2016/09/20 - 2016/10/14
261位(同エリア842件中)
さわ子さん
2016年秋、羽田からスカンディナヴィア航空でコペンハーゲン経由オスロに到着し、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、エストニア、ラトヴィア、リトアニア、デンマークとヨーロッパ7カ国を訪問し、コペンハーゲンから羽田に帰って来ました。今回も絵画鑑賞が主な目的の再訪です。
旅程の概略です。
★ 9月20日 羽田からスカンディナヴィア航空でコペンハーゲン経由でオスロへ。オスロ泊。
★ 9月21~22日 オスロ泊。
★ 9月23~24日 ベルゲン泊。
★ 9月25日 フロム泊。
★ 9月26日 ベルゲン泊。
★ 9月27~28日 ストックホルム泊。
★ 9月29日 船中泊。
★ 9月30日~10月1日 ヘルシンキ泊。
★ 10月2~4日 タリン泊。
★ 10月5~7日 リガ泊。
★ 10月8~10日 ヴィルニュス泊。
★ 10月11~12日 コペンハーゲン泊。
★ 10月13日 コペンハーゲン空港からスカンディナヴィア航空で羽田へ。
この20回目の旅行記は、リガのラトヴィア国立美術館とメンツェンドルフ家博物館を訪問した記録です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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新市街のユーゲント.シュティール建築を見学した後、ラトヴィア国立美術館に入ります。バルト3国で初めて美術館として建設され、1905年に完成した折衷的なバロック様式の外観の建物です。室内装飾にはアール.ヌーボーの特徴もあります。
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ファサード中央上部の装飾です。4本のイオニア式柱に支えられたペディメントは3角形ではなく、唐門風の曲線で囲まれています。
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階段を上がってファサード中央の扉から入館します。ここは美術館の2階になっています。
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例によって最上階の4階にエレベーターで上がります。4階では、特別展で近代絵画が展示してあります。4階の一部がガラスの床になっていて、下の階の展示場が見えています。
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リガに生まれ21歳の時アメリカに移住した画家で劇作家のライモンンヅ.スタプランス(Raimonds Staprans:1926- )の作品です。
近代絵画は面白くなかったので3階に下ります。 -
3階の階段ホールで、南東方向の半円になったバトゥ公園側です。下りの階段が、階段ホールの両側から円周に沿って延びています。
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階段ホールから北東翼の出入り口を写しています。階段ホールの左右の翼には、出入り口が二つづつあります。
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階段ホール壁面で、南西翼の出入り口側のルネッタにある絵画3枚です。これはエストニアのタリンの旧市街を海上から眺めた景色のようです。右側にトームペアの丘が見えます。
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こちらはダウガヴァ川から眺めたリガのようです。
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こちらはどこでしょうか?分かりません。
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アールヌボー様式の装飾が施された飾り柱です。
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3階は、北東翼が1780 - 1915年、南西翼が1915 - 1940年のラトヴィア美術作品の展示です。これはアンシス.シルリス(Ansis Cirulis:1883-1942)の作品です。
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これはカリス.パデグス(Kārlis Padegs:1911-1940)の1933年の作品で「白い花を持つ女性」です。
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これはヤーニス.リエピンス(Janis Liepins:1894-1964)の1935年の作品「ヴェンツェル港の漁師達」です。
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多くの風景画を残しているルドルフス.リベルツ(Ludolfs Liberts:1895-1959)の1930年の作品で「ヴェネツィアの大運河」です。アッカデミア橋近くからサンタ.マリア.デッラ.サルーテ聖堂を望んだ景色になっています。
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海岸や海上の風景を多く描いたエドゥアルドス.カルニンシュ(Eduards Kalniņš:1876-1964)の1935年の作品「筏乗り」です。筏の上でトランプに興じているようです。
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風景画を多く描いたヴィルヘルムス.プルヴェティス(Vilhelms Purvītis:1872-1945)の1910年の作品で「春の水」です。
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同じヴィルヘルムス.プルヴェティスの1910年の作品で「冬」です。
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著名なラトヴィアの画家ヤーニス.ルァゼンタールス(1866-1916)の作品は、地階の特別展が開催されていますが、通常の展示室でも見つけました。これは1904年の作品で「母と子」です。
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こちらもヤーニス.ルァゼンタールスの1902年の作品で「白い衣装の女性:ベルガ夫人」です。
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これはアレクサンドルス.ローマンズ(Aleksandrs Romans:1878-1911)の作品「堅信式」です。幼児洗礼を受けた子が、自分の意思でキリスト教を信仰するという事を公に告白し、完全なキリスト教徒になったということを教会から認めてもらう儀式です。
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風景、肖像画、日常生活を描いたヨハンス.ヴァルタース(Johans Valters:1869-1932)の作品3枚です。
これは1897年の作品「イェルガヴァの市場」です。イェルガヴァ は、リガからおよそ41km南西に位置する都市で、かつてクールラント公国の首都でした。 -
絵画の右側を拡大しました。手前には、場違いの上流社会の女性らしい二人が描かれています。
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これは1901年の作品で「 ランプのそばの2人の女性」です。粗い筆遣いの絵画です。
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これは「青いドレスの仕立て屋」です。
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作者は確定できませんでしたが、農家の生活を描いている2枚です。
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日本でも昔よく見た農作業ですが、帽子を被った農夫が珍しいです。
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画家兼グラフィック.アーティストのアルターズ.バウマニス(Arturs Baumanis:1867 - 1904)の1887年の作品で「運命の馬」です。
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バルト.ドイツの歴史、ジャンル、風景画家のカール.フーン(Karlis Huns:1831-1877)の作品3点です。
これは1870年の作品で「若いジプシーの女性」です。 -
こちらは1871年の作品で「イタリアの内庭」です。
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これは1874年の作品で「ヌイイを散策する」です。ヌイイは、フランスのパリ西部近郊にある都市です。蛇行するセーヌ川の遊覧を楽しんでいるようです。
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ドイツのロマン主義の影響を強く受けたアレクサンダース.ハイベルス(Aleksandrs Heubel:1813-1847)の作品2点です。
これは1840年代の作品「アルバーノから来たイタリアの女性」です。アルバーノは、ローマの中心から南東へ25Km程にある町です。 -
こちらは1845年の作品で「燃える炉の中の3人の男」です。題材は旧約聖書のダニエル書の記述「ああ、私は4人の男が火の真っ只中を歩いているのを見たが、彼らは怪我をしていない。そして4番目の人物は神の子のようです」から採られています。
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3階から2階に下ります。3階の広い階段ホールの両側から半円状の壁面に沿って下っていきます。階段の装飾も大変豪華です。
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階段の踊り場から2階の玄関ホールを見下ろします。この玄関ホールの右側にチケット.オフィスがあります。
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同じ踊り場から3階北東翼の入り口側を見上げています。
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3階の階段ホールの手摺りを拡大しました。アール.ヌーボー様式です。
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2階に下りました。玄関ホールの天井です。
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2階は、南西翼が1945 - 1985年、北東翼が1985 - 2000年のラトヴィア美術作品の展示場です。
この絵は、ヤニス.オシス(Janis Osis:1926-1991)の1958年の作品「ラトヴィアの漁師の祭典でのカッター競技」です。ヤニス.オシスは政治性の無い風景画を描いています。 -
一生懸命に櫂を漕ぐ漕ぎ手を拡大しました。
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場面右側を拡大しました。右前方に前を走るカッターが走っています。
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アウセクリス.バウスケニエクス(Auseklis Bauskenieks:1910-2007)の1975年の作品で「川」です。500年近く前の初期フランドルの画家ヒエロニムス.ボスの絵を何かしら思い出します。
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少し拡大しました。手前のボートは、時代を反映して船外機が付いているように見えます。
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上掲の2枚以外に興味を引いた絵画がなかったので、特別展が開催されている地階に向かいます。これは玄関ホールから2階の展示室に入る入り口上部の装飾です。
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綺麗な装飾の階段回りです。
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地階への階段はこのように装飾はなく、ただ金色に輝いています。
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ラトヴィアの万能芸術家、ヤーニス.ルァゼンタールス(Janis Rozentals:1866-1916)の特別展が地階で開催されていました。この画家は鍛冶屋の子として生まれましたが、絵画の才能が認められ、リガの工芸学校やザンクト.ペテルスブルクの美術学校で学び能力を更に高めました。フィンランドの歌手、エリ.フォーセル(Elli Forssell:1871-1943)と1903年に結婚しました。彼の絵画の題材は、幅広い分野とジャンルに及び、画風も印象派、象徴主義、アールヌボー、ポスト印象派などに渉っています。
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美術館地階の絵画収納庫です。
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1894年の作品「教会のミサからの帰り道」です。人の流れの右側には物乞いをする人も描かれています。
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こちらは1895年の作品で「墓地からの帰り道」です。題名は異なっていますが、背景に少し見えている教会や手前の木製の入り口は、上掲の作品と同じに見えます。
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これは1895年の作品で上掲の絵画と同じ題名の「墓地からの帰り道」です。一番手前の二人を除いて人々も背景も異なっています。
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一番手前の二人を拡大して前掲の絵と比較しました。右側の裸足の女性は年寄りに見えます。
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こちらは、筆使いが荒いですが子供のように見えます。
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これは1898年制作の「歌をうたう女羊飼い」です。
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こちらは多くの農民が一団となり草刈りをしているようです。
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これは農作業からの帰りです。
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こちらは1904年の作品で「川で洗濯」です。
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これからの6枚は母と子を描いたものです。
これは1904年の作品で「桜の木の下」です。 -
母と子のピクニックでしょうか。
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これは「秋の公園で」と題名が付いています。
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これは1906年の作品で「ヌメラで」です。ヌメラは、ヘルシンキから北西に44kmの所にある町です。ヤーニス.ルァゼンタールスの夫人はフィンランド人で、この家族は1時期ヘルシンキに住んでいたので、この絵は家族かもしれません。
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これは1907年の作品で「板の上」です。海上に張り出した木製の台のようです。
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これは「クルゼメの夏」です。クルゼメは、ラトヴィア語のクールラントです。
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この下の3枚は風景画です。
これは1915年の作品で「イタリアの景色」です。 -
これは「コクネーゼ城址」です。コクネーゼはリガの東南東で、ダウガヴァ川の上流の町です。コクネーゼ城の歴史は、13世紀に遡ります。
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これは1909年の作品で「クールラントの初春」です。
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これはヤニス.ローゼンタールズ夫人のエリーの肖像画です。ヘルシンキでの結構式前で30歳頃の肖像画だそうです。
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「いくつかの美しい花」と別名を持つ「ケリー.フォン.グロタスの肖像画」です。1895年に発表されました。花で飾られた髪型の若い女性が、その時代の明るい夏のファッション.ドレスを着ています。
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以下女性を描いたパネル4枚です。
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これは1913年頃の作品で「アルカディア」です。アルカディアは、ギリシャのペロポネソス半島中央部にある古代からの地域名で、後世に牧人の楽園として伝承され、理想郷の代名詞となりました。
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海岸の風景です。
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右側を拡大しました。人物の輪郭線を強調したものになっています。
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これは1913年に発表された有名な作品の「王女と猿」です。ヤーニス.ルァゼンタールスが人生の最後の数年間に繰り返し戻ってきたテーマを反映しています。装飾的に輝くアールヌーボーの構成の象徴的な絵画の内容は、芸術家に対するお金の力を反映した芸術家と社会の関係の寓話として解釈されています。 他の表現として、王女は素晴らしい、美しい芸術と見なされますが、猿は金色の鎖に縛られた芸術家であり、その王女の召使いで遊び相手です。
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上掲の作品の他に、同じ題材、同じ構成で描かれている、これと次の作品も展示してありました。
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この絵は、ほとんどの人が農民として日常生活を送っていた時代に制作されました。 作者のヤーニス.ルァゼンタールスは主に人々の日常生活を描いていましたが、神話や宗教を反映させる事もありました。この絵画はそれらの絵画の1つであり、日常生活と神話の中間にあります。画像を見ると、ラトビア神話の死は白衣を纏った女性として表現されています。森の端の岩の上に座って死んだ子供を抱き、怒りを表している女性もいます。絵の主人公の周りには、森、小さな小道、牧草地が見えます。周りの景色の色から判断すると、夏かもしれません。ラトビアでは、死は通常鎌を持った白衣の女性によって表されます。
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こちらは別ヴァージョンの1枚です。大きく目を見開いた母親の表情は、その怒りの強さが上掲の作品より強く現れています。
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これは「サマリア人の女」です。この絵画のコピーがユーゲント.シュティル美術館にありました。
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こちらは「子供を祝福するキリスト」です。
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「伝説」と題名が付いた絵画です。
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人々の生活を描いた4枚です。これは「羊飼いの娘」です。
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これは「市場」です。
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長老が聖書を読み聞かせているのでしょうか。
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こちらは酒場の光景でしょうか。
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ヤニス.ローゼンタールスの作品でイラスト風の作品2点です。
これは「白鳥の乙女」です。 -
これは「射手座」です。
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ヤーニス.ルァゼンタールスの時代は、写真も普及していました。彼も写真を元に製作した作品があります。この写真の部屋に掲げられている何枚かのパネルは、この美術館に展示してあります。
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2時間ほど国立美術館に滞在し旧市街に戻ります。車体全体に広告を描いたトロリー.バスです。窓ガラスでもお構いなく絵を貼り付けています。
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左手の火薬塔を過ぎて、右に旧ヤコブ兵舎、左に復元された城壁に囲まれたトゥァルニャ通りを歩いて行きます。
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2時になりました。今日の昼食は、ちょっと面白いレストランです。前もって調べておいた旧ヤコブ兵舎内のトリス.パヴァル.レストランに入ります。
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突き出しのパンを食べるのに、紙のランチョン.マットの上にヴァジル、アップル、チェリー等のソースをアートしてくれました。
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最後にナッツを乗せてくれて終わりです。
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さあ食べます。
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ランチョン.マットの上のフルーツ.ソースを着けました。
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メインです。ババが選んだタルタルです。
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こちらはジジが選んだスープです。
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副菜のポテトです。どれも美味しい料理でした。
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昼食を終えて更にトゥァルニャ通りを西の方向に歩きスウェーデン門の入り口に来ました。ババはヤコブ兵舎に面して立っています。
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2003年春の写真です。ヤコブ兵舎側からスウェーデン門を通り門の内側に出ました。内側には、この小道のトロクシュニョ通りがあります。スウェーデン門はジジの後ろです。
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こちらは2016年です。スウェーデン門を右手に、上掲の写真と同じ西の方向を覗いています。小道の奥で左側に、微かに長方形の看板の"The Good Father"が見えています。
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トロクシュニョ通りの小道を西の方向に歩きます。左側の円形の看板の"Kafejnica Sirdsmila"は現在上掲の"The Good Father"に変わっています。この小道にも車両の通行を禁止するための円柱が立っています。
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トロクシュニョ通りを振り返っています。通りの左側の奥で、密集する緑の蔓の手前がスウェーデン門です。
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スウェーデン門の手前で、南に延びるアルダル通りにあるラトヴィアのアート.ギャラリーです。
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スウェーデン門から南にアルダル通りを南に歩いています。
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アルダル通りの中程で西側にあり、歴史的な倉庫を活用した「リガを発見」と名付けられた5階建ての博物館です。リガの8世紀に渉る歴史をいろいろ教えてくれるそうです。
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スウェーデン門方向に振り返っています。左の2連の建物が「リガを発見」の博物館です。
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「リガを発見」の博物館の角から右に曲がり、アルダル通りと平行になったヤコブ通りに出ました。左手に聖ヤコブ教会があります。ここで左に曲がります。
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聖ヤコブ教会の北側のクロステラ通りで西の方向を望んでいます。この辺りは細い石畳の小道が続いています。
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聖ヤコブ教会ファサードの北側には、車両の通行遮断のためにこのような4本の円柱が立っています。
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聖ヤコブ教会にはいりました。この教会は、1225年以前に遡ります。15世紀に大改造を受け、高さ80mの尖塔は1756年に完成しています。この教会には鐘楼はなく、重さ90Kgの鐘は尖塔の外に吊るされました。鐘には「神よ、ロシア人、洪水、ペストから守り給え」と書かれていたそうです。17回目の旅行記で記述した"哀れな罪人の鐘"です。この鐘は第1次対戦中に溶かされ兵器生産のために取り外され、2001年に復元されました。
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聖ヤコブ教会の南側にリガの3兄弟の建物が並んでいます。右端の1番古い15世紀末の建物が欠けてしまいました。中央の建物は、1646年に遡るオランダ.マンネリズム様式の影響を受けた外観と1746年に追加された石造りの玄関です。左端は、17世紀末に現在の外観のバロック様式になりました。
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聖ヤコブ教会から西の方向に歩き、ダウがヴァ川の近くでリガ城の南にあるローマ.カトリックの"悲しみの聖母教会"に入りました。この教会は、疑似ロマネスク様式で1785年に建てられました。内部は白色に金色のアクセントが入り、すっきりとした内装になっています。主祭壇には、ピエタのモチーフが金属の材料も使って表されています。
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この2枚は2003年春の写真です。
悲しみの聖母教会からダウガヴァ川に出て川沿いを少し南に歩きます。これはクリスタプス(ラトビア語のクリストフォロ)の像(コピー)です。伝説によると、昔々非常に強い男がダウガヴァ川沿いに住んでいて、人々を背負って川を渡り、お金を貰って生計を立てていました。 ある夜、川を越えて運ぶように小さな男の子が頼みました。天気は荒れていましたが、川に入って運び始めました。一歩一歩渡るうち、男は子供が少しづつ重くなっていることに気づきました。その少年はキリストである事が判明し、その男はクリスタプスと名付けられました。 -
ダウガヴァ川に出て川沿いから大聖堂に向かいます。
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スミルシュ通り1/3番地の建物です。証券取引所美術館の対面にあり、ラトヴィア.ラジオ放送局に隣接しています。ザンクト.ペテルスブルクの建築家の設計で建てられ、ロシアの保険会社「Rossiya」の建物でした。建物は、非対称に配置されたいくつかの塔と出窓によって強調されており、ロマンチックな外観を与えています。建物の装飾には、錆色と薄茶色の漆喰を組み合わせたものが使われています。ファサードのダイナミクスは、バルコニー、出窓、アール.ヌーボー様式の植物モチーフ、仮面、レリーフによって強調されています。写真中央に見えるファサードの角は、尖塔が付いた2階建ての出窓によって強調されています。建物は1999年に改装され、1階にオフィスとレストランが 入っています。
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ファサードの角を拡大しました。出窓の下には寓話的な女性の姿があり、その女性が持つ盾は、8つの尖った朝の星で飾られています。
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1211年に創建されたリガ大聖堂に入ります。この教会は、ソ連邦時代には、全ての宗教活動は許されず、ただコンサート.ホールとしてだけに利用されていました。内陣を望んでいます。身廊左手に説教壇が見えます。
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1641年製作のバロック様式の説教壇を拡大しました。
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内陣の主祭壇を拡大しました。この聖堂はプロテスタント教会だそうです。
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内陣上部にあるステンドグラスです。
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2003年春の旅では、夜のパイプ.オルガン演奏会に出かけました。このパイプ.オルガンは、ドイツ人の製作者により1884年に完成しました。
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パイプオルガン演奏台の下の段の手摺りの壁面に描かれた絵画です。新約聖書の物語のようです。
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左側廊のステンドグラスです。右側廊のステンドグラスは第2次大戦の時に破壊され残っていません。写真の左窓の場面では、ヴォルター.フォン.プレッテンベルクが1525年に宗教的自由の布告を読み上げています。右窓の場面では、リガの代表団が1621年にリガに入城したスウェーデン王グスタフ.2世.アドルフに拝謁しています。
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上掲の写真の右窓の下部で、女の子達が花輪を持ってスウェーデン王グスタフ.2世.アドルフを迎えています。
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更に左側廊のステンドグラスです。上掲の2窓の隣りになります。左の窓には、マンドルラの幼子イエスと聖母マリアです。マンドルラは、アーモンド型の光輪、つまり図像の全体を囲むフレームです。右の窓は、アルベルト司教が大聖堂の礎石を設置しています。全4面の作品は、1884年にミュンヘンの工房で制作されました。
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左の窓のステンドグラス下部の男の子です。寄進者の家族の一人でしょうか。
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右側廊内陣の聖歌隊席の手摺りに描かれた絵画7面の内、中央にある3面です。
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中庭(クロイスター)に出ました。左が大聖堂で、右がリガの歴史と海運の博物館です。
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中庭を囲む回廊には、いろいろな遺物が展示してあります。右端は1985年に取り替えられた大聖堂の旧風見鶏です。
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大聖堂の南側にあるリガの歴史と海運の博物館に入りました。この3枚の写真は、2003年春の旅のものです。リガがリヴォニアの一部であった13~16世紀の時代の展示です。これはクリスタプス(ラトビア語のクリストフォロ)の像です。子供のキリストを肩に載せています。
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13~16世紀当時の服装が展示してあります。聖職者や貴族などの上流社会の人々の服装のようです。一般の人は、上掲のクリスタプスのような服装だったのでしょうか?
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上掲の展示の右側です。
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ブラックヘッドの会館の南にあるメンツェンドルフ家博物館を訪問しました。博物館の名前は、この家の最後の所有者である商人メンツェンドルフの名前にちなんで付けられました。この建物は1695年に立てられ、リガの代表的な17~18世紀の建物と当時の生活を展示しています。
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2階に上がりました。
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音楽室です。
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上掲の写真と同じ部屋の同じ壁面で、暗くて見え難くかった左側の部分を拡大しました。
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ハープシコードが展示されていましたが、当時はハープシコードの演奏会が広く催されていたそうです。壁面の絵画は、ロココ時代のフランス人画家の題材を使ってリガの画家が描いたそうです。
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一部拡大しました。
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音楽室の隣りの部屋です。
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上掲の写真と同じ部屋で、反対方向を望んでいます。
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3階に上がりました。次の部屋はリビング.ルームで、奥の部屋はベッド.ルームです。
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リビング.ルームの窓際にあった置物ですが、ハサミの飾りが付いた灰皿でしょうか。
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ベッド.ルームのベッドの下にあるのは、湯たんぽと尿瓶でしょうか。
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リビング.ルームで案内人の女性と記念写真です。
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屋根裏部屋は各種の造形物が展示してあります。
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特に多かったのは人形です。
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各国の民族衣装を着た人形でしょうか、中央に立っている人形のエプロンにはクロアチアの地図が描かれています。
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メンツェンドルフ家博物館を後にして、お土産を買うためギャラリア.センターに向かいます。途中のアウデジュ通り(Audēju iela)7番地の1899年に建てられた、リガで最も初期のアールヌーボー様式の建物の1つです。本の出版社であるA.Grossetが所有していたこの建物は、古い建物を大規模に改造したものであり、内部と外部の両方で完全な変化を伴いました。
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ショッピング.モールのギャラリア.センターに入りました。近代的な建物のショッピング.モールですが、創立は第1次世界大戦の直後だそうで、"王女の倉庫"と呼ばれた現在地の建物に"陸軍の経済商店"として開業しました。その後1938年に新しく大きな建物が建設され、1972年には更に大規模な改修工事を受け典型的な共産国の中央百貨店になりました。2005年に最後の建物の増築と近代化が行われ現在の"ギャラリア.センター"になりました。今2棟ある建物の内、東側の棟が1938年に建てられた建物です。
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左側の旧館と右の新館の間はリドゼネス通りでしたが屋根も造られショッピング.モールの一部となっています。
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ギャラリア.センターの北側です。東西2棟の建物を繋ぐ連絡通路から写しています。正面は木組み家屋らしく造られた建物のようです。
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新館に設置されているガラス張りのエレベーター内です。
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エレベーター内から北の方向を望んでいます。右が旧館です。前掲の東西の連絡通路が奥に写っています。
4時半になりました。これで今日の街歩きを終了します。明日はリトアニアのヴィルニュスに移動します。
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2016/09/20~
タリン
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (16)タリンの街歩き、2日目です(10月4日)
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (17)エストニアのタリンからラトヴィアのリガに移動...
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (18)ラトヴィアのリガからバウスカのルンダーレ宮殿...
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (19)リガのアール・ヌーヴォーの建築群を見て回りま...
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (20)リガのラトヴィア国立美術館を訪問しました(1...
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リガ
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (21)ラトヴィアのリガからリトアニアのヴィリニュス...
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ビリニュス
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (22)リトアニアのヴィリニュスからカウナスへデイ....
2016/09/20~
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (23)リトアニアのヴィリニュスの街歩きです(10月...
2016/09/20~
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (24)リトアニアのヴィリニュスからコペンハーゲンに...
2016/09/20~
コペンハーゲン
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (25)コペンハーゲンの美術館をハシゴ(1)しました...
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旅行記グループ シニア夫婦の北欧4カ国、バルト3カ国再訪の旅25日
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