電車です。トゥラカイ行きと表示してありました。

    こちらはラトヴィアの会社で1976年に造られたER9M型、4両固定編成の電車です。トゥラカイ行きと表示してありました。

  • 駅舎側をよく見ると大きな人形がホームに立っていました。

    駅舎側をよく見ると大きな人形がホームに立っていました。

  • カー.シェアリング.サーヴィスの広告のようです。2012年にヴィルニュスから始め、2016年にカウナス、2017年にリトアニアのバルト海沿岸都市に利用可能範囲を拡大しました。その後ポーランド、ラトヴィアやエストニアまで拡大しています。

    カー.シェアリング.サーヴィスの広告のようです。2012年にヴィルニュスから始め、2016年にカウナス、2017年にリトアニアのバルト海沿岸都市に利用可能範囲を拡大しました。その後ポーランド、ラトヴィアやエストニアまで拡大しています。

  • ヴィルニュス駅舎の中央ホールです。

    ヴィルニュス駅舎の中央ホールです。

  • 午後6時半になりました。雨はまだ降っています。今日は1日中雨でした。駅を出て暫く線路に沿って東に歩き途中で北の方向に曲がります。正面に夜明けの門が見えます。

    午後6時半になりました。雨はまだ降っています。今日は1日中雨でした。駅を出て暫く線路に沿って東に歩き途中で北の方向に曲がります。正面に夜明けの門が見えます。

  • 夜明けの門の前に来ました。もともと9つあったヴィルニュス城壁の門の内、現在残っているのがこの門だけだそうです。

    夜明けの門の前に来ました。もともと9つあったヴィルニュス城壁の門の内、現在残っているのがこの門だけだそうです。

  • 今来た方向を振り返りました。雨の日曜日の夕方なので、車も人もまばらです。

    今来た方向を振り返りました。雨の日曜日の夕方なので、車も人もまばらです。

  • 夜明けの門を潜りました。同じ名前の通りです。

    夜明けの門を潜りました。同じ名前の通りです。

  • また振り返って夜明けの門を眺めます。16世紀この門の2階に、奇跡を起こすと言われた聖マリアの肖像が置かれた礼拝所が造られました。この聖母マリアは、カトリック教徒と正教徒の双方から崇敬されてきました。

    また振り返って夜明けの門を眺めます。16世紀この門の2階に、奇跡を起こすと言われた聖マリアの肖像が置かれた礼拝所が造られました。この聖母マリアは、カトリック教徒と正教徒の双方から崇敬されてきました。

  • 通りの東側にある礼拝所への入り口です。

    通りの東側にある礼拝所への入り口です。

  • 夜明けの門と市庁舎広場の中間にあるヨナス.バサナビチウス広場の前に来ました。この広場で今朝、道を間違えました。左手に国立フィルハーモニーの建物です。

    夜明けの門と市庁舎広場の中間にあるヨナス.バサナビチウス広場の前に来ました。この広場で今朝、道を間違えました。左手に国立フィルハーモニーの建物です。

  • ようやくホテルの部屋に帰りました。

    ようやくホテルの部屋に帰りました。

  • この写真以降は2003年春の旅の旅行です。<br />この日はトゥラカイまでデイ.トリップでした。市庁舎広場の南西にあるラズディノ.ペルダ広場にあった貴族家系出身の姉妹作家を記念して1993年に建てられた彫像です。

    この写真以降は2003年春の旅の旅行です。
    この日はトゥラカイまでデイ.トリップでした。市庁舎広場の南西にあるラズディノ.ペルダ広場にあった貴族家系出身の姉妹作家を記念して1993年に建てられた彫像です。

  • ラズディノ.ペルダ広場の西にあったオール.セインツ教会の鐘楼です。この教会は18世紀の火災の後、修復され、ロココ様式のドーム型の屋根で仕上げられました。

    ラズディノ.ペルダ広場の西にあったオール.セインツ教会の鐘楼です。この教会は18世紀の火災の後、修復され、ロココ様式のドーム型の屋根で仕上げられました。

  • 時間があったのでオール.セインツ教会に入ってみました。これは教会の内陣です。肌色に近い内装地に色とりどりに彩色された彫刻、絵画のパネルが飾られています。

    時間があったのでオール.セインツ教会に入ってみました。これは教会の内陣です。肌色に近い内装地に色とりどりに彩色された彫刻、絵画のパネルが飾られています。

  • 身廊右側を拡大しました。この写真の右側に大理石風の説教壇が見えます。

    身廊右側を拡大しました。この写真の右側に大理石風の説教壇が見えます。

  • バス.ターミナルに着いて鉄道駅の方向を望んでいます。

    バス.ターミナルに着いて鉄道駅の方向を望んでいます。

  • このバスでトゥラカイに行きます。このバスは、ポーランドのイェルチ社製です。この会社の歴史は浅く、1952年に元ドイツの兵器工場跡を活用して設立されました。現在はバスは製造しておらず、軍用車両に特化しているそうです。

    このバスでトゥラカイに行きます。このバスは、ポーランドのイェルチ社製です。この会社の歴史は浅く、1952年に元ドイツの兵器工場跡を活用して設立されました。現在はバスは製造しておらず、軍用車両に特化しているそうです。

  • バスを降りて2Km近く北にあるトゥラカイ城まで歩きます。半島のようになっているトゥラカイの街の案内図です。地図の北の端の小さな島にトゥラカイ島の城があります。現在は違う案内図が掲げられています。トゥラカイはヴィルニュスの西28Kmにある湖畔のリゾート地です。周辺はトゥラカイ歴史国立公園になっており、大小200ほどの湖があります。

    バスを降りて2Km近く北にあるトゥラカイ城まで歩きます。半島のようになっているトゥラカイの街の案内図です。地図の北の端の小さな島にトゥラカイ島の城があります。現在は違う案内図が掲げられています。トゥラカイはヴィルニュスの西28Kmにある湖畔のリゾート地です。周辺はトゥラカイ歴史国立公園になっており、大小200ほどの湖があります。

  • これはウィーンからヴィルニュス迄の飛行中でたまたま捉えたトゥラカイ城です。中央にトゥラカイ島の城、左下に半島の城跡が見えています。

    これはウィーンからヴィルニュス迄の飛行中でたまたま捉えたトゥラカイ城です。中央にトゥラカイ島の城、左下に半島の城跡が見えています。

  • トゥラカイ島の城の南南東にあるトゥラカイ半島の城跡です。この写真は、建物の前面に掲げられている城の想像図で、左側の堀に面した城郭の一部のようです。現在は、屋根が綺麗な瓦に修復され、見張り塔も新しい木材で本来の姿に復元されているようです。

    トゥラカイ島の城の南南東にあるトゥラカイ半島の城跡です。この写真は、建物の前面に掲げられている城の想像図で、左側の堀に面した城郭の一部のようです。現在は、屋根が綺麗な瓦に修復され、見張り塔も新しい木材で本来の姿に復元されているようです。

  • トゥラカイ島の城の鳥瞰写真です。ウェブ.サイト「ゴー.ヴィルニュス」(https://www.govilnius.lt)からの借画です。左側に見える橋は、半島から渡る2番目の橋です。

    トゥラカイ島の城の鳥瞰写真です。ウェブ.サイト「ゴー.ヴィルニュス」(https://www.govilnius.lt)からの借画です。左側に見える橋は、半島から渡る2番目の橋です。

  • 一つ目の橋の手前です。トゥラカイ城は15世紀初めに完成し、17世紀のモスクワ大公国との戦争で破壊された後再建される事なく放置されました。その後19世紀から再建の試みが開始され、20世紀前半から実際の再建が始まり1961年に大部分の再建が完了しています。

    一つ目の橋の手前です。トゥラカイ城は15世紀初めに完成し、17世紀のモスクワ大公国との戦争で破壊された後再建される事なく放置されました。その後19世紀から再建の試みが開始され、20世紀前半から実際の再建が始まり1961年に大部分の再建が完了しています。

  • トラカイ島の城の外門を通り城内に入りました。更に内門を通って城の中心である本丸に入ります。小学生らしき団体が先を歩いています。後程再会する子供達です。

    トラカイ島の城の外門を通り城内に入りました。更に内門を通って城の中心である本丸に入ります。小学生らしき団体が先を歩いています。後程再会する子供達です。

  • トラカイ城本丸の大広間です。この部屋は城の中で最も大きく、ステンドグラスの窓があり、15世紀初頭には壁がフレスコ画で飾られていました。壁画は、城の他の空間と同様に、ヴィタウタスの生涯と当時起こった国のキリスト教化の場面を表していました。現在はこの大きなタペストリーが掛けてあります。

    トラカイ城本丸の大広間です。この部屋は城の中で最も大きく、ステンドグラスの窓があり、15世紀初頭には壁がフレスコ画で飾られていました。壁画は、城の他の空間と同様に、ヴィタウタスの生涯と当時起こった国のキリスト教化の場面を表していました。現在はこの大きなタペストリーが掛けてあります。

  • 城内の見学を終え内門前の階段から外門がある城壁を望んでいます。

    城内の見学を終え内門前の階段から外門がある城壁を望んでいます。

  • 外門の内側から城の中心の本丸を望んでいます。

    外門の内側から城の中心の本丸を望んでいます。

  • 一つ目の橋を戻り海岸通りを少し北西に歩きトラカイ島を眺める展望地まで足を伸ばしました。

    一つ目の橋を戻り海岸通りを少し北西に歩きトラカイ島を眺める展望地まで足を伸ばしました。

  • そして近くのカフェのボン.ラウンジでコーヒー.タイムです。

    そして近くのカフェのボン.ラウンジでコーヒー.タイムです。

  • 先程城内で一緒だった小学生らしき団体の子供達がカフェにいる我々を見つけガラス前に集まって来ました。我々が珍しいのでしょう、人懐っこい可愛い子供達です。

    先程城内で一緒だった小学生らしき団体の子供達がカフェにいる我々を見つけガラス前に集まって来ました。我々が珍しいのでしょう、人懐っこい可愛い子供達です。

  • 右側の男の子が友達を呼んでいます。

    右側の男の子が友達を呼んでいます。

  • 仲良しの二人を見て欲しいようでした。この子供達とは、翌日ヴィルニュスのゲディミナス城で再会しました。

    仲良しの二人を見て欲しいようでした。この子供達とは、翌日ヴィルニュスのゲディミナス城で再会しました。

  • 右手のトゥラカイ文化センターを過ぎて左手先にスーパー.マーケットのイキ.トゥラカイの前まで戻って来ました。これから昼食です。近くの適当な場所を探します。

    右手のトゥラカイ文化センターを過ぎて左手先にスーパー.マーケットのイキ.トゥラカイの前まで戻って来ました。これから昼食です。近くの適当な場所を探します。

  • トゥラカイ文化センターの少し南側で湖沿いにカフェを見つけ入ります。料理はリトアニア名物の冷たいスープのシャルティバルシチェィとジャガイモのパン.ケーキのブルヴィニェ.ブリーナイです。美味しい料理でした。

    トゥラカイ文化センターの少し南側で湖沿いにカフェを見つけ入ります。料理はリトアニア名物の冷たいスープのシャルティバルシチェィとジャガイモのパン.ケーキのブルヴィニェ.ブリーナイです。美味しい料理でした。

  • カフェ.バラスですが、この建物は残っていますが、今は廃業しているようです。

    カフェ.バラスですが、この建物は残っていますが、今は廃業しているようです。

  • ここからは、トゥラカイにデイ.トリップした前日の写真です。バルト3国をバスで移動するための乗車券を購入しに鉄道駅近くの売り場に行きました。購入後、駅から旧市街の東側を散策しました。ここは駅のプラットホームです。左に駅舎、右に停車する客車です。

    ここからは、トゥラカイにデイ.トリップした前日の写真です。バルト3国をバスで移動するための乗車券を購入しに鉄道駅近くの売り場に行きました。購入後、駅から旧市街の東側を散策しました。ここは駅のプラットホームです。左に駅舎、右に停車する客車です。

  • 外側の線路上では、列車が2編成見えます。右の列車はER9M型の電車ですが、現在の塗装とは異なっています。

    外側の線路上では、列車が2編成見えます。右の列車はER9M型の電車ですが、現在の塗装とは異なっています。

  • 駅前にあるマクドナルドで軽食をとりました。

    駅前にあるマクドナルドで軽食をとりました。

  • マクドナルドの前から駅舎を望みます。駅前はこのように木々が多い緑地帯になっています。

    マクドナルドの前から駅舎を望みます。駅前はこのように木々が多い緑地帯になっています。

  • 鉄道線路沿いを東に歩き、途中で北に曲がり夜明けの門の前に来ました。

    鉄道線路沿いを東に歩き、途中で北に曲がり夜明けの門の前に来ました。

  • 夜明けの門の前から右に曲がり北東に、以前の城壁沿いを歩いていきます。通りの左側の所々に城壁跡が見られます。

    夜明けの門の前から右に曲がり北東に、以前の城壁沿いを歩いていきます。通りの左側の所々に城壁跡が見られます。

  • 城壁跡の通りはポクシュト通りに繋がり、復元された円形城塞が右手に現れます。

    城壁跡の通りはポクシュト通りに繋がり、復元された円形城塞が右手に現れます。

  • 円形城塞の前から北方を望みます。左奥遠くの丘にゲディミナス城の塔、中央に白い壁のロシア正教会聖母教会、右に赤いレンガの壁のベルナルディン教会が見えます。<br />

    円形城塞の前から北方を望みます。左奥遠くの丘にゲディミナス城の塔、中央に白い壁のロシア正教会聖母教会、右に赤いレンガの壁のベルナルディン教会が見えます。

  • ピルレス通りで、今回2016年の旅で滞在しているホテル.ナルティスの少し北から右に入ったミコロ通りの小道沿いにあるレストラン.ガビ(GABI)で夕食をとりました。トリップ.アドバイザー評価は775軒中64位です。感じが良いレストランだった記憶があります。

    ピルレス通りで、今回2016年の旅で滞在しているホテル.ナルティスの少し北から右に入ったミコロ通りの小道沿いにあるレストラン.ガビ(GABI)で夕食をとりました。トリップ.アドバイザー評価は775軒中64位です。感じが良いレストランだった記憶があります。

  • ヴィルニュス大学の北、ピルレス通りの西側で、デザート店の&quot;Pilies Kepyklėlė&quot;の看板が見えています。

    ヴィルニュス大学の北、ピルレス通りの西側で、デザート店の"Pilies Kepyklėlė"の看板が見えています。

  • こちらは同じピルレス通りの東側です。遠くの丘にゲディミナス城の塔が見えています。

    こちらは同じピルレス通りの東側です。遠くの丘にゲディミナス城の塔が見えています。

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